かわいいから「ちゃん」と呼ぶ。大切な人なら「様」と呼ぶ。
じゃぁ、「ちゃん」と呼べばかわいい?「様」と呼べば特別な人?
子供の頃、坂本九の全盛期で、友だちが、「キュウちゃんが」と連発するので、坂本九にまったく関心のなかった子としては、異様な気がして鳥肌ものだった。その時は、何が鳥肌なのかわからなかったが、いつしかわかるようになっていた。
佐藤栄作が「栄ちゃんと呼ばれたい」と言ったのは、むしろ皮肉だそうで、「自分はそんな下賤の輩とはほど遠い」というプライドで、バカにした発言らしい。
「様」が「さん」から「ちゃん」になったのは解るが、呼び方を変える時、心の変化を自覚している人はどれほどいるだろう。
愛称の付け方、呼び方は色々あるが、接尾語一つでこれほどイメージが固定化される例が他にあるだろうか。
欧米型の愛称の場合、Margaret はMaggyのようにほとんど決まっていて、Maggyの印象はその人次第だ。日本でも名前を省略したり呼び捨てにして愛称的に扱うが、この印象もその人次第だ。しかし、「ちゃん」は別物だ。
大人が子供を「かわいい」と思って呼ぶとき、まさか子供が「無礼者ッ!」と、怒るとは思っていない。弱いこともかわいらしさだ。さらに大人の横暴は「ちびっ子」だ。これには子供は怒っても良いのではと思う。
「ちゃん」は勝手な思い込みが通じる相手に使われる。相手が受け入れてくれる場合は「ちゃん」で、安心できない相手は「さん」。こちらが気をつかわなければならない相手は「様」。
芸能人を「ちゃん」呼びできるのは、まず向こうが媚びているのだから気をつかう必要がない。しかも、対等と思わせる雰囲気のある場合だ。「しずちゃん」「えいちゃん」「あいちゃん」
親しみを感じるけど立場が違うと思えば「さん」になる。「長島さん」「健さん」
「お慕い申し上げ」るために自分の中で持ち上げるのが「様」だ。「杉様」「ヨン様」
こうした呼び方は何れも勝手な思い込みの表現で、自分の幻想を実感するツールだ。しかしもし、そのスターを初めから「ちゃん」や「様」のセットで知ったらどうだろう。
「さん」や「様」で現れると、初めから自分より上の気をつかわなければならない相手だから抵抗があり、いささか慎重になる。ところが、「ちゃん」で現れる者には抵抗がない。対等以下という安心感がある。
さらに、「ちゃん」と呼ぶのだから「かわいい」という先入観が初めからインプットされてしまう。確かに、初めに呼んだ人にとっては「かわいい人」かも知れないが、誰にとっても「かわいい」わけではない。それでも皆が「ちゃん」呼びすれば、「かわいい人」ができあがってしまう。批判的に観察されることはほとんど無くなる。
だから、「ちゃん」の有名人がマスコミにこき下ろされたり、ふくろ叩きにあうのは見たことがない。他の人なら総攻撃をくらうような事態でも、むしろ同情的なのだ。
子供の頃「キュウちゃんが」に鳥肌立ったのは、「ファンの盲目の恋」(=ファナティックな熱狂)が、自分と関係のない世界で、現実に燃え上がっている恐怖を感じたからだろう。(ちなみに、この友だちは今、精神科の医者をしている)
「さん」や「様」にはそう簡単に巻き込まれないが、「ちゃん」には用心しなければならない。どちらかと言えば、批判的に見てほどほどだ。
芸能人ならどうでも良いが、政治家となると顔をしかめるだけではすまされない。好き嫌いで政治は任されないからだ。
政治家は公人だから、せいぜい役職名だけで敬称はいらない。「さんちゃん様」にはお任せできない。「将軍様」はいらないのだ。
ところで、「ちゃん」の効果を逆手にとって、初めから「○○ちゃんでーす」と自己紹介するのは、バカにされても実利のとれる、汚い妙案かも知れない。