魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

芸がない 2

2021年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

芸がない」で菅政権の存在感の無さは、実は、国民の力を引き出す大愚=大賢なのかも知れないと思ったのだが、やはり、そうらしい。

もう何度目かもよく解らない緊急事態宣言がまた「発出」された、「発令」ではない。
同じ日、時短営業に応じなかったグローバルダイニングは大黒字の「発表」をした。同業者の不公平感は、さらに増すだろう。
オリンピックの金ラッシュに沸く巷では、「人流」が収まらず、ますます増加傾向にある。
街行く人は、笑いながら口々に、「わかっちゃいるけど、やめられねえ・・・まっ、いいか」と、いった反応だ。
元々、緊急事態宣言はコロナ対策の見通しが立つまでの、感染拡大の遅延策だったはずだ。それがいつの間にか感染抑止が目的化している。ワクチン接種が始まり、治療薬が認可され、死者が減少しているのに、相変わらず「経済殺し」の宣言を出す「芸がない」政権を、国民が無視して自己判断で動き出す、「神流」が始まった。

コロナは押さえられない季節病化するだろう、というのが専門家のコンセンサスだったはずだが、政府に助言する専門家達は数字に踊らされ、思考停止している。これを考慮して判断するのが政権だが、何しろ「芸がない」。
その結果、国民が底力を発揮して、無芸政策のブレークスルーを始めた。
何をしても、コロナはますます蔓延し、大きな波のように通り過ぎていく。さすれば、コロナの気が収まる?

パンデミックに苦しんだ欧米では、もはやマスクもしない。コロナを特別扱いしないことで、日常を取り戻しつつある。日本は、コロナで自縄自縛し、G7の中で唯一、経済成長見通しがマイナスになった。
でも、大丈夫。日本人は、切羽詰まれば自ら動き出す。


新しい道

2021年07月30日 | 日記・エッセイ・コラム

宇宙観光をめざす宇宙船「VSSユニティ」が、母機に抱えられて離陸したのを見て、韓国の航空会社が宇宙旅行が可能かもと、この方式の研究を始めたのには笑ったが、同時に感心した。可能性があることには何でも手を出してみようという心がけは、見習うべきだろう。
母機からの発進は昔からあるから、日本もとっくに色々手がけてはいるだろうが、国家戦略としての関心は薄いようだ。

環境とエネルギーの観点から、飛行船とハイブリッド帆船は、もっと国民的関心事であっても良いはずだ。イギリスでは近年、巨大飛行船に力を入れている。
携帯電波の成層圏プラットフォームは、結局、無用の長物とされたらしいが、単一目的で考えるからだ。高高度飛行船を多用すれば、インフラ、国防、気象のみならず、観光や宇宙開発にも応用できる。何も宇宙に行くだけがスペシャル観光ではない。飛行船による世界旅行は、クルーズ船よりエキサイティングだし、高高度滞在観光は未だにない。
また、連携した複数の高高度飛行船をゲートウエイとする宇宙旅行も可能だろう。

宇宙エレベーターのような夢も良いが、飛行船のように今すぐ可能な手段を使って新ビジネスを考えれば・・・と言いかけて、金儲けの話は日本人には禁句か、と気持ちが沈んだ。日本人は、技術や芸術の話は好きだが、金儲けの話は聞かないふりをする。
(ここから、なぜそうなのかと延々と書き過ぎたので、全面カット)
ともあれ、何をするにも資金は必要だ。「財政の裏付け」を不可能の常套句にするより、目的のプロセスを資金に変える心がけを常識にすべきだろう。
画学生が似顔絵を描いたり、役者の卵がお寺のアルバイトでお経を唱えるように、目的の過程で手にした技術で、資金を得て次のステップに進むのは当然の方法だ。

日本の新しい道
菅政権で、新エネルギーを産業にすると打ち出したのは、遅きに失するが、今からでも、日本の生真面目さならやれないことはない。既得権者からの抵抗は大きいが、新産業が広がれば抵抗勢力は自然に消える。
驚いたのは、意外にも水素技術は日本が先行しており、ドイツさえ注目している。次の時代は間違いなく水素時代だ。(これは占星術にも一致)
ここは水素開発に資することなら、躊躇なく、出し惜しみせず、一気に打って出なければならない・・・のだが。日本は産業革命パラダイムを食べ過ぎた。旧システムで固まっていて、脱皮が難しい。精神的にも懐古に萎縮し、近頃は「不敬」とかの言葉が当然のように飛び交うようになった。

しかし、物事は極まれば転ずる。ここまで後ろ向きになれば、ちょっとした切っ掛けでドンデン返しが起きる。それが、このコロナだろう。
新エネルギーと言うと、太陽光パネルや風力発電の弊害の話が出るが、世界をリードするのは、今はまだ一般的ではない埋もれた金鉱だ。
日本の石炭火力発電が素晴らしいことは解るが、どんなに素晴らしくても、過去に比べての話で、乾いた雑巾を絞る話だ。液晶テレビが現れた時に、ソニーはブラウン管のフラットテレビでお茶を濁し、決定的に出遅れた。
エネルギー政策では、それと同じ過ちを犯すべきではない。ゲームチェンジャーこそが生き残る。

最先端の常識を、政治家はもっと学び、メディアは世間に希望の光を拡散し、クラウドファンディング等でも、イノベーションを底上げできる環境を創出しなければ、また海外勢にさらわれてしまうだろう。


目覚まし

2021年07月29日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック開催を反対していた蓮舫が、金メダル祝福ツイートをしたと、ネット民が批判したそうだが、スポーツとオリンピックは別問題だ。
オリンピックというビジネスモデルが、スポーツを利用していることに気づかないから、コロナ・オリンピックのような事態を招く。

今行われているのは、オリンピック精神とは何の関係もないスポーツ大会で、スポーツ大会そのものは成立している。
一方で、ビジネスとしての興行は、儲けが無くても、違約料を取られないために、「やったこと」にせざるを得ないから、これはこれで成立している。
ただし、世界の人々が集う平和の大会、オリンピックは、残念ながら存在していない。
したがって、現在のスポーツ大会の選手を応援し、祝福することには何の矛盾もないはずだ。

アスリートが目指すところ
蓮舫の場合、この状況下での反対であって、オリンピックそのものへの反対ではないだろう。
しかし、志ある政治家ならば、世界の興行師のカモになるような、オリンピックそのものに反対すべきで、当然のことながら、それに代わる世界的スポーツ大会のビジョンを打ち出さなければならない。
平和の祭典オリンピックというが、古代オリンピックとは初めから様相が違っていた。ポリス国家ではない、近代国家間の時間とお金と交通・通信を前提とした、産業革命パラダイムのイベント、そして、ビジネスだった。

しかし、この環境は20世紀末から大きく変わったのだから、例え、同じスポーツビジネスであっても、根本的に変わらなければならない。
そして、ビジネスなのか平和の祭典なのかも、一から考え直す必要がある。
日本人は騙されやすいから、平和の祭典の美辞麗句をすっかり信じ込んでいるが、これぞまさに「たてまえ」であって、コロナが暴いたのは興行師の正体であり、「大転換」を悟る重大な教訓とすべきだろう。日本人にとっては敗戦で得た教訓と同じだ。

オリンピックをスポーツ大会と考えれば、21世紀には、物理的に一堂に会する前提を捨てるべきだろうし、平和の祭典と考えれば、高校野球の甲子園のように、固定開催にすべきだろう。
古代オリンピックにこだわるなら、本家のギリシャとするのが順当だが、スポーツ大会としての平和ビジョンを持って、日本が世界スポーツの甲子園になると名乗り出るのが、日本の政治家のすることだ。環境的にはアメリカだろうが、平和憲法と抱き合わせなら、日本も可能だ。四季があり南北に長い日本は、夏冬あらゆるスポーツも可能だからだ。
コロナは新しい夜明けに、「目覚めよ!」と鳴り響く、嫌な目覚まし時計なのだ。
そろそろ、起きなければ・・・


茶番かも

2021年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

WHOのテドロスが、武漢の再調査を言い出し、中国は大反発。
テドロスがテドロスである限り、この事態を素直には信じられない。
世間にはアメリカから証拠を突きつけられたのだろうとか、信じることを前提の見方があるが、むしろ、中国との出来レースの方を疑ってしまう。

二年も経った武漢に証拠など残っているはずもなく、それを再調査と言い出し、中国が反発して見せる。各国がテドロスの尻馬に乗れば、させろ、させないが頂点に達したところで、中国が怒りながら渋々受け入れると、そこには何も無い!
イラクに大量殺戮兵器が無かったことで、アメリカは信用失墜した。その失敗を再演させようと、中国が仕掛けている罠と考える方が理解しやすい。
これが成功すれば、テドロスは公平性を繕うことができ、中国はアメリカに一杯食わせて無罪を証明できる。テドロスと中国のWINWINだ。

中国に怒る各国は、テドロスを相手にしない方がいい。むしろ、テドロスを諫めて、もう証拠なんか無いと、断言する方が、中国には痛い。どんなに中国が挑発しようとも。


戦後復興

2021年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

「オリンピック」という「腐った鯛」会が始まった。
オリンピックはコロナに潰されたのではない。
世界の趨勢に目を閉ざした人々が、夢をもう一度と仕掛けた戦争と同じだったからだ。
日清戦争1894年から47年目の真珠湾攻撃。東京1964年から49年目のオリンピック招致。
半世紀の状況変化を直視することなく、同じ事をすれば同じ成功ができると思った夢の結末だ。
ただし、菅内閣は近衛内閣ではない。
戦後復興は、一億総懺悔によって始まる。
オリンピックに費やした、この愚かな歳月をどうすれば取り返せるのだろう。

21世紀も既に21年
博物館、デパート、大イベント、学校、都市集中・・・物や人を集めるパターンはみな、大量生産大量消費の産業革命パラダイムの産物であり、オリンピック、万博を含め、前世紀の遺物だ。
コロナは大きな契機ではあるが、変化はとっくに始まっていた。コロナが世界に強いていることは、価値と行動の「チェンジ!」だ。実際、今、会場に集まらなくても世界は観戦している。

デジタル、環境、産業・・・そして規制に固まった社会システム
日本は次の時代に周回遅れで走っている。コロナ・オリンピックで受けた痛みは次の時代への教訓にするしかない。これには、震災を上回る戦後復興が必要だ。もう資金は望めない。大きなビジョンと国民の覚醒しか、道は無い。
敗戦時のように、過去の夢を捨てて、謙虚に世界を見上げる姿勢「追いつき追い越せ」が日本を復活させる。

だから言ったじゃないの(松山恵子s33)
東京五輪」、「神の啓示」、「札幌開催」、「腐敗組織


熊祭の夜

2021年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

民放のBSで、口ずさみたくなる歌ランキングのような番組をやっていた。残念ながら、大雨で電波が悪く、途切れ途切れだったが、どうにか内容はわかった。
どういう集計なのか、2位は「イヨマンテの夜」で、秋川雅史が歌った。
1位の「古城」に驚きはないが、「イヨマンテの夜」はやや意外だった。恐らく「エール」で、岩城新平役の吉原光夫が声量を披露したインパクトで、見直されたのではなかろうか。

絶賛の岩城さんイヨマンテだが、何か違うような気がしていたところに、秋川雅史を聴いて、ますます違うような気がした。子供の頃に聴いた伊藤久男は既にガラガラ声だったが、かすかな記憶ではもっと滑らかな声だったような気がする。
とにかく、何か納得がいかないので、YouTubeで検索してみた。
あるわあるわ、いろんな人が歌っている。当然、伊藤久男晩年の動画もあるが、ひどいガラガラ声で、往年の面影はたどりづらい。
岩城さんの吉原、秋川はもちろん、細川たかしから島津亜矢、オーディション番組まである。
その中に伊藤久男のおそらく再録音されたレコード盤もあり、聞き比べて、何となく違和感のワケが見えてきた。

ほとんどの人が、歌曲のように捉えて声量にチャレンジしているのに対し、伊藤はあくまで歌謡曲として唄っている。一例として、「イヨマンテ」と「くままつり」の同意語の歌い別けでは、「くままつり」をさらりと歌い過ごして、「イヨマンテ」のインパクトを強調している。
この歌は、アイヌをよく知る人たちからは誤解を招くと懸念されるが、歌を作った人たちは、アイヌに対して他意は無く、エスニックなエキゾティシズムによって恋の情熱を際立たせたかったのだろう。(そこが問題なのだが)

恋の歌のシチュエーション設定は、万人が歌うのだから、なるべく曖昧な方がいい。この歌に通じる先例、「ゴンドラの歌」の水の上は、後の「桃色吐息」ではギリシャの海になり、コタンは「火の国の女」や様々なご当地に替わった。
「イヨマンテ」はあくまで歌謡曲で、洋楽から転身した伊藤は、軍歌を歌った負い目もあって、人一倍、歌謡曲としての恋歌に拘ったのではなかろうか。
ステレオ再録音のレコードは、既に声がガサついていたので、オリジナルはどんなものだったのか探してみた。小学館の「昭和の歌」のCDを聴くと、スローで叙情的なセレナーデであり、「イヨマンテ」も「くままつり」も同レベルで語っている。当然、声も滑らかだ。

それが、再録音盤になると、誰でも知っているインパクトの強い歌になる。
これはおそらく、オリジナル盤が出た後、のど自慢でやたら歌われ、それが、今日の声量の証明のような解釈で歌われたために、伊藤自身が、逆に影響を受けたのではなかろうか。洋楽出身のプライドと、歌謡曲のプロ意識で、声量と叙情の唄を完成させたのだろう。早い時期から歌い方は変えたと思うが、再録までの歳月、伊藤の忸怩たる思いが伝わってくるような気がする。


愚の骨頂

2021年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

中国のSNS上では、麻生副総理の「台湾は日本の自衛問題」発言に、日本を徹底的に核攻撃すべしの論が大人気だそうで、一度消されてから再び現れたそうだ。
徹底的に言論監視している中国のネット上で、現れて消されたものが、再登場するということは、完全に、政府の意思であり、このバカげた言論を偵察気球として日本の反応を見ている。

探りに、反応するのは愚の骨頂だが、これを逆利用するのが中華流の兵法だ。
この愚かな言動を、意図的に放置している中共のプロパガンダそのものの存在を世界に知らしめ、同時に、根底にある残虐性を浮き立たせるチャンスだ。
広島長崎についての冗談だけで反応する日本メディアだが、この言説こそ中国人がアメリカ人以上に原爆投下を喜んでいた証拠だ、と騒ぎ立てれば良い。
そして、アメリカにこの情報を吹聴することで、アメリカ人にこれを免罪符と捉えさせれば、直接間接に中国を叩いてくれるだろう。日本自らは一切反応すべきではない。
現在の中共幹部は、本当に愚かしい。日本がそれ以上のバカにならないことを祈る。


文化権現

2021年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカで大注目の大谷翔平は、振る舞いでも注目されているそうだが、ゴミを拾ったり、脂チェックのような嫌なことにニコニコと応じたりして感心されている。
もちろん大谷個人の資質である、マメで愛想が良いことが際立っていることも事実だが、ほとんどが、日本人なら当たり前のことで、まったくパフォーマンスなどではない。

サッカーの試合で、日本人サポーターがゴミ拾いをすることが感心されると、中韓のサポーターは、汚い日本人の点数稼ぎパフォーマンスだと揶揄した上、自分たちもゴミ拾いをやって「見せた」。当然、続かない。
動機も、文化も異なるからだ。
八百万の神が棲む日本文化では、トイレにも神様がいるように、野球選手には野球場にも用具にも神様が宿り、商売人にはお客様が神様であり、サポーターは観覧席の神様に敬意を払う。

また、日本に浸透した仏教は日常を修行とし、求道を八百万の神の前で行うように捉えている。学校教育で掃除をするのも、その精神を体得することであり、その中で育った日本人なら大なり小なり、それを日常として自然に行う。
また、嫌なことをニコニコと行うのは、和を以て貴しとなすの教えが、日本の伝統になっているからだ。
さらに、大谷の場合、脂チェックに怒らないで笑うのは、投球に没頭している個人から、競技状況全体に立ち返る瞬間に、「そうだった、そうだった」と、忘れていた自分がおかしいと思うからだろう。
自分を全体の一部として捉える日本人としては、個人主義の欧米人ほど自分の試合だとは考えないから、立場を忘れることはなく。邪魔されたとは思わない。何よりも和が大切だ。

日本人は、大谷の態度が特に素晴らしいとは気づかないが、スゴイ選手の持つ文化的特質が個人的美点として映るのだろう。英語を話すアメリカ人を見て、スゴイ頭が良いと錯覚する日本人がいるようなものだ。
大谷を通して、日本文化を知ってもらう良い機会のように思えるが、ヒロイズムの欧米人は、どうしても個人の資質と思いたがるだろう。


貧すれば

2021年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

酒を提供する飲食店に酒を売るなと言って、猛反撃を食らったものだから撤回した。
一向に減らない感染者数に、政府はもうパニックになり、思考停止している。
こういうのを「貧すれば鈍する」と言うのだろう。
モグラ叩きで自分が潰れてしまった。

出てくるモグラを幾ら叩いても始まらない。
モグラ叩きで自分が潰れないためには、始めから叩かないか、全部を叩かず狙ったヤツだけ叩くか、電源を抜いてしまうことだ。
イギリスでは感染が広がっても構わず、ついに、スポーツ大会など何でもOKにしてしまった、もう、叩くのを止めて、with coronaで行くらしい。
コロナ感染の電源は抜けないが、狙ったヤツを叩くことは出来る。

そもそも、全部叩こうとするのが間違いで、狙ったヤツだけ叩けば良い。
飲食店も集会も全面開放の上、客の側の登録を義務づければ、感染経路を押さえられるし、怖い人やプライバシーを気にする人は行かない。それでも行きたい人は行く。
複雑なだけで役にも立たないアプリを開発するより、リアルタイムで訪問客を報告するだけで済む。営業を禁止しているわけではないのだから補助金も出す必要ない。
客が感染しても、自ら好んで行って感染したのだから、自宅待機を強く指示できる。何なら、表札に「待機中」と札を下げてもいい。「忌中」でも良いかもしれない。

誰からも非難されたくないために、中途半端な規制をして莫大な費用を使い、結局はすべてから非難され、経済を痛めつけた。
これは、鬼の首を取ったように辞任を迫る野党がやっても同じだっただろう。もし違うと言うなら、代替案を提案すべきだ。今は国難の時であり政局は後回しのはずだ。

与野党に関わらず、非常時に対処できる政治家がいないのは、心地良いことだけを聞きたがる国民が選んだのだから仕方がない。


バランス

2021年07月13日 | 占いばなし

脳科学者の茂木健一郎氏がコロナ感染について、
「専門家の数理的な予測は“当たるも八卦当たらぬも八卦”。占いと同じレベルだと思ってます。それは当たり前な話で、未知のパラメーターが多すぎるんですね」と言っていた。まったくその通りだ。
だから逆に、占いの立場から、曖昧な状況を推測することの意味と正しいあり方を説きたい。
何も新しい話ではなく、これまで主張している「占い的見方、考え方」の繰り返しになる。

占いは科学ではない。強いて言えば哲学だ。数値やエビデンスに基づく推論などはまったく無視する。古来の経験則から、ものの道理を定め、何事もその道理に照らして判断する。状況や事柄の事実関係に左右されない。
例えば、「水は高いところから低いところに流れる」と言う道理は、「宇宙ではそうではない」といった物理的な問題ではなく、思考法の比喩だ。
「大局」観の一つの例えであり、バランス思考を表している。
まったく初めての現象を前にしても、その現象の裏にはバランスを保つ何かが存在していると考える。
データも、ファクトも、エビデンスも無視することで、「ことの本質」が見えてくる。
影を見て本体を知る。占いはその方法だ。

今回のコロナ騒ぎもそうだが、科学に慣れた現代人はファクトやエビデンスに踊らされ、無意味な数値に右往左往する。
茂木健一郎氏の言う「未知のパラメーター」が有る限り答えは出ないのが正しい科学だが、科学時代に生きる非科学的な人は、一つの数値で直ちに結論が出るものだと思っている。つまり、データに基づかない「占いのご託宣」を求めている。
だが、本当の占いは、そもそも数値を一切、見ない。だから情報に左右されない。
ネット上を飛び交う情報に、「何が本当かわからない!」と嘆く必要はない。個々の情報はすべて嘘であり、同時に、そこに真実が隠れている。

あまりに膨大な数値が飛び交う中で、直ちに答えを探るには、優位性を測るより、「大局」に照らして、最も「あり得ること」を見抜く。それが本当の占いであり、科学とはまったく次元が異なる真逆の発想と言える。
しかし、これは、科学者にこそ必要なものであり、科学的ヒラメキに通じるものかも知れない。なぜなら、占い的バランス思考で考えれば、科学思考のまったく対極にある思考方法が、真理のバランスを保つための、突破口になりうると思うからだが、
そこのところは、科学者ではないからわからない。

 


大谷サン

2021年07月12日 | 占いばなし

暗い話題ばかりの中、大谷翔平の大活躍が、日本のみならず米国までも湧かせている。
大谷翔平は六白なので、海外で成功する。また、カニ座生まれで、生時の土星と木星は魚座とサソリ座にいて、水の星座の大吉角を持っている。さらに今年は、木星が魚座に回って来た。
干支でも、月支が空亡しており、欠点がコントロールされる。
総合的に、災い転じて福となすラッキーな天性に恵まれている。この点、羽生弓弦は苦労が多いし、イチローはアイドル的要素に欠けている。

カニ座は幼児と母親であり、母性をくすぐるアイドル的人気を表すから、ますます人気するだろう。射手座の羽生の場合は尊敬の混じる憧れ的魅力で、気高さが崩れる可笑しさが爽やかさになりファンは取り憑かれる。
大谷の場合は、赤ちゃんの笑顔に無条件に惹かれるようなファンが生まれる。セクシーとして人気した沢田研二も、実はこのカニ座の人気だった。

六白は天を表し、大きいこと、見せ場に強く、世界やステージで本領発揮する。36年周期の戌年六白では、前回の昭和33年生まれも芸能界大スターを多く輩出した。

なお
大谷翔平、イチロー、野茂英雄、羽生結弦、松山英樹・・・いずれもB型


大人対応

2021年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

フランスのサッカー選手が日本のホテルで日本人を差別したと、ネット上で騒ぎになっているそうだ。
アジア人差別だと中韓あたりから様々な抗議が上がっている。日本人からの抗議もあったそうだが、「情けない」。
差別されたと抗議するのは、自らに自信が無いからだ。そして同時に、自分自身が他人を差別する人は、自分がその差別される側になる事を受け入れられない。

差別意識がなく、自分は対等、あるいは上だと信じるなら、他人が自分を下に見たとしても、その人の視点、判断が愚かしく見えて、逆に蔑視、笑止だろう。
「猿の惑星」で猿共がどんなに主人公を蔑視しても、主人公も観客も違和感や滑稽さしか感じない。
「主よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです」
十字架に掛けられても、自分に信念があればこそ出る言葉だ。

差別は無知から起こる。生物や種などを少しでも理解していれば差別は起こらない。
逆に、好き嫌いは誰にでもあるし、それは個人の自由だ。
問題の、差別と言われる言動は、どこでも見かける悪ガキのイキガリで、いわゆる「バカ丸出し」だ。何でもかんでも敵を探し出して悪態をつく、若者のエネルギー発散は褒められたものではないが、好き嫌いは自由だ。自信のある大人なら笑ってみていられる。こんなことでJLMと叫ぶほど、日本人は虐げられてきたのだろうか。
BBCの原爆冗談もそうだが、他人の無知な冗談に一々食って掛かるより、自負心があるなら、皮肉の効いた冗談で返すのが、大人の振る舞いではなかろうか。

もう一度言うが、差別されたと食って掛かる人は、その人の心に価値観に、差別心があるからだ。


上がれば 2

2021年07月06日 | 星の流れに

上がれば」で、「落ちる」話をしたが、熱海の水害が実は、盛り土の崩落事故の可能性があると注目されている。
パレスチナはイスラエルの攻撃によるものだが、その他のビル崩壊は今のところ原因は不明だ。しかし、現象としての「落ちる」は一貫している。
現在のような「落ちる」を意味する星の配置は通常、飛行機事故などが目立つが、7月2日、ハワイ沖に貨物機が不時着し、4日にはフィリピン軍機が墜落した。また6月、火星がしし座入りする時にはミャンマー軍機が墜落している。

熱海の災害は、避難指示が出ていなかったことや、盛り土放置など、行政面での問題も浮び上ってきている。静岡県の川勝知事は、現場でレポーターのような事故説明をしていたが、まさに水問題でリニアを堰き止めている、「てめえの足元はどうなんだ!」と言われるだろう。熱海市だけの責任ではない。
火星しし座の影響といえば、川勝知事はそのしし座だ。


かくし味

2021年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、故郷の町が被災地になり、進駐軍からの支援物資が町中にあふれた。
子供だったので、どのように配布されたのか知らないが、ラベルの無いカーキ色の缶詰は、開けるまで何が入っているか分からない。桃缶もあれば、パイナップルもあった。
その中に並外れて大きい缶があり、振っても中身が分からず、みんなで集まって開けたが、「大きいつづら」は中身が悪いものと信じていたので、余り期待していなかった。
開けると、中からえもいわれぬミルキーな香りが広がり、それはビスケットだった。

小さな楕円形のハードビスケット。口に入れると芳醇なミルクがとろけた。それまで、ビスケットは動物やアルファベットビスケットなど、既に常時食べていたが、これほどミルキーな体験は初めてだった。それまでの経験で最も近いものと言えば、食パンをミルクに浸して食べる幸福感だっただろうか。
この時の感動が忘れられず、ハードビスケットを見かければ、必ず試してみたが、国内外を問わず、あの芳醇な感動に出会えることはなかった。

進駐軍の物資なのだから、アメリカ製だろうと思ったが、外国製は香りが強すぎて口に合わない。意外にも一番近いのは森永のマリービスケットで、これよりも更に濃厚なのは、ブルボンのミルクビスケットだった。ただ、ブルボンの場合、焼きが強めで、口に溶ける優しさが足りない。それでも、マリーよりうま味が分かりやすく、食べ過ぎると吐き気がするほどの子供向けでもない。
ブルボンのミルクビスケットは日頃、ほとんど見かけることがないので、ブルボンに電話をかけ、美味しいからもっと売り出してくださいというと、担当者は、
「はあ~、森永さんも明治さんもありますからねえ・・・」
と、鈍い反応なので、しょうがないから、箱ごと取り寄せた。

いくら、美味しくても、ミルクビスケットは子供の栄養食でもあるので、2、3日でたちまち太ってしまった。
この経験から、箱では注文できず、かといって、先ず、どこにも置いてない。
近頃は、ネットで見てもBOX入りは無く、非常食として缶入りが売られている。
これを買って食べれば、今度は、空き缶の山になりそうだ。
ブルボンは、どうも始めから二番手を守る気らしいが、マリーがあれだけ売れているのだから、ハードビスケットのもう一つの塔を建てても良いのではなかろうか。

ところで、森永のマリーが最も近いように思ったら、終戦直後、森永は米軍からの発注でビスケットを焼いたのだそうだ。
マリーの食感が米軍からの系譜なのか、逆に、米軍のビスケットが森永のものだったのか。いずれにせよ、あの時の進駐軍のビスケットがマリーと同じか、それに近いものであることは否定出来ないだろう。
ただ、まったく同じものでないのは、森永の意図するところなのか、貧困日本の幼児が受けた衝撃が隠し味だったのか、今だにわからない。