西が東を活かす
九州と近畿では、九州の方がさらに過激だが、西のアピール主義には変わりない。
その西の阪神大震災ですら、外国から見れば慎ましく見えた。
日本全体に浸透した、東の武士道と職人気質こそが、日本のイメージを作り上げている。
しかし、面白いことに、葉隠は九州で書かれ、東芝の前身創業者の天才からくり職人・田中久重も九州だ。
ただ、これは江戸時代であり、東の価値観がすでに全国に行き渡った後で、それを西流に「形」にしたものといえるだろう。
さかのぼれば同じように、奈良以前の大陸文化に対し、平安以後は明らかに東国の運命論的、涙といやしの感性が融合している。
関東・東北は何事も自然現象のように受け入れ、自分たちをアピールすることはない。
赤いものは見たとおり赤なのに、なぜそれを、わざわざ「赤い」と言う必要があるのか・・・そういう感性だ。
一方、西の大陸型「かけ引き」では、相手に関心が無くても「赤い」と知らせ、「赤い」と認めさせて、初めて「赤い」ものの存在意義が生まれる・・・そう考える。
商売でも西は、売る時と買う時では、同じ人でも、立場によって違う人間になると考え、東は、売るのも買うのも同じ人間じゃないかと考える。だから西から見れば、東は「売ってやる」的な態度に見える。
西は古来より、洗脳、押しつけを得意としてきた。
九州から近畿に進出して、神話によって大和朝廷を権威づけした古代。
朝廷権威を利用して政権を取った明治維新。
それに対して、東の鎌倉幕府も江戸幕府も実力統治を前提にし、既存の朝廷を自然環境のように受け入れ、利用することも滅ぼすこともなかった。
世界の中で、特異と言われる日本のスタイルは、この東の生き方がベースになっている。
説明下手、反応の鈍さ、かけ引き外交下手、アピールより品質、黙々と信用を築くこと、博打嫌い・・・
しかし、明治以降、今日の日本を引っ張ってきたのは明らかに西の「駆け引きと博打」精神だ。
仮に、東の政権なら、日清、日露の戦争もなかっただろうし、また逆に、日本はどうなっていたかわからない。
また、その逆に、東京が首都になっていなければ、太平洋戦争はなかったかも知れない。信仰とも言える融通性のない軍国主義は、その後の東京で形成された。
西は世界原理に通じ、東は日本らしさを醸成してきた。
いわば、東が原石なら西は彫金師だ。西が世界と勝負するために東の資質が役に立った。
複層の日本
戦後の日本経済は技術力と信用で世界に売り出したが、工業生産からソフトビジネスの時代に入り、知的所有権やM&A、金融マネーのような、「かけ引き」や「抜け目なさ」が物を言う時代に入って、東の日本原理が通用しなくなり、孫正義のような素早い西が現れてきた。
日本企業は閉鎖的だと非難され、このままだと自滅してしまうと心配されている。確かに、時流に照らせば株主無視だ。
しかし、技術と信用を基本とする日本の企業は永続性が命であり、M&Aのようなマネーの手段とは相容れない。
したがって、ホリエモンの言うように、上場という手段そのものが間違っているのかも知れない。
「外資を導入しなければ、設備投資などに後れをとり、経済全体が沈下する」・・・もっともな意見だ。
しかし、果たして外資なるものに、どれほどの信頼性があるのだろう。
グローバル化を囁く博打打ちから金を借りて、安心してもの作りができるだろうか。世界の物価高騰の主犯も、明らかに投機マネーだ。
発展途上国なら、どんな借金もやむを得ないかも知れないが、日本は、とりあえず焦ることはないはずだ。
うまくすれば、
株式市場の活性化と、企業防衛は両立するかも知れない。
日本経済と東証の沈滞は、企業の東京化が原因だ。
内向き保守の東日本の感性が、維新の軍隊を後に軍国主義化し、官僚の宦官化を招いたように、東京は金融機関はもとより、関西系の企業をも宗教集団化し、第二の敗戦であるバブル崩壊を招いた。
現実感と創造的「機敏さ」を失った東日本の信仰心では、ソフト時代の市場原理には対応できない。
商売には、早さと要領も必要であり、日本の貿易も創生期は関西だった。現在の東西企業文化の顕著な例は、docomo対softbankだ。
東京市場の沈滞は、多様な企業理念や業態を、一つの市場で取引していることも原因かも知れない。
早い話、ジャスダックと東証の「立場」を入れ替えたらどうだろう。
資金調達の場として上場する企業は動物市場。ステータスとして上場している企業は植物市場とにでも、別けたらわかりやすい。
植物市場は、出資者と経営者が同士的結束で企業を育てようと考える会社を扱う。本来、上場の必要もないが、同士の参加に門戸を開く意味で上場する企業であり、企業間の融通市場ともなり、安定資産として考える株主にも価値がある。
動物市場は、何でもありの格闘技場として解放すれば活性化は間違いない。
日本はやはり、もう一度、関西をエンジンにすべきで、それは九州でも良い。連邦制にすれば、自動的にそうなるかも知れない。
ただその場合、東西の亀裂は深まるだろう。