魚座の土星で色々なことが起こっているが、それにしても能登はひどいことだ。
「越」の国は魚座と考えられるが、能登は特に地形や地名、歴史など、魚座そのものと言える。尻尾やつま先のような末端は魚座で、全体の形がそれを連想させ、魚座の数は「7」で半島の中心には七尾市がある。
最後の星座、魚座は次の世界とつなぐ胎児と産道で、海は陸をつなぐ通路でもある。
魚座の支配星ネプチューンは海神であり、イマジネーションや安らぎをもたらすが、嵐や災害の神でもあり、土星が来れば当然、災害など悪い働きをする。日本神話のスサノオのような神だ。
我慢強い雪国の北陸や東北は、大災害に遭っても、大騒ぎをするアピール上手な地域のようには気に掛けてもらえない。それでも、東日本大震災のように目に見える圧倒的なダメージなら、だれにも伝わり、ある意味では一からやり直すことができるし、原発の人災には犯人もいる。
しかし、能登は、足下そのものが崩れ、実際には住むことができない完全喪失にもかかわらず外見が残っているうえ、辺境で、あまり状況が伝わらない中で、豪雨の二次災害がおこった。仮設住宅の水没も、総力を挙げた対策ではなかったことを物語っている。
自給自足
しかし、能登に限ったことではない。極東と言われる日本そのものが辺境の地であり、災害列島だ。誰にも侵されない代わりに、基本的に誰にも助けてもらえない。その環境が、独特の文化と見かけによらない”しぶとさ”を生んだのだろう。
国際協力など、グローバル時代の相互援助も、結局は自立採算能力があってこその「ゆとり話」に過ぎない。
経済、食料の完全自給循環を真っ先に考え、産業も人口もそれを前提に計画してこそ揺るぎない国家展望が可能になる。
人口に象徴される現在の問題の多くは、足下を疎かにした産業革命パラダイムの後遺症だ。土地の規模に応じた人口と生産性の上に立ってこそ、真の剰余が生まれる。
国や地域の自立がなければ、世界は依存や侵略の歴史を繰り返し、グローバル化など成立しない。国家の無い世界は、当分、実現しそうもないから、先ずは、国の健全化こそ世界平和への道だろう。
いずれ地球人類が一つになるとしても、今日本にできることは先ず真の自活、もう一度150年前の独立国「日本」を取り戻すことだ。
そのためには、藩政時代のように日本「全国」の地域が自立可能なフリーハンドを持てる小さな政府に変え、世界の国家ランクなど気にせず、国内の地域間競争に専念すれば、相対的に国力を高めることになる。
国は極論すれば国防と防災だけでいい。福祉や産業は地域に任せ、人口動態も競争次第だから善政のみが生き残る。とにかく、明治維新で世界と競争するために生まれた、皇国史観的な挙国一致の中央集権の仕組みを引きずっていては、未来を生き抜けない。
人口も過疎化も、今何が日本の足を引っ張っているのか、日本人の目を捨てて、見回して見れば良くわかる。