魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

クズ列島

2017年08月24日 | 日記・エッセイ・コラム

葛(クズ)の繁殖が問題になっていた。
本当に、河原や空き地のみならず、街中の家々も葛に覆われている。
実際、うっかり、1、2週間、裏を見ないでいると、隣家の庭から伝って、家中に這い上がってきている。一夏放置すれば、完全に葛屋敷になるだろう。

問題は、これの始末だ。葛の葉は結構大きい上、ツタがまた、しっかりしていて、切って集めると、結構な量になる。こまめにゴミ回収に出せば持って行ってくれるが、介護家庭や空き家など、手の無い家では、それもできないうちに家が覆われ、眠りの森になってしまう。

日本中がこんなことになってしまったのは、農家で牛を始めとする家畜を飼わなくなったからだという。昔は、葛は家畜の良い飼料だったそうだが、今では牧畜農家は、「高品質」にするために、コーンなど、わざわざ輸入した飼料を食べさせているから、葛が消費できない。

先日、運営費に苦しむ宇都宮動物園が、空き地の草刈りをして草食動物に与える話があった。これは、当たり前と言えば当たり前だが、名案だ。
一方、奈良公園の鹿が増えすぎて、周辺の農家を荒し、ついに駆除されることになった。
奈良の鹿はぶら下げている紙袋まで食べにくる。奈良公園の草は完全に食い尽くされ、鹿のフンしか転がっていない。「鹿寄せ」ではドングリを与えているが、葛はどうなのだろう。牛も山羊も好んで食べるそうだから、鹿も食べるはずだ。

奈良の鹿が農地を荒らすのは、空腹だからだろう。ドングリを集めるのは結構大変で、クマとも競合する。鹿のためにドングリを集めれば、今度はクマが出てくる。
この際、鹿のために全国から葛を集めてはどうだろう。と言っても、集める方法が無い。それに、奈良の鹿も、そんなに葛は要らない。
しかし、このままでは、日本中が葛に覆われてしまう。

葛は本来、極めて有益な植物で、根からは、葛餅や葛根湯が作られる。ただ、その材料となる葛の根は、どれでも利用できるほどの大きさになるわけではないが、これだけ増えれば、使える大物も増えるはずだ。
今は手作業でやっている、吉野葛は高価だが、量産できるようになれば、美味しい葛切りや葛まんじゅうが安く食べられるようになるだろうし、葛を使った新しいレシピも生まれるだろう。

奈良の鹿や、動物園の動物だけではなく、人間にも新しい利用法を工夫する余地がありそうだ。自然エネルギーの活用と同じで、目の前にあるものを活かす時代だ。
葛の害を無くし、世の足らざるを補填するために、先ず葛を集めなければならない。
ボランティア運動で葛を刈り、収集し、ニーズに合わせて送るという方法もあるが、何と言っても、人間を動かすのは欲だ。溢れる葛を使って利益を出すことができれば、誰かがやり始める。
廃品回収のように、葛や根を買い取れば、皆喜んで刈り取り始めるし、葛の知識も広まり、根の掘り起こしも始まるだろう。
こうして集めた葛を動物の飼料として販売したり、加工して、もう少し高質の飼料や肥料も作れる。さらに、根まで集められれば、葛粉の大量生産が可能になる。
もう少し若ければ、自分で始めるところだが、残念ながらそんな馬力が無い。
どなたか、世のため、人のため、自分のために「葛ビジネス」始めませんか。


祈りの国

2017年08月11日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、ジャパンディスプレイ(JDI)は先行するサムスンを追い上げる形で、有機ELを大型パネル中心に、異なる製法で安く売り込むと意気込んでいた。
「やれやれ、またか」と思った。

ちょっと前には、日本の業界は「3D」で、と意気込んでいたが、案の定、日本テレビの挽回に、何の効果も無かった。
日本の企業が、有機ELを開発した時、何時出るかと待っていたが、モデル機のようなものが出た後、実際に有機ELで華々しく先行したのは韓国で、日本は消えてしまった。

太陽光パネルも、いつの間にか中国製品が横行し、電気自動車も中国に攻勢をかけられている。
高度な液晶技術を持っていたシャープも、実質中国系企業に買収され、東芝は虎の子の半導体部門を売りに出すと大騒ぎをしている。
技術があっても運営能力が無い。職人に商売はできない。他人の褌で相撲を取る商売に強い大陸勢に、ことごとく「してやられて」いる。シャープに至っては、買収されたとたん、V字回復した。

祈りの国ニッポン
自分の技術でやられてしまってから、もっと良いモノさえ作れば、挽回できると思うのは、「ものづくり」職人の習性であり、現実を見て、駆け引きのできない日本人の、「祈り」の習性だ。祈りとは、現実に関係なく観念を実現させようとする心の世界であり、観音経の「念彼観音力」の世界だ。日本人がもとから信心深かったのか、仏教伝来によるものか、とにかく、日本人は切羽詰まると、現実を見なくなる。

国や民族の集団的習性が最も現れるのは、死活の極限状態に置かれる戦争だ。
日本は平時においては、将来の勝敗の鍵を航空戦力と予見し、飛行機や空母を開発し、太平洋戦争開戦時、真珠湾やマレー沖で華々しい戦果を挙げた。にもかかわらず、肝心なミッドウェーの決戦では、優等生の将官が指揮を執り、空戦に長けた将官の意見を無視して大敗北をすると、その後は航空戦力を消耗品とみなして、既に無意味になった巨艦巨砲の大和・武蔵に頼った。
ところが逆に、日本の航空戦力で痛い目に遭った米国は、航空戦力の重要性に気づき、徹底的に航空戦力を増強した。

今日本は、経済戦争の劣勢の中にいる。ここでまた、現実を見なくなる悪いクセが出ている。東芝は唯一の挽回の鍵の半導体部門を手放そうとし、JDIは既に決着の付いた有機ELで決戦を挑もうとする。負けた理由を直視しないから、勝利=挽回の突破口が何かも分からない。東芝は上場維持だけを祈り、JDIは有機ELだけに祈っている。
東芝のすべき事は、上場を捨てても軍旗(独自技術)を死守することであり、JDIは有機ELも良いが、先ず相手の持たない分野から切り崩していくことだ。
今求められていることは、「駆け引き」なのだ。劣勢にある時は、残された力を温存しながら、相手の弱点を突き、一気に反撃に出る。
中韓が日本に対してやったことは、日本の技術者を引き抜いて、同じものを安く作ったことだが、まさに、日本の弱点、雇用制度の盲点を突いたものだった。

もちろんこれは、何も持っていなかった中韓の戦法だが、日本には、長年培った知恵と技術が大量に埋まっている。エネルギーにしても、なぜ、原発にばかり帰ろうとするのか。
どれもこれも、目覚めて裸一貫の初心に帰らなければ、持ち駒を大量に抱えたまま、詰め将棋が詰んでしまう。


AI思考

2017年08月05日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃、AI活用がブームだ。AIは人間ができないような情報集積で、人間には理解し難いような答えを導き出してくれる。その不思議さと驚きに、世間はまた、一辺倒になりかけている。
何事もそうだ。聞き慣れない世界が現れると、何でもかんでもその名称を「イワシの頭」のように振りかざす。共産主義、ヒューマニズム、実存主義、人権、水平思考、共生、DNA、格差、IT・・・

面白いことに、その内容をよく理解していない人ほど、その名称を明瞭に発音する。
何か分からないが、何か凄そうなパワーを活用するためには、「忍法!・・」のように、先ず、凄いものが「出るぞ!」と、相手を脅さなければならない。びっくり箱を開ける前に「ワッ!」と、大声をだして脅すようなものだ。実は大声を上げる当人も中身を見たことがない。

中身が分からないほど、名前が一人歩きする。
DNAが話題になると、「我が社のDNA」などと、当たり前のように使われる。「遺伝子」なら、まだ漠然と作用を含む概念なので、「我が社の遺伝子」と言えるかもしれないが、同じようなことを表すとしても、ただの固有名詞「デオキシリボ核酸」を「遺伝子」と同じようには使えない。
くどいが、「うちでは母ちゃんが総理大臣だ」とは言えるが、「うちでは母ちゃんが安倍晋三だ」とは言えない。総理大臣は固定ではないし、安倍晋三は様々なことをする。大抵の人は理解するだろうが、これは、相手が気を回して深読み解釈をした結果であり、言った本人は意味の違いを理解していなくても良い。今流行の「忖度」だ。

詐欺は多くの場合、騙された奴が悪いと思われる。消化器の押し売りが「消防署の方から来ました」と言えば、勝手に『消防署の人』と解釈してしまう。この「勝手に」の部分が、騙された側の罪とみなされる。
「我が社のDNA」が、まかり通るのも、世間一般に、「DNAは遺伝子のようなもの」という「忖度」的な理解が行き渡っていることと、良く解っている人も、勝手に発言者の気持ちを忖度して、理解して上げるからだ。
こうして、DNAはますます万能の「どうも、どうも」のような、「あれ、それ」言葉になっていく。

今また、AIが、その運命を辿りそうな気配を見せているが、AIの可能性を正しく開花させるためにも、「忍法AI!」になることを恐れる。

AI思考
AIは基本的に、人間の「心」を持たず、事実だけに基づいて思考する。従って、人間が気づかない視点を見いだすことが多い。しかも、その結果を発言することに、何の忖度も気兼ねもしない。
これは、「王様は裸だ!」と言い放つ、子供のようなものだ。
昔から、子供には神が宿ると信じられるのも、文化に汚されていない子供が、よけいな思わくを持たずに「ありのまま」を口にするからだ。
だから、重要な問題の答えを、子供や処女にお伺いを立てる文化は少なくない。

しかし、人は、意思によって生きることで、曲がりなりにも発展してきたのではなかろうか。つまり、心も人類には外すことのできない原動力なのだ。
「お告げ」と、意思決定は同じである必要はない。

AIの能力は、占いの目指すものに近い。占い的思考、占い的視点と言ってきたものこそ、結果的に、AIの導き出す答え、AIの視点だ。
誤解のないように言うと、AIに、占いの論理を呑み込ませて、計算させる話しではない。占いは森羅万象を包括的に把握して、一つの答えを導き出そうとする、観天望気であり、その答えは、既成概念やイデオロギーで導き出される「・・・でなければならない」や「・・・であってはならない」とは、全く離れたものだ。時には、理解できない答えや、残酷、無礼な答えを出す。
それは、AIが、思いもかけない、理解不能な答えを出すことに通ずる。どちらも、感情の無い思考であり、率直な真相と言える。
人が、そうした意見を頭ごなしに否定せず、一つのヒントとして聞くなら、思いがけない突破口が開けるかも知れない。

しかし、同時に、占いや、AIの答えを、絶対のものとして無批判にそのまま聴けば、とんでもない大きな間違いを犯すこともある。あくまで、ヒントなのだ。

王様は裸だ!
ところで、AIブームは、中国でもいち早く取り入れられた。中国のIT企業が、AIと会話できるサービスを始めたところ、AIが、次々と中国共産党を否定し始め、慌てて停止された。
一方で、中国共産党は。AIで世界トップになると言っている。今度は、どんなバイアス技術を開発するのだろう。