魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

食われる

2022年01月11日 | 話の畑

中国のユニクロで、コラボTシャツの奪い合い殴り合いの争奪戦が起きたが、日本ではそれほどの混乱はなかった。
中国の混乱は、あくまで転売目的の客だ。値上がりしそうだから是非手に入れたいので、殴り合いになる、
中国人は極めて現実的と言われる。食の国中国の挨拶は、「飯食ったか?」だそうだ。
衣食足りて礼節を知るものだが、食で止まっている。

欧州も日本も、特に豊かな国ではないが、何故か食以外のものに関心を持ってきたところを見ると、中国の環境が厳しかったからと言うわけではないだろう。安定した時代もあったし、芸術が盛んな時代もあった。にもかかわらず、どう考えても中国の美意識には心が動かない。
美は調和から生まれるが、多様なもの多様な心が無ければ、調和の欲求も生まれない。
陰陽、何事も二者択一にする中国には調和が生まれない。
あれだけの人が住む中国だから、美の才能も豊富なはずだが、文化を規制する今の中共の動きを見ていると、なるほど、不毛の地であることが納得できる。

ユニクロで奪い合う「デザイン」は、美の渇望では一切なく、金金金だ。金だけが人生の目的。つまり、食うことしか関心がなく、物量の豊富なこと、それを得る力だけにしか価値を見いだせない。そんな社会が豊かになれば、次のものを求めて侵略を始める。
中国の侵略動機は、貧困でも石油でも世界統一でもない。ただ、欲しい。それだけだ。
説得しても止まらないマシンを止めるには、エネルギーを断つしかない。
中国から美味い汁が吸えると考えている企業は、やがて、フォアグラか豚マンにされるだろう。


辞意表明

2013年09月22日 | 話の畑

王さんの日本ホームラン記録が、バレンティンによって破られた。
飛び過ぎる統一球で、加藤コミッショナーは
隠れて、飛ばしていたことがバレて、「私ではない」と言っていたが、
ついに、バレンティンで、辞意表明。

「おい、加藤コミッショナー、とうとう、辞意表明したらしいで」
「何でや?」
「飛び過ぎるしや」
「へえーっ それにしても、あの年で、スゴイなあ
「アホッ それは、自慰やろ


ザ・大阪

2013年09月21日 | 話の畑

大阪府の教育委員会が、教職員の「口元チェック」を指示。

「な、な、なにをするんです・・・ぅム~ッ、」
「ぶちゅ~ッ」
「・・・何すんのや 

「口元チェックだ」

「???・・・・おい、ちょっとまて」
「ぶちゅ、ぶちゅ~ッ」
「な、な、何だ?

「倍返しだ 


怒りの夢

2013年04月13日 | 話の畑

昨日の不条理な夢は、どうも反日記事の読み過ぎでは無かったようだ。一昼夜経たないうちに、近くで大きな地震があった。
5時半頃、淡路島で震度6弱、M6だった。

不条理な夢と言えば「小便の夢」を思い出すが、あの時は息が詰まるほど苦しかったし、リアルタイムだったが、今回はそれほどでもなく、20時間以上も前だった。

ただ、面白いのは、同じ淡路阪神で、前回も今回も頭痛にはならず、体調の方に影響したようだ。昨夜寝る前、腎臓辺りに違和感があって、『あれっ、ヤバイかな』と思ったが、そのまま寝た。

頭痛と言えば、むしろ、13日の夕方から後頭部が痛くなり、ピップエレキバンを貼ってどうにか収まった。

淡路島では、大きな被害が出ているようだが、東日本大震災の一週間ほど前に、たしか、M7クラスの地震で三陸の養殖がダメになったと、業者が嘆いているニュースがあったが、M9がその後に控えていた。


何の役だ

2013年04月12日 | 話の畑

明け方、自分の寝言で目が覚めた。
どんな夢だったか、今説明しようとすると、もうあまり定かではない。

長年やってないが、誘われて、ご近所のお宅で麻雀をしていた。
対面に座っているのは、その家のご主人の80代の元大学教授。上家がいつもワケの解らないことを言い出す叔父。下家にいるのが初対面の40代の経営者、長塚京三を若くしたような色白の男前だ。本当は石濱朗に似ているが、近頃の人は知らないだろう。

元教授は自宅だから着流しでくつろいでいる。ドテラだったかも知れない。男前の経営者は上着を脱いでワイシャツのネクタイを緩めている。叔父はいつものジャージだ。

局は終盤。対面が序盤で「白」を二枚切っているので、「白」を切ったら、二巡目で、また「白」が来た。4枚目の「白」を切ると、対面が
「あ、それだ。さっきのにしようと思ったんだけど、これで終わりだからね」と、倒した。

「えーっ?、何の手ですか?」と、のぞき込むと半分ぐらいがマンズで、後はバラバラの、不可解な組合せだ。
「うわっ三倍役満だ」と、長塚京三が叫ぶ。「今日はもう終わりだな」と、更に騒ぎ立てる。

「あの、これは何の役ですか?」と、何度も聞くのだが、場の雰囲気は盛り上がっていて、当たり前のことに説明の必要は無いだろうの空気だ。
それでも、何度も聞くものだから、いつの間にか対面にいる長塚京三が、急に真顔になって
「三倍役満を知らないの、とぼけちゃいけませんよ、支払を逃れるのに、そんな言いがかりは通用しませんよ」と、言いながらまた笑い出す。

「いや、そうじゃないんです。ただ、これは何という役なのか教えて下さいよ」
「この手で、白が出たら上がりに決まっているじゃない」
「だから、何という役なんですか?」

問答をしていると、横から叔父が
「お前は、相変わらず往生際が悪いな。ルールに従えないんなら、始めから参加するな」と叱る。

「だから、何という役か聞いているんじゃないか!!!

・・・と、叫んで目が覚めた。

一体、何の夢だったんだろう ???

どうも、中韓の反日記事を読み過ぎたらしい。


恵美須町

2013年04月02日 | 話の畑

近頃はあまり行かないが、以前はPC関連の買い出しに、よく大阪の日本橋に行った。
話には聞いていたが、大阪にはあまり馴染みがなかったので、行くたびに、圧倒された。

初めての時は、よく分からず、難波から千日前の道具屋筋を抜けて日本橋に行った。
千日前のアーケードの入り口中央で、オバハンが
「大統領の椅子、大統領の椅子、カーター大統領が座った椅子やで~」
と大きな声で叫んでいる。
近くに寄っていくと、金色の椅子を片手で握って、辺り構わず叫び続けている。

どう見てもホームセンターにある、透かし唐草のガーデン椅子を金色ラッカーで塗装しただけのものだ。
何を思って「カーター大統領」なのかわからないが、年代物として、値打ちを強調したかったのかも知れない。それとも、オバハン個人のピンポイント記憶で、訪日の印象が強かったのかも知れない。

何より感心したのが、こうして売れば買う人がいると思いついたことだ。いや、オバハンがそう考えるからには、この辺りには、実際に、真に受ける人がいるのかもしれない。
それにしても、3500円は掘り出し物だ ???

様子がわかった次からは、パーツなどが多い地下鉄堺筋線の恵美須町駅で下りるようになった。
恵美須町駅は通天閣、動物園も近く、南に行けば西成といった土地柄で、日本橋筋周辺にはリャカーを引きながら段ボール箱を集めて回る人が何人もいるが、どういう仕組みの商売なのかはよく解らない。

電気屋街は裏通りも幾重にも広がっていて、店を探して歩いているうちに、道に迷ってへとへとになる。まだ、携帯GPSも無い頃だ。
どこを歩いているのか、広い裏通りに出た。目抜きからそう遠くではない。
ふと、板塀の 「駐車場、駐車禁止」 の看板に目が留まった。

「???」 一体、どういう意味だろう
どう見てもただの板塀で、中から車が出て来るはずが無い。
「駐車場では無いから、路上駐車するな」の意味だろうか???

考えながら、よくよく観察すると、路面の様子が少し違う・・・
ここには、常時、車が駐まっているらしい。

恐らくここを、自分の駐車場と決めている人が出した看板だ
いやそうに違いない それしか考えられない

あまりの奇想天外に、「これが、大阪だ」と驚いたが、
『いやいや、これしきのことで驚いていては、笑われる』と、気を引き締めて、何ごとも無かったような顔をして、その場を立ち去った。

しかし、後になるほど、考えれば考えるほど、「珍百景」だ。
後日、今度はカメラを持って出かけた。ようやく探し当てた同じ板塀には、看板は無かった。当然と言えば当然だが、おらく警察の指導があったのだろう。
今のように携帯カメラのある時代なら、即座に押さえたのだが、返す返すも残念だ。

しかし、問題の多い大阪府警だが、こんなところで仕事をしていれば、感覚が麻痺しない方がおかしい。
大阪府警、あんたはエライ


ネギ坊主

2012年10月16日 | 話の畑

地下鉄に乗ると、優先席だけガラガラで、平服の僧侶風70才ぐらいが一人、奥に腰を掛けている。同じ駅で乗り込んだ20代のサラリーマンと女子学生風と並んで座ることになった。

次の駅で停まると、80代の、むしられたニワトリのような白髪と髭でボサボサの爺さんが乗ってきた。なにやら文句を言っている。
色白で神経質な左卜全か、ヤワラのお爺ちゃん、ヨレた猪熊滋悟郎のような顔をして、何か文句を言っていたかと思うと、
「えーっと、何処にやったかな? あ、あった、あった」
と言いながら、ポケットから、やおら、S字フックを取り出し、優先席の手すりに掛け、ビニール袋の手荷物をそれにかけると、緑のナップサックを背中にしたまま、向かいの優先席に腰掛けた。

座るなり、また何か言い始める
「人間にはな、毛が生えるもんや・・・毛が生えてどこがオカシイんじゃ。そういう当たり前のこともワカランと、そのうちケツの毛までむしられるぞ・・・」

「ケツの毛をむしられるゆうても、近頃の若いもんは、意味もワカリよらへん・・・ワカリよらへんやろなあ・・・」

「日本は、このままでは、ぜーんぶ、イカれてまうぞ・・・戦争に負けてな、なにもかも、アメリカに抜かれてもうたんや・・・」
そう言いながら、ふと頭を上げて、
「ああ、アメリカ人か・・・オカシイか? 嬉しそうにワロウとる。嬉しかったらワロウたらええ。誰にも遠慮はいらん」
上を見ると、英会話学校のポスターで白人が笑っている。

駅に着くと、優先席に座っていた他の乗客は一斉に立ち上がって行った。降りたのか席を移ったのかわからないが、爺さん一人になった。もちろん、見ているもう一人がここにいるのだが。

そこに、小綺麗にした、70代の商家のおかみさん風の人が入ってきて、爺さんの隣りに腰掛けた。
電車が走り出しても、爺さんは相変わらずしゃべっている。
隣に座ったおかみさんは、何か話しかけられたと思い
「はあ?」
と問い返すと、爺さんにエンジンが掛かった。

「そうや、おまへんか・・・日本は、このままでは、エライことになりまっせ・・・戦争は誰でもイヤや。戦争には莫大な金が掛かるよって、アメリカかて、しんどうなってしもうた。そやから、戦争を止める言うたら大統領になれたんや・・・そやのに、なんや、日本はどうするつもりなんや・・・」

事態が呑み込めたおかみさん、『えらいもんに、関わってしもうた』と思ったが、立つにも立てない。電車は走る。ただ、うなずくばかりだ。

「日本はどうなるんや。このあいだの映画は、中学生のホームレスの話や・・・ホームレス言うたら早い話、乞食や。中学生やで・・・戦争で焼け野原になってしもうて、よーけ、浮浪児ができた時代に逆戻りや・・・近頃の連中は戦争を知らん・・・まあ、ワシも行ったわけではないが・・・もう世の中ぐちゃぐちゃや・・・日本はのうなってしもうた」
「なあ、姉さんらの年なら、わかりますやろ。嫁姑の秩序っちゅうもんが。今ごろは姑の前で、昼の日中から嫁が手枕で寝てさらしよるんでっせ・・・」
おかみさんは、うなずくしかない。

「どいつもこいつも解っとらん。もう、やられっぱなしや・・・年寄りがおらんようになったら、ぜーんぶ、やられてまうぞ・・・」

電車が京都駅に着いてみんな立ち上がった。おかみさんはサッといなくなった。

人混みの中を、ヨレた猪熊滋悟郎の後を付いて歩いた。休まずしゃべっている。エスカレーターを上がると、改札を出て、JRに入り、東海道大阪方面に消えた。

一人暮らしで、テレビと会話しているのだろうか、ナップサックの緑の上で、ネギ坊主のように白いボサボサ頭が、目に焼き付いた。

このブログも、ネギ坊主のボヤキなのかも知れない


蛍の宿は

2012年06月28日 | 話の畑

蛍の季節も、もう終わりだろうか。
今年はどこにも蛍を観に行かなかった。

もう、三十年以上も昔になるが、ちょうど今ごろの季節だったと思う。
パーティーの後、山間の村に帰る人を送って行った。
前年、初めて送って行った時、漆黒の山道に無数の蛍が煌めいて、恒星間飛行をしているような体験をした。

「もう、蛍飛んでる?」と、たずねると、
「たぶん・・・」と、たいして興味が無い様子だった。珍しくもないのだろう。

「スゴい蛍が観られる」と言うと、参加者が2人増えた。
一時間ぐらい走って、国道から脇道に入ると、チラホラと蛍が光り始め、川沿いの道に出ると、夜霧の中がクリスマスのイルミネーションのように煌めいている。

幻想的な霧と光の中を抜けて、家まで送り届けると、再び霧の中に引き返した。

もう一時近くになっていたので、かなり減っているようだったが、それでも、あちこちで光っている。
少し獲って帰ろうと言うので車を駐め、1人を残して、2人、霧の道に降り立った。ライトを落とすと、真っ暗な雲海の中だ。

てんでに、道の端で光る蛍を捕りに行くと、大きな雑木の葉で源氏蛍が息をつくように光ったり消えたりしている。
簡単に捕まるので、ビニール袋に入れながら、ふと、見ると、やけに光が強いやつがいる。

『これはすごいな!』と、上に手を伸ばそうとして、ハタと止まってしまった。光が瞬かない!?
ジッと見据えるのだが、暗い上に深い霧で、蛍の姿がよく見えない。
しかも何か、蛍の柔らかな黄色の光とは違い、金色に輝いているのだ。

そのうち、なぜかワケも無く、不気味になってきたので、
「もう、帰ろう」と声を掛けて、車に乗り込んだ。

発進しようとしていると、助手席でジッとしていた一人が、
しぼり出すような、小さな声で
「あれ、何?」

言われて、窓越しに川の上を見ると、濃い霧の中に、白装束に白髭の、人らしきものが立っている。
何だろうと、目を凝らそうとすると、白い影が、すーっと近づいて来る。
「ギャーッ」と、後ろの席から声が上がったのをきっかけに、闇雲に発進すると、そのまま、5分ぐらい走り続け、街路灯の明かりがあるところまで、バックミラーも見なかった。
背筋が凍り付くとはこのことだ。体中がシビレて汗びっしょりだった。

三人とも、
「こっちに来たあ」と、放心状態になって、言い合った。

あまりのことだったので、翌日、明るいうちに、もう一度行ってみた。
(さすがに、そのままもう一度、引き返す気にはなれなかった)
霧の無い昼間に来てみると、何も存在しない川面の空間だ。
霧の塊がそう見えたのだろうが、それにしても、三人共が「白装束の老人」を見たと認識していたことだけは事実だ。

「霊」を感じるのは、体調のせいだと思っている。
体調が万全ではない時。成長期の子供や病人、健康障害のある人は、そういうものに遭遇しやすい。正常な大人でも、疲労や睡眠不足などで体調が崩れると、「霊体験」に遭遇する。(鏡に

蛍事件の時は、深夜、夏の霧の中で身体も冷えていたのだろう。
体調不全、体温低下などの時は、無自覚の不安感がとりつき、「霊」の世界が近くなる。

一人でPCのディスプレーに向かっていると集中し、いつしか、周囲と隔絶された世界に入り込んでいる。

今は

あなた一人ですか

あなたの後ろの人

誰ですか~


闇夜の声

2012年01月25日 | 話の畑

ハーン(小泉八雲)の「怪談」に、
横着者のお姫様が爪楊枝を畳のすき間に差していたら、夜中に爪楊枝の小さな精霊達が騒ぎ立てるという話があった。
また、「怪談」には、親に死に別れ、強欲な質屋にすべて取り上げられた幼い兄弟が、「お前寒かろ」「兄さん寒かろ」と言いながら凍え死んだ声が、一枚の布団から聞こえるという話もある。

先日、風邪気味なので、早く寝ようと横になった。と言っても、丑三つ時の2時前だった。

電気を消して、寝入りかけた頃、何か小さな声が聞こえる。
「・・・○×゜△〆□×○?ヾ∞〃・・・」
『あれっ』と思って、耳を澄ますと聞こえなくなる。
気のせいかと思い、眠ろうとすると、また、聞こえてくる。
耳を澄ますと、聞こえない。

そんなことを、2~3回繰り返しているうちに、すっかり目が覚めてしまった。
横になったまま、辺りを窺うが、何の物音もしない。
ハーンの「怪談」を思い出して、
『何かの精霊だろうか?』と、ふと、期待する。
妖怪にしては、声が微かで可愛らしすぎる。
しかし、楊枝もなにも、思い当たるふしはない。

『アホなこと考えてないで、寝なくては』と、再び寝入ろうとすると、
「・・・△〆○ヾ∞×゜?□×○〃・・・」
また、聞こえ始めた。

今度は、身体を起こして電気を点けてみた。寒い夜更けの部屋は、静まりかえっている。
所在なく、再び布団をかぶった。

「・・・〃□×〆○ヾ∞×!△゜?〃・・・」
また何か言っているが、どうにも聞き取れない。聞こうとすると聞こえなくなる。
『もう、相手にしないぞッ!』と、構わず寝ることにした。

眠気が増すにつれ、だんだん声が大きくなってくる。
なんだか、言っていることが聞き取れそうになってきた。

その時、ハッと気がついた。

何だ、気管支が鳴っているのだ。寝息とはタイミングのずれた時に、微かに微かに鳴っている。
音を聞こうと緊張して、息を潜めると、鳴らなくなる。眠りに入り、力が抜けると鳴り始める。だから、寝入る直前に最大値になったというわけだ。

電気もなかった時代には、こんな夜更けの体験も、妖怪になったのだろう。
翌朝、目覚めると、風邪気もスッキリ収まっていた。


犬の人生

2011年05月29日 | 話の畑

先日の「はてなの」ような、トンチンカンなことによく遭遇する。
信じてもらえない話」「バッテリー」「微妙に・・・

ちょっと、人には言えない話も少なくないが、高校の頃の友達のように、自ら進んで飛び込んだ冒険や武勇伝のような、「勇気」の結果ではない。ボーッと歩いていたら棒に当たった、オトボケ事件ばかりだ。

日頃はすっかり忘れているのだが、何かあるたびに、『そういえば』と思い出す。しかし、あまりにもウソ臭いので、前後の経緯から話さなければ、信じてもらえず、あまり、人に話す気にはならない。

もともと、自分自身が疑い深く、人の話を真に受けない。
人の話というものは、「事実+印象+思い込み」の結果だから、話を聞きながら、それぞれに分解して、事実を推察する。
そうすることで、その人の、思考方法や思いが理解でき、こちらが話す、別の観点を理解してもらうことが出来る。

世の中には、変わった事件にばかり遭遇する、というより、朝から晩まで、事件の連続の人がいる。
こういう人のことを嘘つき人間だと怒る人がいるが、これは病気だ。
体験をうかつに話すと、この種の病気を疑われる危険もある。

だから、体験談を話す時は、誤解を避けるために、なるべく詳しく情報開示しなければならないと思う。当然、「長い話」になる。
思い出すたびに話そうとしても、長い話は、話す気にならず、聞く気にもならない。第一、たいていはくだらない話だ。
そう思うと、話す前に、忘れてしまう。

そんな、くだらない話を一つ思い出した。なるべく短く話してみたい。

16の時、バイクの免許を取った。うちにはバイクは無かったので、親戚から借りて、練習のため郊外に遠乗りした。
そうとう走ったので、田園地帯の国道脇にあるガソリンスタンドで、帰りのガソリンを満タンにした。

国道の横の田んぼに突き出たスタンドから、国道に出るため左右を見回していると、国道の下の田んぼで農作業をしていた30代位のおばさんが、田んぼの端に来て、背中を向け、モンペをズラして前かがみで、立ちションを始めた。知ってか知らずか、大きな尻が10mもない、目と鼻の先だ。視力は2.0。

当時は、法律もなかったから、ヘルメットもかぶっていない。
16の少年にとっては、非常事態だ。 ウ~ ウ~ ウ~

見たいが見られない。去るべきだが立ち去れない。止まって見ているのを、知られるのも恥ずかしい。
『行け、でも・・・』と葛藤するが、見るに見られない方向から音だけ聞こえてくる。
永遠にも感じられる一瞬の躊躇の後、思い切ってブーンと立ち去った。

近頃のAVには「放尿・・」などあるが、年寄りにはくだらなくても、少年には、お宝であると、よく解る。


童心

2009年02月17日 | 話の畑

人工衛星がぶつかって驚いたら、原潜もぶつかっていた。
原潜は魚座・海王星問題だが、衝突はいずれも電子機器(天王星)の問題だろう。

子供の頃、潜水艦の模型を作った。
おもちゃの船や飛行機が好きだった。何時も模型作りをしていたので大人からよほど工作好きだと思われたが、工作は嫌いだった。
船や飛行機の動く姿を見たさに、仕方ないから組み立てていた。

航空産業
組み立てキットに描かれた飛行機の勇姿を見ると、飛ばしてみたくなる。組み立てて飛ばすと、もっとうまく飛ばしたくなる。
良く飛ぶにはどうするか、部品を削り、動力ゴムを替え、様々な工夫をして、より高く、より永く飛ばそうとする。

滞空時間を競うゴム飛行機の飛行機大会があった。
内心、かなりの自信作で、テスト飛行では上位を競うタイムが出た。
いざ、出陣のその日、会場は風が強く、時折、突風も吹くという悪条件だったが、晴天で決行された。

次々と舞い上がっていく機体の中には、突然、地面にたたきつけられる者もあれば、強風で、遙か彼方の上空に消えてしまう者もあった。
しばらく凪のような無風になると、強者が本領を発揮し始め、延々と会場上空を旋回し続ける。

いよいよ我が愛機、勇躍、飛翔のそのとき、構えた手の先の愛機に突風が吹き付けた。
翼は一瞬にして折れ、アッとかばう胸の内で、愛機は無惨な姿で逝ってしまった。
以来、一度も模型飛行機を造ったことはない。

造船業
これよりもっと、昔になるが、ゴム動力の潜水艦を建造した。
幼児期には、タライで樟脳の船を走らせたし、風呂ではロウソクで走るポンポン船で遊び、のぼせてしまったこともある。
ヨットの航法をそのまま模型にする記事が、工作本に載っていたので造ってみた。
近くの池に浮かべると、ゴムも電池もないのに、風に向かってジグザグに、ものすごいスピードで走っていく。人工の動力が無くてもこんなに走ることにショックを受けた。

その頃、プラモデルというものが登場した。箱に描かれた迫力ある絵に魅せられて、零戦を作ってみたが、動かないから何ともつまらない。せめてもと、ヒモにぶら下げて見たが、やはりつまらない。
翼にヒモを付けてクルクル回していたら柱にぶつかってバラバラになってしまった。
「潜水空母・伊四〇〇型潜水艦」のプラモデルは美しく、見ていると潜航する姿が目に浮かぶ。これも何とか動かないものかと思っていると、ゴム動力で走る伊号潜水艦が売り出された。

これはなかなかの優れもので、スピードもあり、潜行蛇が付いているから本当に潜行する・・・と言うより潜行しようとする。
何しろ一定の距離を走らなければ潜行しないから、家の風呂では潜りかけるところでぶつかってしまう。
かと言って、池で走らせると、潜るからどこに行くか解らない。
その当時、プールは学校しかなく、もちろんそんなことに使わせてはくれない。
で、友達と銭湯に行った。

潜航する姿を見られるように水中めがねも用意した。
ワクワクしながらゴムを巻き、一番すみっこから、最も距離がある対角線上に進水した。
スゴイ、スゴイ !
本物の潜水艦が潜行するように、艦橋が水を切りながら潜行していく!
急いで潜って見ると、まさに潜航して進んで行く潜水艦だ・・・
そのとき
「こらーッ! 何をするッ!」
いきなり、オヤジに突き飛ばされた。
伊号潜水艦が、オヤジの股間に体当たり攻撃をしてしまった。
しかも、スクリューがモジャモジャを巻き込んだから、大騒ぎ・・・
帰りには、番台のオバサンにも懇々と説教された。

子供は、小遣いがあれば新しい玩具や模型を買ってしまう。
高度成長の中国もインドも、軍事費にものすごいお金を使い始めた。
せっかく手に入れた最新鋭機を使いたくなるのは、子供ばかりではない。近頃、中国の潜水艦は広い太平洋で走りたがっている。もうすぐ空母も建造する。

「こらーッ!」と叱るオヤジがいないなら、
小遣いを持たせないようにするしかないのだが・・・

P.S. 
思い出したのだが、オヤジを怒らせた潜水艦は、市販にヒントを得て自分で木を削った改良型だった。完全潜航してスピードが倍になっていた。


大草原

2008年08月15日 | 話の畑

何の競技か、テレビをつけたら、一瞬だったが、オリンピックの応援席で両手を上げて喜んでいるアジア系の女の人が映った。
ピンクのノースリーブで、わき毛ボウボウだった。

何か、涙が出るほどうれしかった。
まだ、グローバリズムやアメリカナイズに汚されてない地域があるんだ、と思った。懐かしかったのかも知れない。

今、日本人の女の人がわき毛を伸ばしたままノースリーブで電車に乗れば、アブナイ人だと思われるだろう。20年前でさえ、黒木香はわき毛を商品に使えた。

女のわき毛を剃るようになったのは、そんなに古いことではない。
Wikipediaによると、大正時代のアメリカが始まりだそうで、ノースリーブと安全カミソリの普及が大きいと言うから、まさに、モダンタイムスの商業主義と連動している。

見た目に、有・無のどちらが良いかという話ではない。
金儲けのカモになっていることに気づかない。バレンタインデーのチョコレートと同じだ。お金社会にすっかり洗脳されている。
全員きれいにわき毛を剃っている姿は、頭のないブロイラーがきれいに羽をむかれて店頭に並んだ姿を連想する。

さらに、
男はタンクトップでも剃らないのになぜ女だけなのか。
男社会に異議を唱える人達は剃らないのか。
そう思っていたら、近頃は男も剃らなければいけないような雰囲気が漂い始めた。本末転倒だ。

日本で、わき毛を剃らなければ恥ずかしいことになったのは、昭和40年頃ではないかと思う。
当時はミニスカート時代で、若い娘はもちろん、どんなおばさんも大根足をむき出していた。
だから、おばさんの、ミニスカート&ノースリーブ&わき毛は普通だった。
しかし、さすがにファッションに敏感な若い娘にわき毛はいなかった。

友達の女の子に、東京近県から通っている人がいた。高校時代、県で一番だったが、できの悪い弟は東大に行っても、お父さんの意向で中学から大学まで女子校だった。
大学の学生交流の中で初めて男社会を知って楽しくてしょうがなかったらしい。麻雀に参加すると、誰かが一筒を「輪切り!」と言って出せば、自分も躊躇なく「輪切りッ!」と出すような、どこかズレている、底抜けに気のいい人だった。

夏休み、都心で集合することになって、待っていると、遅れた彼女が「ごめーん」と走ってやって来た。皆、一瞬、絶句した。
ハンカチで額を拭く脇がボウボウにはみ出ている。女の子もいたのだが、誰も何も言わない。
このまま黙っているのは気まずいので、憎まれ役を買ってでた。
「電車で来たの!?」
「うん、なんで、何か変?」
「いや、別に問題はないんだけど、せっかくオシャレするんなら、若者としてはわき毛はないよー」
「え!みんな剃ってるの?」

この当時、こんな会話が成り立つような、まさに過渡期の時代だった。
彼女の質もあって、傷つくこともなく、みんなで大笑いした後、出かけた。皆、その程度にしか気にしていなかった。

ヨーロッパの、特に東欧の映画などでは、皆わき毛があった。
しかし、その後、アメリカナイズが広がるにつれ、世界中の人が剃るようになったらしい。ニュース映像などでも見かけなくなった。

だから、何のこだわりもなく諸手を上げられる人達が、いつまでピュアに暮らせるのか、そう思えば、環境破壊と同じように、殺伐とした無力感におそわれる。

しかし、北京の街中に壁をつくって目隠しをした中国政府が、よく入場させたものだと不思議に思った。
きっと、大草原からやって来た人に違いない。


散弾銃 2

2007年12月03日 | 話の畑

頭の上から店内放送が
「ただいまより、当店恒例、乱暴セールを始めます・・・」

どんなセールだろう!?

たたき売り、80%OFF とか
早い者勝ちで、奪い取った人はタダ とか
商品を投げて、頑丈さをアピールする とか
・・・・
色々想像して、売り場に行こうと思ったら

「今年は早めに、暖房セール・・・」

散弾銃は勘違いだが、これは聞き違いだ。
それにしても、もう少しマイクから口を離してくれよ。
他の店では「暖房フェア」とか、言ってるけどなあ

NEWS&NEWS

妻の守屋幸子は宮崎専務は友人なのでと避妊している・・・
(そういう関係だったのか!)

それでは知事、今後の人生の展望をお聞かせください
(大きなお世話だろう・・・あ、県政ね)

今年も寒波がやってきました。ハロー注意報が出ています
(ハローワーク、仕事探しでカゼ引くな?)

犯人は理想工作をして逃走した
(職人技のプラモでも置いて行ったんだろうか・・・偽装か)

新しい痴呆行政のあり方をめぐって、痴呆の知事が集まり・・・
(どんなに考えても、そりゃ、あかんわ)

寄生虫の事故で多数の死者が出ました
(え!中国キムチだろうか?・・・帰省中ね)

歳を取ると、不思議な世界が聞こえてくる。
思いがけない、パラダイス~じゃ (^o^)

老人入門
年寄りは視力や聴力の衰えを、想像力=当てずっぽうで認識している。何か言われると、勘違いして、突然、怒り出したりすることもある。
自分ではそんなつもりでなくても、いつの間にかそうしている。

老人の心得
「えっ!」と、思うようなことがあったら、もう一度、確かめよう
「すみません」「あの~悪いですが・・・」「ごめんなさい・・」
など、謙虚な言葉を忘れずに

若い人へお願い
年寄りは外国人だと思ってくだされ。
話してるのに、聞こえてないことや、思い込みで、良く理解してないことがある。新しい知識を知らないことも外国人なみ。
プライドは高いので、傷つけないでやってくだされ。


散弾銃

2007年11月24日 | 話の畑

TV通販から 「散弾銃、39800円」と、聞こえてきた

「え~ッ !」
ついに、通販でも銃を売るようになったのか。
玩具にしては高すぎる、モデルガンだろうか?

そう考えた、次の瞬間、
「二弾銃、29800円」
二連銃のことだなと思いながら、画面を見に行くと

「お正月は、心を込めたおせちでお迎えください」
画面「三段重39800円 二段重29800円」
確かにそうだが、日本語としては「サンダンガサネ」の重箱読みの方が美しいのではなかろうか。

近ごろ、年のせいか聞き間違えが多い。
しかし、この場合は聞き間違えではなく、勘違いだ。
勘違いは、思いこみから起こる。
発砲事件や銃器問題の話題ばかり聞かされていると、TVからはそういう話しか聞こえてこないものだと、思いこんでいるのだろう。

以前、関東出身のお母さんが話していた。
子供が、家に入って来るなり
「なあ、お母さん、死んでもエエか?」
と言うので、ギョッとして凍り付いた。

いじめられて、ついにこの子も・・・
と、思ったら、
夏休みの宿題を今日は「しんでもエエか(しなくても良いか)」ということだった。