魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

星座関係

2013年10月31日 | 占いばなし

昨日の「帝国の夢」では、感情行動の話しが長くなってしまったので、とりあえず段落をつけたが、本来の目的は、星座別の関係についての話しだった。

風の星座、日米露はその気になれば上手くやれる。しかし、言うまでもなく、この三国は死にものぐるいの戦争をした。
日露戦争、日米戦争、50年にわたる米ソ冷戦。
面白いことに、いずれも、隣り合った国同士が、直接、国境を争ったわけではない。

日米戦争は、キリスト教国と皇国の、正義の戦であり、米ソ冷戦は自由主義と共産主義の対立だ。

また一見、植民地主義二カ国の対決に見える日露戦争は、帝国主義時代の世界勢力の最終的な大衝突が、日本を利用して行われたと見るべきで、同盟や条約を巡る高度な、理の駆け引きが実体としてあったことは見逃せない。しかも、その終結にも、アメリカが協力している。

三国の戦争はやはり、理の世界の衝突だった。これに比べ、例えば、因縁の英独仏は、火の星座同士の争いで、国境や王権の面子、利害で争われてきた。理ではなく、棋士道に表されるような、高揚感による戦争であり、いわばサッカーの、フーリガン戦争だ。

地の星座である、インドやイスラエルの話しは、またにするとして、
水の星座の戦争は、支配や同化のための戦争であり、引き分けでは決着しない。

同床異夢
火地風水、各々同質の国同士の争いは、異なる気質・原理の国から見れば、違う理由での争いと理解される。
中韓から見れば、日米戦争は支配権の争いとみるから、アメリカが日本を同化したと思っている。だから、今日の日米の良好な関係が、互いに認め合っているからだとは理解できない。

もちろん、日本は実際にアメリカ支配の下にあり、アメリカナイズも甚だしいが、文化経済では互いに尊重しており、戦争をして冊封国になったのではなく、喧嘩をして本当の友達になったと言うべきだろう。アメリカは元々合衆国であり、もし、冊封国にしたいのなら、今ごろは日本州になっている。(実際、そんな働きをしているのだが)

アメリカの占領政策で、日本が最も成功したのは、風の星座同士だったからだ。一言で言えば、言葉が通じたのだ。
基本的に次元の同じ風の星座同士は、その気になれば話が通じるから、多少クセのある、水瓶座のロシアとも、その気になれば極めて良好な関係が可能だ。

しかし、次元の違う星座とは、どんなに上手く行っていても、それは誤解に基づいている。
中国が好きな「互恵関係」は、日米露は共存共栄による融和と理解するが、中韓のようなタテ思考の国にとっては、一時的なバランス関係としか考えず、力が強くなった方が、いずれ「支配」する関係になることを意味している。当然、中国は、米中関係はこれまでアメリカに支配されてきたと考えている。

星座で見る国関係
十二星座は、一つの星座を中心に考える場合、他の星座は各々十二室として、定まった意味を持つ。これは個人でも国でも同じだ。
以下、それぞれの関係を並べてみると面白いし、意外なことにも気づくだろう。
各室の意味は、とりあえず象徴語だけを挙げたが、実際はもっと幅広く、奥深い意味を持つ。それを解って考えると、さらに面白い。

天秤座の日本にとって
双子座のアメリカは、9室の憧れ
水瓶座のロシアは、5室の恋人
カニ座の中国は、10室の父親
オヒツジ座の英独仏は、7室の結婚相手
サソリ座の朝鮮は、2室の利権、資金源

双子座のアメリカにとって
天秤座の日本は、5室の恋人
水瓶座のロシアは、9室の憧れ
カニ座の中国は、2室の利権、資金源
オヒツジ座の英独仏は、11室の友達社交
サソリ座の朝鮮は、6室の病院、職場

水瓶座のロシアにとって
天秤座の日本は、9室の憧れ
双子座のアメリカは、5室の恋人
カニ座の中国は、6室の病院、職場
オヒツジ座の英独仏は、3室のご近所、兄弟
サソリ座の朝鮮は、10室の父親

カニ座の中国にとって
天秤座の日本は、4室の母親
双子座のアメリカは、12室の悩みの種
水瓶座のロシアは、8室の相続、前世
オヒツジ座の英独仏は、10室の父親
サソリ座の朝鮮は、5室の恋人

オヒツジ座の英独仏にとって
天秤座の日本は、7室の結婚相手
双子座のアメリカは、3室のご近所、兄弟
水瓶座のロシアは、11室の友達社交
カニ座の中国は、4室の母親
サソリ座の朝鮮は、8室の相続、前世

サソリ座の朝鮮にとって
天秤座の日本は、12室の悩みの種
双子座のアメリカは、8室の相続、前世
水瓶座のロシアは、4室の母親
カニ座の中国は、9室の憧れ
オヒツジ座の英独仏は、6室の病院、職場

→「火地風水


帝国の夢

2013年10月30日 | 占いばなし

日中が上手くやってくれないので、アメリカも困っている。
それぞれの立場や思いは、星座関係で考えれば、ある程度は理解できるし、今後の指針にもなるだろう。(誰も聞いてはくれないが)

国別の星座は
日本は天秤座、米国は双子座、ロシアは水瓶座、中国はカニ座。
日米露は風の星座で、その気になれば上手く行く関係だが、水の星座の中国は、かなり次元の違う国だ。水の仲間はサソリ座の朝鮮半島や東南アジア、ギリシャ地中海地域、イタリアなどもそうだ。

風の星座は理性を表し、水の星座は感情を表す。
感情と理性はかみ合わない。通じる言葉が違う。しかし、だからと言って、上手く行かないわけではない。

感情人間と理性人間が平和的に暮らすには、理性人間が折れる必要がある。さもなければ、感情人間を騙すしかない。

感情の世界
感情人間の、どんな素晴らしい言葉も、動機には感情が働いている。
だから、論理の整合性を幾ら論じても解決しない。先ずは、動機を理解し、その「気が済む」方法が何かを考えなければならない。

理性人間は、論理が合うことばかりを考え、気持ちを理解しない。
子供が買ってくれとダダをこねている時、根負けして買ってやろうとすると、「もう要らない!」と言うことがある。
これは、「欲しい」という感情から、買ってくれないことへの「怒り」の感情に転化しているからだ。

合理性で考えれば、欲しいものが手に入るのだから、何が問題なのかと思うが、感情に論理は無い。
感情は論理のように多元的ではない。感情は感覚に近い。
痛いのが気持ち良くなることはあっても、痛いと気持ち良いは、並べて比較できるようなものではない。

欲望が怒りに変わると、欲望は薄まる。常に一元的な感情に対処するには、別の感情に転化させることだ。

怒りは、自分の世界が傷つけられたことで起こる。加害者を抹殺しなければ自分の世界の安全が保証されない思いから、怒りは、排他的、敵対的な感情を含み、攻撃的になる。これが「仕返し」の原理だ。

だから、買ってくれなかった人間を抹殺しなければならないと思う。
今さら、「買ってやる」と言っても、一度、買ってやらないと、自分の世界を傷つけた人間は消さなければならない。その感情に囚われると、相手の意思も否定するために、「もう要らない」と言う。
欲しいのに、買ってくれる人なのに、その人間を否定する。

こうした、感情人間に、説いて聞かせることは不可能だ。今の感情を別の感情に転化させるしかない。これには一時的な喜びを与えることを続けるか、喜ばせながら洗脳(教育)するしかない。

理性の世界
風の星座の国は、論理による統治(法治)をしようとするが、水の星座の国は感情による統治(人治)だ。

ロシアのように強引で図々しい国が、理性の風の国とは思えないが、水の星座の国のように感情論では動かない。意外に論理的な計算で動いている。日ソ中立条約破棄も、一応、筋を通したわけで、解釈論で揉めること自体、理の世界にいる。

ちなみに、独仏英は火の星座で、事を起こすことや、創業、リーダーシップのために行動する。情でも理でもなく、熱気や意思だ。
この人達と付き合うには、意気に感じること、正義を貫く個の姿勢だ。

男性星座の風と火は未来志向が可能だが、水の星座は実感に頼る刹那思考だから、存在しない未来より、前例に従う過去思考になる。
刹那思考は、火の星座も同じだが、快感を求める水の星座に対し、高揚感を求める火の星座は未来に向かう。

風の星座と地の星座は、過去も未来も同じだ。あえて言えば現在思考だ。快感や高揚感のような、感覚から発想しない。ただ、あるがまま、風は理に従い、地は物に従う。

理性には強い意志がない。一方、感情は不測の行動を誘発する。理性は感情による発言を前にすると、それを理解しようとするが、感情は自分と同次元で同調するものしか受け入れない。世界は思いで生まれるものだと信じている。

中韓の過去思考は水の星座
自分達の思い込みの世界を破壊した欧米に仕返しをしたい。その前に、自分達より下等な野蛮人と信じていた日本人が、東洋の秩序を破ったことは許せない。

昔、ある田舎で、村八分に遭い、都会に出て成功した人のことを、村の人間は、「都落ちした」と、バカにしていた。これは実話だが、東洋の秩序観そのものであり、それが日本の原点でもあるということだ。

多様性を知らず、一元的な発想しか出来ない感情論は、他者を上か下と捉え、極めて差別的な発想をする。そしてその差別を乗り越えるのが、高いところから低いところへ施す慈愛と考えるが、これは対等な愛ではない。

しかし、仏教、ことに大乗の華厳経では、全ての世界に仏が存在する。原始仏教でも釈迦は、自分は教祖ではないと言った。つまり、仏教は中華的な儒教秩序とは違う世界の、多元的で相対的な思想であり、上下秩序の中国を経て日本に来たことで相当、変なものになっていると考えるべきだろう。朝鮮などでは護国仏教、戦いの宗教と捉えられた。

感情を原点とする一元的な中華世界の秩序観だからこそ、
中韓は面子やら、待遇の格式にこだわり、上から会ってやるとか、下が会ってもらったとかを、政治外交の重大事と考える。

こういう価値観は、理性思考が苦手とするところだ。多様性の論理に従い、上下をつけない立場では、とりあえず「尊重」してみせるしかない。
欧米は、日本こそがその象徴のような国だと思いこんでいる。
オバマ大統領の天皇への最敬礼は、とりあえず「尊重」しなければと思ったからだろうが、よく解らないから、度の過ぎる最敬礼になった。

ところが、中国の江沢民も習近平も、日本の天皇に対しては極めて横柄な態度だった。中華皇帝を意識して、日本なんぞに頭を下げられるかの意識があるのだろう。
ここでも、過去に囚われて、自分の方が上だの意識が出るのだろう。北京オリンピックでも、さんざん「古代」中華帝国を自慢していた。

しかし、残念ながら、今は21世紀だ。中国が思うほど欧米は偉くなく、日本は倭の五王や卑弥呼の国でもない。
未来は理性によってもたらされる。帝国の夢を見る限り、日本や欧米に倍返しをしてやろうと思う限り、足下から崩れさるだろう。


舌鼓の音

2013年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、何かのコラムで「持って回った」言い方は、何も考えないで書いている証拠だ、のようなことが書いてあった。
主に警察提供の情報についての批判で、
「犯人は丼をぺろりと平らげた」(まだ、容疑者とは呼んでいなかった時代)などの表現を挙げていたのが印象に残っている。

近頃どうも、「舌鼓をうつ」という表現が気になって仕方がない。
これを書いた人は、絶対に、現場を見ていない。持って回った言い方を貼り付けているだけだ。

「舌鼓をうつ」のは、単なる誇張表現ではない。昔の日本人は、本当に舌鼓を打っていた。
今どきの日本のマナーは、完全に欧米化されて、音を立てながら食べる人などいなくなったが、昔はクチャクチャと音を立てながら食べていた。その名残が、ズルズル音をさせながら麺類を食べる習慣だ。

今でも八重歯が可愛いと思われるように、昔の日本人は歯並びが悪く、出っ歯が普通で、物を食べる時に音が出たから、音を立てて食べることが、むしろ、美味しい証拠と考えられるようになったのだろう。

しかもそれは、そんなに昔のことではなく、やはり、昭和30年代まで普通に見られた光景だ。

友人の夫婦が若い頃。旦那が、わざと大口を開けて、クチャクチャと大きな音を立てながら、
「これはうまいって言うのよ、もう」と、上さんがぼやいていたことがあった。

もともと、かなり芝居がかった友人ではあったが、結構、育ちは良かったので、世間でそういう光景を見て、「ワイルドだなあ」と感動したのではあるまいか。

以前、「探偵ナイトスクープ」だったと思うが、マグロ好きの猫に、マグロをやると、「美味い美味い」と言う、との飼い主情報で、
マグロを食べる猫に、飼い主が「××ちゃん、美味い?」と聞くと、
「fumai、fumai、fumai・・・」と呻きながら食べるので、笑った。

欧米と東洋では、食べる物も食べ方も違う。それを欧米式の食べ方で食べるようになったことで、現代日本人は文明化したと思っているが、果たしてそうだろうか。

米飯中心の東洋で、日本のように納豆や、魚を好んで食べる食習慣では、遠慮無く、クチャクチャ言わせて食べる方が、本当は自然で美味しいのではあるまいか。

昔の日本人は、美味い物を夢中になって食べる時には、大きな音で、本当に「舌鼓」を打っていた。
だが、今の日本人に、「舌鼓を打て」と言っても、どういうことなのか解らないし、手本を見たとしてもマネできないだろう。たとえ、無理してマネしても、意識しすぎて美味しくないはずだ。

「舌鼓を打つ」は過去の描写の名残であって、現在は実在しない。
にもかかわらず、平気でそういう表現を使うライターやレポーターには、一度、実際に食べながら、舌鼓を聞かせてもらいたいものだ。


赤ちゃん

2013年10月26日 | 占いばなし

今度は米チームが発表した。オヒツジ座時代の発毛ラッシュだ。
昨年からの日本チームの成果に続き、米国コロンビア大学チームは「毛乳頭」細胞を培養する簡単な方法で、同じような成果を出した。

世界中が先を争っているが、これが成功しても、せいぜい、イグノーベル賞ぐらいだが、どのノーベル賞より儲かるだろう。

毛髪が欲しい人の努力は、涙ぐましい。かなり昔の海外ニュースで、牛の唾液に発毛効果があると信じる光輝な人々が、牛小屋の前に並んで、牛に頭をなめて貰っていた。
なめて貰うために頭に何かをべったり塗っているのだが、それが何だったかは憶えていない。

頭髪へのこだわりは、帽子と同じ保護願望だ。
日射や寒気、落下物からの保護など、実用に根ざしている。
実際、毛が無いと、直射日光の下で脳が熱せられ、ボーッとなる。
冬の寒さには、頭がカキーンとして、全身が一気に寒くなる。夜は頭が冷えて寝られない。頭髪は、確かに役に立つ。

丸刈りや剃髪は、捨て身の姿だ。
仏教の剃髪が何で始まったのかは分からないが、清潔、布教のインパクトなど、様々な説があるとしても、身を捨てて「帰依」する決意の姿には違いない。
だから、仏教国の旧日本軍や運動部には、「滅私」の丸刈りが強要されるのだろう。

ところが、封建社会は、女の黒髪やブルカ、ベール、スカーフなどのかぶり物を要求するし、男も、日本の烏帽子のようなものから、世界的にも様々な冠や帽子がある。

頭髪も、帽子も、保護はやがて束縛になる。これは、保護が母性であり、母性がやがて束縛になるのと同じことだ。
そのせいか、帽子好きは、カニ座かその裏の山羊座に多い。

面白いことに、軍隊や、刑務所のように、強制的に自由を奪われる象徴の丸刈りだが、逆に、自ら進んでやれば、むしろ自由の象徴になる。
これは、「かぶり物」を要求する封建社会を否定するからだ。
つまり、自由を奪うための丸刈りは、単に、封建社会の市民権の剥奪に過ぎない。
猿が、尻尾の無い人間をバカにするようなものだ。

「かぶり物」の積極的否定は、自由の象徴になる。
フランス革命後の女性のショートカットも、束縛と保護からの自由を表したものとして有名だ。
そうすると逆に、ビートルズに始まった長髪は封建復古だったのだろうか。

これは、また別の意味で、封建も近現代も含め、社会そのものの否定の象徴だったわけで、あえて言えば原始回帰の象徴だ。

髪にこだわるのが、保護願望であることを、何となくみんな解っているから、バーコードや、ズラがバカにされる。いいオヤジが保護を求めている姿が、「おしゃぶり」をくわえた赤ちゃんを感じさせるからだ。

頭部や頭髪を意味するオヒツジ座は、生まれたての赤ちゃんも意味する。


包丁一本

2013年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

ある人から聞いた話で、昔のことでもあるし、子細は定かではない。
昭和30年代。名門のTホテルのレストランで食事をしていると、横で、「コック長を呼んでこい」という声が聞こえ、しばらくするとコック長が現れた。(この当時はシェフとは呼ばなかった)

50歳ぐらいの客が、いきなり、
「これは何んや? これがそうか、」
そう言いながら、食べかけたステーキを裏返す。コック長の声は聞こえないが、客は強い語気ながら淡々と、
「天下のTホテルが、こんなもん出して、恥ずかしゅう無いんか?」
「出すのも勝手なら、食べる食べんも、ワシの勝手や」
そう言って、支払いを済ませて帰ってしまった。

当時は、「♪包丁一本サラシに巻いて旅に出るのも板場の修行」という歌が大ヒットした頃だ。
今のように、素人にノウハウ解説をするようなグルメ本ではなく、伝統的な職人という玄人の生き様が、歌や小説になった時代だ。

件のTホテルの客は、通なのかプロなのかは分からないが、単なるクレーマーではないだろう。
関西弁で話しているところを見ると、わざわざ東京に食べに来たと思われるから、やはり、プロだろうか。

いかに、客とは言え、コック長はぐうの音も出なかったようで、プロ同士だったからこそ成立した会話だろう。
素人が、玄人や通の様なつもりになって料理批評をする今とは違い、プロはプロとしての気概を持ち、素人はそれを崇め支えていた。

昔は武術にも、道場破りというものがあったが、そういうことが普通だった最後の時代かも知れない。

余談だが、江戸の空気が残ると言えば、確か、映画監督の岡本喜八が、子供の頃、仇討ちを見たそうで、返り討ちにあい、仇の老人は殺人で逮捕されたそうだ。昭和初期だから、明治維新から70年近い。
ちょうど、終戦から今と同じぐらいの時間だ。

「恥ずかしくないのか」という一言が、「土下座しろ」よりも遥かに、胸に刺さる時代だった。しかも、それ以上の誹謗や貶めをするでもなく、立ち去っている。日本人の魂が、微かに残っていた時代だ。

誠に申し訳ありませんでした
阪急阪神ホテルが、メニュー表示とは異なる料理を出していたと発表し、謝罪した。
食事した客には、希望すれば払戻をすると言ったところ、払戻を要求する電話が殺到し、電話が繋がらない状態になり、批難、抗議の電話も殺到した。

自分は関係ないのに掛けてくる輩は論外だが、自分は何も気づかないで食べておきながら、実は違っていたと言われれば、ここぞとばかりに権利主張をして騒ぎ立てる。
まがい物を承知で出すのは、もちろんケシカランのではあるが、自ら非を認めている者に食らいつく。

気づかず食べて納得した自分は、恥ずかしくはないのだろうか。
日本人は何時からこんなに、恥知らずで浅ましくなったのだろう。
日本の職人魂や武士道は、もはや言葉だけの世界になった。


予定通り

2013年10月22日 | 星の流れに

案の定、中国は経済対策を打ち、成長率は微増した。過剰生産を押さえ経済の引き締めも始めた。日本との関係改善にも動きが見える反面、報道規制を強化し、日本悪人説の洗脳も強化している。
一方、韓国も韓国買いが始まったと好調を宣伝している。
いずれも、予定通りの木星カニ座現象だ。

この先行きを暗示しているのが、その前に木星のいた双子座アメリカであり、今、まさに去年の反動の最中だ。
大統領とアメリカの権威は内外で失墜し、議会は国民の支持を失い、経済もオタオタしている。

2014年、前半は、中国の家庭の事情を表す第4室・天秤座に火星が居座り、それが出て行く7月、同じく木星もカニ座から抜ける。

木星が抜ければ、今のアメリカのような混乱が起きるが同時に、火星がサソリ座の朝鮮半島を通過し、中国にとっては、一瞬、思わぬ活力要因になる。ここは予言コーナーでは無いから、それが何であるかは言及しないが、状況を見ていれば簡単に想像できるだろう。

日本は、去年から木星の吉作用が働いていたが、カニ座に入ってから、今は、吉凶、ビミョーな具合だ。10室に木星が来ると、評判は上がるが、そのための出費が嵩み消耗する。
周囲が勝手に期待して、その期待に応えようと無理をすれば、アブハチ取らずになりやすい時だ。

オリンピック、TPP、南シナ海問題を始め、実力に伴わない期待をされ、引く手あまたになるが、どれにも応えようとすれば自滅しかねない。さらに、火星が天秤座に入ると加速し、止められなくなる。

危険を避けるためには、出来ないことを今から、ハッキリさせておくことだが、良い子になりたい日本には、そんな冷徹になる度胸はないだろう。天秤座はお体裁屋で、無い袖を振る。それが今日の中韓との関係も招いている。

→「祈るのみ


小都小都 3

2013年10月21日 | 小都小都

かりそめ

部活の帰りは、いつもの坂道を、自転車を押しながら登る。立ち漕ぎする気力もない。うっかりすると、自転車のサドルにすがり付いて寝そうになる。
どうにか坂の上まで登り切ると、町の家並みが一面に広がる。
これが見えると、もう帰ったような気がして、ホッとする。
後は、自転車にまたがれば、ほとんど漕がないで家に直行する。

学校から家まで2kmぐらいの、ちょうど真ん中が、この坂の上だ。
朝の登校は焦っているから立ち漕ぎで登るが、帰りの時間制限はない。友達とも別れた後だから、のんびり登る。

冬は、横殴りの北風で、坂の上が最高に寒い。でも、夏場の朝夕は涼しいから気持ちいい。坂の頂上の夕陽を、追うようにして登っていく。
登り切ると、まだ沈まない夕陽が空を焦がし始め、町が紅く染まる。

ある時、テレビドラマのシーンで、あの坂にそっくりの坂道が映っていた。
「あれっ、あそこでロケしたのかな」と思って見ていると、車で登り切った坂の向こうには、松林の合間に海が広がっていた。

「なんだ、ンなわけないよな・・・」と、少しガッカリした。撮影に来たような話も聞いたことがない。

10月に入ると、同じ時間でも、坂の上に夕陽は待っていない。
時には茜の雲が映ることもあるが、今日も、薄墨の幕のような空に向かって登って行く。

登り切ると、坂の上で呆然としてしまった。
あるはずの町並みは無く、松林の向こうに暗い海が広がり、浜風が吹いてくる。振り返ると、今来た道は、いつものままで何も変わりない。しかし、前の下り坂は海沿いの道だ。

もう一度、引き返せば、同じ景色に戻れるような気がするが、何の保証もない。
「行かなくちゃ」なぜか、自然にそう思った。
自転車にまたがると、大きくカーブした下り坂を、滑るように降りていく。海岸は意外に低く、走っても走っても、海が遥か下に見える。
しばらく行くと、避暑地のような家並みが見えてきた。

近くに行くと、何か当たり前のように、我が家があった。
「ただいまー」と、声を掛けると、奥から妹が
「お兄ちゃん、ちょっと、ちょっと、早く来なよ」と言う。
「何だよ、疲れてるんだよ」そう言いながら、居間に行くと、
「シフォンケーキ食べる? 私が焼いたんだよ」と、一丁前に紅茶を入れている。

朝、起きると、また寝過ぎてしまった。慌てて飛び出すと海沿いの道を立ち漕ぎしながら登っていく。
何か、こうしていることが、間違っているような気もするが、何も問題はない。自分は、本当は違う町の人間なんだ。そう思うことの方が間違いなのかも知れない。家族もいつも通りで、何も変わりない。

学校に行くと、いつものように授業が始まり、隣の広田は相変わらず居眠りを始めた。英語のクマモンは巨体をゆすりながら、「ここ大事だよー」と目を丸くする。

今日の自分が、海から来たのか町から来たのか、そんなことは大したことじゃない。帰りの坂の向こうが田園だったとしても、きっと我が家はあるだろう。
自分の帰っていく先が変わったのか、自分が変わったのか。
我が家にいるのが自分なのか、自分がいるのが我が家なのか。
それはどちらも同じことのようで、同じじゃない。

どちらかが間違っているはずなのに、誰も当たり前の顔をしている。
自分は、本当の自分じゃないんだ、そう思いながら、今日もまた坂を登っていく。


小都小都 2

2013年10月19日 | 小都小都

大学に入学したばかりの、1989年の初夏だった。
春、入学前に死んだお爺ちゃんの遺品に「ポピュラー・スタンダード」のカセットが有ったので、持ってきた。10本セットの中には、聞いたことのあるようなタイトルもあるが、ほとんど知らない曲ばかりで、面白そうだった。

入ったばかりのアパートは、古い鉄骨三階建ながら、2部屋もある角部屋で、流行りの学生用ワンルームマンションより安かった。
玄関は通路に面したドア一枚のフローリングDKで、その横がユニットバスだ。ここだけ妙に新しいから、改装したのだろう。奥は6畳になっている。

夜、早速、ラジカセにテープを入れて聞いてみた、調子の良い曲が響き渡る。タイトルを見ると「A列車で行こう」だ。
鳴らしながら、歯ブラシをくわえユニットバスで小便をしていると、次の「ムーンライトセレナーデ」が始まったところで、

「すみませ~ん」
と、遠慮がちな女の人の声が外で聞こえた。
慌てて、
「はーい、すぐ行きます」と、返事をし、チャックを上げ、口をゆすいでバスから出ると、ラジカセの前に女の人が立っている。

小柄な丸顔で髪を後ろに束ね、黒のブラウス、白のミニスカートで
「あのー、音をを小さくして貰えませんか」
しまった、窓を開けっ放しにしていた。バスで聞こえなかったから、入って来ちゃったんだな。
「あ、すみません。うるさかったですか」
「いえ、音楽より、カセットのガチャッ、て音が気になって・・・」
そう言いながら、苛立ったように、ラジカセのコードを抜いた。

確かに無神経だったけど、コードを抜くことはないだろうと、少しムッとしたが、目が神経質で、アブナそうな人なので、逆らわずに、
「お隣ですか、今度から気をつけます。よろしくお願いします」と言いながら、窓を閉めに行った。奥も締めて帰ってくると、もう帰っていた。

何か、スゴイ勝手な人だ。あんなのが隣だと、今後が思いやられるよと、玄関のドアを閉めに行くと、もう鍵がかかっている。
『あれっ、何時締めたっけ?』
よほど、緊張していたのか、閉めたことまで忘れてしまっていた。

翌日、隣の様子も知りたかったので、引っ越しの挨拶かたがた、ドーナッツを持って隣に行った。チャイムを鳴らすと、眠むたそうな学生風の男の人が出てきた。『なんだ、同棲しているんだ』と、思いながら、
「昨日は、すみませんでした」と言うと、
「え、どうかしましたか?」と怪訝そうな顔をする。
聞くと独り暮らしだと言うから、挨拶としてドーナッツを置いてきた。

ワケが解らないまま、それでも一応気をつけて、窓を閉め切りボリュームを落とし、法学のテキストを読みながら、カセットの続きを聴いていた。
1本目が終わったので、2本目に入替えると、「シングシングシング」が流れ始めた

その時、後ろから声がした

「すみませーん、わたし、言いましたよね・・・」


富栄漏物

2013年10月18日 | 占いばなし

一時、フェロモン女優とか、フェロモンがやたら流行った。
騒がれている女優を見ても、何も感じないので、テレビや写真ではフェロモンが飛んで来ないのかな、取材する記者はフェロモンを浴びているのかなと、嘲笑気味に見ていた。

元々、世間とは好みがずれているようで、いわゆるスターにも、学校で話題になるマドンナにも、全く何も魅力を感じなかった。だから、騒いでいる意味が解らず、話を合わせるのに苦労した。

強いて魅力を感じる女優と言えば、木暮実千代や淡島千景のようないわゆる熟女で、それも、おそらく、役柄から来る、話して面白そうな人格に惹かれているので、肉体的な魅力というわけではなかった。
健全な青少年ではなかったようだ。

人間の男女が惹かれるメカニズムは複雑だ。昆虫のように催淫刺激にストレートに惹かれる生理も、どこかに残っているのだろうが、高等動物になるにつれ、DNAを確実に残すための、様々な選択判断をするようになった。

生殖能力、養育能力、保護能力などの、個体の資質能力から、人間のように社会的な動物になると、社会的能力も判断材料になる。
すると今度は、実力より、実力を装う能力を駆使する個体も現れる。

動物能力を偽る、化粧や整形などはまだ素朴だが、社会的地位や財産をアピールする詐欺手法として、物や接待サービスをする。
借金してまで物をプレゼントしたり、さも地位が高いように見栄を張って接待したり、どこかの御曹司や令嬢だと見せかけたりする。

また、言葉を持つ人類ならではの、おだてや笑い、夢や同情で錯覚させる手もある。しかし、この手の錯覚口説きは、たまたま人間だから言葉を使うが、鳥などでも鳴き声や踊りで錯覚させたりするようだから、案外、最も原始的な口説き方なのかも知れない。
同様に、音楽や酒に酔わせるのも、その一つだろう。

★以下、面白くない話しかも

相性とモテ期

話が脱線したが、フェロモンや香水のような物理的催淫ではなく、何かよく解らないが、占いでも催淫能力のある人が存在するようだ。
惹かれ合うのは、占いで言えば「相性」の一言で終わってしまう。

魅力の発揮は、元来魅力のある人はもとより、いわゆる「モテ期」にハマれば、大なり小なり誰でもモテる。
占星術で言えば、金星の影響が強い人は愛らしく、火星や冥王星の強い人はセクシーだ。海王星の強い人はミステリアスな魅力がある。
初めからそういう配置で生まれた人は魅力的であり、そうでない人でも、人生上、そうした星が巡ってくれば、「モテ期」となる。

スターに惹かれるのは、社会的な「思い込み」だが、いわゆる一目惚れは相性だ。ほとんどの場合、悪相性で、それだけ普通ではない違和感や、インパクトがあるということだろう。

しかし、インパクトは無いが、接しているうちに、どうにも惹かれてしまう人というものが有って、これが相性なのか、独特の魅力なのかとなるとムズカしい。

美人の星」でも話したが、その文化が求める魅力に一体化している人には、自然に魅力を感じる。これがいわゆる美人で、酷似した顔立ちでも魅力的な人と、そうでない人がいる。
何かの輝きがあるが、オーラとは同じものではない。オーラは、見る側の思い込みの要素もあるからだ。

この「美人」とは別に、目の前に居ると思わず手を出したくなる人がいる。よく、取調中の警官が「やってしまう」ことがあるが、あれなどもこういう要素が働いていると考えられる。どんなスケベな警官でも、そう誰にでも衝動が起きるわけではないだろう。

取り調べという自分が優位の立場で、周りに人が居ないような時には、この催淫力に負けるのだろう、思わず「チョットだけよ」な気分になってしまう。

相性か個性か
で、ここからが問題なのだが、これは警官と被害者の相性なのか、この女性特有の誰にでも発揮している催淫力なのか。社会的制約が無ければ、誰でも「即、行きたい」と思う女性なのか。

ここは常識的に考えれば、やはりタイプ、相性だろう。
美味しそうなケーキが置いて有っても、誰でもが食べたいわけではない。甘い物が嫌いな人もいる。

こういう衝動は、男性だけのように思われるが、実際には女性にもある。一般に女性は、知らない人に対しては、スターのような、洗脳や思い入れで惹かれることが多いが、街で通りすがりの全く見ず知らずの男性に、衝動を覚える人もいる。(男性型の人かも、手に血管が浮くような人に多い)

こうした衝動を引き起こすのは、フェロモンだろうか?
それを否定することはできないとしても、占い的には、催淫脳とでも言うべき能力だろう。
ファッションや、態度に表れる、その人の脳の働きであり、それは、先天的であったり時期的であったりする。

これは、その魅力を発散している人自身の発情期のようなもので、発情しているから異性は惹かれてしまう。本人は全く無自覚だから、なんでこんなにモテるんだろう、ぐらいにしか思わない。

同じ発情期でも、ストレートな人と、複雑で鈍い人とは、出方が相当違う。つまり、よくモテる人は、その人自身がストレートで衝動的な人であり、そうでない人が、モテ期に入ると、何かヘンな魅力が出て来る。

ストレートな人とは、自動車人間で言えば、エンジンタイプであり、五行で言えばホルモンを表す火(丙丁)が影響している人だ。
ただし、これは一般論であって、やはり、何よりも相性が大きい。
相性にも様々なパターンがあるから、一概に言えないのだが、主に、自分の「次」に惹かれる。自動車人間で言えば、「いい友」の「A関係」だ。

占星術の場合は、何と言っても火星と金星の関係で、それに月が絡む。


梵天丸も

2013年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

極端な高齢化が進む老人大国日本は、福祉医療費がかさみ大変なことだと言われている。
どんな将来予想もそうだが、「もし、このままなら」という前提が抜けている。

若い人の重荷になる。「もし、このままなら」本当に年寄りとしては居たたまれないし、若い人には申し訳ない。何よりも国が潰れてしまう。
団塊世代が高齢者になり、もう、一刻も猶予できない。

近年、老人のスポーツ挑戦が流行で、年々記録が向上しているのだそうだ。老け込まないで、目標を立ててスポーツをした方が良いとのことだった・・・何かおかしい。

それだけヒマで元気な人がいるのなら、何とか労働力として活用できないのだろうか。老人は、一方的に面倒を見てもらい遊んで暮らすものと、決めつけた上で、「生きがいをつくりましょう」???

確かに、老人が働くには、若い人のように、キッチリ従事することは不可能だ。仕事の概念から言えば、遊んでいるようなことしか出来ないだろう。体力気力が続かない。
しかし、チョコチョコお手伝い程度のことはできる。この前は、71歳の交通指導員が、小学生を襲った暴漢と戦っていた。

仕事をしながら体力強化になるような、高齢者向きの仕事の創出も必要だろう。高砂人形の翁媼も、ホウキと熊手を持っている。公共設備の掃除やメンテナンスなどを始め、地域の世話も高齢者が仕事としてやれば良い。

また、身体は動かなくても、長い経験から、様々な方面での相談役もできる。頑張っている若い人のサポーターとしての、励ましや助言は、社会全体のパワーと、資源になる。
ただし、あくまで問われて応えるスタイルでなければ、お邪魔虫だ。

近頃、介護施設と初等教育施設で、子供と年寄りの一体化が始まっているが、昔の大家族の良さを社会的に再現するという点では良いことだと思う。

これを、もっと進めて、老人と社会人の接点の場にできれば、社会資源の活用ということになるだろう。企業でも、カウンセラーよりOBルームの方が役立つかも知れない。(ただし後輩推薦者のみ)

核家族化が進んで、年寄りを知らない成人が増えている。
見た目の汚さと、知識上の敬意とが自然に結びつかない。昔、若者だった老人は、若者を理解できるが、若者は老人を理解できない。
どうしても年寄りを敬遠しがちになる。次々出て来る高齢ビジネスをみても、高齢者のことをさっぱり解っていない。

一方、現代の老人は、自分が年寄りになっていることに気づかない。
いつまでも、年齢に抵抗することを試みる。厚化粧はまだ良いが、ガードルで身体を締めたり、冬の薄着や、夏の冷房ガマンなど、「新年寄りの冷や水」は、かえって他人に迷惑だ。実際に事故が起こっている。

何時までも若くいることは、肉体ではなく精神の問題だ。
自分の年齢を認めた上での、自己研鑽と、社会の役に立とうとする前向きな心得が、人間としての魅力になる。
80代、90代の、驚くように若々しい老人を見ていると、
来たるべき年には、「かくありたい」と思う。生きていればだが。


最高最低

2013年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

「人生最悪の時」
誰でも、一度や二度はそう思ったことがあるだろう。
しかし、時間が経って振り返ってみると、それは必ず、教訓であったり、それを克服した自信になっていたりする。

逆に、何もかも絶好調の時こそ、最大の警戒が必要だ。少しぐらいは良い事が続くこともあるが、自然の摂理として、それ以上、一気に良くなることはない。好事魔多しだ。

しかし、かと言って、良いことが起こった時、警戒のあまり、苦虫をかみつぶしたような顔をして、警戒ばかりしていると、せっかくの好調の波を、取り逃してしまうこともある。
好調はすなおに喜びながら、7~8割取りのつもりになるのがいい。

バブル崩壊で、大きく損をした人もいれば、多少は損をしても、バブル前よりは多くの資産を残した人も少なくない。
もっと儲けようとか、一切、失うまいとして足掻いた人が、結局、すべてを失った。

どんなことにも、「遊び」がある。手で水を飲む時、水に浸した手の指先まで水を飲めると思う人はいないだろう。
幸運は8割も残れば大成功だ。

こういう感覚からか、新調の衣料をチョツト汚すようなジェスチャーや、酒を少し土に零したりする風習がある。鬼門の角を初めからわざと欠いておいたりするのも動機は同じだ。
「完璧な成功を望んではいけない」という、昔の人の智恵だろう。

好調や成功に完璧が無いように、最悪の時には既に、復活の動きが始まっている。
降り止まぬ雨は無い。朝の来ない夜は無い。日はまた昇る・・・

それでも光が差してこないとすれば、自分が夢から覚めるしかない。
自分のやり方が間違っているのではないかと、考え直すことだ。
そこまで追い詰められてこそ、教訓や自信を得ることができる。


斉天大聖

2013年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

7日
北朝鮮代表が国連で、日本の衛星は許されて、何で北朝鮮の衛星はダメなのだと言おうとして、
「われわれのミサイル・・・」と言い間違えた。すぐ、言い直したが、言い間違いというものは、多くは本音が出るものだ。

また、「言ってはイケナイ、言ってはイケナイ」と、思っていると言ってしまうことも多い。
昔、星野知子がキャスターをしていた時、蛍の映像を紹介しながら、
「ご覧ください、ホテルが一杯です」と言ってしまい、真っ赤になっていた。

頭の中が「それで一杯」になると、思わず漏れてしまうものだ。

言ってはイケナイと思うのは、他人を意識してのことで、まだ、カワイイが、全て自分の価値観からしか考えられない人もいる。

何かにつけてウルサイことを言う「堅物」が、ワイセツだ、不道徳だと言うと、その基準は誰が決めたものですかと聞きたくなる。
しかし、堅物は当然のように、「そんなことは常識だ」と言うだろう。
こういう人は、自分の常識を世間の常識だと信じて疑わない。

8日には
アメリカで中国大使が
「日本はアメリカの原爆で第二次大戦に負けたと思っているが、中国を含む連合国に負けたのだから、戦後秩序に挑戦してはならない」
と主張した。
これは、言い間違いなく、よどみなく言えたようだ。
中国は実際、そう信じているからそう主張し続けている。

中国は「大きい国」だ。だが、自称「大国」と言うには、あまりにも子供っぽい、「ちっちゃい」国だ。
何度も言うが、中華文明が大好きで尊敬している。しかし、今の中国政府は、如来ならぬコップの中を飛び回り、世界の大国だと傲慢になっている孫悟空だ。子細に情報収集しているが、コップのガラスを通してしか世界が見えていない。

中華人民共和国は、中華民国から連合国の席を盗み、資本主義国の欲と期待を利用して経済力を得て、軍事技術をパクり、サイバー攻撃で情報を盗み、隣国の土地や島をオレのものだと言い、大国の位をよこせと言う。
これではまったく、「斉天大聖」とうぬぼれ、五行山に封印された孫悟空の行状だ。

中国では、孫悟空のような腕白坊主が愛される。と言うことは、中国の行動哲学は、無法、無茶を良しとする「おおらか」なデタラメで、何でも陰陽の白黒に別ける、大ざっぱさを良しとする。

何か気に入らないことがあると、すぐ会談や会見を拒否したり、いきなり腕力に訴え、子供のように、「実際の行動」で示す。

考えてみると、中華文明の歴史文化と言えば、何から何まで戦いが軸になっている。政治と取引も戦いと考えれば、全てそうだ。体操まで武術だ。その合間に、度外れたファンタジーがあるが、繊細な感性のない、アイデアのみだ。
わかりやすいと言えば解りやすいし、そこが中国の面白さでもある。

中国は大きくて古くて、深遠な哲学、壮大なアイデアのルツボの国だが、あまりにも多すぎ、その融通無碍力のせいか、それが全て小っちゃなコップに収められているようだ。如来の手の外の世界は全く無視して、外の世界も自分の内の尺度でしか測れない。

中国の他国に対する批難は、100%が自分の考え自分の本音で、あまりにも解りやすい。
覇権主義は止めろ! 冷戦思考は止めよ! 領土を盗んだ!・・・

日本を屈服させたのは2発の原爆だから、何と言っても核を持っている者が強い・・・そう信じているから、その子分の北朝鮮も核にこだわる。

中国が他国を非難する時の言葉は、全て自分の本音として聞いていると、お盆で隠しながら踊る、裸踊りを見るようで、面白い。


文化解放

2013年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

巨大帝国清朝を崩壊させたのは、阿片戦争だが、英国は戦争そのものの勝利より、阿片を蔓延させて中国を骨抜きにしたことが、本当の勝因だろう。
阿片の場合、銀に替えることができたから、実利(中国には実害)もあったが、何よりも大きな効果は、中国社会の退廃だった。

今、中国は躍起になって、思想情報の統制をしている。清朝も躍起になって阿片を取り締まったが、結局、大量に密輸入される阿片を止めることはできなかった。

日中関係の悪化もあり、文化産業の育成も狙って、中国は日本のアニメやドラマを排除しようと躍起になっている。

しかし、政府が率先してパクリ産業を育て、サイバー泥棒や、知的財産権を曖昧にするような政策の中で、中国全土に浸透する海賊版コンテンツを止めることなどできない。
中でも、AVの氾濫は、金が掛からないコピーだけに、あるいは本家の日本以上に広がっているのかも知れない。

知的財産権で儲ける、アメリカ式の経済圏では、ルールで利益を上げることも可能だが、中国のような広大な無秩序の中では、阿片がそうであったように、実際に簡単にできるコピーを、止めることなどできない。

この際、日米欧は、中国に知的財産権を守らせようとムダな努力をするより、むしろ、中国の逆手を取って、コピーしやすいように、裏から積極的に流し込めば良い。中国内に世界情報を蔓延させるのだ。

ドラマもアニメも音楽も、それ自体が自由主義社会のプロパガンダになるし、場合によっては娯楽作品に意図的に、中国政府が封じ込めている、世界の実情を織り込むことだってできる。

中国国内に自由主義プロパガンダとしてのコンテンツを流し込めば、情報コントロールで押さえ込もうと躍起の共産党独裁政権を、内部から崩壊させることができるだろう。

どうせ、中国からは、知的財産権で稼げないのだから、意図的にコピーを氾濫させることでの知的財産権の損失は、自由主義陣営から中国人民への「プロパガンダ費用」と考えれば、安いものだ。

英国が清朝崩壊を目論んでいたかどうかは分からないが、大量に流し込んだ阿片が、結果的に清朝を崩壊させた。


Gメンだ

2013年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

またも、ストーカーによる殺人が起こった。
法律も出来て、警察も前向きに対応しているにもかかわらず、相談に行ったその日に殺された。

警察は被害者を保護すること無く、ストーカーに「三鷹警察です」と、わざわざ留守電を残した。「彼女はもう、訴えましたよ」とストーカーに連絡したのに等しい。
どう言い訳しようと、これが引き金になったことは99%間違いない。

警察官が悪いのではない。この警察官に能力が無かっただけであり、そういう、おざなりのシステムしか組んでいない警察組織の責任だ。

イジメも、虐待も、ストーカーも、
事態を見抜き、対処できるのは、徹底して訓練されたスペシャリストだけだ。
各現場の、一般的なサラリーマン担当者が、どんなに正義感に燃えていても、社会と人の深層の関わりを理解できるほど、特別な直感力を持った人は、そうは居ない。
これができるのは、場数を踏んで、経験と勘の鬼となった、ごく限られた人だけだ。

全国から上がってくる、「最初の相談」を逐一チェックし、ランク別けして、緊急性を要するものには具体的に指示を出す。
そういう部署に数人居ればいい。

直接、相談を受けなくても、現場担当の報告で間接的にチェックするのは、不可能ではない。
スペシャリストなら、それだけで、危険度が判るはずだ。
また、現場が責任を恐れて、逃げ腰になることも防げる。

夢そら言ではなく、今からでも遅くはない。
イジメも、虐待も、ストーカーも、「Gメン」本部が必要だ。

→「昔には帰らない」、「事なかれ

それと、もう一つ思うのだが、
今日のような事件が起こる度に、警察がガードできないのなら、被害者に、強力なスタンガンや催涙スプレーを持たせるべきではないだろうか。

P.S.
伝言が問題になったが、犯人には伝わっていなかったと、警察は急いで発表した。それが本当だとしても、では、伝わっていたら殺人は起きなかったとでも言いたいのだろうか。
何であろうと、今の方式では防げない。


加害願望

2013年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

クローズアップ現代で、「土下座」の氾濫について特集していた。
土下座は屈服を表すもので、本来、謝罪ではない。
謝罪は自発的なものであるはずなのに、土下座を強要する風潮が出てきたのは、閉塞感から他者を攻撃、屈服させたい願望があるから。
本来、自発的な切腹も、終いには強要になったように、他者を屈服させ排除したい願望があるからだろう・・・そういう内容だった。

土下座のナンセンスについては、五年前に書いているが、ようやく近頃、問題視されるようになったようだ。
→「土下座

土下座を強要する風潮は、相手に真の自省を求めるものではなく、仇を討ちたい願望だ。
自分の不満や怒りにまかせて、相手を屈服させ、プライドを傷つけたいと思う加害願望だ。

日本が法治国家であるならば、土下座を強要をした人には、人権侵害として制裁を加えるべきでは無かろうか。
そうでないのなら、家族を殺された人には、敵討ち殺人が認められても良いことになる。

関連
魚座時代乱れ咲き」、「食あたり