♪帰ろかな~帰るのよそうかな~「かえろかな」昭和40年、北島三郎。
コロナ禍で「上を向いて歩こう」を歌う人がいたが、永六輔、中村八代の歌は、「かえろかな」とセットになったようだ。
♪帰れない~帰ればにらまれる~
盆正月にはふるさとに帰る。高度成長期から、「♪僕の恋人東京にイッチッチ」と、日本中の若者を東京に集めて、「恋人よ・・・ぼくは ぼくは帰れな」くなった青年は、それでも盆正月に家族のもとに帰ることで、アイデンティティを確認してきた。
盆正月の満員電車や大渋滞は、個人的な参勤交代として、江戸の名残を見せていた。
しかし、その世代が東京圏に根付き、地方との繋がりが薄れていくにしたがい、節季渋滞の中身は海外旅行などの慰安旅行に変わっていった。
コロナは終に、この風景に終止符をうつ。ガラガラの交通機関は、今回だけの特殊事情ではない。コロナ後は、これをきっかけに、半世紀をかけて、日本の風景が生まれ変わるだろう。学業と仕事のあり方が変わり、東京一極集中が無くなるから、半世紀以上続いた、盆正月の帰省ラッシュも消える。初詣も昔のように、近所の神社が見直されるだろう。
既に、リモートワークの経験が、個人や企業の東京脱出を加速しているし、地元に帰りたい人は、地元で働くことを模索し始めている。
正月は「海の日」と同じ
この季節になると、正月のことを書くことが多くなるが、今年はその価値がありそうだ。
多くの人は、正月を一年の初めと信じているが、これは全く人為的な決めごとで、夏に「海の日」を定めたように、社会や政治の都合で定めた約束事に過ぎない。
自然に基づいて一年の初めを定めるなら、冬至か春分、あるいはその中間点の立春が妥当だろうが、様々な事情や都合で、今の一月一日が定まった。
だから、新春にこころを新たにするのは、約束事にしたがって自分が変わると信じる、一つの宗教だ。
正月に親の顔を見に帰ったり、神社に参ったりするのは、それ自体が宗教行事であり、年の初めとは何の関係もない。自然の流れにしたがって、こころ新たにするなら、春分、秋分の墓参りの方が、よほど敬虔な行為だ。
近年、宗教としての正月はかなり影が薄くなっていたが、とうとうコロナで終わりの鐘が鳴った。
今年は、新しい習慣の試金石で、正月に帰省しなくても、初詣に行かなくても、どうってこともないと経験する年になる。もちろん、コロナが収まれば、倍返しする人は増えるだろうが、今年の経験が、後年にもたらす影響は小さくない。
お寺や神社に参るのは、そうしたいと思った時にするもので、西暦の初詣はまた別の宗教だ。強いて本当の初詣をするとすれば、冬至か立春だろう。
親の顔を見たいと思うなら、始めから、ふるさとを出ないのがいい。これからはそれが可能になる。
コロナ禍で「上を向いて歩こう」を歌う人がいたが、永六輔、中村八代の歌は、「かえろかな」とセットになったようだ。
♪帰れない~帰ればにらまれる~
盆正月にはふるさとに帰る。高度成長期から、「♪僕の恋人東京にイッチッチ」と、日本中の若者を東京に集めて、「恋人よ・・・ぼくは ぼくは帰れな」くなった青年は、それでも盆正月に家族のもとに帰ることで、アイデンティティを確認してきた。
盆正月の満員電車や大渋滞は、個人的な参勤交代として、江戸の名残を見せていた。
しかし、その世代が東京圏に根付き、地方との繋がりが薄れていくにしたがい、節季渋滞の中身は海外旅行などの慰安旅行に変わっていった。
コロナは終に、この風景に終止符をうつ。ガラガラの交通機関は、今回だけの特殊事情ではない。コロナ後は、これをきっかけに、半世紀をかけて、日本の風景が生まれ変わるだろう。学業と仕事のあり方が変わり、東京一極集中が無くなるから、半世紀以上続いた、盆正月の帰省ラッシュも消える。初詣も昔のように、近所の神社が見直されるだろう。
既に、リモートワークの経験が、個人や企業の東京脱出を加速しているし、地元に帰りたい人は、地元で働くことを模索し始めている。
正月は「海の日」と同じ
この季節になると、正月のことを書くことが多くなるが、今年はその価値がありそうだ。
多くの人は、正月を一年の初めと信じているが、これは全く人為的な決めごとで、夏に「海の日」を定めたように、社会や政治の都合で定めた約束事に過ぎない。
自然に基づいて一年の初めを定めるなら、冬至か春分、あるいはその中間点の立春が妥当だろうが、様々な事情や都合で、今の一月一日が定まった。
だから、新春にこころを新たにするのは、約束事にしたがって自分が変わると信じる、一つの宗教だ。
正月に親の顔を見に帰ったり、神社に参ったりするのは、それ自体が宗教行事であり、年の初めとは何の関係もない。自然の流れにしたがって、こころ新たにするなら、春分、秋分の墓参りの方が、よほど敬虔な行為だ。
近年、宗教としての正月はかなり影が薄くなっていたが、とうとうコロナで終わりの鐘が鳴った。
今年は、新しい習慣の試金石で、正月に帰省しなくても、初詣に行かなくても、どうってこともないと経験する年になる。もちろん、コロナが収まれば、倍返しする人は増えるだろうが、今年の経験が、後年にもたらす影響は小さくない。
お寺や神社に参るのは、そうしたいと思った時にするもので、西暦の初詣はまた別の宗教だ。強いて本当の初詣をするとすれば、冬至か立春だろう。
親の顔を見たいと思うなら、始めから、ふるさとを出ないのがいい。これからはそれが可能になる。