兵庫知事の問題は、ある種のイジメと感じたので、見たくもなく、詳しい経緯は知らない。森元総理や麻生元総理の時と同じで、空気を読まない個人を集団がはじき出す、免疫反応のようなものだろう。
少年期にイジメられた経験から、イジメを受ける側にも問題があると思っている。
これに気づくまでに成長期の大半を費やした。
すべての人間は不完全であり、それを知るのは覚めた人であり、知らなくても他者に逆らわないのは才長けた人だ。自らの不明に気づかないのは運の良い人だ。
誰でも出遭う障害に遭遇せず、無傷で過ごせる人を運が良いと言うが、様々な努力の末に成功した人を、努力も成功もしない人が「運の良い人だ」と決めつけて納得し、一方、本当に運良く過ごした人には、自分が努力した結果だと思っている人が多い。
たまたま、自分の能力と生き方が時代の表街道にマッチして、しかるべき結果を得た人は、その道を歩めない人々のことを理解できない。これを世間知らずという。
すべてとは言わないが、多くの優等生は偶々その社会の求めるものと自分の才能や環境がマッチした人であり、異なる原理、異なる次元の人の思考を想像することさえできない。
子供社会にイジメが多いのは、社会性の形成期に、未熟な子供が遭遇するからで、それまで恵まれた環境で育った場合が多い。イジメられた子の親を見ていると、やさしく物わかり良く、理路整然と語る人が多いが、残念ながら、世の中は不条理であり、社会性とは不条理との兼ね合いを知ることをいう。
兵庫県知事を見ていると、恵まれた人生を送ってきた人にありがちな世間知らずで、ただ問題を解くことしか知らない人のようだ。決して悪意はないのだが、不条理を知らないから不条理を我慢できない。
そうでなくても、役所のような組織は変化を嫌う。自分自身役人で、地方にも出向したようだが、中央官庁の威光をまとった立場と、地方公務員は視線が違う。知事となれば出向より立場が上のように見えるが、沼で花を咲かせる蓮は、根を下ろすドロとしっかり一体化しなければならない。ドロの中のレンコンがなければ花も咲かせないし、自分の理念も保てない。
政治家と言われる人にも地方の首長向きと、代議員向きがあり、首長は世間知らずでは務まらないが、逆に要領だけで務まる人もいる。斉藤氏の場合、国会議員なら務まっていただろう。国会議員は相当な欠陥人間でもまかり通っている。