魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

仕切直し

2016年09月03日 | 日記・エッセイ・コラム

アジア最終予選UAE戦のひどい審判に、日本は抗議した。確かにひどい審判だったが、自ら総力戦と言っていたのだから、それも含めて、「負けた」のだ。
始めから、中東の試合になぜ中東の審判が笛を吹くのか。そこから総力戦だ。
戦力も理由を挙げれば切りがないが、日本には負けるだけの理由があったし、実際、前回のUAE戦同様に、攻めても攻めても、決めきれなかった。

済んだことを、挽回するには、元に戻そうとしないことだ。負けに抗議するのは、次の試合の牽制にはなるかも知れないが、本気でそこに拘ると、他の多くのものを失う。
ギャンブルで負けた時、負け分を取り返そうとすれば、たいていの場合、始めの負けよりも何倍も多くの損失を出す。それは、もともとの動機や、方法が間違っていたからであり、出直さず、そのままの方法で取り返そうとすれば、同じ失敗を繰り返すからだ。

河の流れに落としたものは戻らない
北方四島の奪われ方に、日本人は納得がいかない。しかし、どんなルール、審判であろうと、日ソ不可侵条約を含め、戦争を始めて、止めなかったのは日本だ。生まれながらに暮らしていた土地を追われたのは、四島の住人だけではない。
だから、諦めろというのではない。少なくとも、これまでのアプローチが間違っていたことは、もう結果が出ている。終戦当時の憤りのままのスタンスを70年続けた上に、思いや怒りを増幅させることの不毛は、中韓の日本に対する態度を見ていれば、その愚かしさに、日本人は気づいても良いはずだ。

北方四島と、アメリカの管理下にあった竹島、尖閣とは質が違う。同じ問題として対応すれば、アブハチ取らずになる。尖閣で中国と対峙している時に、北方四島でロシアを同じように相手にするのは、日本人らしい融通の無さだ。次元の違うものまで、まとめて得ようとする完璧主義では、いつまで経っても答えが出ず、時機を逸してしまう。
ソ連崩壊時のチャンスを逃しておきながら、未だに、70年前のスタンスのままロシアに交渉しようとしても、まさに、「埓が明かない」。

70年前に決めた九段線構想を守り続けて、世界の常識から外れた中国のように、先代の思いをそのまま実行しようとすれば、結局、腕力しか残らない。
日本が、ロシアや中国に、腕力で対抗する道を選べるわけがない。かと言って、四島問題を出せば出すほど、ロシアのいいカモになる。物欲しそうな人間は足下を見られる。負けを取り返そうとすると負けが込む。

四島問題はロシアの売り手市場だ。どんなに揉み手をしても、相手は譲る必要がない。
要らない物を売りつけられれば、二束三文で買えるが、欲しそうにすれば、買えるどころか、根こそぎ奪われることもある。慌てる乞食はもらいが少ない。急がば回れ。将を射んとせばまず馬を射よ。
日本は自分の理屈でスジを通すことより、日本の未来のために、本当に必要なものは何なのかを、もう一度、ゼロから熟慮し、仕切直す時が来ているのではなかろうか。


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1 コメント

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ありがとうございます。 (MAC)
2016-09-05 20:26:00
魯生様

毎度興味深く拝見させて頂いています、
今回も大変参考になっています。

星の流れのように・・・生きる面白さ、楽しさを、誠にありがとうございます。

どうぞこれからも緩やかに、よろしくお願いいたします。

MAC
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