魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

2018

2017年09月25日 | 星の流れに

年頭に、2017年は2018年の準備の年と書いたが、そろそろ2018年が見えてきたようだ。

木星が来ると、何事も膨張する。金庫にはお金が溢れ、汚物入れには汚物が溢れる。
最大の「吉星」木星も、良い結果が出るとは限らない。花咲か爺さんの木には花が咲き、意地悪爺さんの木は灰の山になる。
木星は、持っている要素が拡大することを意味するので、木星が来た時には、その人、その国、その事柄に、良い事も悪いことも起きる。元々の資質が出るのだ。

この1年、天秤座の日本に木星が来ている。経済は比較的好調で、日本の評判も高まって、観光客も増大した。一方で、北のミサイルが日本を通過し、日本の危機が明るみに出て、世界への訴えも聞いてもらえるようになった。全て、日本が潜在的に抱えている要素が膨らんだに過ぎない。

木星は10月10日にサソリ座の朝鮮半島に移る。既に、サソリの影響圏に入っているから、朝鮮半島も膨張を始めた。サソリ座の国や地域は朝鮮半島だけではないが、隣家の出来事は直接影響する関心事だ。

朝鮮半島が膨張すれば、何が膨張するのだろう。
戦後、木星がサソリ座に来た年の年表を見ても、他の惑星との関係に加えて、途中で天秤座に逆行したり、射手座まで行って引き返したりするので、サソリ座だけの影響は見極めにくいが、「やっぱり」と、うなずける事柄も散見する。詳解は、ネットでググってもらいたい。
戦後、木星サソリ座
1946/9 ~47/10
坂町事件、手塚治虫「新宝島」、台湾228事件、トルーマン・ドクトリン、日本国憲法、外国人登録令
1958/1 ~59/10
映画「サヨナラ」で日本人初のアカデミー賞、売春防止法、水俣病、キューバ革命、日朝協定、
1969/12~71/9
ヤクルトアトムズ、力石徹追悼式、よど号事件、新日本製鐵、韓国京釜高速道路、ロッテ優勝、三島事件
1981/11~82/12
釜山アメリカ文化院放火、韓国プロ野球、韓国で警官による大量殺人
1993/11~94/12
ルワンダでジェノサイド、カーター金日成会談、金日成死去、レヴィ第9彗星、
2005/10~06/11
歌舞伎文化遺産、韓国ES細胞ねつ造、韓国龍山小学生性暴行殺人、米国が脱北者受け入れ、金英男、北朝鮮テポドン2、北朝鮮非武装地帯で発砲、核実験

この他、特徴的なことの一つに、伝統に関することや皇室関連の好事が多い。また、明らかにサソリ座の影響と思われる事柄でも、朝鮮半島や日本に直接関係ないものや、説明が複雑なものは排除した。
なお、手塚治虫はサソリ座で、「宝」探しは他人の財だからサソリ座。大量死は冥王星のサソリ座。売春、SEX、核、「9」、警察、格闘技などは、サソリ座の事柄。

2017/10~18/11
再びサソリ座の木星だが、今回のサソリ座はひと味違う。
サソリ座の木星に対し、天王星がほぼ対角線上に位置し続けている。この所の世界状況も、平和の天秤座に対して、戦いの牡羊座に天王星がいるからだ。
加えて、土星が山羊座に掛かってきているから、誕生日が本当なら、山羊座の金正恩は意固地になる。そして、その土星は12月20日に完全に山羊座入りする。折しも、火星は朝鮮半島のサソリ座に木星と同居している。
どう、楽観的に観ても、楽しそうではない。


同一人物

2017年09月23日 | 占いばなし

安室奈美恵が引退するそうだ。アムラーにはバカにされるかも知れないが、大人気中もほとんど興味がなかった。単に世代が違うと言うより、興味センサーが機能しなかった。今の若い世代であってもセンサーが反応する人はいるから、趣味が違うのだろう。
だから、本当は、話題にしなかったところなのだが、生年月日を見て、俄然、興味がわいた。

何と、安室奈美恵は安倍晋三と酷似しているのだ。
当たり前の事ながら、もちろん多くの違いはある。政治家と歌手であることからして、全く違う。しかし、世界が違っても同じ運を持つところが、占いの面白さなのだ。

同じところをあげる前に、違うところを確認すれば、
五黄と一白は、土と水、融通の利かない土の五黄に対し、水は方円に従い雲にも氷にも変わる融通の権化だ。
五黄は九星の中央に位置し、王座にあると言われるが、一方で何者にも属さない波乱と孤独の星でもある。二黒、五黄、八白の土星は家族一族を「成す」ことを意識して生きるから、却って、家族運に恵まれないことが多く、波瀾万丈であり冷徹になる。
この逆に、一白は家族の「情」を大切にするから核家族的な家族を守ろうとし、情に流されやすく「腹をくくる」ことが出来ない。

芸人は畳の上で死ねないと言うが、多くの政治家は暗殺でもされない限り大往生する。そう考えると、芸に生きる安室が五黄で、政治家の安倍が一白は納得がいく。
民主主義の政治家は、人気取りが命であり、腹をくくって事に当たったのでは、次がない。

さて、これらの違いはあるものの、この他の部分では、両者は酷似する。
安室の誕生日が9月20日に対し、安倍は21日。生まれた日の干支が同じ「庚辰」で、現在は裏目の最中。自動車人間ではどちらもシャーシs。
四柱推命も、占星術も、外見や態度のディテールは異なることを示しているが、本質的個性は一致している。言わば、違う服を着て、違うところで活動する、同一人物だ。
安室奈美恵という人をよく知らないので、何が同じなのか比較説明はできないが、占いだけで観れば・・・引き立てが多く時流に乗りやすい才能は有るが、骨太のオリジナリティに欠ける。大量生産工業製品の最高級ブランドと言ったところだろうか。アクが無さ過ぎる。
何しろ、二人とも「安」で始まる。


金を出せ

2017年09月16日 | 日記・エッセイ・コラム

租庸調
京都市が宿泊税を取ることになった。観光税や宿泊税は、採る側からすれば分かり易く容易だ。為政者の発想は権力でお金を集めることしかない。
これに対し、商人の発想は、悪く言えば、相手を「騙して」気づかれないように、お金を出させることにある。しかし、商人の言い分は、喜んでお金を出して頂く「三方よし」の努力なのだ。

この、「喜んで出して頂く努力」を理解できないのは、「士」の為政者だけではない、「農」「工」の製造者も同じだ。百姓も職人も、本来は自分のものを、権力者に収奪される。権力者もまた、民を殺さぬ程度に収奪物を還元する。権力者の言い分は、民を喜ばせる治世だ。
どこにも逃げられない狭い日本列島では、この機械的な関係が容易になり立ち、1000年以上続いてきた。日本が最も共産主義を成功させた国と言われるのも、始めから、この官民システムが出来上がっていたからに他ならない。
しかし、世界は日本のようにはシステム化されていない。成り行き次第の弱肉強食だ。だからこそ、ユートピアや共産主義が夢見られるようになる。

中国では、日本語や朝鮮語は中国語の方言の一種と信じる人達もいるが、文法構成からして全く別系統だ。中国語は、むしろ印欧語に近い。大まかに言えば、中国を筆頭に、世界の大部分の人々は結論から話す言葉で考えている。日本語のように、プロセスが重要で、結論が曖昧な思考をしていない。
民の生業も、国家運営も、世界では関係性より結果を重視する。結果が悪ければ、どんな理想も捨てられるし、結果が良ければ非道な王も英雄になる。

結果重視の人々にとって、財を得るのは理屈やプロセスではない。最も効率的である方法が選ばれる。お金を出したくない人間から効率よくお金を取るには、強奪か、騙してちょろまかすかだ。当然、力を持たない商人は「喜んで出してもらう」ために、ちょろまかすが、力を持つ為政者は、当然のように強奪する。
日本のように、「集金」システムが安定的に続いている国なら、出す側はあまり大きな不満を感じないが、多くの民族が入り乱れ、結論からもの考える世界では、当たり前のように強奪をしていると、革命が起きる。
その結果、互いに騙しあう、「取引」や「駆け引き」が、自然で好ましい、世界の常識になっていた。

騙し合いの世界
ところが、産業革命パラダイムの近年は、学校学習によって、国家権力による集金システムが、個々を為政者とする民主主義とともに定着した。
このシステムは、さらに国際ルールにも広がり、国際機関は法治主義を掲げて、当たり前のように、ルールを強要するようになり、それを守ることが、教養人の常識となってきた。
地球が、日本列島のように狭くなり、安定したシステム社会になれば、この理想は通用するだろう。

しかし、世界はまだまだ広い。中国のような前近代の大国が、いきなり産業革命パラダイムにデビューすると、世界の秩序は一気に崩れる。身なりだけは先輩に合わせても、狼の足が、そこら中を泥だらけにする。弱肉強食の騙し合いが、生まれかけの法治世界をかき回し、あっという間に、前近代のルールがはびこりだした。
この、えげつない本音の社会で渡り合えるのは、実際のところ、トランプのような「取引」の猛者しかいない。アメリカ社会はそれを感知してトランプを選んだのだ。

当然のことながら、これまで法治の理想に酔っていた「教養人」には、青天の霹靂だ。あらゆる攻撃でトランプを引き倒そうと躍起になっている。だが、彼らは勘違いをしている。トランプを引き倒しても、中国の前近代パワーの「前進、前進」は押さえられない。
前近代の中国を増長させてきたのは、他ならぬ、彼ら教養人の「夢」と傲りだからだ。
彼らの理想の大統領オバマこそが、中国の秩序破壊と、その手先の北朝鮮の核を生んだ張本人であることを、全く反省しない。ひたすらヒステリー攻撃に没頭している。

世界は、もはや、強迫、騙し、駆け引きの横行する、前近代が支配し始めている。
お金を、システム的に集められるような法治が、通用しなくなり始めているのだ。やるかやられるか。当たり前のように、権力で税を集めようとすれば、反発が起こり、脱法が起こる。中国伝統の「上に政策あれば、下に対策あり」が常識になる。

京都市が始めた「宿泊税」のような発想は、安定した法治社会なら通用するが、そうではない海外から来る人間には通用しない。目の前で心外な金を取られることに、外国人は反発する。飲み屋での「お通し」に納得しないのも、計算できない心外な金だからだ。
金額の大小ではない。強奪されるように感じるからだ。
京都市の発想は、日本のシステム社会や先進国では当たり前のことかも知れない。日本のビジネスもまた、金を出す相手の立場に立った発想で考えない。「良いものだから買え」と、上から目線の高飛車なのだ。

これからの海外との付き合いは、弱肉強食の騙し合い。力か知恵が必要になる。力で押せば力で返される。「相手に喜んでもらって」欲しいものを得ることが肝要だ。
寺社の「拝観料」や、京都市のような役人発想は逆効果だ。先ずは、人がお金を出したくなる仕組みを考えるべきで、客から直接お金を取らなくても、門前町から割り前を取るか自前の商売をすれば良い。
宿泊費とは別にお金を強奪される。お賽銭やオミクジ御朱印代に土産物を買って、その上「拝観料」を強奪される。これでは、観光客は喜べない。国際関係なら戦争だ。


独裁序曲

2017年09月09日 | 京都&ケンミン文化

近頃、芸人が、「こわい、こわい、こわい」を、流行らせているようだ。
極めて不愉快であり、極めて不安になる。

京都人の意地の悪さと賢さを象徴するような言葉に、「おー、こわ」がある。
これは、あからさまに非難できない相手に対し、怖がってみせることで、周囲の人を拒否の共感に引き込み、相手を孤立化させて、排除しようとする言葉だ。衆を頼んで、出る杭を打ち、鳴くキジを締め上げる、無手勝流の反撃だ。
これが、汚いのか賢いのか、立場や見方で別れるが、少なくとも、事に立ち向かおうとする意思がある。

しかし、今流行っている、「こわい、こわい」は、ただ怖がるだけの言葉だ。
使われる場面を見ていると、ある現象の「背景」を怖がっている。
誰かの言葉の裏にある、ワナや強迫を恐れ、目の前の事象がもたらす後の災難を恐れる言葉だ。しかも、それには何の根拠も確認も無く、ただ、印象だけで恐れている。
一見、京言葉の「おー、こわ」と、似たような使われ方だが、「おー、こわ」は、少しも怖がっていないからこそ、相手をバカにして出る言葉だが、「こわい、こわい」は、ひたすら、怖さの共感を求める言葉であり、「おー、こわ」とは真逆だ。
いわば、「おー、こわ」と言って反撃する京都人を、「こわい、こわい」と恐れる、反撃の反撃のような言葉とも言えなくもない。

しかし、「おー、こわ」が、相手を見極めて反撃するのに対し、「こわい、こわい」は、恐怖の背景を確かめもせずに怖がる、盲動扇動だ。
確認もせず怖がるのは、感情論の習慣化であり、喜怒哀楽が支配する愚民社会を招く。
南京「30万人」大虐殺や、慰安婦「略奪」説を信じる人達は、自分で確かめることなく、「伝聞」、「風聞」、学校、創作映画や創作像を、事実と信じ込んでいる。
実物を見たことが無くても、ドラゴンや麒麟の絵を信じる人達を、今の日本人は到底理解できないが、それは、日本の思考教育のたまものであって、少し前まで、日本人も「地獄絵図」を素直に怖がっていた。

極端から極端へ
戦後、一億総懺悔のムードの中で育った、現在の高齢者は、日本の非道を陰に日向に聞かされて育ち、子供だから当然、その事実を自ら確かめること無く、日本は悪いと思ってきた。その反動で、近年は、日本は悪くなかったという話が蔓延している。
どちらも、まことしやかな「お話」だ。
真実というものは、誰にもわからない。現場にいた人さえ、正しく事実を把握できないことは昔から、「灯台もと暗し」「目明き千人目暗千人」と、看破されている。
ただ、同時に留意すべきは、「火のない所に煙は立たぬ」と言うことだ。

知ったこと、聞かされたことで、いきなり、感情を動かされたり、言動を起こしたりすべきではない。この点、現代の日本人は、相当、醒めている。
「こわい、こわい」は、その日本人の思慮深い見識を、たちまち腐らせてしまう毒薬だ。こんな言葉や、こんな感覚が蔓延すれば、何事も、冷静に見極める前に、感情的な反応が社会を引き回すようになる。

何事も怖がる理由など無い。世の中は始めから、勝てないもの太刀打ちできないものだらけだ。
しかし、正体を知れば対策は考えることができる。どうにもならないなら、覚悟を決めることができる。自ら対処する意思さえあれば、怖がることなど無いはずだ。
闇雲に怖がる態度は、考えることを止め、自分を捨てることだ。つまり、自由と人権を自ら放棄することであり、こんな人が溢れることで、恐怖の独裁国家が始まる。


戦時体験

2017年09月02日 | 日記・エッセイ・コラム

先日夜。大学生四、五人とすれ違った際、女の子が笑いながら、「歯を食いしばれ!って?・・・」と、男の子に相の手を入れるのが聞こえた。
思いがけない言葉に、一人で歩きながら、笑いをこらえきれなくなった。

何の話をしていたのか分からないが、こういう状況、こういう言葉を、現代の若者が知っていて、日常会話の中に出てくることに、意表を突かれた。言葉の調子から、どんな会話が交わされていたのか大方の想像がつき、楽しそうな雰囲気が伝わって、「もらい笑い」をしてしまった。

「歯を食いしばれ!」と聞けば、アラウォー(第二次大戦前後生まれ)にとっては、戦争の、非人間性を思い起こす言葉だが、歴史でしか戦争を知らない世代にとっては、おそらく、漫画やアニメ、あるいはお笑いで知った、滑稽な死語の一つなのだろう。

時代は時代の子にしか分からない
「灯台もと暗し」で、その時代、その土地で生きていると、案外、自分たち自身のことが見えなくなっているものだが、逆に、その場にいる人間にしかわからない、皮膚感、空気感というものもある。
日本の過去を執拗に追求する韓国は、慰安婦に続き、徴用工問題に集中し始めた。
軍艦島の生き残りの証言として、「殴打は日常だった」と、刺激的なタイトルの記事があったが、現代人からすれば刺激的かも知れないが、戦中派は、「それがどうした」と思うだろう。確かに日常だったからだ。

慰安婦や徴用工の実体や、朝鮮人は日本人だったか、と言った、ややこしい話とは全く関係なく、戦時中の日本の日常には、誰彼かまわずの殴打があり、体罰、体罰とニュースで騒がれる現代からすれば、全く想像を絶するような空気が流れていた。
今や、日本がアメリカと戦争したことさえも知らない人がいるような世代には、賛否以前に、戦争とはどんなものなのか、その空気さえ理解できないだろう。

戦前の日本軍では、人権など辞書に無い「真空地帯」で、新兵は「お前らの代わりなど一銭五厘(召集令状)で幾らでも補充できるのだ!」と宣言され、「可愛がってやる」と、朝から晩まで、拳や棍棒で殴られた。
それが社会の隅々にまで蔓延し、学校、職場、時には家庭にまで、入り込んできた。
結核で寝込んでいる長男を、軍隊から休暇で帰ってきた義弟が、「精神がたるんでいるから病気になるんだ、この非国民!」と袋叩きにしたことを、妹が涙ながらに回想していた。結核の兄は間もなく亡くなったそうだ。
こうしたことに、当時は誰も抵抗できなかったのだ。

戦争の記憶の無い親から生まれた昭和40年代以後の人は、戦争当時の空気、風景を先入観を持たずに、想像して見る必要があるだろう。また、もっと手っ取り早いのは、その空気のままで語られた、戦後間もない頃の小説や映画で疑似体験をすることだ。今では、理解できないシーンばかりだが、風景としては現実だった。さらに上級者には、戦時中の国策映画を客観的に観ることによって、思想までが見えてくる。
歴史や国防を語るのはそれからだ。