魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

立前勝負

2015年09月30日 | 日記・エッセイ・コラム

またも中国の話題だ。中国に言わせると、それだけ中国が世界に無視されない存在になったからだ、と喜ぶのだろう。

中国で日本人がスパイ容疑で拘束されているそうだ。
日本人のスパイ!?  しかも、別件で複数の・・・
ホントだとしたら、よっぽど間抜けなスパイと、よっぽど間抜けな日本政府だ。

人間は自分の尺度でしか思考できないから、自分がすることを人がすると考える。
インドネシア高速鉄道に、日本の後発で割り込んできた中国は、まんまと日本を出し抜いた。
明るみに出たカラクリは、日本が、金と時間をかけて調査したデータを、中国に「通じた」インドネシア政府幹部がそっくり中国に流し、そのデータを使って、全く同じ計画を、「タタで、提供しましょう」と持ちかけたのだそうだ。

中国のハニートラップに掛かった話しは、枚挙に暇がない。歴史的にそういう兵法の国であり、引っかかる奴の方が愚かなのだ。
流儀は違うが、英国、ドイツ、ソ連、米国・・・大国や大国を目指す国は、情報戦を最重要戦に位置づけている。日本の外交下手は、同時に情報戦下手でもある。

ただ、あえて日本の長所を考えるなら、何も隠さないで、白日の下、見え見えの状態で勝つ才能には長けている。
世界の原理は、麻雀やポーカーの世界だから、裏から見る情報で圧倒的に有利になる。
しかし、日本は、将棋や囲碁の世界だから、見えているなら正々堂々と能力で勝つ可能性が高い。だから、「良い物さえ造ればきっと解ってもらえる」と、ひたすら技を磨く。

たしかに、公正なルールのもとで相手も手の内を見せているなら、その通りだが、日本人が、根本的に解っていないのは、金が懸かった真剣勝負には、誰もルールを守ることなど考えていないということだ。
スポーツでも、審判を買収するのを当然と考える国や、勝てなくなったらルールを変える国、ドーピングのテクニックを磨く国、コーチや監督を引き抜く国・・・
勝負事をすると、その人の性格が良く解るが、スポーツに関わる各国の態度を見ていると、日本ほど、お人好しの国は、滅多に無い。

しかし、だからといって、日本は今更、汚い手を磨こうなどと考えない方が良い。
とても、太刀打ちできるような面々ではない。
むしろ、常に正面切って、あえて見える場だけで勝負をするように心がけた方が良い。
各国にはそれぞれ泣き所がある。中国の面子、アメリカの正義、ロシアの人情、フランスのプライド、イギリスの名誉、ドイツの勇気・・・のような、それを言われると弱い、泣き所を利用して、衆目の面前で交渉すれば、活路を得ることができるかもしれない。

 


商人職人

2015年09月29日 | 日記・エッセイ・コラム

インドネシアの高速鉄道は中国の手に落ちた。しかし、日本の敗北を告げたのは、日本のメディアだけだった。中国のメディアは日本の報道を通して報道している。
これは中国政府のスタイルだ。

日本を出し抜くために、全額提供という非常手段を用いたことにより、内外からの様々な反応が予想される。先ずは、「相手の手の内」を確認してから行動を起こすため、沈黙しているのだろう。この場合の相手とは、国民や日本政府など、関わる全てだ。

中国の現実主義は、現象に対して一切の予断を持たず、忠実に捉える。
ああではないか、こうではないかの、予想や思い込みがあったとしても、現実が出たら直ちに予断を捨てて、現実を最高の形で利用しようとする。
漁船の体当たり事件の後、日本では中国の策謀と考えられているが、中国にとっては、瓢箪から駒で、しかも、極めて有り難い駒であると気がついた。それだけのことだ。

日本人と中国人は似て非なるものだ。欧米人に比べれば区別が付かないが、中国人は合理性に於いて欧米人に似ており、日本人は情緒に於いて欧米人に似ている。
外見が似ているからと言って、同じだと思えば、どこまで行っても誤解が解けないし、違うことに気づけば寛容になれる。もっとも、現在、この理解がより必要なのは、中国人の方だろうが、ほぼ同程度に、日本人も中国人を理解する必要がありそうだ。

今回、中国政府が、インドネシア高速鉄道の件に沈黙しているのは、「マズイかも知れない」と、認識しているからで、もし中国が日本の立場なら、徹底的に問題を叩き始めるだろうが、日本が沈黙し、中国国民が歓喜すれば、おもむろに、インドネシアに請われた既成事実として、実績宣伝に利用するのだろう。
が、それはあくまで中国のやり方で、日本は日本らしく、黙々と努力をしていくしかないだろう。技術で勝って商売に負けると言われる、その商売の総本家が相手なのだから。


色に出る

2015年09月28日 | 占いばなし

占い的物の見方は、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」、一を聞いて十を知る観天望気だ。
些細な兆候に気配を察して、迫る嵐を察知する。
そこには、裏付けとなる詳細なデータや、合理的な説明は要らない。というより、むしろ、そうした目に見えるものに惑わされないために、あえて、確かなものを拒否する。
と、言っても、独善的な思い込みに頼るのでもない。可能な限り、素直にものを見るということだ。

子供の目になれば、王様は裸にしか見えない。
これまでも何度か書いたが、例えば、企業の実体は、電話の対応一つで、何かを察知できる。評判の店でも、一口で、「あれっ!」と思うことがある。
そういう体験の何年か後には、そんな会社やお店で大変なことが起こる。
評判や、外観で判断していると、実際にそんな体験をしていても、何も気づかない。

今回のVWに至っては、世界の驚きように、むしろ驚く。
スズキとの提携がらみの経緯は、詳しいことは知らなかったが、あの鈴木社長が憤慨していた様子や、VW側の対応を観ていると、歴史あるVWの現在の実体に対して、「へえー」と、思った。『案外、とんでもない考え方をしているな』と、驚いた。
先日は、裁判でようやく解消できることになった鈴木社長が、本当に素直に、「せいせいした」とまで言っていた。

その矢先の今回の事件だ。
メカとか、経営実績とか評判とかは知らないが、今回の事件で、出るものが出たと言ったところだ。スズキのあれだけの事件が起こっているのに、誰もVWを疑っていなかったことに、本当に驚いた。


今宵晴天

2015年09月27日 | 星の流れに

27日は中秋の名月(28日満月)。スーパームーンで、Googleのタイトルもウサギの月見になっている。
天気も良いそうだから、月見で一杯の人もいるだろう。おはぎのシーズンでもある。

この頃は好天に恵まれることが多く、過去にも中秋の名月に書いている。
満月でもあるから、事件事故も多く、2007年の「名月」では、その件も書いているが、この時は、ちょうど今と逆で、土星が乙女座で木星が射手座だった。

変容宮は同じように混乱期となるが、現在との微妙な違いを比較してみると面白い。
射手座の例として、木星の時には「勇み足」事件だが、土星の今は、オリンピック関連の「怠慢」が事件になっている。なお別に、ペルーの話題もあった。
名月」、「淡海の月


弱小強国

2015年09月25日 | 日記・エッセイ・コラム

インドネシアの高速鉄道を巡って、中国と日本の綱引きになり、インドネシア政府は、取りあえず白紙にし、日本ができないことを承知で、日本に、中国と同等の『大盤振る舞い』を迫った。

つまり、インドネシアはタダで鉄道を走らせるわけだが、タダほど高いものはない。
中国が全額負担してインドネシアで鉄道を走らせるということは、インドネシアは身売りをするということだが、一体、どういう感覚なのだろう。
また逆に、中国は、安い買い物をしたとほくそ笑んでいるだろうが、金でする戦争という意味では、日本の太平洋戦争と同じ結果が見えるような気がする。

タダで鉄道を手に入れるインドネシアは、か弱さを売り物に、結婚して子供を作って慰謝料を取って子供を連れて別れる、したたかな生命力を持っている。
「俺に任せとけ」と、得意になるバカは、やがて、スッカラカンの笑い者になる。

国を動かすのは人だから、人も国も同じようなことをする。肩肘張って、一等国や大国になろうとするより、か弱い、弱小被害者国になる方が、しぶとく生き残れるのかも知れない。


問題解決

2015年09月24日 | 星の流れに

VWのディーゼルエンジンに排ガス不正が見つかったことで、株も暴落するほどの事態になっている。これも、難民問題と同じ、射手座の土星だ。
どちらもドイツが脚光を浴びているが、これは天王星の牡羊座疲れ、「極まれば転ずる」現象がからんでいる。天王星が入って以来、ドイツ・英国を筆頭にEUが、何かにつけ目立ってきたが、善玉として目立っていたドイツのほころびでもある。

ただ、射手座の土星は、牡羊座の天王星には安定作用をもたらすので、長期的に見れば、良い調節だ。

率直な感想として、ディーゼル問題は、「やっぱり!」だ。
化石燃料そのものが問題になっているのに、欧州で主流だからと言って、何かディーゼルエンジンが、ハイブリッドや燃料電池車の対抗馬かのような世論づくりがあった。
どう考えても釈然としない気持ちで観ていたが、ようやくスッキリした。

何事もそうだが、ある方法が限界を迎え、他の方法が出てくると、既存勢力は何とか身を守るために、色々と複雑な方法を編み出して、新方式に対抗しようとする。
しかし、新しい方式が出てくるにはそれだけの必然がある。ディーゼルエンジンで言えば、化石燃料枯渇や弊害の大波で、根底的な存在理由が限界を迎えているのだ。
複雑な仕組みが出てくること自体が、それを表している。

シンプル・イズ・ベスト。必要から生まれた初期状態には、本当に必要なものが詰まっている。料理は素材を食べるためのものであり、マンガは物語を視覚的に理解するためであり、アニメはそれを時間で捉えるためにある。ある程度までは発展に意味があるが、存在意義が失われると、守りに入り、消滅への道を歩み始める。
料理は飽食へ、マンガやアニメは語らなくても良いものまで語り始める。

今起こっている射手座の土星問題は、天王星牡羊座で、むしろ良い結果をもたらすから、これで、自動車の動力、ひいては、交通輸送環境そのものに、発想の転換や、新方式の発展をもたらすことになるだろう。期待したい。


70年後

2015年09月23日 | 星の流れに

今年は戦後70年で賑わっている。世相の繰り返しは、天王星の84年だが、70年はその繰り返しの黎明、胎動でもある。
70年という歳月がどんなものか、歴史を振り返ると解るかも知れない。

明治維新後の70年と言えば、1868+70は1938年。ドイツがオーストリアを併合した年で、1938年の前後、1937には日中戦争、1939年には第二次大戦が始まっている。
明治維新からの上昇が頭を打った後、日中戦争、太平洋戦争へと一気に滑り落ち始める年だ。そして14年後、戦後1952年の新生日本の再出発に続く。

大きく遡って、645年大化改新からの70年は715年、元明天皇が元正天皇に譲位した年で、この14年後に長屋王の変で、天智天武系の政治が終わり、藤原氏が勃興する。

1192年の鎌倉幕府は三代実朝の1219年で滅んだが、鎌倉幕府は北条氏の執権政治が実体だから、1203年北条時政が執権職に就いた時を基点にすれば、それから70年後は1273年で、翌1274年には元寇(文永の役)。14年後の1287年には大きな事件はないが、鎌倉幕府の専制と弱体、御家人の離反が始まっている。(足利の萌芽)

1560年は桶狭間の合戦で、その後の、信長、秀吉、家康の天下統一が始まった年と言えるが、70年後の1630年は家光の時代で、各種の鎖国政策が始まり、14年後の1644年にオランダ風説書で、内外に向けた徳川体制が始まった。(1642年に参勤交代)

日本だけでなく、世界の歴史を遡れば、やはり、84年周期が存在し、70年というのは、それまでのパラダイムが、いよいよ崩れ始める時のようだ。

明治維新から84年、サンフランシスコ条約で、新しいパラダイムが始まった。
維新70年後の1938年頃は日中戦争だが、1952年からの70年後は、2022年頃になる。これを明治パラダイムに換算すると、今2015年は1938-7=1931年、昭和6年頃になり、柳条湖事件(満州事変)が起こった。
今、日中の主客は逆転しているが、サイクルとしての動きは、ほぼ忠実に履行している。

1931年、昭和6年頃からの残された21年。2036年頃までに、日本と世界はどの様な道をたどっていくのか、予想しても空しい。
昭和6年から昭和27年。大変な時代であったことは確かであり、全くおなじことが起こるわけではないが、大変なことが起こる。少なくとも、軍事衝突のようなことだけは避けなければならない。冷戦は終わったが、核戦争は終わっていない。

何時も言うことだが、経済制裁は戦争行為だ。そして、軍事力は経済力そのものだ。本当に戦争を避けるためには、経済戦争に勝たなければならないし、経済戦争に勝つためには、情報で勝たなければならない。収集、操作、攪乱・・・情報戦争こそが最前線だ。


撲滅運動

2015年09月22日 | 日記・エッセイ・コラム

21日、たまたま映ったナイナイの番組は、外国の僻地にタレントが放り出されるという企画のようだった。その企画の趣旨もあるのだろう、ボリビアを訪問したお笑いタレントの、現地をバカにする言動は、怒りと恥ずかしさで、到底視聴を続けられるレベルではなかったが、番組の趣旨を確認するため、終いまで観た。

タレントの言動が番組の趣旨であることは解ったが、そうであるならば、こんな番組の企画自体が低俗で、それをまた、喜んで観ている日本人のレベルに愕然とした。

数十年前に出会った多くのアメリカ人の言動と、ほぼ同じで、文明レベルをバカにすることで優越感に浸るのは、自らの人格に自信を持てないからだ。
「てやんでい、江戸っ子でい」と、都会自慢をするのは、それ以外に自慢するものが無いからで、生い立ちや環境を自慢する人は、「わたしには何もありません」と、恥をさらしていることになる。

同じ事は、家系や、持ち物、住まい、身なりにこだわる人にも言える。人格に自信が無いから、他のものをひけらかす。しかも、そこで、自分の優位性を誇示し、相手を蹴り落し、見下そうとするのは、自分の立場が下ではないかと不安だからだ。こういう感情をコンプレックスという。

昔のアメリカ人が、アジアや中東をバカにしていたのは、歴史に対するコンプレックスが有ったのだろうと思う。アメリカは、食い詰め者の集まりであるという、歴史的不安が、戦後ナンバーワンになったことで、一気に弾けたのだろう。
もっとひどかったのは、戦前の日本で、アジアの一等国意識が蔓延し、戦時中は、
「♪わたしのラバさん酋長の娘、色は黒いが南洋じゃ美人」などという歌が、大いに喜ばれた。
これは、「ラバ(lover)さん」なのだから、和合の精神のつもりなのだろうが、蔑視を前提に歌われている。

僻地に行ったタレントの言動は、和合の気持ちが無いだけ、もっと悪かった。
戦後70年。日本は平和と叡智の道を邁進してきたと思いたいが、精神は、むしろ、劣化してきたのではなかろうか。

無知の病気
中国人は「シナ海」という名前だから、当然、中国の物だと信じている。だから、同じ発想で、韓国は、日本海の名前を何としても消そうと躍起になっている。
こんな理屈で言えば、インド洋にあるスリランカもモルディブも全てインドのものだ。

中国の幹部が、本気でこんなことを信じているとは思えないが、無知な自国民を説得するには充分な論拠になるのだろう。
ここまでの無知と比べれば、日本人の知見は神のごとく高い。しかし、その日本人も、未だにあの番組のような文明差別を喜ぶ。

アメリカでは戦後、文化人類学が盛んになり、ベトナム戦争を経て、互いの文化を相対的に尊重する意識が高まって、スタートレックの、メインテーマにまでなっていた。
しかし、草の根には、今回のトランプ候補の、本音トークが支持される現実がある。

全ての差別や争いは、「無知」によるものだ。結核や天然痘のように、ある種の病気と言ってもいいだろう。悪意はなくても、無知は人間を狂気にする。
伝染病撲滅運動と同じように、人類には、「無知」撲滅運動が必要だ。
これからの学校には、道徳教育より、文化人類学的アプローチの方が、よほど役に立ちそうだ。


単刀直入

2015年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

オバマ大統領は、ニューヨークの定宿が中国資本に買収されたので、中国によるサイバー攻撃問題を理由に、宿泊先を変更したそうだ。
そして、その変更先が、これまた韓国のロッテに買収されたばかりのホテルだと言うから、「なんのこっちゃ」と、思わず笑ってしまった。

アメリカで、中国のサイバー攻撃が、相当、問題になっていることが良く解る出来事だが、よりによって、中国傾斜を強める韓国企業が買収したばかりのホテルとは、これも相当、あれこれ考えられる「裏」がありそうだ。

オバマ大統領の韓国びいきは、本気か方便かは知らないが、よく知られている。
今回もそうした背景があったのかも知れないが、何よりも、ロッテ側の営業攻勢の勝利だろう。
日韓で商売が行き詰まっているロッテとしては、新天地を求めて、最も効果的な、と彼らが考えるニューヨークで勝負を賭け、アメリカの事情の足下を見て、中国の危険を理由に、オバマを引き込んだ。

始めから、オバマに当たりを付けていたのか、ライバルの中国企業の動きを利用したのか、米国の状況を利用したのか、一概に言えないだろうが、買収と同時に、絶大な宣伝効果を得た。

中韓ともに、商売上手なお国柄だが、韓国流の商売は、政治も含めて、宿り木商法だ。
既に大きく生長している大木に取り付き、その栄養を吸い取って、宿主より、大きく育つ。宿主としては、何で、わざわざ同じところに来るんだと、理解できないが、同じところでなければ、栄養を吸収できないからだ。

今回のロッテの買収は、中国の動きが先にあったと考えれば、極めて解りやすい定石だ。既に、成長した韓国全体が、日本はもう要らないと言ってきた。そのことで、今度は宿主を中国に移しているのだが、中国がアメリカに進出するのを見習って仕掛け、中国を出し抜いた。

中国経営の回避が理由なら、オバマ大統領が泊まる宿は、ニューヨークには幾らでもあったはずだ。それが、ピンポイントで、買収の湯気が出ているばかりの韓国経営に泊まる。
実に解りやすい!


実は幸せ

2015年09月20日 | 日記・エッセイ・コラム

寝起きに10回、屈伸運動をするのだが、おかしなことに、前半の5回ぐらいまでと、後半の5回とは、時間が違う。5回までは一生懸命やっている気がするのに、後半は、アレッと思う間に終わってしまう。

良く解らないが、これが「年を取ると時間が早い」秘密なのではなかろうか。
年を取るほど、歳月が早く感じられる理由は、さまざまに言われている。
それまでの、人生の時間に対する1年の比率が小さくなるから。
無感動になって、時間を大切にしないから。
などなど、誰でもが感じることだから、さまざまな解釈がある。

しかし、わずか10回の屈伸の中でも、同じように、始めは長く、後は短く感じられる。
しかも、この理由にも、それぞれの解釈は、大体同じように当てはまる。
最初は、『さあ始めるぞ』と、覚悟も調整も必要で、意識が強く働くが、後になるほど慣れてきて、苦にならなくなる。つまり、無感動になる。
また、6回、7回となってくると、残りの回数が見えてきて、『何だもう終わりか』と、これも、苦がなくなる。これは、それまでの回数との比較でそう思う、比率説だ。

人生も、わずか10回の屈伸の間ほど、集中して意識しているわけではないが、年を取ると、老い先短い予感があり、「えっ、もうこれだけしか残っていない」と焦る思いがあるのだろう。
屈伸のように、楽しくないことをしている時には、「あとわずか」は、励ましになるが、人生が「もう、これだけしかない」と、思うなら、実は、幸せな人生を送っている証なのではなかろうか。


逃避難民

2015年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

60年安保を見て育ち、70年安保を過ごした者としては、晩年に見る今の状況に、何の感慨もない。
一つ一つの問題に、様々な思いはあるが、歴史や運命の観点で見れば、何の驚きも起こらない。人間は、しょせん、こんなものだ。

宇宙の生々流転は、人類の歴史にも、一点の狂いなく映される。
無秩序に見えるものが秩序であり、秩序に見えるものが、無秩序の片鱗に過ぎない。
人間個々が思う、有るべき姿が錯覚であったり、有ってはならないと思うものが真理に基づくものであったりする。

平和への道は真反対から向かっていても、歩む人は、自分の道しかないと信じている。
確かに、山の反対から登れば、いずれも頂上に到達できるような気もする。
平和のために武器を持たない。平和のために武器を持つ。どちらの言い分も、それぞれ論理的に語ることができるだろう。紙の表と裏に別々の絵を描けば双方とも立派に仕上がる。しかし、そのことが、両方の絵が、絵に過ぎないことを示している。
実体は、どちらの絵でもない。実体は絵に描けるほど単純なものではない。

森羅万象の摂理は、割り切れないところにある。細胞の共生や微生物との共存、世界に遍在する多様なDNAなど、いかなる過程でそうなったのか。和合よりも苦難混乱の方が多かっただろう。今日の地球の姿、生命の姿は、その歴史の結果だ。
食う者、食われる者がいて、生命が続いてきた。食われる者だけを見れば悲劇であり、全体を見ればそれは摂理だ。食われ続けるうちに、共生者になって生き延び、しかも主体となる。

今も争い合う民族や国家など、その成り立ちを見れば、いずれも綾なす糸であり、何を持って出自の誇りにしているのか、理解に苦しむばかりだ。
あれだけ頑固なユダヤ人は、見た目は黒人も白人もいる。また、民族を煽り立て、差別云々と声高に叫ぶ集団ほど、成り立ちがおぼつかない。目に見える絵に仕上げなければ不安になるからだ。

今もシリアの難民が500万も移動している。歴史の中では、身体一つで逃げ込む難民や、武器を持ってなだれ込む難民が、繰り返し地球上を覆ってきた。侵略の歴史は逃走の歴史でもある。純粋な侵略に見える新大陸も、たぐれば、欧州の食い詰めが見える。
日本人はどこから来たのか、その答えも同じ脈絡にある。天から降りてきたのではないことだけは、確かだ。

ものごとは、押さえつければ、漏れ出すか、爆発をする。
安倍ちゃんの、お手盛り誕生プレゼントとなった安保法案だが、この事態を招いたのは、中韓の日本叩きと、横暴な振る舞いであることを、中韓人民は微塵も感じていないだろう。
彼らは常に言う。「足を踏みつけている者には、踏まれている者の痛みは解らない」と。

 


いよいよ

2015年09月16日 | 星の流れに

18日から、土星が完全に射手座に帰ってくる。と言っても、8月からほぼ射手座のサソリ座で巡行しているから、世相は射手座の土星で一色だ。
アメリカでキャスターが射殺されたかと思えば、日本では女子アナが不倫写真をフライデーされ大騒ぎ。
難民問題も射手座と魚座の変容宮問題だが、実は、労働力という側面もあり、乙女座が絡んでいる。

オリンピック問題も射手座ど真ん中。司法試験漏洩、男阿部定と、法律問題が続いているが、安保法案が主役だろう。

それこそ枚挙にいとまが無い変容宮問題だが、9月もいよいよ後半、土星射手座、火星乙女座とたたみかけてくるから、この連休を挟んで、世相は一挙に動き出す。

そもそも、惑星の動きに、最も敏感に反応するのは変容宮だ。既に動きは出ているが、こういう時こそ、変容宮の人は目を閉じて深呼吸。

色即是空、空即是色

五感をシャットダウンすれば、実は、何も変わったことは起こっていないと気づく。


ヤドカリ

2015年09月15日 | 日記・エッセイ・コラム

鬼怒川決壊は、想像を上回る被害だ。これまで、風水害と言えば西日本が多く、自治体も住民も慣れていなかったようだ。
温暖化による異常気象で、経験則は全く通用しなくなった。また、土木建設の基準も通用しなくなったと考えるべきだろう。

建築にせよ土木にせよ、あるいはまた、各種の予知予報にせよ、科学的経験値に基づいている。現場で施行する人は、その指標に基づいて、規定通りの物を造る。
住民は、公機関を信じ、指示通りに行動する。
しかし、もはや、こうした科学神話が通用しなくなっている。「安全の器」に隠れていても、それを打ち破って災害が押し寄せてくる。

われわれはヤドカリだ。裸では軟弱だが、社会の殻をかぶって、強くなったような気になって暮らしている。何か事が起これば、すぐ殻を頼って閉じこもろうとする。
そのくせ、殻に守られていることを忘れて、自分を過信し、巨大な敵が来ても逃げようとしない。

地球環境の変化によって、これまでの殻では生きられなくなった。もう次の殻を探さなければならない。次の殻に移るには自分の身の丈を再確認しなければならないし、しばらくは、今までの殻を捨てて裸で行動しなければならない。
何が起こっても、逃げ込むところは無い。先ずは逃げること、日頃からあらゆる敵に備えて、逃げ方を考えておき、気配を感じたら、先ず逃げる。

北前船には船ダンスという物があったそうだ。船が沈んでも水が入らず浮かんでいる。船は必ず沈むものと考えるからこそ生まれた貴重品入れだ。
どんな邸宅に暮らしていても、地震、火事、風水害は必ずあると考えておくべきだ。
これさえ持ち出せば、明日から暮らしていける、自分の歴史を失わない。そういう貴重品を、抱えて逃げられる大きさに、まとめておいた方が良いだろう。

こういう荷物をまとめておけば、別のメリットも生まれる。どうせ裸一貫、何があっても怖くなくなり、東京一郎とはるみのような転勤生活も進んでできるし、第一、何時死んでも後腐れが無い。人生99回?の引越をしたと言われる葛飾北斎の所帯道具は、風呂敷包み一つだったそうだが、当時としては大変な長寿だ。お気楽人生こそ長寿の秘訣なのかも知れない。

しかし、とは言うものの、いまだに死に支度もできていない。あまりにもガラクタに囲まれていると、一体どれが本当に必要なものか、それ自体が分からなくなり、どうせ何も要らないから、今更まとめない・・・結局は、そういうことになる。


怒ったぞ

2015年09月14日 | 星の流れに

アメリカは相当イラ立っている。習近平の訪米前に、オバマ大統領はサイバー攻撃に対する経済制裁を示唆した。
おそらく、アメリカ国内のムードが相当、険悪なのだろう。角を立てることを嫌うオバマも、そう言わざるを得なかったと言うことだ。

双子座には第七室の対人の射手座に土星がいる。南シナ海埋め立てには、さほど怒った様子が無かったアメリカ人も、直接被害を被るサイバー攻撃には敏感になっている。
射手座の通信に、土星の悪意がやって来たというわけで、利害に敏感なアメリカ人を直接刺激した。

このところ、オバマの事なかれ主義の足下を見た中国は、やりたい放題だったが、サイバー攻撃は、完全に虎の尾だ。問題は、自国民を好きなようにサイバーコントロールしている中国政府が、事の重大さに気づいているかだ。

覚悟の無い大統領オバマだけに、いい加減な対応で、かえってアメリカ国民を刺激し、目覚めさせることもあり得る。仮に、このまま事なかれで任期を終えれば、日本の民主党政権が安倍政権を盤石にしたように、後には、きつい反動が起こるかも知れない。

オバマ魂」「火の見櫓」「情報の国


色に出る

2015年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

東京2020のエンブレムのバランスの悪さは、「人相」と同じだ。40歳過ぎたら自分の顔に責任を持てと言う。人相には、そこに至る背景が現れるからだ。
観相で重要なことは、鼻や皺などのディテールではない。全体の持つ輝きと言われている。つまり、色、艶、形のバランスだ。
あのエンブレムの「感じの悪さ」は、まさに、そこに至る経緯が表れていた。

生き方は顔に表れるが、ファッションセンスはその人の脳内が表れたものだ。
どんな美男美女であろうと、自分で選ぶファッションには、生い立ちが表れる。

例えば、いわゆる、お嬢様お坊ちゃま学校の生徒のファッションには、両極端が現れる。超最先端のファッションと、ジジババのファッションだ。良家の子女は親の生き方に従うから、保守的で質にこだわり、どう見ても年寄り臭い。一方、その名声に憧れて入ったミーハーは、ファッションにおいてもトップリーダーに憧れる。その結果、その学校はますますファッショナブルなイメージになる。

日本中、観光客だらけだが、各国のファッションにもその国ならではの好みがあり、ファッションを観察すれば、何人か大体分かる。
金色を不自然に使うのは中国系で、黒革イメージや原色カラーは韓国系。
日本人の場合、金を使っても、他の素材と混紡したりして馴染ませ目立たない。
(チャイナイズ)

日本の洋服ファッションでも、テレビで単一化される以前は、大阪と言えばワニ皮、東京は渋好み。京都は歌舞伎カラーが好まれ欧州と色合いが似ていた。欧米人でも、ファッションや好みの色や柄を観れば、大体どの辺りか想像が付く。
持論として、日本の東西の対比は、大陸と日本の関係に匹敵すると考えている。
大陸は派手なコントラストを好む九州・大阪風。日本は地味な中間色を好む東京風。

個人の場合も、自分のセンスにこだわる人と、ブランドや流行など追随型に別れる。
流行は、ブランドや流行を無視するファッションリーダーがいて、それをマネするファッショナブルな集団が普及させ、社会的流行となる。

ファッションリーダーはいわば芸術家で、ファッショナブル集団はデザイナーのようなものだ。芸術の価値は一般人には解らない。解ったら芸術ではない。概念を破るのが芸術であり、ファッションリーダーも、通常、キテレツな格好の人と思われる。

ファッション、身だしなみは、その人の生い立ちや性格を表すから、人相手相より、良くその人の本質を表している。同時に、それを見る人の目も試される。
完璧なファッションの人は完璧と思うのは、大きな葛籠を欲しがる舌切り雀のばあさんだ。
ファッションには思想や魂胆が表れる。なぜ就活学生はリクルートファッションなのか、信長や良寛はなぜ汚い格好をしていたのか。よくよく考えてみる必要がある。