魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

むしろ旗

2012年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

オスプレイで日本中大騒ぎだ。
これも原発と同じで、知らぬが仏というか、原発事故が起こるまで、こんな危険物を日本人は有り難がっていた。そのくせ、事故が起こった途端、ヒステリックに反対している。活断層が有るの無いのと今さら言っているが、問題は「エネルギーをどうするか」であって、原発の好き嫌いの問題では無い。

オスプレイを入れる入れないと言っているが、問題は「安全保障をどうするか」であって、危険でない武器など無い。例えば、日本に核を持ち込ませないなど、真面目に現実直視をすればあり得ない話で、今さら騒ぐまでも無く、当然、、入っていただろう。

原発安全神話とか、非核三原則とか、現実を直視しないお為ごかしで、「寝た子を起こさぬよう」にアヤされていることに気づかず、あるいはそれに甘えて、むしろ、加担者にさえなっていながら、一度、事が起こると、「ウワーン」と泣き叫ぶ。
これでは、全く子供と同じ、あるいはそれよりまだ悪い、家畜並にあしらわれる愚民だ。

原発は15%もくそもない。「まったく違う道を選ぶのか、危険を知りつつ立ち向かうのか」きっぱり、けじめを付ける問題だ。
何%が理想ですか?という設問自体が、国民を愚弄している。こんな態度がまかりとおるのも、国民が主体性を放棄してきたからだ。

オスプレイの危険性など、米軍の言う通りヘリコプターより安全かも知れない。
問題は、日本は丸腰外交をするのか、するとすれば具体的にどうやってするのか。できないなら、米軍依存か自主防衛か。
先ずはそういう「国家戦略」の問題こそ語られるべきで、オスプレイかメスプレイかコスプレかの問題では無い。
矮小マスコミの問題矮小化に国民が引っかかっている。ウンザリだ。

民主主義への成長
原発でデモが起こると、「デモの無い国、日本でデモが起こった」と、デモの盛んな国、韓国の新聞が、仲間ができたと喜んでいた。

統制の厳しかった江戸時代から、日本は元来、一揆やデモの盛んな国だったが、70年を境に、憂さ晴らしでは何の解決もできないことに気づいた。もはや、「お上の温情を引き出す一揆」の江戸時代では無い。

しかし、この成長が「しらけ」になり、政治無関心となって、40年の政治不毛を招いた。デモの消滅が、草の根から政治に直結する、「手作り民主主義」への成長につながったわけでは無かった。

民主主義を放棄して眠っている間に、不毛政治と利権の癒着による、原発事故の大事件が起こり、慌てて目覚めては見たものの、寝とぼけて走り回るだけしかできない。

原発だ、オスプレイだと政治屋に文句を言う前に、地域地域の人が立場を越えて自分達の望むあり方を議論し、政治目標に結集させ、既存政党と決別した、独自の政治目標を掲げた政党を立ち上げる。
それは「新エネ党」でも、「国軍党」でも、「人類党」でも、何でもいい。自分達の信じるところを結集させ、連携し、国政を動かそうとしてこそ民主主義だ。
幕末には各地の民衆がそれぞれ立ち上がったが、一揆では無かった。政治が無能な時には、草の根から知恵と力を出すしか無い。

つまり、これまでそういうことを放棄して、政治屋をお上のように、お願いする対象と考えてきた。だから、騒ぎまくることしかできない。
自分達で、無能な政治屋を駆逐する行動を、着々と積み重ねるのが本筋だ。
今の、原発騒ぎやオスプレイ騒ぎは、日本の民主主義の未熟を曝しているだけで、涙が出るほど情けない。

今日は、ちょっと、腹を立ててしまった 


火星通過

2012年07月25日 | 星の流れに

7月3日から火星が2ヶ月近く、天秤座の日本にいる。円高、ユーロ安など、ご覧の通りの窮状だ。
それまで火星は、昨年11月から8ヶ月にわたり乙女座にいたが、なでしこの澤やオセロの中島など、乙女座には芳しくないことが続いた。

乙女座のように火星が来ただけでも問題が発生するのに、現在の天秤座は土星と牡羊座の天王星で、板挟みになっている。そこに火星が加われば、こうした大きな世界的な動きにまでなる。
しかし、今の火星騒ぎは2ヶ月で収まる。

あまり考えたくないことだが、
この秋に土星は天秤座から抜けるが、来年2013年7月26日に木星がカニ座に入る。もちろん、引き続き天王星は牡羊座、冥王星はヤギ座にいる。
その最中に、2013年12月8日、火星が再び天秤座に戻ってくるのだ。
しかも、この火星は、昨年からの乙女座のように、翌7月25日まで、8ヶ月間、天秤座に滞在する。
一難去ってまた一難。完璧な大十字が8ヶ月も続くのだ。

これで何が起こるかは、火星2ヶ月の今の状態が暗示している。
どういう可能性があるか考えてみたい。

2013年
冥王星は15年間ヤギ座で、マネー、国家、企業、税、島、山、インド、ユダヤが変貌中。
天王星は7年間牡羊座で、欧州、軍事、荒野、火星の事件や発明が続く。

木星がカニ座に入った年は、世界的にナショナリズムが高まる。
前回2001年には「911同時多発テロ事件」があった。そして、その陰に隠れて忘れられているが、5ヶ月前には米中の葛藤「海南島事件」が発生している。
2013年は巳年。(巳年はアメリカに色々と起こる
天王星が一周遡る84年前は昭和4年巳年、1929大恐慌の年だ。

このように、90゜180゜で、羽交い締め状態の天秤座に、火星が来る。
火星は、怒り、短気、粗暴、争い、怪我、病気を表す。日本がそうなる。
幕末以来、半年近く火星が天秤座に入ったのは、約10回あり、土星ほどではないものの、どれも日本にとって大変な時だった。ことに、他の外惑星の配置が悪いと、よけい悪化する。

中国は24日、 フィリピンともめている南シナ海問題で、 『国連海洋法公約』は黄岩島の領有権の帰属を定める法的根拠とはならない、と公言した。
これは「力の強い者の物だ」に等しい。とんでもないことを言ったものだが、この問題は全く東シナ海にも当てはまる。
12年前の米中葛藤に、巻き込まれる条件が整った。
火星は奇しくも、昭和十六年の巳年12月8日と同じ日に天秤入りする。

危惧はそれだけでは無い。大恐慌、大災害の条件も整う。
たとえ、今年「2012」をやり過ごしても、来年の暮れから半年は逃れられない。

超正念場


サーカス

2012年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピックが始まる。日本のテレビ各社は、ボッタクリ放映権料で青息吐息だが、それでも日本人のオリンピック好きのために放映せざるを得ないと嘆いている。
やむなく、少しでも視聴率を上げようと、オリンピックムードの盛り上げにヤッキだ。

日本人は実際、他国民よりオリンピックが好きらしい。何で、これほど好きなのかよく分からないのだが、おそらく、「フェア精神」のイメージが「武士道」と通じるところがあるからだろう。

世界の人気は圧倒的にサッカーだが、サッカーはシンプルでわかりやすく、必ずしもフェア精神が重要でも無い。ごまかしも技のうちという、代理戦争としての「リアリティ」がある。

競技がシンプルなだけに、各国の文化が露骨に試合に反映される。
力で押すチームや、頭脳プレイにこだわるチーム、執拗さや卑怯さ、中には、審判に裏金を使ったり、役員になって裏から有利な展開をしようとする国もあり、ある意味では真の国際文化交流でもある。

オリンピックの場合も、国威発揚と考える国は多く、やはりワールドカップ同様に、様々な「行状」が見られるが、競技内容が多様なだけに、顕著な文化傾向は見られない。
その分だけ、「フェア精神」の神話を信じたい日本人には、夢があるのだろう。

しかし、IOCにせよ、FIFAにせよ、今や完全に興行屋で、ローマのパンとサーカスのように、直接的な愚民政策ではないものの、産業革命パラダイムの循環システムに組み込まれ、国家、通信、経済を動かす刺激剤の役割を果たしている。

こうした刺激剤は、少量のうちは、世界の活性剤になるが、度が過ぎると、それ自体が毒になる。
膨大な利権で内部が腐敗し、関わる全体のシステムを腐らせ、本体のスポーツとか「フェア精神」を無意味なものにしてしまう。

特定の者に都合の良いように、ルールー変更から、競技の取捨まで決められ、スポンサー料や、放映権など、暴利をむさぼることで、やがて、自滅する。
実体は既に、そのボーダーを超えてしまっているが、死せる何とかが金の亡者を走らせている。

オリンピック東京誘致にしらけている日本人は、さすがに先進国の見識がある。「もう、こんなものはいらない」と、大人の目で覚めている。

オリンピックに向けてがんばっている選手に失礼なようだが、そういうつもりでは無い。彼らが真に求める、情熱と栄光は、興行屋の道具になることでは無いはずだ。
グローバル化で世界が変われば、スポーツ文化もまた変わるだろう。

オリンピック


海洋文化

2012年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

夜スーパーに行くと、刺身が半額になっていた。20歳前後の若いカップルがのぞき込んでいる。
女の子が「アジ、アジ」と、興奮気味に選んでいる。
「どうやって、食べるんや?」と、男の子の方はイヤそうだ。

「生姜に醤油でもええし、ポン酢でもええやん」と、女の子はよだれでも垂れそうな勢いで、男の子の心配など眼中に無い。

近頃、珍しい光景ではなかろうか。
『これは、素人?では無いな』と、思わずニヤリとした。
「アジのたたき」など、普通の女の子は思いも付かないだろう。
年格好からして、居酒屋で一杯が趣味とも思えない。おそらく、浜育ちか、何時でも新鮮な魚が食べられる地方の出身なのだろう。
「アジは美味い」がインプットされている。

今日のニュースによると、年々肉食が増えて、魚消費が肉を下回ったが、94%の若い親は、子供には健康に良い魚を食べさせたいと思っているそうだ。
ところが、若いお母さんは、「骨がねえ」、「出しても子供が手を付けない」と、実際には、魚は調理も食べるのも面倒で、結局、肉料理になってしまうと言っていた。

そこで水産界では、何とか手軽に食べて貰おうと、骨を抜いて切り身にし、調理しやすい食材にする工夫などをしているそうだ。
しかし、それで消費が増えたとしても、健康には良いかも知れないが、魚を食べるもう一つの長所、「魚文化」が途絶えてしまう。

魚を食べてきた日本人ならではのDNA(あまり軽々しくDNAと言うのは嫌いなのだが)この場合、本当にDNAに刻み込まれているのでは無いかと思える能力が、繊細さ、器用さだ。

例えば、欧米人は、スイカの種やブドウの種を一々吐き出さない。
それが、口に入れた物は出さないというマナーにまでなっている。
ゲップが失礼なのも、基本は同じ感覚では無かろうか。
この考え方の始まりは、欧米人の無神経さ、不器用さにあるような気がする。または、出さない習慣から不器用になったのかも知れない。

O型に多い習慣で、食べ物を食べる前に、臭いをかいで、怪訝そうに眺める人がいるが、こういう人は、不審な物をはじめから食べないが、一端口に入れると、がっつり食べる。欧米の習慣の原点はこういう所にあるような気がする。

一方、日本人は、どんな小さな種も、一々取って食べるか、口から出す。
これはおそらく、魚を多く食べてきた日本人の食習慣だろう。骨ごと食べられる小魚は別として、大方は小骨を別け、口にしたら口から出す、神経質な食べ方をしてきた。
箸が入って来てからはさらに、器用に取り分けるようになった。

魚しか無かった昔は、お腹のすいた子供は、骨のあるめんどくさい魚を注意深く、喜んで食べた。もちろん始めは痛い目に遭ったのだが。
そうして培われてきた、日本人の器用さ繊細さが、欧米式肉食で失われていくとすれば、例え健康的な海産物を食べたとしても、骨なし切り身では価値も骨抜きになる。

ズルズル」、「箸と軍拡


三百年後

2012年07月22日 | 星の流れに

冥王星がヤギ座を通過する、2008年からの15年間に、世界の税制は大きく変わる。もちろん日本もその一つで、問題は、その進め方であって、消費税問題は既に宿命だ。
地殻変動

冥王星250年サイクルの終末期に、今の税制問題が起こっている。
この意味は、極めて象徴的で根源的だ。
250年の産業革命パラダイムを支えた利益共同体の近代国家は、国民の協同利益を追求するためにあり、それを支える資金の集金システムとして、古代の租庸調と同様に、直接税中心で集めてきた。

そして、その中心は産革パラダイムの本体である企業であり、そこに関わる労働者や商人から効率よく徴税してきた。
ところが、グローバル化により企業が国家から遊離し始めると、税収がままならなくなり、世界中の国家が資金繰りに行き詰まり始めた。
この時点で既に、国家の存在理由は薄れ始めたと言って良いだろう。

近代国家は、重商主義の原理を残す国家企業だったが、産革パラダイム250年の間に、企業が成長し、独り立ちしてしまった。
地域に根ざす「国家企業」から、自立した生命体「企業国家」が生まれ、地政学的な近代国家は収入源の無い、抜け殻になってしまった。

同時に、近代国家の専権事項である通貨は、一人歩きするマネーとなり、資金源に窮する国家の債務をもてあそぶ存在として、ソブリン・リスクを招き、国家の連鎖倒産が起ころうとしている。

これら一連の世界情勢は、500年前に始まる国家競争が、既に無意味になっていることを告げている。
グローバル時代にも、国家があるとすれば、国家競争のための国家から、町内会のような便利国家に変身するしか無いだろう。

国家は、せいぜい、掃除やお祭りの世話人で、町内会費は、祭や運動会など、それぞれ別の生計を営む住人の、最低限の必要会費とし、月々なんぼの定額会費を遠慮がちに集めるだけで、お金持ちの家から当たり前のように協賛金を取り立てることはできなくなる。

つまり、戦国時代の自衛集落のように、地域密着の運命共同体として、当然のように金を出し合う関係では無くなると言うことだ。これからの国家はその必要も力も無くなる。

当然、福祉の考え方も変わり、国家が何でもかんでも面倒を見ることはできなくなる。それが嫌なら、これも、町内会の福祉代として集めるしか無い。この集金方法で最も解りやすいのは、今のところ消費税しか無い。
消費税は、古代から続く直接税消滅へのステップになるだろう。

税制の変革とは、国家の変身を意味し、同時に、その基礎単位である家族や結婚のあり方、そのものの変質をも意味する。

もちろん、今はまだ、中国のような時代錯誤の国や、時代錯誤の人々で埋め尽くされているから、国家や国防抜きの世界などあり得ないというのが常識だ。

しかし、大転換は、こうした古い認識を置き去りにして、圧倒的な事実として進んでいく。
日本で起こっているコップの中の嵐など、300年後に振り返れば、年表の一行にもならないだろう。


海外進出

2012年07月20日 | 新鎖国論

18日、インドのスズキ工場で暴動が起こり、死傷者が出た。
どういう経緯かは知らないが、労使問題らしい。
カニ座の新月で、山羊座のインドは180゜
インドは労使問題で以前からもめている。現在、日本を表す天秤座で、まだ、土星が活動中の上、火星も入ったから、日本も過激になっている。スズキの対応のまずさもあるのだろう。
欧州、中国、日本、インド
いずれも、十文字の一角だ。 「7月4日」「触らぬ神

尖閣問題にしても、過激な日本に、カニ座の中国としても慌てているのでは無かろうか。慌てるカニ座と言えば、不倫問題の橋下大阪市長や、いじめ問題の越大津市長もカニ座だ。

ところで、「スズキ」は何座か解らないのだが、もともと「鈴木」は伊勢の神官の姓で、実った稲穂を意味する。収穫の頃だから、やはり天秤座では無いかと思う。日本で最多の姓とも言われるから、これも天秤座の象徴だ。
ちなみに、これが何の意味があるのかと言えば、例えば、自分の太陽の180゜の位置に金星が来れば、鈴木さんというお客が現れたりするといった具合に応用する。もちろん、愛田さんや美子さんかもしれない。

グローバル企業
海外進出を迫られる日本企業だが、世界は複雑だ。異邦人には理解できない歴史的な感情背景がある。
規模が大きくなるほど、現地の管理は現地人に頼らざるを得ないが、「こういう所では、こういう風にやるものですよ」といった、定石と思われるような、運営慣習を安易に採用すれば、強圧や不正の悪慣習も採用することになる。

総じて見れば、日本企業は上手く海外進出をしている方ではないかと思うが、スズキのように上手くいって存在感が大きくなれば、かえって、思いがけないターゲットになりやすい。
大統領やスターが、売名のために意味なく狙われるようなもので、何がなくても、パフォーマンスの標的になる。

また、文化的無神経で、セクハラ訴訟を受けたり、身代金誘拐にあったり、  異境で生きていくことは並大抵のことではない。
日本式の押しつけでも無く、現地丸投げでも無く、現地に支持される存在になる方法は、結局は、人としての誠意だろう。

と言っても、誠意というものは曖昧なものだから、日本式の誠意と、人としての誠意を間違えると、これも問題の火種になる。性善説だけではない、人間の本性を見据えたやり方が必要だ。
ユダヤ人の冷徹と、日本人移民の愚直で当たれば、日本企業は必ず世界で支持されるのでは無かろうか。

日本に渡って来て、2000年掛けて醸成させた「日本人の開拓精神」が、今また、世界に渡ろうとしている。
新鎖国主義と矛盾するように思われるかも知れないが、これこそが「新」鎖国主義だ。

世界交流、グローバル化とは、ただミックスすることでは無い。
多色を混ぜてしまえば汚い黒だが、常に原色を保存していれば、新しい色を作る素になる。
日本で世界を混ぜ合わせるのではなく、世界に出て行って日本式開拓精神を素に、新しい色を作れば、世界に現地融合の文化を創出し続けることができる。

日本文化そのままを持ち込むのではなく(日本軍はこれで失敗)、2000年の適応精神を世界に紹介することで、混乱の地球村に、日本式の「調和」が生まれてくる。


ウナギ病

2012年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

今年の丑の日は27日だ。ウナギは嫌いではないが、この種の縁起物は、まったく気にしないので、ほとんど食べたことがない。
節分の丸かぶりも、バレンタインのチョコレートも参加しないことにしている。負け惜しみではない。義理チョコも断る。断れない場合は手を付けない。

節分の鰯の頭や、正月のしめ縄ぐらいなら良いが、商売人のセールスイベントに、おめおめと釣られるのは面白いことではない。
「土用のウナギ」は、この種の販促では、最も古い方ではないかと思うが、200年も続けば、もはや伝統だ。

蒲焼きという美味い食べ方を編み出した日本人の他は、それほど好まれる食材ではないにもかかわらず、稚魚の乱獲でウナギが食べられなくなった。明らかに、日本人の責任だ。

数の子も、エビもタコも、ナタデココも、ワッと買い付けて、パタッと買わなくなったり、ウナギや木材のように、資源そのものの枯渇を招いたりしている。

こういう行動を取るのは、何も日本人だけではない。
油を取るために、鯨やペンギンを乱獲したり、毛皮のためにラッコやビーバーが壊滅状態になった。
鯨が絶滅寸前になったのは、日本人が食べるために捕ったからではなく、今「かわいそうだ」と言っている欧米人が、油のために殺したからだ。

ここまでの乱獲が可能になったのは、これもまた、大量の工業生産をする産業革命パラダイムのおかげだ。
伐採や捕獲をする機器の大量生産、大量の輸送をする機器。一つ弾みが付けば、バッタの大群のように、行くところまで行ってしまう。
アメリカの銃社会が止められないのも、銃器産業のためであり、二つの大戦を始めとする戦争の時代も、産革パラダイムによるものだ。

代用品
ウナギで儲けていた業者が、何とか代用「商品」を探し出そうと苦労しているそうだ。穴子やウツボ、南方の大ウナギまで「丑の日」商品を探して、世界中を駆け回っている。

夏負けしないウナギの効用があるとすれば、ビタミンA、Bだそうだから、レバ焼きを食べる日に変えればいいような気もする。
しかし、なんと言っても、寿命が延びる「美味いものの効用」ということもあるのだろうから、そういう人にお勧めしたいのが、キャットフィッシュだ。

ウナギにこだわる日本人が、意外に食べないのがナマズだ。
食習慣というものは、ほんとうに、習慣がなければ食べない。
しかし、ナマズはウナギより遙かに美味い。と言っても、たまたま釣った人がいて、食べさせてもらっただけなのだが、肉厚の高級ウナギより、もっちりとして美味い。

これは、もちろん蒲焼きにして食べたが、アメリカ人の友人は、車ではるばる「キャットフィッシュ」を食べにいった話をしてくれた。
フライで食べるのだそうだが、それでも美味いと言っていた。
キャットフィッシュとは、ナマズのヒゲからそう呼ぶらしい。

アブラボウズ2


私を月に

2012年07月18日 | 日記・エッセイ・コラム

連休は脱原発デモが盛り上がったそうだ。
エネルギー意見聴取会は、もう誰も信じない、使い古したアリバイ作りで、むしろ、全く改める気がない既得権勢力の本音を曝している。

今さら言うまでもなく、原発は止めるべきだ。
だが、今の日本の動きは、全く知恵がない。こういう重要な問題を、今まで放置してきた上(くせ)に、事が起こったからと言って、突然、「もうッ 今すぐ全部止めてーッ」と言って泣き叫んだところで、突っ走っている原発御輿は止まらない。

10万人も集まってデモするぐらいなら、
「原発に替わるエネルギーと、それによる経済成長策」の、パネルディスカッションを、ネットと繋いで時間を掛けて盛り上げ、具体的に「金になる新エネルギー」を提示してみせてはどうか。

また、デモでは「選挙で選び直そう」と言う声も上がったようだが、いったい誰を選ぶのだろう。何の具体策もなく、こんな言葉が出てくると、また、どこかの政党の票集めかと、これもうんざりする。

脱原発には
・代替エネルギーの具体的な提案
・新エネルギーの持つ、夢と金の可能性アピール
・「原発廃止スケジュール」と「稼働の容認」を取引する

その上で、国民が一丸になれる、エネルギー成長戦略を宣言する。
「富国強兵」「所得倍増」「列島改造」・・・成功ばかりではなかったが、かけ声は大切だ。
大切だが、「共創社会」は頂けない。
標語として、口も閉じず濁音もない発音にはインパクトがない。それに、「競争社会」を連想させてネガティブだ。

「資源大国」とか「日本創造」とか、迫力のある標語を掲げ
ケネディーのアポロ計画のように、夢と勇気を奮い立たせるビジョンを示してこそ、日本は、新時代のリーダーとして成長できる。
「チャレンジ精神」とは、スポーツの為の言葉ではない。

「わたしを未来に連れてって」

We choose to go to the moon. We choose to go to the moon in this decade and do the other things, not because they are easy, but because they are hard, because that goal will serve to organize and measure the best of our energies and skills, because that challenge is one that we are willing to accept, one we are unwilling to postpone, and one which we intend to win, and the others, too.

John F. Kennedy Moon Speech - Rice Stadium
September 12, 1962


一つ覚え

2012年07月17日 | 日記・エッセイ・コラム

中国経済が減速しているそうだ。
何事も波打って動くものだから、一時的な指標で、軽々には結論は出せない。
ただ、星の動きでも、これからの10年は中国の挫折を暗示している。

輸出による高度成長は、過去の日本モデルと同じような経路を辿って成長していくものと誰もが考えていた。韓国の成長の次は中国が同じような道を辿っていると、ことに韓国人は考えているようで、生活レベルや価値観が後追いしていると、日本を妬みながら、かつ、中国をバカにしてきた。

確かに、生活実感は似ているかも知れない。世界史的な循環も、大きく見れば、そのような順番がある。
しかし、やはり、成長や生き様は、人も国も、同じであって同じではない。

同じ生活をしていても個々の資質によって結果は変わってくる。
同じ教室で同じ100点を取っても、理解して100点を取る生徒と、一夜漬けの丸暗記で100点を取って、それっきり忘れる生徒がいる。
中には、やたらカンニング術に長けた生徒もいる。

日本の高度成長モデルは、日本のオリジナルだった。そしてそれは、経済以外を考える必要がなかったからでもある。
敗戦でゼロになったことと同時に、安保問題を完全にアメリカに依存していたので、不自由ではあったが特殊な気楽さで、箱入りお嬢様芸のような成功でもあった。

しかし、中国はこの逆だ。苦境の中から成り上がってきた逞しさと、同時に、喧嘩渡世の癖から抜け切れていない。
お金が回り出したらそれなりのマナーや、人づきあいの心得を変えなければならないが、社交場に新調のメリケンをはめて、チェーンに木刀をぶら下げて入ってくる。
あげく、自分の異様さを白い目で見られたと、逆ギレを始める。

中国と日本の違いは、輸出で稼いだ金を、国民に還元(所得倍増)して内需に向かうか、国威発揚の軍備や宇宙開発に金を使うかの違いだろう。
このまま行けば中国は、せっかく金を稼ぎながら、内需と豊かさを享受する前に、尻餅墜落(頓挫)しかねない。

シアノバクテリア
中国が日本のように行かないのは、やはり規模が違うからだろう。
小さな日本なら、加工貿易で回転させても、世界のニーズに少し足りないぐらいでちょうど良かったが、あの巨体で、ドタドタと走り回られたら、たちまち世界が飽和状態になってしまう。

リーマンショックのような、マネー暴走も、一つには、中国という巨大生産システムが稼働したからではなかろうか。
安価な製品が出回り、従来の生産国に余剰金があふれた。

単純な話、家内工業価格で売っていた製造小売りの店が、中国という機械で大量生産して、それを同じ値段で売れば、始めは面白い程儲かる。
その儲かった金で、中国機械をもっと大量に買って(中国投資)儲けようとしたら、買い手がいなくなった。

中国機械の方は造れば売れると、信じて造っていたら、この製造小売屋の当て外れで、造っても売れなくなった。
結局、安い製品を大量に出せばうまくいくと思っていた「中国機械」は、自分で自分の首を絞めることになった。
・・・そういうことだろうか。

太古の地球を酸素の世界に変えたシアノバクテリアのように、バカの一つ覚えを大々的にやれば、環境を破壊し、必ず自滅することになる。それが自然の摂理だが、
問題は、狭い地球。周りも巻き添えになるということだ。


正体不明

2012年07月14日 | 日記・エッセイ・コラム

ソフトバンク系のサーバーが、データ消失事故を起こして、多くの企業や個人の重要データが失われた。
クラウド、クラウドと、ブームが起こった時、こんなものに本気でデータを預けるんだろうか??? と、不思議だった。

そして案の定、事故は起こった。この事故で驚いたのは、事故そのものより、世間が衝撃を受けていることだった。
「やはり、重要データは自分で守ることが大切ですね・・・」
などと、ニュース番組で、今さら真面目にコメントしている。
そんなことは当たり前、基本中の基本だ。

ところが、相当数の利用者が、完全にサーバーに依存していた。
データは宝石ではない。いくらでもコピーできるものだ。日常のアクセス利用にクラウドサーバーを使うとしても、基本情報ぐらいバックアップを取っておくのは当然のことだ。

自分が所有するハードメディアに、正副いずれなりとも保存しておく必要を感じない人々が増えている現実。
こうした事件があぶり出す、現代の日本、あるいは世界の「危うさ」に改めて愕然とする。

電車が遅れると、怒鳴り込む人がいる。悪天候で野菜が高騰すると怒る人がいる。家族が死ぬと医者のせいだと恨む人がいる。電話が通じず怒鳴り込めなくて携帯を叩く人がいる。
ギリシャ国民は国家破綻に怒り出した。

何もかも、当たり前だと思っていることが滞ると、誰のせいだと怒り出す。しかし、これはすべて、自分のせいであることに、現代人は気づけなくなっている。

日照り旱魃の自然災害で、神様に怒鳴り込む人はいない。昔なら、雨が降らなければ、腹いせに祈祷師が殺された。
しかし、本当の責任者は、自然災害に備えておかなかった為政者だ。
集団の不幸を避けるのは集団自身であるように、自分の不幸を避けるのは自分自身だ。

テクノロジーの酔っ払い
現代人は電車に乗り、電話を掛け、店で買い物をして生活を維持している。しかし、これは本来の姿では無い。
身体一つの人間は、歩いて用を足し、食べ物を探し、自分で確保する。病気になれば死ぬのが当然だ。

人間は集団で生き、テクノロジーを発達させ、それに依存して生きるようになったことで、本来の自分の能力を忘れ、システム依存の超能力を当たり前のことだと思う、身の程知らずになり、当たり前ができないのは他人のせいだと思う。

自分の超能力の成り立ちを自覚せず、感謝もしない人間は、さらに大きな力を見せられると、躊躇することなく飛びつく。
そして、そんな人間が飛びつきやすいサービスを提供する企業も、また、そういう体質を持っている。

自分の資質で商売するのではなく、素早く既存のハード&ソフトを借用して、表面上あたかも「魔法」が可能になったような、心地よさだけを提供して荒稼ぎする。

今回のデータ喪失事故が、表面上、格安で、金の掛からないシステムで商売していたことが一因であったことは、いかにも、いかにもの観がある。
人の本質は、些細なところに現れる。企業の本質はCMに現れる
「企業に歴史あり」という所だろうか。


地雷地帯

2012年07月13日 | 星の流れに

南北アメリカが旱魃で、穀物相場が高騰している。
恐慌、天候不順、政治の崩壊、ブロック経済・・・84年周期がまさに再来している。

まさか世界戦争が始まるとは思えないが、起これば、人類は滅亡だ。
未熟な人間は、行き詰まれば暴力しか思いつかない。その暴力しか思いつかない人間が、抑止手段ではなく、本気で使う為に「核」を開発している。

核を使ったアメリカが、NPTを主導するのもおかしな話だが、核を持った者の知る恐怖は、持った者でなければ解らない。
お金持ちがケチなのは、お金の持つ力を良く知っているからだ。その既得権を失うことを恐れるから使わない。

無一文の貧乏人は、自分の不遇を金の無いせいだと思い込み、盗みや強盗をしてでも金を手に入れようとするが、使うことだけが目的だから、手に入れた途端、バラまいてしまう。「悪銭身につかず」。

最終兵器の「核」は、使うことでは無く持つことに意味がある。
持つことで立場や発言権が持てる。だから、安保理の常任理事国は英仏のように、見栄でも核を持たなければならなかった。

しかし、中国は見栄では無い。現実の米ソの脅威に対抗するために核を持った。だが、使わずに持っていると、お金でもそうだが、使えないことに気がつく。あるだけで価値のあるものは、使ってしまったらお終いだ。存在の意味が失われる。むしろ、実際には使えないものだ。

持っている者は必ずそれに気づくが、使いたくて手に入れた者は、核の意味に気づくまでに使ってしまう可能性がある。
インドとパキスタンの関係は、このまま時間さえ経てば、むしろ、核によって平和が来るかも知れないが、イランや北朝鮮は複雑だ。

核による防衛では無く、通常兵器使用の後ろ盾と考えている。交渉の道具では無く、戦争の必要条件と考えている。と言うことは、やけくそになれば自爆テロ兵器として「核」を使う可能性がある。

それでも多くの人で成り立つ国家ならまだましだ。今や、核兵器、核物質を個人レベルのテロリストが何時使うか分からない状況だ。
いや、それも手に入れるのはそう簡単では無い。

しかし、原発にロケット弾を打ち込むのはワケも無い。「イチコロ」だ。
いやいや、自宅のパソコンから原発をサイバー攻撃すればもっと簡単かも知れない。

とにかく、84年前と比べれば、大仕掛けな戦争の危険は無いかも知れないが、人類は、遥かに遥かに、危険な地雷原で暮らしている。

恐慌、凶作、狂気・・・星の照準が合う時、引き金は簡単に引かれてしまう。


ごめんな

2012年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

母さんごめんな 今までありがとう
中学の入学式 サクラも母さんもきれいやった
みんなと仲ようするんやで
いつも母さん ゆうてたなあ 
でも何で 人は仲ようでけへんの
やさしい人は 大人になれへんのか
まごころは 伝わるもんとちがうんか
母さんごめんな 今までありがとう
遠足のお弁当 また食べたかったんやけど
僕はもう 遠足には行かれへん
ほんまに ごめんな

父さんごめんな 今までありがとう
一緒に行った魚釣り いつもよう釣れておもろかった
立派な大人になるんやで
たった一言 父さんゆうた
学校には 何で行かなあかんの
学校は 勉強するとことちがうんか
先生は 生徒の味方とちがうんか
父さんごめんな 今までありがとう
世の中に役立つ人になりたかったんやけど
僕はもう 大人にはなられへん
ほんまに ごめんな


触らぬ神

2012年07月11日 | 星の流れに

パンダの赤ちゃんが死んだ。
パンダは、何かにつけて生まれてすぐ死ぬことが多いようだ。
絶滅危惧種もそのせいだろう。

喜んでいた人は皆、落胆しているだろうし、せっかく生まれた命こそかわいそうだ。

中国ではこのニュースに、「日本人が殺した!」と、激昂してるらしい。

ああ、やれやれだ。

悲しんでいるのは、高いお金出して、借りてきて、いずれ返すことが決まっていながら、苦労して出産にこぎ着け、喜びもつかの間、死んでしまった、パンダを愛する日本人の方だろう。

今回は特に、何か、神様の皮肉を感じる。
日本人は、悟るべきだ
めでたい

いま
天秤座の火星と、牡羊座で止まった天王星が180゜だ。
その上、月も牡羊座、土星も天秤座。太陽はカニ座で、冥王星を加えれば、十文字(運命の十字架Grand cross)とも言える。
カニ座の中国も徘徊し、天秤座の土星火星で日本も意地になる。


ましな道

2012年07月10日 | 新鎖国論

近頃の若い人は「釣書」を知らないという話を聞いた。
確かに、半世紀前、始めて聞いた頃でも、既に馴染みの薄い言葉になりかけていた。関西のみで、関東では「身上書」と呼んだらしい。
結婚相談所や紹介センターでは何と呼ぶのだろう。「紹介書」とか「プロフィール」とか呼ぶらしいが、「履歴書」と言っていた人もいた。

「釣書」と初めて聞いた時、なぜそう呼ぶのか考えた。
聞いた瞬間は、結婚相手を釣るための餌かと思ったが、何か公の所に吊り下げておくとか、胸や首からぶら下げて名札のように表示しておく意味に擬えたのかも、とも考えた。
結局、出すことも貰うこともなかったので、解らないままになった。

婚姻制度は改めるべきだと思っているので、迷っている人には、「結婚は必要ですか」と問うて見るのだが、世間のルールに従う真面目な人には、進学、就職、結婚で子孫を残す・・・という方法しか、生きる道はないと信じられているようだ。
そして当然、そこには自ずとランクが生ずる。

釣書は、見合い結婚が常識だった頃の便利アイテムで、必ずしも必要ではなく、上司など信頼おける人が薦める場合などは、何も考えずに見合いした。

見合いの始まりは江戸らしく、古典落語にも「たらちね」など、結婚にまつわる話も多い。
幕府としては、社会安定策として、檀家寺の寺請制度などと共に、町人には暗に見合いや紹介を奨励したようだが、大多数の農民は今以上の自由恋愛、フリーセックスだった。

本格的に見合いが始まったのは明治、西欧式の価値観に、儒教のモラルを加え、厳格な一夫一婦制の文明国にしようとした時だろう。

今の日本人は、西欧牧畜文化の財産管理、キリスト教の一夫一婦の結婚が正しいものと考えており、これは、今日の世界経済の基本思想にもなっている。極論すれば、財産は個人のものと言う考え方だ。
(結婚とは、愛ではなく財産管理の問題だ)

これに対し、武士を除けば、明治維新以前のほとんどの日本人の価値観の実体は、これも極論すれば、財産は集団のものだった。

共産主義は失敗したが、産業革命パラダイムの、機械的大量生産に向かなかっただけで、平和と文化を主体とする国民総幸福を目指す社会には、農耕文化をベースにする江戸の価値観は、間違っていたとは言えないだろう。

日本的因習と考えられがちな「お見合い」は、実は、近代の産革パラダイム・システムに合わせた、日本的な合理主義で、富国強兵や工業立国の基礎になる、一つの社会制度だった。

この、一夫一婦制をバックアップする制度が崩れると共に、日本の組織力が薄れ、少子化が進み始めたとも言える。
産革パラダイムの国際競争に打ち勝つには、何としてもお見合い制度を復活させることが必要かもしれない。

しかし、一夫一婦制という、軍団化社会によって争いの種を育てる産革パラダイム世界より、母系的な財産共有、妻問婚社会で、地産地消の鎖国と、地域文化交流による精神グローバル化に向かう方が、これからの人類の選択としては、父系競争社会より「まし」ではなかろうか。


言語生命

2012年07月09日 | 日記・エッセイ・コラム

近頃、社長や会長がいなくなった。いつの間にかCEOとか、COOとかに変わっていた。
いつからこうなったのかよく解らないが、そんなに昔のことではないと思う。

企業が無国籍化する中で、英語中心で動いていれば、自然の流れなのかも知れない。社内公用語を英語にするところも増えている。
やむを得ないながらも、何か引っかかるものがある。

社内公用語を英語にするのは、効率の点から考えると正しいと思う。国内外にかかわらず、社内外と垣根無く意思疎通ができる。
時間も経費も省かれる。互いに誰であろうと気にする必要がない。
英語の上手い下手など関係ない。意思が通じるかどうかだ。

日本語同士でも、必ずしも上手く伝わっているわけでもないし、逆に、初めて知った片言の言語でも、物を売り買いすることもできれば、異性といい仲にもなれる。言葉は意思疎通の補助でしかない。

世界共通言語として提唱されたエスペラントだったが、英語が事実上の世界語になった。
エスペラントは、国家の存在が大きい近代の「国際交流」の発想であり、その国を超えるためのコスモポリタンを自負するインテリの特権的発想だった。

しかし、そんなユートピアよりも、現実の無国籍グローバル化は、観光客にニセ骨董品を売りつけるオッちゃんオバちゃんや、ロックをガナる若者から始まった。
途上国に下請けを持ち込むオヤジから、大企業の工場進出まで、人間の欲と好奇心は、バベルの塔を逆戻しする世界英語という共通語を生み出した。

そんな時代だから、CEOやCOOなどの方が、何となく「世界しちゃってる」感じになれるのだろう。しかし、今のところ国籍のある法人としては、日本国籍なら、代表取締役とかが正式ではなかろうか。

まあそれは良いとして、世界英語の浸透は、小さくは日本の中で、テレビが東京弁を日本の単一言語にしたようなものだが、一度、方言が失われたような状況の後、今また、失われた方言への回帰がブームになっている。
イスラエルでは、失われたヘブライ語をムリからに再現して、公用語として使っている。

失われた言葉は、真の意味で復元することはできない。何でもかんでも言葉を残すべきだとも思わない。言葉は、生きている人が自然に必然的に使って存在するものだからだ。生活や価値観が変われば、言葉も変わっていく。

しかし、だからこそ、使用言語を強制的に変えることは望ましいことでは無いと思う。言葉は文化そのものであり、言葉を変えることは文化を捨てることになるからだ。

と、言いつつも、一方で、違う言語の人々が別の言語を話すと、その言語自体の変質が起こる側面もあるわけだから、必ずしも単純に文化が消えるという話でもない。

言葉も文化も、一筋縄ではいかない、生滅を越えた生命力を持っているもののようだ。