魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

還暦事件

2010年04月30日 | 星の流れに

今年の干支「庚寅」は60年前の朝鮮戦争と同じで、還暦となる。
真珠湾の還暦である「辛巳」の年には、911が起こった。

朝鮮戦争の還暦にも同様のことが起こる可能性があり、全く同じではなく、「類似」だから、現象としては「混乱」と考えていたが、
3月26日。韓国の海軍哨戒艦が轟沈し、46名の犠牲者が出た。
状況証拠的には、北朝鮮の仕業で、そうだとすれば、占い的な現象の一致は既に起こっていることになる。

韓国以外の国は、巻き込まれたくないから、なるべく見ないふりをしているが、韓国内では大事件だ。
北朝鮮がやったのだとすれば、韓国には何もできないことを読み切って、やったことで、いかにも抜け目なさそうに見える。
しかし、朝鮮戦争も、金日成の「こざかしい読み」が引き起こしたものだった。

バカほど自分の考えに溺れる。子供の喧嘩に大人が本気にならないでいると、自分が戦略家だと自惚れする。
それを「小賢しい」というのだが、子供の喧嘩に親が出て、大げんかになった例は少なくない。
いや、大戦争は案外、視野の狭いバカの小競り合いから始まっている。

北朝鮮はヤクザ野郎・・・と、単純には思えない。
子供の頃、李承晩ラインで死者や拿捕者が出たニュースを聞くたびに、父が烈火のごとく悔しがっていたことを思い出す。

どうするどうする」「84年と60年」「仏の顔も三度


独り立ち

2010年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム

鳩時計からは鳩が飛び出すが、鳩の口からは煙が吹き出す。

ほとんどの日本人は、沖縄に申し訳ないと思っているだろう。何も、鳩山総理だけではない。
しかし、現実に自分の所に米軍基地が来るとなると、「はい、喜んで」と言えないのが人情の現実だ。

にもかかわらず、鳩山総理は「いい子」に成りたい一心で、適当なことを言って混乱を招いた。「友達の友達はアルカイダ」の弟と血は争えない。弟がシャーシの目立ちたがりなら、兄はボディーの体裁屋だ。

人は、初めから嫌いなヤツより、裏切るヤツの方が腹が立つ。
鳩山総理は、選挙のためとは言え、できないことをできると言って、ゴメンと言いたくない、体裁のために、事態を悪化させた。
今頃、徳之島に謝るぐらいなら、選挙直後に、全国民にゴメンと言ってしまっておけば、こんなことにはならなかった。

自動車人間、ボディーの仕事適性に
「ボディーに多い失敗は、事なかれを積み重ねて大きな破局を招くことです」と書いたのは、まさに、こういうことだ。

うちなんちゅう、やまとんちゅう
戦前、軍国日本には、全国に連隊と訓練場があったことは、以前「また落下」でも少し書いた。

その頃の日本人は、軍隊とともに暮らしていたから、何の違和感もなく、むしろ、地元の軍隊を誇りに思っていた。震災の被災地に現れた軍に「兵隊さんが来てくれて涙が出た」と昔、年寄りから聞いた。

敗戦で、日本は米軍の占領下になり、日本中を米兵が闊歩していたし、色々な事件もあったが、略奪者は日本人でも米兵でもなかった。
余談だが、日本が主権を回復するまでの昭和二十年代。何があったのか、克明に呼び覚まされるべきだ。今日の問題の原点がある。
映像ドキュメントにすればベストセラーだろう。

さて、日本が警察予備隊→自衛隊と抱き合わせで主権を回復する反面、米軍は沖縄に集約した。軍国日本を復活させずに、沖縄の米軍の補助をさせようと言うことだから、その時点で、米軍がいなくなる選択肢はない。語弊があるが、日本はここでも沖縄を捨てて、身を守ったことになる。

児童虐待をする親は、子供を憎んでいるわけではなく、自分の都合の良い子供であって欲しいだけだ。そういう意味で、そんな「やまとんちゅ」に「ママだいすき」と言う「うちなんちゅう」が痛々しい。

せっかく本土復帰しながら、「やまとんちゅう」の都合のいい子供にされるなら、「うちなんちゅう」は琉球独立を主張すればいい。
日本からの独立は、再び米国の支配下になることではないから。
米国と対等な立場で基地交渉をすればいい。

日本にとっても良いことだが・・・
日本は道州制が叫ばれているし、実際その方が色々良いことがある。
沖縄や北海道が独立すると言えば、妥協策として道州制が可能になる。

以前、沖縄の人に「独立はしないんですか」と聞いたら、「産業も防衛力もないのに独立なんかできない」と言っていた。
しかし、そのどちらも行き詰まりを迎えている今の世界では、小国ゆえに有利な生き方もある。

防衛力は米軍まかせで、産業も、観光はもちろん自由貿易や金融センター他、色々考えられる。
日米台などとはFTAやビザ無し渡航にし、事実上、日本にもアメリカにも自由に往来できるようにする。
第一、独立国なら、国連で一票だから、日本は分離独立連邦制にすれば、六票ぐらいもてる。
色々妄想は膨らむが、話せば長くなりそうだ。

自らを島とせよ・看脚下


犬の散歩

2010年04月28日 | 動物

昨日、歩いていたら、何となく周りが騒々しくなったので、ふと見ると、道の向こうの電柱に、こっちを見ながらオシッコを引っかけている犬がいる。

某携帯会社の「おとうさん」犬そっくりの体型と顔立ちで、色を塗り替えただけの柴犬だ。

「こら、ヒロ!」と、後ろから大声がしたので、見ると、中学生ぐらいの男の子達が、4、5人、息を切らせて焦っている。
逃げた「ヒロ」を追っかけてきたらしい。

「ヒロ」は、『へ?』という顔をして、チラリとこちらを見たが、
『えーっと、何処行こうかなー?』と、軽い足取りで横町に入って行った。
焦った、男の子が向こうに渡ろうと、道に飛び出すと
パ、パ、パ、パアー、キー・・・とタクシーが急ブレーキ
あぶない、あぶない

やむなく引き返した男の子達を尻目に、
ゆうゆうと「我が道を行く」探訪を楽しみながら、
スタスタと、「おとうさん」の後ろ姿で、行ってしまった。

犬の散歩は、そう甘くない。
突然、『行かない!』とガンバリ出す犬を、強引に引っ張ったら、犬の種類によっては、首輪ごと抜けてしまうこともある。
家の人が玄関で見ている目の前で、ウンコを始めることがある。
行き交う人に見境なく吠える犬もいる。

だいたい、どんな犬と出会うかも不安要因だ。
子供の頃、飼っていた雑種の日本犬は、メスだったが賢明で勇敢だった。
当時は、動物愛護法もなく、リードを付けるのも、強制ではなかったから、散歩と言っても、ただ従えて歩く人も多かったし、糞の持ち帰りなどする人もいなかった。

散歩をしていると、放し飼いでシェパードを二頭連れた人がやって来た。遠くからこちらの犬を見るなり、二頭が猛烈な勢いで吠えながら走ってくる。どうして良いか解らず、自分が襲われてもいけないので手を離した。

すると、うちの犬は何を思ったか、逆に、二頭に向かってダッシュして行き、一頭に噛みついたのだ。
ひるんだ一頭を捨てておいて、今度は、振り向きざま、もう一頭に噛みつこうとする。慌てて逃げ始めたやつを、もう一度牽制して、今度は初めに噛みついた方にもう一度襲いかかった。
しばらく、行ったり来たりして、二頭を牽制していると、二頭ともシッポを巻いて、走って飼い主の方に逃げて行った。

飼い主は、おばさんだったが、驚いたことに、
「何をする」と、エラい剣幕で、こっちが叱られたのだ。


生き残る

2010年04月27日 | 新鎖国論

牡羊座の時代だ、DOCOMOは最近「iコンシェル」「ヒツジの執事」とか言って、待ち受け画面に牡羊のキャラを使い出した。

それはさておき、牡羊座は「荒野」。前回を見てみると、
1926~1935年(昭和元~10年)
1932年の満州国建国に到るまでの、軍部支配に転換していく過程であり、牡羊座ならではの、軍人興奮時代と言える。
当時、「満蒙」が合い言葉のようになっていたが、「蒙」とは童蒙、蒙昧など、ワケのわからない未開発を表す。つまり、荒野だ。

84年後の今日、食糧確保と、資源確保のために、各国が競って土地を求めている。中国に到っては、アフリカを中心に資源と市場を確保しようと、露骨な植民地政策に乗り出している。新たな「荒野」ブームが起こっているのだ。しかも、中国は元々、軍事政権だ。

中国はいわゆる先進国、産革パラダイムの先輩国とまったく同じ手法を踏襲して立国しようとしている。
確かに、先進国の手法を見習うなら、アフリカには最後のチャンスが残っている。今回の「荒野」は、アフリカだ。

しかし、環境問題も含め、先進国が崖の向こうを見てしまった道だ。
「ダメだ、危ない、近づくな」と言っても、
新興国は「なんでやねん!お前らばかり良い思いをしておいて」と、かまわず駆け上ってくる。

先進国は、もう邪魔をしない方が賢明だ。
「どうぞ!」と道を空けて、崖に突っ込んでもらった方が身のためだ。
新興国の突進力を利用しようというのが、マネー屋さんだが、中国もバカではない。直ちに、自分たちも国営のマネー屋を始めた。

このままだたと、結局、道を空けたつもりの先進国も、新興国とダンゴになって崖から転げ落ちる。その前兆が、リーマンショックだ。
面白いのは、新興国に先を越され、マネー屋にもなれないでいた日本が、ショック時点で、比較優位に立った事実だ。

新興国の目先の勢いに、「このままでは、取り残された日本は滅亡する」と皆焦っているが、本当にそうだろうか。
麻雀は上がるばかりが能ではない。振り込まないことも実力だ。
野球も、ホームランばかりが野球ではない。

パラダイムシフトの時代。100年、200年先を見越した、戦略を立ててこそ、生き残れる。

また、新鎖国主義
小さくなった地球で、自分を見失わないためには、日本から出て行かない。世界中から人と情報を呼び集める。
製造大企業にはグローバル企業になって出て行ってもらい、日本をそっくり、知的産業と観光の国にする。そのためには、「将来の非武装を目指す武装中立」を選択し、東洋のスイスのような形をとるしかないだろう。
非武装中立は美しい言葉だが、現実に、既に日本はそうではない。

物を作って売る時代は終わった。世の中には様々な生き方がある。
日本は、ホテル業をやればいい。
ホテルには色々な人が、色々な目的で出入りする。
企業を誘致するより、学校や研究施設、イベントや娯楽施設を積極的に建設しその道の人間を呼んでくる。文化コンテンツや方式の発信地になればいい。
シンガポールなどとは微妙に違うのだが、本日はこれまで。


嫌よ嫌よ

2010年04月26日 | 日記・エッセイ・コラム

「日本」や「日本人」と言う言葉は、実は極めて曖昧な言葉だ。
何をどこまで指してそう呼ぶのか、本当はそういうものは存在しないとも言える。

文化と言った概念も、定義次第でいかようにも姿を変える。
だが、それを言い出したらきりがない。
自分とは何ものなのか・・・、おまえの見ているものは本当に存在しているのか、と同じで、始めもなければ終わりもない。

だから、ごく低次元で素朴な、「だって、ここにあるじゃん」という、ふつーうのレベルの話のつもりだ。そして、もっと低次元な占い的、独断と偏見に居直って、そのうえで、占いの良心?で考えている。

日本人は勤勉だ。そう思われているようだが、自慢ではないが子供の頃から怠け者だ。だが、自分では「生粋の日本人」だと思っている。
逆に、黒人は皆リズム感の天才で、イタリア人は皆スケベだ、とも思わない。集団の概念は、おおざっぱで相対的なものだ。
占い人類学2」「世界共通言語

今の世界で、日本と言えば日本国国家のことを言う。しかし、日本は島国だからと言うような場合は、日本国の所在する太平洋に面する極東の日本列島を念頭に置く。必ずしも正確に定義された日本でもなければ、今だけの日本を指さない。歴史的に漠然と暮らしてきた、この辺りのことで、明治以降の最大領域のことでもない。

そして、日本人もやはり、この辺りで暮らしてきた人々のことをいい、国籍や顔立ちを指すものではない。
もちろん、他の国や他の地域の人々を呼ぶ場合も、同じような概念でそう呼んでいる。

これは世界の人々も同じで、「00人」などと言う場合、国籍を確かめてから言っているわけではない。お互いに漠然と、
「だって、そこにいるじゃん」ぐらいの認識でそう呼び合っている。
その程度で互いにそう認識して、互いを比較している。

つまり、少なくとも、そう判別できる差異があることは確かだが、違いにこだわって、好きや嫌いになるほどの根拠のものではないということでもある。

にもかかわらず、人は、他と異なることに敏感であり、異文化に敏感だ。これは、生命の原点である「個」の衝動からくるのだろう。
自分を守るために、異物を拒否しようとする衝動が、社会的動物である人間にとっての異物=他文化への拒否反応となるのだろう。

しかし、一方で、生命はDNAを進化させ適応しなければならない。
他者との融合衝動を常に持っている。
生命の葛藤の発露が、恋愛、婚姻、略奪など、様々な行動になって現れるように、人類の文化的人種的な出会いは、交易、模倣、侵略、略奪、破壊など、様々な行動、事件となって現れる。

そうした、重大な事件に到らないまでも、異文化との出会いは、利己的願望による過剰な迎合か、自己を受け入れてもらえないことへの拒否感から始まる。

遠くにあっては憧れや恐れを抱き、現地にあっては不慣れな環境に怒ったり蔑視する。また逆に、挫折感から迎合による自己否定に走る。
これがよく言う、外国に出ると極端な愛国者になったり、母国否定になったりする現象だ。

これらは、すべて、自他の葛藤であり、融合衝動があるからこその行動で、男女と同じ、出会いの形に他ならない。
好きな人ほど嫌いになる。
中韓のように、反日教育をしていた所は別として、
日本を嫌いだと言ってくれる人達は、それだけ日本に惹かれているのかも知れないし、むしろ、良く知らずに大好きと言ってくれる人の方が、危ないのかも知れない。

中韓の日本嫌いにしても、古来の蓬莱の島、日本への憬れの反動から起こったのではなかろうか。
同じ理屈で、韓流フアンが極端な嫌韓に変わることも少なくない。


ポッポッポ

2010年04月25日 | 兄弟関係

森総理大臣の支持率が一桁になって、英語が読めないと巷の笑い話になっている時も、麻生総理大臣の時も、世間が揶揄するほど、ダメな総理だとは思わなかった。
むしろ、非難を恐れない姿勢を支持していた。

言葉尻ばかり捉えて、こき下ろす無能なマスコミに怒りさえ覚えた。
政策的な問題を理路整然と非難する能力がないために、子供のように、言葉尻ばかり追い回し、それに乗せられた国民が、「総理として恥ずかしい」と、不支持に回った。

一国のリーダーは国民が作る。
神様がカエルに与えてくれた王様の、見てくれが気に入らないと言い続けているうちに、最後は、美しいコウノトリを与えられ、喜んだカエルは皆、食べられた。

コウノトリより愛らしい、ハトを選んだ国民は、どうなるのだろう。
そういえば、キョンシーのテーマ曲は「ポッポッポ、ハトポッポ」だった。

鳩山総理は、ついに、次元を超える、ダメ総理の頂点に上り詰めた。
自動車人間のボディー。兄弟関係では中間児だ。
いずれも立派な人は多い。吉田茂もボディーで中間児だ。
吉田の場合、中間児と言っても、五男で養子に出ている。成長の過程も紆余曲折で、一筋縄の人格ではない。

昔の人間は、大家族の関わり合いの中で成長するから、多様な価値観をより合わせて、野太い人間ができあがる。
一本や二本、どこかの筋が切れても、核家族の培養箱育ちのように、傷ついたり、引きこもったりしない。

しかし、鳩山総理の場合。母と姉が強かったのだろうか、調子を合わせて、長男らしくしていれば良かったのだろう。
幼児期なら、無責任な言動も、母や姉が始末してくれたかも知れない。
成り行き次第の、便乗発言癖が、公の立場では通用しないことが解らないらしい。

中間児の良い面が出ると、用心深く堅実になるが、悪い面が出ると、便乗主義で無責任になる。

自動車人間のボディーは、大局を見通せ、リーダーの有るべき姿を示せる人だが、悪く出ると、信念のない八方美人になってしまう。
鳩山総理の場合、大局観より、目先の好感度にウエイトを置きすぎてしまった。

ただ、アメリカからの酷評と冷遇は、必ずしも鳩山政権だけの責任でもない。
パラダイムシフトで台頭する新興国を前に、苦境に立たされたアメリカは日本どころではない。そこに、韓国の前盧武鉉政権の反乱。
ようやく収まったら今度は、半世紀ぶりの日本の政権交代だ。
正体がわからない新政権を、「すわ、盧武鉉政権の再来だ」と決めつけてしまった。

しかも、それを証明するように、いきなり、沖縄の基地問題。
疑心暗鬼のアメリカに、ちょっと大目に見て下さいの「trust me」は通用しない。しかも、直後に裏切った。
鳩山総理は、人格としてアメリカで破綻した。

アメリカは、「結果重視」の国だ。「努力」は通用しない。
「由紀夫ちゃんよく頑張ったね」と、お母さんお姉さんのようには褒めてくれないということだ。


気高さで

2010年04月24日 | 日記・エッセイ・コラム

30年ぐらい前、舞踊関係の人で、ナチスドイツがパリに侵攻した時、パリにいたという人に会った。80歳ぐらいの人だから、1940年なら40歳前後と言うことになろうか。

詳しい話を聞きたいのだが、酒の席のうえ、何しろその人はホモで、何を聴こうとしても、こちらにばかり興味を持って、適当なことしか答えない。話したく無かったのかも知れない。そのうえ、横にいる伴侶が牽制するので、早々に退散した。

聴きたいことはいっぱいあった。その時のパリの様子、どうやって日本に帰国したのか・・・知識的には、ある程度知っていることでも、体験者に話を聞けば、多くの発見がある。

子供の頃、写真誌で見た多くの写真は衝撃だった。アウシュビッツのガス室に送られる人々など、戦後、多くの非道が暴かれ公開された。
パリ解放では、ドイツ軍に協力した女として、群衆の中で丸刈りにされ裸にされた女性が写っていた。
雨の泥沼を行く日本軍の後を、たくましく追う女性達の写真も多く見た。

今では、ネットで簡単に見ることができるが、写真で見た光景や、体験者の話と、現在の定説になってる話とは、どうにも、つじつまが合わないことが多く、ますます、歴史というものは鵜呑みにできないと思うようになった。

歴史に善悪はない。あるとすれば、人間の愚かしさの足跡ぐらいだ。
歴史を口実に人を裁こうとする人間は、自らの愚を隠すために、他を非難すれば、自分が浄化されると勘違いしている。

だから、他国の歴史を誹謗する人達ほど、自らに隠したいことが多くある。
確かに、日本の近代史は、誇れるようなことはないのかも知れない。
しかし唯一、日本が誇れるとすれば、他国を誹謗しないことだ。

どんなに罵られようと、理不尽な要求をされようと、これから先も、日本は他国を誹謗中傷しないで行きたいものだ。
誹謗に誹謗で答えれば、同類になる。


維新の新

2010年04月23日 | 星の流れに

牡羊座の興奮。78歳の有馬稲子まで、不倫告白記事で話題。
これは、天王星→魚座時代に、魚座の川内康範が森進一の「おふくろさん」を言いがかりに顔を出してきたのと同じ現象だ。

天王星による、その人らしい興奮行動で、川内も有馬も、自動車人間の「シャーシ」だ。「出たがり」精神が刺激されて、昔の「財産」のホコリを払って引き出してきたことまで同じ。

川内はがんばりすぎて、すぐ死んでしまった。有馬も無理をしない方が良いと思うのだが・・・

牡羊座時代には、新しいこと「新」が流行る。
やたら、「新」党が乱立し始めた。前から書こうと思っていたことだが、政党の名前として「仮」をイメージさせる政党名はダメだ。

「魁」とか、「新党OO」のような名前は「動き」を表すので、いかにも仮の姿で、時が変われば消えて無くなる「幻」のようなインチキ臭さを感じさせるし、実際そういう運命を辿る。

政党として「正しい?」名前は、あり方や姿をイメージさせる必要がある。好き嫌いは別として、自由党や民主党、社会党、公明党・・・みんなの党などは、形をイメージできるが、魁は鉄砲玉みたいだし、日本新党は冷めたら食えない。日本正党や日本誠党、日本真党ではルール的にダメだったんだろうか。

しかし、政党名よりも
日本の議会制民主主義そのものに限界が来ている。
政治と金の問題で、肝心な政治本体が何も進まなかったり、やるべきことが何かより、どうすれば選挙に勝てるかだけに終始する。

日本の政治の仕組み、ルール自体が、もう2世紀もたった骨董品のままだ。その仕組みで飯を食っている連中に、仕組みは変えられない。

大阪や名古屋で起こっている「異変」は、国よりも小規模で、動きやすい所から火が上がり始めているのだが、その小さな所でさえ、政治システムの既得権にすがっている連中のために身動きできない。
その結果、「変わり者」首長の「横暴」と議会の対決になっている。

地域の中では、比較的民意がまとめやすいので、もし、地方で制度そのものを改めるような動きが成功すれば、案外、国の制度まで到達する可能性がないこともない。

維新ブームだが
前々回の天王星→牡羊座は、アヘン戦争から黒船来航の時代だ。
地域の草の根が中央政治を動かした時代は、歴史ではない。今も同じだ。当時、誰もそんなこと「維新」が起こるとは考えても見なかった。

もしかして、
当時は可能だったことが、今はできないとすれば、当時の方がむしろ上からの圧力が強かったからだろう。今は、自由過ぎて反発エネルギーが蓄積されないからかも知れない。


火の星座

2010年04月22日 | 星の流れに

福岡の警部補が、改造銃を隠し持っていて逮捕された。
この人、銃が趣味で、改造銃を色々持っていて、ネットに写真を上げてバレてしまった。

バカボンの本官みたいみたいな、隠れ本官はいっぱいいるんだろうなあ。
でも、撃たずにガマンしているのが涙ぐましい。
お勤めご苦労様です。

牡羊座は火星。男性的で荒っぽいものを表すから、当然、火器、銃刀類に関することが話題になる。
使い捨てライターが話題になっているが、この他、今回のように、銃の話題も増えてくる。刀鍛冶や包丁の会社が人気したり、倒産したりする。銃刀法も改善されるだろう。

突然人気するスターに牡羊座が増える。
活躍中のスターはもちろんだが、天王星が来ると、その星座の新人スターが続出する。
昨日の話題では、今度は竹内結子が海外ドラマとか・・・とにかく、このところ牡羊座の話題で目白押しだ。そうそう、織田信成君もできちゃった婚でおめでとう。

射手座の舛添新党。今は魚座で苦し紛れだが、牡羊座が来ているから結果オーライだ。ただ、菅直人と同じで、自動車人間の「エンジン」だから、本音の所、長にはなりたくない。

以前、政治家は俳優にやらせてはどうかと書いたが、エンジン人間で長がつとまるなら、是非、天海祐希に首相になってもらいたい。
選挙対策の人寄せパンダを探しているが、迫力があって最高だと思う。でも、政治家なんかアホくさいもんなあ。

天海祐希も獅子座だが、牡羊座に惑星が来ると、射手座や獅子座の人には、間接的で目立たないが、むしろ牡羊座本人よりも良いことが起こる。

外語学校ジオスが倒産したのは、射手座の舛添新党と同じで、倒産という苦境が、むしろ外語学校全体としては良い結果になる。システムが変わるだろう。


兄弟姉妹

2010年04月21日 | 兄弟関係

上海万博のPRソングが、岡本真夜の「そのままの君でいて」の盗作であることを、中国側も暗に認め、逆に岡本真夜にカバー許諾を求めて、岡本側もこれを受け、落着した。

何とも、実に面白い話だ。
鄧小平の「黒ネコか白ネコかより、ネズミを捕るネコが良いネコだ」という、中国的現実主義が発揮された。

中国のパクリと、韓国のパクリの、根底的に違うところでもある。

中国は、「我が道を行く」にあたり、その道に必要なものなら「何でも」取り入れ、不都合なものは絶対に取り入れない。
知的所有権などというものは、人間が決めた「小さいこと」だ。そんなものはどうでも良いが、うるさく言うヤツがいるなら、適当に処置する・・・そういう信念で、我が道を進んで行く。
これはまさに、長子の生き方だ。

一方、弟妹型の韓国の場合、何でも後追いで生きているから、一番うまくいっているものを素早くマネをする。それが、最もムダのない効率の良い生き方であり、その時点その時点で、自分自身もすっかりその気になって、手本の先輩に「なりきる」。
韓国選手は「李」を「LEE」と背中に表記して、得意そうにしている。この感覚は、長子タイプの日中にはない。

中国人が「マイク」とか名乗るのは、単なる便法だが、韓国人はそれに酔っている。日本人が名乗るのは、自嘲的な洒落感覚だ。

日本に住む中国人は日本名を名乗らないが、朝鮮半島出身者は日本名を名乗り、それを日本のせいにしながら、いまだに名乗っている。そもそも、朝鮮半島の名前はすべて中国名だ。

これも兄弟姉妹
パクられた、岡本真夜の「そのままの君でいて」については、世代格差で何とも言えない。
蘇州夜曲で昭和30年代をイメージする世代の、逆バージョンとして、何となくおおざっぱに聴いてしまう。

直近の歌と比べれば、気持ちの良い歌が多かったが・・・
1997年の「そのままの君でいて」が、1990年の「愛は勝つ」などと区別が付かないのは、年寄りの空耳だろうか?


今日も雨

2010年04月20日 | 星の流れに

掛違い◎」で、文明の利器の危うさを書いたが、アイスランドから、天王星→牡羊座の危機が吹き出した。

アイスランドとギリシャが告げていた前兆、EUの混乱は、
「天王星の集中と爆発」によるハプニングで、こんなことまで起こる。

どうにか危機を乗り越えかけていたEUには、泣きっ面に蜂だ。
この、思いがけない事態は、噴火が収まれば終わるものではない。
様々な影響がボディーブローのようにEU全域に影響し、当然、世界に影響する。

フィリピンなど、他の地域でも、これまで火山の噴火で、ジェット機が飛べなくなったことはあるが、世界経済の中心で起こったら、ただでは済まない。しかも、タイミングが悪い。

世界が、ようやく立ち直り掛けていた矢先だ。しかも、世界経済の目下のエンジン、中国でも、微妙な地域でまた地震が起こった。

尋常ではない星の配置を心配していたが、世界も日本も上向き始めたというニュースが聞こえ、杞憂だったか、と安心し掛けたとたん、これだ。
悪いことに世界的に、不慣れな政権が、融通の利かない政治をしている。

煙に巻かれたEUだけでも暗雲がかかっている世界だが、
ここに、別の経済の中心で新たな災害が起こったら、世界大戦規模の混乱が起こるだろう。
災害は、災害以上にパニックが被害を生む。

祈るのみだが、こういう時ほど、人間はバカなことを始めるものだ。
牡羊座は新生。パラダイムシフトには産みの苦しみがある。

やはり、雨が降らなければ地は固まらないものらしい。


卑語雅語

2010年04月19日 | 日記・エッセイ・コラム

競泳の選手に氏家倭人という選手が三着になった。何と読むのか分からないが、たぶん「やまと」と読むのだろう。
姓名判断とか関係なく、良い名前だと思うが、中国人や韓国人が見れば、不思議に思うかも知れない。

韓国は今でも日本人の蔑称の一つとして「倭人」と呼びたがるから、自ら「倭人」と言う名前を名乗られたのでは、どう理解して良いかわからなくなるだろう。

逆に、韓国人は朝鮮という名前を嫌う。朝鮮半島はいつの間にか韓半島になっていた。コリアなら良いようだから、高麗半島の方がまだ解る。
国名にしたがって地名が付くのではなく、半普遍的な地名の上に国が生まれる。バルカン半島は、どの国が主権を取ろうとバルカン半島だ。
歴史的客観的な関係の中で地名は自然に定まる。地名はその土地の人のためだけにあるのではなく、そこを通る人のためにもある。

そういうことが解らないから、自分の国の名前が土地名になると思い、同時に日本海という名前を変えさせようとする。理屈もヘッタクレもない思い込みの人達だ。

名前や、呼称に特別な意味を持たせて、言葉狩りをする人たちは、自分の知る概念に、善悪を持たせて、ただの呼称を禁じようとする。
言葉狩りは、自分自身の中にある偏見そのものだ。

氏家倭人君の名前を見て韓国人がバカにするとすれば、それこそが恥ずかしい、井の中の蛙だが、蛙は井の中にいることすら気づかない。

名前や呼称は、それ以上でも以下でもない記号だ。
一昔前、プロレスの選手で、ボボ・ブラジルという選手がいた。
九州人は、素直な気持ちで呼べなかった。これは、九州人だけの地域限定現象だ。東京や大阪の人には、全く理解できない。
逆に、東京出身にはオマーンの話は気恥ずかしいし、京都で饅頭を買うのは恥ずかしい。関西のCMでは「お米券はなんだか恥ずかしい」と言うのもあったが、東京人には意味不明。

一つの集団や地域の中で、特定の意味を持つ言葉も、他の集団には意味を持たない。九州、東京、大阪の例を挙げたが、これも、TVによる全国共通語化で、若い世代にはあまり、意味を持たなくなっているようだ。逆に、テレビで生まれた新しい卑語の方が、恥ずかしいと感じるような気配もある。

特定の概念の伴う言葉を禁止しようとする人達に対抗するために、
あえて、そういう名称の物をいっぱい作っても良いかもしれない。
「男とうふ」はヒットしたから、「女せんべい」とか、「ボケごろし」「劇団・河原乞食」「耳栓・勝手つんぼ」等々・・・
歴史を重ねた日本語の雅には競争力がある。


掛違い◎

2010年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

アイスランドの噴火の灰で、ジェット機が飛べなくなっている。
ヨーロッパ全域が機能停止状態で、一日200億円近い損失が出ているそうだ。

飛行機は、産業革命の本体とも言える内燃機関利用の極地だ。
化石燃料を湯水のように燃やして、スピードを求め、グローバル時代だと得意になっている人類の、麻薬だ。

ダメだと分かっていても、もはや、止めることのできない血肉になっている。鉄のために全土を禿げ山にした古代人のように、行くところまで行って破綻するまで、止めることができない文明の病だ。

同じ事は、原子力発電にも言える。目先が便利だからと、都合の悪い情報には目を閉ざし、これからどんどん増やそうとしている。
いったん普及してしまうと、飛行機や自動車と同じ、いや、それ以上に止めることは難しくなる。原発解体がどれほど難しいことか、既に実証済みだ。
日本など、現在既に、原発依存から抜けられなくなっているが、耐用年数を超えて、何が始まるのか恐ろしいことだ。

ちょっとした行き違い
普及した技術は優れているから普及したのではない。人間の欲や衝動の、ちょっとしたきっかけから普及した。
ファッションやベストセラーと同じで、一度、流行ってしまうと、あたかもそれが最善の基準のように、みな思い込んでしまう。

ファッションぐらいなら良いが、原発のように、決定的な安全装置のない設備を、苦し紛れに量産し、やがてそれを補うために、また危ない物を取り付けることになるのだろう。

人間がつくるのだから完璧なものはない。しかし、高速を保てなくなったからと言って、後ろに向けて大砲を撃つようなことをするより、一度、低速で走ることを考えて見ても良いのではなかろうか。

火山灰被害の話も。今もし、電動飛行船をジェット機と平行活用していたら、この状況に対応できたのではなかろうか。なんなら、飛行船で成層圏まで上昇して、そこからロケット飛行機とか・・・。

また、飛行機より、高速鉄道網を世界に張り巡らしていれば、リニアシベリア鉄道で、単純には20時間ぐらいでヨーロッパに行かれる。
そして、それを成り立たせようと思えば、世界平和がなければならないことになる。


改善の道

2010年04月17日 | 星の流れに

看護師の患者虐待事件が相次いだ。
これもまさに魚座の末期症状事件だ。

看護師にかかるストレスは、ただでさえ激しい。
入院して病院の世話になったら、医師より、看護師に感動する。
昼夜を問わぬ、甲斐甲斐しい激務を見ていると、申し訳ない気持ちになる。

それだけではない、落ち込んでいる時など、患者に気を遣って笑顔のケアをしてくれる。あまり親切にしてもらうと、逆に気を遣って、お愛想をしなければならないような気にさえなる。

しかし、一方で、病院というタテ型の管理社会の内部では、もともと、陰湿な心理的葛藤が生まれやすく、それぞれのポジションでのストレスや不満は、昔からよく耳にする。
学校や、病院、役所は、軍隊にも通ずる、ある種の真空地帯だ。

占星術の十二室では、
乙女座に当たる第六室が「労働の現場」で、組織内部を表し、当然のことながら、人事で言えば人体機能、医療を表す。
その裏の、魚座に当たる第十二室は「安息」で、心や観念を表し、人事で言えば、癒しや慰安を表す。
この、裏表の両者は対になって、人を人たるものとして成り立たせる。つまり、治療する。

機能の乙女座が医師なら、癒しの魚座が看護師だ。どちらにも相互の要素があるので、逆の要素が表に出る場合もある。

魚座時代のこの十年に加えて、乙女座の土星もあって、医療制度が激しく変わり、患者の目も厳しくなった。
医療や介護の現場に、相当なプレッシャーとストレスがかかっており、さらに今年に入って、木星が魚座に来ることで、「打開」意欲が湧いている。

「打開」意欲は、立場や個人の資質によって、様々な形で現れるが、自己抑制能力がなければ、「憂さ晴らし」に変化する。
悲劇的な事件ではあるが、一方で、積極的な改革を起こす人もいれば、事件をきっかけにして改善が図られる場合もある。

木星による改善とは、必ずしも、良い事だけでは進まない。雨も降る。


痴漢対策

2010年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

また、痴漢撃退の護身術イベントのニュースをやっていた。
鉄道会社主催に首をかしげた。

付け焼き刃の護身術がどれほど役に立つのだろう。夜道の痴漢なら、まだ解るが、満員電車でどうやって「技」を発揮するのだろう。
役に立たなくても、自信を付けることで、毅然たる態度をとれる。
そういう効果は多少あるのかも知れない。

電車の痴漢は、古くて新しい問題として、様々な悲劇を生んでいる。
被害に遭う女性は言うまでもないが、誤認された男性の悲劇もある。
痴漢対策に、女性専用車両はできたが、男性専用車両こそ必要だという男性の意見は少なくない。あれば、満員になるだろう。
痴漢加害者とされて失う社会的、人間的損失は致命的だ。

痴漢は満員電車だけではない。近頃は、脅迫・暴力による、傍若無人なレイプ犯罪まで出てきた。
こうなると、護身術どころではない。

鉄道会社も、護身術イベントや呼びかけで、客まかせにするより、自らシステム的な改善をする責任があるはずだ。

監視カメラや痴漢非常ボタン、シート改造などは、経済的に無理としても、ルールを作るだけで、相当改善できる。

ラッシュの場合
性別専用車両を決めなくても、入り口を別けるだけで、男女が両サイドから乗り込んで行き、中間に移動式の間仕切りを置けばいい。
もちろん、グループや男女で乗る人の混合車両は設定する。

長距離のボックスシートの場合
間仕切りではフレキシビリティーが難しいので、混合車両の他は、「性別シート」を定める。
通路の左右で、シートを男性列、女性列に決め、どちらかの列が満席になれば、車両の一方の端から、詰めていく。
一人がけの人は、移動しなければならないことに決めておけば、始めから相席を選ぶだろう。

始発駅でも、男女が一人ずつ先に座っていると、後から来て、異性と相席するのは、少なからず勇気が要る。男女別が決めてあれば気兼ねがない。(中には、好んで異性の席に座る人もいるが)
決めなくても、エレベーターの片側に並ぶ日本人なら、ルールは可能なはずだ。

何はともあれ、女性専用車両の発想は、それ自体が性差別だ。
昔、学生の頃、「女の痴漢にやられた」と言う友人を、みんな信じなかったが、事実であることがだんだん常識になってきた。

それより、もっと怖いのは、ホモの痴漢だ。
これも昔、終電前の四谷駅のホームで、学生風の男を後ろにかばいながら、男同士が喧嘩している。何だろうと思ったら、どうも、しつこく迫るホモに、別の熱血漢が割って入ったらしい。
電車が来たからそのまま乗ったが、かばっているのもホモだったかも知れない???