前人未踏と出藍之誉
スターに憧れ、熱狂したり、あれこれ気をもむのがファンだ。
こうした人は、社会性の強い人で、自分より他人に関心があり、他人との関わりの中で自分を確認する。多くの場合、生まれた時から横に同等の他人である、兄姉を見て育つ弟妹にこの傾向がある。
有名人や偉い人の前で緊張したり、オーラを感じたりするのは、たいてい弟妹で、長子は、有名人であることは理解しても、ほとんど無感動で、緊張するとすれば別の理由だ。
長子は自分の道を探りながら生きるので、手本になる誰かに憧れたり、そっくり真似たりしない。長子が最も苦手とするのは、手本通りに仕上げることで、何とか自分なりの方式を見いだして、その方法でやろうとする。その様子は、ノロマだったり、素直でなかったり、めんどくさい奴になったりする。いわゆる長男の甚六だ。
したがって、長子はスターに熱狂することもなければ、誰かの非難や攻撃に目の色を変えることもない。一人っ子の場合、特に顕著になる。
一方で、弟妹のように真逆にでも転ずる変わり身の早さに付いて行けず、煮え切らない、勝手、空気読めない、昼行灯、卑怯、腹黒いのそしりを受けることも少なくない。
不規則な動きをする長子に比べ、結果を出すことに集中する弟妹は、手本や成功例に着目し、先ずマネる。兄姉に、とにかく早く追いつこう、同じようにやろうとする。しかもそこには、兄姉が時間を掛けて手にした既存の方法がある。
こうして育った弟妹は、二番煎じが人生だと信じているので、誰かのマネをすることに迷いが無く、マネをしている自覚さえ無い。ところが、自分自身は常に手本を求めて八方にアンテナを張り巡らしているので、自分と同じ事をしている人が気になって仕方がない。「マネされた」と言い出すのは、意外にもマネしている弟妹の方が多く、「元祖」とか付けるのも、マネしている側だ。
新分野を切り開く習性が身についている長子は、誰かにマネされると、競うより別の分野を探そうとする。弟妹は競うことで力を発揮するが、長子は競争を強いられることで興味を失う。元々一人っ子の長子は、興味ある世界で悦に入ることが好きだからだ。
フィギアの浅田姉妹の姉、浅田舞が、「自分なりに頑張っていたのに、妹と比較されるのが嫌になって、フィギアを止めました」。で、その後どうしたんですか?。「ギャルやってました」・・・長子の切なさがよく解る話だ。
二番煎じが勝者になる
たいていのスポーツは、弟妹の方が成功する。始める年齢も早く、迷いが無く、指導に素直で、ひたむきに練習するからだ。長子はこの真逆で、自分のやっていることを常に疑い、指導や手本に素直でなく、練習に没頭しない。しかも、競争の中では力を発揮できない。我流の方法を確立する頃には適齢期が過ぎている。
この結果、名選手(弟妹)必ずしも名監督(長子)ならずのようなことになる。ただし、指導したがるのは弟妹だ。自分が手本や指導によって成功したので、育成は指導だと信じている。
弟妹が成功するのは、既存の道を探る時間と労力を省略できるからで、これは全ての世界に存在し、創生期の電気自動車とガソリン車、ビデオのβとVHS、アンアンとノンノ、プラズマと液晶、野茂とイチロー・・・枚挙にいとまがないが、同じジャンルを違う方式でやれば、先駆者の欠点をカバーし同じレールで先まで行かれる。ソフトバンクと楽天の創始者は、実際に長子と弟妹で、楽天は何事も後追いをしている。
日本神話の最終勝者、大国主も、山幸彦も、神武天皇も弟だ。
国を兄弟に見立てた場合、日本は一人っ子で、こねこねと基礎研究を重ね、様々な道を開拓したが、大陸の末っ子韓国は、それを活用して素早く大成功し、日本の領域を奪った。
一方、長子の中国は、先進国を引き入れ好きなようにやらせ、その間に大量の留学生を先進国で学ばせ、今、独自方式を生み出そうとしている。中国が対等な共同開発をしないのは、やはり長子の独自路線を目指す習性だろう。
なお、欧米は、島国の英国に一人っ子傾向はあるものの、基本的に弟妹で、ギリシャ、ローマやイスラムをそっくりマネして始まった。したがって、長子中国との対決となると、一目置きながらも、出し抜く抜け目なさを持っている。中国が口先とは裏腹に、唯我独尊をごり押しすれば、再びしてやられることになるだろう。