魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

星は正直

2013年11月30日 | 星の流れに

もう、中韓のことは、話すまいと思うのだが、
「言うまいと思えど今日の暑さかな」

中韓との軋轢に、世間も加熱している。 星はいつも正直だ。

このところの、各国の立場や問題点など、思わず色々書いてしまったが、その後、徐々に、ニュースや解説でも語られているから、今さら言うこともない、全て没にした。

あくまで、星の観点からのコメントだけ・・・

現状は、これまで懸念してきた通りになっているようだ。
木星による中国の状況改善意欲、火星による家庭事情での焦り、天王星による軍部の暴走・・・そして、冥王星の挫折へと続いていく。(木星火星

大量に書いたものを没にしたので、疲れた。過去記事を読んでもらえればと思う

一つだけ、
今回の中国の「防空識別圏」は、木星カニ座による状況改善、膨張意欲であり、木星が来てから新しいことを「始め」てはいけない典型例。
木星が来る前から、手がけていたなら花が咲く。
蕾がないのに、花が欲しいと造花をつけても実は成らない。


イカロス

2013年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

夕方バスに乗っていると、西の空にきらきら光る物があるので、金星かな、と思っていたら、突然、消えてしまった。
多分、飛行機が反射して光っていたのだろう。
夕陽を受けた飛行物体の反射光は、華麗だが、ほんの少しの角度で、見える時と見えない時がある。

アイソン彗星が、太陽に近づきすぎてバラバラになってしまった。
まるでギリシャ神話のイカロスだ。 ※
既に、イカロスと名付けられた小惑星はあるが、本当にバラバラになってしまったアイソン彗星こそ、悲劇のイカロスだ。

大きな期待を寄せて見守っていた、専門家やファンの落胆は、息子を失った、ダイダロスのような心境かも知れない。
しかし、何者であろうと、お天道様に近づきすぎてはいけない。
それぐらい、破格のパワーは神々しい。

世界中の古代信仰は、みな太陽信仰と言っても良いぐらいだ。
随書によると、A.D.600年、日本から初めてきた使いは、我らが王は天を兄とし日を弟とすると言って、文帝に「アホなことを言う」と笑われた。

※イカロス:
神話中のダ・ヴィンチのような巨匠ダイダロスの息子。親子で幽閉された塔から脱出するため、鳥の羽で翼をつくって飛び出すが、父の言いつけを忘れて太陽に近づきすぎ、羽根を固めた蝋が溶けて羽根がバラバラになり墜落する。


巡る時代

2013年11月26日 | 星の流れに

土星が、天秤座→サソリ座→射手座と移る間に、
2018年から天王星は牡牛座に移る。 
現在のオヒツジ座が、80年前の昭和初期の状況と重なることは、歴史に明るい人なら、認めざるを得ないだろう。
もう一つ言えば、もう一回り遡る幕末・明治だ。

天王星は1850年から1858年まで牡牛座で、何よりも共通していることは、虚構、混乱、災害、終末の海王星が一回りして、最大の威力を発揮する本拠地、魚座に居ることだ。

ちなみに、幕末の簡易年表を挙げると
  1840 阿片戦争
  1846 米墨戦争(米とメキシコ)
天・牡牛座-------------------------------------------
  1851 太平天国の乱
  1853 黒船来航
  1854 安政東海地震、南海地震 クリミア戦争
  1855 安政江戸地震
  1856 アロー号事件(第二次阿片戦争に匹敵)
  1858 天津条約(清仏、ベトナムの権益で)
       修好通商条約(日本と米、蘭、露、英、仏)

天王星も、この時オヒツジ座→牡牛座だが、 
それから84年後の昭和10年代も牡牛座だ   (牡牛座時代
    1929 世界大恐慌
天・牡牛座-------------------------------------------
    1937 日中戦争
    1939 第二次大戦
    1941 真珠湾攻撃 

大正から昭和への、天王星、オヒツジ座時代に制定された治安維持法は、後の改変も加えて、日本社会を麻痺させてしまった悪法だが、
今、同じオヒツジ座の時に、情報保護法などが出現している。意味も見た目も違うが、この程度の事柄の違いは、世相史観的には同じ現象だ。
治安維持法が現れた頃も、世の中にさしたる抵抗はなかった。

今、情報保護法が、世の中では当たり前のように受け止められ、通過しようとしているのは、オヒツジ座時代の「正義」感だが、84年前も、共産主義や無政府主義の出現に驚き、世人は正義感から納得した。

問題は、一度ついた道は、後でいくらでも広くなるということだ。
昔の東海道を歩いた旅人は、まさか、東名や新幹線にまで広がっていくとは想像もしなかっただろう。
こういう法律を制定する時は、内容より、押さえの法律を、抱き合わせるのがスジだろう。

今の状況は必ず、次の時代に続いている。だからと言って、10年後に戦争が起こるというわけではないが、ブロック経済やTPPなどの流れを比較すると、中国と日本が逆転したような形で、アジアの葛藤が起こっても不思議ではない。

また、中韓が長年ピンポイントで騒ぎ立てたことによって、むしろ、その反感から、近頃の日本で、天皇陛下様、兵隊さん、靖国神社・・・のようなムードが盛り上がってきているのも、周期律を感じさせる。


重大試練

2013年11月25日 | 星の流れに

火星が天秤座まで7゜と迫った11月23日、中国は、尖閣上空に防空識別圏設定を発表した。※
天秤座は日本自身。中国には第4室の敷地=領域に当たる。

火星は火。怒り、トラブルを表す。
中国の、境界に火を付ける行為は、まさに、焦り故の過剰行動と言えるし、日本にとっては火傷を意味する。
これから始まる、火星滞在8ヶ月間は、日本の重大試練だ。
小笠原の火山新島も無関係ではない、火星現象の一つだ。

嫌中80%。日本はもうそろそろ、沸点に迫っている。
そこに、中国防空識別圏の設定。中国は一体、何を考えているのか。
ハッキリしていることは、法治や国際法などという概念は、中国にとっては、駆け引きのアヤでしかないということだ。

今のところ、国内向けのアピールに過ぎないという「希望的観測」が主流だが、中身は何であれ、看板を掲げれば、商品があることになる。客が来れば商品を出さざるを得ない。

しかし、看板を掲げてさえおけば、都合次第で「品切れです」と言うこともできる。だから、とりあえず掲げておこうということだろうが、尖閣の核心利益宣言も、そうした魂胆から始まったことを、どう思っているのだろう。
基本はあくまで、あわよくばの膨張主義だ。

この時代錯誤のゾンビ・マンモスを前に
日本が、どこまで賢明なのか、ある意味で、日本が世界の運命を握っている。

火星通過」、「イヤな話

※表記を訂正: 天秤座22゜に迫った→乙女座22゜で7゜と迫ったの意


対処次第

2013年11月24日 | 星の流れに

天王星、牡羊座時代の7年はまだ前半だが、そろそろ、牡牛座時代のことも考えなければならない。

その前に、
天王星周期の約半分の土星は、2014年末クリスマスイブに射手座に移る。実際には、サソリ座の25゜ぐらいで影響が出始めるから、11月には兆候が始まる。また、3月始め一時的に、23゜まで迫るから、その兆候の兆候のようなものがあるかも知れない。

ただ、今回の射手座の土星は、サソリ座の土星と似て、天秤座の時より恵まれている。天王星の助けがあるし、木星は獅子座の吉角にある。
現在サソリ座の土星も、魚座の海王星、カニ座の木星に救われている。
震災・津波・原発・円高・政貧の多重地獄を味わった天秤座の日本の時と比べれば、コタツでかき氷程度の冷たさだ。

しかし、2014年7月、サソリ座の土星を救う、カニ座の木星が獅子座に抜けると、急転直下、木星は90゜の凶角に変わる。
同様に、2015年8月、射手座の助けとなる獅子座の木星は、90゜凶角の乙女座に移る。

・・・と言っても、基本は吉星の木星だから、どれほどのことが起こるわけではない。土星の去った現在の日本も、6月末以来、木星は同じように、90゜凶角、第10室のカニ座にいる。
第10室の木星は、いわゆる「好事魔多し」のような危険で、良いことだらけの中に潜む危険だ。オリンピック、消費増税決定などもそれに入るだろう。日米同盟強化や株の反発なども、そうかも知れない。

天頂、天底での対処
90゜、180゜の凶角に惑星が来ると、他動的な問題が起こり、対処が非常に難しくなる。対処に苦しみ、それに失敗することで、本当に苦難が発生する。つまり、対処の仕方で、大難を小難に変えることも可能であり、場合によってはチャンスにさえなる。(難しいが)

天頂=第10室は、広く遠くからの影響だが、その対極の天底=第4室は、家庭内や周辺の問題だ。天秤座の日本に土星が来れば、中国には第4室であり、経済や国境問題発生で悩んだ・・・この時の中国を見れば良く解るのだが、些細な変化に、自ら進んでマズイ手を打った。

日本にとって第4室は山羊座だが、1990年前後に天王星や海王星が山羊座にいた。この時は土星まで重なって来た。
バブルから急転直下の崩壊。バブルそのものも、金融も、大きく方針を誤り、その後の20年の苦難を生むことになった。

自分から90゜の第10室、第4室は、対外、内情と問題は異なるが、吉星が来るか凶星が来るかで、表面上の吉凶は別れる。
もちろん、これは個人の運も同じだ。
いずれにしても、一番いけないのは過剰反応で、慌てることだ。
自動車運転中に、紛れ込んだ蜂が手に止まったとしても、ワッと動いてはいけない。大事故に繋がる。先ず、状況確認だ。

問題が発生した時の反応の仕方、対策の打ち方によっては、天国と地獄に別れる。とにかく地獄だけは避けたいのであれば、何もしないのが一番良い。良くもならない代わりに、最悪にもならない。

沈香も焚かず屁もこかず・・・だ。


過客往来

2013年11月22日 | 京都&ケンミン文化

母と初めて京都に来たのは、母の仕事に、ついて来た時だった。
小学校の修学旅行以来で、家族と来たのは初めてだった。

勤労感謝の日が、土曜日で連休になるので、一緒に行くことにした。
22日の夜、夜行に乗り、23日、早朝の京都駅につくと、駅前で待っているタクシーに乗った。行く先を告げて走り出すと、ラジオから
「アメリカのケネディ大統領が狙撃されました」と、聞こえてきた。

運転手と一緒に、驚いた。どんな話をしたか憶えていないが、
「本当だろうか」、信じられないと、口々に話したように思う。

ケネディ暗殺。1963年11月22日昼の事件は、日本では23日早朝。
まさに、第一報を、初めて降りた、京都駅で聞いた。
もし夜行に乗っていなかったら、朝刊かテレビで知ることになっただろう。
自分の人生にとっても、劇的な一瞬だった。

あれから、50年。何を成すわけでもなく、まだ生きている。
地球も、めまぐるしい時代が過ぎていったが、人類は成長したのだろうか。

ケネディ大統領の遺児、キャロライン・ケネディ氏が、駐日大使として赴任した。22日の命日は、個人的に静かに過ごしたいとのこと。

静かに冥福を祈るのは、日本時間だろうか、アメリカ時間だろうか。


賢い悪人

2013年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム

読んでいないが、週刊文春が安倍総理の私的発言として
「中国はとんでもない国だが、まだ理性的に外交ゲームができる。一方、韓国はただの愚かな国だ」
と、言ったとか言わないとかで、物議を醸している。

真偽の程や、どういう流れの言葉かなど、皆目分からないから、あれこれ言うべき問題ではない。
しかし、これは中韓とは関係なく、昔からの自論と一致する。

自論
賢い悪人とは話せるが、馬鹿な善人とは話せない
どんなに良い人であっても、感情で考える人には言葉が通じない。
一方、どんなに悪意があっても、論理で考える人には、話し合いの余地がある。

感情は、感覚のストレートな反応だから、理性を介さない。感情論者は気持ちが良い時は「いい人」だが、不快になると、たちまち敵になる。
今まで、「大好き」と言っていた人が、突然、「鬼畜」と叫び出す。

論理思考は、感覚から離れて、知識に基づいて考える。異なった感覚から生まれた言葉でも、先ず、それを知ろうと「聞く耳」を持つ。
その上で、「悪意」実行の可能性を考えるから、その可能性を縮小させたり、あるいは味方に転化することさえできる。

例えば、相手にとって不利に見えることが、実は相手自身に必要なことだと理解すれば、こちらの主張を受け入れることができる。
利己的な悪人でも、賢ければ、話し合って共存することができる。

しかし、自分を善人と信じる馬鹿は、理解させようとしてもムダであり、不快にさせないように、常に気を配って、「危険物」として取り扱わなければならない。
おだて、ダマし、沈黙して、反応をコントロールし、その上で、必要であれば、静かに啓蒙する。

子供の死んだ母親に、死んだ人は生き返らないと説得し、慰めたお釈迦さんの話は、
「死人を出したことのない家のカマドの灰で生き返る」と言われた母親が、どこにも死人が出ない家が無いことに気づき納得した、方便の物語りになっている。

お釈迦さんならぬ、凡夫のわれわれは、話し合える人とそうではない人を見極め、「人を見て法を説」かなければならない。

そして、もっと大切なことは、自分自身が、実は、その馬鹿かも知れないと考えておくことだ。
啓蒙も何も、馬鹿(下手)の考え休むに似たりだからだ。

酔っ払いは自分が酔っているとは思わないし、馬鹿は自分が馬鹿とは思わない。

ネット上の争いは、善人と善人の罵り合いだ。
日中韓。悪い奴だけ生き残る。


しっとり

2013年11月19日 | 占いばなし

「あまちゃん」の、能年玲奈は、名前だけで売り込めそうな、変わった姓だ。
始めて聞いた時、芸能人の名前らしくないから、本名だろうと思ったが、一体、どこの名前か、ものすごく気になった。

大体、変わった姓は九州に多い。しかし、顔立ちが、あまり九州っぽくない。みると、兵庫県の生まれなので、なるほどと納得した。

雰囲気的に兵庫県出身の檀れい、松浦亜弥らと共通するところがある。摂津の神戸周辺は、流入も多く、兵庫県では例外的だが、播磨、丹波、但馬あたりの美人は、一言で言えば、オバサンだ。

けして、けなしているわけではなく、しっとりとした主婦の色気というか、グラビアアイドルには無い自然さや、親近感がある・・・やっぱり、けなしているのかな ???

何で、こんな雰囲気なのか分からないが、九州と近畿に挟まれ、それでいて吉備、出雲の中国地方のように、一つの勢力でもなく、どちらかと言えば、近畿圏の田舎としての存在だったからではなかろうか。
千年以上、のんびりしていた?
これと比べ、京の反対側の近江や美濃あたりは、常に興亡の中にあり、世知辛くなった?

なお、能年は播磨の奥で、兵庫県神崎郡神河原の出身。
姓の由来は、
日本実業出版社の、姓氏研究家の森岡浩氏のブログによると、
山陽地方の姓で、地名の「長畝」(のうね)から「南畝」、「農年」などの漢字があてられ、「能年」を当てたのが、能年の家系だろうと言うことだった。
現在でも、姫路市に南畝町(のうねんちょう)がある。

ところで、長畝、南畝、農年、能年など、色々な漢字が当てられた中で、能年は確かに、意味合いが良さそうだが、姓名判断ではどうなんだろう。
姓名判断のやり方、見方は様々あるから、一概に言えないが、
一応、下記のようになっている。 (私見では、やはり能年が良い)
                  
長畝=8+10=18
南畝=9+10=19
農年=13+6=19
能年=10+6=16

玲奈=9+8=17


ナマハゲ

2013年11月18日 | 兄弟関係

日曜日、ショッピングモールに行ったら、大変な人出だった。
靴下を買いに衣料品の階に行くと、エスカレーターの広場で、7、8歳の男の子が
「ママー」と怒鳴っている。
『お母さんを見失ったんだな』と思いながら、靴下売り場に向かった。
館内では、ひっきりなしに迷子の呼び出しをしている。

後ろでは、相変わらず「ママー」と叫んでいるが、だんだん怒りに変わっていくのが分かる。
あれは、一人っ子だな。下の子なら、いきなり泣き出すし、弟妹のいる長子なら、責任意識から、下の子や親から離れて一人歩きしない。

泣かずに、ママだけを呼んでいるのは、自分で何とかしようと考えているからだ。下の子なら、泣けば誰かが何とかしてくれると知っているから、とにかく泣き出す。実際、その効果もある。

そのうち、「ママー」の声は、遠くや近くの、あちこちで聞こえ始めた。
探し回っているらしい。
思ったような靴下が無かったので、買わずにエスカレーターの降り口まで行くと、遙か向こうから
「ママー」と叫びながら、さっきの男の子が走ってくる。走りながら、目をこすって泣くのを堪えている。

思わず、『動き回ったら、ママが見付けられないよ』と、言うつもりで、走り過ぎた男の子に声を掛けた。
「ボク、ボク・・・」と後ろから声を掛けると、振り向いてこちらを見るなり、
「ヒィやー
と、必死になって走り出した。
日頃から教わっている、怖い、知らないオジサンまで、現れた

『しまった』と思ったが後の祭り。商品の中に飛び込んでいったので、近くにいた男性店員に、
「あの子、連れて迷子案内に行って」と言うと、店員も追っかけて声を掛けたが、見失って、担当に電話を掛けていた。

まあ、狭い店の中だし、担当も認識したのだから、どうにかなるだろうと思い、「怖いオジサン」は、下に降りた。

とっさのことで、対応の仕方を誤ったが、いかに定石通りの対応をしても、パニックの子供には、優しそうなお姉さんならいざ知らず、
やっぱり、ナマハゲは怖かった。


ただの人

2013年11月17日 | 日記・エッセイ・コラム

「『いい夫婦の日』をすすめる会」とやらが、生まれ変わっても今の相手を選ぶかとアンケート調査をしたところ、年を取るほど否定的になるのに、60代の男性だけが突然、42%に跳ね上がった。もちろん女性はさらに減っている。
調査した担当者は、退職して家にいると、妻のありがたみが解るからではないか、と話しているそうだ。

その理屈で言えば、おそらく、家で仕事をしてきた自営業などは特に変わらないものと思われる。

確かに、近頃、旅行中らしき夫婦を見かけるが、なぜだか少しもほほえましくない。
一番の理由は、日頃から、妻達の愚痴をよく聞いてきていることがあるし、退職者が増えてから、さらに、妻達の悲鳴にも近いような話ばかり聞くようになったことがある。

妻子の側からよく聞かされるのは、親父が家にいるようになってから、家が狭くなり、手間が増えて神経が疲れる。
勝手にどこかに遊びに行けば良いのに、どこにも行かずに、余計な世話をしようとし、何処に行くにもついてくる。行きたくもない旅行に付き合わされる。

長年、自分のペースで暮らしてきた妻や家族にとっては、とんでもない難行苦行が始まったというわけだ。

社会的にも、大方の退職者が、しかるべき地位に就いてから辞めているから、頭の中が本当の意味の白紙、「ただの人」になりきれない。
誰も厚遇してくれない外より、顔ぶれが変わらない家の中の方が、まだ立場が保てる様な気がする。だから一人で外に出かけられない。

この点、同じように要職に就いてから退職した女性の場合は、何も変わらない。自然に地域や新しい仲間になじんでいく。
社会的地位のような観念的な世界より、実際にふれあう人間関係で生きている女性同士は、どこでも空気を共有できる。

再生マシン
剛柔に例える男女の生理的な特性もあり、やむを得ないのかも知れないが、堅い物、曲がらない物は折れる。
一度、固まってしまった自分の姿を液状に戻せないなら、そのまま折れるのを待つしかない。

再就職が難しいのも、男性の早死、孤独な独居老人が多いのも、長年の社会生活を精算できないからだろう。会社での機能を自分だと思い込んでいるからだ。
考え直して、ただの年寄りに帰ってみるか、それが嫌なら、不要部品同士で集まって、もう一度、再生マシンで、働いてはどうだろう。

すでに、アメリカでは、退職者の起業がブームになっている。
若者の起業が少なかった日本ですら、長い不況の中で、若者の起業が増えている。
学校を出て就職をするパターンしか知らなかった退職世代にとっては、ハードルが高いかも知れないが、少なくとも経験という資本がある。勝手に集まってバンドを組んだ世代なら、仲間で集まって起業するのはわけもないはずだ。それができれば、今も青年だ。

男の年寄りは暑苦しい。周りに迷惑を掛けていることを自覚して、青春を探しに街に出よう。
近頃、昔の縁につきまとう年寄りのストーカーが増えているそうだ。何とも情けない話しだが、なりふり構わずナンパでもすれば良かろうに。


安倍返し

2013年11月15日 | 占いばなし

偶然というものは、偶然とは思えないような現実となって現れる。
と、言えば大げさだが、今年はアベノミクスの安倍ブームに拍車を掛けるように、「倍返し」が大ヒットした。
(占い的には、偶然ではないのだが)

アベという字も色々ある中で、安倍首相の「倍」が、流行語「倍返し」の「倍」と重なった。
金融緩和のインフレ目標も、これまでの「1%」から、倍の「2%」にしている。
株価も、安倍政権が見えた頃の9000円台から1.7倍。2倍の18000円台も視野に入ってきた。

安倍政権、インフレ倍目標、倍返し、株価2倍・・・

こりゃあ、今年の漢字は、「倍」かな ???


虹の架橋

2013年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

小泉元首相の原発廃止論に与党は戸惑い、野党は秋波を送っている。こういのを「笑止」と言うのだろうか、それとも (^o^)(笑)(W)

小泉元首相は、思想は知らないが、政治センスがいい。
今さら言うまでもないが、「郵政選挙」の大勝も、争点を一点に絞って、スローガンにしたことだ。
多様複雑な民心をマスで捉えれば、単純明快な「言葉」に集約されることを体得している。

今、「原発廃止」を提言しているのも、今日、明日、止めろと言っているのではない。
「安全が確認されれば・・・云々」と、ウダウダ姑息な論理や方式を用いるのではなく、誰が聞いても解りやすいスローガン、「原発廃止」や、「エネルギー革命」を掲げ、希望に向かって進んでいると、民心を喚起させるべきだと言っているのだ。

「日本が良い方に向かっている」と、国内外、世界中が思いたいし、そう思わせるべきだ。人を導くのはビジョンであり、それこそが政治の仕事だ。

小泉元首相のセンスの良さとは、人心を掴む勘であり、それは自動車人間・ガソリンの天性だが、つじつま合わせにこだわるバブル偏差値世代の現執行部に、ご老公が苛立ったのだろう。

今を葬ること
今、原発を廃止するのは不可能だ。今どき廃止を叫ぶ人は、一昨年まで何をしていたのだ。

一方で、廃止不可能な日本の現実を口実に、ズルズルと原発依存を既成事実化していこうとする既得権ゾンビ。
あろう事か、その手先となって世界にまで売り込む死のセールスマンに成り下がる政府。あまりにも知恵が無い。

何が何でも最終目標を、「原発に拠らない社会」として掲げ、現行の原発の廃止に向かう手順を明示しながら、直ちに動かせばいい。
現行の原発廃止は現実問題であり、ウソにはならない。遅かれ早かれ時代遅れの原発は廃止するしかない。

今、不本意ながら原発を動かすとしても、それは廃止への時間稼ぎと、誰もが認識することで、次世代エネルギーへの虹の架け橋が出現する。
社会全体がその方向に向かって動き出す。

原発を廃止すること自体、世紀単位の事業になる。その間、核融合や電磁波送電も実現するだろうが、原発廃棄物処理策も生まれるだろう。小型原子炉も現実策として有効になるかも知れないし、燃料電池も可能性が大きい。

そうした、諸々のパラダイム転換には、時間がかかることは分かりきっている。それを不可能要因とするのか、可能性の足がかりとするのか。
政治家が見つめなければならない現実とは、官僚のような目先のやり繰りではなく、希望の光に替えるべき現在のことだ。


魚こわい

2013年11月13日 | 日記・エッセイ・コラム

韓国では、日本の放射能汚染の話しでパニックになり、さらにオリンピック選考直前に断行した、日本からの水産物輸入禁止がそれを裏付けた形になって、水産物そのものを食べなくなった人が8割にも上るそうだ。
何とも嬉しい話しである。

近年、日本人が宣伝してもいないのに、世界的な日本食、鮨ブームで、魚をあまり食べなかった中国人まで魚を食べるようになり、魚の涸渇が心配されている。日本周辺で漁をする中韓の漁船も増え、日本の魚も値上がりし、マグロも食べられなくなるのではと危惧されている。

このまま、韓国で水産物離れが進み、中国にも飛び火して中韓の魚離れが進めば、また安い魚が豊富に食べられるようになるかも知れない。中国の虎網漁船による根こそぎ乱獲も沈静化するかも知れない。
まあ、そんなうまくは行かなくても、日本周辺の乱獲は多少減るかも知れない。

この際、落語の「饅頭こわい」ではないが、科学的には全く問題なくても、周辺国が勝手に風評に溺れる程度に、今のようなマスコミ騒ぎを続け、日本人は「やむなく」安い魚を食べることにしてはどうだろう。科学的に問題なければ、離れた欧米は、もとより気にしない。

とは言え、中国人は韓国人のように思い込みで生きていないから、現実に汚染されていないと分かれば、一度憶えた魚の味を、そう簡単には捨てないだろう。やっぱり困ったものだ。


良き時代

2013年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

90歳の御夫妻が、送りつけ詐欺に遭いそうになった話をしていた。
幸い、カクシャクとしている人なので、難を避けることが出来たそうだ。

その奥さんが、「押し売り」の昔話をしてくれた。
半世紀以上も昔、昭和30年頃、家に、可愛らしい子供が雑貨品を売りに来たので、むげに断れず、一番安い鉛筆を1ダース買った。

すると、子供が、その頃普及し始めていた鉛筆削りで、削りながら、
「お母さん、削ったら芯が無くなった
と言うので、見ると、何と、両サイドだけ芯が埋まっていた。

親子で、「この方が手間がかかるのに・・・」と、驚いてしまったそうだ。

この当時、1ドル360円の時代には、それだけ芯材料に価値があったということだろう。
また、鉛筆の形を作る工程から考えれば、両サイドに穴を開けて、1mmほどの芯を埋める方が安上がりだったのかも知れない。第一、本当に鉛筆の芯だったのかも怪しい。
敗戦から、10年しか経っていなかった。

とんでもない時代だが、どこか、のんびりして暖かく、それでいて、日本人が懸命に生きていた。そんな話しだった。

今のように、電話一つで、数千万もだまし取るような時代ではなかった。


者の末路

2013年11月11日 | 占いばなし

よく、子供を育てることは、自分が成長することだと言う。
一番の理由は、我が子は、自分の鏡だから、自分に気づかされるからだ。
それだけではない。忘れていることや、自分がしなかった体験をする子供と、ともに悩み、考えることができるからだ。

カウンセリングや占いのように、他人の相談に乗っていると、それに似たような効果がある。
それどころか、相手が大人だけに、自分の体験しない世界を知り、ともに悩むことで、一人の人生では出来ない成長をする。

ところが、悩みばかり聞いていると、脳が常に苦境に置かれるために、楽天思考が出来なくなり、いわゆるPTSDや、心の傷だらけのようになってしまう。
これが、昔から言う、「占い師は業を背負い込む」という現象で、普通の人はやってはいけないという理由だ。

引業商売
「業を背負い込む」現象は、占い師だけではない。医師や芸能人など、いわゆる一般生活が出来ない職業すべてに当てはまる。
これを昔の人は、「者の末路憐れ」と、言った。

易者、芸者、役者、医者、学者、武者、忍者・・・これらは「家」と同じで、すべて、社会から独立した、スペシャリストであり、
人間関係に頼ることができず、知術だけに頼る孤独な仕事だ。

現代では、「士=さむらい」商売などといわれる資格商売と重なるが、資格商売と違うところは、誰もお墨付きをくれない、誰も守ってくれないから、毎日が実力と己との勝負になる。サラリーマンのストレスとは全く違う種類のストレスだ。

だから、人格的には何処かおかしい人間になる。
おかしくない人間とは、前後左右の人間関係に配慮できる、社会性を兼ね備えた人間だが、「者」は人間関係に幾ら気を遣っても、実力は向上しない。その結果、人間関係がおろそかになる。

人間関係が破綻しやすい「者」は、特に家族関係に問題が起こりやすいので、「末路が憐れ」になるのだろう。
「者」の救いの道は、「師」に成ることだが、これが案外難しい。
「者」は能力だけだが、「師」には支える人がいる。

「師」に変身しやすい「者」と、しにくい「者」がある。社会が認めた資格のある商売は、始めから人が支えている。
現代では、医療や教育は、始めから医師、教師など、資格商売になっているが、役者や芸者のような商売は、なかなか「師」には成りにくい。
だから、周囲で支える人が、あえて師匠とか先生とか呼ぶ。

易者と、占い師の違いは、易者が易卦を観る専門職であるのに対し、占い師は「FortuneTeller」幸運案内人という接待業であり、人気商売として成立する。つまり、占い師は人に支えられて成立する商売だ。

よりどころ
占いを通して、「自分も成長する」のは、易者でも占い師でもない。
人生相談、カウンセラー、コンサルタント、アドバイザーのように、問題解決を計ろうとする場合であり、これは相談を受ける人自身が成長すると同時に、不用意に当たれば、やはり、苦「脳」になって業を背負い込む危険がある。
ミイラ取りがミイラになっては、誰の役にも立たない。

占いを用いる問題解決法がカウンセリングと違うのは、解決すべき現実の問題に対し、運命観が離れて存在しているところだろうか。
人生の諸相が、常に運命との対比の中で考えられる。
この点、宗教的な相談と似ているが、占いは周期律など、より具体的基軸があるので、理解しやすい人もいる。

また、宗教の場合は、最終的に、神(=他者という自分)への信頼、自信の問題だが、占いの場合は、運命との対話という、自他の対峙を前提にしている。有り体に言えば、占いには縛られないが、神には縛られる。

もともと、カウンセリングは、根底にキリスト教文化を背景としているので、内面(神)の問題は、何処まで行っても内面の問題となるが、占いの場合はもう少し気楽な立場からの出発で、仏教の仏を目指す菩薩道の考え方と通ずるのかも知れない。

いずれにしても、登山口は違っても目指すところは同じだと思うのだが。こういうことを言えば、たちどころに叱責する人もいるだろう。

くわばら、くわばら