魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

木星事故

2013年04月30日 | 占いばなし

猪瀬東京都知事が、ニューヨークタイムズでドジってしまった。
どういう経緯で、どういう記事内容か知らないが、IOCから問題にされ、トルコから失望されている。

「イスラム諸国はアラーしか信じず、喧嘩ばかりしている」と、IOC憲章に反するライバル批判をしたと書かれた。
ニューヨークタイムズはこれまでも、ほとんど日本には良いことを書かない。中国寄りの民主党と呼応するのかも知れないし、内部に反日的なアジア系がいるのかも知れない。

が、そんなことより、何であれ、不注意だ。ある意味でハメられたと思われるが、ニューヨークタイムズがどういう新聞かなど、状況をしっかり把握してかかれば、こんなドジも無かっただろう。

土星の災い
猪瀬知事は、11月20日生まれで、ほとんど射手座だが、やっぱりサソリ座だ。
土星が来た星座の人は、良かれと思うことが次々と裏目に出る。
これまでも、枚挙に暇がない。
→「蝎に来た

猪瀬知事は「自動車人間」では「ハンドルS」で、論理は鋭いが、正直で嘘がつけない。軍師としては優秀だが、大将としては「下手くそ」だ。
あまりにも正直すぎて、「印象作り」ができない。
「ボディー」のように、誰にでも適当に、「いい人」と思われるようなことを言えない。
聞かれれば、答えてしまう。つまり誘導尋問にかかりやすい。

東京オリンピックには疑問があるが、乗りかかった船は沈められない。しかし、こんな事が起こって、せっかくの最親日国の一つのトルコを失望させるようなことになっている。
東京招致も大切だが、友好国の信頼の方がもっと大切だ。

この際は、ニューヨークタイムズの記事を否定するためにも、むしろトルコに、超積極的なエールを送るのも良いかも知れない。
トルコとの友好と、日本のフェア精神を強調すれば、
「身を捨ててこそ浮かぶ猪瀬もあれ」で、活路が開けるかも知れない。

それにしても、返す返すも不注意だ。猪瀬知事は生時の木星がサソリ座で、土星・冥王星と凶角だが、木星はスポーツや海外も表す。海外でスポーツ事故に遭った。

「言わずもがな」とは、こういうことだ。


皆いい人

2013年04月29日 | 兄弟関係

夕刻、電車に乗るとまだ比較的空いている、中央シートの端から2人目に座った。ベンチシートには5人ほど座っているが、内側隣の20代の女の子は20センチほど間を開けて座り、携帯に夢中になっている。中途半端に間があるから、すき間にバッグを置いた。

この長いベンチシートは、一体、何人座るのがふさわしいのか、いつも悩むところだ。大体7人座れるようにできているが、ほとんどの場合、6人が座っている。団体など、仲間で相互に譲り合えば7人座れるが、他人同士の場合、テリトリー意識が働くから、何となく6人に収まる。

電車が止まるとドッと人が乗ってきた。慌ててバッグを膝に置いて、可能な限り端の人の方に寄った。自分なりに詰める努力をしたので、また目をつぶっていると、突然、隣の携帯の子の向こうで、
「あんたも、もうチョット詰めたらどうやみんなの迷惑やろ一人で乗っとるんとちゃうんやで」と男の大声が聞こえた。

目を開けると、携帯の女の子が猛然と前を横切って行くところだった。横で60代白髪のブレザー姿のオッサンがあっけにとられているのと目が合った。が、事情が分からないから、即、目をそらせた。

一人分開いたので、オッサンは向こうの50代の女の人を見上げたら、
「あ、もう、いいです、いいです」と、女の人が困惑したように言う。

その前に、一瞬、モサモサとざわついた感じだったが、隣りに寄せてきた感じは無かったので、おそらく多少は動いたが、女の子は大きく譲らなかったのだろう。
6人掛けと考えた場合、いくらスキ間ができても、これ以上動く必要が無いと思ったのだろう。

一方、こちら側のすき間を見たオッサンは、7人座れると判断して、後ろに来た女の人の席も確保しようとしたら、女の子が動かない、
『もうチョット詰めたら、座れるやん』と、女の子の腰に体当たりしたら、ニラまれた。『なんでやねん』で、思わず大声になった・・・
きっと、そんなことが起こったのだろう。

イヤホンと携帯の世界にいた女の子にしてみれば、女の人を座らせようとするオッサンの状況や気持ちなど別世界だから、6人掛けの義務は果たしているのに、『なにするんじゃ、このジジイ』そう思っのかも知れない。
不当に怒鳴られ、頭にきて、『こんなん相手にしていられるか』と、立ち去った。
オッサンは、チョットしたことだから、黙って譲るだろうと思ったのに、行ってしまったのに驚いた。女の人は、頼んだ覚えも無いのに、もめ事には関わりたくない。

2人半の席に誰も座ろうとしないから、オッサンはやむなくど真ん中に座り、新聞を出して読み始めたが落ち着かない。
女の人はとっくに行ってしまったが、携帯の女の子は、隣の車両に行くでもなく、少し離れたニラみの利く位置で、こちらを向いて携帯をいじっている。(相当、頭にきている)
シラけた雰囲気が漂っていたが、両者とも次の駅では降りず、その次の乗換駅まで乗っていた。

この場面の主役は、バツの悪いオッサンだが、決して悪気が有ったわけではない。女の人への親切心(ええ格好)と読みの甘さ、それと、何かの虫の居所でも悪かったのかも知れない。

女の人の席を作りたいのなら、自分が立てばいい。わずか2駅だ。
女の子に譲ってもらいたいなら、もう少し穏やかにお願いしてみても良かった。女の子が立たないと思ったのも読みが甘い。
会社などで、年下にエラそうに言うのに慣れていると、思わずこういう態度が出てしまう。

恥ずかしいことになったが、「近頃の若い奴は」と思う前に、携帯をいじっていたのが、ポケットにナイフを持った男の子で無くて運が良かったと、幸運に感謝すべきだろう。

ところで、60代のこの「紳士」。間違いなく末っ子だ。
判定理由
●みんなもそう思っている、と、他力を利用する
●何かあったら、とりあえず抗議する。強く出る。
●相手の立場や考えを思いやらない。
●現象で判断する。
●反撃されずに、逃げられると途方に暮れる。
●周囲に置いて行かれると、しゅんとする。
●目先の目標(女性)に気に入られようと全力集中する。
●弱い者にいきなり上から目線。


大関越え 付録

2013年04月28日 | 探訪・紀行

自転車で京都-滋賀を往来するには、結局、急がば回れ、東海道が王道のようだ。コースさえ分かれば、一応、歩道も整っている。

藤尾交番
ところで、追分の「藤尾交番」だが、旧道への分岐点だから、旧道からの合流も多く、出会い頭の事故が、相当あるようだ。
以前、夜10時頃、目の前で事故が起こった。
すると、交番からおまわりさんがフィギア・スケーターのように飛び出してきて、踊るように交通整理を始めた。驚くほどの手際の良さに、見惚れていたが、整理されて、あっと言う間に立ち去らされた。
男子フィギア選手は誰か、「交通整理」のテーマではどうだろう。

Photo_2
藤尾交番前の東海道分岐点 信号も無い
滋賀方面からの路面に青字で「出合頭注意」とある
読み終わったら、ぶつかる

ここはまた、「井筒八つ橋」に行く観光バスの折り返し点でもある。
「井筒八つ橋」のガードマンも常に待機していて、京都方面から来る観光バスをUターンさせるため、対向車を止める。このガードマンも手際が良いが、あの警官の比ではない。

Photo
待機している井筒八つ橋のガードマン?左下

そんなわけで、「藤尾交番」フアンとしては、一度行ってみたかったので、周辺の案内図が無いか訪ねて行った。

ちょうど、パトロールに出かけるのか、40代と20代のおまわりさんが防弾チョッキを着ているところだった。
「この辺の、案内図のような物はありますか」
二人とも怪訝な顔なので、
「この間、自転車で来たんですが、旧東海道に渡る自転車道が分からなくて・・・」
そう言うと、
「こんなんで良いですか」と若い方がプリントを渡してくれた。
周辺の道が分かりにくい話をするのだが、何も答えない。後ろでベテランはニコニコ聞きながら仕度をしているが、急いでいるのか、若い方はぎこちない。
もしかしたら、突然入って来た、怪しいオッサンに警戒したのかもしれない。

この時貰ったのがこの図だが、誰が画いたのか、親切で面白い図なので上げさせて貰うことにした。

Photo
(クリック拡大)

(完)

 


大関越え(4)

2013年04月27日 | 探訪・紀行

京都-大津の往来は、昔は徒歩だった。今でも、歩いて越えることはさほど困難ではない。12km3時間ぐらいで、全線歩道がある。
ところが、自転車には意外な難関だ。

先ず、自転車は車道を走るのか歩道を走るのか。
もし、自転車は絶対に車道というのなら、何も迷うことはない。
しかし、前回の写真を見てもらえば分かるように、ロードレースのトレーニングをしている人でもない限り、普通の人が走れるような道ではない。第一、車の迷惑だ。

そこで、基本的に歩道を走るつもりで行くと、大合流点、四宮ジャンクションで道を失う。
自動車道を走らないで、横切る道が、さっぱり分からない。現場に行くと、何の道標も無いのだ。

実際、現地を見に行った時にも、何台もの自転車が途方に暮れたり、意を決して自動車道に飛び込んで行った。
軽量の自転車なら、歩道橋を担いで渡ることもできるだろうが。

たまたま写真が撮れたケース

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長い間見渡し、意を決して飛び込んで行った


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向こう側から自転車を抱えて渡って来た女の子
ちょうど渡って来たので、思わず、「いつも渡っているの?」と聞いたら、20歳前後の女の子が興奮で顔を真っ赤にして
「いえ、渡ってません! 道を間違えて・・・」
と、恥ずかしそうにしてガソリンスタンドに尋ねに行った。
おそらく新三条通りからそのまま上がって、車線のど真ん中にいることに驚き、慌てて渡って出て来たのだろう、独りで冒険ツーリングを試みているらしい。怖い物知らずというか、可愛らしいというか、勇気には感心した。

自転車用のトンネルは、ここだよって知らせて
自動車道をツーリングしている人達は、ほとんど通い慣れている感じで、道に迷いは無いようだが、歩道中心で走る人が初めてここに来れば、必ず迷うだろう。
トンネルの存在を、大きな標識で案内してもらいたいものだ。それも何カ所にも揚げてもらいたい。

こういうことは、役所まかせだとラチがあかない。金もあって手続きに慣れている、OOクラブのような所にやってもらうと良さそうだ。
是非、お願いします。

このトンネルが分かった後で気づいたのだが、旧東海道に出るには、もっと別の方法もあった。
国道1号線と旧東海道が交わる「藤尾交番」の歩道橋は自転車を押して上がるためのスロープが付いている。ここで北側に渡り、京阪の踏切を渡って、「摂取院」門前から京阪沿いに「追分駅」の前を通っていけば、やはり、ENEOSの前を通って三条通りに出る。(もちろん逆も)

この方法にしても、よほど通い慣れているか、下調べをして行かなければ分からない。やっぱり、標識は必要だ。
お願いしますだ。
滋賀県警さん、滋賀自転車協会さん、OOクラブさん

付録


大関越え(3)

2013年04月26日 | 探訪・紀行

五条通と新三条通が合流して、湖西方面の161号線と湖東方面の1号線に別れる「四宮の合流点」は、名神の出入口でもある。
この大合流点が旧東海道を分断している。
Google_2

(クリック拡大 googleから)

地図で見る限り、旧東海道は東西双方で途絶えている。1963年開通だから、まさに高度成長期の突貫工事で、旧街道のことなど無視されている。
それでも、何らかの配慮はあるだろうと信じて、来てみたが、やはり迂回路が見当たらない。

結局この日は、旧東海道の分断点から、名神沿いに坂を下って、名神下の通路をくぐり、五条1号線の下をくぐり、グルーっと大回りをして、新三条通の四宮交番にたどり着き、そこから旧東海道(旧三条)に入って京都までたどり着いた。体力より、精神的に疲れた。

再調査
しかし、旧東海道は、本当にそんなに無視されているのだろうか。
そんなはずは無い。きっと見落としだ。
そう思い、今度は電車で行き、歩いて確かめることにした。

山科駅から東に歩いて、旧東海道が途切れる地点まで来ると、四宮の合流点の上に歩道橋があるがやはり、トンネルは無い。
歩道橋を渡って東側に降りると、当たり前だが、旧東海道がある。
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歩道橋の上から、西向き京都方向

そこから人気の無い街道を東に上り始めると、70代の男の人が道端で煙草を吹かしている。猿回しのサル(失礼)のようなカラフルな柄のニットの上着を着て、やはりカラフルな帽子を被っている。

「すみません、この東海道は自転車ではどう渡るんですか?」
と、声を掛けると、煙草で忘我の境地だったらしく、「ワッ」と驚いて、
「あ、あ、そこに歩道橋があります」
「はあ、そこから来たんですが、自転車はどうするんですか?」

すると、満面の笑みになって、めちゃくちゃ優しそうな猫なで声で、
「あ、自転車でも渡れますよ~。そこ、行ったところにトンネルがあります。自転車担いで歩道橋渡る人も、よう、いてはりますよ~」

ほんの少し歩くと、民家の私道のような脇道があり、どうもこれがトンネルの降り口らしい。見渡しても、何の標識も出ていない。
「自転車は降りて通行しましょう」と書いてあるところを見ると、おそらくこれがトンネルに続くのだろう。
結局、知る人ぞ知るで、地元の人のためだけにあるトンネルだ。
初めて来た人には、先ず、分からない。前回、見落としたわけだ。

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トンネルへの入口だろうか?

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確かにトンネルがあった、黄色の看板の小さな入口

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歩道橋から東向きに見た、トンネルの位置

つづく


大関越え(2)

2013年04月25日 | 探訪・紀行

合流点の「逢坂一丁目」を過ぎると、道は国道1号線の東海道の逢坂山を、ひたすら登って行く。と言っても、登り切るまでⅠ㎞もない。蝉丸の昔は本当に険しい峠だったらしいが、江戸期に掘り下げられ、今日の姿になったのだそうだ。

峠を登り切ったところが、大谷駅手前の有名なうなぎ屋だ。ここには関蝉丸神社とは別に、蝉丸神社がある。大谷駅から後は、なだらかな坂道が追分まで続き、その後も、四宮、山科まで、ほとんど下り坂だ。
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蝉丸神社
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蝉丸神社から、大谷町、東海道を見下ろす

昔は三条、今は五条
東海道は京都の三条に続くので、昔から三条通と呼ばれてきた。
しかし、国道1号線は、四宮の合流点で五条方面に別れて五条通りに続くことになる。京都で国道1号線とは五条通を指す。
ここからが、「わけわからん???」の始まりだ。

昔の東海道は弥次喜多の像がある三条大橋が京都の入口だが、自動車時代の現代は、五条大橋が京都の入口で、鉄道JR京都駅は八条だ。
なお、京阪鉄道は昔ながらの三条通に沿って三条駅に抜けている。
現在の東海道線ができるまで、京阪のコースが当初の東海道線で、大津港から長浜までは船で渡していた。しかも、琵琶湖が東海道線最後の分断点だった。

三条大橋への旧東海道は、大谷駅から山科を抜け御陵のJR高架下で、新三条通と合流するまで4㎞下りだが、そこから南禅寺や都ホテルのある蹴上げまで登って行く。徒歩や自転車にはこの道がふさわしい。

大谷駅から、東海道を下っていく
追分駅の手前、大谷駅寄りに国道1号線から旧東海道に別れる道があり、歩道橋の下に仏立寺と藤尾交番が建っている。
地図で見る限り、国道1号線をこのまま行くと、三条・山科側に渡る方法が無いし、自転車なら旧東海道だと思うので、藤尾交番の前で、旧街道に斜めに左折し、下って行った。
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左手が藤尾交番、旧東海道方面

「追分」の地名となった、東海道から伏見方面に分かれる髭茶屋追分の分岐点を通り過ぎ「京都方面」に向かう。

地図では見当たらないが、突き当たれば、きっと自動車道をくぐるトンネルがあるはずだと、突き当たったら、再び自動車道の大河、四宮の合流点に出てしまった。対岸に渡るには、そこの歩道橋しか無い。

自転車道が無い そんなわけ無いだろうと、もう一度、来た道に引き返して、自動車道の壁沿いを更に下って行った。
坂道を勢いよく下って行くが、行けども行けども、抜け道が無い
グルーっと回って、竹中電子を通り過ぎた頃には、向きは完全に180゜変わった。

ようやく、十字路のトンネルが有った。しかし、このトンネルを抜けても、三条山科方面に引き返すには、相当離れて、方向も解らない。

『まてよ、まてよ、どう行きゃいいんだ?』と、スマホを出して地図確認をするが、それでもよく解らない。
ふと後ろを見ると、佐川急便のお兄さんが、停車した運転席で眉間にしわを寄せて、やはりスマホをいじっていた。

つづく


大関越え(1)

2013年04月24日 | 探訪・紀行

京滋(京都滋賀)を自転車で往来するため、「小関越え」を調べた。
ハイキングには良いが、自転車には傾斜が少しきつい。これは結局、「大関越え」と呼ばれる東海道が、一番妥当なのかも知れない。

どちらが良いか、実際に走ってみることにした。
3月。京都方面から、山科→小関を越え、大津から東海道を回って京都に帰るコースだ。桜はまだ咲いていないが、陽気がたち始めている。
自転車はごく普通の、日常使用しているオートライト付き6段変速で、いわば、買い物自転車だ。

山科からの「小関越え」は、旧道を、自転車を押して上がった。どうせ急勾配なら、少しでも近い方が良いと思ったからだが、車が来ない気楽さもある。(熊やイノシシはいるかも知れない)
登り切れば後は楽々で、あっと言う間に大津に降りたから、近頃、「大津京駅」と名前を変えた西大津まで行き、イオンで一休みする。

もう一度、皇子山運動場に沿って2kmほど引き返し、北国橋から日赤の前を通って、京阪電車が走る161号線「京町一丁目」に出た。
ここには、「札の辻」「逢坂」などの地名があり、いかにも、さあ、京に向かうぞという気にさせる。
しばらく行くと、百人一首「知るも知らぬも逢坂の関」の、蝉丸を祀った関蝉丸神社がある。

その先には、京阪の路面電車が回り込み、鉄道に変身した踏切がある。踏切を渡ると、いよいよ国道1号線の東海道に合流する。
車で走っていると、ここを徒歩で合流する方法がよく解らなかったが、実際に歩道をたどって、初めて解った。

ところで、京阪電車は、京都方面から浜大津に向かうと、地下鉄から、地上に出て、鉄道として走って来るが、上栄町から突然、終点・浜大津まで、昔ながらの路面電車に変わる。
以前、子供連れのお母さんが、いつの間にか路面電車になっていると、子供に教えているのだが、自分の方が大興奮していた。若いお母さんには、初めての路面電車だったようだ。

1号線と161号線の合流
大津港の浜大津から来る161号線・西近江路と、石山、草津方面から来る国道1号線の東海道が交わるのが、「逢坂一丁目」の信号だ。
双方から車が合流するには、歴史の道は古過ぎて狭く、車を交互に入れるしかないのだろう。いまだに信号で止めて振り分けている。

歩行者や自転車は、1号線が止まっている間に、双方の歩道から1号線を渡るのだが、車道を走る覚悟の自転車は、自動車と一緒に1号線に合流して行く。
この辺りの国道1号線は、対抗二車線で、合流や信号も街中の脇道のようだ。知識が無ければ、標識を見ても国道1号線とは思えない。

車道が狭いと、狭い歩道さえ、広々と余裕に思える。しかし、車道だろうが歩道だろうが、坂道は同じだから、それなりの急勾配を登って行かなければならない。
それでも、「小関越え」や「山中越え」のことを思えば天国だ。

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知るも知らぬも 逢坂を登る

つづく) 


デッサン

2013年04月23日 | 日記・エッセイ・コラム

画学生が必ずしなければならないことはデッサンだ。
彫刻や服飾、工業デザインでも、基礎力を付けるために一度はデッサンを学ぶ。
何の基礎力かと言えば、絵を上手く画く技術ではない。
物を見る力を付けるためだ。
このことを、案外、解っていない画学生もいる。

見た物を再現しようとして、物を見ることと、ただ、何だろうと思って見るのとは、客観性が全く違う。
何だろうと思って見る時は、見る瞬間、自分がそれにどう反応するかに注意が向けられる。
しかし、見たものを再現しようとする時は、自分がどう反応するかは全く関係ない。対象となる物の、在るがままの姿に注意が集中する。

デッサンの下手な人は、もちろん手先が不器用な人もいるが、多くは上手な絵を描こうとする人だ。対象物をよく見ないで、自分の思い込みを再現しようとする。見た目は美しいが、現物とはかけ離れた形になっていたりする。

絵を描く人が、意外と核心を突いたことを言うのは、物の実体を客観的によく見ているからだろう。

絵を描かなくても、デッサンはやってみる方が良いと思う。
何の問題も無く生きているつもりでも、ほとんどの人が、物や現象に反応することで生きている。

自分の思い込みや願望と関係の無い、客観的事実に対する姿勢を持つことで、自分自身の考え方も変わってくる。見た目に反応することから、対象の実体を考えて対処することを考えるようになる。

デッサンは上手い絵を描くための練習ではない。物と対峙することで、座禅のような効果がある。
ある意味では、自分が考える瞑想より、対象物というどうしようもない現実と向き合うことで、また別の優れた修行になるかも知れない。


カプセル

2013年04月22日 | 日記・エッセイ・コラム

国を動かすには、標語や掛け声が必要だ。(言葉の御旗言霊立国
今回、安倍政権は、自ら四文字熟語を叫んだわけでも無いが、いつの間にか、「アベノミクス」が標語になってしまった。
おそらく、史上初のカタカナ標語だろう。

この春始まったNHK新番組「伝えてピカッチ」は、なかなか面白い。
ことに、粘土細工は新手の「ジェスチャー」だ。
このゲームの一つに、カタカナ語を使わないでヒントを出す連想ゲームがあるが、若い子ほど苦戦する。
カタカナ語が氾濫しているから思いついたゲームだろうが、思惑通りで、制作はニヤリだ。

それにしても、グローバル化だ。近頃は言葉を日本語に翻訳して入ってこなくなった。映画のタイトルもほとんどそのままだし、歌の歌い方まで、わざわざ外国訛風の変な日本語だ。

カタカナ語は、和語や漢語のように「意味」を理解して覚えるのではなく、音と現象を直結させて覚える。
例えば「合コン」は、「合同コンパ」の短縮で、日本人は「合同」の意味は嫌でも解ってしまうが、「コンパ」の意味は深くは考えないだろう。

コンパは「company」が元で、仲間や会社の意味ぐらい理解するが、「company」と聞いた瞬間、comやconが「纏める合わせる繋ぐ」のようなニュアンスで、panyから「おしなべて」のようなニュアンスを感じることなど、全く無いだろう。

日本語で育った日本人が「合」「同」の意味を感じて「合同」を理解するように、英語で育った人は、たまたま同じような意味の「company」を、「com」「pany」の意味を感じて理解する。しかし、「godo」と聞いても固有名詞の音としてしか覚えない。

つまり、異国語は、理解して覚えるのではなく、直観的に何かありがたい「価値」がありそうなものとして受け入れる。
欧米人も[KWARATE]や[SUKIYAKI]は、何となくカッコ良い響きで覚える。「空手」「すき焼き」の意味まで考えない。

このように、カタカナ語とは、日本人にとって問答無用で価値を受け入れる薬用カプセルだ。中味を知れば口にしないようなものでも、ツルリと飲んでしまう。

グローバル化で、カタカナ語が氾濫していることは、日本社会がそれだけ、深く考えなくなったと言うことなのかも知れない。
深く考えなくても、言葉数が減るわけでもない。むしろ言葉が軽くなった分だけ、ためらいなく溢れることになる。

一世風靡の掛け声が、四文字熟語からカタカナ語になった日本。
スローガンを海外にまで共有することのメリット、デメリット。
ムード、ムードで、深く考えない、イケイケ景気。

いいのかな、いいのかな、何が何だか、マンボウ・ジャンボウ、さっぱりわからん
わてほんまによういわんわ、わてほんまによういわんわ


恋愛結婚 補足

2013年04月21日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、頭痛で、長い文が書けないため、昨日の話には、多少、付け加えなければならないところがあるようだ。
「恋愛結婚」は不幸になるようなことを書いたが、すべてに当てはまるわけではない。

恋愛の相互誤解、いわゆる、スタンダールの結晶現象のような恋の末の結婚は不幸になるという意味で、一般に言う恋愛結婚には様々な姿がある。

始めから結婚のために出会う男女の恋愛は、恋の結果ではなく、結婚のために近づこうとする「相互努力」の場合が多く、実体は、現代的な見合い結婚だ。
多くの場合、合コンや紹介は、これに含まれる。ある程度の条件が既に考慮されているからだ。

危険な恋は、互いに探してもいない時に発生する、ある種の一目惚れで、いわば、交通事故だ。
互いが、何の根拠も無く「運命の人だ」と思い込むわけだから、二人揃って、よほど勘の良い人でない限り、まず勘違いだ。

この勘違いの仕組みを語り始めれば、万巻の書が生まれるが、一言で言えば人間の、あるいは、男女の「性(さが)」につきる。
生物として、同時に、社会的動物ゆえに起こる、破壊衝動であり、
秩序を破って、新しいDNAをつくりたい。ただそれだけだ。

秩序維持の仕組みである「結婚」には、恋愛とは相反する行動が要求され、当然、そのまま結婚すれば、極めて難しい問題が待っている。

恋は、新DNAを創ろうとする、突撃のスピリッツ(酒)であり、結婚は、勢いだけでは続かない、面倒な繁殖小屋の営みだ。


恋愛結婚

2013年04月20日 | 占いばなし

四川の地震に、日本での反応が、災害は災害としてお見舞いしているので、中国人が感心しているそうだ。

どの国にも、ろくでもない奴はいるだろうが、日本は「敵に塩を送る」ことを美徳としてきた。
これは戦国時代以降の価値観だろうが、江戸時代に、支配層の武士が奨励したことにより、今も日本文化にしっかり根付いている。

卑怯を嫌うのは、A型の精神文化であり、物理的で結果オーライのB型の生き方は、元来その要素がある日本では、ことに意識して嫌われた。
「火事場泥棒」が厳しく処罰され、銭を不浄と嫌い、善意の過ちには武士の情けが施された。

騎士道と武士道に、近いものがあるのは、A型文化と、A型を志向するAB型文化によるのだろう。
A型にとっては当たり前であり、同時にそこから逃れたくても逃れられない弱点でもあることを、AB型文化の武士道は、長所として美しく見せてくれる。それが欧米人にとって心地良いのだろう。

逆に、B型中国の憧れるのは、AB型文化であり、日本人が弱点としている、本当は食べたくても「武士は食わねど高楊枝」のような「格好良さ」を目指し、感心する。
中国文化の二者択一志向から見れば、日本の様式美の美しさは、「決まっている」ように見える。

しかし、日本人が憧れているのは、「決める」ことではなく、精神世界の静寂だ。欧米人が始めから持っている、氷の世界の静寂、情念の集中のような感覚だろう。欧米人がそこから逃れたがっているにもかかわらずだ。

欧米人は、このクヨクヨすることから、どっしりと何も考えないO型の自信を求めている。それは動物的な野生であり、野蛮ではなく力強さに憧れる。その欧州の憧れを具現しているのがアメリカだ。

AB型日本が、「A型世界の道」を求める姿を見て、B型中国は感心する。日本が中国と付き合うコツはこの辺りかも知れない。
中国のことは無視して、ひたすら日本としての価値観の追求「求道」に生きればいい。背中を向ければ向けるほど、評価してくれる。

決して、互恵関係などと関わろうとしてはいけない。後ろを向いていれば、勝手に良いように評価し、憧れをふくらませてくれるが、向き直って握手をしようと手を出したりすると、失望したと軽蔑され、民族の仇と狙われる。

互いに悪気は無くても、どんなに良い人でも、恋人と結婚すれば不幸になる。


天真爛漫

2013年04月19日 | 新鎖国論

日本人が劣化していると言われて久しい。
劣化とはどういうことを言うのだろう。精神やモラル、あるいは能力のことだろうが、これは人間が人間として生きていく上で欠かせない要素であり、集団としての日本人を考える場合も、おそらく同じことが言えるのだろう。

人間として生きると言うことは、鶏小屋のブロイラーのように、ただ生きていても人間とは言えない。
社会性をもち、生産活動をし、何らかの価値を生み出していなければ、人間とは言えないだろう。

日本人が劣化したとは、以前の日本人が人間として行っていた、価値の創造が希薄になったと言うことだろうし、ハッキリこれが、この行為がと、指摘することができなくても、なにをしようとしているのかよく見えなくなったと言うことだろう。

日本人という場合、おそらく、他とは違う特異性に対する誇りを含んでいる言葉だろうし、もし、そういうものがあるとすれば、島国の環境と鎖国政策の中で生まれた、自立採算への気概だろう。
世界と比べて明らかに違う環境で生まれた文化と意識は、自覚無自覚にかかわらず他とは異なるものだ。

その日本人は、150年にわたる異文化との交わりの中で、他流試合の不利と有利を経験したが、オリジナルの有利性は、世界的にも驚くべき成功を生み出した。

その反面、世界との交わりにより、無菌状態で過剰な吸収をしたことで病魔に冒され、それが日本人本来の姿を失い「近代病」の重症患者になったのかも知れない。。

企業国家日本
「近代病」とは産業革命パラダイムの病だ。大量生産大量消費を追求し、効率だけを求めるあまり、「遊び」を失い、金にならないことには無気力になった。
これを生んだのは、国家と学校と企業であり、その総合システムが成功と行き詰まりを生んだ。

企業が冒険をしないのは、企業は人間では無いからだ。人間は感情や情熱でワケの解らない行動を取るが、企業はムダや危険なことはしない。
日本人の生真面目さ、信仰心に篤い「ひたむき」さゆえに、産革パラダイムに一丸となって冒されているのが、現代日本人であり、これが劣化の正体だ。

本来の日本人、劣化していない日本人は、現代日本の落ちこぼれの中に生きており、オタクやサブカルチャーが、行き詰まった企業国家日本を救う芽となって大きく育ってきた。

遊び心、冒険心を持っているものこそ人間だ。そして、その天真爛漫を1500年の長きにわたり大きく育ててきたのが日本列島だ。


誠実バカ

2013年04月18日 | 日記・エッセイ・コラム

淡路島、宮城沖、三宅島と、地震が連続したので、マスコミが心配するのに対し、専門家は、プレートが違い、違うメカニズムで発生しているから、特別の心配は要らない。と、言っていた。
確かに学術的にはその通りだろう。社会不安を鎮めるためにあえて勇気を持って言ってもらっているのかも知れない。

しかし、学術、技術や、政治責任に拘ると、一番大切な「現実認識」が無視されてしまうことがある。知見を越えた目で見れば、「将棋崩し」の相互影響は子供さえ察知する。
専門家が、自分は「何のため」の専門であるかを忘れてしまうと、本末転倒になってしまう。
「手術は成功した。だが、患者は死んだ」

完璧に責任を果たすことより、トータルにベターな結果、最良の道に導くことが、あらゆる専門家の使命であるはずだ。
そういう意味で、社会的権威を帯びた専門家には、自分の「専門の立場を否定してでも最良の答えを出す」ことが難しくなる。

同じ事は、この反対の立場の占い師のようなものにも言える。
権威を帯びた学者のような存在は、その裏付けとなる「権威」を壊さないことに最大の関心がある。
逆に、社会的権威の無い占い師は、権威をつくらなければならないから、最終権威のように強く断言する。これがまた、世の人を惑わし、同時に信用を失わせることになる。

市民権のある専門家が、権威を捨ててでも、不確かな見識を吐露するところに真実性が存在するように、逆に、妄言タバカりと見られる類の者であっても、真摯な「可能性」を追求する中に、真実性が生まれてくるのではなかろうか。

早い話、バカと思われても、人のために何を言うべきか、それが使命というものだろう。


人質事件

2013年04月17日 | 日記・エッセイ・コラム

関心も無いし、よく解らない話だが、窃盗で警察に追われた男が同居の女を連れて逃げ、その女を殺すぞと警察を脅していたが、捕まった。
かなり、どうでもよい話だ。勝手にやってくれ、人騒がせな。

北朝鮮の大騒ぎも、これと全く同じだ。韓国を殺すぞ殺すぞと言いながら、要求を聞いて貰おうとしている。
犯罪を繰り返し、逮捕から逃れるため、説得されるのを良いことに、身内を人質にとって騒ぎまくる。迷惑この上ない。

韓国は被害者であって、同時に共犯だ。これまで関係国が何らかの動きをしようとするたびに、様々な「とりなし」をして、挙げ句の果ては資金提供し間接的に核開発に荷担してきた。それでいて被害を受ければ、世界中に泣きついて、しかも、それに口を出した国を片っ端から恨んでいる。

もう、本当に、うんざりだ。
そう、思っているのは、今や日米だけではない。簡単には立場を変えられない「大中華」中国様でさえ、「泣いて馬謖を斬」ろうと思い始めた。
と、言うか、中国は自分が直接、前に出る自信ができてきたのかも知れない。だとすれば、これはこれであまり喜べない話だが。


巳年の厄

2013年04月16日 | 星の流れに

ボストンマラソンで爆弾テロが起こった。
アメリカにとって、巳年は本当に色々起こる年で、これも序の口だ。
以前挙げた「アメリカ巳年年表」を、もう一度上げると

1905年 日露講話の仲介役
1917年 第一次大戦に参戦
1929年 大恐慌
1941年 真珠湾攻撃=日米開戦
1953年 朝鮮戦争休戦
1965年 ベトナム北爆開始
1977年 ニューヨーク大停電(1965年にも)
1989年 ベルリンの壁崩壊
2001年 9.11
2013年 ???

2013年の行に、1項目だけ上げるとすれば、今回のボストンテロでは小さいだろう。
しかし、この事件一つとっても、巳年現象は現れていると言えるし、規模は小さくても、歴史的に持つ意味は、意外に大きくなるかも知れない。

アメリカの巳年に災いが起きるのは、アメリカが双子座であり、巳年には木星が双子座にかかるからだ。木星がカニ座に移ってからも影響が出る。巳年は双子座周辺だ。

今回も、木星が双子座の最中で、月が双子座に重なった日に起こっている。同じ日には、朝鮮半島でアメリカの軍用ヘリが墜落し、イランでは大きな地震が起こった。火星と太陽も重なっている。

この一連の動きは、意外と、直接関係無さそうなところに影響するかも知れない。と言うのも、年表を見ていても解るように、アメリカにとっての大事件は、何れも他国と関係しているからだ。

双子座は、コミュニケーションの星座であり、ビジネスと戦略の星座でもある。アメリカは世界に影響を及ぼさずにはいられない。
実際もとより、アメリカは異国同士の接点として生まれてきた国であることを忘れてはならないだろう。

注:
巳年の災いと言うには少し語弊がある。勢い余って目だっての現象