魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

長子社会 4

2023年11月06日 | 兄弟関係

【未来は一人っ子社会】

制度と文化からの脱皮
実際に、未来社会に進むためには、「婚姻、税、選挙」からの脱皮が必要条件だ。
今後はAIとロボットで労働環境が変わり、古代アテネの貴族社会のようになるから、潤沢なベーシックインカムを前提とすれば、職業は生計と無縁になり貴賎がなく、多様な才能が花開く。今、盛んにAIの危険が叫ばれているが、これはAIを従来のコンピュータのような位置づけで信頼するからだ。AIは従来の計算機とは違う、言わば人格を持った奴隷としての付き合い方をすることで対処できる。ローマ時代には何度も奴隷の反乱があったようだが、押さえ切れたのは、知能労働までしていた奴隷を信頼していなかったからだろう。

未来世界では、古代氏族や「家」による「生計と養育のための婚姻」が不要になるから、国も婚姻を前提としない収入を基本にする必要がある。
婚姻制度を前提とする税制を廃止し、個人所得税も廃止する。代わりに内税とロボット税を増やす(人の代わりに生産するロボットから税金を取る)。つまり、税は不要になる・・・と言うより、そこに向かうのが未来志向であり、無税こそが未来の扉だ。

両性の自由を謳いながら人間を縛る婚姻制度が無くなれば、「結婚前提のお付き合い」も無くなり、親が子を育てる当然の「家族」概念も無くなる。親子の関係は自由で良いが、子供は基本として超大家族社会=未来国家が育てるものにする。尚これは、従来の労働者の社会主義や国家主義とは異なり、あえて言えば、聞こえは悪いが、大きな村や町内のような善意の掟社会のような概念だ。これは良識を前提とするので、不可能のように思えるが、社会が長子的な自省社会なら可能になる。ただし、この場合の自省は、古典的な弟妹型の畏れによる自粛ではない。自省は考えることであり、自粛は思考の停止だ。

また、古代の陶片追放の発想から変わらない「選挙」を、民主主義の根幹とするのは、形骸そのものだ。万民の意志を実現するのは数よりも、真意の抽出のはずで、近年、アンケート調査のウエイトが大きくなっているのも、選挙の優位性が後退していることの表れだろう。
今後のAI社会では、様々な社会動向から社会総意や、よりベターな選択肢を把握することが容易になる。人間はAIに管理されるのではなく、それを利用することで、今までよりましな判断が下せるだろう。具体的にどういうシステムかは別として、一刻も早く、選挙の廃止を考えなければ、選挙の無い国に蹂躙されるようなことになるだけだ。

なお、AIやロボットを活用する未来で重要なこととして、ロボットの労働に権利までは考えない。ロボットやペットの権利を考えるのなら、人間の存在は始めから必要ない。
こうした未来になれば、受験、就職の無意味な悩みが消え、様々な差別も前提を失い、出生率や同性婚云々の不毛な論議も無くなる。
これを可能にするのは全て、AIとロボットが実現する未来であり、今ここに実在しないからと言ってこうした未来を否定するのは、古代氏族制度に洗脳された、「因循姑息な音がする」ちょんまげ頭だろう。白紙から考えるのが長子であり、前例に倣うのが弟妹思考だが、長子の種を咲かせるのも弟妹だ。未来の長子社会に最も懸念されるのは、アイデアを実現させる持続性と統一性ということになるのかもしれない。

 


長子社会 3

2023年11月05日 | 兄弟関係

【未来は一人っ子社会】

一人っ子日本は内面が複雑
19世紀の日本は、立前は中華圏の長子的価値観だったが、実体は、「権力の無い天皇」を神の代理とし、さらに徳川家康も権現様とする幕藩複層社会のうえ、養子相続による融通性に富んだ、弟妹型社会のダイナミズムを内包していたので、神の下の欧米に対応できた。
中華式氏族の長子継承と異なり、日本では庶民に至るまで、家名継続の養子縁組が文化として定着しており、大陸ほどの格差はなかった。人口10倍の中国でも4000しかない姓氏が、日本では10万以上あると言われ、その各々が家名を守ろうとするのだから、日本社会の内面、実体は横並びの弟妹社会だった。(ただし、国の相対関係では一人っ子)

戦前まで日本社会は、家庭内では序列を保ちながらも、家同士は対等な競争関係にある弟妹資質を内包していたが、新憲法下で核家族化が進むにつれ、現在の日本には家庭内序列も家同士の競争も無くなり、「家」ではなく、「親子」を単位とする一人っ子、長子の価値観が社会に広がっている。

長子(一人っ子)は、理屈っぽいのに、過剰に物わかりが良く、争いを避けたいが為に、相手の言い分を「理解」し過ぎる、力無きインテリになりやすい。「自粛」も「過剰な思いやり」も「自虐的責任感」も長子のものだ。また、弟妹のように周囲の存在を意識できないから、自己主張も自己説明もなく独善的だ。
日本は対外的には昔から一人っ子の島国だが、現在の社会常識も長子(一人っ子)化している。今後ますますこの傾向は強くなるだろう。
しかし、長子の特長を活かせば、世界全体が長子化、個人化する未来世界では先駆けになれるかもしれない。

長子型を活かす未来社会
そのためには先ず、村社会を欧米合理主義で固めた、過度な集団思考を捨てなければならない。
学校や一括進学・就職を廃止し、年齢・地域・国を超える多様性意識を創らなければならないが、幸い、これを可能にする情報社会がますます広がっている。
公教育は、人格形成を目的とし、社会性と「学び目的探し」の遊びの場とする。勉強ではなく「遊び」こそが、最大の学びであることを周知する事が重要だ。
知識ならAIで充分だ。個性に合わせて、AIを秘書=家庭教師にし、全ての人が王様として教育を受ける。その前に、受験文化がいかに社会的ロスかも、考え直すべきだ。

読み書きソロバンを機械がする時代には、人間は考える力と本来の道徳を身につける帝王学を学べるから、社会智が向上する。
記憶が無ければ考えることもできないじゃないかと、思う人もいるかも知れないが、思考に必要な事柄は、思考と共に記憶され、テストしなくても自然に憶える。単なる記憶量ならAIに任せれば良い。中華式選抜試験と欧米式学校で凝り固まっている日本教育は、AIで無用になる。当然それで訓練される職業も無くなる。未来に必要なことは「思考力・創造力」であり、それは、長子に向いている。

世界が驚く、「キテレツな智の宝庫」日本とは、正に一人っ子の独善と独創だ。この日本の特殊性を再増幅すれば、長子時代の未来において、日本は世界の智のメッカになるだろう。


長子社会 2

2023年11月04日 | 兄弟関係

【未来は一人っ子社会】

長子・一人っ子時代
人類の歴史は多数派である「弟妹」の歴史だった。
ところが、現代のように医学が発達し死ぬ子が減り、少子化が進むと、長子の比率が高くなり、社会に長子的価値観が広がる。親も長子、子も長子の関係は穏やかで理屈っぽく、互いの自由を認め、争いを避け競争意識がない。
誰かに習うことが嫌いな長子社会に、ネット時代が重なり、ますます、人に従い「習う」ことが薄らいできた。これが「ゆとり世代」や「Z世代」と言われる文化であり、弟妹さえも長子型の思考をする。
古典的弟妹型社会で育った50代以上の旧人類には理解できない感性と価値観が生まれ始めている。

何でも自分で考え想像してみる長子は、弟妹の気持ちをある程度推察できるが、弟妹には長子の気持ちは親と同様で、想像できない。表面的な言動だけを見て理解したつもりになる。
もちろん、弟妹も想像はするが、長子が自分の考えも疑いながら想像するのに対し、弟妹の想像はパターンに当てはめる「決めつけや思い込み」になる。親が痴呆だと決めつけるのは弟妹に多く、長子は「歳相応だから普通だろう」程度に受け止める。
余談だが、弟妹の書く小説の方が面白いのはイメージが具体的で現実感があり、読み手の想像の余地が多いからかも知れない。長子は、これが面白いだろうと作為的な過剰表現が多く、没入できないが、哲学的で考えさせるところはある。

現代日本の若者が海外に出て行こうとしないのは長子文化の影響もあるかもしれない。想像すれば解ることを体験してみたいとは思わないし、知らない人に心乱される苦労などしたくない。ただし、好奇心と思い込みで、恐怖を忘れるのも長子だ。
弟妹は状況次第で、服を着替えるように一瞬にして変われるが、現場対応が苦手な長子は納得するまでの時間が掛かる。もともと思考型の長子は出て行くまえに情報で想像する。
しかし、これが長子の欠点で、無心で体験してみなければ解らないこともあることが解らない。長子は事前に様々に想定し、心の準備が無ければ動けない。仮に突発事態に遭遇しても、「想定内」だったことにする。ホリエモンも長子だろう。

タテ型長子、横型弟妹
人類が経験したことのない長子世界が来れば、争いは無くなるかもしれない。戦争を好まない宗教や哲学は長子によって生まれ、教理で争う宗教は弟妹によって生まれたのではないかと考えられる。
各々の教祖が実際どうであったかは不明だが、全ては人間自身=己が解決する問題と考える仏教や儒教は長子の視点で、生まれる前から絶対的力=神が存在するキリスト教やイスラム教は弟妹の視点と言える。(一神教の神は古代ユダヤから存在していたので、キリストやマホメットの発想ではないが、被抑圧者の視点は弟妹と同じ)

タテ型長子社会の中華圏が19世紀の欧米に蹂躙されたのは、多分に、素早い対応が出来ない長子帝国が影響していたと思われる。現在の中国共産党も、何か起こると反応が遅く、逆に、弟妹型の韓国は何も解らない内からとにかく現象に反応し変わり身も早い。
一人っ子日本は外から見ると何を考えているのか解らない。強く押すと思いがけない行動に出る。破れかぶれはあるが、コツコツと積み上げるのが信条で、決断力は無い。

世界侵略をしたモンゴルは原則は長子相続だが、徹底した実力主義で、ヤクザ的、あるいは戦国武将的力関係で成り立っていたので、農耕型の安定社会は間単に崩された。
現在の中国は、幾度も征服されたこともあり、モンゴルの実力主義の影響を受けているが、漢民族の農耕的管理官僚社会で形骸化し、モンゴルのような臨機応変の行動は取れない。始めは上手く行っているように見えることも、結局、安定志向を求め進取性を失い他動的大崩壊を待つことになる。
この傾向は、一人っ子型の日本の方がもっと強いが、表面的な動きがないので大崩壊まで気づかれない。


長子社会 1

2023年11月03日 | 兄弟関係

【未来は一人っ子社会】

長子は一人っ子
長子は元々は一人っ子で、次子との年齢差にもよるが、ほとんど一人っ子と同じ特性を持っている。弟妹がいれば、あしらい方を身につけるが、年が離れるほど一人っ子同様になる。
また、長子の親が弟妹の場合は、子供を自分の弟妹・部下扱いするので、弟妹型の要素が加わるが、成長後の長子は親と距離を置くようになる。

< 総領の甚六 >
昔、商店街が元気だった頃。ある商店街のランドマーク的なお店があった。仮にその店を一休さんの「桔梗屋」としよう。その店の5歳の一人娘が、みんなの前で名前を聞かれて
「桔梗屋弥生です」と答えて、一同大笑いになり、町内に語り継がれた。
もちろん、桔梗屋は屋号で、本名は別にある。
皆が笑ったのは、いつも呼ばれる屋号を姓だと思い込んでいる、子供らしい無邪気を可愛らしく思ったからだろう。

しかし、これが弟妹だったらこうはならなかった。自分の姓を知らなければ名前だけ言う。「上の名は?」と追求されれば、キョトンとして助け船を待つ。第一その前に、兄姉が姓を知る頃には自分も横で素早く憶えて、「斉藤弥生」ですと答え、なんと賢いと感心されるだろう。
弟妹は生まれたときから先達がいるから、考えることより、習い「憶える」ことが得意だ。ところが、見習う対象のない長子は、全て自分で「考える」。
『どうも名前には別に、一家の名前があるようだ』と気づいたら、自分で考え、これだろうと、勝手に決め込む。もちろん、手がかりがなければ、進んで尋ねもするが、どう見ても一家の名前はみなが呼ぶ桔梗屋だ。だから、誰に聞かなくても自分の姓?を知っていた。
長子が自分で考え、判断する例は、麻生太郎の「みぞうゆう」がある。ルールや世間の決まり事より、先ず自分で考える。

教育熱心な親が色々教えようとしても、あまり真剣に聞かない。物心ついた瞬間から自分で考えるから、教える人に対して素直ではなく、反応が悪い。実際、自分で納得しないことを無批判に受け入れる習慣がないから、「憶えが悪い」。
長子の親は子供の自主性を尊重するが、弟妹は人に聞いて憶えることに長けているから、それが向上の最良策と考え、自分も人に教えたがる。弟妹が親になり、我が子の長子に熱心に教育しようとすると、双方にとって色々と辛いことになる。

多産時代の長男相続
昔は兄弟10人ぐらいは普通だったから、多数派は弟妹で、世の価値観は弟妹型だった。反応が悪く、世間とずれている長子の思考や態度は、「総領の甚六」と揶揄された。
しかし、早くから親の手助けが出来ることや、長子の独創性や未知への対応力が経験知として認識されていたことで、長男相続が重視された。だが、これは長子が重要なのであって、長子が女なら長女でなければ意味がないのだが、男系の氏族文化では男にこだわったため、実は姉がいる弟妹の長男が後を継ぐことが多く、「賢しい長男」は弟のことが多かった。

人類の歴史は弟妹型の歴史だ。「習い覚え」、「素早い反応」、「競り勝ち」は、全て弟妹型の原理であり、「学校教育」、「情報や技術の輸入」、「敵を求める戦争」も全て弟妹型に起因する。当然日本も、維新や明治政府を率いたのは弟達だった。さらに言えば、日本神話は弟妹がヒーローで、大国主命も神武天皇も、ヤマトタケルも弟だ。
弟妹は競争相手によって自分を確認しようとするから、妥協より争いを好む。
長子は相手の存在が念頭にないから、挑戦を挑まれると譲り、難儀を避け別の道を探そうとする。弟妹に強く言われると「お前に任せる」と言う長子は少なくない。また、長子が親を助け、弟妹のために犠牲になることも多い。弟妹はそれを当たり前の光景とみているので、感謝する場合もあるが、中には親と同じように反発して嫌い、長子に反抗する場合もある。いわゆる「悪口」は、弟妹の長子への視点の場合が多く、長子には「告げ口」の相手がいなかった。
弟妹中心の古典的社会は、競争やチャレンジが好まれ、国家競争や戦争を含め、発展的な活気に溢れている。近頃はあまり聞かない言葉だが「発展家」は、ほとんど弟妹だ。


兄弟喧嘩

2022年11月25日 | 兄弟関係

兄弟ゲンカと一人っ子
国を兄弟関係に見立て、朝鮮半島を末っ子と見たら、日本が上だと思っているのかと、批判する人がいたが、兄弟関係に上下はない。生い立ち環境の違いによる性格形成の違いを観ているのであって、格付けをしているわけではない。それぞれに長短がある。
上下を気にすること自体が、既に弟妹型の発想だろう。

長子は弟妹の悲哀を味わったことがないから、立場の上下を理解できない。皆同じだから、それぞれ自分の好きなことをやれば良いじゃないかと思っている。何があっても責任を問う相手がいないから、自己責任で解決するつもりでいる。
これに対し、既に兄姉がいる中で生まれた弟妹は、兄姉と同じことができないのは、兄姉が特別扱いされているからだと責任転嫁できるし、兄姉を手本に同じ事をしようとして、逆に兄姉が障害になり、克服する目標になる。一方で、多くは兄姉が責任を取る中で育つので、何かの問題は先ず、自分以外の誰かの責任だと思う。そして良くも悪くも他者の存在を意識し、他者を必要とする。

長子型の国は少ない。実際の兄弟でも長子は一人しかいないが、弟妹はいくらでも生まれる。長子型の国は中国で、イラン、インド、エジプトもその名残がある。長子の原型である一人っ子型は日本だ。古来からの大きな島国は皆一人っ子型になるが、どこにも支配されずに統一した島国は珍しい。
一人っ子の短所の多くは、親の過保護による甘えとワガママだが、国には保護する親などいない。

末っ子型の国は、大国の狭間で常に翻弄されてきた国だ。東アジアでは朝鮮半島がまさにそれに当たるが、他の大国の狭間にないベトナムは一人っ子に近く、他人に文句を言わない。一人っ子は文句を言う他者がいないからだ。西欧の末っ子は東欧の小国であり、ウクライナはその最たるものだろう。
末っ子型の国に共通する特徴は、鼻っ柱が強く、世界(周囲)に向かって大声で存在を主張しても最後まで貫かず、形勢の良い方につく。それまで属してきた国が弱体化すると被害者でしたと時の強者に訴え、味方にすると強気になって元の宗主を叩く。自分では手加減が解らないから、周囲が味方しなくなったり、大国に叱られて初めて止まる。情緒的な民族意識ばかりで、一貫した国家観が無い。

末っ子に巻き込まれる
国のタイプを、このように観ると、ウクライナ戦争を単純にウクライナ一辺倒で応援することの危険が見えてくる。
実際の兄弟では、川遊びで助けようとした長子が死んだりするように、末っ子の無軌道に長子が巻き込まれることが多い。小国の民族意識は世界大戦の引き金になる。
第一次大戦はバルカンで起こり、第二次大戦はチェコスロバキア、日清日露は朝鮮半島で起こった。いずれも直接の衝突ではないが、大国の狭間で揺れ動く民族意識、小国の自己主張が引き金になった。
攻め込んだ国は侵略者だが、正体の無い民族主義は常に大国を挑発する。

長子には親代わりの責任感覚があるが、親ではない。「子供のケンカに親が出る」はあり得ない話の例えだが、弟のケンカに兄が出るのは普通にある。
賢明な兄なら、本当に親代わりになって「話を付ける」。親がケンカに出ないのは、世間のルール、秩序に生きているからで、
「うちの子がご迷惑をおかけして申し訳ありません」、「いえいえ、親のしつけが行き届かないものですから」と、それぞれ家で子供に教育をすることになるが、
ルールの無い子供の世界で、相手の兄を大人のルールに引き込み説得するのは本当に賢明な兄だ。

ウクライナ戦争は、兄弟ゲンカの弟に武器を与えて加勢している無責任な近所のおじさんだ。何より先にすべきは、手を出した兄の説得だろう。
アメリカは末っ子型の大国だが、長子の中国は黙って様子を見ているし、中間児のトルコは、自分が怪我をしない程度に絡んでいる。
長子は進んでケンカを買わない、相談されて裁く。逆に言えばそれしかできない。6カ国協議も中国らしい発想だ。
漁夫の利を狙う中間児は、進んで動かない。今回はその中間児ロシアが張本人だから、トルコのような国が出てきた。

末っ子大国アメリカは、何時も正義の味方で威勢良く出て行って、自分では始末が付けられないトラブルメーカーだ。
兄弟との付き合い方を知らない一人っ子日本は、白村江の昔から、愛想の良い末っ子を信じて出て行き、結局、全てのスケープゴート、悪者にされる。
第二次世界大戦の大悪党にされたのも、もとはと言えば維新以来の朝鮮問題だ。
ウクライナ戦争は結局、米露戦争であり、アメリカは戦時交渉をする気はあっても、ロシアを説得する概念すらない。

日本はまたまた、末っ子の言うがままに踊らされている。日本は、その気になれば米露どちらも説得できる立場にあったが、早々に国を挙げてアメリカ側に立ってしまった。
アメリカ側に立つことによって、白黒ハッキリ、気持ちはスッキリしたが、立場が狭くなり、中露の信頼を失い、国の存亡をかけることになり、今や国論は軍事一色に傾いた。
一人っ子日本は、二枚腰三枚腰を備えた、生き馬の目を抜く世界を知らない。また、知ったところでそんな芸当はできない。やっぱり、永世中立の鎖国しかないのかも知れない。


逆ギレ術

2022年08月04日 | 兄弟関係

新型コロナでホテルに収容された人がいた。高校時代の仲間5人が集まって飲食をした後発症したので、ホテルに移る直前に、同席した仲間全員に連絡した。
その後、ようやく陰性になって帰宅し、その旨仲間に連絡すると、そのうちの1人が
「わたしは陰性だったけど、他の人はどうだったん。なんで連絡してくれへんの!」と、えらい剣幕で言い出したので、思わず
「ごめんごめん、みんな陰性だったみたい」と言うと
「ずっと気を揉んでいたやんか」と、さらにたたみ掛けてくる。
「わたしも、色々大変で・・・」と言いかけるが、勢いに負け、結局、「ごめんごめん」で電話を切った。しかし、どうにも納得がいかず、悶々としていた。

この悶々としているコロナ上がりの人は、2人姉弟の長女で、怒りまくっていたのは、5人兄姉の末っ子だった。
長子は、責任を追及されると「一理ある」と、一歩引く。末っ子はとりあえず人のせいにして、怒ったり恨んだりする。

長子は様々な責任を植え付けられ、何事も自分で判断する。だから、平時は責任から逃れたがる。一方、末っ子は親兄姉の意志のままに動くしかないので、相手の出方次第で行動を決定する。とりあえず強く出て、反撃を食らえば姿をくらます。問題そのものの判断より、状況判断で動く。責任とは何かを知らないから責任者(長)になりたがる。
末っ子は不安な気持ちを、とりあえずブチまけたのだろう。長女の方は「それもそうだ心配させた」と責任を感じ謝った。末っ子の方は、「押せるならとりあえず押す」クセが出たのだろう。

2人は友達で対等だが、生い立ちによるクセは異なる。そしてそのことに気づいてない。だから、長女の方は引いたものの、何か釈然としない。もう絶交だと思い詰めていた。
この場合、どうすれば良かったのだろう。色々方法はあるが、「目には目を歯には歯を」もある。逆ギレだ。
「何ゆうてんの、こっちは病気で隔離されて寝込んでいるのに、そんな余裕あるわけないやん。自分でみんなに連絡して、こっちに連絡してくれてもええんとちゃうの。友達やろ!」と、弟妹流の大声で言えば、負けずに色々と言い返してくるが、それは相手にせず、「もういい!」と切ってしまえば、「周囲に吹聴」して賛同者がいなければ、そのうち向こうから連絡してくるだろう。後で、絶交しようと悩むぐらいなら、これぐらいの啖呵を切ってもいい。

実際、末っ子は初めての事態に、指示も手本も無いので何もできないでいた。だから募る思いをぶつけてきた。
ただ、とっさに逆ギレができる長子は弟妹の多い長子で。たいていは一人っ子に毛が生えた長子だから、黙り込んでしまう。つまり、考え始める。
末っ子の方は、決して反省はしないが、誰も同調しなければ、これはマズいなと思う。もともと長女には迫力があるので、末っ子は簡単にひるむ。それに、末っ子は強圧を掛けられて、ひがみ込んでしまうパターンに慣れているので、収まりどころが良い。ところが、どの長子も、それ(かわいそうな態度)に弱い。

ちなみに、国で言えば、中国は弟妹の多い大陸の長子、朝鮮半島はその末っ子、日本は兄弟関係を知らない離島の長子=一人っ子


一人っ国

2022年02月27日 | 兄弟関係

世界の国や民族を、兄弟関係による性格として考える話をした時、朝鮮半島を末っ子と観たら、日本こそ末っ子だろうとのコメントをいただいたことがあった。
日本のことに言及していなかったので、日本は一人っ子であることを補足した。

改めて、日本が一人っ子であることを確認すると、
島国日本は、ほとんど外部の圧力を受けていないことで、全く一人っ子のような性格形成(文化形成)をしてきた。
このため、不満を他人に転嫁することを知らず、全て自分の問題として解決しようとし、何か問題があるとすぐ反省する。一方で、勝手な思い込みが強く、非現実的な思いを実現させる能力はあるが、他者と対話しながら考えることができない。一旦、持ち帰って自分なりの答えを出してから話をしようとし、対応が遅くなり間に合わない。リアルタイムの対処にはたいてい失敗する。

一人っ子に弟妹が加わると長子になる。長子は弟妹との付き合いから、対処能力を身につける。大陸の長子である中国は対処が早いが、それでも、前例のない事態に遭遇すると、しばらく沈黙する。一般に、長子の口数が少ないのは、早とちりを避けるためで、弟妹の軽率な反応に巻き込まれないようにするためだ。しかし多くの場合、反応の早い弟妹の方が、ダメ元で多くを手に入れる。長子は案外、先駆けする弟妹のマネをすることがあるが、一人っ子の場合は利害意識に欠け、見習う経験も無いので、丸パクリができない。
中国は、韓国のやり方を参考にするケースが少なくない。上手く行くなら何でも良いの現実感で動いている。

ロシアは中間児だ。長子や末っ子が争っている時は黙って様子を見ている。自分は参加しないから得も損もしないが、誰かが失敗すると「馬鹿な奴だ」とほくそ笑み、誰かが成功すると、ニコニコと接近しておく。名誉や権力より実益にこだわり、チャンスを逃さない。長子同様に権威主義的で横暴だが、長子のような自己変革力がなく、おだやかで忍耐強いが、頑固で保守的ゆえに発展性がなく、定期的に行き詰まり、破綻する。

ロシア革命、ソ連崩壊、そして今回のウクライナについてもまた、頑固な行動をとっている。ただ、今回の場合は行き詰まりの崩壊ではなく、状況から、ソ連参戦時のようなチャンスと見て、憂いを取り除こうと賭に出たのだろうが、当てが外れた。バイデンの逆襲策にはめられた面もあるようだ。
状況はどうあれ、先に動いた方が負けだが、駆け引きの狭間で、一番の被害者は、駒にされたウクライナだ。
ウクライナは遠くの国で、よく解らないが、兄弟関係で言えば末っ子だろう。状況をよく見ないで騒いだことがロシアを刺激した。末っ子は後先見ずに行動し、結局、誰かが後始末をすることになる。

近年、日本では「おかげさま」、「させていただく」の空気が充満しているが、敬虔や謙遜ではなく、社会全体の無責任の表れだ。
一人っ子日本は、自分のことは自分の責任で、「やりました」、「します」の言葉遣いを取り戻さないと、社会が萎縮し、末っ子の国のように、バカに操られて国が亡ぶことになる。
言葉遣いの風潮は、社会の大きなバロメーターであり、一人一人が意識して主体的な言葉を取り戻さなければならない。
みんなで叫ぼう、
「オレがやらなきゃ誰がやる!」


憧れの的 2

2021年10月30日 | 兄弟関係

前人未踏と出藍之誉
スターに憧れ、熱狂したり、あれこれ気をもむのがファンだ。
こうした人は、社会性の強い人で、自分より他人に関心があり、他人との関わりの中で自分を確認する。多くの場合、生まれた時から横に同等の他人である、兄姉を見て育つ弟妹にこの傾向がある。
有名人や偉い人の前で緊張したり、オーラを感じたりするのは、たいてい弟妹で、長子は、有名人であることは理解しても、ほとんど無感動で、緊張するとすれば別の理由だ。

長子は自分の道を探りながら生きるので、手本になる誰かに憧れたり、そっくり真似たりしない。長子が最も苦手とするのは、手本通りに仕上げることで、何とか自分なりの方式を見いだして、その方法でやろうとする。その様子は、ノロマだったり、素直でなかったり、めんどくさい奴になったりする。いわゆる長男の甚六だ。
したがって、長子はスターに熱狂することもなければ、誰かの非難や攻撃に目の色を変えることもない。一人っ子の場合、特に顕著になる。
一方で、弟妹のように真逆にでも転ずる変わり身の早さに付いて行けず、煮え切らない、勝手、空気読めない、昼行灯、卑怯、腹黒いのそしりを受けることも少なくない。

不規則な動きをする長子に比べ、結果を出すことに集中する弟妹は、手本や成功例に着目し、先ずマネる。兄姉に、とにかく早く追いつこう、同じようにやろうとする。しかもそこには、兄姉が時間を掛けて手にした既存の方法がある。
こうして育った弟妹は、二番煎じが人生だと信じているので、誰かのマネをすることに迷いが無く、マネをしている自覚さえ無い。ところが、自分自身は常に手本を求めて八方にアンテナを張り巡らしているので、自分と同じ事をしている人が気になって仕方がない。「マネされた」と言い出すのは、意外にもマネしている弟妹の方が多く、「元祖」とか付けるのも、マネしている側だ。

新分野を切り開く習性が身についている長子は、誰かにマネされると、競うより別の分野を探そうとする。弟妹は競うことで力を発揮するが、長子は競争を強いられることで興味を失う。元々一人っ子の長子は、興味ある世界で悦に入ることが好きだからだ。
フィギアの浅田姉妹の姉、浅田舞が、「自分なりに頑張っていたのに、妹と比較されるのが嫌になって、フィギアを止めました」。で、その後どうしたんですか?。「ギャルやってました」・・・長子の切なさがよく解る話だ。

二番煎じが勝者になる
たいていのスポーツは、弟妹の方が成功する。始める年齢も早く、迷いが無く、指導に素直で、ひたむきに練習するからだ。長子はこの真逆で、自分のやっていることを常に疑い、指導や手本に素直でなく、練習に没頭しない。しかも、競争の中では力を発揮できない。我流の方法を確立する頃には適齢期が過ぎている。
この結果、名選手(弟妹)必ずしも名監督(長子)ならずのようなことになる。ただし、指導したがるのは弟妹だ。自分が手本や指導によって成功したので、育成は指導だと信じている。

弟妹が成功するのは、既存の道を探る時間と労力を省略できるからで、これは全ての世界に存在し、創生期の電気自動車とガソリン車、ビデオのβとVHS、アンアンとノンノ、プラズマと液晶、野茂とイチロー・・・枚挙にいとまがないが、同じジャンルを違う方式でやれば、先駆者の欠点をカバーし同じレールで先まで行かれる。ソフトバンクと楽天の創始者は、実際に長子と弟妹で、楽天は何事も後追いをしている。
日本神話の最終勝者、大国主も、山幸彦も、神武天皇も弟だ。

国を兄弟に見立てた場合、日本は一人っ子で、こねこねと基礎研究を重ね、様々な道を開拓したが、大陸の末っ子韓国は、それを活用して素早く大成功し、日本の領域を奪った。
一方、長子の中国は、先進国を引き入れ好きなようにやらせ、その間に大量の留学生を先進国で学ばせ、今、独自方式を生み出そうとしている。中国が対等な共同開発をしないのは、やはり長子の独自路線を目指す習性だろう。
なお、欧米は、島国の英国に一人っ子傾向はあるものの、基本的に弟妹で、ギリシャ、ローマやイスラムをそっくりマネして始まった。したがって、長子中国との対決となると、一目置きながらも、出し抜く抜け目なさを持っている。中国が口先とは裏腹に、唯我独尊をごり押しすれば、再びしてやられることになるだろう。


フリーズ

2020年06月30日 | 兄弟関係
「動くな(freeze)!」と言われた非常事態宣言で、鬱になったり、夫婦喧嘩したりした話をよく聞く。
聞いたのは長子や一人っ子ではなく、みな弟妹だったが、これは、偶然ではないだろう。
長子は、独善的だから、他人とのコミュニケーションが無くても困らないし、出たい時には勝手に出かけ、鬱になるほど真面目に守らない。

しかし弟妹は、親兄姉の顔色を見て育つから、指示に従うものと思っているし、隔絶され他人の顔色が見えなくなると、リアクションに困り、気持ちのやり場がなくなる。
弟妹は、他人とのやりとりや連帯感が確認できないと不安になる。仲間を作りたがったり、同窓会を好んだり、サロンやたまり場に集まりたがるのは、基本的に弟妹だ。

宇宙旅行で、長期の孤独に耐えることが問題になるが、これには長子が向いている。少数なら一人っ子も良いが、多人数の協調という点では、弟妹と育った長子の方が向いている。また想定外の事態に、独りで立ち向かう心構えがあるのも長子だ。

弟妹は、既存の知識や方法論を必要とし、何か始めるにも、他人の反応を判断材料にする。行動の指針は、他人の納得だから、「みんなもそうしている」が重要で、それが正しいことになる。何であれ、みながそうしていることが正しいことだから、少数意見には耳を貸さない。正しいかどうかも考えない。また、途中で自己判断によって考えを改める長子に不信感を持ち、同じ意見を持ち続ける人の方を信頼する。
したがって、弟妹の集団の中では、自分の判断で主張する長子は、変わり者や、困り者として排斥される。

イジメや、差別は、世間一般の原理が、弟妹型で出来上がっていることを表しており、自分で考えず、固定概念や慣習、「空気」に従って動くことで起こる。
しかし、ほとんどの長子は、常識よりも自分の判断を優先し、空気を読まず、しきたり事に熱心ではないので、煙たがられたり、イジメの対象になったりする。ただ、長子はそんな状況でも打開力を持っているが、弟妹は自分では打開できない。何らかの先人の教え、方法論、助言者、保護者、リーダーを必要とする。

閉鎖空間の秩序
出歩けない時、一人や夫婦で平常心を失うのは、長子的要素が無い場合で、夫婦の、いずれかが長子であれば問題ないが、両者とも末っ子だったりすると、コントロールできなくなる。
日常でも、末っ子同士の夫婦には、第三者の絡みが無ければ続かない。第三者として医者や弁護士などの専門家、あるいは宗教関係者などの場合も少なくない。
長子の場合、相談相手を必要としないし、専門家もあまり信用しない。
よく弟妹が、長子の相談に乗ってやっていると思っていることがあるが、実はその存在を必要としているのは本人であって、弟妹は、映画「シックスセンス」の主人公のように、そのこと自体にも気づかない。

どっちも

2019年12月19日 | 兄弟関係
五代目の柳家小さんは、蕎麦の食べ方が絶品と言われ、蕎麦屋では、つゆをかすめるような粋な食べ方をしたが、後年、実は食べた気がしなかったと言っていたそうだ。
他人に評価されると、何か期待に応えなければならないようなプレッシャーが掛かり、かえって、ウットウしい。
中国では、日本旅行で財布を落としても還ってくるなどの話題が、頻繁に流布され、日本は落とし物が還ってくる国だと評判になっている。
確かに、他の国より圧倒的に高い確率かも知れないが、旅行中には先ず、財布をしっかり持っていて欲しい。日本だって財布が還ってこないこともあれば、ゴミのポイ捨てをする人もいる。

中韓は、明治以後の日本の発展を、日本人が思っている以上に過大評価している。その反動が、日本へのイチャモン、貶め攻撃だ。日本としては、凝視され、あれこれ批判されることに気を遣うより、勝手気ままなお一人様で、美味しく蕎麦を食べたいものだ。

牽制し合う大陸兄弟
大陸の中華兄弟は、常に上下を決めたがる儒教のタテ思考で、自分が上でなければ収まらない。中国は何と言っても自分が一番上という自負があるから、それほど躍起にならないが、中国には絶対勝てないと思っている弟分の朝鮮は、それ以外の国よりは上だと思いたい。中国兄貴から遠い日本は自分より下と決めつけ、絶対に負けたくない。だから、何が何でも日本の上に立ったことにしたい。

ところが、日本という島国は中華文明から学んだものの、直接関わって、一緒に暮らしてきた大陸兄弟ではない。海を隔てた、隣家の一人っ子だ。
朝鮮半島のように常に大陸に侵入されて戦々恐々として暮らしてきた悲しい生い立ちを知らない。他国との競争を知らないし、他国の思惑を考慮できない。
ノーテンキに、国同士は対等で、それぞれ自分の目的に勤しんでいれば平和になるじゃないかと信じている。一方で、相手の立場を配慮できないから、勝手なお節介をする。
よかれと思ってやったことは、みな、恨みの対象になってしまった。
挙げ句の果てに、自分なりに反省をし、独りよがりな「穴埋め」をして、それがまたイチャモンの種になるという、悪循環を生んでいる。

この一人っ子の独りよがりな行動は、長子の中国も同じで、他国に対して、よく見もせず、相手の立場で考えもせず、勝手に決めつける。その独善は、全く自分の都合に合わせた物差しだから、思いやりのつもりでも、だれにも喜んでもらえない。
長子の中国は自省心があり、韓国のように、他者を当てにしたゴネ倒しはやらないが、力任せの横暴には無自覚だ。
長子にもタイプがある。弟妹との年の差にもよるが、年の差があるほど一人っ子が出る。始めは内的葛藤だけの一人っ子だった中国も、歴史の中で、長子として新たな弟妹である外敵との葛藤に明け暮れ、力による支配が身についた。
この過程も、長子と弟妹の人格形成によく似ている。

兄弟の立場は一長一短
兄弟関係では、往々にして弟妹が発展、出世することが多い。スポーツではほとんどと言っても良いくらいだ。弟妹は長子が手がけた分野を、幼少期からマネをして始め、長子が得たコツを初めから用いる。また、長子は、人のすることを素直に踏襲できず我流にこだわるが、弟妹は、そのまま踏襲し上を目指して、常に手本となる師を求める。
そうして、弟妹の方がうまくなると、長子は他の道に逃げる。ようやくコツをつかんだ長子は、既にそれを実行できない身体になっているから、弟妹に太刀打ちできない。

日本の産業が中韓のパクリに負けるのも同じ理屈で、自分の道を積み上げ、既に体制が固まっている者は、新しい状況に対応できず、新興国に新技術を上乗せされてしまう。
また、弟妹にも兄姉の恩恵に感謝するタイプと、兄姉への不満だけをあげて、全部自分でやったと自慢するタイプがあるが、自分がうまく手に入れることだけを考えるタイプは後者になり、どちらかと言えばこれが多い。
中韓のパクリも、中国は長子タイプなので、先進国の恩恵を無視することはあっても忘れない。米中葛藤で旗色が悪くなると、再び日中友好と囃し立てるのも、実は日本からの恩恵を忘れていないからだ。これに比べ、都合の悪いことは無かったことにする韓国は全くそうは思っていない。中国のように友好を演出するのではなく、再び、今度はどこから奪えるかと考える。うまく奪うこと自体が実力だと思っているからだ。

日本の産業も、もとは欧米を見習ったものだが、ヒントであってパクリではない。一人っ子は、我が強く、全くのパクリができない。これは能力的にできない。勉強なども公式を丸暗記する学習は苦手だ。一方で、一人っ子の日本は、好奇心を刺激され、ヒントを得ると、利害抜きで知識や技術を我流で磨き上げる。これは芸術や道楽の世界だ。
その結果、良い製品が生まれるが、世慣れた営業能力が無い。珍しいうちは売れるが、横でのぞき込んでいた中韓兄弟がやり方を覚えて大量生産したら、全く太刀打ちができなくなった。大陸兄弟は、生存競争に鍛えられ、利害に厳しい。

大陸一家と付き合う
大陸と日本の関係は、日本の西と東に似ている。東京では知識や感性を金に換算することを嫌うが、関西は先ず「なんぼのもんや?」から始まる。
関東、さらに東北となると、駆け引きより「心情」から入り、常に西の現金な圧力に屈してきた。

大陸の影響を受けた西日本は目的思考だが、その大陸と比較すれば、やはり、全体としての日本は心情の国であり、相手の言葉を信じれば、アイヌが大和に欺されたように滅びる。アイヌは、友好を前面に出した大和の騙し討ちに、何度も裏切られ、祖国を失った。
交渉に当たった人間がいくら善意でも、政治権力は常に非情だ。
民間交流は絶対的に必要だが、その民が支える政治権力こそ、忘れてはいけない相手なのだ。
バカな善人とは付き合えないが、賢い悪人とは付き合える。ただし、
賢い悪人と付き合うには、こちらも賢くならなければならない。

自分目線

2019年10月01日 | 兄弟関係

輸出規制で、日本の説明なき実力行使に、面食らった国々の反応が面白い。
人間というものは、不可解な現象に、先ず自分の先入観で理解しようとする。
科学的思考をする人ほど、答えを出さないが、非科学的思考をする人ほど、即断しようとする。

今回、最も早く「決めつけた」のは、言うまでもなく韓国だ。
日本が、歴史問題の報復に出たと決めつけたが、これこそ語るに落ちるで、自分たちのこれまでの行為を、反撃を食らうかもしれないと、潜在的に恐れていた、あるいは、期待していたからだ。
だから、「やっぱり!」、「ついに出た!」と決めつけ、待っていましたと、そう出たらこうしてやる!と、これまたいつも通りの反撃に、目一杯の力で火を噴いた。
「人の弱みは叩くだけ叩け」と、考えているから、逆にやられたと受け止めた。

横で見ていた中国は、日本が、見くびられまいとして、本当の強さを誇示したとか、産業競争の中で、本気で韓国を潰して、日本の産業を復興させようとしているのだとか、韓国にお仕置きをしたのだとか、様々な憶測で決めつけた。
これは、メンツ、支配、崛起と考える、序列思考の中国らしい見方だ。

対岸の火事の欧州は、科学思考で冷静に事態を見極めようとするが、道理を越えた騒ぎで良く解らないから、コメントしようがない。
自分たちのことで精一杯のASEANも、金持ちの喧嘩など「知らんがな!」だ。

中韓それぞれの反応は、「自分ならどうする」が、前提になっており、当の日本に聞いて確かめる気はさらさらない。
関係のない第三国なら確かめる気がないのは当然だが、直接、関係ある中韓が、思い込みと決めつけだけで答えを出そうとするのは、彼らとの付き合い方に大いに参考となる。
事実や論理の通じない国であり、印象や力関係がものを言う。合理的な話し合い、「法」ではなく、徳や情といった、漠然とした表面的な雰囲気の下で、「利害」優先の、力の序列作りがものを言う、ということだ。ハッタリ、脅し、賄賂、謀略・・・闇の世界だ。

一方、日本の本音は、中韓の読みとはかけ離れている。もちろん他の第三国には、全く理解不能だ。
日本には、何の利害意識もなければ、正義の鉄槌でもない。 単純に「堪忍袋の緒が切れた」のだ。
日本がこの手の行動に出るときは、もう、損得、後先など考えていない。 誰にも言わず、愚痴もこぼさず、「折れて折れて、耐えて耐えて」、そのあげく、もうどうなっても良いと、殴り込みをかける。だから大抵、得することはない。
時が過ぎて、歴史として振り返ると、なんて馬鹿なことをしたんだろうと、色々反省するが、後の祭りだ。
日本は、複数の有力な国や情報機関に、事前に説明したり、リークしたり、あるいはネットに噂を流して、第三者に解って貰う努力、情宣活動を充分にしたのだろうか。
何でも自分一人で完結してしまう、一人っ子、日本。もう少し、他人を意識し、頼った方が良いのではなかろうか。


印象作り

2019年08月07日 | 兄弟関係

 対韓輸出規制。韓国の周章狼狽といい、周辺国の戸惑いといい、またも日本は、一人っ子的、「いきなり」をやった。
この経緯や心情は、日本人だからよーく解る。しかし、日本以外の国には全く「不可解」でしかない。
直接関係ない国は、ここに至る経緯と、日本人の心情が全く解らないから、大泣きする子供を見て、「なぜ?」と思えば、単純に「親が悪い」、「虐待している」と思う。
亭主の愚痴を言い、亭主が暴力を振るったと叫ぶ女房の言葉を聞けば、他人は「とんでもない亭主だ」と思う。

物事には理由があり、人と人とのトラブルは、自動車事故と一緒で、どちらかが100%悪いと言うことはない。しかし、関係ない人は、うるさければ面白半分で、表面的な判断をするから、騒ぎは当面、騒いだ方が通用する。
これを避けるためには、日頃から、あるいは始めから、小さなトラブルを公開して争うか、発信力のある複数の人に定期的に説明しておくことだ。

日頃から、関係者、周囲の人を意識し、理解して貰うことに、一人っ子の日本は、意識がない。または下手くそだ。自分の道理だけで、誰だってそう思うはずだ。相手も解るはずだ、と決めてしまう。日本は、国内意見が一致すれば、世界だってそう思うはずと疑わない。この傾向は、長子の中国にもある。
世界から、日本は宣戦布告をせずに戦争を始める国だと認識されているが、この状況なら当然だろう、と思い込むからだ。中国もやはり、突然、戦争を始める。

自立型長子の中国も日本も、日頃から些細な争いで、乱れを見せるのは、自己統制が出来てないようでみっともないことだと考える。
中国の場合は長子で弟妹を扱ってきた経験から、争わずに宣言する(叱る)。しかし、トラブル経験の無い日本は、抗議するより、黙り込んで自問自答してしまう。
そして両者とも、最後に、「切れる」。
宣戦布告は、日常的に、争いトラブルを繰り返している人が、「本気で手を出すぞ」と宣言するものだが、日常的に争いをしないと決めている人には、争いは、「宣言」などの日常ルールを越えるものだ。そこまでの平時に充分、耐えて警告している、と思っている。

弟妹の世界
しかし、世界のルールは弟妹方式だ。日頃から姦しく言い争い、相手との力関係を測る。
長子は、滅多に他人に相談しないし、相談するとしても、参考意見にするだけだが、弟妹は事あるごとに、他人に相談や告げ口、あるいは世間話や自慢話として話す。常に自分の考えを表明することで、相手の反応を見て方向を修正し、いざという時には、味方になって貰う下地を作っておく。日頃からコミュニケーションを取っておくことで心情的にも第三者と近くなる。

この結果、弟妹の集まりから見れば長子は、「いきなり」実力行使に出たように見える。その勢いで勝ちきれば、お叱りの「雷」となるが、最後の手段として動くので、一杯一杯の戦いになり、朝鮮戦争の中国、太平洋戦争の日本のように、勝ちきれない。なお、中国は国境戦争だったが、日本は遠征戦だ。これも、一人っ子の悪ノリと言えるだろう。

今回の日本の決定も、日本に道理があり、アメリカには了解を得ていたとしても、そこまで日本は、第三者に何も効果的な説明をしていない。こうした問題で、第三者に説明をすること自体がみっともないと考えるからだ。
困っても怒っても、他人には関係ない話だからと、我慢して内にこもり続け、最後に爆発すると、相手も周囲も驚く。
長子、一人っ子の「雷」に驚いている周囲に、「雷」を落とされたはずの本人が、「ひどいことしますよ~!あなたも危ないですよ」と、叫き立てれば、事情を知らない人は、「なんか知らないけど、とにかく止めて下さい、となる。
韓国得意の大騒ぎに、冷静に対応すれば、周囲は解ってくれるだろうと思うのは、論理思考の落とし穴だ。

慰安婦問題も、結局、事実上日本が負けた。問題を広げ、妥協合意したこと自体、負けだ。
原因は色々あるが、体裁を気にした日本が、ちゃんとした説明を第三者にしなかったことだ。
そもそもの失敗は、最初の一言に相手になったことだが、相手にした以上は、大々的に応戦しなければならない。中間児ロシアのように、徹底した沈黙を保てるなら別だが、日本人の小さな正義感が黙っていられない。

切り札としての情報温存は良いとして、今回、日本は、どこまで周囲に説明出来るだろう。今のところ、韓国の騒ぎ過ぎが日本に有利に働いているようだが、野次馬に、さりげなく情報を流しておくことは大切だ。兵法では人心を操ることの需要性を説く。日本はこういう時にこそ忍者を使わなければならない。
中国の謀略や、各国の諜報部にどれぐらい対抗できているのだろう。そもそも裏口と情宣で、韓国に勝ったことがあるのだろうか。(忍者半島


生存方法

2019年07月27日 | 兄弟関係

 以前、夫が定年退職後20年余の80代の奥さんが困っていた。7人兄弟の末っ子は50代、会社経営をしているが、4~5年おきに会社が倒産しそうになり、その都度、借金を頼みに来る。今回もまた、来たが、こちらにはもう後がない。どうしたものだろう。
聞けば、これまで、本人が破産したことはなく、姉より豪華な家に家族4人で暮らしているという。長子の自分とは20歳以上も年が離れているので、我が子のような気持ちで無理をしてきた。毎回、つなぎ資金だからと用立ててきたが、後で還ってきたことがない。
今回、用立てるには、自宅を担保にいれ、老後資金に手を付けることになる。

もう余力が無い老人が捻出するには、大げさに言えば、命と引き換えだ。
それでも、今回も同じように、憔悴しきった顔で来られると可愛そうで、何とかしてやりたくなる。

このお姉さんには、
「それがこれまで、何度も倒産しそうになった原因ではないですか。お姉さんが死んだ後はどうするんですか。ここは自力で解決をしてもらい、それに失敗して路頭に迷うようなことがあれば、保護する余力を残しておくべきではありませんか」と話したところ、
結局、もう余力が無いと、詫びて断ったそうだ。
後日、話を聞くと、弟は他で都合を付け、それ以後、全く連絡を取ってこないで、恨んでいるそうだ。
これも、典型的な長女(長子)と末子の関係と言える。

長子は、情も道理も親の代理として考え、自分の能力にかかわらず、何とかしてやらなければならないと思いがちだが、弟妹、ことに末子は、親兄姉も他人も、基本的にはチョイスの対象でしかない。助けになる人は良い人で、思うようにしてくれない人は無用の人だ。
有名人に憧れマネをしたがり、偉い人や役に立ちそうな人を好むが、自分の役に立たない人には関心が無く、簡単にバカにし、厳しいことを言う人は恨む。
それでいて、その疎遠な人が偉くなったりすると、コロリと過去を忘れて接近する。
これは、原理原則にこだわらない、実利優先の弟妹型の生存能力だ。

これに比べ、原理原則を求めて生きようとする長子は、頑固で融通が利かず、自分に害になると解っている人物でも、ひとたび自分が関わったことを諦めきれず、深追いする。自分の分身のように考え、我慢をし、また自分が自省する時のように説教をする。 この相手が弟妹、末っ子の場合、メリットがある限りは聞いているが、他のスポンサーが現れたら、たちまちいなくなる。男女の仲でも末っ子はあっけらかんと浮気し、あっさり別れる。恋愛に「…だから好き」などと、道理や原則を持ち込む野暮は、長子だ。

長子は、人間関係にも原理原則を求め、因果因縁のつじつまを合わせようとするから、深く長い付き合いの傾向があり、長年会わなくても友は友だと思っているが、弟妹は会っている時が友達で、離れたら一度、他人になる。そして再び出会うと、いわば、そこで友達が始まる。こだわりなく浅く広く付き合う。同窓会なども、弟妹にとっては、昔の名簿録から新しい友人ができるようなものだ。同窓会で現在の自慢をしたり、出世した友に態度を変えるのも現金な弟妹だ。昔のままの関係で接したがるのは長子が多い。

したがって、弟妹は友達関係は多いが長続きしない。切ってはまた復活する。離再婚する夫婦も弟妹に多く、家庭内離婚など、腐っていても維持しようとするのは長子に多い。

民主主義は弟妹主義
古代の専制政治が、基本的に長子の原理主義に基づく人治主義だったのに対し、それを打ち破って登場した現代の民主主義は、数の力を借りる弟妹の、公論とルールで営まれるから、弟妹の方が現代の政治家に向いている。
集団の席に突然現れて顔を売ったり、世論の動向を察知して主張を変えたり、良く解ってなくても、難しい言葉やカタカナ語を振り回す。これは長子の最も苦手とすることだ。
長子の麻生元総理や森元総理が、デタラメな言葉遣いで評判を落としたのも、内容の原理原則さえ解っていれば、言葉使いはどうでも良いと思っているからであり、空気を読まない発言も、長子の唯我独尊からだ。

中国が、民主主義の喧噪をバカにしているのは、やはり古代からの長子国だからであり、空気を読まない横暴も長子国だからだろう。

長子の原型、一人っ子の日本は、空気を読まない唯我独尊に加え、人付き合いの「力のバ ランス」を知らないから、外交上で過剰に反応する。兄弟で揉まれてきた世界の国からすると、何を考えているのか全く見えないのに、驚くほど面白いことを考えていたり、突然、暴走して驚かせる。

欧米のようなキリスト教の下の民主主義国は、弟妹国の集まりであり、誰かを頂点とすることなく、互いに主権を持ち、戦争を含め、競い合いながら生存のバランスを取る。
モスリム国もこれと同じだが、国家主権意識より他宗教に対する宗教的主権意識とも言うべき、同族意識が強い。

朝鮮のように、大国の狭間に生きてきた国は末っ子であり、徹底したチョイスと、被害者意識による自己肯定を原動力とし、自分の成果を大いに誇示し、失敗は全て加害者、大国のせいにする。親兄姉が自分にしてくれるのは当然で、不都合は彼ら大国の失敗か悪意によると短絡し、直ちに反発する。しかも、困ると、その大国にすぐ助けを求める。

こうした、性行の違いは、生い立ちから身についたそれぞれの生存方法であり、それぞれに、幸も不幸も味わっている。


不孝孝行

2019年07月06日 | 兄弟関係

先日、「介護兄弟」で、弟妹の世話になるのは考え物だと書いたばかりだが、その後、また、こんな話を聞いた。
姉と弟の40代の姉弟。70代の母親が一人暮らしになったので、東京にいる弟が、自分が面倒を見ると連れ帰った。母親は夫が亡くなったばかりで、呆然としており、弟にしたがった。姉も市内に嫁いでいるが、遠くで毎日は面倒を見られないので、弟の積極性に任せた。
すると、3ヶ月もしないうちに、弟から、母が痴呆になったと連絡が入り、医者も認定しているという。

東京に行くまでは、全くそのような徴候はなかったので、驚いた姉が、東京に行って見ると、弟は共稼ぎで昼間は留守、子供達も学校や仕事で、帰ってこない。母親は見ず知らずの土地で友人知人も無く、出歩く術も分からないので、毎日、独りで家に閉じこもった状態でいた。その上、痴呆を疑った弟夫婦に、連れて行かれた医者に、痴呆を認定されたので、痴呆老人として、さらに、外出を禁じられている状態だった。

確かに、姉と会っても、すっかり無口で、何も話さない。
姉は、弟から聞かされているので、こんなものかと思ったが、出てくる前に、格安で手に入れた大島紬の古着を、母親に見せようと持ってきていた。出して見せると、突然、
「わあ!これ、私が着るわ!」 と言うなり、帯はあれを使って、これこれの時に着て行けば良いとか、饒舌に話し始め、弟一家は子供まで、あっけにとられてしまった。
誰もそんな姿を見たことがなかったからだ。
その後、母親が実家に帰って見ると言うので、弟から姉に、電車に乗せた時間と車両を事細かに連絡してきたが、姉が迎えに出ると、母親は自分で荷物を持って下りてきた。

知る限り、たいていの痴呆症とされている老人は、こんなものだ。
確かに老化はあるだろう。子が知る昔の親の姿ではないだろう。しかし、その異変に出遭ったとき、長子と弟妹では反応の仕方が異なる。
長子は「歳を取ったなあ・・・」と思い、
弟妹は「とうとう、惚けた!」と思う。
長子は親と対等で、良くも悪くも、いわば立場の違う友達のように感じているが、弟妹にとっての親は、親という存在、一つの役職のようなもので、社員から見る社長のようなものだ。

友達は、能力より人格を見るが、上司は人格より能力を見る。友達は能力が無くなっても友達だが、上司は能力が無ければ辞めて貰わなければ困る。
「介護兄弟」では、そういう、割り切り思考の弟妹をデジタルと説明したが、アナログ思考の長子は、親をそれほど敬っていなかった代わりに、能力が衰えても、「親」を辞めて貰おうとも思わない。境界がない。

もちろん、痴呆には重篤なものもあるが、ほとんどは環境次第で変化する。痴呆として扱われると、人として、どんどん劣化していく。多少の認知度が衰えるのは、生き物として当たり前のことだが、それに対し、至れり尽くせりや、行動制限をして、意思決定力を奪うと、一気に廃人になる。

痴呆のテストで、「今日は何曜日ですか?」、「昨夜は何を食べましたか?」などと聞いているのを見て、『おいおい、冗談じゃない!そんなこと、昔から分からねえよ!』と、呆れてしまった。現役でも、自由業や農業などは曜日を意識していないし、生活の乱れている人は、昨夜何を食べたかなど知ったこっちゃない。
何もしないで、家で話もしないでいると、曜日も食事も関心が無くなるのは当然だ。だからと言って、人としての能力を失ったわけではない。
もちろんそれだけで判断するわけではないが、専門家の判定が金科玉条ではない。

銭湯で、90歳ぐらいの人が、紙パンツをはいて服を着て、独りで帰ったのを見て、判断力を持てる暮らしをしているのだろうなと、感心した。
衰えと無能とは違うのだ。


介護兄弟

2019年06月15日 | 兄弟関係

身内の看護や介護を受けるとき、元気になりたいなら、下の子に介護してもらわない方が良いかも知れない。
中間児も末っ子も、世話をしたがるが、多くの場合、やり過ぎによって、治るものまで治らなくなる。
下の子は、何かにつけて、親兄姉から世話をされたことが多いので、自分が世話をする立場になることに憧れている。
誰かが弱い立場になると、待ってましたとばかりに世話を焼き始める。そして、一生懸命世話を焼くのは良いのだが、その結果を考えない。
これは、人の世話だけではなく、自分の病気に対しても同じで、やれることは全てやろうとする。

変な例えかも知れないが、長子はアナログで、弟妹はデジタルだ。
長子の生い立ちには何事も、「前例」が無い。何をするのも初めてで、「こんなものかな?これで良いかな?」と手探りで、常に撤退できる「ほどほど」の勢いで進む。だから、徹底性に欠け、あまり、劇的な結果を出せない。その代わり、どの方法が良いか常に現実を見ているので、大きく、外すことはない。

一方、弟妹は、方法を探ることよりも、既存の方法の中から最も良さそうなものをチョイスする。だから、「こういう時にはこうする」と、「信頼できる」方面から聞くと、吟味することなく徹底的に実行し、中間的な曖昧さがないので、当たれば成果も大きい。
日本が長年かけて導き出したノウハウを使って、中韓が大成功するようなものだ。有機ELも曲面ディスプレイも日本が実用化したものだが、それで儲けたのは中韓だ。(日本は長子一人っ子)

介護や治療に際しても、長子は「そもそも論」で考え、対象となる人間の存在から考えるが、弟妹は、方法に囚われ、対象となる本人にとって、結果として、良いか悪いかには意識が及ばない。その上、目標値を100%で考えるので、70%のベターを上出来とは思わない。
自分自身の病気や老化でも同じで、自分で「ま、こんなものかな」とは思えず、医師などの権威ある人や、信頼する人の助言がなければ、終わりにすることができない。

親の介護についても、長子が、ほどほどの関与で、肝心なことのみ手を出そうと考えていると、弟妹が、「兄(姉)さんは無責任で何にもしない!と、自分が買って出て、自分のやり方ですべて仕切ろうとし、しまいには長子を拒否して、追い出してしまう場合まである。
親も、至れり尽くせりは嬉しいから、その子に頼るし、仮に拒否しようにも、勢いに押されて、言いなりになる。

しかも、弟妹は、親の老化した言動を直ちに、「ボケた!」と決めつける。これも実態を見ずに既存の定義に当てはめる弟妹型の認識方法で、何事にも病名を当てはめてしまおうとする。
逆に、長子の場合は既存の病名(定義)を信じず、「そうでもないだろう」と思いたがる。自分で判断したがるのは、何事も自分の経験則で成長したことによる。ただし、親が口うるさかったり過保護だった場合、自己判断しない人になるケースもある。

長子の「自己回復力」を前提とする世話に対し、他動的に手を加える世話をする弟妹の介護や看病は、それを受ける本人の気力や回復力を奪ってしまい、場合によっては、治るものまで治らなくなってしまう。
医療関係者や長患いの経験のある人は、そうでもないが、一般には、子供であれ夫婦であれ、弟妹が看病すると、一生懸命看病した甲斐もなく・・・ということが巷に溢れ、懸命に看病した人が責められるはずもないから、悲劇として語られることになる。
また、病人本人が弟妹の場合も、最大限の治療を望み、周囲は逆らえないから同じことが起こる。