魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ウソ現実

2019年12月31日 | 星の流れに
天王星84年サイクルで考えると、今は昭和初めの大戦前夜にある。全く同じことが起こるわけではないが、世相に似たような空気が漂う。
大戦前夜、天皇が極端に祭り上げられ、日本文化が賛美され、万葉集が流行り、政治の衰退が起こり、軍人が力を持ち、軍隊ではイジメが流行った。この他にも、何かにつけて、世相は今によく似ていた。少なくとも、戦後30年間とは真逆と言ってもいい。

戦後30年の中で、感性と価値観を育んだ者にとっては、今、多くの人が当たり前に思っているであろうことは、怖くて見ていられない。
先輩後輩などの序列にこだわり、皇室への親近感が畏敬に変わり、元号や旭日旗を尊重し、ネット社会を信じ、その情報に命まで預けている。
誰もそんなつもりはないだろうが、自分の存在を情報で確認することは、それだけ命が希薄になっていることを意味する。

情報によってものを知る現代以前は、物事に出会うたびに、自分の経験と勘に基づいて、未知のものを見つめ、考え、試行錯誤しながら認識していった。そして、同時に、自分の存在を少しづつ確認していった。
しかし、ネットで物を知る今は、情報で物事を知り、その情報を基にさらに物事の認識を重ねる。そして、自分というものも、その比較の中で認識するから、実は自分の存在は情報に過ぎないと言われると、それが圧倒的なリアリティを持って、否定のしようがない。
これは、文字の発生以来、歴史の中で徐々に進行してきた事態であり、学校が生まれてさらにシステム化したが、今、ネットで育つ世代が生まれると、一気に世界を塗り替えた。

昭和初期はここまでではなかったが、学校に加え、ラジオや映画が架空を現実にする世界を生み、ナチスはこれをフル活用した。いま、現代のツールを使って、民衆を支配しようとしているのは中国共産党だ。
天王星周期で世相を見ていれば、この危うさが、理論通りに再現されることに、相当な焦燥感を抱かずにはいられない。

どっちも

2019年12月19日 | 兄弟関係
五代目の柳家小さんは、蕎麦の食べ方が絶品と言われ、蕎麦屋では、つゆをかすめるような粋な食べ方をしたが、後年、実は食べた気がしなかったと言っていたそうだ。
他人に評価されると、何か期待に応えなければならないようなプレッシャーが掛かり、かえって、ウットウしい。
中国では、日本旅行で財布を落としても還ってくるなどの話題が、頻繁に流布され、日本は落とし物が還ってくる国だと評判になっている。
確かに、他の国より圧倒的に高い確率かも知れないが、旅行中には先ず、財布をしっかり持っていて欲しい。日本だって財布が還ってこないこともあれば、ゴミのポイ捨てをする人もいる。

中韓は、明治以後の日本の発展を、日本人が思っている以上に過大評価している。その反動が、日本へのイチャモン、貶め攻撃だ。日本としては、凝視され、あれこれ批判されることに気を遣うより、勝手気ままなお一人様で、美味しく蕎麦を食べたいものだ。

牽制し合う大陸兄弟
大陸の中華兄弟は、常に上下を決めたがる儒教のタテ思考で、自分が上でなければ収まらない。中国は何と言っても自分が一番上という自負があるから、それほど躍起にならないが、中国には絶対勝てないと思っている弟分の朝鮮は、それ以外の国よりは上だと思いたい。中国兄貴から遠い日本は自分より下と決めつけ、絶対に負けたくない。だから、何が何でも日本の上に立ったことにしたい。

ところが、日本という島国は中華文明から学んだものの、直接関わって、一緒に暮らしてきた大陸兄弟ではない。海を隔てた、隣家の一人っ子だ。
朝鮮半島のように常に大陸に侵入されて戦々恐々として暮らしてきた悲しい生い立ちを知らない。他国との競争を知らないし、他国の思惑を考慮できない。
ノーテンキに、国同士は対等で、それぞれ自分の目的に勤しんでいれば平和になるじゃないかと信じている。一方で、相手の立場を配慮できないから、勝手なお節介をする。
よかれと思ってやったことは、みな、恨みの対象になってしまった。
挙げ句の果てに、自分なりに反省をし、独りよがりな「穴埋め」をして、それがまたイチャモンの種になるという、悪循環を生んでいる。

この一人っ子の独りよがりな行動は、長子の中国も同じで、他国に対して、よく見もせず、相手の立場で考えもせず、勝手に決めつける。その独善は、全く自分の都合に合わせた物差しだから、思いやりのつもりでも、だれにも喜んでもらえない。
長子の中国は自省心があり、韓国のように、他者を当てにしたゴネ倒しはやらないが、力任せの横暴には無自覚だ。
長子にもタイプがある。弟妹との年の差にもよるが、年の差があるほど一人っ子が出る。始めは内的葛藤だけの一人っ子だった中国も、歴史の中で、長子として新たな弟妹である外敵との葛藤に明け暮れ、力による支配が身についた。
この過程も、長子と弟妹の人格形成によく似ている。

兄弟の立場は一長一短
兄弟関係では、往々にして弟妹が発展、出世することが多い。スポーツではほとんどと言っても良いくらいだ。弟妹は長子が手がけた分野を、幼少期からマネをして始め、長子が得たコツを初めから用いる。また、長子は、人のすることを素直に踏襲できず我流にこだわるが、弟妹は、そのまま踏襲し上を目指して、常に手本となる師を求める。
そうして、弟妹の方がうまくなると、長子は他の道に逃げる。ようやくコツをつかんだ長子は、既にそれを実行できない身体になっているから、弟妹に太刀打ちできない。

日本の産業が中韓のパクリに負けるのも同じ理屈で、自分の道を積み上げ、既に体制が固まっている者は、新しい状況に対応できず、新興国に新技術を上乗せされてしまう。
また、弟妹にも兄姉の恩恵に感謝するタイプと、兄姉への不満だけをあげて、全部自分でやったと自慢するタイプがあるが、自分がうまく手に入れることだけを考えるタイプは後者になり、どちらかと言えばこれが多い。
中韓のパクリも、中国は長子タイプなので、先進国の恩恵を無視することはあっても忘れない。米中葛藤で旗色が悪くなると、再び日中友好と囃し立てるのも、実は日本からの恩恵を忘れていないからだ。これに比べ、都合の悪いことは無かったことにする韓国は全くそうは思っていない。中国のように友好を演出するのではなく、再び、今度はどこから奪えるかと考える。うまく奪うこと自体が実力だと思っているからだ。

日本の産業も、もとは欧米を見習ったものだが、ヒントであってパクリではない。一人っ子は、我が強く、全くのパクリができない。これは能力的にできない。勉強なども公式を丸暗記する学習は苦手だ。一方で、一人っ子の日本は、好奇心を刺激され、ヒントを得ると、利害抜きで知識や技術を我流で磨き上げる。これは芸術や道楽の世界だ。
その結果、良い製品が生まれるが、世慣れた営業能力が無い。珍しいうちは売れるが、横でのぞき込んでいた中韓兄弟がやり方を覚えて大量生産したら、全く太刀打ちができなくなった。大陸兄弟は、生存競争に鍛えられ、利害に厳しい。

大陸一家と付き合う
大陸と日本の関係は、日本の西と東に似ている。東京では知識や感性を金に換算することを嫌うが、関西は先ず「なんぼのもんや?」から始まる。
関東、さらに東北となると、駆け引きより「心情」から入り、常に西の現金な圧力に屈してきた。

大陸の影響を受けた西日本は目的思考だが、その大陸と比較すれば、やはり、全体としての日本は心情の国であり、相手の言葉を信じれば、アイヌが大和に欺されたように滅びる。アイヌは、友好を前面に出した大和の騙し討ちに、何度も裏切られ、祖国を失った。
交渉に当たった人間がいくら善意でも、政治権力は常に非情だ。
民間交流は絶対的に必要だが、その民が支える政治権力こそ、忘れてはいけない相手なのだ。
バカな善人とは付き合えないが、賢い悪人とは付き合える。ただし、
賢い悪人と付き合うには、こちらも賢くならなければならない。

聖女伝説

2019年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム
環境問題で、スエーデン出身のグレタさんが、ジャンヌ・ダルクのように注目されている。
「グレタ」が一世風靡と言えば、今年は英米合作映画「GRETA」まで出てきた。これは環境のGretaさんとは何の関係もないスリラー映画だそうだ。
突如、湧いたGretaブームだが、一世風靡と言えば天王星だ。牡牛座に天王星が入った途端のブームで、ヤギ座のGretaさんには、チャンスの120゜だ。
天王星が影響していると言えば、84年前の、やはり天王星・牡牛座の時代、大戦前夜に空前のブームを醸した女優「グレタ・ガルボ(Greta Garbo)」も、やはりスエーデン出身の乙女座で120゜だった。

GretaとはMargaretaの短縮形で、ヨーロッパ各国語の違いで、多少の変形があるが、元々は真珠を表し、さらにヒナギクにも名付けられている、欧米では一般的な女性名の一つだ。この名前は伝説の聖女マルガリータで有名で、奇しくもジャンヌ・ダルクが12歳の時に現れて、ジャンヌは発心したと言う。
ジャンヌ・ダルクのようなGretaさんは、ジャンヌ・ダルクを発心させた聖女と同じ名前という事になる、何とも因縁めいている。つまり、Gretaは元々カリスマ的なパワーを秘めた名前なのだろう。それが時と人を得て、一世風靡するわけだ。

今、ヤギ座は、冥王星と土星という暗黒の魔王のような力に取り付かれている。その力が牡牛座の天王星で発揮され、さらに木星まで加わり、世界に広がる。
Gretaさんの、「怒り」を武器にした主張は暗く悲観的な土星によるものであり、土星はヤギ座で最高潮になる。また、冥王星は時代を動かす星だ。木星は認められることを表している。そして、120゜で支える天王星は科学と革命を表す。
もしかすると今、ひとつの宗教が起こりつつあるのかも知れない。

あおり脳

2019年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム
木星射手座で、今年は、「あおり運転」が話題になったが、あおり運転そのものは昔からある。
昔、夜中に東名で追い上げられ、スピード違反で捕まったことがあるが、あおって追いあげてきた車は、その後ろに覆面パトカーが追跡していることに気づかず、こちらがエンジンブレーキで減速し始めると、さらに詰めてきた。減速に気づいたパトカーが警告灯を回し、サイレンを鳴らしながら、「白の○○止まりなさい」と放送すると、呼ばれなかった自分は関係ない様な顔をして、そのまま行きかけてやはり呼び止められ、両者とも別々に切符を切られた。パトカーは明らかに状況を見ていたはずなのに、追い上げられたと言っても無視された。パトカーにとっては一石二鳥だった。今ならどうだろう。

あおり運転は、それを趣味にしている輩は別にして、ごく普通の人でもやりかねない。実際、同時に切符を切られた煽り君も、若いサラリーマン風のごく普通の神経質そうな男だった。
何が気に入らなかったか、後で考えたら思い当たるミスはあった。多分、照明を上げっぱなしにして接近したことだと思うが、よほど、頭にきたらしい。

ハンドルを握ると人格が変わる人がいるのは、誰でも知っている。あおり運転や車から降りての喧嘩も多々ある。クラクション殺人事件も一件や二件ではない。
今年はあおり運転ブーム?だが、単なる迷惑行為や犯罪としてしか語られず、心理的メカニズムについては納得できる説明がない。

何故あおるか
普通は、頭にきたからあおるのだが、なぜ頭にくるかが問題だ。
車の運転は、気楽に運転しているつもりでも、相当、複雑に神経を使っている。その実態を子細に挙げて見ると、意外に煩雑なことが解るだろう。それぐらい多くのことに神経を奪われている。
頭の中で多くのことに総合的に集中している時、いわゆる男性脳は、多元的に対応できない。自分なりの運転世界に集中している。
だから、自分の認識のルールに従って運転している時、つまり、自分の世界の王様になっている時に、想定外の事柄が発生すると、それを排除しようと攻撃スイッチが入る。
それが、時と場合、人によっては攻撃的「あおり」になる。

「あおり」まで行かなくても、ハンドルを握って罵詈雑言を発している人は多い。
同じ事は、ドライブ中の恋人や夫婦の喧嘩だ。時々、喧嘩をして、車から降りたり、降ろされたりして、山中を歩いた女の人の話を聞く。女性が運転している場合、あまり無いのは、女性脳ゆえかよく解らないが、ほとんど聞いたことがない。
運転中の男性に、助手席から日頃の会話のつもりで話していると、突然、怒り出す可能性がある。敏感な女性なら、話の深追いをしないが、鈍感な女性や、日頃、男性が我慢していることに気づいていない女性は、いつもと同じように、運転中の男性に話しかけたり、からかったりする。ところが、男性脳は完全に別世界にいて、日頃のようなゆとりは無い。助手席の女性は、思わぬ男性の対応に、かえって腹を立て、さらに男性を追い込んだりする。それが、ドライブ中の大げんかだ。

また運転脳に対し、男女にかかわらず、運転中に、横から運転の仕方をあれこれ言うのは、運転の邪魔にこそなれプラスにならない。横に乗った人は、覚悟をして乗ったのだから、運転はお任せして、良き助手になるしかない。
発車オーライ!

幇間政権

2019年12月03日 | 日記・エッセイ・コラム
中曽根元総理が亡くなり、偉業と祭り上げる追悼番組も盛んだ。
決して私利私欲で働いた人ではないと言うことだけは良く解るが、どの政治家もそうであるように、功罪はともにある。それは、政治が国民の意思の反映である以上、当然だ。
多様な欲望が絡み合うのが人の世であり、政治家はその代弁者だ。
現代のように、些細な事を糺すばかりでは、政治は消えてしまう。清濁併せ呑む政治家がいなくなって、聖人君子ばかりになったとしたら、それは逆説的にポピュリズム政治だろう。かと言って、賄賂や利権を容認しろというのではない。些細な失言や失態ばかり取り上げる不毛な政争より先に、野党もすることがあるだろうと思う。

とは言え、ポピュリズムは民主主義の宿命なのだろうか。
日本の人気政権は、田中角栄、中曽根康弘、安倍晋三と、軒並み一白だ。九星を職業に例えると、一白は風俗関係やセラピスト、企業の部署なら人事課や庶務課だ。
癒やしや、お困り事対策で、無くてはならない役割ながら、営業や製造のような事業の本体ではない。
ご機嫌取りの一白が人気する日本は、決して国際情勢を動かすことなどできない。常に二番手で追随して生きることを表している。もちろん、それは悪いことではない。しかし、一歩誤ると、選択を迫られる厳しい世界情勢の下で、第二次大戦のような、ババを引く可能性を秘めている。

田中角栄は、ニクソンに裏切られ、慌てて日中国交に走り、台湾や尖閣、日露関係に今日も課題を残しているし、中曽根は靖国参拝をしながら中国の抗議で取り止め、かえって靖国問題という課題を残してしまった。
現在の安倍政権も中米の狭間でバランスを取るつもりらしいが、中途半端な色気を出すと、香港やウイグル問題で欧米から不審を買うことも考えられる。また、トランプの米朝首脳会談に遅れまいと、無条件で会うと発信し、金正恩に足下を見られているが、これも田中角栄と同じだ。
ちなみに、この三者、血液型で見ると、中曽根は政治家としてはごく当たり前のO型だが、田中、安倍ともB型だ。日本で嫌われるB型だが、各界で卓越した力量を発揮するのはB型が目立つ。日本でB型が嫌われるのは和を乱すからであり、逆説的に言えば人並み外れた力量を発揮する可能性があるということだ。

面白いことに、日常では嫌われ者なのに、人気者にはB型が多い。つまりは、実際に生活を共にするには邪魔だが、直接身辺に影響がなければ、その業績や卓越性に惹かれ、代行者として支持すると言うことだろう。B型のさんまを面白がる女性も、一緒には暮らせない。

大人気の一白政権も、リクルートの中曽根はどうにか無難に終えたが、田中は足下をすくわれた。緻密さに欠けるB型のミスは、安倍政治にも頻繁に出現するが、本質的に金に色気のないボンボンだから、田中のような致命傷を逃れているのだろう。
ところで、次期総理候補ともてはやされている小泉進次郎も、一白だ。