魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

大和魂犬

2014年06月29日 | 動物

立て続けに、柴犬が飼い主をクマから救って話題になっている。
6月22日、秋田大館市の河原で5歳児を襲ったクマを、6歳のメス柴「めご」ちゃんが撃退した。
28日は、石川金沢市の山道を散歩していた夫婦に子連れの母クマが襲いかかり、10歳のメスの黒柴「ショコラ」が飛びかかって撃退した。

いずれも、日頃は吠えることもなく大人しく、臆病で人なつこい性格だったので、助けられた飼い主が、誰より驚いていた。
アメリカで子供を救った猫は映像証拠があったので英雄になったが、何よりも「猫」であったことが意外だった。

犬が、飼い主の災難を救った話は、いくらでもあるので、特別な話として記憶に残りにくいが、それぐらい犬は仲間意識が強い。
中でも、日本犬は、今回もそうであったように、日頃、無口で大人しいのに、イザと言う時、思いがけない豹変をする。

犬好きの間でも、洋犬派と日本犬派がいるが、初めから日本犬派なので、何度か、洋犬派と口論したことがあるぐらいだ。
小型洋犬を可愛いと言う人は、多にして、気分屋だ。確かに、ぬいぐるみのように可愛いく作ったのだから「可愛い」、とでも言える可愛さがある。

その点、柴犬は少しも可愛くない。どこにも特徴の無い、ただの動物だ。自然の野山にいるのがふさわしい、愛想のない顔をしている。
しかし、そこが良いのだ。お笑いタレントの笑いより、まじめ人間の天然の方が面白いことがある。

犬は民族の文化として生まれてくる。洋犬は、大作りな顔で喜怒哀楽の激しい欧米人に似ているし、日本犬は、醤油顔で何を考えているのか解らない、静かで無表情な日本人に似ている。
洋犬はかまってやらないと騒ぎ立てるが、日本犬は黙って我慢する。
纏足や宦官の国の中国犬には、何の目的か解らない奇形や愛想の良さがある。

外国人がどうにも理解できない日本人の特徴を、日本犬は全て体現している。
大人しくて、人見知りをするが、心を許した人には、トコトン愛想が良い。無駄に声を上げず、滅多なことで騒ぎだてしない。
今回の柴犬たちも、長年飼ってきた飼い主さえ、臆病で役立たずだから番犬失格だと思っていた。

ところが、イザ鎌倉、一朝事あれば、まるで大石内蔵助かスーパーマンの様に「変身」する。
様々な犬伝説の中にも、飼い主を守って命を落とした犬の話がある。
実際に自分も体験した。

日本犬は、愛くるしい犬ではないかも知れない。しかし、その心根を見詰めると。いじらしくて、いじらしくて、たまらない。

敷島の大和心を人問はば、朝日に映る柴犬の影 ワン


本来の姿

2014年06月28日 | 日記・エッセイ・コラム

都議会のヤジ事件は、ますますお祭り騒ぎになっている。
海外報道は、待っていましたとばかりに「女性差別」を話題にする。
それを聞いて、「恥ずかしい」と言う人が続出。
騒ぎに便乗して、卵を投げ、「わたしが投げました」と、名乗り出る「たまっシー」まで現れる始末。

ヤジられた本人も、大所高所からこれを政治利用して、自分の政治テーマのキャンペーンを張るどころか、謝罪騒動に終始している。
この都議、どこかで見た顔だと思っていたら、さんまの「空騒ぎ」に出ていたらしい。
何のことはない、「空騒ぎ」の仕掛け人タレントだ。
事の本質より、マスコミを巻き込み騒ぎだけが大きくなっている。

待ってました、不思議の国
世界は常に、日本は「特殊」だと思いたがっている。
それが好評価にもなれば、嫌悪感にもなる。
日本列島は、始皇帝の古より、マルコポーロの見聞録まで。始めから「不思議の島」なのだ。それを一番、解っていないのが日本人だ。

欧米人はむしろ、本当の日本など理解したくない。
中国起源の男尊女卑も、ことさらに不思議の島の異文化として見ようとする。 「ほら、やっぱり!」、と。

牧畜文化から生まれた一神教では、イヴはアダムのカケラに過ぎない。その神からの解放のためには、女も男と均等でなければならないと思い込む。イヴも、「アダムのように」完全でなければならないと。
(男が女より上とする、自らの前提に気づいていない)

そして、もともと神のいない日本の男女対等意識を理解できず、とにかく物理的に均等にしろと迫る。(自分たちのように)
一方、日本でも、欧米に順応するための教育で、即物的理解しか学ばなかった人々が、機会均等を唯一正しい方法だと信じ込む。

欧米式に開化しなければならないのに、欧米に笑われて「恥ずかしい」と、明治政府のように何でも猿まねを唱える。
欧米が批難する日本のあり方が、何故そうなっているのか、考えようともしない。日本の男尊女卑は中国式の表面的な模倣に過ぎず、実際には根底に、卑弥呼の母系世界が脈々と流れている。

母性原理の甘え文化
日本は、形式は中国の男尊女卑で男を立てながら、実際は母性を頼りとする、女任せの社会だ。
その現れが、家計を女が管理し、子育ても近所づきあいも全て女の自由であり、男は飲んだくれたり、遊びほうけていたりして、その管理と許可も女に委ねている。

核家族化の中で、育メンやら家事手伝いが素晴らしいことのように騒がれているが、それは、欧米のように、先ず男が強く、それと「同等」に女が強くなった社会だからこそ可能なことであり、女の積極的社会参画の意識が強いから可能なことだ。

日本のように、男女の役割分担意識が根強く、財産管理は女の特権のような国で、男女機会均等のかけ声だけが発言権を持つと、あらゆる場面で男は搾取され結婚もできず、女だけが金を貯めて海外旅行に行くような現象が表れる。その上、家事、育メンを強要されたのでは、男が結婚したくなくなるのは当然だ。

稼いだ金は全部女に管理される家畜のような仕組みでありながら、喜んで働くのは、「男は偉い」の立前で成り立っているからであり、女もまた、昔は重労働を良くこなした。それは役割分担だった。

しかし、西欧式の対等意識だけが浸透し、男の立つ瀬が無くなると、進んで服従しようとする男と、男の名前だけに執着する男に二分される。変革時に、第三の新しい道を探ることができない人々だ。

近頃、「男の○○」が流行るのも、むしろ、男が失われたからだろう。
また逆に、マスコミでは「男」や「女」の呼称を葬り去るために、犯人は「おとこ、おんな」と呼び、被害者や良い人を「男性、女性」と、意識して使い分ける。これは単に、日本的な男女意識の撲滅運動だ。

楽な生き方が最善のあり方
日本での男女のあり方は、西欧の価値観と日本古来の価値観を「和洋折衷」させるのが良さそうだ。
それは、政治経済のあらゆる制度にまで関わる問題で、一朝一夕には行かないが、少なくとも、認識と意識から変えることはできる。

そのためには、西欧かぶれや、国粋主義者の思い込みから離れて、もう一度、日本人は古来よりどういう男女関係にあったのか見つめ直してみる必要がある。また、それを広く海外にも知ってもらわなければならない。これは食文化と同じことだ。

なぜ古代中国は、日本の男女混在の酒席を野蛮としたのか、なぜ西欧は男女混浴を野蛮としたのか・・・なぜ、日本人にとって、それが当たり前だったのか。そして、その意識は本当に消滅してしまったのか。


その通り

2014年06月25日 | 占いばなし

日本のワールドカップは、FIFAのランク通りに収まった。
月が最高のコンディションで、この結果は、もはや、実力だ。
技術的なこと、監督采配・・・素人の言うようなことではない。
精一杯、良くやったのではなかろうか。
なお、月の位置の吉凶は、心理状態に影響する。
(双子座の本田、魚座の香川には凶)

日本があっさり、GLで敗退したことで、ある意味、この後、楽しんで観られるようになった。

サッカーは別にして、やはり火星と木星絡みのグランドクロスは辛い。活動宮の国や個人には不運となる。
日本人でも個人として、結構、活躍している人がいるのは、やはり、この星の悪影響を受けていない人だ。

また、どんなに星の配置が悪くても、実力のある人はそこそこの結果を出す。
逆に、凄い能力に見えているものも、実は星の勢いだったりすることもあって、この場合は、反動がきつい。

ザックジャパンに関して、占いから観れば、色気が出過ぎたと言うことだろう。これが牡羊座の天王星だ。
天秤座の日本に、180゜の牡羊座の監督、牡羊座のチーム
(天王星はハプニング。大穴もあり得た)


月とツキ

2014年06月24日 | 占いばなし

サッカーファンの占い師がサッカーを観るのは変と思われるかも知れない。結果を占ったらいいじゃないかと言われるかも知れない。

占いで競馬を予想することと、サッカーを観ることとは全く違う。
競馬を占いで考えるのは、占いの研究のためだ。基本的に競馬ファンではないから、賭けない限り、勝負や馬の人生?はどうでも良い。運命がもたらす、結果だけに関心がある。

しかし、サッカー競技の技や展開を面白いと思い、チームを応援して観る時は、結果を知りたいから観ているのではない。
「星の力を知りたい」のではなく、そこにある「人間の生き様」に参加して観ている。選手と同じ気持ちで、勝つことしか考えていない。

人を占う事も全く同じだ。明日死ぬか死なないかを占うことは意味がない。人は最後まで生きるつもりで生きている。
人間は誰でも必ず死ぬが、「死ぬかも」と思っても、最後の瞬間まで、死ぬとは思っていない。だから、死にたい人は、わざわざ自殺する。

何時かは絶対に死ぬだろうが、今、自分は生きているじゃないか。だから、この自分が、今、この瞬間、死ぬとは思わない。
墜落する飛行機や激しい地震で、明らかに物理的に追いつめられた時、「死ぬかも、死ぬな」と思っても、誰も死を体験したことはない。
飛び降りて落下中の人は死ぬと思っているかもしれないが、自分が選んだわけでもないのに「死ぬかも知れない」と思っている人は、最後まで半信半疑だ。

つまり、受け入れられない事態を本人に告げても意味がない。
試合に臨む選手は、八百長でなければ、例えどんなにかなわない相手でも勝とうと思っている。「だめかもな」と思っても、勝ちたいとは思っている。

人生も負けるつもりで生きている人はいない。死ぬのを待つだけで生きている人はいない。
「自分なんか」と思っている負け犬でも、どこかで、立つ瀬、生きがいを見つけようとしている。生きようとしているから腹も減る。

だから、占うことの意味は、運を踏まえて、より良い生き方ができる方法を探ることにある。
目に見えない運気を把握できれば、それに対応して、少しでもムダのない歩き方ができる。それを願うからこそ、運気を探ろうとする。

サッカーファンは運など関係なく、選手と共に勝とうと思っている。人間の能力の限界を観たいと思っている。

しかし、一方で、占い的な視点があれば運気の様相も見えてしまう。
もし選手に問われたら、答えるべき事はあるが、サッカーファンとしては、実際に戦う選手への尊崇の念から、とてもそんな雑音を入れる気にはなれない。(問われもしないだろうが)

漠然とした人生とは違い、戦いの場では、戦士の技と力で戦うのであり、占いが口を挟む余地はない。ファンとしてはうまく戦ってくれと祈りながら観るしかない。

それでも星は働いている
勝つことだけを考えている選手には、勝敗占いなど失礼で、ファンとしては知りたくないから、そういうことは考えたくないが、
戦士とファンの気持ちに関係なく、運気の状況は存在する。

例えば、今、天秤座の日本は火星が入ってから、ツキがない。浅田真央は実力を持ちながら、メダルを取れず、楽勝ムードのサッカーは苦戦する。

天王星が牡羊座に入っている近年、ザッケローニや川島、野球の上原のように、牡羊座は脚光を浴び、現在の日本チームにも牡羊座が多い。
そして、その集中力で出てきた人も事柄も、実は激しく翻弄されている。良い時と悪い時が両極端になる。
加えて、活動宮全体が大波乱の中にある。

折しも、今回のワールドカップの日本戦は、第一戦が月がヤギ座の日で、第二戦が牡羊座の日だった。
第一戦のヤギ座は、天秤の日本と、牡羊座中心の日本チームに対し、90゜の凶角で、意識と行動が矛盾し羽交い締めにあったようになる。
第二戦の牡羊座は、パワー過剰でブレーキが効かず、賢く緻密な攻めができない。
残念ながら、本当に運気には恵まれていなかった。
もう、勝負あったの観がある。
しかし、第三戦は、少なくとも、月の位置は双子座で、ツキという点ではこれ以上は望めない状態だ。

一、二戦の不甲斐なさが、実力だったのか、ツキがなかったからなのか、第三戦は少なくとも実力の発揮できる運気にはある。
ファンとしてはそこに賭けたい。


夏至陰遁

2014年06月21日 | 占いばなし

何と、今日はもう夏至だ。
今日から冬に向かうとは、何度、夏至を体験しても信じられない。
明日は陰遁で、毎日の九星が逆進し始める。

今日までは陽遁で順進してきて、今日が最後の九紫の日となり、明日から逆進始めの九紫の日となる。だから二日間、同じ九紫が続く。
夏至と陰遁がこんなに接近するのは、大体、十年に一度だ。
陰遁は夏至に一番近い甲子の九紫で、陽遁は冬至に一番近い甲子の一白の日から始まる。

60干支と九星の公倍数、180日の2倍は360日で、365日と約5日ずれるから、5~6年で最大に離れ、その後また近づき始めて、今年のように最接近するが、夏至と陰遁が全く同じ日になった年は、20世紀以降では、1934、1974、1997年の、3回しかない。

夏至と陰遁が重なったからと言って、特に意味は無いが、
ちなみに、この年を振り返ってみると、

1934年、日本がワシントン海軍軍縮条約を破棄 軍拡競争開始
1974年、ウオーターゲート事件でニクソン辞任 
1997年、鄧小平死去、香港返還、アジア通貨危機、ダイアナ妃事故死

やはり、特に、共通した因果関係があるとは言えないようだが、見る人によっては何かあるのだろうか。


ヤジハラ

2014年06月21日 | 日記・エッセイ・コラム

女性東京都議への、セクハラ・ヤジが問題となっている。
どういう質問内容だったのか定かではないが、
「先ず、お前が結婚しろ、子供を産め・・」のようなヤジだそうだから、質問内容は結婚と出産環境の問題だろうと考えられる。

少子化対策の問題なのか、女性福祉の問題なのか良く解らないが、質問者もヤジも、双方とも大前提として、現行の婚姻制度を認めているようだ。
地方議会レベルの限界だろうが、「子供を産むこと、すなわち結婚」の前提でどれだけ論じても、しょせんは対処療法だ。

東京のような大都会は、もともと、労働力を集めた生産工場であり、家族やコミュニティーのために、営まれているわけではない。
古典的な家族制度による、結婚や出産は都市の機能とは矛盾する。

人間を、労働力として集めた生産工場=大都会では、女性一人で子供を産めることを保証しなければ、子供を産むことは不可能なのだ。

産業革命パラダイムは、生産に腕力を必要としないから、男女差は無意味になった。強い男が女を保護する、古典的な構造は成り立たなくなっているのだ。
社会全体として、子供を保護し養育しなければならない時代だ。

「結婚して子供を産む」という大前提で、養育施設やサービスを考えても、現実とのギャップが大きく、問題はモグラ叩きになる。
古典的な理想論に無理に押し込めようとせずに、今、我々がどういう時代に生きているのかを直視して、何が有効なのかを考えなければならない。現実を直視しないから、児童虐待や育児貧困が生まれる。

先ずは、どういう経緯でも、生まれてくる子供は、「社会の宝」であることを前提に、受け入れ体制を準備しなければならない。
そう言うと、「当たり前じゃないか」と言う人ほど、実は、「どういう経緯でも」の意味を理解しない。

先日も育児放棄問題の専門家が、きれい事を言いながら、「望まれない子供」問題を危惧していた。つまり、この人自身の潜在意識にも、「良い結婚、幸せな出産」像があると言うことだ。

無条件に子供を「社会の宝」であると認識するなら、親とは無関係に育児環境の設定から入るはずだが、「不幸な」結婚や出産にならないことばかり考えている。

今日の、ほとんどすべての問題が、婚姻制度に起因していることに、気づいている人は、ほとんどいないのではなかろうか。

たいていの人は、現在の婚姻制度を、金科玉条の不文律のように思っているだろうが、これは、明治以降に持ち込まれた、キリスト教的な一夫一婦制度にある。
そして、それまでの日本的な婚姻習慣を、すべて忌まわしい因襲としているが、日本の風土の中で培われた知恵も無かったわけではない。日本人に合った、親子や男女の関係とはどういうものか、もう一度、考え直してみる必要があるだろう。

婚フリー


山の彼方

2014年06月19日 | 日記・エッセイ・コラム

イラク政府から、過激派を空爆してくれと頼まれたアメリカは、困り果てている。
アメリカ流の正義が倒した政権が、たまたまスンニ派だったために、早期撤退で残った政権は、対立するシーア派になってしまった。
その政権に阻害されたスンニ派とクルド人を加勢すると、シリアからなだれ込んできたのは、オバマの失策で力を増した過激派だった。

過激派を攻撃すれば、シリアもイラクも、アメリカが支持できない政権を助けることになる。かと言って放置しておけば、アメリカ&イスラエルと対立するイランが介入して、全域がシーア派イランの傘下になる恐れがある。

この状況にしたのは、ブッシュ、オバマの歴代「オッチョコチョイ」大統領だが、その大統領はアメリカ国民の代表だ。
中東の混乱は英国など欧州の蛮行の結果であり、それを引き継いだ、アメリカという欲望と偽善のパワーだ。

大金を抱えてアメリカを乗っ取ったユダヤ勢力に牛耳られ、ホロコーストの大義名分で、イスラエル国家を中東にねじ込んだアメリカは、半世紀以上にわたって、中東の混乱と運命を共にしてきた。
今更、手を引こうにも、抜き差しならない。

イラクで進退窮まったオバマ政権は、「民族、宗教を乗り越えた国家を作ることが先決だ」と、イラクのシーア派政権に愚痴るが、いっこうに聞く耳を持たない。その結果、ウクライナや西太平洋でも信用を失い、ますます進退窮まっている。

近代国家アメリカの夢
アメリカは近代が生んだ国家だ。大航海、宗教改革、産業革命により、古い因襲から逃れて集まった人たちが創った国であり、近代の目標であり、試金石の国だ。アメリカの理想こそは産業革命パラダイムの目指してきたものだ。
しかし、今、それが、行き詰まっている。

理想の近代国家像では、民族や宗教を乗り越えられない。共産主義でも資本主義でも、近代国家の概念では数千年の農業文明が生んだ、民族や宗教の集団原理を解消させることはできないと言うことだ。
共産主義の世界同時革命と同じように、アメリカのもくろんだグローバリズムも成立しない。

アメリカの主導するグローバリズムは成立しなくても、一方で、実体としてのグローバリズムは進行している。計画通りの世界像は成立しないが、実体としての世界像はすでに出現しつつある。

山を越える者
やがて、近代国家は必ず過去のものになる。そして、現状を良く見極め、来たるべき時代を先取りする集団だけが、地球村の勝ち組と呼ばれる者になるだろう。

それには、「現在の姿」から将来を見るのではなく、「現在の問題」が解決された先に目標を定めて、歩み始めることが鍵となる。
険しい山を闇雲に越えようとしても怪我をするが、山の向こうに目標があれば、越える力が湧いてくる。
株価を上げたり、オリンピックやカジノであぶく銭をかき集めて、その場しのぎの空騒ぎをしても、未来の山を越えることはできない。


カニ事件

2014年06月17日 | 星の流れに

高砂市民病院で悪性腫瘍の検査結果を取り違え、良性の女性の乳房を切除。謝罪。

医療ミスや裁判の話を聞くたびに、個人的には思うところがあるが、あらゆる分野が絡んでくる大きな問題で、気楽に語れるような話ではない。
ここでは、占い的な視点だけチェック。

木星カニ座ならではの事件だ。カニ座は乳房。
元々、癌=Cancerの語源自体、乳癌を胸に取り憑いたカニと見たことから始まっている。(カニ座=Cancer)
だから、カニ座の木星の時ならではの、話題になる。

木星は吉星だが、天王星、火星、冥王星と最悪の状態だ。良い話題では目立たない。良い「つもりの」ことが悪くなる。
手術も良くしようとしてのこと。
他に目立ったカニ座を改めて挙げれば・・・中国、小保方、スーパー、消費、橋下・・・

もう一つ忘れていた。高砂はカニ座の反対のヤギ座で、いかにも縁が深い。

あ、もう一つ。医療関係は乙女座で、やはり反対の魚座に、海王星がいるから、基本的に、錯覚や詐欺に遭遇しやすい。これは一過性と言うより長期にわたる。薬剤やバイオ実験のミスや詐称にも関係する。


ドログバ

2014年06月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ワールドカップが始まった。まだ、ブブゼラの音が耳に残っているのに、ブラジルでは、今度こそ自国開催で優勝だ、と言っている。
オリンピックやワールドカップで時代を手繰ると、断片的なアナウンサーの絶叫で、どれが何時か解らなくなる。

「栄光への架け橋だあー!」「やったー!  生きてきた中で一番幸せです」「オリンピックに行かせてください」「あ~ッ!入ってしまった!」「ガンバレ、ガンバレ、前畑ガンバレ」

流石に、前畑の時代には生まれていなかったが、音と映像で、すっかり体験したような気がしている。
興行師の金儲けだと思っていても、これだけ大仕掛けに、世界一世風靡でやられると、人生まで絡め取られている。

パウル君に刺激されたゾウや亀が勝敗予言に参戦すると、パクリの本家、中国としては黙っていられない。早速パンダ予言も出てきた。本戦出場を果たせなかった分まで賑やかだ。

毒蝮に睨まれて
日本も早、初戦を終えて一敗だ。色々コンディションも悪かったが、負けたなりに面白かった。
監督の師弟対決は、弟子の勝ちとなったが、ある意味、当然かも知れない。弟子は師匠の采配のクセをよく承知しているが、采配ぶりを見たことがない師匠は、弟子にどんなクセがあるのか知らない。

結果的に考えると、コートジボワールの監督は極めて頭が良いようだ。コンディションの悪さを初めから計算に入れて、日本が疲れるのを待ってドログバを投入したのだろう。待つだけの胆力もある。

何よりも感心したのは、「ドログバ」と言うネームバリューの効果だ。
「ドログバが出た!」直後の数分間、日本選手は完全に固まってしまった。
先制して、気持ちが守りに入った日本が、ヘトヘトになったところに、「ドクマムシ出現!」で、ヘビににらまれたズブ濡ガエル状態になり、その間に、一気に逆転された。
ホントに、どうしたんだと言うぐらい、全員魔法にかかったようだった。

ドログバが凄いとしても、世界には他にも凄い選手はいるはずだ。
ここまで貫禄負けするのは、心理的に絶妙のタイミングだったからだろう。「出るかも、出るかも、ホラ出た!」お化けは最も怖い。

先方の監督がそこまで考えていたとは思えないが、やるだけやらせて疲れさせる計算はしていたのだろう。何しろ日本は「攻撃的」と公言していたのだから。
むしろ、攻撃サッカーの日本が、支配率もシュートも圧倒的に少なかったことに、面食らったかも知れない。

出鼻をくじかれた日本だが、まだ終わったわけではない。修正に期待したい。


西太平洋

2014年06月12日 | 日記・エッセイ・コラム

また、中国機の挑発だ。
中国は一体何をしたいのか。やることなすこと、そのタイミングと言い、日本を、「普通の国」に追い込みたいとしか思えない。
そして、どうしても一戦交えて、叩きのめしたい。そうとしか考えられない。戦後日本の平和繁栄が、どうにも、目障りなのだろう。

中国の信じられないような行状に、世界の評論家のなかには、これは中国の緻密で奥の深い「計算」によるものだと、自分たちの常識に照らして、その意図を深読みしている人も少なくない。

しかし、これは見た通りのオバカ行動だ。江戸っ子のような中国人の、熱しやすく冷めやすい、張飛や孫悟空のような、単細胞の男気だ。
だが、一方で、孫悟空は後先を考えない行動を繰り返しながらも、三蔵法師を天竺まで連れて行く。

ディテールは雑でも、目的意識はブレない。高をくくっていると、何時か何処かでバッサリやられる。
なだめても騙しても、早い段階で頭に『緊箍児』を取り付けなければ、歯止めがきかなくなる。
WTOが効かなくなったら、やはり、TPPで、封じ込めるしかない。
その前に、北の猪八戒と結託させては手がつけられなくなる。

東洋の神秘
以前、もし中国が台頭するなら、日本に中国風が流行るかも知れないと書いたが、それは中国が平和的に経済発展をした場合か、強大な力で日本をねじ伏せた場合の話だ。

今仮に、中国が戦争を仕掛けてきても、日米同盟の前では日本を圧倒的に制圧することはできないだろうから、そういう行為はむしろ嫌悪感を増すだけになる。今、すでにそうなっている。
中国が、共産党による軍事独裁である限り、平和台頭は不可能であると、自ら証明している。

中国が、重ね重ね、日本に対して、「世界から孤立するゾ」と言うのは、まさに自己投影であって、どうにも抜け出せない自らの体制の呪縛を、その対極にある日本に、叩き付けているのだろう。

深淵な中華文明を貶め、屈託のない中国人をたぶらかしている、中国共産党という利権集団がいるかぎり、中華人民は目覚めることはないだろう。
ただし、共産党の命脈を繋いでいるものは、「めし(経済)」であり、これが断たれればたちまち叩き出される。

オバマ政権は、ロシアに経済制裁をちらつかせているが、むしろ、ロシアは抱き込んで、中国こそ経済制裁しなければならない相手だ。
ところが、アメリカはすっかり中国に玉金を握られている。

なにより、アメリカには伝統的に中国びいき、東洋の神秘へのあこがれと、同時に蔑視(侮り)があり、中国を直視したがらない。同じ事は、日本の軍国主義を手遅れになるまで成長させた原因でもあった。


ラット君

2014年06月09日 | 日記・エッセイ・コラム

ミネソタ大学の神経科学者David Redish氏によると、実験用のラットが、スンナリ、エサを取れないと、後悔をするのだそうだ。
行ってしまったエサを振り返り、脳信号が反応するのだという。
そして、人間と全く同じように、次からは行動を変えるのだそうだ。

統合失調症など精神疾患のある人や、アルコール依存者や麻薬中毒者などは、失敗に学ぶことが難しいが、普通の人間は後悔することで、次からは良い決断ができるようになる。つまり、失敗は成功の基と言うことだ。

しかし、普通の人でも、やはり、人様々でバラエティにとんでおり、一概には言えない。
失敗を後悔することは誰でもするだろう。失敗を悔やんだその後、何をしたのかを考え直し、二度と同じ失敗をしないようにするのが反省だが、悔やんだ感情を人にぶつける人がいる。それは恨みになる。そして、同じ事を繰り返す。

大きく分けて、失敗を反省する人と、悔やんでも反省できない人がいる。これは、精神疾患が原因ではない。

人と付き合う場合、相手がどちらのタイプか真っ先に見極めないと、決して良いことにはならない。
いつか必ず、とばっちりを食らい、「関わり損」と、気づいた時には、もうすでに、手遅れになっている。

あなたの横にはいませんか。
そこが可愛いと言うなら、何も言うことはありませんが。


中華の星

2014年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

土星の力
今年の末。12月24日のクリスマス・イヴに土星が射手座に入る。
射手座は、情報・通信、交通、スポーツ、教育、ジャーナリズム、法曹、外交、宇宙など、一言で言えば、人間の肉体と精神が憧れ目指すところだ。
土星が入れば、それが萎縮する。

とは言え、他の星の配置はさほど悪くないから、日本は天秤座の時ほどひどいことにはならないだろう。ただし、世界的には「凝固」が起こる。  (問題と復古が起こる)

戦後、土星が射手座にいたのは1956~58年で、日本では、政治の55年体制が固まり、世界では、せめぎ合いの中で東西冷戦が完成した。天王星は獅子座の時代だった。

次に土星が入ったのは、1985~88年。この時は天王星も射手座にいて、Windowsの発売が始まった。シートベルト義務化、餘部鉄橋転落
大韓航空機爆破事件などの他にも、交通やマスコミに関する、いかにも射手座らしいことばかり年表に並んでいる。

射手座の土星は精神の保守化、懐古も表すから、中身はどうであれ、ある意味で安定の時代と言えるのかも知れない。

興味深いのは、むしろ射手座の後で、土星がヤギ座にかかってくると、180゜のカニ座、中国がおかしなことを始める。
58年は2000万人以上の餓死者を出した、大躍進政策が始まった。
89年は天安門事件だ。
次は、2018、9年頃になるわけだが、習近平がどことなく毛沢東に似ていると思うのは、先入観だろうか。だとしても、李克強は周恩来とは似ていない。

中華識別圏
土星2018年はいざ知らず、木星カニ座の現在、中国はドンピシャリで、海南島事件と同じ事をやってくれた。今のところ、接触墜落してはいないが、アメリカ機と自衛隊機の違いで、「敵機への果敢な挑戦」は全く同じ。彼らの頭は未だ解放闘争の戦時中だ。

木星という吉星は、一見、成功のように見えるが、栄光や栄華は結果を享受する受賞のようなものであって、そこから始めるものではない。思い立って建てた家には、後でローンが重くのしかかる。

中国は、してやったりと思っているのだろうが、今や中国の「意図」を誰も疑っていない。
それでもなお、中国が「我が国は争いを否定する」と、厚顔で高らかに宣言するのは、それがまさに4000年の伝統だからだ。

中国の精神をそっくりまねた時代の日本書紀の中では、中大兄皇子が謀略にはめた有間皇子に、白々しく「どうして謀反など起こそうとしたのか?」と尋問する。有間皇子は「天と赤江のみが知っている」と、暗に「お前が言うな、お前が張本人だ」と言い捨てる。

力のある者には勝てない。どんな悪いことをしようと、力で押さえつけ、法と正義を行ったような顔をすれば、それが正義になる。そしてそのことを誰でも解っているから、抹殺された人間への同情がわく。

そういう中華式の「道理」こそが、どこまでも突っ張ろうとする中国の「正義」であり、メンツだ。
そして、その伝統をかたくなに守っているのは朝鮮半島であり、それをうまくあしらえない日本も、欧米からは同様に見られている。


因果鉄道

2014年06月02日 | 日記・エッセイ・コラム

定めの未来
未来予測や未来ビジョンは、ほとんどの場合、「そんな馬鹿な話」と思われる。

現在を不変と考え、現在と違う姿を想像できない人には、未来の話は突飛に聞こえる。頭から否定するか、信じ込んで過剰に恐れたり期待したりする。
しかし、未来は現在と同じではなく、一方で、現在を前提にしなければ未来は成り立たない。必ず現在とつながっている。

未来予測は、現在がこうなら未来はこうだろうと、台風進路の予想のように、一定の範囲の中でしか予想できない。
座して待つ未来予測に対し、意思表示である未来ビジョンも、現在から発想される。木に竹を接ぐような未来はない。

可能な未来
夢の話と思われる未来ビジョンも、拒否する前に、荒唐無稽か可能な話か、よく吟味してみなければならない。
いかにも現実的な話が、実は、「大きな弊害」を伴うものであったり、あり得ないようなバラ色の話が、全く不可能でもなかったりする。

たとえ、嘘っぽいうまい話でも、可能性があるなら、訳知りに否定するより、冒険心を持ってチャレンジすべきだろう。
遠い未来の話には、人間は何故か否定的で、そのくせ、目の前のうまい話には、リスクを忘れて飛びつく。人間は常に現金だ。

欲望の現在
喉元過ぎれば熱さを忘れると言うが、こらえ性の無さで、口当たりが良ければ毒でも飲み込む。
お金で包んだ原発を、日本中の自治体が喜んで飲み込み、原発事故が起こったとたん、耐えかねて、今まで何も言わなかった人まで
「ギャー!止めろ! 今すぐ止めろ!」と、のたうち回っている。

「あんた泣いてんのね」
♪ だか~ら言ったじゃないの~
(歌:松山恵子 作詞:松井由利夫 昭和33年)

原発政策が始まった時から、「大きなリスク」は、分かっていた。
しかも、同時に、数多の自然エネルギーの知識もあったにもかかわらず、無視されてきた。
「明日のディナーより、今日の毒リンゴ」を求めるのが人間だ。

→「思わず」 →「うんざり」 

原発特急は、FUKUSIMAで脱線した。脱線したからと言って、急に止めようとすれば、後続車両が折り重なって激突転覆する。
脱線した特急は直ちに止めなければならない。しかし、ある程度走らせながら止めなければ、被害がさらに大きくなる。
「原発を直ちに全面止めろ」も、目先の危険な毒リンゴだ。

大きなビジョンに向かって進むためには、感情行動を抑え、確たる目標と、今とるべき行動をよくよく考えてみるべきだろう。
「とにかく、今すぐ止めろ」ではなく、最終的にどう止めるのか、代替エネルギーをどうするのか。ビジョンを示して欲しい。
初めから原発に反対していたのなら、すでにそのビジョンがあるはずだ。