魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

立場なし

2012年09月30日 | 自動車人間学

今回の、中国の異常なまでの日本攻撃は、実際の所、胡錦濤が面子を潰されたからだと、中国側(唐家璇)が伝えている。
色々な思惑が絡んだ言葉だろうが、案外、本当のところかも知れない。

しかし、だとすれば、「やれやれ」としか言いようがない。
中国や北朝鮮の、序列第何位とか聞く度に、ラストエンペラーの冒頭、宮廷に居並ぶ宮臣に掛ける号令のシーンを思い出す。
清朝まで続いた古代帝国が、共産党に厳然と存在している。

竹島問題での日本の強硬姿勢を、韓国は天皇を侮辱したことが大きいと信じている。確かに日本の中にはそれを怒る人達も存在するが、日本人の怒りの中心は、どの島にしても「無法」であって、韓国が核心と思っている天皇の問題ではない。つまり、韓国のマインドにこそ帝国が存在している。

一方、誰でもそうだが、人は他人を罵る時、まさに自分の尺度で罵る。
韓国は、日本の残虐非道を語るために、慰安婦問題以前から、植民地時代の日本の官憲の性的拷問風景を執拗に展示していた。
今回は、中国が日本を泥棒だと新聞広告までしている。
蛇の道は蛇と言うが、蛇の目は蛇の目だ。まさに、語るに落ちている。

だが、だからと言って、日本の言い分が全面正しいとも思わない。
日本の、論理の正しさは、前提条件が定かではないし、国際法というルールそのものが国連と同様、かなりうさん臭い。

エンジン
まあ、そうした国家問題は別として、胡錦濤は何に腹を立てたのだろう。中国の面子とは、長子中国の立場のことだが、このことは何度か触れているし又の機会にするとして、胡錦濤と野田の立ち話の瞬間、何があったかピンポイントで考えたい。

自動車人間では、胡錦濤はエンジン、野田もエンジンのスポーツタイプ。エンジンにはハンドルもブレーキも付いていない。一端、走り出すと止まれない。だから、予想外の壁にぶつかると爆発する。崖があっても飛び降りる。

二人が会ったのは、始めから短時間と決まっていた「立ち話」。どちらも話し合う気はない、意思表明だけだ。胡錦濤が、「事態は重大」と言ったのは、エンジンが、フル回転で中国としての信念をぶつけてきたのであり、微塵の迷いもない「決行」だった。

一方、野田も、それ以前からの「領土問題は存在しない」という信念に基づき、都よりも国が購入することが最善と、相手も了承しているものと信じ込んでいた。だから、通訳を介した相手の言葉は、従来通りの単なる決まり文句程度にしか聞いていなかった。

元来は、臨機応変のエンジン同士は、ぶつかり合えば、現実の言葉に対して、どちらも、不満を残しても妥協はできる。しかし、相手の言葉を持って帰って噛み締めるタイプではない。
15分の言いっ放しの「立ち話」では、互いに、自分は「言った」のだから、相手は理解したはずだと信じ込んでしまう。

エンジンは物理的で現実的だ。抽象的な言葉をひねくり回すことは性に合わない。エンジンの菅総理が原発に飛び込んだことも、具体的な手応えを求めてだ。手応えのある直接行動だけを信じるエンジンにとって、この場合の「立ち話」は、自分が「話した」行為だけがすべてだ。

自分の「決行」が、通じたと信じ込んでいた胡錦濤にとって、ほぼ同時の反対行動(国有化)は、突撃中に突然現れた壁だ。死のうが生きようが、体当たりして爆発するしかない。
おそらく、実際に激怒したものと思われる。

胡錦濤が激怒したとしても、他の国なら、ここまでのことはなかっただろうが、そこはやはり中国だ。皇帝が怒れば戦争も始まる。
随が亡んだのは、小国高句麗に頭にきた煬帝が、意地の戦争を繰り返したからだった。


暴走周期

2012年09月27日 | 日記・エッセイ・コラム

日中国交正常化40周年行事が、取り止めになった。
「天王星84年周期」の中間決算は、42年だから、まだ2年早いが、日中関係の一つの実体だろう。

この、日中国交正常化の1972年を起点に、84年前を振り返っても、日中関係については大きな出来事が無い。

ところが、今年2012年を起点に、42年遡ると、
1969年は、文革の最中で、中国は中ソ国境紛争(珍宝島)を起こし、この時、日本に対しても、「日本が軍国主義の復活」と口撃した。

さらに、この1969年から42年遡る84年前には、
1927年、国民党の北伐軍が南京で暴徒化し、列強を襲って略奪。日本人にも死者が出ている。

さらに、1927年から42年遡った
1885年は、清仏戦争があり、翌1886年には「長崎事件」を起こしている。(この時は、土星もカニ座)
新鋭巨艦で得意になって押しかけ、狼藉を働いたこの「長崎事件」こそが、今の中国の態度と、全く重なる、中国の本質を象徴するものだ。
(対中観が悪化し、8年後の日清戦争の一因にもなる)

弱者を見下す上下意識。優位な道具で有頂天になる単純な即物思考は、中国での自動車所有者の横暴な運転や、官憲の態度、チベットやウイグルでの行状に現れている。

そして、この上下意識の裏返しが、欧米列強に対する恨みになり、即物思考が、アメリカの軍事力に対する怖れとなり、軍備拡大をすることが自らの地位を上げ、他国への威嚇になると考える。
「長崎事件」から126年。中国の本質は何も変わっていない。

天王星84年サイクルで見る今年は、中国が好戦的になり、内乱、暴動、交戦を引き起こす時期に当たるようだ。

不味い掻き上げ天ぷら
そもそも、中国大陸は大き過ぎる。身内意識や、氏族集団が、小麦粉のダマのように、まとまらない状態で存在している広い土地だ。
まとまらないから、この地の人は常に統一を夢見る。

ところが、元々が、氏族的な一体イメージしか持てない人達だから、
統一とは、別々の氏族が一つの氏族になることだと、矛盾するイメージを持つ。だから、永遠にまとまらない。

にもかかわらず、無理に一つの「掻き上げ天ぷら」にまとめようとすることで、常に争いが続き、戦争混乱が常態化している。
家族哲学の儒教の国だからこそ生まれた兵法の国だ。

日本こそが古代中国の英知を実現していると言われるのも、狭い土地だからこそ、家族国家が実現したということだろう。

北京オリンピックの開会式で、多民族共存の国を歌い上げていたが、民族意識で考える限り、中国はいつまで経っても古代帝国だ。
良し悪しではなく、近代国家を真に実現しているのは、結果的にアメリカであり、始めから民族によらないから可能になった。
中国のような大地域を、どうしても一つにまとめたいなら、ベターな方法は、アメリカ型だ。


中間利益

2012年09月26日 | 兄弟関係

同じ下の子でも、末っ子と中間児はまったく違う。認めて貰うため威張りたがる末っ子に対し、中間児は人を馬鹿にしたがる。
末っ子だった中間児も、元々は威張りたがりだったわけだが、下の子ができて、自分が日陰に回ったことで、自慢による自己主張が屈折してしまった。

自慢したり人にほめて貰うことを、素直にはできなくなったことで、人の欠点を発見して、自分が比較優位に立ったと納得したい。
末っ子、中間児、いずれにしても、下の子は比較による勝ち負けで、人の価値が決定すると考える。

これに対し長子は、独善独断の独りよがりで、誰かと比較しているワケではない。しかし、下の子から見ると、長子の自惚れの言葉を、比較のために挑んで来ていると受け止める。兄弟の間では大抵これで折り合いが付くが、外で、対等の友達同士の場合、長子は思わぬ反撃や攻撃に驚いてしまう。

国別兄弟関係に見る、長子中国の、国際社会での自己主張が、まさに、これに当てはまる。常に、場違いの命令を叫び続ける。
国際関係から逆に、兄弟の特質を読み解く面白さでもある。

中間児の馬鹿にしたがるクセは、長子や末っ子ほど解りやすくはない。
中間児の性格が形成される環境は、長子と末っ子のストレートな衝突の陰に隠れ、都合の良い方を見極めて、自分の態度を決定する。
だから、極力、目立たないようにしている習慣が身につくので、心の動きを捉えるのは難しい。特に、長子や末っ子には分からない。

中間児の特長は、声を荒らげず、話す時は、周囲の反応を常に確認しながら話すので、目がチラリチラリと動く。
また、自分の責任や間違いが問われそうな気配を少しでも感じると、相当、焦った反応を示す。急に早口になったり、語気が強くなったり、逆ギレしたり、時には体調不良になる。
日頃は静かでやさしく、当たりが良いので、あっけにとられることがあるだろう。

また、得意になる時は、直接的な自慢はしない。ちょっと自慢になったかなと思った時などは、「あれっ、何でこんな事知ってんだろう?」などと自分で茶化したり、懸命に自慢では無いことを説明しようとする。
ほめられたりすると、ニヤリと嬉しそうにするが、「まあな」程度の反応しかしない。この場合、長子は微妙に違い、苦笑いになる。

中間児は責任を負いたくないから、間違いを認めたくないし、謝りたくない。だから、よほどのことが無ければ謝らない。その前に、とにかく責任を負う事態を回避する。役職的にもナンバー2を好む。

上の実力で立場を得て、下の者に責任を取らせる。この逆もあるが、自分が直接手を下さず、口だけもっともらしい顔をするのに慣れているから、人に「こうしてご覧」などとアドバイスるをする。長子や末っ子はすぐその気になって動かされるが、実際には、自分がしたことも無いことだったりすることも少なくない。

「アドバイス」された者が上手くいくと、「そうだろう」と言う顔をしているが、失敗すると、誰かそれを言った人や本のせいにするか、時には
「えっ、本当にやったんか!テレビで言ってただけであんなものは当てにならんよ」などと、やった方が悪いみたいに言うこともある。

この辺りの付き合い方は、中間児同士は解るが、長子や末っ子は気をつけた方が良い。そうとう間抜けに見える。


年上の弟

2012年09月25日 | 兄弟関係

明石家さんまが、知り合いの年寄りに会って、「こんな、ちっちゃかったのに」と言われたのがよほどムカついたらしく、時々それをギャグにしていた。早く一人前になりたいと思う下の子は、子供扱いにされることを嫌う。

下の子は、大人に見られるのを喜ぶし、子供の頃の話は子供扱いにされたように感じて、嫌がる。
逆に、長子や一人っ子は、客観的な話が好きだから、子供の頃の話は、人にどう見えていたのか、情報として知りたがる。
また、人から見た自分と、自分自身とは関係ないと思うから、子供っぽく見られても気にしない。むしろ喜ぶこともある。

下の子は、人の見た目を良くほめる。
何を笑うかで、その人の人格が分かると言われるが、何をほめるかでも、かなり、その人の価値観と人格が分かる。
(一番、分かるのは、何を怒るかだが)

「空気」を読んで生きる下の子は、他人の評価を自分の価値と思うから、常にほめられたい。
一方、長子は、ほめられてもあまり喜ばないし、人をほめない。評価や感心はする。

ただ、いつも言うように、これは基本であって、いずれにしても、トレーニングされた人はこの限りではない。

年下の姉さん女房
年上の夫を理解できないという妻の長女。夫は末っ子だが、年下の自分が「姉」で、年長の夫が「弟」の関係にあるとは理解できない。
すべて、そう思えば解決する話ばかりだが、年長の夫を尊敬したいからそうは思えない。だから、反って夫に失望する。

始めは末っ子のワガママを、指導力だと思っていた。威張りたがりを頼もしいと思った。そう思ってやって来たが、夫の始めた店を手伝ううちに、何と無責任でチャランポランかと思い出した。
できもしないことを安請け合いする。威勢は良いが、いざという時には妻にまかせていなくなる・・・

こんな人だったのかとあきれるが、「一家の主人」なのだから付いていこうと夫を立ててガンバルものの、どうにもフォローしきれない。
とうとう、鬱気味になってしまった。

こんな場合は、夫を自分の弟だと思ってから、応援するつもりになれば上手く行く。弟を温かく見守りながら、ダメな時は進言ではなくアドバイスをする。ここ一番には、厳しく指導する。出来ないことは出来ないと解らせる。
こちらの機嫌を取らせるぐらいでちょうど収まるのだ。
女房が怖い怖いと言うのも下の子だ。

姉の気持ちになれば上手く収まるのだが、問題は、妻本人が、夫には頼るものと、強い幻想を持っていることだ。
この幻想自体が、長子の陥りやすい独善的な理想主義なのだが。


有り難や

2012年09月24日 | 日記・エッセイ・コラム

土星はいよいよサソリ座に入って来た。中国はとりあえず思惑通りの成果を上げたと思いたいようだが、それは中国の思惑だ。

この3年間は、日本の「ダメダメ」の総仕上げだった。自民党は、すべて民主党のせいのように言うが、ある意味、この3年は自民党にとってラッキーだった。どちらにしても大難はやって来たわけで、自民政権ならむしろ、一貫して自民党の責任として、党は壊滅していただろう。
前政権の無能ぶりは、震災後の彼らの態度で証明されている。

どの党がダメとかマシとか、おそらく国民は、もう辟易しているだろう。国民にとっては、どの党もダメだと解ったことが唯一の救いだ。
既存政党は、わずかの議員削減を、いまだにあれこれ言っている。
実際、橋下維新が半減と言うと、「あり得ない」と鼻で笑っている。確かに、既存システムで糊している彼らにとっては、夢にも無い話だ。

大転換の時、前例や、既存概念でしか物事を考えられない人間や勢力は、どんなに優秀でも、後の時代に見れば、気の毒な愚か者だ。
しかし、だからと言って、橋下維新が主流でもない。
川の奔流は、思わぬ静流に流れ着くものだ。

大転換の時だと誰もが感じている。しかし、それがどの程度の激変なのか、時の現場では解らない。
冷戦体制からの大転換。産業革命パラダイムからの大転換。人類史上の大転換・・・おそらく、そのすべてが関わっている。

冷戦体制からの大転換は、領土問題に見られるような、パワーバランスの転換であり、せいぜい世紀内の問題だ。
産業革命パラダイムと人類史の大転換は、地球環境を変える「人類という生物」が、自ら生み出した壁で、何世紀にもわたる脱皮だ。

有り難や有り難や
人類史上の大転換では、通貨は無くなるだろうが、それがどのようなプロセスなのか、考えれば考えるほど凡夫には解らなくなる。
状況から見て言えることは、
大量生産・消費が、対価としての通貨を失墜させ、通貨の失墜が大量生産を崩壊させる・・・大まかに、そう言うことだろう。

その過程で、国家や、企業は変質、あるいは消滅する。いずれも、大量生産・消費の産革パラダイムの申し子だからだ。
このことは、中国という大人口が生産者に変わったことで、状況が加速した。余談だが、中国の人口と世界の人口比は、東京圏と日本の人口比に匹敵する。

大量生産による物の飽和状態は、先ず物の価値を失わせる。付加価値の生産にも限界がある。(ブランドや知財権の崩壊)

大量生産→付加価値→付加価値の失墜→あぶく銭の失墜→近代国家(装置)の崩壊→大量生産の消滅
マネーの暴走、ソブリンリスクなど、今世界で起こっている危機は、その兆候。始まりの始まりだろう。

複雑な物事の実体は、案外、単純な真理だ。
つまり、産革パラダイムは色即是空であり、悪人こそが悟れるのであり、大洪水の後に清浄な世界が来る・・・あー、恐ろしや、有り難や


自己紹介

2012年09月21日 | 日記・エッセイ・コラム

定見も無く中国進出するのはバカげている。しかし、日本にもう少し国際感覚があるなら、中国とはつき合える。むしろ朝鮮半島より面倒が無い。

朝鮮半島は同類であり(互いに違うと怒るだろうが)、それだけに、どこまで行っても近親憎悪をぬぐい去ることはできない。近親憎悪は相互の甘えだから、冷徹な目を持てない。
ただし、歴史文化的には朝鮮半島は大陸兄弟で、日本は離れ小島の一人っ子。(朝鮮半島とは一般的に言う血統的な近親)

知的な影響力は受けたが、日本と中国は言語構造がまったく違う。何故かは学者におまかせして、とにかく、言語の違いは思想・感性の違いであり、日中関係は歴史的にも本格的な国際関係の第一歩だ。

感性も思想も違う集団同士の交流は、機微を理解しないから、反って上手く行く。国際結婚と同じで、お互いが理解していないことさえ認識していれば、極めて上手く行く関係だ。

国際結婚や、年の差結婚、見合い結婚は、何か上手く行かないことがあれば、「やっぱり違うところがある」と、諦めることができるが、心は一つと思い込んでいる恋愛結婚は、違いに我慢ができない。

国際関係でも、遠国と上手く行くのは、直接の摩擦が発生しないこともあるが、始めから、互いの違いを割り切っていることが大きい。
国際関係のコツは、「違い」を認め合い尊重することだ。

日中は、接してはいるが、国際関係という点では欧米と少しも変わらない「異文化」だ。同類と思って接しない方が上手く行く。
このことは、中国にも解ってもらわなければならない。
ただし、向こうは上下意識から抜け切れていない国だから、上下を感じさせず、あくまで文化背景の違い、異質を強調する必要がある。

自己主張では無い発信
日中関係が、長年にわたってこじれてきたのは、日本側の粘り強い説明が足りないことが大きい。このことは中国のみならず、世界に対する説明不足という点で、日本の一貫した問題だが、ことに中国とは近いから、互いに解ったような気になっている。

日本文化の「奥ゆかしさ」だと悦に入り、「私はこういう者です」と自己紹介をしないのであれば、それは単なる閉鎖的な蛮族で、どこかの自治領に収まるしか生きる道は無い。

日本の神道からすれば、靖国は薩長にうまくすり替えられていると思うのだが、それでも靖国参拝は日本人の信仰心から出ていることであり、中韓の思う軍国主義とは関係ないことを、正面切って説明した方が良いと思う。また、そのことで、日本人自身も、靖国とは何かという問題を、根底から考えることができるだろう。

しかし、もっと重要なことは、問題ごとに主張する前に、日頃から、日本人はこういう考え方で、こう考えていると常に発信しておく必要がある。
法治主義、民主主義、宗教、平和、歴史などについての考え方を、日本文化、日本観光の紹介にリンクさせて、入門から探求まで、段階を別けて多くの言語で、面白く理解できるようにしておくべきだ。

マンガやアニメを通して、日本にはかなり馴染んで貰っているが、もっと、系統的に、日本の伝統や道徳観も知って貰う必要がある。
戦時の狂行は、どの国にもあることで、それが本来の日本ではないことを、やんわりと、しっかりと解ってもらう必要がある。

イスラム原理主義のテロによって、イスラム教は恐ろしいイメージがあるが、多くのイスラム教徒は優しい。
発信しない日本は、これと同じように、不可解で恐ろしい、不気味な国だと思われやすい。発信は自己主張では無い、説明だ。

日本昔話など、そのままのアニメでも良いし、普遍的な物語りにアレンジしても良いが、かぐや姫や浦島太郎のようなSFチックな話から、特に「青洞門」のような、忠臣蔵とは反対の物語があることも知ってもらいたい。

敵討ちの思想は、世界では意外と一般的だ。人間のアイデンティティには必要なのかも知れないが、そういう素朴な闘争心を克服する考え方があることを、改めて外国人にも日本人にも知って欲しい。


世代時代

2012年09月19日 | 日記・エッセイ・コラム

敬老の日、団塊世代が65才の高齢者入りしたと報じていた。
高齢者の可処分資産は60%だと、産業界は色気を出していたが、どうやって金を引き出すのか、各業界の現役世代が頭を悩ましていた。

カラオケでは、「シニア世代」は一緒に歌うのが好きらしいと、大きめのスペースをつくっていた。
昔の時代や世代を全く知らないようで、気の毒になった。
団塊以後とそれ以前の世代では、極端に好みや価値観が違う。

昭和21年生まれと22年生まれを境にして、歌、ダンス、ファッション、遊び一つとっても、経験と考え方が全く異なっている。
21年は焼跡派のしんがりで、22年は戦後世代の先鋒だ。

例えば、21年生まれにはジーンズに抵抗感のある人が少なくないが、22年は皆無だ。同様に、ステップを踏む社交ダンスと、気ままなゴーゴー。合唱の歌声喫茶と、エレキを抱えて勝手に歌い出すGS。
先輩後輩の序列を配慮する世代と、それを嫌い自己主張する世代・・・真反対ぐらい違う。もちろん、どちらにも例外はある。

社交ダンスや合唱は焼跡派の「シニア」で、団塊以後は「シニア」を自覚しないだろう。おそらく、「何かを始める」手助けがビジネスになる。

中堅世代
それはさておき、どうやら、来たるべき時が来たようだ。
30年ほど前。学生の価値観や言動を見ていて、これはやばいことになるんじゃないかと思った。

人の能力や価値を、偏差値で語り、僕や俺ではなく「私」と自称し、妙に社会人ぶった言葉を使う。
知識」に忠実な人が、社会の中心に育ちつつあった。

学校で習うことや、情報による既存知識に疑いを持たず、正確に活用することが「優秀」と信じられる世の中になっていた。
一方で、全くこの逆に、既存知識をすべて否定する思考が、あたかも洞察力かのように人気した。(00は無かった、いなかった)

自分の現実感や大局観から考えるのではなく、与えられた知識、価値観を正しく把握し、それに沿って、つじつまを合わせる。
だから、独創性とは既存知識の裏返しだと考える・・・

そうした「優秀」な若者が、麻原彰晃の、既存知識の宝石箱に飛びつき、魅せられ、空中浮揚を実践しようとした。
また、暴走族も、良い子の裏返しであり、アウトローさえも、戦後焼跡の学生ヤクザなどとは次元の違うものだった。

世はバブルのブランド時代で、ブランド品の知識量がファッション「センス」と考えられ、既成アイドルがスターになった。
そして、その世代の若者は「偏差値世代」とか、「オウム世代」と言われることを極端に嫌った。それほど無自覚でプライドが高かった。

この現実感のない世代が、社会の中堅になったらどうなるんだろう、と非常に興味があったが、
今、まさに、その時代が来ている。マスコミの論調、政治家の言動、企業の動向、すべてこの世代がリードしている。

つまり、こんな時代になった。


ミイラ取

2012年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム

企業が、もうけを考えるのは当然のことだ。しかし、目先の利だけを考えて原発停止に反対したり、人口に引かれて中国に殺到するのを見ていると、企業経営者には、先見の明や大局観など全く無いということを改めて思い知る。単なるゴールドラッシュの亡者に過ぎない。

なぜ、定見もなく、こうも浅ましいのか、考えてみると、現在の日本企業の経営者には、ほとんど創業者がいない。
経営専門家や跡継ぎ経営者は、決して企業を潰すわけには行かない。

創業者は、極端に言えば、「どうせ自分が興した会社だ、潰しても文句はあるまい」と腹が据わっている。
無茶な突撃もできるし、自分の判断で撤退もできる。
経営の専門家は全くこの逆だ。失敗も許されないし、利益を捨てて撤退することもできない。良い成績のことしか考えられない。

先見の明は、商売だけとは限らない。
ある創業経営者が、およそ高級住宅街とは言えない所に、自分の屋敷を構えた。すると、その屋敷があることで地価が上がり、跡継ぎ経営者達の間で、その界隈に居を構えることがステータスになった。

つまり、成功後の日本は、この程度の、後追い経営者ばかりになった。
自分の信念で興す多彩な創業が失われた。社員も、就職システムで入社し、今日の多くの経営者も、そのレールを走った結果だ。
この逆に、現在の中韓の経営者は、みな創業経営者だ。

中国の、人口という撒き餌に群がる企業には、理念がない。
大局観や信条によって行動するのではなく、ただ目先の欲、電車に乗り遅れるなの熱狂で進出し、逆に、損失を恐れて、撤退のタイミングを失う。

企業は生産基地を海外に移した方がいいと思うが、アメリカのような移民国家と、排他的な民族国家とはまったく違う。
日本もそうだが、民族国家は他者を受け入れる気がない。吸収して自分のものにしようと考える。

高速鉄道に見るように、中国のような巨大民族国家は、もともと危険だ。ロシアもサハリンプロジェクトの例がある。
日本が40年掛かって開発した虎の子の中空紙膜を、サムソンは3年で開発したそうだ・・・???

やはり、海外移転なら南北新大陸や、法治精神のある国だろう。

「虎穴に入らずんば虎児を得ず」と言うから、チャイナリスクを知りながら、入ったつもりだろうが、「ミイラ取り」はやはりミイラになる。
撤退の時には、ノウハウを含め、すべてを置いて撤退することになるだろう。

再来再見)(傾城大陸


後追い座

2012年09月15日 | 占いばなし

と言えば」で、本体の星座に対し、第10室の星座が外向きの顔になり、双子座のアメリカの場合は魚座で、映画や音楽、麻薬がアメリカの印象、評判になる話をした。

魚座の象徴句「I believe」が表す、もう一つ重要な事柄は信仰心であり、情の宗教を表す。ちなみに、宗教の哲学的側面は射手座、儀式的側面はヤギ座、神の概念は水瓶座となる。魚座は特にキリスト教の象徴だが、宗教全般も、やはり魚座だ。

今回、イスラム圏で、アメリカ映画がモハメッドを冒涜したとして、アメリカそのものが標的になっている。
アメリカの本質は双子座だが、アメリカの顔はキリスト教で、イスラム教徒の敵と見なされやすい。そこに加えてもう一つの顔の映画で、イスラム教を侮辱したのだから、アメリカこそが敵になる。

魚座に天王星が入ってアメリカは、飛行機、爆発(天王星)から、戦争を起こしたが、一難去ってまた一難、今度は魚座の守護神、海王星がやって来た。今度は宗教、映画(海王星)で攻撃されている。

双子座のアメリカと、カニ座の中国は隣同士で、中国はアメリカの後追いをすることになる。
天王星はアメリカの第10室魚座から、中国の第10室牡羊座に移っている。

牡羊座は軍人だから、アメリカが宗教絡みの圧力を受けたのに対し、中国は軍事絡みの圧力であり、内外からの軍事圧力を受け、爆発する。
南シナ海、東シナ海での横暴は、天王星が牡羊座に入ってからであり、軍部による内部圧力と、外部からはアメリカの太平洋回帰や軍拡非難など、共産党政権にとっては、相当なストレスだろう。

この天王星に加えて、冥王星までもが、アメリカの後追いしているから、海王星の大チャンスはあったとしても、250年の大周期で考えると、やはり挫折は免れないだろう。

中国が勝手に挫折するのなら、気にすることもないのだが、アメリカが、中東を巻き込んで挫折したように、ゾウが暴れると周辺国、あるいは世界経済まで大迷惑を被ることになるだろう。


国共合作

2012年09月13日 | 星の流れに

9月10日。松下金融特命大臣が自殺した。サソリ座は「蔵」を表すので、銀行もサソリ座。(蝎の一撃

いよいよ土星がサソリ座に近づき、影響を及ぼし始めた。
10日には、土星は天秤座の27度まで来ている。(5゜の影響圏内)
土星が乙女座の時は松岡農水大臣が自殺したが、サソリ座で金融相とは・・・それも、「松」二人とも任期中で九州出身。 (蝎に来た

土星がサソリ座に来れば、中国には地味なチャンスになる
尖閣問題は、本来、全く手がかりのない中国にとって、千載一遇のチャンスだが、日本人のどれぐらいがそれを認識しているのだろう。

中国が老獪と言うより、生き馬の目を抜く外交において、日本ほどナイーブな国はないだろう。天秤座の日本が得意なことは、かけひきではなく、お付き合いや接待だ。

カニ座・中国の地味なチャンスとは、魚座の海王星とサソリ座の土星の凶星による大吉角であり、精神的な成長も表している。領土拡大だけが国家目的ではないことに気づく可能性も、無くはない

さらに、2013年6月。木星がカニ座に移ると、中国は、木星・土星・海王星の大チャンスとなり、積年の思いを一挙に解決。ということになるのだが、そうなると、日本には好ましくない事態になりかねない。
あまり喜ばしい見通しではないので、無理に穿って考えると、共産党政権の大崩壊ということも、無くはない

この真反対のどっちに転ぶかは、84年周期、250年周期から考える必要がある。
250年周期では、孫文の辛亥革命1911年から100年。1913年の冥王星カニ座からヤギ座までの半周に当たる。これは人民中国の折り返し点で、今がピーク。
一方、天王星84年は、昭和一桁に舞い戻っている。中華民国に対するソ連侵攻により、毛沢東の中国共産党が分立した時代だ。
単純に84年の繰り返しで考えると、大崩壊・内部分裂も、なくは無い

しかし、この時は三惑星の大チャンスは無かったが、直後の天王星が牡牛座の時、土星魚座、木星サソリ座と、今と似た大チャンスの配置になると、それまでの分裂から、国共合作で団結し抗日戦争を始める。

どうもやっぱり、ネガティブなイメージしか湧いてこない。

ここから始まる日中戦争は、戦争そのものより、中国の外交戦略に負けた。欧米を味方に付け、日本を孤立化させたのだ。
この時を教訓とするなら、日本が最も気を配らなければならないのは、アメリカだ。

最近のアメリカのアンケートでは、中国重視が70%に達している。
アメリカの都合で独立した日本が、頼りにする領土の線引きは、実際にはアメリカの都合次第であり、米中の利害が一致すれば、アッサリと反故にされ、梯子を外される。

木星・土星・海王星の大三角形、積年の思いを一挙に解決する、中国の大チャンスとは、何だろう。


理想の人

2012年09月12日 | 占いばなし

今年は、「いじめ」が久々に問題になり、文科大臣自ら積極的に何とかしなければと音頭を取って、色々と対策が打たれている。
大臣自らというのが珍しいところだが、この問題が大々的に話題になっていること自体、双子座の木星の年ならではの話題だ。

双子座は初等教育を表す。真反対の位置にある射手座が、哲学や大学以上の高等教育を表すのに対し、子供が、乳離れして自ら食べ、自ら考える段階を表している。「何で?どうして?」と好奇心を持つのが双子座で、「だからどうだ」と、考えるのが射手座だ。

幼児教育から十代までの教育が双子座で、哲学、法律など、大人の学びが射手座。
テレビは双子座であり、深い思考や考察の窓口ではない。アメリカは双子座であり、軽薄な善意の押し売りや、通信交通産業の中心だ。

アメリカの三大大統領は、ワシントン、リンカーン、F・ルーズベルト。ワシントンは2月22日の魚座だが、ユリウス暦の2月11日も考慮すれば、三人とも水瓶座だ。

双子座アメリカにとっての偉大な大統領が、そろって第九室にあたる水瓶座であることは面白い。第九室は元来、射手座と同意であり、精神の高みに導く憧れの境地は、水瓶座の世界ということになる。
なお、初代のワシントンは基本は魚座であり、第10室に当たる国の顔とも言える。

誰にとっても、第九室に当たる星座が、尊敬し憧れる思想や人、土地になる。

さて、話を戻して、アメリカの例でも見るように、初等教育が双子座であるなら、教育の目的は水瓶座と言うことになる。
つまり、教育の目的は水瓶座が意味する、「社会の求めるものを知り、その求める人になる」ことだ。

水瓶座は人であって人でなく、社会集団としての人間、人間の理想である神を意味する。教育の目的とは、「人に求められる理想の人」をつくることだ。理想の機械をつくることではない。

暴力団は必要悪の思想
教育の場で、いじめが横行することは、その社会の求める人が、個性的であることを拒否する社会であることを意味している。
いじめは、集団に黙認された「強者」によって、集団の標準規格に収まらない者を駆逐する行為だ。

いじめる人間を悪者にしているが、実際は周囲が黙認することで成り立つのであり、実は、集団全員が加害者だ。
「目立つ奴」、「空気の読めない奴」を、攻撃、駆逐しても誰にもとがめられない安心感があるからこそ、集団の代行者が行動を起こす。
いじめる人間は、集団の抗体マクロファージなのだ。

自分は手を下さず、目障りな奴を押さえ込むには、暴力団も適当に必要悪のような発想は、どこの社会にもあるが、ワルのお代官様と自然に繋がるような日本社会では、いくら法律や見張り組織をつくっても、形が変わるだけで、何も解決しない。

いじめを無くすには、押さえ込みではなく、社会のあり方、われわれ自身の価値観、社会の目的のあり方から考え直さない限り、また、時間が経つと同じ結果になるだろう。


と言えば

2012年09月10日 | 占いばなし

インドと言えばガンジーのように、「・・・と言えば」パッと思い浮かべること。仏教やマハラジャなど人によりまちまちだろうが、ガンジーのように、まあ一般的と言っていいであろう象徴がある。

こうした「イメージ」は、星占いでは第10室が表す。第10室は最も高い位置にあり、目立つところだ。職業や父系、名誉を表し、その人の本質ではなく、社会的立場、社会的顔を表す。

例えば、牡羊座にとって第10室はヤギ座であり、父の職業やファザコンのイメージがあり、職業としては一般的に、政治家や経営者などヤギ座のイメージになる。
牡羊座は欧州だが、父たる主のキリスト教の顔で、政治経営に長けているイメージだ。

日本の第10室はカニ座で、中国の第10室は牡羊座だ。
日本人は、日本の伝統文化が中国からの影響であることを強く認識しているが、世界からの日本のイメージは「古い伝統の国」になっている。これを、中国人は「うちが本家なのにパクられた!」と思うらしい。

一方、カニ座の中国の顔は、むしろ牡羊座の「荒野」やリーダーのイメージとなり、粗野で原始的な独裁帝国のイメージの方が強くなる。

カニ座は「家系」や生い立ち先祖を意味するので、中国の実質は、家族社会や文明の源流で、カニ座は「食」と「繁殖」も表すから中華料理や人口が本体なのだが、イメージとしては、北京原人や兵法、帝国、独裁の方が先に立つ。

日本の天秤座は「美と調和」で、美しく平和的で他人思いの穏やかな国なのだが、イメージとしては中国的で、伝統や家父長文化、人口、飲食、器用を日本と思われやすい。

実際のその人と、周囲の評判イメージとの違いを知ることは、他人の本質を知ることであり、同時に、自分が他人からはどういう存在であるかを知るのに役立つ。

ちなみに、双子座のアメリカは、第10室が魚座になり、映画と音楽、麻薬と禁酒法のイメージがある。
また、水瓶座のロシアは第10室がサソリ座で、赤や謀略暗殺、秘密のベールなど、よく解らない印象がある。
サソリ座の朝鮮半島は、第10室が獅子座となり、独りよがりのイメージ。作り話と声に酔い、英雄主義で常に自分は英雄、娯楽と激情。

最初に、インドと言えば「ガンジー」を上げたのは、山羊座インドのイメージ第10室は天秤座であり、ガンジー本人が天秤座であることが象徴的だからだ。本質は狡猾なヤギ座のインドであるにもかかわらず、天秤座の、平和主義と公平さのイメージが天秤座のガンジーによって生まれているのも面白い。


出口戦略

2012年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

一週間ほど、頭痛が続き、マイった。この間、世界的に大きめの地震が続いたが、7日夜からは目の周りが辛く、一晩中、眉間を揉んでいた。
8日、昼前に、伊予灘でM4.4があった。まだスッキリしない。

伊予灘の地震と聞けば、反射的に「伊方原発、中央構造線」と、思い浮かぶ。
奇しくも前日7日、原子力保安院は、この伊方原発と志賀原発の活断層は心配ないと結論を出した。
その翌日のM4.4。確かに、この程度では何も起こらなかった。

しかし、フクシマの前に、頻繁に起こった地震に、原発亡者達は何か反省をしたり、対策を考えたりしただろうか。
保安院発表翌日のM4.4は、「天の警告」でなくてなんだろう。

だから、すぐ原発を廃止しろと言うのではない。こんな危険なものでありながら、日本人全員が喜んで原発社会をつくってきたわけだから、産業構造上も、今さらすぐ止めることなどできない。

どこの原発には、活断層が有るとか無いとか・・・大笑いだ。

日本そのものが世界の火山・地震帯であり、日本に原発を置くことは、始めから、火の中にマッチを仕舞うようなものだ。

終わりよければすべて良し
火中のマッチをすぐ取り出せと言っても、もう火は燃えさかっている。何ごとであれ、始めることより、止める方が何倍も困難だ。
一度始めた戦争は、原爆を落とされるまで止められなかった。

何ごとも、事を起こす前は幾重にも「終了プロセス」に見通しが立ってから始めるものだ。不安ばかり考えて、事を始めないのも良くないが、一つのことを始めるには、先ず、終わりの形を幾通りも考え尽くすことが重要であり、また、それによって不安も解消する。

原発は始めから戦略の間違い、と言うより「戦略無き盲進」だ。
フクシマでもう懲りたかと思えば、原発亡者は健在で、推進だけを考えている。
一方、考えも無く付いていった人々が、考えもなく、すぐ止めろと絶叫している。

自分のやることは自分でよく観察し、自分で判断して行動すべきなのだが、人任せで生きていると、進むも引くも人のせいだから、他人に叫ぶことしかできない。
恐怖を知り、恐怖に耐えて、一歩ずつ進む「意志と精神」を持った人々だけが、世の中を切り開く。


冬が来る

2012年09月08日 | 新鎖国論

8月、ニュースで、今年の稲の作柄が報告されていた。おおむね平年並みらしい。昔からこの季節になると報道されていたので、何か久々に聞いたようで、懐かしい気がした。

以前は毎年、豊作続きで、『本当にこれでいいのかなあ』と不思議に思うことがあった。学校で習った歴史では、昔は日照りに雨乞いをしても雨が降らず、凶作で餓死する人が多くいたのに、何でこんなに豊作が続くんだろうと、ぼんやり思うことがあった。

米の豊作が続くようになったのは、たゆまぬ品種改良や農業技術向上のおかげだが、実は、戦後の天候が相対的に恵まれていたこともあった。

戦後の日本の発展は様々な幸運に恵まれていた
冷戦の狭間の民需に、地震の小康期、天候の温暖期に恵まれ、比較的順調に、と言うより、極めて順調に発展できた。
この幸運に気づかず、日本人の才能や努力だけのおかげだと思っていると、寒い冬が来れば、また、とんでもない悲劇に遭うことになるだろう。

戦後の、いわゆる経済発展に浮かれて生まれたのが、放漫福祉や利権経済、大量消費と保守安全の内向き思考だ。
豊かさを、何か、当たり前のように考える、「過剰医療」や「トコロテン就職」。何かと言えば泣き、海外冒険を嫌う内向きの若者。
企業は、付加機能とコテ直しだけで、白紙から商売を考えられない。

こういう、冒険心を失った社会では、ゲームさえ、勝つために「アイテム」を購入する。知恵と工夫を面白いとは考えない思考停止だ。
毎日、野をさまよって獲物を探す野生動物ではなく、与えられる餌しか知らない養鶏場のブロイラーだ。しかもその餌がどこから来るのか考えもしない。

冬の足音
日本の米の消費と小麦の消費が逆転した。パン、麺、スナック、日本人は米を噛むより、こなれの良い小麦を食べるようになった。
しかも、その小麦の90%を輸入に頼っている。
食用油、豆腐、味噌、醤油、飼料の大豆に至っては、95%が輸入だ。

もう、食糧自給率もクソも無い

経済大国の実体は、結局は、工業生産と引き替えの、「身売り」だ。
工業で金を稼いで、輸入食料を贅沢に食べ、余った金を、食べない米、食べない魚の、農水産業に適当にまいて、青物、果物の周辺農業に追い込み、農本の根を枯らした。輸入に頼る漁業も同じだ。

こんなことは、気候温暖で地震もなかった時代だからこそ可能だった。84年の冷酷な周期は、再び気候不順と大災害の時代を連れてきた。

昭和初期の世界激動の根本は、天候不順だった。一刻も早く冬の時代に備えなければならない。
資源と労働力を必要とする企業は海外に出てもらい、日本は農本で小さくきらりと光る国になるべきだ。企業が無ければ生活を失う人は付いて出ればいい。外国に出たくない人は、農水産業か学芸に仕事を変え、100%自給自足できる国造りで生きる。

農本でコンパクトな国には、原子力発電の電気は要らない。石油も食料も輸入する必要がない。空気はきれいで、就活も無い。地元就職、地産地消、家族は一体、コミュニティは充実。
ああ、良いことだらけじゃないか!

そりゃあ、問題をあげれば切りが無いだろうが、どの道を選んでも問題はある。大切なことは、「どこに行く道か」と言うことだ。


カニの国

2012年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

中国を表すカニ座は、父祖伝来の土地やルーツを表す
「縄張り」意識が強く、地域管理に熱心で、パトロールする警察や、地回りするヤクザの体質を持っている。カニ座は町内会に熱心で、自分達だけの価値観で理解できる「お笑い」を愛し、近隣の同業者に異常にライバル意識を持つ。

また、「食」のカニ座は、飲食店を表し、近くに同業の飲食店ができると異常に気にするが、中華街のように、仲間と解れば身内意識を持つ。
獅子座が、英雄や王様のように孤高のヒーローに憧れるのに対し、カニ座は、庶民の人気者になりたがる。
お笑い界や芸能界が上下意識が強いのも、カニ座だからだ。

カニ座は「繁殖力」で、最も好色だが、意識過剰で、立て前は色事を最も嫌い、他人に秩序を押しつけ、近隣や身内にうるさいことを言う。

古代秩序の共産国家
昔、毛沢東がヒーローだった頃、東京の大きな中華店創業者のお爺さんが、言葉に気をつけながら、「毛沢東は中国をまとめたことは偉い」と繰り返して言った。よほど、言いたいことがあったようだ。

今となっては、中国こそ、分散した方が良いと思うのだが、中国人にとって、あるいは中国共産党にとって、国とは中華概念の大きな「一家」としか考えられないようだ。(世界は一家)
国家は領域と考えるテリトリー概念は、大きいほど良いと考える、膨張主義の張り子の虎だ。(カニは自分の甲羅に似せて穴を掘る)

民主主義は、個が自治する組織であり、レゴ・ブロックの組み合わせのように、結果として生まれるのが国だ。
一方、古代帝国・中華人民共和国は、縄張りの中に、人を放り込んで国だと考える。だから、中身が崩れたり、はみ出したりしないように「管理」しなければならないし、大きくしなければならない。

東洋流の「一家」は、宿命的血縁であり、個々の意思とは関係なく、縁によってまとまっているはずのものだ。だから、個々の意志ではなく、「民族」など、理屈の無い同一意識で結びつく。
これに対し、民主主義の国は個々の意志によって成り立つものであり、一家や兄弟ではなく、他人同士の友達だ。

兄弟は他人の始まり」と言うが、逆に、「他人は友達の始まり」だ。
「一家」で考える国家は、中にも外にも上下の序列を付けたがる。
それは、「父は父たり、子は子たり」のように、動物の序列を見習い、人間の道徳秩序に進化させただけだからだ。(覇権主義

東洋的天地の秩序は、人間と自然が一体であり、人はまだエデンの園に暮らしているが、西洋的平等の秩序は、神の管理から離れて、人同士が自立して暮らしている。
神(天)が定めた上下の秩序を信じる東洋に対し、エデンの園を追われた、西洋の人間だけの世界には上下が無い。
(一神教の立て前は、神の前の平等)

東洋の自然観は、人の生き方としては素晴らしいのだが、人工的な人間社会のルールには、必ずしも万能とは言い難い。

アメリカンクラスと中華丼一家
西洋の理想を実現しようとしたアメリカは、現実はともかく、個の可能性を前提に、「友達社会」を創ろうとしているが、
天地の理、「人道に基づく共産社会」を求める中国の共産とは、あらゆる上下の序列を前提にした秩序だ。

中国が、いかに民主主義や平等の形を見せようとしても、すぐに滑稽な馬脚を現すのは、本質が天の道徳を信じているからであり、人間個人の自立心や可能性を信じていないからだ。常に、人民をマスとして、扱うもの、管理するものと考えている。

その結果、為政者は個人を信じることができず、平等な共同体意識が持てず、個人はうかつにそんなもの(共同体や国家の法)に巻き込まれては損をすると思い、個々が極めて利己的になり、直接利益につながる賄賂や、身内の利益に走る。

アメリカのような「友達社会」が成立せず、友達間のルール=法治ではなく、地縁、血縁、金縁の「一家社会」つまり、むき出しの欲と力と感情が支配する巨大な「中国組」の、渡世が営まれている。

渡世人との付き合いは、常に、義理と人情と力のバランスに気を配らなければならない。代紋は共産主義だが、親分の意志が組の行動を決定する。

ところで、全ての家系がどこかで天皇家につながる日本って、どうよ