魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

何でやね(2)

2014年09月30日 | 占いばなし

御嶽山。やはり大変な犠牲者になった。
予知連絡会の記者会見で、冒頭、マグマ噴火ではなく水蒸気噴火だから、予測は不可能と切り出した。

だからあ・・・、予測や判断より、情報公開だろうと憤慨したが、後で聞くと、気象庁は、関係自治体に「解説情報」として、異変が起こっていることを伝えていたとのことだった。
当たり前のことながら納得した。

納得したが、自治体は警戒レベルが「1」のままだったのでどうしてよいかわからず放置したとのことだった。
ここでまた憤慨した。

警戒レベル云々は、偉い学者様がお決めになることとして、自治体も頼り、当然のことながらその先生方も過剰に自負し責任を感じて、「うかつなこと」は言えなくなる。
皮肉にもその結果、通達が後手になり、責任論が起きる。

専門家や担当者の責任意識は、結果的に、災難の可能性を広げる。もしそのような権威情報が無ければ、だれも100%安心して暮らさない。つまり、もっと自分の認識に忠実になる。「なんか変じゃないか」とも考える。

地震や火山の研究の価値は、判断して、お告げを下すことではない。研究のプロセスを公開し、一般人に、考えるための情報を提供することだ。そのために国費を使っているのであって、自分たちが特別な人になるために研究しているのではないはずだ。
ここのところが、政治家も学者もそして国民も、権威の仕組みで考える人々が、相互に犯しやすい勘違いだ。

日本人は、学者や為政者が考えるほどバカじゃない。
火山性の地震が続いていると知れば、登山する人は考える。どう考えるかは人それぞれだろうが、後は自己責任だ。

観測できる火山なら、登山道に掲示板(できれば電子掲示板)で、気象庁の「解説情報」なるものを掲示するとか、そうでなくても、ネットで公表するだけで良いはずだ。

自治体の役所にだけ伝えるような発想は、お上の愚民コントロールの発想であり、時代遅れも甚だしい。
サイレンでも鳴らさなければ伝えられないと思っているのなら、櫓でも建てて鐘を突くしかないだろう。

ところで、
火山性地震が11日の85回のピークから減少したから、1で放置したと言うが、噴火したのはちょうど半月後だ。
それが噴火に影響するとは言えないが、これは月の位置が、0から180度の真反対に来た位置で、正反の同一線上で引力が働く。
また、水蒸気爆発だからマグマと関係ないようなことを言っているが、何が水蒸気を膨張させたと言うのだろう。

もう一つ占い的な補足をしておくと、冥王星は大量死を意味する。それが今、山羊座にいる。
推して知るべし


何でやね

2014年09月28日 | 占いばなし

水泳の冨田選手事件を書いている間に、御嶽山が噴火した。
何れも、月がサソリ座運行中のことだ。
火山噴火とかマグマは、サソリ座の地下エネルギーだ。

しかし、御嶽山はサソリ座ではない。名前の通り信仰の霊山であり、山岳修行の場として、富士山同様に考えられるから、やはり山羊座だ。

現在、土星と冥王星が山羊座とサソリ座で相互互換の状態にあり、富士山や御嶽山のような山羊座の象徴のような山は噴火しやすい。
山羊座の霊山に、サソリ座のマグマが一体化するからだ。

占い的にはそんな理解が成り立つが、今回の噴火で、火山や地震の地学専門の動向は理解できない。

納得いかない犠牲者数
巨大地震の後は、必ず大噴火を誘発すると言われ続けている。だから富士山噴火については、やたら論じられているが、御嶽山も富士山に匹敵する巨大火山だ。

その山の近辺で、この一月ほど火山性の地震動が続いていた。また、直接関係ないと言われるのだろうが、この一月ほど、北陸など西日本で、やはり東日本の余震にしては変な地震が続いている。

かなりハッキリした兆候があるにもかかわらず、なぜ、入山を許可していたのか。
せめて、山頂だけでも登山を差し止めるか、それができないと言うなら、登山者に火山性の地震動が続いていることだけでも、知らせるべきではなかったのか。

被害者は、何の前触れも無く、紅葉を求めて文字通り、物見遊山で不意打ちに遭った。

東日本大震災を予測できなかった後、専門家は「火山なら万全だ」のようなことを言っていた。

全く納得できない
「何でやねん!!!

この分では、「富士山は大丈夫」など、誰が信じるか
自分たちの判断より、情報公開に専念すべきだろう


星の仕業

2014年09月27日 | 占いばなし

水泳の冨田選手が、窃盗、追放という、全く想像も出来ない、信じられない事態が起こった。しかも、よりによって、韓国メディアのカメラを窃盗・・・!?!?!?

この大会は何から何まで本当に、インチキ・アジア大会だと思っていたら、こんな不可思議なことまで起こった。

本人が認めているのだから、信じるしか無いわけだが、自白ほど信用できないものは無い、は日本の常識だ。
逆に、自白こそ確かな証拠は無いというのが、慰安婦証言の韓国の常識であり、その国で自白したのだから、これはもう覆しようがない。

事実がどうであれ、冨田選手は終わった。
冨田選手の運を観てみると、今まさに、30年に一度の転機であり、「折木」と呼ばれる人生最大の要注意時期だ。
有名人ほど、これが内外に及ぼす影響は大きい。先日自殺した理研の笹井茂樹副長もこれに当たっていた。

「折木」に関しては、運の転機であり、良い方への転機もあるから、必ずしも悪いことばかりが起きるわけではないが、環境の激変に動揺はつきものだ。少なくとも両三年は要注意と言える。

冨田選手の場合、サソリ座に、支配星の冥王星と月がいて太陽と対角線上にある。この事件が今、サソリの韓国で起こったこと、前回の広州大会で金を取った事など、何れも、当然と言えば、あまりにも当然なのかも知れない。
これぞ星の為せる業と言うべきだろう。

とにかく、残念だ


国と地方

2014年09月25日 | 占いばなし

先日のスコットランドの「独立投票」と、地方自治体の議員問題が同じ問題だと言えば、何を言い出すのだと思われるかも知れない。

グローバル化は、国家の存在理由を希薄にしている。
地球規模の動きの中で、現在の国家は無用となり、地球国家のようなものを支えるのは、多様な個となっていく。
地域の個性、組織の個性、人の個性が、直接、人類のコンセンサスを支える存在となる。

最近、地方議員の不祥事が目立つのも、実は、それだけ地方の重要性が増し始めている兆候だ。
これまで、中央集権国家の方が「国益」には有利だから、地方はどんどん弱体化していった。

明治維新後の日本や、近年の中国のように、中央集権は短期で、目に見える成果をたたき出した。しかし、維新後の日本が敗戦に至り、戦後はバブルに至ったように、物事には光と影がある。昇竜の中国も垂直上昇の先は見えている。

牡羊座の英国、天秤座の日本
日本は、日本人が思う以上に、先進的だ。というより個性的だ。世界のどの地域よりも効率的なミキサーであって、放り込んだ文物が、新しいものに生まれ変わってしまう。

仏教も儒教も科学も帝国主義も経済も、皆日本流になって生まれ変わり、成功も失敗も独自に展開した。
最も新しいところで、経済的な成功と失敗も、世界が後追いをしている。

日本が生んだ方式は、元は皆どこかから流れ着いたものだが、結果は、どこにもない「日本」になって、逆に世界の手本にさえなっている。

これも、日本の天秤座たるゆえんだ。天秤座は出発の牡羊座の到達点を表し、ここからまた別の形になって始まるところだ。(赤ちゃんの牡羊座に始まり、結婚の天秤座で別の人生を歩み始める)

牡羊座の英国で、スコットランド独立問題が起こっている時、対角線上の天秤座、日本では、地方創生担当大臣が生まれた。地方創世の動きがあるからこそ、地方は、地方議会はこれで良いのかに焦点が当たる。

日本の地方創世は、国家を維持するための手段であり、スコットランド独立の真反対の動きだ。しかし、この真逆の試みの中に、双方とも、地球国家への胎動が始まっている。
英国も日本も、違う形でそれをリードしようとしているのかも知れない。

また、国家とは何かという問題に対し、同じ時に、もう一つの皮肉な提案をしているのが、「イスラム国」だ。


勘どころ

2014年09月23日 | 占いばなし

占いは時空を見ようとする術だ。そのためには、時間の縦軸と横軸を体得しなければならない。
歴史を横軸で眺めて同時期の類似性を見いだし、縦軸に眺めて時間を隔てた再現性を知る。

その際、最も重要なことは、同一にこだわらないことだ。
全く同じ数値や形は、人文の世界では偶然性が強く、そこに目を奪われると、背景にある大きな流れを見失う。

一つのエネルギーがもたらす結果は、似ているが同じではない。だから、むしろ、違うものの中にある同一性を発見し、それをもたらすエネルギーを理解することだ。
数値や形で証明することにこだわっていると、漠然とした時空エネルギー、「運」というものを理解できない。

時空を見ると言えば、大げさに聞こえるかも知れないが、人間一人一人も、時空の中で生きている。個人の歴史があり、人や物との関係を持っている。それを意識し、漠然と把握しなければ、個人の「運」も分からない。

つまり、占いは科学ではない。経験と勘の世界であり、占学はそのトレーニングツールだ。知見があったとしても、それは直接使える計器ではない。
星や型は、理解方法の参考であって、最終的にはそういうものを捨てて、体得した勘に従わなければならない。

ということは、先天的な資質のある人の方が有利だが、実践を重ねればたいていの人が、ある程度の能力を発揮できるようになる。
また、生かじりの巷の占い知識は、一点にこだわるために、物事の本質をむしろ見誤ってしまうことに成りかねない。

したがって、占いの認識方法は、本当は漠然と外枠から絞り込んでいくのだが、実際には、瞬間的にひらめいたり予感したりすることの方が多い。

それは、この認識プロセスをたまたま意識せずに出てくる勘であって、やはりトレーニングの結果と言えるだろう。
どんな世界でも、この経験と勘は必要で、科学さえ、偉大な発見は、夢や、偶然など、無自覚な絞り込みの中から生まれている。


ウマ自炊

2014年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

本の自炊について悩んでいる。1978年から10年に亘る競馬データの内、データブックが発売され始めた82年以降については断裁してスキャンし、廃棄した。
しかし、81年までは『優駿』の付録データから採っていたため『優駿』が4年分ある。

現在では競馬会が2005年からOnline情報を提供しているから、データ収集は必要ない。また、自分自身、90年代以降、競馬の集中的な研究は止めたので、不要になった。

データは四季報など、何らかの方法で入手できるが、競馬のような、マニアックな記事はなかなか残らない。自分自身は、競馬のロマンなど、興味が無いので読まないが、世の中の人は競馬はロマンだと言っている。

そういう人の中には、『優駿』を読んで、往時の競馬ロマンを味わいたい人もいるかも知れない。何しろ、今では競馬血統の祖となるような馬や、調教師として知られる騎手の活躍ぶりが、リアルタイムで書かれている。

断裁してデータだけスキャンし、捨てれば良いのだが、必要な人がいるかと思えば、何故かむげに捨てられなくなる。
そう思って保存してきたので、データ部分だけ一枚一枚スキャンし、本の姿を残すか、断裁して一気にスキャンして残すか、廃棄するか・・・悩んで手がつけられない。

現代的に考えれば、スキャンデータだけ残れば充分なのだが、古本好きは姿にもこだわる。
しかし、この『優駿』には、データ部分に占いデータが書き込んであるので、今更、姿を残す意味はあまり無い。

あれやこれや、悩んでいるうちに、何もせずに死んでしまうことになりそうだ。


独立投票

2014年09月21日 | 新鎖国論

スコットランド独立投票。分裂しなくて、とりあえず良かった。
世界は何れ細分化して行かざるを得ない。しかし、今ではない。

地球が統一するために、現在の国家概念は大きな障害だ。
情報、流通、移動の規模が小さかった時代には、他の地域との競争のために国家が必要だった。

ところが、交流規模が膨らむ中で、相互依存が拡大して行くにもかかわらず、地域間利害、この場合、実際には経済利害ではなく権力利害、つまり、政治的な利害を争うことで戦争をし、荒野を生んではやり直してきた。

荒野を生んでは経済隆盛を築く、賽の河原の石積みのような産業革命パラダイムの体質は、経済恐慌と戦争の二本柱で繰り返されてきた。
だが、そうした愚行も、繰り返しているうちに、いつの間にか景色が変わってくる。
山から扇状地、扇状地から平野へと環境は変わってきた。

産パラ(産業革命パラダイム)は、人類と自然環境を攪拌し、全く新しい風景を生み出した。世界が共通の物と情報を持つ状況はどんどん進んでいる。
イスラムの野蛮が、ニューヨーク、パリ、東京にも情報として実在し、それを行うのが文明社会で育った人間だ。

外来種と言われる(既に)在来種が世界中に生息し、デング熱も日本の風土病化し始めている。
タイで洪水が起きれば世界で自動車生産が止まる。

今や、誰が何の利害のために争うのか解らない状況が生まれ、利害を争うための国家は、既に、政治家の道具としてしか意味を持たない。
実体がグローバル化しているのに、いまだに国家がある大いなる矛盾。

世界が統一していくためには、自治集団はどこまでも細分化し、現在の国家を解体し、情報、流通による一体化した世界認識を持たなければならない。
今、人類はそれができる環境を生み出している。

しかし、直ちにそれを行うことは出来ない。国家をわずかに二分するだけでも、今回のように現状破壊の大騒ぎになる。
スコットランド独立投票は、世界への提案であり、これを契機に、世界中の人が改めて、「国家って何だっけ?」と、考え始める大きなインパクトになった。

これぞまさに、牡羊座の天王星現象だ。物事の始めを生み出す牡羊座の国、英国で起こった国家解体議論は、今後世界に大きな波紋を生んでいく。既に機は満ちていることを、改めて世界に気づかせるだろう。

現在の国家概念が無ければ、国家単位の戦争は出来なくなるし、中国のような言論統制権力も無くなるし、国のために命を捧げた人のために祈ることも無くなるだろう。

そう言っても、ほとんどすべての人が、理解できないのが現状だ、独立運動はまだまだ先のことであり、それよりも先に、都市や町内会の方が交流自治主体として実体を持ち始めるかも知れない。個人でも町内会でも世界の一員になれる時代なのだから。

関連
大琉球」、「一即多・多即一」、「愚老張る(2)」
自らを島とせよ・看脚下」、「族からチ-ムへ(2)」


再生の道

2014年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

SONYがついに無配になった。ここまでの道は長かった。
本当は、とっくの昔に「既に死んでいる」
ベータかフラットテレビか、どっちが先だったか、今となっては思い出せないが、ソニーの驕りの象徴だった。

トランジスタ・ラジオ、ウォークマンと独自路線で大成功した体験が忘れられず、そのまま硬直してしまった。
物の無い時代にはそれで良かった。しかし、半世紀も過ぎる中で、世界の環境は激変した。

電化製品のコモディティ化、製造業のハイテク化の中で、技術よりもイノベーション、精神の活性化への提案が商品価値を持つようになった。

SONYの価値は、元来、トランジスタやテープレコーダーではない。トランジスタ・ラジオもウォークマンも、ライフスタイルの提案こそが価値だった。
にもかかわらず、SONYは自らの価値を技術の革新性だと勘違いした。

成功後のSONYは、ベータ、フラットTV、VAIO、MD・・・もう枚挙にいとまが無いほどの「独自路線」を打ち出し、結果的には、次々と失敗していった。
しかも、何れも、「オレに従え」の傲慢な独自規格だった。
今でも、デジカメのminiUSBさえ、別規格だ。

SONYには、腹を立てている。昔は日本の誇りだった。
だから、付いて行っては裏切られた。
こんな会社きっと潰れる。そう思ってから何十年も経った。一山当てた一家は三代は食える。SONYも、そう簡単には潰れなかった。

裏切られ続けたSONYには腹を立てているが、同時に、まだ未練がある。何とか再生して欲しい。
SONYが大きくなったのは、イノベーションだ。ジョブズが当たったのも革新性であって、技術ではない。

自身の本当の魅力を深く理解し、ウォークマンの名前など、過去の化石と決別しなければ、再生は無い。
そして、それができるのは、生え抜きの技術者でもなければ、経営のプロでもない。SF作家や芸術家のように、社会を斜めから見ている人たちの、直感だ。


女傑逝く

2014年09月16日 | 占いばなし

山口淑子が亡くなったばかりで、山口洋子が亡くなった。どちらも「Y.Y.」だ。

W「吉田」について書いたばかりだが、同じ時に、同じような「山口」さんの訃報。これも世相的な色だ。
衆目を集める話題には、時のカラーがかかっている。
だから似たようなことが同時に起こる。

二人は世代もジャンルも一見違うが、言葉の才があり、芸能に縁があり、極めて個性的な魅力で各界の人脈を持つ。
そして、占い的にも、大きな共通性がある。

二人とも辰巳空亡(六星で言う天王星人)で、12、10日の月半ばの生まれだ。(ちなみに山口百恵も辰巳空亡で、17日生まれ)
四柱推命ではもっと面白いが、ここでは省略する。

そして、占星術ではさらに分かりやすい特徴がある。
二人とも生時の太陽と天王星と水星が合体し、名声を表す天頂の火星と木星に、それぞれ吉角になっている。

生時が分からないから、実際どう作用したのかは分からないが、とにかく、強烈な頭脳と個性が有名にした。
山口淑子の強運に比べれば、山口洋子は幸運だ。
色々な理由があるが、山口淑子は火星で有名になり、山口洋子は木星で有名になった。

火星は牡羊座だから、戦争、セックスアピール、トラブル。
木星は射手座だから、スポーツ、学芸などのセレブ達との交流だ。

ウォーターゲート
また、「山口」の「山」は単純にヤギ座だが、「口」はちょっと難しい。
単純に「口」なら、喉を表す牡牛座の前の牡羊座だが、山と一体になれば、登山口の「口」、始まり入口を表す。
これは門の意味にもなり、門は変容宮だが、登山口なら「射手座」になる。出口や序の口は魚座で、宵の口は乙女座、出入口や玄関は双子座ということになるだろう。

ところで、「山」のヤギ座は「水」そのものも表す。
(ちなみに、集まって池や泉になれば水瓶座)
もし、山口を「ヤギ座+変容宮」と考えれば、意味の共通性から、山口はウォーターゲート(水門)と同じになる。

ウォーターゲート事件は、1972年が発端で、74年のニクソン辞任に終わる。この間、土星は双子座に居て、双子座アメリカの不幸の時だ。土星が来た国は権力に不幸が起こる。

1972は木星ヤギ座で、ヤギ座ニクソンの勇み足から起こり、アメリカには不幸となり、向かい側の射手座も悪いイメージに落ちる。ウォーターゲート自信が何かしたわけでもないのに、イメージが悪くなった。
この点を考えると、やはり、ウォーターゲート=山口=射手座で良さそうだ。

世相として今、「山口」が人目に付くのは、射手座に火星が入ったことで(山口淑子はその前だが、話題になったのは今)、訃報そのものは長く話題になることはない。
ただ、年末からの土星射手座は山口懐古になり、山口の古い話題が盛り上がる前兆でもある。もちろん山口県もだが、懐古の反面、不幸も起こる。(それほど大きくはない)


吉田祭り

2014年09月14日 | 占いばなし

朝日新聞は「吉田証言」と「吉田調書」で窮地に追い込まれている。朝日の態度や責任については、今更ここで言うようなことではないが、重大な愚行がどちらも「吉田」がらみだったことは、占い的には、やはり見過ごせない。

吉田という姓は、吉田兼好、吉田松陰、吉田茂と有名人もきら星のごとく輩出している。「豊葦原千五百秋瑞穂国」の稲作の国だけに、全国至る所にある姓だから、姓氏の由来を特定することは出来ない。

ただ、ある程度ハッキリ由緒のある吉田としては、京都吉田神社の吉田氏があり、これはもとは卜部氏を出自としている。つまり、占いの神官の出ということだ。

五穀豊穣を祈る日本の神道の性質から考えても、吉田はいかにも、めでたく、祭りっぽい響きがある。
では、「祭り」は何座なのだろう。

明治神宮のある「代々木」は射手座に当てたが、神社そのものはヤギ座で、祭りは、神への祈りと感謝であり、神様を楽しませること、つまりは人間自身も楽しむことだ。
人間の楽しみと言えば、第五室の獅子座だ。演劇なども、本を正せば、神楽など神事に始まる。
コンサート、演劇など、ショーは常に祭りなのだ。

一方で、祈りや神秘は「I believe」が象徴の魚座となり、夜明け前の「夢」タイムに当たる。祈りは信心とも言う。
なお、楽しみは獅子座だが、宴は天秤座だ。この違いは、獅子座が、単独の内輪や自分の楽しみなのに対し、天秤座は他者との出会いのための接待。純粋な楽しみと言うより、必要のための、ムリからの楽しみ、つまり社交だ。

牡羊座の革命
では、朝日新聞は何座なのだろう。新聞は言うまでもなく射手座だが、朝日は旭日旗を社旗にしているように、日の出時の牡羊座と考えるしかないだろう。
つまり射手座業界の名前としては、牡羊座の名前は相性が良く、幸運で発展性がある。戦時中の姿勢にもかかわらず、戦後もコロリと主要報道機関に居座った。

また、牡羊座の「正義」のイメージを、戦中戦後を通して売りにしてきた。しかし、正義ほど相対的で危険なものは無い。戦中の正義は戦後の悪になり、冷戦の正義はまた、冷戦後の悪になる。朝日は、ここを見誤った。
さらに、牡羊座は軍隊も表す。戦中戦後、賛否を入れ替えて常に戦争に関わってきた。

仮に、「吉田」が獅子座だとすれば、牡羊+射手の朝日新聞とは、「大当たり」の相性なのに、何故、疫病神になったのだろうか。
これは、恐らくは「良い気」になり過ぎたことが災いしたのだろう。

慰安婦報道の「吉田証言」が出たのは、1983年であり、木星射手座の年だ。まさに、射手座の新聞業会が「勇み足」に走る時であり、希望通りの獅子座のネタに無条件で飛びついた。
ところが、この時、土星がサソリ座にいる。もちろん、サソリ座と獅子座は相性が悪い。この獅子座ネタには始めから問題があった。

「吉田調書」の今年も、サソリ座に土星がいる、その上、木星までも獅子座に来た。
(なお、性も原始力もサソリ座)
もとより近年、牡羊座に天王星がいる。天王星が自分の星座に来ると、破壊と創造の革命が起こる。それが誤報を認める状況になったわけだが、1945年のように、再び「自らを罪するの弁」でも出して、再生するのだろうか。

誤報については、何も朝日だけではない。あらゆる報道機関は、誤報訂正はどんな問題でも、三倍以上の訂正記事を上げることをルールにすべきだ。つまり、それぐらいの責任と覚悟をもって報道してほしい。
ブログやツイッターより信憑性に欠けるようでは、やがて自ら滅ぶだろう。


美の萌芽

2014年09月12日 | 日記・エッセイ・コラム

ファッションの秋。ウォールストリートジャーナルの、2つの記事が目に付いた。
アバクロが北米市場でロゴを消す話と、この秋のファッション業界が60年代ファッションを狙っている話。

記事では、アバクロはオーナーの失策と、若者のブランド離れが原因としているが、実はもっと根は深いと思う。
牡羊座時代のフランド消失」が、大きな背景としてある。

それを裏付けるのが、60年代ファッションだ。
こちらの記事では、ファッションにおいて温故知新は定石ながら、60年代だけは特別で色褪せることがなかったと言う。60年代とは、結局、アラウンド70年代のことだ。

70年前後が、「美」において特別な時代であることは何度か話したが、牡羊座時代には新しい価値の萌芽が始まる。
そして今、それが実際に進行している。

ブランドは大量生産時代の差別化の記号であり、産業革命パラダイムの消費の道標だが、それが飽和状態になると意味を失い、無視することが逆に、差別化になる。
その始めとなったのが無印良品であり、一方で若者の着くずしや古着ブームが新しい価値をリードした。

リフレッシュ
日本の若者が始めたブランド崩しは、60年代のヒッピーファッションに通じるものがある。大量生産の拒否だ。
産革パラダイムの先進国からブランド価値は崩れていき、大量生産の現場=途上国ほど、ブランド志向は強い。

ブランドは、感覚と思考を麻痺させる猫だましだ。大量生産の熱気が冷めると、洗脳されていない若者から目を覚ます。ヒッピー文化はベトナム戦争の行き詰まりから生まれ、日本の若者ファッションもバブル崩壊から生まれた。

WSJの言う、60年代ファッションが色褪せないのは、「美」の本質、個人の感覚思考をベースにしているからだ。
企業が打ち出す価値ではなく、人間社会の空気そのものに調和させる姿勢こそが、ファッションセンスだ。

もちろん企業は、抜け目なくそれを取り入れるから、若者が飽きた瞬間、その成果を切り取り、定番として、またブランド化していくだろうが、生産方式が変われば、現在イメージするような、いわゆる「ブランド」とは、全く違う物になるだろう。

何はともあれ、しばらくは、与えられた価値を追いかけるような、感覚の貧困が無くなるだけでも清々しい。


淡海の月

2014年09月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今夜は中秋の名月だ。
西日本の住人にとって、この夏はひどい詐欺だった。
暑い! さあ、もっと暑くなるぞと、思うまもなく、土砂降りが始まり、いっこうに暑くならないうちに、秋風が立ち始めてしまった。
一週間遅らせても、稲の刈り入れが出来るのはまだ良い方で、刈り入れどころではない地域もある。

そんな中、皮肉なことに、今宵は雲一つ無い名月だ。
満月の夜は、琵琶湖の西の大津側から観ると、湖面が金色に輝き、その中から月が昇ってくる。

湖西道路を高島方面から南に、満月と走り続けたことがあるが、湖がいつまでもキラキラと輝いて、月の女神がそこにいるような、あらたかな気持ちになった。

今宵の名月もまた、淡海は光り輝いている。
澄み切った中秋が、輝けば輝くほど、今年は何故か、もの悲しい。

淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば 情もしのに古念ほゆ
                   柿本人麻呂

淡海の海月夜見尊たちませば 錦もしのに露に濡れなん
                    蛇足居士


お知らせ

2014年09月07日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログサイトの「ブログ人」が、11月末でサービス提供を止めるそうです。
ネット作業が苦手な、横着者としては、かなりハードルが高いのですが、一番簡単そうな同系列のgooブログに引っ越すつもりです。

何時、どのようになるのか分かりませんが、
その節は、よろしくお願いいたします。
(何をよろしくなのかも、今のところ分かりません)

 魯生 m(~_~)m


類型複合(3)

2014年09月06日 | 占いばなし

星や神殺、型など、占いの分類は何れも、一つの特質に過ぎず、何か一つで、全体像が決定されるわけではない。
何事であろうと、ものごとは、単体で成り立つものなどほとんど無い。物も、心も人格も動きも、全て複合体であり鑑定とはそのプロファイル創りだ。

占いを問題解決の手段として真面目に用いようと思えば、可能な限り多くのパターンを習得し、その多くの類型パターンの複合作用を観て、物事の本質を見極める必要がある。この点は、他の方法と何ら変わりない。
ただ一つ違うことは、実用性を重視し、再現性にこはだわらないことだ。つまり、占いは科学ではない。

複合体に向かい合う
例えば恋愛問題ひとつとっても、
相手がいて、自分がいて、環境がある。
今の状況はどうなのか、進むべきか、退くべきか、何一つ決まった答えは無い。すべてが複合体の相互作用だからだ。
型や星と呼ばれるパターンが複雑に絡み合い、何一つ同じものは無い。唯一、答えがあるとすれば、方向性だけだ。

複雑な人間同士の出会いは、銀河宇宙の衝突のように、激しく光を放って爆発するかと思えば、何事もなくすり抜ける。全てがぶつかるわけでもなければ、全てがすり抜けるわけでもなく、新しい星が生まれたり、消滅したりする。

相性が良いとか悪いと言うが、全てが良いわけでもなければ悪いわけでもない。また、状況次第で、良くも悪くもなる。そもそも、良し悪しには基準が無い。現象だけがそこにある。

占いの様々な要素も、素の姿がそのままあり続けるわけでもなく、出会いの相互作用で変化する。その時、変化する個々の基本要素が、いわゆる、星や型で説明されるものであり、巷で絶対視されるような、単純な固定の姿ではない。
物事は人体さながらに、単体の集積した複合体であり、同時にそれは一つの固体でもある。

したがって、ここで、占いの諸要素について語っている時は、その個々について決めつけや確信を持っているわけではない。一応、そう定義されているとか、そう仮定しての話の展開であり、その検証だ。何ら、趣味や感情を持たないつもりで語っている。

ただ、予断を持ってはならないと意識するあまり、時に、自らに関わる分類特質に、やや厳しくなり過ぎてしまうことがあり、却って、誤りのもとになったりする。
意識すればするほど、逆に完全な客観とか中立的立場というのは、やはり、あり得ないものだと実感する。

お化け屋敷
したがって、もしかして、占いに関する事柄で、自分のことが悪く言われていると感じる人がいるとすれば、魯生と同類なのかも知れない。
ただ、何であろうと、ここで語られることは、仮説や試行錯誤、考察であり、決定的に決めつける目的を持っていない。
ここで、予言のようなことをしないと、何度も断っているのも、そうした意図からだ。

また、パクパクを取り上げて、いい加減な迷信を言うなと言われても困る。
ここは、始めから市民権の無い、占いの世界の見方であり、お化け屋敷の客から「人を脅かすな!」と言われたら、お化けも困ってしまうだろう。


類型複合(2)

2014年09月06日 | 占いばなし

類型には実体が無い
当然、兄弟の立場による生い立ちの違いは人格にも影響するが、誰も自分を客観的には見られないから、自分がそんなものに影響を受けているとは思えない。
したがって、兄弟関係(家族関係)による、思考方法の違いは、相対的に客観化しないかぎり、理解できない。

しかし、類型による客観化は常に相対的であり、実在の人物に当てはまるものではない。類型は一つの参考指標、基準値に過ぎないからだ。
このことは、占いだろうが心理学だろうが同じ事で、型通りの人なぞ一人として存在しない。型は一つの理解の仕方、モデルに過ぎないからだ。

ところが、型を概念として理解しない人は、ストレートに現実として聞く。これが生兵法は大けがのもとであり、あらゆる占い話(占いの知見)が、一般に流布することで、迷信に堕ち込む原因となる。

市民権のある医学や心理学でさえ、例外ではない。
一般の人は一つの単語を憶えれば、その言葉のもつ多面性や領域を理解せず、画一的に当てはめ、弊害をもたらすことになる。
メタボ、DNA、××症候群・・・すべてそうだと言っても良いくらいだ。

余談だが、こういう言葉が一人歩きするブームは、一つには語感の持つ「濁音」インパクトもある。→「デング熱
また、日本語の場合、音声に加えて、漢字の字面もある。
日本で血液型が流行し、その弊害が取りざたされるまでに至ったのは、日本人の「血」に対する信仰心に加えて、「型」の確定的なイメージが、絶対に確かな印象を創出した。
もちろん、「型」は濁音で読まれる。

基本的に仮説
占学の立場から言えば、極めて迷惑な話だ。血液型は、一つの特質の類型化に過ぎず、万巻の書を持って論じたところで、あくまで可能性の追求に過ぎない。
血液型について様々な事柄に当てはめて語るのも、その姿を浮かび上がらせようとする試みに過ぎない。

しかし、占いの本質など興味のない一般の人々は、面白半分で、実体のない「人格」を創り出し、適当に人を中傷したり、また反対に、血液型そのものを何とか否定しようとする。残念ながら、血液型は、躍起になって潰さなければならないほど、確かなものではない。