魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

男の儚さ

2013年09月29日 | 結婚コン

京大、理化学研によると、遺伝子操作により、ほ乳類でも雄が雌になることが確認された。

これは人為的な操作の結果だが、偶発的にもそういうことが起こるという意味だろうか。そうだとすれば、かねがね考えていたことは、本当かも知れない。
雌雄のある生命の基本は雌であり、雄は試行錯誤のツールであると。

雄と雌の関係は、「飛ぶ」と「落ちる」の関係と同じで、雌は「落ちる」リスクを抱えた保守であり、雄は積極的に「落ちる」危険を冒して飛ぼうとする革新だ。

何ごとも、次のステップに進むためには、基礎、足場がなければならない。大地が有って木が生える。草食動物がいて肉食動物が発生する。
天変地異で草木が亡んでも、大地が残っていれば、また次の命が芽生えてくる。国破れて山河あり。

雌は大地であり、雄は草木だ。雌のお陰で成立している雄原理で、あたかも雄が偉いような顔をしているが、種そのものの危機が訪れると、雄はいなくなり、雌だけになる。原始的な生物ほどその傾向が現れるが、人間でも、その傾向はある。

男はオマケ
イスラム、中華のアジアを中心に、世界的に男系が重んじられる。
男が主導権を握れる世界は、女による基礎が出来て、その上で、自分達の集団を発展拡張する余裕があることを意味する。
男が威張っている社会には発展力があり、女が力を持っている社会は、安定社会かも知れないが、少なくとも発展力は無い。

社会が危機を迎えると女が増え。女によって安定すると、男が増えて、男が重んじられる社会になる。
もし男が増えて、冒険や社会拡張のための戦争を繰り返せば、最終的には男が滅び、異端社会の男が侵入してくる。

侵略により男が皆殺しにされても、女のDNAが残されるケースは多い。これは、男というものが、種のチャレンジのためにあることを表している。男同士はDNAを残す争いをし、自集団を広げようとする。
これが高じると、ジェノサイドになる。相手の男を憎むあまり、もう男女とも同じ種ではないと考えてしまう。

また、必ずしも戦争ではなくても、文化的侵略という現実もある。
近代以降、白人は美しい、カッコいいと思うようになっているのも、文化的DNAの売り込みに侵略されているからだ。

東洋占いの「子」
東洋の占いで、「子」とは、男の子のことを意味している。
男の産まれなかった家は、そこで亡んだことになる。
女は当たり前の子供で、男が産まれることだけを取り上げて、子供運があるという。つまり、その家系が発展するのは、新しい模索をするチャレンジ因子の男がいるからだという理屈だ。

もちろん、男中心の社会があるから、男だけを子と見なすのだと言う論理は良く解る。嫁ぐ女が家系を継げないのは、男社会故に起こる現象だ。
では何故、男社会になったのかと言えば、男は捨て石として、集団に新しい生き方をもたらす力になるからだ。
聖書の中でも、冒頭から男の系譜を綿綿と書き連ねる。これは、その種族の繁栄の証なのだろう。

山に木が生えれば動物がやって来る。岩山だけでは何も起こらない。
しかし、山さえあれば、やがて木はまた生える。その時、全然違う木が生えても、山にとっては繁栄だ。

男の儚さ、女のしぶとさ。
オレが死んだら女房子供はどうなる・・・ 全然心配は要らない。
そう思っているのは男だけ


乗り換え

2013年09月26日 | 日記・エッセイ・コラム

24日。また京都で、集団登校の児童に若者の無謀運転が突っ込んだ、と言うより、飛び越えた。スピンして衝突の後、ジャンプしたらしい。
ちょうど「飛ぶ」話をしたところだが、特別なことをしなければ、自動車は「飛ぶ」物ではない。

一方、警視庁は、24日時点で、昨年より3日早く交通事故死者が3000人を超えたと発表。11年ぶりに増加傾向にあるのだそうだ。
その中で、減少の最大は京都だったと言うから、何とも不思議だ。
おそらく昨年の衝撃的な事故が、府民に影響した面もあるのだろう。

今回の事故で、意識不明の小学生が助かったのは不幸中の幸いだ。
しかし、事故が減少している京都府でさえ、若者の無謀運転の事故が起こっている。

コンセプトの乗り換え
自動車業界は円安のお陰で売上げは伸びているものの、国内では若者の車離れを何とかしようと、「車は楽しい」と躍起になってアピールしている。
車が飽和状態の中で、失われた20年を過ごした若者は、高度成長期の若者のような、車に対する憧れや羨望は全く無く、車に乗れて楽しいなどという感動は持ちようがない。

しかし、車会社のキャンペーンが功を奏したのだろうか、10代の若者の中には車を「楽しい」玩具と考える者も増えているのかも知れない。今回事故を起こしたのも18歳であり、去年も同年代だった。

初めて車を運転した若者が、新しい体験に感動するのは、どの時代でも同じだろう。しかし、車そのものが世の中の新体験である時代と、ありきたりの移動手段となった時代では、「楽しみ方」が違ってくる。

車が珍しい時には、何でもやってみたい。その中には曲芸的な乗り方もあるだろうが、ドライブや観光など、これまで無かった生活スタイルを発見することが主な楽しみだった。

しかし、車がありきたりで当たり前の道具になった時代に、「車は楽しいよ」と無理にあてがうことは、台所の包丁を「包丁って楽しいよ」と渡すようなもので、調理以外に何が楽しいんだろうと、家の柱でも盆栽でも切ってみたくなる。道具は本来、遊ぶのが目的ではない。

それと同じで、車会社が、時代錯誤な車の売り込みをすることは、結果的に無謀な運転を奨励することになる。

最近ようやく本格化してきた自動運転だが、車会社が車を売りたいのなら、車をインフラの一部と考えるような、コンセプト転換だろう。
運転が楽しいのでは無く、運転しないことが楽しくなければならない。

新型文明」、「非常ボタン


飛ぶこと

2013年09月24日 | 星の流れに

このところ、2日連続でスカイスポーツの事故が起こった。
21日、埼玉でパラグライダーが地上10mで失速墜落。60歳死亡
22日、香川で山中にパラグライダー墜落。53歳死亡
      、埼玉でスカイダイビングで着地失敗。31歳死亡
23日、千葉で遊覧軽飛行機不時着。怪我人
      、滋賀上空でボンバル機異常、伊丹に引き返す

行楽シーズンのうえ、気象の乱れなどもあるので、当たり前と言えばそれまでだが、あえて、占い的にはどう解釈するのか考えてみたい。

「飛ぶ」と「落ちる」は、反対のように思えるが、表裏の問題だ。
「飛ぶ」は、不可能を可能にすることであり、「落ちる」は、平常を突然失うこと、可能が不可能になることだ。

飛行機は人間の知を結集して自然の摂理を突き破る象徴であり、不可能を可能にする象徴だ。鳥でも、本来は飛ばない動物が進化したもので、世の中の全ての「飛ぶ」ものは、無為の「静」では飛ばない。
「飛ぶ」こと自体が「動」を表す。進んで何かをすることが「飛ぶ」ことだ。

「落ちる」とは、「静」でいても、何らかの要因で、それまでの状態を失うことだ。落とし穴に落ちるのは、歩いている状態を失うことであり、飛行機が落ちるのは飛んでいる状態を失うことだ。
「落ちるとこまで落ちた」とは、標準の状態を失うことで、精神や生活に、意識的に基準値を設定していなければ「落ち」ない。

飛んでいるものが落ちるのは、飛ぶからだ。
「落ちる」のは、「飛ぶ」という意思が破れることだから、落ちたくなければ飛ばなければ良い。しかし、それでも飛びたいのが人間だ。

飛ぼうとすれば、落ちるリスクが共存する。それでも飛びたいのは、飛ぼうとしなければ、落ちるのを待つだけになるからだ。
つまり、落ちるリスクを冒して飛ぼうとするのは、落ちたくないからだ。

水瓶座は発明や革新
「飛ぶ」は水瓶座で、水瓶座に不都合が起きると、何かが「落ちる」。
現在、サソリ座に土星があり、8月末から火星が獅子座に入っている。
水瓶座にとっては90度180度のストレスのかかる状態だが、22、23日には月がやはり90度の牡牛座に入った。羽交い締め状態だ。

22日朝から入る場合、前日にはすでに影響が出始めるから、21日から現象が起こっている。亡くなった人には申し訳ないが、よくこれぐらいですんだものだと思う。もっと、大きなものが落ちても不思議ではない。(ケニアも関係しているが、長くなるので、ここでは割愛)

水瓶座に関しては、北海道の鉄道問題発覚などもその例だし、アメリカをなだめているロシアも、実際は苦しい事情を抱えているのだろう。サソリ座の土星が職業名誉の10室に当たるロシアは、シリア問題のような「責任のある仕事」あるいは「やっかいな後片付け」を背負わされる、北海道も、国鉄時代の「昔のこと」がたたって来ている。
土星は、昔や責任、苦労を表す。

また、獅子座の火星が対人の7室に当たるので、シリア情勢や獅子座のオバマ大統領のように、カッカしている人を相手にしなければならない。北海道も世間から怒りを買っている。


辞意表明

2013年09月22日 | 話の畑

王さんの日本ホームラン記録が、バレンティンによって破られた。
飛び過ぎる統一球で、加藤コミッショナーは
隠れて、飛ばしていたことがバレて、「私ではない」と言っていたが、
ついに、バレンティンで、辞意表明。

「おい、加藤コミッショナー、とうとう、辞意表明したらしいで」
「何でや?」
「飛び過ぎるしや」
「へえーっ それにしても、あの年で、スゴイなあ
「アホッ それは、自慰やろ


ザ・大阪

2013年09月21日 | 話の畑

大阪府の教育委員会が、教職員の「口元チェック」を指示。

「な、な、なにをするんです・・・ぅム~ッ、」
「ぶちゅ~ッ」
「・・・何すんのや 

「口元チェックだ」

「???・・・・おい、ちょっとまて」
「ぶちゅ、ぶちゅ~ッ」
「な、な、何だ?

「倍返しだ 


食い違い

2013年09月20日 | 兄弟関係

長子は基本的に、少数派だ。その上、原理主義で融通が利かず、人間関係づくりが下手だ。
その結果、理解されず、孤立しやすい。一方で、「いざという時」には、相談相手や、責任者として頼られる。

ここで言う長子の原理主義とは、生まれた時から手本のない長子が、何ごとも自分でやり方を考え、「多分、こうあるべきだろう」と、自分の仮説に従おうとすることだ。
そして、それが通用しないとなると、新しい方法論を立てるまで時間が掛かる。

これに対し、生まれた時から参考対象がある下の子は、自分で方法論を考えることなどしない。とりあえず上の子のやり方を真似て、上手く行かなくなったら、参考になる他の人を探す。それは、友達であったり、行きずりの人であったり、とにかく、使えるものを探す。
スターや偉人に憧れるのも弟妹型だ。

ただし、下の子であっても、上と年齢差があったり、親に特別に可愛がられたり、初めから祖父母などに預けられたり、兄弟から隔離されると、長子と同じ方法論者になる。

教育も、弟妹型には、現在の学校のように、やり方を教えるのが良い。ホメてオダテて育てるのも弟妹型向きだ。
しかし、長子には逆効果になることがある。長子には、自分で考えさせる。考える時の心得や、ヒントを与え、自分で考えたと自信が持てることが大切だ。

この点、アメリカ式の、議論と考察で学ぶ教育は長子向きで、日本を始め東洋式の、記憶と熟練は弟妹型に向いている。
このことが、国においても、主導国と追随国となって現れている。
日本でも戦後数年アメリカ方式が行われたが、結局、学校は元通りの手習い教練場に戻ってしまった。

弟妹型の親
親の生い立ちによって、親子関係も変わってくる。
当然、夫婦のどちらが主導権を取るかによってもパターンは変わってくるので、以下は主導権のある親を前提とする。

長子に育てられる子供は、長子も弟妹も、それほど大きな問題は無いが、弟妹型に育てられる長子には、厳しい環境になる。

長子の親は子供の自主性を尊重しようとする。自分で考える力を付けることが教育だと思うからだ。
ただし、母親はどうしても手を出し過ぎてしまう傾向がある。
また、教育好きのO型の親にもこの傾向がある。

一方、弟妹型の親は、とにかく指導しようとする。型にはめ、手本を見習うことが成長だと思うからだ。しかも、中には本気で子供に勝とうとしたり、負けた子供をバカにする親までいる。弟妹型ならこれで負けん気を出すが、長子はすっかり嫌になる。

この結果、長子はとりあえず結果を出すことだけに追われ、じっくり考える時間を与えられず、自信を失う。本来の思考力は学習に向かわなくなり、他のことに興味を持つようになる。
逆に、弟妹型は、結果が出ることに喜びを見いだし、学校学習にも、さらに興味を持つようになる。

甚六と呼ばれる長男や、母親や家政婦のように無視される長女は、大方、こんな環境が多い。
可愛そうなのは長子長女で、母親代わりとして横暴と思われたり、欲も能も無いお人好しと位置づけられてしまう。

弟妹型の親が、長子のことを評価しないので、弟妹達もやはり評価しない。しかも、それでありながら、最終責任は長子が取るものと、暗黙のうちに決まっている。

親との関係
親の介護などでモメるのも、弟妹が先走って介護レベルや介護方法を決めながら、長子がそれに応じないと怒ることが多い。
事象を外見から考える弟妹型は、病気でも老化でも、病名やレベルなど、既成の基準にこだわり、中身を吟味するより、既定の対処法を徹底的に行わなければならないと考える。

何ごとも自分で判断しようとする長子にすれば、専門家が言うことや病名より、自分の見る頃合いや、親や病人の意思の方が大切で、お互いの間合いで考える。惚けていようと瀕死であろうと、「どうする?」と尋ねながら動きたい。

来る時が来たら、つまり、親本人か、外部の専門家から言われたら、どっちみち動かなければならないのだから、介護などは進んでするものではない。それは、親の人格を認めることでもある。そう思っている。

長子には、親は「親」という特別の存在ではなく、自分と対等の人格であって、介護においても、先ず、それを認めることが大前提だ。介護対象は物でもペットでもない。

ただし、介護される本人が長子型か、弟妹型かで、これも受け止め方が分かれる。看護されるのが弟妹型の場合は、弟妹式の介護を喜ぶし、長子型の場合は、やはり長子式の介護を喜ぶ。


開始の笛

2013年09月18日 | 占いばなし

やはりオバマ大統領は、選ればれるハズのない「三碧大統領」だったようだ。
三碧のアメリカ大統領、三人の二人までもが、一期だけだ。
オバマの二期目も無いハズだった。それが神風ハリケーン「サンディ」で、カードが舞い戻って来た。 そして、早々に、「やっちまった

アメリカ大統領は、好むと好まざるとに関わらず、現代世界に責任を持つ。単純な衝動で、意思表示をする立場ではない。

アメリカの正義。あるいはそれ以上の正義感から、「化学兵器使用」に、直ちに攻撃の意思表示をしたオバマ大統領だが、国民感情や、国内外の情勢を全く配慮せず、根回しもない衝動発言で、世界に混乱を招いた。と言うより、アメリカ大統領の威信を徹底的に失墜させた。

110番に電話しても、来る時もあれば来ない時もあるとしたら、それは警察が無いに等しい。
不祥事の続く警察でも、市民はやはり、頼りにしているのだ。

今まで、何はともあれ、世界の警察を標榜してきたアメリカだが、
「すぐ出動します」と言って、出動しなかったとしたら、世界中の市民は安心できなくなる。暴力団や泥棒が安心して出て来るからだ。

そうでなくても、このところ、資金をしこたま手にした、古の三角帽子の親分さんが、武器を大量に購入し、周辺の商店街に、バブル期のような立ち退きを要求し始めている。
それも、今までは警察の顔色を気にしながらだったが、
警察所長が「直ちに出動する・・・な~んちゃって」と、酔っ払いのようなことを言ったら、親分さんが、「よおーし」と、ほくそ笑む。

この窮地を救ったのは、つい最近まで反政府武装勢力で、今は野党の党首となっているプーチンで、とりあえずオバマ警察署長の顔を立てながら、この場を収めてもらった。
お互い三碧で、ペテンのような言葉の間合いが、良かったのだろう。

しかし、アメリカ大統領の威信は、今回の件で完全に失墜した。とりもなおさず、アメリカの世界警察の立場も失墜した。
今後、よほど、立派な大統領が出ない限り、アメリカの世界警察としての立場は弱まる。そして、今後、そんな立派な大統領が出て来ることもないだろう。それは時代が求めないからだ。

今回のそれぞれの行状は、これからの世界に不安と希望を与える。
三角帽子の親分さんは、これからはオレの時代だと思うだろう。
アメリカは、保安官バッジだけでは悪人逮捕が出来なくなる。
ロシアは新しい役割に目覚めるだろう。
日本も、その気にさえなれば、存在価値を高めることができる。

世界の新秩序は、今まさに始まろうとしている。
三碧は雷だ。スピーカーや鳴り物を表す。
米ロの三碧リーダーが、世界にキックオフの笛を吹いた。三碧ヒトラーが招いたような結末だけは見たくない。


特別警報

2013年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

今日の台風18号は、まるで日本列島を縦断した、巨大竜巻のようだった。
昔は、台風と言えば、日本の遙か南の太平洋上で発生するものだったが、近頃は、日本の玄関先で、突如、発生する。
その上、今日の18号なども、あっと言う間に現れて、ゴーッと、行ってしまった。

「来るぞ 来るぞ」と、ジワジワ迫って来る、心の準備も、備えも無いうちに、突然、出現。
その日のうちに、「温帯低気圧に変わって、去りました・・・」

もう、昔のパターンで、台風を考えてはいけない。
気象庁も、新警報を早速発動。
寝つきの悪い年寄りがようやく眠入ったところで
「大雨特別警報発表」と、来た。

こういうメールは、寝とぼけていても解るように、
「じぇじぇじぇ」とか、付けて欲しい

嵐山の渡月橋まで冠水した
・・・むべ山風を嵐といふらむ


八雲立つ

2013年09月15日 | 占いばなし

出雲は何座?
以前から、出雲は射手座かサソリ座と考えているが、どちらかよく解らない。島根県は出雲と石見、隠岐に別れるが、廃藩置県当初、鳥取県も含んでいたことがある。現在でも、鳥取島根は山陰とひとまとめに見られやすい。

また、出雲神話は、松江と米子周辺の、出雲と伯耆から裏日本一帯が舞台になり、現在の島根県の概念とはかなり違う。

出雲が射手座かサソリ座か解らない理由は、神話の国としては射手座になるが、根の国、黄泉の国のイメージは、冥王のサソリ座だ。
ただ、根の国の「ネne」は柳田説でも、沖縄のニライカナイの「ニni」と同じ「はるかな異郷」のニュアンスを持ち、これは射手座になる。

一方、石見は歌聖柿本人麻呂の赴任地で、永眠の地ともいわれ、大和から見れば、出雲より遠い遙かな地のニュアンスがあるようだ。おそらく船で簡単に往来できる九州より、遠い感覚だったと思われる。
神話と、遙かな地という点では、射手座だ。歌聖も詩の射手座。

しかし、ニライカナイかどうかは別として、現に、結果的に「根」が当てられ、弓ヶ浜半島(夜見ヶ浜=黄泉=よみ)や、後世、勝手に創ったとしても、あの世の出入り口、黄泉平坂(よもつひらさか)も存在する。
また、大国主命は日本の元祖・女たらしのセックスシンボルであり、それを縁結びの神として祀る土地ならサソリ座だ。
出雲大社は本来、高々と「立っていた」。

このところ
島根県の事件が相次いでいる。竹島問題を始め、水害、護衛艦「出雲」、それに「はだしのゲン」閉架。その前は、ダビデ像にパンツをはかせろの物議。これらは、どう考えてもサソリ座の事件だ。

また、国譲り神話を考えれば、本来、日本の最大勢力は出雲にあり、それを大和朝廷が乗っ取ったと考えられる。
最初は「やあ、やあ」と、友好的に下手に出て、共同運営をと丸め込み、そのうち支配権を取り、いつの間にか力で屈服させた話にした。
(現代でも、大陸的乗っ取り屋、パクリ屋の得意とする手法だ)

根の国は出雲国風土記では松江界隈を指すと言われるが、島根半島のように、その世界の中での離れた土地を指していたようだ。
大和朝廷から見てもやはり根の国は、離れた土地であり、穢れ(邪魔者)を追い払う場所のイメージだ。

しかし、もしかすると根の國には「根っこ」の国の意味があり、「底根國=底の根の国」の意味も、地の底ではなく、根底のと言う意味で、「昔の本当の日本の原点」前世の意味があるのかも知れない。
だとすれば、出雲は死と再生のサソリ座だ。

出雲の地形は、宍道湖と中海があり、近江・琵琶湖にも通ずる土地柄だ。かねてより、近江もサソリ座と考えているが、出雲の方がより濃厚だ。出雲族は縄文人の蝦夷勢力という説もあるが、出雲や因幡に大虐殺の痕跡が出ているので、やはり最古参の弥生勢力では無かろうか。

このところの滋賀県の、いじめ問題や、知事のご乱心も、島根県の物議を醸すニュースも、サソリ座の土星の為せるわざなら、つじつまが合う。


健康管理

2013年09月13日 | 日記・エッセイ・コラム

熱と腹痛でゴロゴロしていたが、少し治まってきたようだ。
夏の終わりの、この季節はどうもいけない。
昔、赤痢と誤診されて隔離されたのも、ちょうど、この頃だった。

夏バテに加えて、季節変化で体調が崩れる時。そのうえ、様々な菌が繁殖するので、最大の食中毒シーズンだ。

病気は罹ってから治療するより、体力作りこそ大切で、同じ条件で暮らしても、罹る人と罹らない人がいる。
だから、昔の人は、病気になると、周囲の人に「申し訳ありません」と言い、お粥を作ってもらった、おとっつあんは「済まないなあ」と言った。偉い人は病気を悟られまいとした。

こういう価値観の世界なら、福祉費や医療費はかからないし、実際、昔はそんなものは無かった。
今は本当に良い時代になった。
福祉や医療が減らされると、抗議をできる時代になったのだ。それどころか、周りの人が皆、病人に気を遣い、偉い人は病院に逃げ込む。

おかげで、日本は世界一の長寿国になり、百才以上が5万4000人。
医療が国の大事になり、神様、お医者様と呼ばれるようになった。
動物病院まで大盛況だ。

障害者専用駐車スペースに高級車が並び、ガラガラの電車の優先席に座っていた人に、後から乗ってきた障害者が「どこに座っとるんじゃ!」と怒鳴りつける光景を見かけたりもする。
日本は本当に、ゆとりのある優しい良い国になった。

そして、国の借金も世界一になった。

病人は謝るべきだとは言わない。しかし、病気にならない日頃の心がけは大切だ。
夜遅くまで飲みながら、病気談義をしているサラリーマン。偏食をしながら、サプリばかり飲んで健康管理をしていると自慢する人。
こういう人に限って、検診だけはまめに通い。検診を受けない人は無責任だと説教をする。

病気にならない日頃の心がけとは、病院も薬もない世界なら、自分の健康を守るにはどうすべきか。たったそれだけの心がけだ。

食事、睡眠、運動、リラックス生活。昔は、睡眠しか健康法はなかった。運動は労働と社寺の参拝ぐらいで。重要な、食事がままならなかった。
現代では、特殊な病気は別として、健康管理の条件は揃っている。

夏風邪や夏バテによる食あたりなど、やはり

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」


一白世界(3)

2013年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、「一白世界(1)、()」で、「七つの会議」の話をしたが、
同じ作家の「半沢直樹」が大好評なので観てみた。
大爆笑しながら観てしまった。
先日話した通りの、ワンパターンで、しかも、マンガ仕立てだ。

どう考えても、藤沢周平をパクっている。でなければ、よほど感化されているか、一白にかかると、やはり全てこの調子になる、としか言えない。
そう思いながら観ているから、シーンや台詞一つ一つに、『また、でた また、でた 』と、大爆笑してしまう。

今年の流行語大賞に、すでに事実上ノミネートされた
「やられたらやり返す。倍返しだ

この台詞は原作に有るのか無いのかは知らないが、作品全体をよく象徴した、「天に代わって鬼退治」や、「この紋所が目に入らぬか」と同じ種類の、TVドラマの決め台詞だ。

こういう点でも、勧善懲悪の時代劇や、やくざ映画の伝統パターンを良く再現している。

ことに、「やられたらやり返す」は、一白の真骨頂で、人間関係の情に生きる一白は、誰かの「お陰」と感謝する反面、誰かの悪意に「やられた」と思い込みやすい。
また、一白は会社の部門で言えば「事」だが、社員の心情を気づかいながら配置を決める。裏返せば、情による支配と被支配の繋がりに生きるので、主従の親分子分関係が大好きだ。

したがって、極めて優しかった人が、いつの間にか独裁的で、高圧的な態度になる。大学教授のセクハラ事件なども多い。

安倍一白内閣
一白の、いかにも「切れ者」風の行動は、有力な人材に幅広くコネを繋いでいるからだが、実は自分自身は、その関係を操るのが主体で、地味な作業は人任せだ。
人材に頼り切っているから、言葉が確信的で、行動が早い。
半沢直樹の中でも、常に、上下の人材が息を合わせて動く。

一方で、情に流される傾向も強く、第一期安倍政権では「お友達内閣」と揶揄され、それで失敗した。
今回は六白の麻生を馬にして、派手な甲冑で自在に走り回り、大活躍だが、内心は前回の失敗の「倍返し」を目論んでいるのだろう。

半沢直樹のように、段取りの良い胸の空くような活躍ばかりイメージしていると、社長がコケたり、思いがけない大事件で、大外から足をすくわれないとも限らない。
実際、オバマ社長はコケそうだし、原発、国債、世界景気、大災害・・・と、今まさに地雷原を歩いている。

「倍返し」はあくまで小説だ。
好事魔多し。あまりに素早い、あまりに手際の良い、うまい話は、かえって危ない。われらが「安倍直樹」が腹痛にならないよう、ハラハラドキドキしながら祈っている。


東京五輪

2013年09月09日 | 日記・エッセイ・コラム

2020東京五輪が決まって、素朴に嬉しい。
隣国の、火の出るような妨害活動を見ているうちに、これは何であろうと勝たねばならない。そんな気持ちになってきた。
まるで、重慶やソウルの完全アウェーで、サッカーの決勝戦をして、優勝したような気分だ。

しかし、冷静になってみれば、歴史周期ウオッチャーとしては、極めて複雑で、不安な気持ちになってくる。

東京五輪は、これで3回目の決定だ。1940年の第1回は開かれなかった。
2020年は、その時から80年。84年周期の範疇となる。
と言っても、2020年大会が開かれないわけではない。
重要なことは、これに象徴される歴史の周期だ。

開催されなかった第1回大会は、当時のルールで5年前に決定だから、決定時期と今回のそれとは時間的ズレがあるが、開催時期に焦点を当て逆算すると、これから4、5年後の状況を暗示している。

>第一回東京オリンピックの経過
  昭和10年1935 に決まらず、
  昭和11年1936 に決定
  昭和12年1937 ★盧溝橋事件勃発 日中戦争
  昭和13年1938 返上

今は、昭和一桁から、10年代へ向かっていることが、漠然と見える。

周期律的に言えば、1940年、2020年は同じ周期であり、1964年の東京大会とは、別の周期で、意味や次元が違うことを表している。
奇しくも、1940年大会を競り合った都市は、ローマ・ヘルシンキであり、今回の2020大会も、マドリード、イスタンブールと、まったく合致する。

イタリアとスペインは、慶長の遣欧使節の訪ねた国であり、
ロシアに苦しめられていたフィンランドとトルコは、日本が日露戦争に勝ったことで、最大の親日国になった国だ。
決戦の構図はいずれも、親日国との争いとなった。

今回、2020年東京に決まったことは、アベノミクス景気の気分を盛り上げるが、そのことがむしろ、日本を、引き返せない道に引きずり込んでいく。そういう不安が始まった。

世界の一大興行ビジネス
かねがね言って来たように、現代オリンピックは産業革命パラダイムの、あだ花であり、もはや完全に腐敗ビジネスになっている。
もし、今回、東京が落選していれば、アベノミクスは腰折れし、否が応でも、本格的な産業転換に手を付けなければならなくなっていただろう。

しかし、東京に決まったことで、日本は既存方式の整備に向かい、苦痛を覚悟した、抜本的な大転換は試せなくなった。
また、既に誘致に莫大な費用を使っているが、今後ますます世界の興行師のいいカモだ。

これからも続く、隣人の様々な妨害対策や、興行師への上納金はまだ良いとしよう。最も恐れるべきは、新時代への出遅れだ。

東京五輪を安心して喜ぶためにも、これを契機に進化し、産革パラダイムを脱却した、本当の未来を、世界に示すことのできる日本に向かって欲しいものだ。


目的意識

2013年09月05日 | 日記・エッセイ・コラム

原発汚染水問題の解決の見通しはさっぱり見えない。
布団の上から背中をかいているような小技ばかりで、一向にラチが開かない。今度は凍土化するとか言っているが、なにか根本的に間違っている。
信長だったら、即座に首にしていただろう。

信長好きの日本国民が待っているのは、秀吉の墨俣一夜城や、中国大返しのような機知と大技であって、コマゴマと知識を積み重ねたつじつま合わせではない。

日本がガラパゴスで自滅したのは、「こんな事も出来ます、あんなことも知ってます」という秀才の智恵で、要するに「何を為すべき」なのかが解らない集団だからだ。
為替で少し景気が良くなると、また、自分達の「ものづくり」の成果だと慢心し始めている。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とはこのことだ。

汚染水問題の解決では、チェルノブイリのような「大ざっぱ」なやり方は、日本の超優秀な秀才達には、ハナから念頭に無いようだ。
日本と、世界の大きな違いは、何ごとにも「目的意識」の有無だ。

確かに、凝りに凝った芸術作品を作り上げるには、日本人の縄文精神が生きてくる。しかし、現実処理には弥生のシンプルな合理性こそが力になる。
複合的な日本文化の良さは、世界の原理、弥生の合理性が加わったことであり、混乱の時代には弥生原理が出て来るが、少し安定すると、すぐに心地良い縄文の精神世界に戻ろうとする。

汚染水問題は203高地だ。気高い乃木将軍では、多大な犠牲者を出すばかりで落とすことは出来ない。秀吉の才や、28センチ榴弾砲のような思い切った発想の転換が必要だが、優秀な人材で固められたこの日本では、必ずほとんどが反対の抵抗勢力になる。

目的か手段か
日本人の高度な知識見識は、凝りに凝った縄文土器のような複雑な脳内造形に走るが、目的を忘れる。
生死がかかった状況では、美しさより、結果だ。

今また、大金を投じて行おうとしている凍土方式は、弥生的世界観から見れば、理解に苦しむ縄文土器だ。

専門家では無いから、どういう方法が良いのか解らない。
ほとんどの人もそう思っているだろう。
しかし、チェルノブイリの例のように、とにかく、やっつけてしまおうと思うなら、素人なら簡単な答えが色々思いつく。
はたして、担当している人々は、素朴な観点から出発しているのだろうか。

事ここに至っては、住民の気持ちなど考慮していられる時ではない。山一つ運んでも、谷一つ穿っても、湾一つ埋めても、何としてでも止めなければならない。
地下水が流れるなら上流の流れを変え、流れ出るなら湾を無くす。
目的はたった一つだ。
そして、シンプルなほど効果があり、しかも安く付く


カイゼン

2013年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃、母は仕事の関係で、よく仲人をしていた。
昔の仲人は、今のようにお腹の大きい新婦の横に座るだけの「顔」ではなく、双方の紹介者として、夫婦関係に責任を持つのが常識だったから、家庭内トラブルが起こるたびに、相談を受けていた。

毎日のように、お嫁さんが来て、夜遅くまで話し込んでいた。その後、そのお嫁さんがオバアちゃんになっても続き、母が亡くなる一週間前に、夫婦で孫の相談に来た人さえいた。
時々耳にする話の内容は、世間の人間関係の不思議にあふれ、子供の好奇心をかきたてた。

昭和30年代は、自由恋愛と昔の常識が葛藤した時代で、自由を前提とする言論の前には、昔ながらの「親と暮らす大家族制」の環境が残り、嫁姑の葛藤は、今のようなハンパなものではなかった。

その頃聞いた、お嫁さんの話の中で、
「舅(義父)がケチで、細かいことまで一々指導する。歯磨きのペーストを出す長さまで指示する」と言う話が、妙に記憶に残っている。
おそらく、歯を磨くたびに思い出すからだろうと思うが、思い出すたびに、その舅のことを考える。

一体どういう動機で、それを言ったのだろう。舅はどういう人格だったのだろう。双方はどんな家柄だったのだろう。
これは、色々あるトラブルを考える上で、基本的な好材料になる。
言動の動機は単純ではない。人の言動を他人はどう受け止めるのか。生い立ちと価値観。世代間格差・・・など、実に多くの要素を含んでいる。

「ケチだ」と思う意識の裏には、金を貰う側の、出す側に対する図々しい欲がある。反面、出す側の出し方一つで、過分に頂いたと思えることもある。

当時の嫁は、完全な主婦で、親と同居することは、いわば、家賃まで親の世話になることになる。
今のように、子供の独立が保証された上に、これ幸いと積極的に親にたかるのではなく、親の扶養義務が重くのしかかり、独立することが許されなかった時代だ。嫁の立場など無に等しく、家事労働の概念など皆無で、ひたすら貰い、それに対し奉仕する側と考えられていた。

法律が変わって10年も経っておらず、一般常識は極めて因習的だった。(田島某教授は、未だこの頃の前提に立っている)
お嫁さん自身も、貰う側と考えていたから、ケチだと受け止めたのだが、舅の側はどうだったのだろう。

家業が何だったのかにもよるし、様々な状況が考えられるが、舅が一々口を入れるのは、大きな家ではないだろう。その上で、考えられるのは、舅は嫁のことを可愛いと思っていた。だから、この家のやり方を早く教えてやろうと思ったのではなかろうか。
自動車人間で言えばガソリン。星座で言えば魚座タイプだろう。

パワハラ
今でも、二十歳前後の人を見ていると、大人はあきれたり、一言言いたくなる。年齢は大人だが、まだ責任感や自立心、知識に欠けるからだが、この時、叱る人もいれば、教えようとする人もいる。
しかし、当の青年は、自分が知らないと言うことを知らないから、ウザイと思う。

無知で無邪気な言動に、イジメたくなる人がいるのも事実だが、良かれと思って叱る人や、親切なお節介とは、なかなか区別がつかない。

昔の嫁イジメは確かにあったが、全てがそうだったわけではない。むしろ少なかったから、話として面白がられたのだろう。
多くの姑は、何も知らない若い嫁の教育係として、責任を感じていた。
その気持ちが、上手く実行できなかったことや、実家で甘やかされていた若い嫁からすれば、辛いイジメに思えたからだろう。

今でも、会社のパワハラと言われるものの多くには、そうした行き違いがあるのではなかろうか。

ところで、歯磨きのペーストの何mmまで指導する舅だが、
おそらく、相当、合理的で、凝り性のタイプだったと思われる。何をどうすれば合理的に物事を処理できるか。何から何まで、チェックと工夫をし、その効果を面白がり、家族にも指導していたに違いない。

高度成長期なら「カイゼン」の工場長。昔なら軍隊の新兵訓練担当だ。
舅の年齢から考えても、軍隊で使用する水の量まで叩き込まれた年代であり、一度憶えた合理生活は病みつきになる。戦後の日本企業の高効率を支えた世代だ。それを、家長の権限で、家族に徹底していたのだろう。ケチと言うより、「カイゼン」の鬼だったのかも知れない。

以前、歯磨きペーストはほんのチョットで充分だと、何かで聞いたことがあるので、チューブに使用開始日を書いてみた。同じチューブだが、替えるたびに使用期間が長くなる。

よーし、次はもう一ヶ月延ばすぞ・・・


総員退避

2013年09月01日 | 日記・エッセイ・コラム

反日なら何でもありの韓国では、「日本には今に天罰が下る。東日本大震災以上の災難が必ず起こるだろう」と、公に「予言」する人がいて、どうも、多くの人がそれを期待しているようだ。誰も批難しない。

阪神大震災直後、ロスで乗ったタクシー運転手が、日本からだと言うと、「大変だろう、それにしても、コリアンの喜びようは酷い」と、怒りながら言うが、このアジア系が何者か解らないから答えは濁した。

対岸の火事は大きいほど面白い
彼らにとって、日本の災害はすべて「天罰、天誅」だ。
神よ、お許し下さい彼らは自分が何をしているのか知らないのです。

日本は災害列島だ。日本人が精神誠意どんなに善行を積んだとしても、天罰を予言して貰わなくても、様々な大災害は必ず来る。
阪神、東日本・・・と、日本が大災害に遭うたびに歓喜する隣人が、いようといまいと、世界からどんなに同情、援助されようと、立ち向かうのは日本人自身だ。

今日は、東京大震災から90年。防災の日だ。
NHKでは二夜にわたり、MEGAQUAKEⅢを放送した。
プレートの重なる太平洋側に巨大都市があるのは、黒船到来、さらに遡って、板東武者の東海勢力による統一で、歴史的にはやむを得ないし、陽気の良さもあった。日本海や東北では冬に動けない。

しかし、穏やかな表情の裏には、魔界が息づいている。
雪に埋もれる日本海側だが、古代は大陸に向かう表日本だった。
日本海側にも大きな地震はあるが、太平洋側よりはましだ。首都機能を日本海側に置いてはどうだろう。
と、言うよりも、これからは首都を一極集中させるような時代では無くなる。

狭い島国の日本は一刻も早く、連邦制や電子政府によって、農業と学術の国に変身し、工場や危険物を集中させる工業国家を卒業する時が来ている。工業が先進国の証となる時代は、終わろうとしている。

企業の工業投資ばかり奨励するより、新農業立国のビジョンを示し、農業復古、文明進化の大号令で、ワッセワッセと産業転換しなくては。