魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

清々しい

2019年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

ラグビー、アイルランド戦、実情を知らないから、かえって、何となく勝つような気がしていた。
観戦しながら、何度も、「ものすごい実績の差があるんだぞ」と言い聞かせるのだが、試合運びを観ていると、「アイルランドどうしちゃったんだろう?」と、なんとも変な気分になる。
終了間際の、アイルランドの怒濤の突撃も「さすが、アイルランドらしい」とは思うものの、ことごとく封じられる。
結局、世紀の番狂わせとなってしまった。
根っからのラグビーファンではないものの嬉しい。何よりより驚いた。
凄い!

ラグビーの良さは、紳士のスポーツがしっかり息づいていることだ。
誰も、グチやイチャモンを付けず、試合も場外も正々堂々、終始、清々しい。
卑怯者の参加する余地がない。
負けたアイルランドの地元のフアンが、「面白い試合だった」と言っていた。
まさに、武士道と通じる騎士道精神だ。
このまま、汚れを寄せ付けない世界であって欲しい


占いから

2019年09月28日 | 占いばなし

現代では、占いは迷信だ。
迷信とは、信頼性のある正しい基準から外れたことを信じることであり、信頼性のある正しい基準とは、その時代を動かす最も有用性のある原理に沿った方法だ。
現代は科学こそがその基準で、この概念が持ち込まれたときは、それ以前の基準は全て迷信とされた。
今日、科学でも解決できない問題があることが認識されるようになったのは、それだけ、科学が大きく発展したということだろう。

どんな道であれ、極めれば極めるほど、道が遠くなる。勉強の第一段階は、解らないことが分かることだが、科学もそれだけ成長して、新しいステージに足が掛かったようだ。
中国メディアが、自国では漢方をないがしろにしているのに、日本では漢方をよく研究し賢明な使い方をしていると嘆いていた。
これは何でもない、日本の科学、医療のステージがそれだけ高いことを表している。
物事を分かった人ほど、知らないものに敬虔な目を向け、受け売りレベルの知恵しか持たない人ほど、知らないものを簡単に馬鹿にする。

占いを否定する人には二通りある。科学的でないから、迷信だと単純に馬鹿にする人。もう一つは、科学のような顔をする占いに、科学を冒涜するものとして敵意を持つ科学者(主に天文学者)だ。
占いは科学とは全く違う世界だが、科学のように語ることで科学のような確かな結果が得られると勘違いした占い研究者。あるいは、生業の宣伝効果として科学を語る者。動機は様々だが、偽物が本物のような顔をしていることが我慢できない科学者がいる。
こうした科学者の気持ちは解るが、それだけ躍起になって怒るのは、純粋な科学への興味より、自分自身が権威とプライドに取り付かれているからではなかろうか。

占いから科学へ
では、迷信と知りつつ、占いに関わる動機は何か。もちろん、いい商売だと思って占いの勉強を始める人は多い。だから、占い教室はいつも盛況だ。
しかし、運命の神秘に惹かれて深入りする人も少なくない。運とは、天命とは、そんなものが本当にあるのか。どうすればそれが分かるのか・・・
また、人の天性や本音を知りたくて占いに興味を持つ人もいる。それなら心理学の方が良さそうなものだが、天性の気質を知るには、古代より時と耳目に晒されてきた占いにより惹かれる。

占いは、科学以前の方法を用いて、真理を追究しようとしてきた。
科学が、徹底的に事実と検証に基づいて物事を解明しようとするのに対し、占いは、神の声さえ聞こえれば手法は何でも良いと考えた。古代にもそれだけ色々な方法があった。
こうした環境から生まれた科学は、初めはやはり、正しく神の声を聞く方法として考えられたが、その過程で神の存在と相反する事実が出てきたことで、神を否定するようになった。しかし、敬虔な科学探究の心そのものが、信仰と言えるのではなかろうか。

占いは、正規の方法ではなくなったが、漢方と同様、多くの遺産を含んでいる。占いに残る様々な知識は、迷信と一笑に付すには惜しい。
占いの最大特徴は、事実をまったく無視して結論を出すことだろうか。例えば、人体の膨大な細胞の因果関係を検証することは容易ではないが、大局的な作用を見いだすことはできる。占いによる予測も理由は説明できないが、漢方薬のような手応えがある。
科学者が怒るまでもなく、占いを科学的に説明することは大間違いだ。神と直接対話しようとする占いは、科学とは全く方向性が違う。
しかし、科学が占いを研究し、説明することは可能であり、漢方のような研究の余地もあるはずだ。

恐ろしい科学との付き合い方
今、科学は、ついにAIの時代に到達した。まだ入口ではあるが、占いに求めた答えは、早晩、AIが答えるようになるだろう。同時に、占いの検証も為されるだろう。
その時、どこまで占いの手法に妥当性があったのか解るのは楽しみだが、大いに懸念することもある。
裏付けの解らない占いに対し、人々は、神秘として崇めたり恐れたりする。
AIの解読方法は今でさえ人間には不可解だが、ますます人間離れした「知恵」を発揮し始めるだろう。その時、人間は占いに対するように、頭ごなしに恐れたり否定したりしてはいけないということだ。
積極的に身近な存在として関わり、「賢いところも、馬鹿なところもある」と、友達と付き合うように関わるべきだろう。占い師が占いに対し、絶対だとも怖いものだとも思わないように。AIは支配者ではなく、新しい友達の一人だと。


理想の親

2019年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、50代の男性と再婚する23歳の女性から、子供達をどう指導していけば良いでしょうと相談を受けた。聞けば、再婚相手の子供は24歳と21歳だという。(そうとう昔の記憶だから誤差はあるかも知れない)
占いで観る限り、言っても無駄だろうとは思ったが、一応、話して見た。

法的に子供と言っても、あなたと同年配の立派な大人であり、しかもあなたは、その人達にとって他人なのだから、その距離感を認識して、できれば対等の良い友達になることを心得、先ずは、何事も控えめに接して、受け入れてもらえることを心がけることでしょうね。
だいたいそんな話をしたが、案の定、自分の思い込みとは違うため、話の途中で、シャッターを下ろされてしまった。

子連れの相手と再婚する人は、虐待に走る人など希で、子供の良い親になろうとする善意の人の方が圧倒的に多い。
ところが、その思いが強すぎる、独りよがりの場合がある。
前述の例は極端な話なので、「親になる」意識が、現実離れしていると良く解るが、年齢関係などが自然だと、本人はもとより、再婚相手も周囲も、思い込みが先行していることに気づかない。

今回、再婚相手の子供に、「本当の親でもないのに」と言われて、カッとなって殺してしまった「父親」も、意思ある子供の立場で考えることをせず、自分の理想の世界だけで、良い父親になろうとしていたのではないだろうか。
天下りの社長が成功するのは希であるように、里子も含め、義理の親になることは、実の親になることより何倍も難しいことを心得なければ、大なり小なり、今回のような悲劇は起こるだろ。


だろうな

2019年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

 東電旧経営陣無罪。特に、驚かない。
仮に三人が有罪で五年ほど禁固だったとしても、それで「一件落着」、で済むような話ではないからだ。
法的云々とひねくり回して、無罪なら、それでいいだろう。
しかし、これだけの大惨事を招きながら、誰も罪に問われない!!!
「原発」という大魔王に頼って生きる、日本という国は冥府魔界でなくてなんだろう


腰痛予防

2019年09月17日 | 生活の知恵

2014年に、ギックリ腰の予防体操の話を書いた。→「ギックリ
これは、今も続けており、ギックリ腰にならない記録が20年を越えた。この体操を始めるまで毎年、1~2回はやられていたのだから、効果と言えるだろう。
先日、偶々リハビリの療法士の方に、ヘルニア予防として、この体操の話をすると、聞いたことが無いということだったが、理にはかなっているので、「どんなケースにも当てはまるということではないでしょうが・・・」と言いながら、自分でも感覚を確かめながら、試していた。

おっしゃる通り!
誰にでも当てはまるわけではないが、少なくとも自分には、絶大な効果があったので、ヘルニアに悩まされている人は、一度、試して見てはいかがだろう。
要は、「寝ているうちに開いた背骨の間隔を、行動の前に詰めてしまう」ことだが、
歯を磨く前にするのは、歯磨きの水を吐き出したり、顔を洗う姿勢が一番危険だからだ。これで何度かギックリ!とやってしまった。

最初に書いたときには、「バンザイ屈伸」として、しゃがんだ姿勢から一気に上に伸び上がっていたが、その必要は無いことに気がつき、普通に伸び上がる方法に変えた。最近では縦横のストレッチも加えるようになった。
肝心なことは、下向きにショックを与えることだから、降りるときに、ヨイショ!っと腰を落とす。勢いを付けて落とすから、パンツが破れることがあるので、できればはかない方が良い。ホントかどうかは、お試しあれ

なお、背骨を詰めるつもりでやっているが、もしかすると、筋肉に刺激を与える効果なのかも知れない。専門家ではないからメカニズムは解らないが、始めた日からピタッと、ギックリに悩まされなくなったことだけは事実だ。


時代の節

2019年09月14日 | 日記・エッセイ・コラム

ちょうど「社会変革」で、これからのエネルギーは電気と書いている最中に、千葉の大停電が起こった。まさに、変革が迫られている。
今回の問題は、送電による電気利用時代の終わりを、改めて警告するものだ。
原発事故が既に大警鐘を鳴らしたにもかかわらず、根本的な発想は全く変わっていない。

発電の技術は19世紀から大きく進歩し、今も次々と開発されつつある。
電気はどこでも、何からでも起こせる。
今回でも停電地域で、とりあえず自家発電のできた人もいた。
もし、町内ごとに、発電装置があったら、今回のようなことにはならないだろう。発電できなくなった所が出たとしても、周辺から融通を付けられる。
さらに、発電を各戸ごとにできるようにしておけば、もっと融通が付けやすい。
蓄電器もますます発展する。

もちろん、大発電装置も必要だが、今の発電、送電の制度を改めない限り、利権に固執していると、市民の方から電気会社を駆逐することになるだろう。
燃料、自動車、電気、電池など、様々な業界も、自家発電や蓄電を促進するビジネスを広げている。
ほんの半世紀前まで、炭屋や薪屋がどの町にもあったが、今あったとしてもそれで食べている店はない。世の中は、あっという間に変わる。


社会変革

2019年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

車は処分して、運転も止めた。しかし、免許の返納はしない。
かねて主張している通り、免許は60歳で区切るべきだ。だが、国の制度は一向に改まらない。もし、60歳以上が基本的に運転しない社会になれば、社会そのものが、運転しなくても暮らせるシステムになるはずだ。しかし、自動車産業に支えられた国だから、自動運転車も、社会インフラとしての普及は、生きているうちは無理だろう。

自家用車を前提とする社会では、必ず「いざという時」があり、嫌でも運転しなければならない時が来る。その時のために、免許は返納しない。
極端な話、乗せてもらって山中を移動中、運転手が倒れて代わりに運転したとすれば、緊急避難だから無免許で罰せられることはないだろうが、一応の手続きは必要になる。

高齢者の事故を見ていると、いずれも慣れすぎて、自分の手足のようなつもりでいるのが最大の原因だ。老化による「おざなり」な行動パターンが、そのまま運転に現れる。
高齢者講習を受けたが、実地運転で、脱輪を繰り返していたのは、講習に車で来た人ばかりだった。5、6年ぶりに運転したが、緊張もあってか、ほぼ完璧だった。たまに運転する人の方が緊張と慎重で確かな運転をするのかも知れない。

高齢者は免許返納や運転自粛より、先ずマイカーを処分することだと思う。痴呆老人を家族が止めても、勝手に乗って出てしまうと言っていたが、なぜ車を処分しないのだろう。
車を持たない生活で、運転するとしたら、レンタカーか、シェアカーだが、乗り慣れない車であり、他人の車でもあるから、緊張と慎重につながる。その前に、借りる段階で、ブレーキが掛かるから、よほどのことが無い限り、借りてまで乗ることはないだろう。

「上限60歳&高齢免許」の制度ができれば、自分で運転する高齢者は激減し、公共交通機関がイヤでも増加、充実する。車の形も、道の形も、交通ルールも変わり、通学を始め、社会まで変わる。
良いことづくめだが、実現するには、産業と法律の双方からの努力が必要な上、社会全体の「車は運転するもの」の固定概念を打ち破る必要がある。

今、自動車産業も大きな構造変革の最中だが、これにいち早く対応したものが次世代の勝者となる。
中国が狙う、電気自動車でのシェアは、製造競争次元だが、次世代の勝者になるのは、未来社会のシステムを正しくイメージできた者だろう。
近未来はどのような社会で、何のエネルギーでまわり、そこでの移動や物流はどうあるのか。

どんな社会であろうと、化石燃料は終わっている。趣味以外では個人が運転することもないだろう。しかし、乗り合いは好まれない。
となれば、動力は電気で、燃料電池や蓄電池で、ドローンを含め簡単軽量なBOXが、ネットワーク・コントロールの下で、好きなところに移動でき、物流も勝手に移動する。そんなイメージだろうか。
こんな社会であれば、車を個人に売るビジネスモデルそのものが無くなる。だが、移動体の生産そのものはむしろ増える。

話を元に戻そう。
先ずは、免許の上限を法律で60歳とし、鉄道と連動した自動運転のコミュニティバスを中心に、多様な公共交通機関を大幅に増やし、シェア自転車や、シェアシニアカーなどの配備。また、鉄道車両に自転車やベビーカーの専用スペースを設け、そのまま乗れるようにする。
この他にも色々あるが、先ず、自家用車を前提としない社会に、産官が協力し合あって進めば、自動車産業も全く違う方向性で、改めて発展するはずだ。 そんな時代であれば、面倒な免許など持っている必要は始めからない。


星は進む

2019年09月05日 | 星の流れに

おかしな夏だった。去年は猛暑だったが、今年は一転、日照不足だそうだ。台風が東から西に来るのも珍しくなくなった。秋の便りが必ずあるとは限らない。今年のサンマは採れそうもない。
温暖化か、異常気象の範疇なのか未だに争っている。原因を確かめる前に、道理で考えて止めた方が良いことは止めることだ。

一方、星模様も正確に展開している。
木星・射手座で、交通現場では高齢運転や「あおり」が話題になり、法が整いそうだ。月が射手座にきた9月5日には京急で脱線事故。
その木星が、火星や太陽と不調和になった8月。米中対立が激化した。
双子座のアメリカは木星だから、前掛かりだ。カニ座の中国はヤギ座の招かざる客である土星・冥王星に困っている。中国は冥王星と共にこれまでの勢いを失うが、アメリカの方が先を歩いているので、中国が有利だろう。
さらに中国には、牡牛座にホワイトナイトとなる天王星が来てくれた。災いを福と成すチャンスがある。ただし、中国が軍国主義のスケジュールを進める限り、天王星の恩恵を得られないはずだ。不幸中の幸いといえども、魂胆の間違ったものは成功しない。アメリカが対中強攻策に出ているのは、金よりも覇権だからだ。

むしろ、中国が星のチャンスを活かすことが出来るのは、覇権ではなく共存こそが繁栄の道と気づいたときだ。古代権威主義の軍事国家、中国は、どうしてもタテ型でしか物事を捉えられない。共に繁栄することの意味が解らないから、上昇志向を前提とした謀略でしか動けない。そして、他国をそのように見る。
近現代における発展途上国の軍国主義は、歴史の不運による育ちの悪さ、コンプレックスによるものであり、金にものを言わせる成金趣味で、他人を支配しようとする。

中国が軍事拡張で他人を支配しようとする下品な態度により、世界を軍拡に巻き込めば、一時的に経済は活性化しても、結局は破綻が待っている。
トランプの作戦には無理があるが、苦労知らずの毛沢東二世、習近平はそれを上回る「雑」な誇大妄想が徒となるだろう。

米中共に勝てないなら、案外、日本のような中堅国にチャンスがありそうだ。日本のピークは、冥王星が牡羊座だから、まだ半世紀ほど先になり、それまで大局的には上り調子が約束されている。
ところが、これまた。現在の日本は矮小化に耽溺している。人類や地球を救おうなどと言う、大きな話を嫌い、クールジャパンで悦に入り、家族に埋没しようとする。
それでも、また、冥王星・土星がみずがめ座に移り、天王星が双子座に来る時には、必ずや翼を広げて飛び立つ者が、次々と現れるに違いない。 生きて見届けられないが、そう信じている。