魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

話を聞く(3)

2013年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

人の話を聞いて別の世界を知れば、それだけ自分の世界が広がる。
しかし、誰でもが話してくれるわけではない。言葉を交わさずすれ違うのが世の中の人のほとんどすべてだ。
自分も属している世の中というものは、つかみ所が無い。
世の中という、つかみ所のない世界の正体は歴史が語ってくれる。

秀でた人の様々な著述や講演を聞くことも、確かに多くの世界を見ることになるのかも知れない。しかし、それは整った世界であり、教説を賜ることで、感化される場合が多い。つまりアイマスクの世界だ。

「論語読みの論語知らず」は、教説と現実とを対比しながら読まないで、その世界に埋没して読むから、自分の思考が広がらない。
著述や講演も、すっかり真に受けて聞くのではなく、かと言って、何でも批判的に聞くのでも無く、その人のものの見方と、自分が知る現実世界とを比較しながら聞いていく。それが、教説との対話だ。
日本の教育は、こうした思考力を抑圧し、「論語知らず」ばかり育てている。

知識の詰め込みは、東洋全般に言えることで、欧米で東洋人の学生が好成績を上げるのも、ペーパーテストは知識の証明だからだ。
教育や学習の真の成果とは、テストの点数ではなく、世の中で現実対応能力となって現れる「人間力の養成」でなければならない。

アジアでは、日本もかつてそうだったように、荒唐無稽な歴史が社会に信じ込まれ、それによって国に、あるいは世界に、とんでもない暴走を仕掛ける。

これは、知識の詰め込みの「成果」であり、既存の秩序に従おうとする東洋の自然観から生まれたものだ。伝統や権威の継承を第一と考える東洋的価値観にもとづく問答無用の「記憶教育」の影でもある。

個々の人間が自分で考えることを、東洋の自然観はむしろ否定する。
人間が、大自然の秩序や超人に従うことを、美しい姿だと考える。
それが、個人を押さえ込み、それでいて逆に、それを突き破って、結果を出した人間を「超人」として崇め従う。

仏教はアーリア人バラモンの末裔?
ところが、仏教はこれとは反対のことを説いている。
人は神ではなく仏になり、先ずは菩薩として仏を志す。そのために最も大切なことは、自分で考えることだと言う。

瞑想をし、人の話を聞き、自分自身を頼りに考えよと説いている。
インドで生まれた仏教だが、中村元さんが釈迦はモンゴル系ではないかと吐露していた反面、今日われわれが知る仏教は、インドから西域を経て生まれた、非モンゴロイド系の哲学と思われる。

中国を経た過程で、超人伝説のようになっているが、説いている内容は、個人主義的で、人間主義的だ。
すべての人が悟りの可能性を持ち、人を救うためにも先ず自分が悟らなければならないと言う。

そして、そのために最も重要なことは英知の習得であり、それを磨くために、とにかく話を聞けと言う。
人に問い、自分に問い、自然に問う。あらゆる世界の観点を知り、しかもそれが、絶対のものではない事を知らなければならない。
様々な世界を知れば知るほど、「真理は相対的である」つまりは、「空」であることが見えてくる。
絶対を信じれば不条理に怒るが、物事の相対性を知れば、寛容と共存の道が見えてくる。
救いの道は、先ず聞くことに始まる。


話を聞く(2)

2013年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

人に教えると言うことは、自分が学ぶことだという。
同じように、
人の相談に乗ると言うことは、自分が学ばせてもらうことだ。

人の悩みは、その人の世界に発生する。
相談に乗ろうとすることは、先ず、その人の世界を知ろうとすることだから、とにかく話を聞く。それにより、自分の認識とは全く違う景色、実体のとらえ方が有ることに驚くことになる。

人の話を聞くのは、相談の時だけではない。人と話をすれば、大方は自分にとつて不都合な話を聞かされるものだ。しかし、だからこそ、先ずは聞かなければならない。この時、聞くのは「言い分」ではなく、その人の世界の姿だ。

「言い分」を聞くとは、自分の価値観に照らして理解することだが、人の世界というものは、自分の世界とは全く別の、価値観や感性で構成されている。先ずはその世界から、「実体」はどう見えるのかを知ることから始まる。

そして、自分の視点と、相手の視点の違いを比べて、自分でも気づかなかった実態を把握する。
製図の正投影図では、自分の位置からは三角に見えるものが、相手の位置からは四角く見えるのは当然のことであり、どちらも間違ってはいない。

この物体の姿を正しく把握できるのは、相手の視点をよく聞いた方だ。つまり、不本意なことを言う相手の話こそ、先ず、よく聞かなければならない。これこそが、相手から学ぶことだ。

非常識で敵対的、不可解で異常なことを言って、困らせてくる相手こそ、願ってもない「我が師」なのだ。
このことは、苦労や不幸という状況にも言える。願わぬ事、嫌なことは何故に存在するのか。例えば、死は他の生のために必要だと気づく。

知ってどうする
相手の視点や、問題の実体が見えたとしても、それで相手を説得できるものでもない。相手は自分の世界を堅く信じ込んでいる。
相談を持ちかけて来る人なら、話を聞いてもらえるかも知れないが、実際はそうではない。

相談をする人の多くは、自分の信じ込んでいる世界の確認と証明のために話を聞いてもらいたい人だ。違う視点の話をすると、とんでもないことを言われたと、拒絶されたり、時には、逆上されることもある。
ましてや、交渉相手や、敵対してくる相手には、何の手立てにもならない。

しかし、少なくとも、自分が先に気づけば、相手や状況によって、対処の方法が広がる。
賢明な人には、間接的なたとえ話で気づいてもらい、理解力の無い人には、言い方や雰囲気を工夫して答えだけ告げる。
また、敵対的で初めから聞く気のない人には、解ってもらうより対処法を考えるのが良いだろう。


話を聞く(1)

2013年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

人の相談に乗るには、先ず話を聞くところから始まるのだが、言葉を聞くと、反って相手を混乱させることになる。

相手の話を言葉通りに受け止め、それに対する対処法や慰めを言ったりすると、その本人が悩んでいる問題をむしろ増幅させ、その場は喜んでもらえるが、その後、事態を悪化させることになる。

そもそも悩んでるのは、その人の論理、その人の世界で解決できなくなっているのだから、その世界に立ってみたところで、同じように悩むだけだ。
「あ、暗くて何にも見えない」と言っている人のアイマスクを借りて、
「あ、ホントだ」と言っても意味が無い。
「あなた、アイマスクしてるじゃありませんか」と、知らせることが必要だ。

もっとも、中には、悩んでいること、愚痴を言うことを楽しんでいる人もいるので、強引に取り外したりすることは無い。
また、アイマスクが顔に張りついて、剥がせない人もいるから、それを指摘することさえできない場合もある。

しかし、いずれにしても、その人のアイマスクの世界からの話であることを念頭に置きながら、実際の状況を把握する必要がある。
話を聞くとは、語り手の、「言葉の向こうにある実体」を知ることだ。

語る人は自分の体験に基づいて語っているが、その体験はその人の価値観や感受性によって生まれている世界だ。
人の話を聞く時には、言葉の中にある、語り手の価値観や感性を測りながら、それを取り除いた「実体」を見なければならない。

その上で、その推測される実体と、その人の受け止め方との調整をすることが、相談に乗ることの第一歩だ。

例えば
「毎晩、亡霊にたたられて寝られない」と言う人がいたとすれば。
誰の亡霊か、どう現れるのか、何をするのか、どんな結果なのかなど、よくよく聞いていると、
『ははあ、心配事があるところに、クーラーや冷蔵庫の微妙な振動が夜中に響いて来るんじゃないか』などと、推測がついてくる。
しかし、それを証明することは難しいから、それを言う必要は無い。

この場合、重要なことは亡霊の真偽より、「亡霊が現れるんじゃないか」と心配になる経緯と不安の状態だ。
経緯に対する理解の仕方を整理し直し、引っかかっていることの解決策を提案し、不安な状態の、物理的な解決法を提案する。もちろん、その人の価値観・感性で理解しやすいように。時には、亡霊がいることを前提で。

しかし、話す人は、自分の体験を、確かだと思っているからこそ悩んでいる。聞く側が、実体を推測しながら聞いていると、自分の話に反応が無く、ノリが悪いから、
「ちゃんと、話を聞いてますか」と、叱られるかも知れない。


火星満月

2013年03月27日 | 星の流れに

やっぱり負けた。
サッカー、ヨルダン戦。「京の智恵」で、当初、ヨルダン戦も心配だと書いていたが、縁起でも無いと、消して上げた。
アウェイは当然だとしても、実力で勝てるかも知れないと祈ったが、WBC、フィギアに続いて、不運なミスが命取りになった。

火星・牡羊座の上、ほぼ、天秤-牡羊座の満月の影響が始まっていた。やっぱり星には勝てないのだろうか、それとも、まだまだ、実力が足りないのだろうか。いやいや、ブラジルやスペインでも、負ける時は負けるのだ。

火星・牡羊座は中国にとっても良い時では無い。中国の艦船が、ベトナム漁船に銃撃をした。
牡羊座は中国のイメージを映す第10室だから、そこに火星が来れば、中国の暴力性を印象づける。ロシアから武器を購入すると、大々的に自慢もしていた。

くわばら くわばら


JUSTICE

2013年03月26日 | 星の流れに

一票の格差問題で、違憲を越えて、ついに「選挙無効」判決が出た。
牡羊座の時代」現象だ。

牡羊座は男性宮で、惑星が男性宮に入ると世相が革新的になる。
特に天王星は革命の星だから、「正義」の牡羊座で、ことに画期的な判決が続く。

近年話題の、哲学者マイケル・サンデル教授は魚座だが、「正義」についての考察が注目され脚光を浴びている。
「哲学」も「正義」も、まさに牡羊座のものであり、時代の寵児だ。

正義(justice)と判決(judgement)の語源は同じで、裁判の象徴「正義の女神」は、右手に剣、左手に天秤を持っている。
「剣」は牡羊座。「天秤」は180゜の天秤座。両者は表裏一体で、道理は剣で守られることを意味しているが、裏を返せば、「勝てば官軍」正義とは力なりを、暴露しているとも言える。

赤ん坊の牡羊座が個人の始まりなら、夫婦の天秤座は社会人の始まりだ。牡羊座の象徴句が「I am」で、天秤座が「We are」。何れも主観的な感覚であり、「正義」の持つ独善性を暗示している。
正義も判決も、「一つの立場の判断」に過ぎない。それだけに、集団の掟「憲法」を正す判決は、集団内部においては絶対でなければならない。

牡羊座に84年ぶりに帰ってきた天王星だから、これぐらいのことは当然と言えば当然だが、今回の判決は、判例として極めて画期的だ。
押しつけられた民主主義とは言え、70年近くをその中で過ごした日本国民は、民主主義の現状を「何か変だ」と感じてきた。

その理由はこれだと、司法がブチ切れたのが今回の判決と言えよう。
この判決の意味が解らない国民はいるだろうが、少しでも文句がある国会議員は、直ちに辞職すべきだ。
それが解っているから、責任のなすり合いを始めたり、0増5減でやってるんですと言ったり、言い訳三昧だ。

民主主義なら本来、頼りにしなければならない国会議員が、どうにもうさん臭く見える。
地盤・看板・鞄、世襲、足の引っ張り合い・・・理想の民主主義とは無縁の現実。そこに加えて、お手盛り報酬に、一票の格差。

公僕、選良とは名ばかりで、民主主義システムに集る、ダニとしか見えない。
今回の判決の意味は解らなくても、国民は誰でも解っている。
彼ら議員には、議員数の大幅削減や、大幅減俸などの、身を切る大改革は絶対にできない。少なくとも自ら進んでやる気はない。


キプロス

2013年03月25日 | 兄弟関係

不安定なEUに、また怪しげな噴煙が吹き出してきた。
国と言えるのか解らないほどの極小国、キプロスの金融危機だ。
経済も政治も、複雑怪奇な世界情勢については、何が解らないのかが解らないほど解らない。

ただ、占いの観点から観れば、それほど難しいことでも無さそうだ。
キプロスは、その名前が「銅」の語源になったと言われるから、古代は銅の産出地だったのだろう。

銅は金星を意味するから、天秤座か牡牛座だが、同じ金星でも、抽象的な天秤座の「美」ではなく、物理的な牡牛座の「銅」の方だから、牡牛座と考えることができる。
ただし、地中海世界ギリシャの魚座要素もある。

今の時期、キプロスに何が起こったのだろう。
キプロスという国は、キプロス島を二分する分断国家だ。東アジアの分断国家、朝鮮半島ほどではないが似たような境遇にある。

サソリ座の朝鮮半島に対し、キプロス島は180゜表裏一体の牡牛座だ。サソリ座に土星が来れば、当然、牡牛座も影響を受ける。
サソリ座が、自分で問題を引き起こすのに比べ、180゜の牡牛座は他動的な影響で、振り回される。

詳しい話はよく解らないが、ギリシャ危機の影響を受けたキプロスがEUに、「ほんのちょっと」支援を頼んだら、相次ぐ危機で過敏症になっているEUが、過大な条件を突きつけてきた。
それは呑めないから、大手の預金者ロシアに支援を頼んだら、ロシアは『キプロスが倒産したら買いたたいてやろう』の魂胆で、断った。
いずれにしても、キプロスは、他人の思惑に振り回されている。

これを書いている間にも、ニュースによると、EUが、キプロスが呑める案を出して、とりあえず回避できることになったそうだ。
EUも、キプロスが倒産されても困ると、考え直したのだろう。

キプロスを振り回しているのは、サソリ座の土星。つまり、銀行のお金ということになる。(サソリ座=銀行/土星=お金)
元々、キプロスは金融でお金を集めて回していたので、商売の「相手=客」が銀行だったと言うことだ。

これを日本に当てはめると、相手は牡羊座だから、初物、建設、武力、英仏独・・・
日本は、斬新なアイデアと建設や工作を好む人々、ことに英仏独と新大陸が客になる。決してカニ座の中国ではない。武士道を評価するのも欧米だ。

兄弟関係では
ところで、兄弟関係で言えばロシアは中間児だが、キプロス対応もさることながら、中国、日本、米国に対する、このところのロシアの動きは、まさに、「猛獣使い」中間児の真骨頂だ。

自分からは何も言い出さず、相手の挙動に合わせて「うれしいこと」を言う。しかも、何時でもどちらにでも、体を交わせるようにしておく。
長子の中国は領土問題が頭に付いているようで、ロシアが領土問題で協力すると言ったと喜び。直接関係の無いタンザニアにまで「支持する」と言わせて喜んでいる。

偉大な歴史を誇る中国だが、現在の世間知らず指導層によって、長子の弱点をさらけ出している。長子の弱点は自分の立場を一方的に押しつけ、立て前を宣言すれば良いと思っていることだ。


願わくば

2013年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の桜は、2002年以来の早い開花だそうだ。
いつか、ものすごく早く咲いたことがあったなあ、と思っていたら、もう10年以上も経っていた。

高三の担任は大学出たてで、父兄が抗議したほど若かった。
年が5歳ほどしか違わないのに、同窓会で、「あと何回桜が見えるか」などと言うので、同窓生一同が笑った。

その後、やはり異例の早さで、校長になったが、在任中に癌で亡くなった。それがこの年だったことを思い出した。
始めから終いまで、先生とは呼ばずに「君」と呼んでいた。

願わくば花の下にて春死なんその望月の如月の頃  西行

近年、桜を題材にした歌が大流行で、桜が一年中咲いているんじゃないかと思うほど、いささか食傷気味で、むしろ、一青窈の「ハナミズキ」が新鮮に思えた。

日本人は昔から、一年の2%程しか咲かない桜に、一年を掛けているような生活をしている。
それが何故なのか、どうなのか、さんざんに語り尽くされていることを、今さら語るほどの度胸はないが、占いの立場から、少しだけなら許されるかも知れない。

桜は魚座だ。魚座は「夢」を意味する。夢のような人生は「儚い」。
日本人が桜に魅入られるのは、儚さを知り、儚さを愛でる文化だから
・・・そういうことだろうか。


達観の胆

2013年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

「南海トラフ地震」の被害想定が220兆超の発表で、パニックになっている。ただし、パニックになっているのはマスコミだ。あるいは、それに煽られやすい人達だけだ。

東日本大震災を目の当たりにした日本人は、「そりゃ当然だろう」ぐらいにしか思わないのではなかろうか。賢明な人や組織は、とっくに対策を講じ始めているし、そうで無い人は、どっちみち何もしない。
想定額がどれほどのもので何を意味しているのかも、実際の所、ピンと来ないだろう。

しかし、何はともあれ、最大値を想定することは良いことだ。
と、言っても、この程度では最大値とは言えない。原発や火山は含まれていないし、日本を潰したい隣人達の挙動も、予測に入っていない。
東日本の時、表向きはお見舞いと言いながら、彼らが何をしたか、決して忘れるわけにはいかない。(だからと言って、敵視も得策ではない)

マスコミによると、被害想定が大き過ぎると、対策意欲を失うという意見があるそうだが、それは人間が自然を克服できると考える、西洋式の発想に毒されているからだ。
想定を、克服できる範囲に止めたいとは、本末転倒の意見だ。

確かに、いつかは大災害を克服できるかも知れないが、100年や200年はできそうもない。つまり、当面、不可能だ。
この問題は医療にも同じことが言える。

災害を克服できるという前提は、不老不死と同じ前提だ。
大災害に遭わないようにすることばかり考えることは、死なないことばかりを考える医療と同じだ。先ずは、人は必ず死ぬという哲学があるべきで、近年、ようやくその考え方が行き渡り始めた。

「死と災害からは逃れられない」の大前提あってこその、災害対策だ。
絶対に火事を起こさないではなく、火事が起こったらどうするかの話なのだ。 「あってはならない」などと、不可能を言ってはならない。

日本は大事故や大災害が起こると、責任論ばかりで、対策論が始まらない。だから、責任を取らないためにどうするか、ばかりを考える。
たとえ、責任者が腹を切ったところで、次の災害は起きる。

死や災害の現実を受け入れる覚悟があってこそ、初めて対処することができる。「どうしようもないもの」に立ち向かうのは、防潮堤でも特効薬でもない、心がけ、胆力と達観だ。
居直り、身を捨ててこそ浮かぶ瀬も、絶望の中から・・・と、覚悟してこそ、真に正しい方策が見えてくる。
先ずは、どうしようもないものであることを、認めることだ。

ところで、人間は必ず死ぬとは言うが、iPS細胞の出現で、どうもそうとは言えなくなってきたようだ。再生医療が発達すれば、肉体のリフレッシュを繰り返して、1000年も2000年も生きるかも知れない。
脳のリフレッシュはムリのように思えるが、それとて、記憶、思考の脳構造をそのままコピーして保管し、新細胞にコピーし直すとか、あの手この手が生まれるかも知れない。
そうなると、それを人類と呼ぶのかどうか解らないが、人類はどんな哲学に生きることになるのだろう。


京の智恵

2013年03月20日 | 兄弟関係

3月12日、火星が牡羊座に入って以来、どうも日本勢は調子が悪い。
フィギアもWBCも、ミス続きで、思うような成績が出せなかった。
中国は中国で、相変わらず、領海侵犯を繰り返し、マスコミは毎日煽り立てている。

こちらがカッとなれば、中国の思う壺だが、日本はよく耐えていると思う。マスコミは煽り論調を止めて、バカげた行動をあざ笑う論調にして欲しいものだ。

海外のマスコミも注目しているようだが、だいたい公平な報道のようだ。志と元気のある人は、ネットで、中国の行状を世界に丁寧に解説して欲しい。上品に面白く。
ネット上のマンガ等は、日本側の一方的な言い分ばかりだ。
第三者を説得するには、公平な客観的事実から話さなければ、説得力は無い。
相手の立場の言い分を正しく挙げた上で、世界の常識で反論する。どうも、マスコミ解説も、批難ばかりの感情論で、この方式が欠けている。

長子のメンツを立てながら
長子の中国、一人っ子の日本。離れて付き合えば、君子の交わりができるが、足を踏んだ踏まれたの接近戦になると、長子中国はいつもの癖が出る。
「誰に向かって言っているんだ」と、いきなり上から目線だ。

さすがに、マズったと思ってはいるが、どちらも「自分が悪かった」とは言い出せない。日本が日本に理があると思っているように、中国は中国なりに、自分の言い分を信じている。ただ、やり方を失敗したと思っているだけだ。

こういう場合の解決法は、実際の長子と一人っ子の対決が、そのまま当てはまる。
どちらも、相手が間違っていると指摘しないことが肝心だ(日本はかなりできているが)。そして、一方で、自分の言い分を、
「あちらにはあちらの言い分があるだろうが、自分はこういう理由でこう考えている」と、第三者に向かって話すのがいい。

それは決して、抗議でも裁判でもなく、相手自身で判断してもらえるように、間接的に知らせることになるからだ。長子は、時間をおかれると、自分で考え直す。

今回のような、国同士の対立では、相手国民に理解してもらうことが必要だが、情報を遮断している国だから、在外の中国人を目標に説得するのが良いかも知れない。(もちろん政府には伝わる)
粘り強く、日本が、法治に則って主張していること。それが世界のルールであると「日本は信じている」ことを、丁寧に知らせるべきだろう。

決して、「あなたは間違っている」と、指摘してはいけない。自分はかくかくの理由でそう信じていると、「間接的に」知らせることが重要だ。つまり、メンツを立てながら、相手にこちらの考えを知ってもらい。自分で考え直して貰う。
そして、できるなら、別件で、共に法治主義に基づいた共同作業ができればいいのだが。(第三国のトラブルを法に基づいて調停するとか)

中国との違いは、民主主義の違いではなく、法治主義の違いだ。
古代中国は日本に法の秩序を教えたが、今度は日本が中国に現代の法を理解して貰う必要がある。それも、教えるのではなく、気づいて貰うことだ。

いずれにしても、相当気長に行くしかないが、このまま行くと、日本の方が、ぶちギレる可能性が強まってくる。それが心配だ。
とにかく、正面から相手にしてはいけない。
こういう時の、「おお、こわ~」こそ、力に依らずに牛耳る、公家の都の最高の智恵だ。
相手を立てながら、第三者に「アブナイ人」と印象づけ、孤立させる。


管理人病

2013年03月18日 | 占いばなし

乙女座は、病気、病院の星座だが、労働、職場の星座でもあり、学校や農業の星座でもある。
次の天秤座が、結婚や対人関係、美の星座でノンキそうな雰囲気なのに、どうも辛そうだ。
また、前の獅子座も、恋愛や子供、娯楽、投資など、楽しそうだ。

前後は男性星座で、精神面が強調されるが、女性星座の乙女座は現実的で、肉体に関係する。
農業の流れでみると、獅子座が実る前の期待で「投機や子供」なのに対し、乙女座は収穫期で「調整や仕上げ」、その次の天秤座は、収穫の祝いで「祭と宴会」の段取りになる。

だから、乙女座は何ごとも、楽しむより、現実処理の義務としてとらえる。乙女座の芸能人は少なくないが、いずれの芸風も「一生懸命」やっている雰囲気がある。人を楽しませるための「仕事」なのだ。

多すぎて並べられないが、氷川きよし、長渕剛、矢沢永吉など、いかにも乙女座だ。
ちなみに、長渕、氷川と同じ九州出身の、福山雅治は水瓶座で「人好き」の芸風であり、比べると双方の違いがよく解ると思う。

乙女座が身体に関心を持つのは、12星座前半「自分自身」サイドの、最後の星座であり、それまでの5星座は、自分を疑うことがないが、そろそろ自分を客観視する感覚が働き、その意識が自分の肉体に向かう。そのことは同時に、自分に対する強い関心となり、プライドになる。

乙女座の客観視は、哲学的関心ではなく、自分の身体はどうかと、物理的な自分に関心を持つ。しかも、極めて現実的なため、細部にこだわり、全体を見失う傾向がある。(臓器や病気を見て人を見ない)
一方、真反対に位置する魚座は、社会的関係の中で、自分とは何かを考えるから、精神や心理に注目する。

乙女座の表す、医療、学校、職場は、「管理調整」機能の場だ。
医療は身体の管理であり、学校は社会人を育てる調整であり、職場はビジネスを行う身体であり、国で言えば役所や官僚だ。学校が何かと言えば規則を作りたがるのも管理の場だからだろう

サラリーマンが一杯飲みながら、互いに病気自慢をするのは、この乙女座マインドが働いている。職場意識と健康管理は、個々の内部管理という点で連動しやすい意識だ。

サラリーマンでなくとも、乙女座の人の話題は病気になりやすく、他の星座の人が聞いていると、何がそんなに面白いんだろうと思うほど、病気の話に没頭し、まめに検査するので、実際、病気も多い。
また、自分が属する集団の内部機構に関心を持つので、噂話や被害妄想になりやすく、内部競争や足の引っ張り合いに終始する。

詳細を扱わせれば優秀な乙女座だが、目的を忘れやすいのが難点だ。
乙女座の東京に首都がある日本は、官僚が支配し、政治は足を引っ張り合い、経済は夢のないサラリーマンの城になっている。

日本の大企業の大方は、東京以外から始まっているが、東京に移ったことで夢が死んでしまった。
日本の再生も、企業の再生も、先ずは東京から離れることからではなかろうか。


ガン検診

2013年03月17日 | 兄弟関係

ガン検診の受診率が上がらないそうだ。「もしガンだったら怖い」という理由が結構、多いらしい。
しかし、「怖い」と思うのは、受診する人も同じだと思う。かかっていれば早く治したいから、受診するのだろう。

「時間が無い」「面倒くさい」と言う、理由にならないような理由もあるが、この中には、本当は怖い人も少なくないはずだ。
本当に面倒くさい人もいるのだろうが、中には意図的に受けない人もいる。

「大きなお世話だ」と思う人も、決して少なくない。
そもそも、ガン患者を減らして労働人口と納税人口を守り、保険会社の支払を押さえ、平均寿命を延ばして、国家レベル、つまりは役人の成績を上げようといった、お国の都合に、何で一々付き合わなければならないんだ・・・まあ、そんな考え方の人もいる。

また、
どうせ死ぬんだから、死に方生き方ぐらい、好きにさせて下さいよ・・・という人もいるだろう。

この「大きなお世話だ」と思う人は、長子が多く、まめに検診する人は弟妹型が多い。
長子は何事も自分で判断したいと思っているし、弟妹型は何ごとも判断して貰うのが当たり前だと思っている。

弟妹型がまめに検診を受けたり、人間ドックに行ったりしながら、検診を受けない人を叱りつけているのを見ると、叱られているのは大抵が長子だ。

また、花粉症だ、PM2.5だと、やたら神経質になっているのも、多くは弟妹型だ。
成長過程で、自分で考えようとしても、親や兄姉に潰され、判断を押しつけられて育つから、じっくり考えるよりも、早く結論だけ得ようとするようになる。

自分の実際の体調を観察して、あれこれ考えるより、検診で良否を判断して貰ったり、ニュースや人の話で自分の体調を判断する。
知識の「活用」のしかたでも、弟妹型はどれが信憑性があるかを考えるが、長子型はどの程度信憑性があるかを考えて、自分なりに取り入れようとする。

そして、弟妹型は自身の習熟度も、点数や表彰や褒め言葉など、人に評価して貰って納得する。この点でも、長子は我関せずであり、悪評を被っても、簡単には自分の判断を曲げない。

検診への関心は、必ずしも兄弟関係にかかわらない。星座で言えば乙女座は、人一倍、病気に縁がある。進んで、検診を受けることもあるが、病気に敏感で、些細な病気も大病にしてしまう人も少なくない。
乙女座は元来、病気を表す星座だから、医療に関心があり、職業的にも適職と言える。


国論二分

2013年03月16日 | 新鎖国論

ついにTPP参加が表明された。賛否両論があって当然だ。
時代の大転換。一つの歴史的な動きであることは、間違いない。

星の動きや周期律の観点で見れば、今はまさに幕末の再来であり、世界との関係が大きく変わる、「攘夷か開国か」の大論争の時だ。

幕末とTPPは、全然違うと思う人もあるだろうが、世の中に全く同じものは無い。様相が同じと言うことだ。
こんなことをくどくど言うのも、時代という漠然とした実体の意味や様相を理解できない人が少なくないからだ。

もう少しくどく言えば、逆に、全く同じように見えるものこそ、全く違うこともある。
同じ制服を着ている高校生も、それぞれの人格人生は、全く違うものを秘めている。

違う問題、違う形の、同質性が理解できなければ、占いや歴史は、始めから理解できない。

TPP参加に対する反応は、個々の気質、人格、価値観、立場など、まさに百人百様だ。
しかし、どう言い争おうと、時代は動いていく。

世界国日本県
現代の目で、幕末の攘夷論を考えれば、どうにもナンセンスとしか映らないが、当時は殺し合いをするほど真剣に考えていた。
開国、明治維新は時代の趨勢であり、早めに開国をした日本は、他のアジアの国に先んじることができた。そして一方で、混乱による遅れが不平等条約の苦難を招いた。

ガン治療は、ガン細胞分裂の不安定を突いて全滅させる。
世界の流れの中で、旧態にこだわり、一致協力して当たらなければ、全滅の憂き目に遭う。

春から夏に向かっているのに、オーバーを脱いだら風邪を引くと言っていたのでは、夏が来た時、全裸になるしかない。

今は、世界の趨勢を受け入れ、恐れているより、飛び込んでいく勇気と知恵を持たなければならない時だ。

今問題視されていることは、国益だが、国益の観点で、事に当たれば、むしろ本当に国益を失うことになる。
国益を守る意味でも、国家概念を超越した、「グローバリズムという錦の御旗」で戦わなければ、キズをかばって命を失うことになる。

TPP交渉の場では、常に「グローバリズムのために」と、大義名分を言う者が発言権を持つだろう。
日本国内の各産業も、TPP如何に関わらず、時代の趨勢を直視して、改革前進していかなければならない時が来ている。

狭くなる地球。グローバリズムの日本地域の中で、日本人は国にどう守られるのかではなく、日本人自身が、日本というものをどう守っていくのかの自覚を持つことが先決だ。

新鎖国主義とは、物理的鎖国とはむしろ逆に、鎖国精神のことだ。積極的交流の中で、日本のアイデンティティ、日本的方式を、際立たせていくことだと、ますます確信する。


イケドン

2013年03月14日 | 日記・エッセイ・コラム

中国軍部のインタビュー記事を読んでいると、錯覚を起こすほど、戦前の日本軍部の記事とそっくりだ。
軍人の常だろうが、国際関係について、文化や経済の人間交流の観点が欠落し、経済と軍事を一体化した、力関係でしか見ていない。

相手国の動向をすべて、戦争目的のように考えている。
喧嘩が強ければモテると思うのは、少年レベルだが、純粋と言えば純粋だ。
軍人は外交官でもあると言われるが、拳銃や刀を腰に下げて会話をするような時代は、何時まで続くのだろう。

科学が発展し、人間の視野が広がり、物流の拡大で地球が狭くなる今、軍事力で解決できることは、どんどん小さくなっている。
だからこそ、なおさら存在を誇示しなければならない事情は解るが、戦争ごっこと実戦が区別できないような行状は、危険きわまりない。

「日本は火遊びをするな」と言いながら、海に出てきて京劇の舞を披露していると、そのうち爆竹に引火してしまう。
中国政府とは名ばかりで、軍が支配する巨大国家が、軍資金を手にした上に、その中核メンバーが、もはや戦争の悲惨を知らない世代になっている。

何はともあれアメリカは、10年おきに実戦をしているから、戦争の厳しさについて体得しているが、今の中国は、痛い体験をしていない。
偉大な栄光の伝説を信奉する、軍国少年のまま大人になっている。

日本が日中戦争を始めたのは、日露戦争から30年以上経っていた。
中国軍は、もっと間が開いて、朝鮮戦争からは、日本軍の倍の60年だ。全く戦争を知らないと言っても良い。
体験のない、頭デッカチほど怖いものは無い。

いよいよ習近平体制が始まったが、軍を背景に権力を握ったと言われる世襲権力者の上、軍には毛沢東の孫の少将などもいる。
このところのロックオン事件にしても、露骨に軍の意志がまかり通っている。

巳年、二黒、双子座のリーダーと言えば、ケネディだが、ケネディが自動車人間のハンドルであるのに対し、エンジンだ。
胡錦濤も菅直人もエンジンだったが、ハンドルと比べれば、イケイケドンドンで、軍人のような性質であり、ことが起こると歯止めが利かない。


斜陽の影

2013年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

デパートに、自転車で買い物に行った。どこにも自転車置き場が見当たらないし、放置自転車も見当たらない。警備員に聞くと少し離れたところに専用の駐輪場がある。

そこに駐めに行くと、「買い物レシート1000円以上で無料です」と、整理券を渡された。
食品を買いに来たのだが、唯一の目的が、売り切れだった。
5分も経っていないが、何も買わなければ幾らか取られるだろうから、ムリに探して腐らない物を、結局、2500円も買った。

不本意な買い物をして、何か、ものすごく損をしたような気がしたが、とりあえず、駐輪場に帰った。15分も経っていない。
レシートを見せながら、
「何も買い物が無ければ幾らなんですか?」と、聞くと
「500円です」
思わず、
「えげつな~
と、漏らしてしまった。
この辺りのコイン駐車場の料金が、車は30分2~300円ぐらいで、自転車は丸1日150円ぐらいだ。

デパートはもうダメだ
近年、デパートは、市場の変化で、相当追い詰められ、あの手この手を打っているが、根本的に発想が間違っている。
デパートは、鉄道で都心に集まる人口を目当てに作られた、19世紀型の物販形態だ。

自動車が現れて後も、駐車場はせいぜい富裕層だけを考えていれば良かった。
しかし、自動車が大衆の足になると、時代は郊外型の大店舗に移り、衰退が約束されたが、デパート自身の頭は変わらなかった。

流通消費の仕組みが変わり、商品ニーズも変わった。デパートは衰退し、統廃合が進んだが、それでもデパートは目覚めていない。
消費の変化の中、デパ地下食品のように、世の動きで、たまたま浮かび上がる消費動向と、わずかに生き残る古い頭の消費者だけを頼りに商売を続けてきた。

そこへ、最近また、生活スタイルの変化で、デパートに風が吹き始めたかのように見える。
車離れで、鉄道回帰が起こり、駅ナカのような販売形態が盛んになり、鉄道経済のデパートも息を吹き返すかのように見える。

しかし、何ごとも直線的には変化しない。ラセンのように紆余曲折の波を経て、同じ水面に顔を現す時は別のものになっている。
同じ鉄道による集客と言えども、LRTのような新型路面電車や自転車のように、人間中心の社会に流れている。

このデパートも、自転車客が増えたから駐輪場も用意しなければと考えたのだろうが、他の新型の大店舗は始めから1~2時間無料の駐輪場を備えて建設されている。
古いデパートの、駐車、駐輪設備が貧弱なのはやむを得ないとしても、時代の動向にもう少し敏感であれば、店舗スペースを割いてでも、駐輪スペースを設けても良いし、もっと前向きであれば、シャワー設備まであってもおかしくない。

牡羊座時代、古いブランド志向は消滅し始めている。それは価値観と発想の問題であって、古い価値観である限り、デパートはその発想から、消滅の道を辿っている。


超高齢者

2013年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

東日本大震災から2年経ってしまった。
被災者は、記憶が風化して自分達のことが忘れられて仕舞うのではないかと心配している。
それは絶対にそんなことはない。被災しなかった地域の日本人も、いまだに、身内から被災者が出たような気持ちで過ごしている。

風化しているかのアンケートに、60%以上の人が「風化している」と答えた。これこそが風化していない証拠だ。
風化していないと思う人は言うまでもなく、風化していると感じている人の目には、当時と比べての状況の変化が映るのであって、それが、これで良いのかと思うからこそ、風化していると意識するのだ。

確かに、2年も経てば、話題としては減ってきている。しかし、だからと言って、日本人が忘れているわけではない。震災の話題が出るたびにあの日の衝撃が心をゆさぶる。
そして、あの当時思ったように、一人一人が、自分の持ち場で頑張ろうと、心を新たにしているのではなかろうか。

全国の人が気に掛けているにもかかわらず、被災地の人がいまだに救われない状況にあるのは、政治の責任、と言うより、日本の姿、体質の問題だ。
膠着化した中央集権と産業構造が、誰でも解る、誰でもできることの手足を縛っている。

災害列島の住民はどんな大きな災害も、それぞれの地域で、それなりに復興してきた歴史を持っている。もし、地元の人間が自分達の智恵で復興しようとするなら、現実的で優れた方法が見つかるだろう。

そして、他地域からの善意が、そこに加えられるのであれば、隔絶された古代とは違い、圧倒的な回復力を持つはずだ。
これだけ裕福な国で、いまだに復興が、ほとんど手つかずの状態にあるのは、中央集権の「国家機構の人災」に苦しめられているからだ。

この動きの取れない状況は、原発問題も含め、日本国家という、明治以来150歳の高齢者が死を迎える時まで、改まらないのではなかろうか。