魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

動き出す

2024年01月28日 | 星の流れに

1月21日から再び冥王星が水瓶座で動き始めた。水瓶座のロシアが、漠然とした大変貌の歩を再開したわけだ。
11月に魚座の土星が順行を初めて以来、射手座ウクライナの形勢が悪くなっているが、一方で大晦日に牡牛座で動き始めた木星は水瓶座に情況打開のための揺さぶりを掛けている。そこに冥王星まで動き始めたのだから、いよいよジッとしていられなくなったのだろう。ロシアは「捕虜を乗せた航空機をウクライナが撃墜した」と、新手の揺さぶりを仕掛けた。詳細は闇の中だが、明らかなことは、ロシアが何らかの切り札にしようとしていることだ。つまり、動き出したのだ。

「国境での航空機撃墜」は、ロシアにとっての国境である第4室牡牛座に木星(展開)がいることで、ロシアがそれを「好機」だと思っていることは間違いない。しかし、大局はロシアの「生まれ変わり」の流れの中だ。もがけばもがくほど苦しくなる。
だが、ウクライナにとっても国境の魚座に土星なのだから希望が無い。

天王星が双子座に入るのは2025年の夏だが、今年2024年の初夏にはその影響が出始める。
天王星が双子座に入れば、双子座のアメリカが動く。日本にとっては「開眼」であり、思いがけない幸運になるのだが、土星が魚座に居るから話しは複雑で一筋縄ではいかない。
ウクライナにとっては、思いがけない「相手」が現れることを意味し、ロシアにとっても子供が生まれることを意味する。
これにより何が起こるかは、かなり絞られてくるので、各位の慧眼には映ることと思う。


それぞれ

2024年01月23日 | 日記・エッセイ・コラム

EUは環境のためガソリン車の新車販売禁止を決めたが、結局、合成燃料を認める形で方針転換した。
これは、欧米人の狂信的な「魔女狩り」体質の一面であり、一つ思い込むと一辺倒になる傾向を中国に見透かされ、揺さぶられたのだろう。

奈良の土産物店に飾ってある鹿の角を見て、アメリカ人らしき若い観光客が「残酷だ」とつぶやいていた。思わず一言言いかけたが、ややこしくなりそうなので止めた。
欧米によくある頭の剥製とは違い、角は殺した結果ではない。放っておいても春には勝手に落ちるが、見かけたのは秋の角切りによるものだろう。

何人であろうと人間に大差はない。ただ、環境や生い立ちで、表れ方には違いがある。
合理的と言われる欧米文化だが、非常に情緒的な一面があって、合理的なら、よく確かめもせず叫び出す合理的短絡がある。
クジラにしても難民にしても、人権問題にしても核にしても、先ず、思い込みやパニックから起こす行動が少なくない。子は親のカガミ、環境ジャンヌダルクのグレタさんにしても、そのような欧米文化の申し子だ。
子供や若者には、その文化の表情が素直に表れる。しかし、リアルタイムで互いの言動に接する情報社会では、若者の行動も、表面上はあまり変わらなくなった。

犬の民族性
ここで面白いことがある。情報で言動が世界的にシンクロする人間の若者に対し、「犬」は子供より素直に元来の民族性が表れることだ。
犬と人間を一緒にするなと叱られるだろうが、オオカミとは違い、犬は人間の好みによって選別され、進化して生き残ってきた。その民族の中で生まれた犬は、その民族の好みと特性を良く体現している。例えば、愛玩、狩猟、牧羊とあらゆる専門能力に特化された洋犬と異なり、日本犬は人間とつかず離れずの「犬格」を持っていて、日本人の曖昧さ自然との「間」をよく体現している。

情報や教育で、表面上は区別が付かなくなる人間だが、実際には各々の民族性を宿していて、同じ言動に対し、違う感覚や違う意味を感じている。これにより、わかり合ったように見えることが大きな誤解に繋がっていき、やがて、また大きな衝突の種になる。
個々の人間も、「同じだ!わかり合った!」と思うことが、最も大きな誤解を生み、後に大きな衝突や悲しい別れを招く。
人も民族も国も、互いに違うことを良く理解し、それを容認し合うことこそが、ともに歩む最も近道だ。

日本犬に見る島国日本人の「情と達観」に対し、中露や中東を含む大陸の犬に見る「物と直情」の分かりやすさとの違いを、少なくとも日本人は良く理解しておくべきだろう。
日本人が思う「善」と、世界の多くの人が思う「善」は必ずしも同じではない。ましてや、「誠」など存在しないと思っておいた方が、互いのためだ。
「誠」や「誠意」は日本人の抱く幻想で、日本文化の中だけで互いに容認し合う「思い込みの善」に過ぎない。
外国人が「誠意を期待する」とか「誠意を見せろ」と言う場合は、日本人が自ら持つ幻想を見抜き、利用しているに過ぎない。足下を見られているに過ぎない。
未来世界で日本文化が広まり、世界の人が「誠」を知り、尊重するようになればとても素敵なことかも知れないが、今、それを信じるのは、むき身のヤドカリより危険なことだ。


避難命令

2024年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

正月早々に起こった能登の巨大地震。その時のNHKアナウンサーのドスの利いた「逃げること!」が話題になって、山内泉アナが脚光を浴び、一躍、次期看板アナウンサーに躍り出た。
東日本大震災の時、安全バイアスで逃げ遅れた人の被害から教訓を得て、NHKでは色々議論し、伝達方法を考えていたのだというが、「避難命令」という言葉を復活させても良いのではないか。
津波が目の前に見えてから逃げ出した人は少なくない。

習近平独裁、コロナと、中国の政経地震が起こっても、世界も日本の経済界も、安全バイアスに耽溺し、いつまでも動かないどころか、EV港の様子まで見に行った。
中国デフレが見えてきた今頃になって、慌て始めたが、間に合うだろうか。
山内泉アナに
「逃げること!」と叱って欲しい。


東洋の掟

2024年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

サッカーは文化だ。
森保一監督はまたもドーハで、蛇に睨まれた蛙のように、イラクに翻弄された。
イラクの選手を見ていて、30年前を思い出した。あの頃、イラク選手はすぐ大層に倒れ、倒れっぱなしになった。
今回のイラクは強気で攻めてきたので、昔のような至る所での「ダイ・イン」は見られなかったが、それでも終始、大げさなジェスチャーが目に付いた。

近年、シミュレーションのイエローも増えたせいか、あまり見かけなくなった戦法で、イラクも中東全体もレベルアップしているから、そんな姑息な手段に時間を費やすより、正面切って戦った方が効率的だと解っているのだろう。
だが、それでも文化体質は表れる。とにかく、一々大層なジェスチャーでアピールしようとする。

近頃、ハイレベルの試合ではあまり流行らないから、日本選手はこの感触に戸惑い、微妙に狂っていったのかもしれない。外から観ていると、なすすべもなく敗れたように見える。不思議な光景だった。
ゴールキーパーの未熟とか、作戦や対応の失敗とか、色々技術的なことが言われているが、サッカーが文化対決であることの意味を、もう一度思い出しても良いのではないか。

どんな戦いも、戦力だけで勝敗が決まるものではない。徳川の大軍が真田に翻弄された例が日本人には解りやすいが、世界の戦史を観ても、案外、強大な軍が負けた歴史は少なくない。第一には強大な軍の傲りがあるが、型が完成しているほど崩せない。一つ崩すと総崩れになる。大軍がゲリラに勝てないのも、相手の正体がつかめないからだ。
正攻法では強い集団も、細部の崩しを受けると無力化する。

喧嘩大会
何事も中東の手口には正体がない。騎馬軍団のモンゴルなどと同じ、ネットワーク組織で戦い、大きな組織をつくらない。状況に応じて騙しを積み重ね、一歩一歩食い込んでいく。これは中国のサラミ戦術と同じで、方針より現実、契約より情実の、古典的な取引であり、つまりはヤクザやマフィア同様の、契約より情がらみの約束の方が重い「裏」の世界だ。

日本人は欧米式のルール、契約社会になれてしまっているが、これは現実無視の神との誓い、つまりは人間世界の勝手な取決め、極論すれば、机上の空論の世界だ。
この立前の「表」社会に対し、神のいない中国と長く付き合ってきた中東は、人間のルールなど、ただの転がっている石、情況の一部に過ぎない。
ルールは利用するものであって守るものではない。
このことは、欧米人も本音として解っている。欧米人が、状況に応じてルールを作り直すのに対し、表面的に見習って取り入れた日本人は、契約やルールを天然自然の理のように受け止め、身を委ねてしまう。

日本人は東洋人として自然を神として崇めるが、中国人のような「天」ではなく、天を「天皇」のような人為的な次元で受け止めるから、人為的なルールを崇拝する。
一方、中国の「天」は自然そのもの、結果の現実そのものが崇拝の対象であり、イスラムの「神」も根底は東洋的な「結果が全て」の、神の思し召しのような気がする。

サッカー「アジア大会」の難しさとは、まさに、欧米文化のスポーツが、アジアでは喧嘩になってしまうことにある。ルールは守るものではなく、勝つために利用するものになる。
相手が怪我をすれば、当然そこを攻める。それが非難されるなら、あたかも気遣うふりをして押さえつける。喧嘩に欧米式の理想などない。戦場に戦犯など存在しないのが東洋だ。


情宣戦争

2024年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

台湾総統選で、民進党がどうにか勝利した。中国の工作が機能したのだろう。香港のインパクトも薄らいだのかも知れない。
中国は、台湾を中国の一部だと固く信じている。全ての混乱はこの認識にある。
だが、単純に歴史を見れば、台湾は中国ではない。もし台湾が古来の中国領だというなら、同じ理屈で日本も中国領になりかねない。中国は倭の五王をもって日本は古来の中国の朝貢国だと信じている。

こうした理屈は常に侵略の口実になってきた。クリミアやレコンキスタどころか、イスラエル建国は、卑弥呼よりはるかに昔の紀元前の伝承を元にパレスチナを侵略し、それを国際社会が承認した。
中国の台湾侵略が正当化されるなら、国際社会はイスラエル承認の過ちを再び犯すことになる。
もっとも、歴史に道理などない。常に何らかの力が雪崩のように世界の姿を形作っていく。異を唱えるだけ空しいことなのかも知れない。

しかし、だからこそ、力には力で立ち向かうしかないのだ。と言っても、武力のことではない。今、台湾問題の前にあるのは空母やミサイルより、認識の圧力、論理の圧力、「大義」の問題だ。中国の言う内政が、論理として成り立たないことを世界中が認識してこそ、中国の暴発を押さえる抑止力になる。
いきなり、違法判決の形を示すと、「紙くずだ!」と意地になって暴力を振るう中国だが、台湾の歴史を研究する国際機関を設け、徐々に、台湾が中国の一部とは言えない事を世界共通認識に高めれば、反発目標のない中国は動けなくなる。
国際機関では中国のターゲットになるから、ネット上の工作の方が効果的だが、これもまた、中国との情宣戦争になるだろう。
40年前に、これからの戦争はコンピューターそのものになると思ったが、こういうことだったかとインターネットの出現でようやく解った。


戦後行事

2024年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

紅白歌合戦を観なくなって半世紀近い。
もともと、美容関連など、多くのサービス業や公共インフラに関わる業界には、盆正月に、ラジオは聴けても、のんびりテレビを見る余裕などなかった。TVが中心になった時から、「紅白」も歌「合戦」も終わっていた。
LGBT云々のキャンペーンをやる放送で、男女が合戦をする設定は、古代風景というか、ジェラシック番組だ。
とは言え、初詣も古代の行事が現代化されたものであり、年を区切る何らかの行事自体は必要なのだろう。

正月
この季節には何度か書いたが、正月は宗教行事であり、天文現象とは異なる世界だ。
古代の天文学黎明期には、夏至冬至、春分秋分の事実を敬い、現象そのものを祭っていたが、人類が繁栄し社会が大きくなると、人間が決めた時間割で生活するようになった。アジアでは今でも、日月を敬い、太陰太陽暦の旧正月を祝う地域は多いが、世界規模の営みや宇宙時代には使えない。
現代社会は世界時を基本に動いている。公転・自転に合わせてはいるが、人間に都合の良い時間なので、天文現象に調整するために「閏」が必要になる。

こうした人間時間だから、年の初めを冬至や春分に合わせる必要もなく、古代の習慣とすりあわせて、冬至に近い今の時期を「適当」に年初めにしている。キリスト教のクリスマスも正月であって、キリストの生まれた日ではない。むしろ強引に、冬至頃をキリスト生誕の日としたようだ。聖書には日付の記載はない。
ちなみに、キリストより500年も古い釈迦の誕生日4月8日は、他に暦の必然性が無いことや、王様の子として生まれた背景から明確で、仏典となった時に何らかの伝承があったのかも知れないが、現在の4月8日のことではない。

約束事
現在の1月1日はあくまで、「かりそめ」の区切りだから、その約束事を、共同体の全員で確認しなければ、指標が無くなり、工期も借金も月給も成り立たない。
共同体内だけの正月が、今や世界共通になった。つまり、世界が一つの共同体になった・・・と、欧米は考えた。

日本は明治の開国で時間を欧米に合わせ、欧米の共同体に参加したが、中国を始めとする中華圏はいまだにそれを拒否している。
土地や季節から生まれた様々な文化の継承は大切なことで、人々を安心させ心を豊かにする。しかし、古代からの暦を国家の根幹にすえる限り、世界の共同体の一員になることを拒否することになる。そのような中華圏が、西欧基準に従うはずもないのだが、顔だけ白く塗って洋服を着たオオカミに、欧米はまんまと欺された。

正月は、太陰太陽暦のような不規則な暦だからこそ、区切りを意識するために大々的なイベントにする必要がある宗教行事だ。
ほぼ規則的な太陽暦では、1月1日は機械的に訪れるから、特に意識する必要はない。むしろ、年度替わりの方が大きな意味を持つ。
日本の正月が、年々希薄になっていくのは、それだけ宗教性のない世界暦に順応しているからだろう。

時代の幕開け
1951年に生まれた紅白歌合戦は、戦後の象徴だ。欧米に合わせた暦が、本格的に根付き始め、「旧正月」とともに紅白が衰退していったのは中華圏からの心理的離脱の過程でもあった。そして、その新正月も欧米並みの新年に近づいて希薄になっている。
最早、中華歳時の紅白歌合戦は必要ない。除夜の鐘やお雑煮は、ひな祭りや七夕レベルの文化行事として、祝いたい人だけ盛大に祝えば良い。盆正月の休暇は止めて、自由に長期休暇を取れる社会にする時だ。
紅白歌合戦が終わる時は、新しい時代の幕開けになるだろう。


魚の因果

2024年01月04日 | 星の流れに

大晦日、前日から突然咳き込み、「あ、コロナかインフルか」と、ウガイ薬でウガイを繰り返しながら、栄養のありそうなものを食べて寝た。夜中に、正月用に書いて置いたブログを上げて再び寝たが、珍しくどうにも起きられず、ウダウダ寝たり起きたりしていると夕方、地震。
長い揺れが続いたので、『遠いが、大きい!』と、テレビを付けると能登だった。
東日本のような長時間の揺れではない分、近かった。ただ、近い阪神ほどは揺れなかった。

近年、能登で、地震が続いていたので、大きな驚きは無かったものの、現場の映像に、明らかな土埃が立つのを見て、思わず、涙がこぼれそうになった。
M7.6の直下型と言えば、関東大震災、阪神大震災に匹敵する。人口密集地ではないから数値上の被害は小さいかも知れないが、その分、地震対策の無い古い民家が多いはずだ。これから起こることを思うと言葉が無かった。
地殻変動の最前線に住む日本人は自然の恩恵にも恵まれているものの、その対価はあまりにも大きい。しかし一方で、この試練が日本人を鍛えていることも事実だ。こうした他動的な動きに対応する生き方が、黒船で活性化する日本人の、大人しいが強い「日本犬」気質になっているのかも知れない。

土星魚座
今回の地震を含め、土星が魚座に入ったことの影響が顕著になっている。
ジャニーズ、宝塚など、芸能界の問題が大きくなったことは触れたが、他にもパレスチナ戦争も魚座の土星だ。
山羊座のイスラエルが目立つが、宗教戦争の側面は魚座であり、ハマスは宗教戦争をしている。元々はユダヤの民族主義(これも宗教)シオニズムが、イスラム教徒に火を付けた。魚座はキリスト教の象徴とされているが、「信じる」宗教全般に関わる。もし、イスラエルがエルサレムに寛容であれば、ここまでのことは無かっただろう。イスラエルを承認した時、国際社会がエルサレムの帰属に配慮していれば、世紀をまたぐバカげた歴史は避けられたかも知れない。今でも遅くない、エルサレムを国際管理するか、バチカンのような独立国にすべきだろう。

今回のハマスの行動は、やはり宗教の魚座だ。土星が来たことで、柔軟な思考が出来なくなった。戦う宗教?イスラム教は、こだわりの掟とは別に、意外にも極めて寛容な側面を持っている。むしろキリスト教より柔軟に他者を受け入れる。一神教の最終形だからか、神の概念が神仏習合的に広い。むしろビジネスを優先する中華にも通じる。今回も起こった人質はイスラム教の常套手段であり、戦争を取引感覚で捉えていることの表れだ。逆に、一神教の元祖ユダヤは寛容とはほど遠い。何事も徹底している。それが「いわゆる」頭の良さなのかも知れない。

一方、魚座を地域として見ると、射手座のウクライナには4室の「領土」に当たり、水瓶座のロシアの「収入」になるので、何れにも「萎縮」が起こる。
また、魚座の国や地域はタイのほか、海洋や末端の地域なので、こうした地域に不幸が起こる。地域や国は全て仮定だが、今のところ該当しているようだ。
「越」は魚座と見てきたが、今回も該当する。(魚座真っ盛り 20070416天王星魚座時代)

研究観察
ところで、地震がある時は頭痛に悩まされるのだが、あまり大きな地震の時は頭痛より体調不良になる。しかし、体調不良の時に必ず地震が起きるわけではないから、地震が起きるとは思いつかない。頭痛もそうだが、そんな時に占ってみる元気は無い。もちろん体調不良ですと報告する元気も無い。誰か観察してくれると良いのだが。
もしかして、地震とともに起こった、羽田の事故も、関係者にこういう体質の人がいたのかもしれない。満月に事故が多いように、地震時の影響が無自覚な判断ミスを犯すことは十分考えられる。加えて、海上保安庁も魚座だ。
こんなことを言っても、「また始まった」と思われるだけなのだが。本当に、こういう異常報告サイトは必要だと思う。そして重要なポイントは、自己申告ではなく、観察報告であることだ。自己申告には自分を特別だと思いたい人が多いからだ。


三碧辰年

2024年01月01日 | 占いばなし

えー、毎度バカバカしいブログを一筆・・・と、正月らしく落語風に書いてみたものの、どうにも冗長なので、元の文体に戻したら、内容まで変わってしまった。

と、言うわけで・・・
辰年の正月だが、本当に辰の影響が始まるのは立春だから、まだ卯年だ。世間が辰年の話題で盛り上がるのを観ているのは何とも落ち着かない。まあ、11月のクリスマスセールのようなものだと思うことにしている。

十二支と九星が重なるのは、最小公倍数の36年だから、36歳と72歳は本当の年男年女で、108歳を迎える人は少ないから、72歳が一般に最後となる。希少な歳だが、あまり良い歳にはならない。元の要素がダブるので、よほど元運の良い人には良いことがあるが、少しでも悪い要素があると、日頃見えないことが突然、現れてくる。あるいは、日頃は好結果になっていることが過剰になり、むしろ禍になる。

したがって、かなり要注意の歳になる。何でもないことまで悲観的に考えて、わざわざ、問題を起こしてしまうこともあるので、この歳に思い立ってやるようなことは、出来れば先送りにした方が良い。
36歳(女は数え37の厄)は実は厄より怖いかも知れない。現代では、72歳も現役だから、同様に、厄年のようなつもりで、行動は控えめにした方が無難だろう。と、言っても衝動は抑えられない。後で、「あ、ホンマや」と思うのが関の山だ。なお、プーチンも小池百合子もこの年生まれ。
ただ、万事塞翁が馬と言うこともあるから、日頃隠れている悪要因が露わになり、改めて、注意深くなることは悪いことではない。

ともあれ、立春以降は三碧の辰年となる。同じ辰年でも5種類あるから、全く同じというわけではないが、三碧と重なった36年前と72年前の辰年を振り返ってみると、
1988年(昭和63)は、バブル真っただ中。1952年(昭和27)も、朝鮮特需のバブルが続いていた。両者に共通するのは実体経済は既に止まっていたことだ。つまり、実在しない龍が、三碧(雷)の稲妻と轟きの中を昇っていく、お祭り騒ぎの歳になる。

日本の資金源
辰年は、星座で言えば牡牛座に木星が来る年だ。牡牛座は食べるための稼ぎを表すが、天秤座の日本にとっては真逆になり、相続問題、つまり他人の収入問題になる。他人の生活問題が日本に影響する時だ。朝鮮特需も80年代バブルも、他人の事情が影響し、それに悪ノリした祭りであり、後の双子座(巳年)で「勉強」させられることになる。
では、日本の本来の収入源は何かと言えば、サソリ座(戌)であり、日本経済はこれで生きていくことができる。

サソリ座は「死と再生」であり、既存のものを創り直すイノベーションが日本の収入源になる。もちろん、マンガやアニメも現実に対する創り直しであり、あらゆる芸術もこれに当たるが、芸術そのものは日本の個性だが金にならない。金になるのは骨董品の方だ。
オリジナルではなく、形骸の方が金になる。アニメも鉄腕アトムは金にならなかったが、様式化された後のアニメやグッズの方が金になる。
また、「核」やエネルギーもサソリ座だから、日本こそがエネルギーで稼ぐことが出来る。化石燃料時代、何も無い砂漠に突然石油が湧いてアラビアンナイトを享受する中東のような潜在力を、日本は秘めている。ただし、何時誰がそれに気づき、実際に何を掘り起こすかは日本人(政治と経済)次第だ。