魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日本埋没 1

2008年02月02日 | 日記・エッセイ・コラム

50歳近い渡辺謙が、玉砕を知らなかったことで驚いた。
昭和30年以前の日本と、日本人の感性を、ありのままに伝える義務があるような気がしてきた。

「昔が良かった」とは思わない。
ただ、近頃の日本文化ブームで肝心なことが忘れられ、外人観光客のように、思い込みで日本を美化することに、日本人として不安を感じる。

ありのままの日本人の感性。そこを誇りに思いたい。
日本人は農耕民であり、騎馬民族であり、南の海洋民族だ。

現代日本人が忘れている感性
日本人は「裸」を失礼とか恥ずかしいとは思わない。
日本人は「プライバシー」の意識を持たない。
日本人は「宝石」に関心がない。
日本人は「性」より「食」が神聖。
日本人は「子供」のために生きる。
日本人は「音」より「言葉」に注目する。

いくらでもあるが、思いつくままに話していきたい。


日本人は温帯で暮らしている。日本人の基本的な衣服は「褌と腰巻き」であり、これは南のモンゴリアンのほとんどすべてがそうしている。
北からきた西欧文化のマネをして、長袖やネクタイのような窮屈な格好を正装としているのは悲しく不合理なことだ。

古代の貫頭衣は下が抜け、今日の和服も下が抜け、前がはだけられる。
おそらく、日本は海洋文化の最北端になるだろう。
古代の衣装といえば埴輪スタイルの神武天皇や大国主命を思い浮かべるが、明らかに北方騎馬民族、渡来人の格好だ。
泥田に入ったり、丸木船に乗るには洗濯が大変だ。それに、暑くてやりきれない。
渡来人が途絶えて後、明治までの絵の中では、ほとんどの庶民が裸同然の姿をしている。支配層は格式をつけるために、無理に衣装を着ているが、南の島の腰巻や褌が失礼ではないように、日本でも裸は恥ずかしいことではなかった。
明治維新の西欧化によって、混浴や裸が禁じられ、西欧の「北のみだしなみ」が一般化したが、昭和30年頃までは庶民には江戸以前の感性が残っていた。

夕涼みよくぞ男に生まれけり
という句もあるように、男は褌一つで家前の床机で涼んでいた。
女も公衆の面前での赤ん坊への授乳は当然で、誇らしげであり、乳出しや腰巻き一つで洗濯をしたりしていた。
しかも誰も、これを見て劣情をもよおしたり、恥ずかしいとかケシカランとか思いもつかなかった。当たり前のことだからだ。
このことを言うと、昔の人の中には「そんなのは見たことがない」と言う人がいる。
つまり、自分は上層階級で、そういう下々の暮らしは知らないと言いたいわけだ。これは時代の証言者として非常に腹が立つ。
以前、江戸の再現というTV番組で、長屋の井戸端で、4~5人のかみさんが、腰巻きだけで洗濯や馬鹿話をしているシーンがあった。
この時代考証には感服した。ウケねらいもあったのだろうが、乳出しスタイルがない時代劇はウソものだ。

確かに存在した文化
昭和30年代まで、特に漁村などに行くと、暑い日には若いお嫁さんでも腰巻きだけで洗濯している姿を見かけた。
日本人は性器フェチだと言われている。それは、乳房がありふれたものであり、特別に興味をそそらなかったからだ。
やはり、昭和30年頃、「外人はとっさの時に胸を隠して下を隠さないらしい」と異文化について興味津々でよく書かれていた。
おそらく、今の若い日本女性も外人感覚ではなかろうか。

先日、貴重な映像を運良く録画した。
NHK教育「10mini」の「川を見る」で、昭和22年のカスリン台風で氾濫した川を呆然と見ている人々の映像の中に、若いお母さんが上半身裸で赤ん坊を抱いている。隣の女の人はちゃんとワンピースを着ている。着るものがないわけではないが、誰も不思議には思っていない。
今の女の人が台風でずぶ濡れになっても決して上半身裸にはならないだろう。たとえ70歳でも。  

昔の日本について、解ってもらおうといくら力説しても、わざと極端なことを言っているとしか思われない。
もちろん、昔でも普段、腰巻き一つで写真や映画に写されることはないし、仮にあったとしても放映されるようなことも滅多にない。だから極めて貴重なショットだが、これを指摘したことで、良い子チャンぶるNHKがカットしてしまうことを恐れる。
ミスかも知れない放映だが、歴史はありのままに伝えるものであり、流石NHKと讃えたい。
著作権もあるからここには上げないが、もしNHKがカットしたら上げなければならないだろう。

「おまえは何を言いたいのだ」と言われるかも知れない。
ハワイの乳出しフラダンスや、サーフィンは、西欧の宣教師によって抹殺された。日本では明治政府の西欧化で、混浴や裸の文化が押しつぶされ、洋館でナイフとフォークで食事することが上等とされた。
食卓で刃物を振り回す野蛮を考えたことはあるだろうか。しかも実は、近代まで、彼らの基本は手づかみだった。
洗脳の結果、温暖化で亜熱帯になろうとする日本で、いまだにネクタイ・長袖スーツを捨てがたく、その上、エアコンを使っている。

西欧でもギリシャローマなど、温暖の海洋文明が盛んな頃には裸が悪いことではなかった。北の野蛮人によって厚着に征服されたのだ。
逆の話しをしよう
日本の仏教で、僧衣の上に袈裟をかける。袈裟はもともと、暑いインドの衣服を形だけまねたものだ。
インドの必然的なデザインも、寒い国では象徴になったように、今、南国には半袖・短パンに蝶ネクタイの役人がいる。
袈裟は宗教儀礼化して形が残ったが、温暖化の世界のなかで長袖スーツネやクタイを残すのは西欧文明の宗教化だ。
褌で国際会議をしろと言っているわけではない。
衣服や暮らし向きは、環境に従うべきであって、力の支配や洗脳による「礼儀」に従う理由はない。温暖化も進んでいる。