魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

憧れの的 2

2021年10月30日 | 兄弟関係

前人未踏と出藍之誉
スターに憧れ、熱狂したり、あれこれ気をもむのがファンだ。
こうした人は、社会性の強い人で、自分より他人に関心があり、他人との関わりの中で自分を確認する。多くの場合、生まれた時から横に同等の他人である、兄姉を見て育つ弟妹にこの傾向がある。
有名人や偉い人の前で緊張したり、オーラを感じたりするのは、たいてい弟妹で、長子は、有名人であることは理解しても、ほとんど無感動で、緊張するとすれば別の理由だ。

長子は自分の道を探りながら生きるので、手本になる誰かに憧れたり、そっくり真似たりしない。長子が最も苦手とするのは、手本通りに仕上げることで、何とか自分なりの方式を見いだして、その方法でやろうとする。その様子は、ノロマだったり、素直でなかったり、めんどくさい奴になったりする。いわゆる長男の甚六だ。
したがって、長子はスターに熱狂することもなければ、誰かの非難や攻撃に目の色を変えることもない。一人っ子の場合、特に顕著になる。
一方で、弟妹のように真逆にでも転ずる変わり身の早さに付いて行けず、煮え切らない、勝手、空気読めない、昼行灯、卑怯、腹黒いのそしりを受けることも少なくない。

不規則な動きをする長子に比べ、結果を出すことに集中する弟妹は、手本や成功例に着目し、先ずマネる。兄姉に、とにかく早く追いつこう、同じようにやろうとする。しかもそこには、兄姉が時間を掛けて手にした既存の方法がある。
こうして育った弟妹は、二番煎じが人生だと信じているので、誰かのマネをすることに迷いが無く、マネをしている自覚さえ無い。ところが、自分自身は常に手本を求めて八方にアンテナを張り巡らしているので、自分と同じ事をしている人が気になって仕方がない。「マネされた」と言い出すのは、意外にもマネしている弟妹の方が多く、「元祖」とか付けるのも、マネしている側だ。

新分野を切り開く習性が身についている長子は、誰かにマネされると、競うより別の分野を探そうとする。弟妹は競うことで力を発揮するが、長子は競争を強いられることで興味を失う。元々一人っ子の長子は、興味ある世界で悦に入ることが好きだからだ。
フィギアの浅田姉妹の姉、浅田舞が、「自分なりに頑張っていたのに、妹と比較されるのが嫌になって、フィギアを止めました」。で、その後どうしたんですか?。「ギャルやってました」・・・長子の切なさがよく解る話だ。

二番煎じが勝者になる
たいていのスポーツは、弟妹の方が成功する。始める年齢も早く、迷いが無く、指導に素直で、ひたむきに練習するからだ。長子はこの真逆で、自分のやっていることを常に疑い、指導や手本に素直でなく、練習に没頭しない。しかも、競争の中では力を発揮できない。我流の方法を確立する頃には適齢期が過ぎている。
この結果、名選手(弟妹)必ずしも名監督(長子)ならずのようなことになる。ただし、指導したがるのは弟妹だ。自分が手本や指導によって成功したので、育成は指導だと信じている。

弟妹が成功するのは、既存の道を探る時間と労力を省略できるからで、これは全ての世界に存在し、創生期の電気自動車とガソリン車、ビデオのβとVHS、アンアンとノンノ、プラズマと液晶、野茂とイチロー・・・枚挙にいとまがないが、同じジャンルを違う方式でやれば、先駆者の欠点をカバーし同じレールで先まで行かれる。ソフトバンクと楽天の創始者は、実際に長子と弟妹で、楽天は何事も後追いをしている。
日本神話の最終勝者、大国主も、山幸彦も、神武天皇も弟だ。

国を兄弟に見立てた場合、日本は一人っ子で、こねこねと基礎研究を重ね、様々な道を開拓したが、大陸の末っ子韓国は、それを活用して素早く大成功し、日本の領域を奪った。
一方、長子の中国は、先進国を引き入れ好きなようにやらせ、その間に大量の留学生を先進国で学ばせ、今、独自方式を生み出そうとしている。中国が対等な共同開発をしないのは、やはり長子の独自路線を目指す習性だろう。
なお、欧米は、島国の英国に一人っ子傾向はあるものの、基本的に弟妹で、ギリシャ、ローマやイスラムをそっくりマネして始まった。したがって、長子中国との対決となると、一目置きながらも、出し抜く抜け目なさを持っている。中国が口先とは裏腹に、唯我独尊をごり押しすれば、再びしてやられることになるだろう。


憧れの的

2021年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム

23日の「霜降」は、太陽がサソリ座に入ったことも表す。火星も30日にサソリ座に入るが、既に影響圏に入っている。
火星が来るとエネルギーと怒りが増す。皇女から一般人になった、サソリ座の小室眞子さんは記者会見で怒りをぶちまけた?が、この日は月がカニ座で調和がとれており、上品に釘を刺すことで上首尾に終わったようだ。(ニュースとネットしか見てないが)

この結婚に関しては、ずいぶんあれこれと騒がしい。皇室問題と言うよりスターのゴシップだ。
スターのゴシップは、スターに関心を持っている人によって成り立つ。スターに関心を持つ人は、スターを自分とは違う別世界の完璧な人と考え、夢の存在として憧れる。だから、少しでも人間的な面が見えると幻滅し、ヤッキになってそれを否定しようとする。
行動に反対したり非難したり、終いには偶像そのものを否定する。

スターは人が心の中に作り出した幻想であり、その人自身の願望の投影だ。
賞賛され慕われたい自分の願望を託すのが「あこがれの人」であり、そうした願望の強い人ほど他人に憧れたり、妬んだり、非難したりする。皇室とは、元々その対象としての役目を担っているものなのかも知れない。
魚座が、スターやペットを意味するのは、光と影など、有って無いもの、心によって成り立つ世界だからで、ペットが直接口をきいたらペットではないし、スターはウンコをしないものだ。
魚座に木星が来ている今年は、このスターやゴシップに関することで改善がある。しかし後を追って土星が魚座に来れば、元の木阿弥だろう。


失敗の元

2021年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

アベのマスクが8200万枚、配布されずに保管され、大きな保管料が発生していた。
「どこに行ったんだろう?」と思っていたら、やっぱり!そのままになっていた。
不人気だったから、配布を止めたのだろう。さもありなん。
それは解るが、あの「上質」のマスクが、そのままになっているのはもったいない。
あれだけのガーゼ、なんとか使い道は無いものだろうか。担当者は使い道を考えると言っているが、それが、そもそもの間違いだ。

第三者の意見も聞かずに、独断専行して間違いを生み、その始末をまた、自分たちで考えると言う。広く案を求めれば、こんな時代だから、いろいろなニーズやアイデアが生まれてくるはずだ。
何とかの考え休むに似たり、とはこのことだ。


古層の道

2021年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

20日、阿蘇山が11:43に噴火し、5分後の48分に若狭湾でM3.5の地震が起こった。
若狭湾には天橋立があり、その内海を「阿蘇の海」と言う。
以前、読んだ説では、「アソ」とは古代ポリネシア語で「そそり立つ、目立つ、壁に囲まれる」のような意味で、「あそ山」も「あさま山」も「あずみ野」も同じ語源だとされていた。
神話や風土記の阿蘇の海には説明が無いが、それだけ古い地名なのだろう。沖縄はもとより、縄文期の日本列島に広く海洋民族がいたことは納得できるし、今日でも、全国の海岸地帯には同じ地名がある。

若狭湾がカルデラでないのなら、「あそ」は火の意味より、海洋民族の「囲まれる」の方が信憑性がある。縄文の若狭湾全体がそう呼ばれていた名残なのか、天橋立に囲まれた意味なのか、いずれにせよ囲まれている。また、「あちおく」でも触れた「あ」は、感動を表す素朴な音で、海洋民族が海から島や山を発見した時の感動「そそり立つ、目立つ」が阿蘇山のような地形に残ったのかも知れない。

「阿蘇山」と「阿蘇の海」の因果関係は解らないし、地震のメカニズムがどう関係するのかも解らない。ただ、東大寺のお水取りの水も、真北に当たる若狭湾の小浜神宮寺から地下を送られるとされ、何か、古代人が経験的に察知していた繋がりがあるのではないかと、噴火と地震が思わせた。


激動の時

2021年10月21日 | 星の流れに

今月に入って、冥王星、土星、木星が相次いで順行を始めた。
意味から言えば次の星座に移る時の方が大きなゲームチェンジになるが、徐々に起きる。 
一方、逆行からの順行は、月が雲間から現れるように、瞬間的に影響が起こり、改めて意識することになるが、状況は変わっていない。
冥王星は山羊座の24゜で、次の水瓶座の時代が姿を現しつつある。
土星は水瓶座の6゜だから真っただ中。木星は水瓶座の22゜で、この一年の後祭りのようなものだ。

去年から、水瓶座には動揺が起こっている。善し悪しに関わらず、結果的に世の中が変わる。
コロナもその一つだが(世界の器)、水瓶座を始め、定着宮全体の試練を経て、政治、経済、社会の環境がガラリと変わる。第二次大戦の前と後の変化に匹敵する変化だ。
具体的には、食べる物、飲食の仕方、仕事と収入、生活原資、企業スタイル、政治形態、国際情勢・・・全てが変わる。

巨大企業と中国の台頭で、世界の枠組みが緩んでいたところにコロナが来て、一叩きで世界が壊れてしまった。戦争もコロナ禍も人為的なものであると言っても、認める人は少ないだろうが、裏を返せば、戦争も自然環境が誘発するという事実がある。
コロナは悪性の流行感冒だが、情報過多の現代では、経済破壊から秩序破壊まで招いてしまった。十分に戦争に匹敵するし、激動はまだまだ、始まったばかりだ。
映像の世紀のテーマ曲が鳴り響いている


天秤の難

2021年10月16日 | 星の流れに

このところ、刺殺事件が相次いでいる。火星が天秤座なので、天秤座が刺されても不思議ではないが、星座に関係なく発生している。
ここで、古来からの言葉「天秤座は刺し殺される」が思い起こされる。
何の理由もなく書かれていたので、記憶に留めていた程度だが、天秤座のジョンレノンが撃たれた時に、火星の意味から、銃の発明以後は火器も含まれるのだなと認識した。火星は火と鉄だが金属全般も含む。「刺し殺される」の意味も、暗殺のことなのかも知れない。

なぜ、美と平和の象徴の天秤座が刺されるのか、一見、不思議だが、星座全体の意味から考えると当然と言える。
刃物や火器は、荒々しい開拓を表す牡羊座のものであり、野蛮や戦争の象徴だ。その効用のピークは、180゜の天秤座だから、良いことも悪いこともここで出る。効力を発揮する対象が天秤座だから天秤座が刺される。一方で、アスリートなら成果を出す。
逆に、正義を量り調和美を成す天秤座がピークに達するのが牡羊座だから、牡羊座の荒々しさに美を見いだし、銃刀や武具に美が生まれる。
この関係で、意外に牡羊座の美術家や天秤座のアスリートが多い。

日本での殺傷事件の一方、牡羊座のイギリスでは議員が刺殺されたり、エリザベス女王の苦言も話題になった。自爆テロのアフガンや弓矢テロのノルウェーが何座かは、定かではない。


不思議戦

2021年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

12日。サッカー最終予選を観た。崖っぷちなので、これが可能性の最後になるかも知れないと思い、緊張感があった。結果はかろうじて勝てたものの、今後、最後までずっと崖っぷちだ。
観ていて、審判がかなり怪しい判定をすることが不思議だった。スポーツ大国で、しかも連勝中のオーストラリアが買収などするはずもない。
にもかかわらず、ホームでありながら、まるで2002年の誤審騒動を観ているようだった。

不思議の連続の中で、ふと、思い当たった。
今回のワールドカップがカタールであること。日本のBグループにはサウジとオマーンという中東勢がいること、もし日本が脱落すれば、サウジは楽勝しオマーンは出場圏の可能性が高まる。
Aグループに至っては韓国以外全部中東勢だが、むしろ、小細工の必要はない。

中東で開かれる大会で中東勢が最大限出場できれば、中東は大いに盛り上がる。金満大国揃いの中東が「中東の笛」を吹かないわけがない。
見ると、日本戦の審判団はほとんど中東だ。ホームでさえこんな状態だから、2002年のスペイン以上の覚悟をもって当たらなければならないし、安易に協会や監督を非難すべきではない。ただ、協会はこの点でどんな努力をしているのか気になる。
こんな難関に立ち向かう、選手達の幸運を祈りたい。


分散統一

2021年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

東京圏で震度5強が起こっても、ほとんど被害はなかった。同じ時にパキスタンで同じM5.9が起こったが被害甚大だ。日本でも、戦前なら民家の倒壊や火災で相当な被害を出した。それだけ日本の地震対策は向上していると言うことだ。
しかし、交通はやはり翌日も乱れが続いた。M7クラスが起こったらどうなるだろう。

関東平野は広く使いやすいが、地震の多発地帯だ。そうでなくても、東京一極集中は限界を超え、日本の社会経済のあらゆる病因になっている。
日本の政治経済が近畿に集中していたことで起こった弊害が、鎌倉幕府によって安定した。しかし、室町幕府が近畿に開かれるとまた乱れた。鎌倉幕府は頼朝の背景が関東武士だったという偶然だろうが、家康は意図的に関東を選択したと言えるだろう。
そして、江戸幕府の権威と権力のバランスが、日本の安定と発展を招いた。

ところが、明治政府は近畿の天皇を東京に移し、100年も経たないうちに、日本を焦土化した。そのまま続行した東京文明は、再び今日の経済焦土を招いている。
すべてを捨てて日本が守った国体とは一体何だったのだろう。その末裔が主張する日本の国柄とは一体何なのだろう。
功罪はあるが、日本の歴史を振り返ると、権威と権力が集中すればロクなことがない。
文化人類学的観点では、絶対神を持たない日本には、天皇という権威は必要なのだろう。天皇もなく、神も否定するソ連や中共の政治がどんなものかは、知っての通りだ。

今、天皇家の維持が大問題になっている。それは、やはり、権威と権力が一体化しているからであり、それを前提として考えるから混乱する。本気で皇統を守りたいのであれば、天皇と政治を物理的にもシステム的にも分離すべきだろう。日本文化にとっての神的存在ならば、「仏ほっとけ神かまうな」が良策だ。
必ずしも京都である必要はないが、政権とは物理的に距離を置き、バチカンのような設定で、遠くにただ在ればいい。日本神話の始まりも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)で、存在はするが何もしない。

皇統の維持は皇族に任せて、政府は征夷大将軍の宣下だけ受ければいい。一々国会にお出ましになることはない。今の仕組みを作ったのは明治政府であることを思い起こせば、このままでは、やはりロクなことはない。明治政府はその始まりから天皇を利用していた。日本の天皇は君主ではない。
ものごとは、そもそも論で考えなければ、出口を失う。

力の分散
「権」とは「仮」や「代」のことだから、東照大権現も神仏の仮の姿とされる。権威は神仏の仮の力であり、権力は誰かの代わりに振るう力だ。権威主義とは天や神のように力を振るうことで、民主主義は民の代行者として力を振るう。
権威主義の問題は、正体の解らない神仏の意思として民が支配されることにある。神仏かのように振る舞う者の奴隷になる。民の意思に拠らない中国政治は、まさに権威主義であり、その力を民主主義世界にまで伸ばそうとしている。

明治政府が天皇を利用したのは、目に見える権威で権力を行使するためで、形は民主主義でも明らかな権威主義政治だった。天皇が政治の中心に密着している限り、錦旗政治は改まらない。錦旗は近畿に返し、政権は幕藩体制のように全国に分散した方がいい。現代は、参勤交代が無くてもリアルタイムで一体化できる。
東京一極集中の弊害打開は、先ず、政権からの天皇の解放だろう。別の言い方をすれば日本政治の独り立ちであり、憲法改正はむしろこちらからだ。


呼吸困難

2021年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃は、相当な論客まで「生意気ですが・・・」などと、前置きするようになった。
これは、日本の「空気」がいかに抑圧的で、物が言えない世界になっているかを表している。
ネット社会によって、さらに言葉の揚げ足取りが大きな力を持つようになり、社会の記号化している人物さえ、敬称をつけろとネットの圧力がかかるまでになった。

もともと、バブル崩壊のあたりから、言葉狩りが広がり、一方では、言葉尻を疑問形にする責任逃れの様々な言い回しが生まれ、終いには、自分の存在まで丸投げして、「させていただく」でなければ物が言えなくなった。これは謙虚ではなく、実は無責任な言葉だ。
個人の見識など始めから正しいものなど無い。断言には始めから、「と思う」や「かも知れない」が含まれている。また、諸々のおかげで生きていることは、大なり小なり誰でも認識している。
にもかかわらず、あえて言葉にするのは、正確や完璧を求める、日本の完璧症が重症だからだ。

考えをはっきりと言いえば、そうではない部分を攻撃する。何か少しでも晴れがましいことを言おうとすれば、自分の力ではないと言わなければならない。これは、完璧な人間がいることを前提とし、お前はそうじゃないだろうと攻撃する圧力だ。何もしない何も出来ない人間ほど、攻撃的になる。
非の打ち所のない慇懃無礼は、多様な価値観、多様なルールで成り立つ外の世界では通用しない。
人間の曖昧さを否定し、可能性を否定する偏狭で硬直化した日本はもう、瀕死状態だ。
「とにかく、やってみよう」などと言えば、八方から槍が飛んできて、即死するだろう。
最後の最後にダメ押しするように、「マスク」の時代がやってきた。
「・・・・・・」


諸事困惑 2

2021年10月05日 | 星の流れに

現在、天秤座に火星がいて、太陽・水星もいるところに、月も来て6日は新月になる。
「諸事困惑」がピークに達する。
日本は衆院解散と株安、国境問題や地震。中国は停電騒動、台湾挑発。イスラエルはパレスチナとの国家承認問題、インドも電力不足が迫っている。ドイツは政治混乱、英仏ももめている。おまけは、天秤座の小室圭氏だろうか。

ただ、まもなく、土星、木星が水瓶座で順行を始めるので騒ぎは収まるが、替わって、サソリ座に困難が移動する。今月末、火星がサソリ座に移ると、サソリ座はもちろんだが、定着宮の水瓶、牡牛、獅子も「諸事困惑」となる。直撃のサソリ座は朝鮮半島、水瓶座はロシアだが、中露関係はしばらくは、中国の思惑通りになりそうだ。


元気の気

2021年10月01日 | 日記・エッセイ・コラム

春眠暁を覚えずと言えば、心地よい春の陽気のことだが、歳をとると、「時節柄ご自愛ください」と聞こえてくる。
春先よく眠るのは、繁殖の準備や、夏毛に替わる動物の証で、若い時はこれが気持ちいいが、年寄りには体力テストだ。ホルモンバランスが崩れて弱点を直撃される。
人間は複雑な機能の集合体で、当たり前のように思える健康も、絶妙のバランスで保たれている。
だから何かが突出して多くても意味が無い。年相応のバランスを保つことが健康の「元気」だ。

「病気」は、「元」の「気」が病むこと、つまり、「やまい」は「やむ(止む)」をイメージした言葉と考えられる。
したがって、「元気」は特別にパワーがあることではなく、身体のバランスが万全で、健やかなことだ。健やかとは万全な状態=「すぐやか」であり、「まっすぐ」の「すぐ」で、何も問題がないことを表している。「すぐ行く!」も障害がなく行くことであり、「すぐれる」も全く調っていることだ。
この万全の状態が滞るので、「やむ」と言う。

成長に向かう若いうちは、バランスの崩れる季節の変わり目に、足りないものを補うために、しっかり眠れば簡単に対応できる足し算の調整だが、衰えていく老人は、バランスを保つために余計なものを捨てる、引き算の調整だ。
気持ちはそれまでのレベルで動こうとするから、いかにも辛い。低レベルに調整して生きることを体得しながら、老いていく。

それまで万全だった状態を取り崩していくのだから、老化とは「やむ(病)」の連続だ。
結局、老いは病に慣れることだ。だから、様々な不具合を、以前のように戻そうとせず、不調と異常をよく見極めて暮らさなければ、病院で暮らすことになり、国の医療費を膨らませることになる。
バランスを崩すのは木の芽時の春分頃だけではなく、「夏バテ」と言われる秋分の頃も、年寄りには至って応える。
このところ、何度も自分に「だいじょうぶかあ?」と呼びかけるほど不調だが、至る所で地震も連発している。東日本大震災の時も春先でしんどかったが、こうなると、一体、何の頭痛かしんどさなのか、解らなくなる。