魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

火星の時

2020年09月28日 | 星の流れに
三浦春馬、竹内結子と、突然の訃報が相次ぎ、特段、誰かのファンになったことのない人間ながら、「爽やか」そのものの喪失感があって、何かとても悔しい気がする。
三浦春馬に関しては、初めは締まらない感じがしたが、舞台の映像を見て、驚いた。本当にこれからと言うときに、惜しい人を失ったと思う。

実はこの二人とも牡羊座で、牡羊座に関して心配していたことが最悪の形で起こった。
これまでも何度か書いたが、天王星が牡羊座から去ったことで起こる、燃え尽き症候群のような時期に加えて、火星が半年も牡羊座に滞在中なのだ。

火星が自分の星座に来ると、病気、事故、怪我、トラブルが起きる。
火星が来ると、ホルモンのバランスを欠き、情緒も体調も不安定になり、その結果として、様々な問題が起こる。通常は2ヶ月だが、今、牡羊座にはその三倍の半年いるのだから、逃れるのはむづかしい。
さらに、牡羊座の質として、元々自我、独立心が強く、人に相談したりしない。加えて二人とも行動派だ。瞬間的に思い詰めると、行動を起こす。
俳優のような、自我との乖離を起こす生活は、上手い牡羊座には苦痛だろう。牡羊座の俳優は自分の元の人格、個性を売りにするような俳優(加山雄三、舘ひろしなど)以外は危険だ。人によって、薬物などが必要になるのも、その一例だろう。

こうした特殊な環境でなくても、今、牡羊座の人には負荷がかかっている。そのことを念頭に置いていれば、むしろ、禍を回避できる。やらなければと思うことは、3カ月待って考えたほうが良いし、腹の立つことも、具合が悪いのも、火星のせいだと思えば、大きな問題にはならない。

専門分野

2020年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム
「ヘウレーカ」で、又吉直樹が土木の先生に、(素人の自分もそれなりに)土木建設への感謝も知識もあるから、そんなに一生懸命説明しなくても・・・と話していた。
昔、京都大学の原子力専門の先生のところに、新聞記者が取材に来て、こんな話は素人には解るはずが無いと思ったが、聞かれるままに答えて、後で記事を見たら、「良く解っているな!」と驚いていたそうだ。
専門家というものは、自分が特別な世界にいるという自負心から、門外漢には解ってもらえないと思い込んでいる。

専門家とは専門知識を持っている人であって、特別に理解力がある人という訳ではない。どんな分野であっても理解力のある人は、知識さえ与えられれば、専門家、あるいはそれ以上の理解ができる。
優秀であればの話だが、全くの門外漢の政治家でも、簡単なレクチャーを受ければ、問題の本質を容易に理解する。ある意味では、岡目八目の観点から、専門家が気づかない、より重要なことを発見する。もちろん、論文を書いてノーベル科学賞をとったりすることはないが、専門家のできない行動を起こすことができる。

詳しくは知らないが、コロナについて、雑音に悩まされる医療の専門家が、素人は語るなと言ったらしい。気持ちは良くわかるが、逆に言えば、医療専門家は政治家や医療関係者以外には語るなと言うことになる。医学生さえ医学書を読み始めると、自分は病気に罹っていると思ってしまう。
世間の素人に、医療専門家の知識と気持ちで、様々なことを伝えようとしても、逆効果だ。人々に伝達し行動を起こさせるのは、政治家の仕事であり、専門家の言葉は、むしろ不安を増幅させる。世間が求めるのは、「良い」のか「悪い」のかだけだ。
コロナ不安が広がるのは、専門家の言葉とメディアの増幅の一方で、政治が覚悟を以て安心や希望を伝えないからだ。
日本人はバカではない。正しく状況を説明し、何が問題で、政府としてどういう対策を打つのかを話せば納得する。それをしないで、マスクだ、三密だと、国民への要求ばかりし、一方で、医療関係者に説明責任を負わせる。
ドイツのメルケル首相の、国民への呼びかけは高く評価された。良い顔ばかりしたがる、お為ごかしの政治家は、非常時の役に立たない。
この国には、優秀な政治専門家はいないのだろうか。

規制文化

2020年09月23日 | 日記・エッセイ・コラム
国土交通省は、バスの混雑状況を確認できるシステム導入の補助金を、弱小バス会社に出すそうだ。コロナ対策のためらしい。
何か、ものすごいズレている気がする。

世界はコロナで、「羮に懲りて膾を吹く」状態だが、政治がその盲動を煽ってどうするのか。
政府としての、コロナに対する見解を、覚悟を持って発表しないから、国民はオロオロする。もう、「コロナは風邪レベルの流行病です」と言える事象が蓄積されている。もちろんその反対の見方もできるが、ここで判断を示すのが政治の仕事だ。
ところが、初めから今に至るまで、日本政府は責任回避だけを考えている。
だから、GOTOキャンペーンのように、「二階から目薬」ばかり施す。このバスの補助金も、コロナ恐怖症への気休めであり、どこにもコロナ戦略がない。

バス対策は、交通行政全般の規制改革として、コロナ以前から手を付けるべきものだった。
日本のタクシー料金の高さに、外国人は驚愕している。バス路線認可が下りないことで起こる様々なムダ・・・枚挙にいとまがない許認可の弊害だ。
「形」文化で、入口だけ厳しい日本だから、仕方がないと言えばそれまでだが、もう、世界基準に合わせるときだ。
入学、入社の「試験」や「式」より、実力、実体、運用の事実こそが重要だ。

最近、テレビで聞いた二つの言葉がある。
一つは、黒柳徹子が会った欧米の大物俳優は「少しも偉ぶっていなかった」という。中華の影響を受けた「らしさ」を求める日本社会とのギャップだ。
もう一つは、東国原元知事が、コロナに関する誹謗中傷は日本の監視社会ゆえだから、法律で罰則を設けて(ロックダウンなどの)行動規制をすべきだと言っていた。とんでもないことだ。日本の監視社会は法律の有無とは関係ない。こんな短絡で生まれたのが戦前の治安維持法だ。ますます監視、密告が正当性を得ることになる。「どげんかする」ばかりが、良策ではない。

これらの言葉の背景にある、日本人が気づいていない、「形の常識」が日本の可能性を萎縮させている。戦国時代や明治維新、そして敗戦による「タガの外れた時代」こそが、日本が大発展をした時代だった。
戦後の自由な社会から、成長発展を経て、75歳の日本は老化している。節々の老化に膏薬だらけで杖まで突いて、動きがとれない。あらゆる規制は、本当に必要なものではなく、東国原のような「やってる感」の自己満足の結果だ。そしてみな、利権の温床になった。

バスの混雑状況を知らせる前に、混雑しない交通行政を考えるべきだ。自家用車優遇を止めて、公共交通を主体にすれば利用者が増え本数も増やせるし、公共交通車両の形も変わる。バスとタクシーの利点を融合した形や、運用もできる。
バスの不便を解消するために、バスシステムの革新が必要だ。13年前に書いた、フレキシブルバスのヒントは、日本では見向きもされず、結局、中国で始まった。つまり、現実的な提案だったという事だ。今からでも遅くはない。経済戦略の一環として、バスシステムも、一から始めるべきだ。
→「バスシステム

むっつり

2020年09月16日 | 占いばなし
アメリカでジジイ対決の最中、日本でも71歳のリーダーが生まれた。
と言っても、安倍前首相も同世代であることは変わりないから、現在の世界情勢では必然と言えるだろう。
菅義偉とはどういう人か、占い的にはかなり面白い。
自動車人間ではボディーの人だが、極めて極端なボディーで、エンジンのような行動をとる。つまり、徹底的な行動力と実利主義だ。
九星でいえば七赤で、二階幹事長も七赤だ。今年は七赤の年だから、ピークに達する年で、あまり良い年ではない。むしろ危ない。同じ七赤だが、二人の相性はあまり良くない。と言うより、同類なのに性格が異なるので、かえってかみ合わない。ところが安倍首相にとっては、双方が非常に役に立っていた。

また、今年の干支「庚子」は菅新首相にとっては、非常に危険な年でもある。表向きは良い年だが、場合によっては命を落とす年ともいえる。つまり、自分を失う年だ。
菅総理は成りたくて成ったのではなく、我を捨てて、やむなく成ったのだろう。
本当は、一白のシャーシである安倍首相を祭り上げておく方が、自分の思惑を通しやすかった。七赤の金は一白の水を生じ、ボディーはシャーシを活かせる。
元々、自分でも本音が分からない人であり、最も現実的だと思うことの実行の積み重ねで生きている。
性格的に親分子分の関係を嫌う傾向があるうえに、世代的に団塊真っただ中で、権威や既成概念に嫌悪感を持っている。団塊世代は、戦前の価値観に挫折した社会で育ったので、権威で押さえつけられることに慣れてない。

なお、生年月日が近い政治家に舛添要一がいるが、生い立ちが真逆で、ホット(理想主義)とクール(現実主義)も真逆だ。案外、話を聞くだけ聞いても損はない相性だ。
舛添はホットの子丑空亡で、小池都知事も子丑空亡だ。子丑空亡は現在、裏目に入っており、トランプも、孫正義も子丑空亡で、何れもこれまでと環境が変わり、様々なことに試行錯誤を迫られる、学習期間に入っている。
ホットとクールの観点で見れば、菅、二階、麻生、プーチンはクールで、安倍、トランプ、習近平、小池はホットだから、言葉の持つ意味が異なる。
ホットは言葉を意見、仮説として使うが、クールは説明や宣言として使い、現実の捕捉に過ぎない。クールは「むっつり助平」だ。ゴチャゴチャ言う前にヤル!

どう見てもリリーフ首相のように見えるが、これまで安倍首相の陰に隠れていた氷山の本体が現れたと言っていい。問題は、氷山の本体は浮かんだら溶けるということだ。
役者が倒れた時、脚本家や監督が代わりに演技をできるかと言えば、ほとんどドラマにならない。陰に回ってこそ能力が発揮できる才能がある。
とは言え、企画の本体だから、思いを愚直に実行するだろう。人気取りが苦手なだけ、徹底してやるはずだ。前政権で、お茶を濁していたようなことが実行される。そうなると、前政権の借金が一気に回ってくるだろう。いつも割を食う東北人らしく、気の毒だ。

面白いのは、射手座ならではの関心事で、電話料金やデジタル庁に力を入れていることだ。射手座は、コンピューターや通信の情報を表す。同時に、運輸や教育、スポーツも表すので、今後この方面にも手を付けるのだろう。

大統領選

2020年09月15日 | 大転換
「アメリカにはいくらでも、人材があるのに、何で選りに選って、74歳と78歳のジジイ対決なの?」と、誰でも不思議に思う。
これは、まさに大転換の最終ラウンドだ。
アメリカ建国の1776年から、冥王星250(248)年の周期が巡ってくる。つまり、産業革命と歩んできたアメリカの歴史も、大転換の時を迎えている。しかし、その最後の大統領は、産業革命パラダイムの戦争を知る人間が必要だからジジイ対決になる。

大統領が戦後生まれになってからも、親は戦争体験者の世代が続いてきた。
クリントン、ブッシュ、トランプは何れも1946年生まれで、親の世代の生々しい戦争経験を体験しながら育った。オバマだけが1961年で、親さえ戦争を知らない。
オバマの理想はこれからの世代のさきがけではあるが、戦争を背景とする現在には対応ができず、中国の軍国主義もことごとく野放しにしてしまった。
結局、餅は餅屋。蛇の道は蛇。産業革命パラダイムの現実を仕切るのは、戦争を知る世代しかいない。その結果、とうとうジジイ対決になってしまった。アメリカ民主主義の制度疲労だ。

250年の始まり
これから先、世界は大きく変わる。物量の産業革命パラダイムでは戦争が避けられなかったが、これからの時代は、戦争を考えなくてもいい時代が来るかも知れない。戦争のような馬鹿げた「消費」よりも、地球環境問題に対応した文明を創っていかなければならない。
もはや、大量生産大量消費に浮かれているような状況ではない。これからも人類が生き残ろうと思うなら、地球環境を改善するか、環境に合わせて生きる術を探るか、地球離脱しかない。
産業革命パラダイム250年の残した環境破壊は、川の水をきれいにする程度の努力では到底追いつかないだろう。次の250年を掛けて改善していくしかない。
最も現実的なのは、環境に合わせて生きていくことだろう。再生可能エネルギーによって、環境に寄り添った、静かな文明を創りだしていく。
情報による共感と認識が生まれれば、戦争、開発、観光と、地球を荒らし回る必要がなくなる。

今、アメリカ大統領を始め、世界は産業革命パラダイムの精算の時に入っている。
ネットですぐ盛り上がる、反核や環境、人種差別問題は、今の段階では空騒ぎだが、産業革命パラダイムの人間が去れば、地球文明の常識として根付いていくだろう。
原始時代は、氏族単位、村単位の争いをしていたが、この250年は、国家という共通認識に拡大して、大がかりな戦争を繰り返した。
しかし、この先は地政学的国家を超えた、情報による共通認識と一体感によって、人類全体の利害が考えられるようになり、戦争の必要がなくなる。

このトレンドに抵抗しているのが、中国共産党の情報管理だが、次世代技術で250年前の目的を果たそうとしているのだ。仮にもし、これが成功すれば、行き着く先は、AIによる人類管理だろう。国家は消滅するからだ。
しかし、この顛末は初めから見えているのだから、この流れを許すことはない。最悪の場合、「毒は毒をもって毒を制す」、中国共産党の情報管理が地球を覆う前に、AIによる社会管理技術を完成させることだ。
何れ人類は、AIの世話になって生きることになるが、共産党貴族のための人民搾取の道具を打ち砕くには、それよりも早く、民主主義的善意の方向性を持った、AI管理システムを完成させることが必要だ。
これこそが、世界を変える大戦争そのものになる。兵器による戦争など、次の時代から見れば、類人猿の棍棒にしか見えないだろう。

大変な年(3)

2020年09月11日 | 大転換
大恐慌や大戦争の有無にかかわらず、パラダイムシフトは起こる。
これからの250年は、生産よりも、知性と人間性によって自然との調和ができる時代に・・・なったらいいな。
もちろんその前に、産業革命パラダイムの吹き溜まり、中国共産党が破綻しなければならない。中国共産党は「民族の勃興」という原始的で偏狭な目的のために、手当たり次第に既存のノウハウを吸収し、駆使しているが、「人類の未来」のために犠牲を払ってでも努力しようという志が無い。中国共産党が滅びるとき、産業革命パラダイムの弊害が清算されるだろう。
気の毒だが、彼らは優秀な紙おむつのように産革の汚物を吸収している。おむつの交換は誰も喜んで手を付けないが、交換は必要だ。

産業革命パラダイムを精算し、おむつが取れた人類は、賢い排泄を覚える。がむしゃらな大量生産や消費を止め、必要最小限の生産と個人のネットワークによって、国家を超えた地球村が生まれる。
しかし、もし中国共産党のおむつをそのままにしていれば、場合によっては死に至る。

どういう意図か、米中対決を、米国の負けだと囃す人がいる。
確かに、現状を見れば、米国に勝ち目は無いが、だからと言って、目先の経済的利益だけに走れば、世界は古代ゾンビに取り込まれ、人類は人権の無い奴隷社会に埋没することになる。中国共産党、習近平の目指しているものは皇帝だ。

コロナは本来、自然災害だが、それを戦争にしたのは暴君、習近平だ。
太平洋戦争が始まった時、明らかに米国は劣勢だった。日本の占領地には、早々に利権を求めて、金の亡者が軍部に馳せ参じたが、日本の勝ち戦は半年も保たなかった。
今、中国が優勢なのは、アメリカを始めとする先進国の、寛容と怠惰の結果だ。
欧米がこぞって中国を見放せば、金と人脈を断たれる。放蕩三昧の若旦那も勘当されれば、ただの物乞いだ。たちどころに威勢を失う。

中国の人口は人類の1/5で、東京圏の日本の人口比率に匹敵する。
圧倒的経済力を持っているように見えるが、中国は地球の首都ではない。科学も文化も、経済も、発信の中心ではない。大阪や名古屋の影が薄いのは、発信の中心ではないからだ。逆に言えば、東京の一極集中を改めるのは、そう難しいことではない。
新しい時代が始まる時は、遺物はあってもその意味が変わる。
中国による新世界と、世界が求める新世界と、果たしてどちらが残るのか。
どちらにしても、新世界には産業革命パラダイムの物も技術も受け継がれるが、果たしてどちらの意味づけがなされるのか。
映画「華氏451」のような世界だけは想像したくない。

小さな国、日本は、元、清、ロシア、終いには世界中と戦った。勇敢と言うより、世間知らずの世渡り下手だからだ。この性質は変えられない。今更、物わかりの良いような顔をして中国に寛容になるとすれば、これもまた、世間知らずの訳知りだ。

大変な年(2)

2020年09月10日 | 大転換
旧世界から新世界へ
2020年、ついに大転換が始まった。
冥王星周期の、この250年は産業革命パラダイムであり、18世紀からの風景と常識が終わる。今年がまさにその年となった。
産業革命が創り出した風景と常識は、科学万能による工業生産と、人類の撹拌だった。
物質信仰の時代では、それを支える、国家、軍隊、企業、学校が、誰でも行かなければならない教会になった。
その中にいるとそれが当たり前に見えるが、産革パラダイムの人類は、他の時代の人から見ると、異様に見える。それは、オウムや韓国の新興教団の有様に似て、一つの目的と一つの方法を信じ、ひたすら努力し幸せを信じている光景だ。

産革パラダイム教団では、学校で科学信仰と技術を学び、企業や軍隊が国家というグループを支え、時に大戦争でグループの勢力争いをし、金という神を崇める。人類全体がこの宗教の信者だった。
それが、大きく宗旨替えをする時が来た。
信仰、特に一神教は、別の信仰を持つと、以前の信仰を徹底的に壊そうとする。しかし、八百万の神を崇める日本は、全てを残した。実は仏教も、様々な土着信仰を吸収しながら伝播してきたものであり、日本では居心地が良かった。

産革パラダイムは、一神教の進化形である科学の布教活動だったとも言える。
日本では一神教に対抗するために、王政復古による神道が現れ、廃仏毀釈が起こった。しかし、敗戦により神道が薄まると、八百万の神が復活し、産革パラダイムは欧米よりも多様な価値観で、こだわりのない経済活動を行うことができた。これにより成し遂げた高度成長だが、バブル崩壊で、再び、一神教と神道の偏狭な価値観に陥り、閉塞社会にはまり込んだ。平成後の日本が、融通の利かない社会になったのは、多様な価値観=八百万の神を失ったからだ。近年、天皇制が重大事として議論されたり、先輩後輩の上下関係やパワハラ問題、自粛、コロナ警察など、日本全体が不寛容な一元化に落ち込んでいる。

山羊座の木星によるコロナショックは、科学教会の信用を落とすことになる。
今起こっていることは、科学信仰狂想曲だ。産革パラダイムによる経済が、科学によって止められるという矛盾に直面している。
科学による物と人の膨張によって起こったコロナ拡散が、科学知識によって認識され、社会が止められている。これは言わば、成長期の肉切れのようなもので、成長が止まる時が来ている。
科学知識のない昔であれば、疫病は流行るにまかせ、一定の人が死ねば、また社会は動き始めた。歴史として俯瞰すれば、これは山火事のようなもので、新生に欠かせない自然の営みだ。この地球上に人類だけが異常に繁殖している事実がありながら、それでも人口減少を心配する経済。だから自然の摂理が作動する。

科学を科学で抑えられなければ、科学の信用は失墜する。早晩、コロナは収束するが、今のコロナパニックは、科学知識によって、むしろ増幅されたものであることが明らかになるだろう。祭りが終われば、敗戦で日本国民が受けた脱力感のように、信仰離れを引き起こす。
明らかな占領軍(大恐慌)が来ない限り、政治と科学は、コロナ勝利を糊塗するだろうが、それはGOTOトラベルのような気休めで、大転換を前にしては螳螂の鎌にもならない。

大変な年(1)

2020年09月09日 | 大転換
一年の様相を表すのは、星座を約一年で通過する木星で、歳星と呼ばれるが、一星座を2~3年で通過する土星の影響も大きい。
2020年は、木星が子年を意味するやぎ座を通過し-、土星は山羊座と水瓶座の境界を行ったり来たりする。年末には木星も水瓶座に入るから、2020年は山羊座から水瓶座傾向の強い年回りということになる。

山羊座はカニ座=中国のピークに当たり、中国にとっては、対人関係や結婚、つまり外交の分岐点を表し、目的の達成と同時に挫折に遭遇する。結婚はそれまでの人生の終わりであり、別の人生の始まりでもある。

その山羊座は本来、「時と運命」の星座で、骨や墓を意味する。人生を12星座に例えると、サソリ座は死、射手座は葬式、山羊座で墓に入れられる。水瓶座で昇天し、魚座で再び胎児として宿る。
人間として最後の場、人生の終わりを意味する山羊座は、世相としては一つの時代の終わりを表す。
その山羊座に、時代を表す冥王星が既に10年以上滞在し、ヤギ座本来の主=土星が帰っていたところに木星が来たのだから、ついに、壮大な大転換が起こる。
冥王星の銃に、土星の弾を込め、木星の引き金が引かれた。

中国にとってのピークが、世界の終わりを意味する山羊座であることは、中国史が常に世界に影響してきたことを意味する。今回もまた、世界が大きく動くことになりそうだ。
元々、カニ座は幼児期と晩年を表し、人類史の黎明期の価値観をそのまま保ち続けているのは中国だけと言っていいだろう。いまだに「大帝国」を目指そうとする。要は、それが通用する時代と、そうでない時代が、中国の横を行き過ぎるだけだ。
中国が、アメリカのような民主主義の連邦国家になったとしても、人民の中華思想は変わらないだろう。ただ、その場合、世界は中国の価値観を、容易に受け入れるようになり、世界が中華になるかも知れない。

ともあれ、一方で、こうした星の動きの影響は各方面に出ている。
山羊座→水瓶座は、天秤座のプーチン、ほぼ天秤の麻生、安倍を苦境から幸運に転じ、射手座の菅は、水瓶座の石破、獅子座の岸田によって、むしろ得をする。
水瓶座も獅子座も、相性の悪い牡牛座に天王星が居て、さらに、木星、土星が水瓶座にくる。こんな時は運の悪い方が当たり前で、運がいいようだと後でろくなことがない。
水瓶に土星が入った直後、空前の支持で圧勝した水瓶座の文大統領は、その後、人気が急落している。
大転換には直接関係ないが、2020年後半は、通常2か月で通過する火星が牡羊座に6月末から半年も滞在する。射手座の菅には好都合だが、牡羊座の人は病気怪我トラブルなどあまり良い時ではない。牡羊座の加山雄三が緊急入院した。牡羊座は頭なので首から上のトラブルが多い。真反対の天秤座も要注意だ。安倍・麻生はほぼ天秤座だ。

物の価値

2020年09月04日 | 日記・エッセイ・コラム
百均で、200円で買ったボーンチャイナのマグカップが気に入っていた。以前から、100円で買ったボーンチャイナのマグを使っていたが、200円のは400ccで、50cc大きい。また、100円のものより、取っ手が大きく、指3本がしっかり入って安定感がある。
初め、100円のボーンチャイナは信じられなかったが、使ってみると確かにボーンチャイナらしい。極めて薄いが簡単には割れない。ボーンチャイナと言っても、色々製法があるのだろう。

このカップで、コーヒーを一日5杯は飲むので、愛用していたのだが、先日ふとした弾みで落としてしまった。
これまでも何度か落としたが、割れなかった。やはり、ボーンチャイナだ!とますます愛着がわいたのだが、先日は、不運にも下に鉄鍋が置いてあり、カーンと縁と縁が当たった。
あわてて拾い上げると、元の形は保っているが、縁が少し欠けている。虫眼鏡で詳細に見ると、大きくひびが入っているが、それでも原形を保っている。なにか、不沈艦、大和の最後のように神々しく、少しウルッときた。

ヒビを確かめるため縁を引っ張ると、取っ手の横が三角片になって外れた。『やっぱり、ダメか』と思ったが、これがまだ百均にあるとは限らない。そのまま残して、その後、10件以上の百均を回ったが、もうどこにも無い。ネットで探しても無いし、数千円のボーンチャイナにも、これに類似するものは無い。
何がそんなに気に入っているのかと言えば、大きさと軽さ薄さ、円筒型の安定性、たいていのカップは底を絞ってあるので転びやすい。そして、何よりも、無地のシンプルさがいい。ネットで売られている高価なものは、必ず着色や絵柄がある。

百均の商品は、基本「間に合わせ」だから、耐久性など考えていない。百均も、常に目新しい商品を出して、「ちょっと買ってみよう」と、思わせる。何か気に入った物があって、しばらくして、同じ物を買いに行っても、無いことが多い。このボーンチャイナも商品リストから外れたのだろう。
こうなると、もう、修理するしかない。また百均に行った。

百均の瞬間接着剤がどの程度か不安ながら、三角片を元の位置に付けてみた。割れ目が分からないほどピッタリと納まったが、スジになった大きなヒビには流し込みようがなかった。縁のカケは何とかしなければ口を切るし、洗う時もあぶないので、これも百均で近頃流行の、レジンで固めた。乾くと、思った以上に、滑らかな仕上げになったので、水を注いでみた。やっぱり漏れる!
点検してみると、取っての裏側にやや大きめのヒビがあり、おそらくそこから染み出しているのだろう。もう一度、裏から接着剤を塗り、引き伸ばしてコーテイングし、紙やすりをかけた。今度は漏れない。
おそらく他のヒビの部分も水分は浸みるだろうが、使っているうちに、コーヒーが浸み込んで目をふさぐだろう。使い込むことができるオリジナルカップになったわけだ。
金継ぎのように豪奢ではないが、百均がまさに唯一無二に変身した。今ではコーヒーが浸み込んで茶色のスジ模様を描いている。この先、同じ製品をどこかで発見しても、この愛器は捨てられない。
200円+100円+100円=400円(カップ+接着剤+レジン)


P.S. なんのこっちゃ!
この記事を上げた直後、出かけた先で、百均を見かけたので、無いのは承知で、念のため入ってみると、
何と!ズラリと並んでいるではないか!おそらく、まとまって入荷したのだろう。取りあえず購入したが、この先、無かった店にも大量に出回るかも知れない。何とも複雑な気分だ。

川は怖い

2020年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃は、キャンプブームもあってか、川の水難事故が多い。川の恐ろしさを知らない人が増えたのは、核家族化で、地域や世代の伝承が途切れているからだろう。
川で誰かが死んでも、ニュースで知り、他人事だから、その真相を誰も語らない。
昔でも川で子供が死ぬことは多々あったが、そのたびに、地域の大人が、
「あそこは怖い、流れがきついし、岩場が滑る」などと語り合い、子供もそれを横で聞いて学習したり、大人から注意もされた。河童が引っ張り込むとか、地名が「馬の瀬(ウマノセ)」と崩れそうな名前や「壺」「淵」など、警戒を伝えた。

ところが、大人同士の世代間コミュニケーションも失われ、子供も地域共同体ではなく、幼稚園や学校で、地域も世代も分断された中で育つ。親も、伝承ではなく情報ソースで知ろうとする。つまり、知りたいことだけ知るから、生きていく上でのベースとなる一般知識が欠落する。日本では、これがすでに、2~3世代続いている。
30年ほど前に、キャンプ場の管理人が、「キャンプ客が夜中に、川のせせらぎがウルサイから何とかしろと言ってきた」と、あきれていた。
キャンプ場があること自体、年寄りからすれば別世界なのだが、キャンプブームも、上下水道付きの専用施設が前提になっている。

近頃は、ソロキャンプもブームのようだが、逆に、危険の認識度が心配だ。
今や大昔だが、子供の頃、ボーイスカウトでキャンプに行くと、水の確保と、穴を掘って便所を作ることが最優先だった。土地の所有者の確認も大事だが、夜間の見張りも交代で行った。もちろん、火の扱いと始末が、最も重要な訓練だった。キャンプ道具を自転車に積んで帰る途中、土砂降りに遭い、みな唇を紫色にして帰ったこともある。

先進国は何事も至れり尽くせりで、野外の厳しさや危険を知らず、楽しさを金で買えると思っている。問題が起これば、業者にクレームを付ければ良いのだ。
こんな時代に、いきなりキャンプだバーベキューだと、お気楽に出かけるから、河原の増水で流されたり、ちょっとした水遊びのつもりで、川の水難に遭う。
川遊びは海より何倍も怖い。しかも普通、ライフセイバーもいない。

地域共同体の伝承もなく、車でいきなり知らない土地に行って遊ぶ時代。
川遊びにはライセンスフラッグのようなものを出して、基礎知識のテストに合格した人に旗を出し、その旗を立てて遊ぶようなルールが必要だ。これは自治体単位でもできる。経費がないなら、入川料をとっても良いかも知れない。死者を出すより良いのだから。


曲がり角(3)

2020年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム
極まれば転ずる
何事も、発展が極まれば衰退に転じ、衰退が極まれば活路が開ける。
グローバル化が行き過ぎた結果、コロナをきっかけに、反グローバル化に向かい始める。
しかし、単純に世界が鎖国化に向かうのではない。情報化社会の前提の中で、人は大移動を止める。もちろん、コロナが収まれば、一見、元に戻ったように人は動くだろうが、大きな流れは進む。

輸送機関は物流を主体とし、人の長距離移動は副次的になる。観光は国内や近場を前提とし、海外の観光リゾートは滞在型になり、観光産業はオンライン体験などの情報発信が主体になる。
娯楽施設や宿泊施設は世界のトレンドがローカルに出現し、世界中に似たような物が出現する。それは、現在、東京の生活文化が全国共通になったようなものだ。
世界中に食材が出回り、たがいの料理を楽しむようになったが、それぞれにローカライズされている。寿司が世界的にブームになったのも、各地の好みに合わせて変化したことが大きい。新鮮な食材を食べ飽きている地方の人にとっては、江戸前の寿司より地元の方が美味しく感じる。

人類の選択
今年もサンマが不漁だという。イカも値上がりが激しい。
貝殻節もソーラン節も、今では何の歌かわからない。昔、鳥取の海にホタテ貝、北海道にニシンが押し寄せたなど、嘘のような話を石狩挽歌は語る。それでも北海道には名残のニシンは時々来るが、鳥取のホタテ貝は、今では影も形もない。わずか百年ほど昔の話だ。
やがて、佐藤春夫の「さんま苦いか塩っぱいか」も、百年もすれば、学者しか理解できなくなるだろう。
地球的変動に人類も、「あれから人はどこへ行ったやら・・・オンボロロ」だ。

コロナは大転換の引き金になったが、根本原因は気候変動だ。したがって、農水産業もすっかり変わり、住居も地下か海中でなければ暮らせない。その日が来るまでに、宇宙進出は間に合わないだろうから、現実的に、今から動かなければならない。地球上で暮らすことがすでに、宇宙生活の準備になるだろう。
魚は陸上養殖、野菜は地下栽培、肉は人工肉、住まいは地下、ファッションはバリア服(ほぼ宇宙服)、エネルギーは地域・個別発電、・・・と、遠からず、日本の風景は、がらりと変わる。地下から地上に出てみれば、南国の景色が広がり、そのままリゾートだ。
元々、弥生人が塗り替えた日本の景色だが、産業革命後の人類総がかりで、地球を塗り替えてしまうことになりそうだ。
産業革命は人類の価値観を変えたが、その結果も、さらに大きく人類を変える。
とにかく、「美しい日本」はもう守れない。守ろうとすれば病気になる!?
あらゆる変化に、柔軟な対応をする気構えを持ち、新天地にやってきた開拓者として、生きる時が来た。これは人類全体の問題だ。

こんな時代に、地政学的な侵略を試みる、愚かな中国共産党に理解させることも、大きな課題だ。理解さえすれば、動くのは早いのだが、理解しないとすれば、人類滅亡の引き金を引くのは実は、墓を暴かれた、始皇帝の怨霊なのかもしれない。