魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

正味期限

2007年10月31日 | 占いばなし

賞味期限やら、消費期限やら・・・???
食品問題で、街頭インタビューを受けた人も
「何を信じたら良いのか分からなくなる~」

!自分を信じる!



易経、 山雷「頤」(さんらいい)の初爻は告げる
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舎爾霊亀、観我朶頤。凶。
(爾の霊亀を捨て、我を観て頤を朶る。凶なり。)
(自分の判断力を捨て、口を開けて待つ。ダメ。)
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「頤」とは口と食、糧にまつわる話しだ
衣食住は、本当は「性食眠」だろう。
人間はこのために生きていると言っても過言ではない。
中でも、いかにして食べるか=稼ぐかが、一番難しい。

眠るのは限界になれば眠るし、性は究極の選択状態なら誰でも良い。(異論はあろうが)
しかし、食を得るには能力と努力が必要だ。自分の総力を挙げて挑んでも得られないこともある。それぐらい一大事だ。

「頤」初爻は、その基本として、まず、意志こそが重要だと説く。
野生動物が独り立ちする時、親は食物を与えなくなる。
自分の総力を発揮する以外に道はない。
食は本来、誰にも頼れないのだ。
戦わない草食動物も、何でも食べられるわけではない。
五感を駆使して、選んで食べなければならない。

現代人は、食うとは金を稼ぐことだと思っているが、本来、食「物」を得ることだ。
つい最近まで、人間も自分の五感で判断して来た。
色や臭い、重さや手触りで選ぶ。スイカを叩き、重さを比べ、米や果物の虫を調べ、魚を日光で見定め、心で「勝負」と叫びながら購入した。
終戦直後の食卓では「この肉は安かったけど、犬じゃないか?」などという会話も普通に聞かれた。
食べながらも疑い、慎重に吟味しながら食べていた。だから、うまいものとマズイものはしっかり判ったし、まずい物でも我慢して食べていた。ハズレの最悪は食中毒で、これも多かった。

今時の食は、ラベルだけで選び、安全と言われれば安全だと口に放り込み、うまいと言われれば、うまいと思って胃に収める。
これでは、養鶏場のブロイラーだ。何でも買えるが、実は、何一つ自分で得ていない。

もし昔の人間が、現代の消費者だったら、ごまかしをした会社の製品は自動的に売れなくなっただろう。「正味」期限が判るからだ。


200/420

2007年10月27日 | 日記・エッセイ・コラム

これで200本目。
夏休みの宿題日記も書かなかったのに・・・

訂正
日をおいて読み直して見ると、間違いに気づく。
おかしな文章を訂正したり、冗長な文を削除することもある。いずれの場合も、かなり恥ずかしい。

敬称
このブログでは基本的に敬称を付けないことにしている。
文章の簡略化もあるが、公人を遇する心がけでもあると思う。
例えば、野口英世を、野口英世先生とか、野口英世さんとか言うのは、一見、敬意を払っているようで、自分と同じ世界の人間として扱っている。野口英世は歴史上の人物として既に超人間だ。

同じように現代でも、有名人は社会的存在であって、「さん」や「先生」はふさわしくない。
役職や才能で、世に知られているわけだから、全人格的な話ではない。自分の先生でもなければ、個人的なつきあいがあるわけでもない。
ただ、現在進行形の話題で、その立場に関係している場合は、博士や総理が必要な時もある。

また、長島さんのように、ヒーロー的アイドルとして、ファンが自分と一体化して感情移入をしているような場合は、長島さんとして一つの名詞となっている。逆に、敬称を付けずにヒデとかイチローと呼ぶ愛称の場合も全く同じ親しみからだ。

面白いのは、ヒデが引退したら、とたんにマスコミが中田氏と呼び出した。理屈は解るが、シゲや長島、長島さん同様、有名人として扱うなら、ヒデも永遠のヒデで良いのではないか。

もう一つ、文中に敬称を付けるケースは、書き手が個人的に縁があったり、あるいはその人の著述などを知って傾倒しているような場合だ。その場合、書き手にとっては師であったり、親しい人であったりして、長島さん同様、個人的感情から切り離せない。
これは書き手の個人的スタンスの表明だから自由のはずだ。 例:お釈迦さん

近頃、「敬称も付けないで無礼だ」と言う人がいる。
これは、敬語の使い方が分からなくなって、逆に、めったやたら、丁寧「そうな」言い回しがはびこっている現象と同じだ。

一人称
どんな有名人でも、TVの前などで、
「私の考えでは・・・と思います。僕の個人的意見ですが」
などと、私と僕や俺をごちゃ混ぜにしながら話している。

公に話している意識と、自分の世界に埋没してしまう瞬間とが交錯するのだろう。
始めから、「僕は」と話せば良さそうなものだが、かえって無駄に勇気が要る。
(商談でも口説きでも、相手のタメ口を引き出したら半分は成功といえるが、逆にわざとの場合もあるから、これには用心も必要だ)

TVなどで、「私は」と始めた人が「僕」や「俺」が出る時は本音と考えて良いだろうが、始めから「僕」や「俺」でしゃべっているのは、虚勢やアピールだから、本音っぽい嘘に見えてしまう。
ただ、亀田はあれしか知らないようだ。

文章の一人称は、ムズカシイ
私、わたし、ワタシ・・・だけでも、全く印象が違ってくる。
ここから先は長くなるから、止めた方がいい

このブログでは、今のところ一人称を使ってない。
案外、つらい


兄弟関係 親子亀

2007年10月26日 | 兄弟関係

亀田一家には興味がないが、兄弟関係の視点で見ていると面白い。

兄弟関係による性格は、年の上下や立場に関係なく、独立して働く。この一家にも、はっきり兄弟関係が見える。

親ガメ史郎は中間児か末っ子だろう。
安倍-麻生関係でも言ったように、日ごろは元気の良い中間児や末っ子だが、せっぱ詰まると長子に頼る。
長子も頼られると、自分の力に関係なく、長子の責任習性がでる。ここは自分が何とかしなければと矢面に立つ。

親ガメ史郎が、次男ガメと並んで記者会見したものの、次男はオヤジ任せで逃げてしまった。
オヤジ自身が長子なら、ここで次男に思いやりを見せない。「責任は果たすものだ」と思っているから、「ちゃんと」させるだろう。しかし、自分も上には保護して貰うものと思っているから、親として上の立場から「思いやり」で考えた。
しかし、「パフォーマンス」質問にも???良く答えられなかったものだから、結局、長子ガメに下駄を預けてしまった。

表面的に見れば、良く解らない一連の行動に、マスコミやら関係者やらが色々言っているが、
兄弟関係で見れば、単純な経緯が見えてくる。

長子の子供が、末っ子型の親の面倒を見る典型パターン
もう一つ言うと
子分に対して不必要に偉そうにするのも末っ子型だ。
(この場合、子分は子ガメ)


呼吸は無自覚

2007年10月21日 | 兄弟関係

悪平等が産むいじめ
生まれながらの王のような、階級社会の頂点でない限り、人間はすべてコンプレックスを持っている。また、よほど恵まれた家族関係でない限り、長子以外は、自動的にコンプレックスを持つようになる。
負けず嫌いで、しかも、親分子分の関係を求める。

この次三男魂は、人口比からすれば世間一般であり、この感覚を持ち合わせない甚六=長子に対して、時に安らぎを覚えたり、時に空気の読めないバカと思ったりする。そして、長子が弱者や目下であれば、いじめの対象にする。
この理由には、押さえられた思い、長子的な言動への潜在的な憎しみもある。つまり、弱い長子なら徹底的に復讐したくなる。
長子的とは、群れになじまず、自分のやり方にこだわる言動だ。

近年のいじめは、グループに長子的リーダーがいないこと。一方で恵まれた環境で、みな長子(一人っ子)的に育っていることにある。
昔の子供集団には年齢幅があって、上下の秩序があったが、学校という対等関係の中では、先生が番長でないかぎり押さえる人間がいない。もちろん先生は番長ではないから、学校はリーダー不在の集団だ。

「気は優しくて力持ち」と表されるような、真にリーダー的責任感を持った人間が、自然の流れの中でリーダにならない社会では、機械的に上の地位に立った者が、歯止めのきかない横暴を行う。

軍隊と学校
この典型例が昔の軍隊で、リーダー資質のない上官が非道を行った。
現代では想像のつかない軍隊社会のことは、様々な軍隊映画、兵隊映画や小説でかいま見ることができる。
軍隊社会の実像を知らない人には、そうした古い作品を先入観無く、なるべく多く観て欲しい。技術が劣る分だけ、背景が良く解る。
軍隊のなごりさえ知らず、軍国日本を資料や歴史観だけで評価する若者は、歴史の実体を体験者の感覚を通してかぎ取って欲しい。

軍隊モノの原作を書いた人たちは、学徒兵など、当時としては人間的にゆとりのあった人たちなので、非人間的な社会に怒っている。
軍隊は、陰湿ないじめ社会の究極であり、日本の潜在的な暗部だが、多くの兵隊は、丁稚や村落共同体から来ていたので、不条理にあまり違和感を覚えず、むしろ懐かしがったりする。

今の若者では耐えられないと同時に、やはり究極のいじめが起こるだろう。もしかすると、組織が維持できないほど、もっとひどいかも知れない。

学校を基盤とする現代社会は、真のリーダーを生まない。
諦観のない野次馬マスコミはゴシップばかりを暴き立て、機械的仕組みの中で生まれる政治家は、足の引っ張り合いに終始する。

何ごとも、ただ学校を卒業して職に就いた無定見であり、去勢が出世の前提となる宦官制度と同質だ。
つまりは、学校とは科挙より去勢の場であり、いかに教育改革をしようとしても、宦官によって、宦官はなくならない。
別の言い方をすれば、ロボットによるロボット工場から、人間は生まれない。


もういい加減にして欲しい

2007年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

今世界で起こっている不幸の原因。大半は化石燃料にある。
石油の高騰で物価高騰。世界の仕組みの因果関係が一気に現れた。
日頃は考えたこともない人まで、考えざるを得ない。
そこで、第一の単細胞はバイオ燃料になり、
第二の単細胞は原子力発電になる。

バイオ燃料による弊害は、すでに普及前から始まっているし、原子力の方は実証済みだ。
原子力は、高度な技術を駆使すれば有効なのかも知れないが、どう見ても賽の河原の積み石だ。
それだけ努力するのなら、太陽エネルギーなどの新エネルギーに力を入れればいいと思うのだが、どうも、目の前の「物」を燃やす、原始時代からのクセが抜けないらしい。

化石燃料消費の連鎖は回り回って貧富の差になり、世界に、飢餓と飽食の二分律が出来上がっている。そしてそれは、当然、テロの温床になって、そのテロモグラを叩くためにまた、化石燃料を使う。


親ガメこけた

2007年10月17日 | 世相史観

親ガメこけたら皆こけた
亀も首を伸ばしすぎて、スッポン汁になってしまった。

魚座の時代3・4などで話したように、魚座時代の名前として「亀」「エビ」などが目立っていたが、目立ちすぎると、パンクする。
時代の興奮剤が切れるとリバウンドがきつい。
そろそろ魚座時代の終わりが近づいているようだ。

亀田一家の場合は、特にスポーツ問題とも絡んでいるので、
射手座木星の今年。下りも急激だ。
射手座はスポーツや報道だから、報道機関も同時に失墜する。

天王星→オヒツジ座に入るのは2010年5月だから、
まだ、魚座時代は続いている。
しかし、今年の場合は
魚座に90゜の凶角←射手座の木星。(2006年12月~)
魚座に180゜の凶角←乙女座の土星。(2007年9月~)
と、Tスクエア(羽交い締め)で、さらに双児の要素が加わると
グランドクロス(十文字・四方固め)になる。

双子座が表すのは、アメリカ、教育、TV、子供、兄弟・・・
それぞれへの影響は、見た通りで言うに及ばずだが、
こういう、変容宮のグランドクロス状態から、
逆に、「亀田一家」問題の意味が解る。
(ちなみに、親ガメ史郎は双子座だ)

教育、十代、スポーツ、報道、捏造、組織経営、娯楽・・・
亀田は、この全てが絡んだ「世相」の象徴だ。
時代が違えば、初めから亀は首を出さなかっただろうが、ろくろっ首のように亀の首をもたげさせたものは、星であり、世相であり、それに、どっぷり浸りきった人心だ。

世相史観で観れば、世の常だ。ゆく河の流れは絶えずしての、無常の世に浮かぶ、小さな泡沫に過ぎない。

亀田一家やTV局をボロクソに言っている人たちは、始めはどうだったのだろう。こういう人に限って、「オレは、始めからそう言ってたんだ!」と言うに違いない。


YES/NO診断 2

2007年10月15日 | 占いばなし

YES or NO

1.人前で「××コ」「×××コ」「××ポ」などと普通に言える
2.(女)隣が女性用車両でも移らない。(男)男性専用車を作れ
3.幼稚園児なら水遊びは裸でよい
4.妊婦を見るとなんだか恥ずかしい
5.トライアスロンやビーチバレーはカッコイイ。
6.トイレ使用中にわざわざ水を流さない
7.乳頭くっきりでもノーブラは涼しげで良い
8.知らずに行った温泉が混浴でも入る
9.おでこに性器が付いてたら挨拶はセックスになるだろう。
10.今回のQ.(問)は面白かった。

ノーの数

あなたは、誰でも知っている立派なスケベです。真っ先に突進する兵隊に弾が当たらないように、性病も恋も当たりません。

1~3
あなたは、スケベオヤジです。ノンキにスケベを振りまいていますが、抗議されるとションボリします。セクハラで訴えられないように用心しましょう。

4~7
あなたは、スケベ一般人です。異性は大好きですが、自分からはそういう話題には触れないようにしています。でも、他の人が始めると、たちまち正体を現します。そっとわいせつ画像を覗いたり、他人の色恋に気を揉んだりする毎日です。

8~9
あなたは、むっつりスケベです。自分のスケベ心が人にばれないか心配です。でも、用心していても、プチッと壺を刺されると一気にパンクして心神喪失。あ~っ、やってしまった!

10
あなたは、聖衣をまとった眠れる野獣です。満月の夜は自分をしばっておきましょう。周りの不幸や悩みはあなたの抑望霊のしわざかも。

人類みなスケベ。故に人類は繁栄した。
なお、スケベは本来、スケベイ(助平)と発する。好き者の転化。


ペット販売禁止

2007年10月12日 | 動物

今回、動物愛護団体の要望で、野犬や遺棄犬を役所が安易に殺処理しないことになったそうだ。めでたい。
少し進んだ自治体では、飼い主捜しや、犬の再訓練もしているそうだ。
これも大いに結構なことだ。

だが、しかし
何か根本的に間違っていませんか?

牛、鶏、豚・・・食用の動物は、千歩譲ってやむを得ないとしよう。

しかし、ペットとは言え、もともと、命を売買することが、殺処理につながっているのではないか?
いや、逆かも知れない。じゃまな動物は処分するから、ペットは売買するのかも知れない。

とにかく、近年のペット問題。
地球の裏のワニが横町で迷子になっていたり、噛みつきガメやアライグマ、群れ飛ぶインコ・・・むちゃくちゃだ

犬を飼うのに、法律で毎日の散歩を(結果的に)強要するのなら、なぜ、危険動物を飼うことに規制がないのだ。

金を出せばペットを買える環境が、密輸をしてまで、珍獣を手に入れたいと思わせる。
犬も、ブランドバッグのように買(×飼)うから、飼い主の間では血統書や希少犬が話題になる。
その結果、飽きればもてあまして、ポイ捨てだ。

新法「ペットを売買してはならない」はどうだろう
犬の現状をみると
売るために大量繁殖、売れ残って大きくなったら処分。買った人間は飽きたら役所に持って行って処分。
そのために無益な殺生、役所の金の無駄使いをしている。

そんなことをするなら、初めから公の機関で「ペットの紹介所」を作り、直接または紹介で、希望者に渡す。飼えなくなったらひきとる。
そうした方がよほど管理が行き届くし、経済的だ。
何よりも、飼う人の責任感と愛着がわく。できれば飼い主資格の講習ぐらいはした方がいい。

ペットを家族だと言う人が増えた。
家族は買ってくるものだろうか?


虫人間

2007年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

人間は虫と変わらない
寒いところに転勤する人が「あんな寒いところで暮らせるだろうか」と心配していた。全く心配ない。
地球上どこでも人間は暮らしている。服装や暮らし向きの違いはあるが、温度差で人口が変わるということもない。
人間は寒いところに住んでもクマのように剛毛が生えて来るわけではないが、見事に体調を整えていく。
だから、寒いところや寒い季節でもさして問題なく暮らしている。

ところが、突然、体調に合わない状態に放り込まれるとビックリしてしまう。
前日との温度差が3度あると、バッタリ人通りが途絶えるのだ。
冬の-3度
夏の+3度
これは見事に、街の風景を変えてしまう。

3月初めの二十四節気「啓蟄」は冬眠していた虫が、暖かくなって
「拝啓、ご機嫌いかがですか」と出てくる日とされている。
虫は温度に直接支配される。人間は自己調節するし防寒ウエアもあるから関係ないはずだが、案外そうでもない。

前日から1~2度は、お天気談義に花が咲くが
3度変わると顔色も変わる。
たった、3度だが、誰も出歩かなくなるのだ。

そういう点で、人間も虫だ。
冷夏や暖冬では季節物が売れずに不況になる。
多少、根性や義務感でがんばっても、結局は自然には勝てない。

どこでも暮らしている逞しい人間にとって
なかなか実感できない、異常気象や温暖化だが
街の風景を見ていると、かえって人間の脆さがわかる。


YES/NO診断

2007年10月10日 | 占いばなし

YES or NO

1.東大生(卒)は頭が良い
2.一度は結婚をしたい
3.一生懸命やっていれば必ず報われる
4.自分がして欲しいことは他の人にもして上げるべきだ
5.ひどいことを言う人は人間として成ってない
6.空気の読めない人間には居て欲しくない
7.政治家は清廉潔白でなければならない
8.正しいことを解りやすく話す人は信じられる
9.仲間や地元の悪口を言うなら出て行けばいい
10.悪いやつは厳罰に処すべし

イエスの数
10~8
あなたは、世の鏡のような人です、将来、必ず出世して、勲章をもらうことになるでしょう。

7~4
あなたは、いい人です。適当に恋や遊びも楽しみ、人間関係もそつが無く、多少の悩みはあるかも知れませんが、人生の優等生になります。
詐欺には遭うかも知れません。

3~1
あなたは、少々ひねくれていて、物事に悲観的。正しいことを言っても非難され、チャンスは逃すでしょうが、詐欺には遭わないでしょう


あなたは、神のような悪魔です。
心にもないことを言える訓練をすれば、大政治家になれるでしょう。
どうしても本音を言いたい人は作家をお勧めします。

神の言葉
賢い悪人とは話せるが、馬鹿な善人とは話せない


不幸が来る時

2007年10月09日 | 星の流れに

土星が来れば不幸が来る。
すぐできる自分占いで、柳沢元厚労大臣や清原の話をした。
30年周期で回る土星が、自分の誕生日の太陽の位置を通過する時、不幸が来る。

不幸の仕組み
土星が来ると、土星の持つ「冷えや凝固」が起きる。体調が低下し判断力に融通性が無くなる。融通性が無くなると一つのことに固執し、それを強引に遂行しようとする。そのため気配りが無くなり、不用意な事故トラブルに巻き込まれる。
この9月初め、土星が獅子座から乙女座に来た。その前は獅子座の終わりを通過していたから、8月19日生まれの柳沢元厚労大臣は失言で総攻撃にあい、同じく清原は怪我をした。

土星が乙女座に移ると、乙女座8月27日生まれの映像ジャーナリスト長井健司さんが射殺された。
ジョン・レノンが射殺されたのは1980年12月。やはり天秤座のジョン・レノンの位置に土星が来た時だった。

直接自分の身に降りかかる不幸もあるが、身内の不幸もある。
多くは親の死であったり、古くからの関係者の死であったりする。
いずれにせよ孤独と悲哀を強いられる。

乙女座を過ぎるとまもなく、天秤座の日本に土星が来る。


大きいことは良いことか?

2007年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

もし、人類の体格が、現在の2/3なら、衣食住の資源も2/3になる。エネルギー消費も激減するはずだ。捕まった宇宙人ならどうだろう。

昔、日本では「大男総身に知恵が回りかね」と、大きい人をバカにした。
戦国時代から江戸に入ると、日本人は小さくなり、戦後、また大きくなった。だから、大男をバカにするのは江戸時代の文化だろう。

日本人は縄文系の先住民は小柄で、大陸からの渡来系は大柄だ。
大陸から侵略された裏日本を旅すると、今でも、極端な大柄と小柄が目に付く。
そういう共生文化だから、小さい人が大きい人を倒す、相撲や柔道が好まれる。
しかし、世界では、「大きいことは良いことだ」と考えられている。戦争では、大きい方が有利だったからだが、ハイテク戦争になった今では、体格は無意味になってきた。

その代わり、盛んになったスポーツ文化では、有利な大柄が活躍するようになり、大柄の美しさがさらに理想化されるようになった。
それは、人類の繁栄の象徴かも知れない。天敵が無くなると恐竜も鯨も大きくなった。

しかし、どうだろう。運動能力と脳機能の相関性はあっても、脳と体格の相関性はあるのだろうか。どうも、そうとも思えない。
「総身に知恵が回りかねる」ということも無いかわりに、小さいから思考能力が劣るということも無いようだ。
スポーツを通して求められる「体格の良さ」とは、ボス猿探しの名残りではなかろうか。

人類が大きくなったとしても、知れている。むしろ小さいことを尊ぶ文化を広め、地球に迷惑を掛けないことを考えたらどうだろう。
それは、人類自身を救うことにもなる。

限られた日本で、争うことなく過ごした江戸時代は、大きいことを敬遠し、無駄な消費を嫌って、こぢんまりと「美しく」暮らしていた。
限られた地球で、人類はまだ、恐竜になりたいのだろうか。


老害かッ! (老害カー)

2007年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

高齢化が進み、認知症で車を運転している人が急増している。温暖化よりはるかに進んでいることは確かだ。
自分でも、そうかも知れないと常に言い聞かせ、チェックしている。
しかし、自分のことが一番分からない。
まして、本当にそうなってしまったら自問さえしない。

近年、何度かそういう人に出会った。
話せば長い話だから、詳細は下に別記する。関西の車事情の話でもある。
自ら、高齢者マークを付けているような人はたいてい大丈夫だろう。
(ただし、家族に貼られている人もいるわけで・・・)
むしろ、普通の顔をして走っている車の方が問題だ。

考えてみれば。町を歩く時など、歩行者はしょっちゅうぶつかったりカスったりしているわけで、その同じ人間が運転しているのだから、ルールに従って走ったとしても、ぶつからない方が不思議だ。

歩行者なら「あぶない人」は顔で分かるが、車の運転者は見えない。
1トンもあるものを、どんな人が運転しているか分からないのだ。

過労運転、無謀運転、携帯運転、TV運転、心臓発作、喧嘩運転、いちゃいちゃ運転、・・・車内の事情は分からない。
飲酒運転は止められるが、認知症はなかなか止められない。
そういう意味でも、公共交通機関の充実が切実だ。

車なんか、本当に運転したくない


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エピソードその1.
数年前だが、
夕方、T字路の信号で止まっていた。下の図「T字」の左から下に向けて右折するためだ。
Tのタテ棒に当たる道は一方向2車線になっており、こちらから入っていく場合は進行右側(図の左)に入っていく。

――――――――――――  ←
――――――――――――
――――         ―――  →
          ||∥||
          ||∥||
          ||∥||
          ||∥||
          ||∥||

            ↑      ↓

信号が青になって発進し、遙か向こうにライトが見えたが、完全にこちらの方が早いと見て、右折して進行右側の車線に入った。途中で、対向車の左折のウインカーがついたのも見えた。
入ってしばらく進んだところで、左後方に衝突された。
左の路肩に止めて、「どうしましょうか」と相談するつもりで車から降りると、前方に止めた車から老人が降りてきて、いきなり
「何で、急に前に出てくるんや!」と怒鳴り始めた。
「・・・???」
とにかく埒があかないので、警察に来てもらって調書を取ってもらったが、その間も、警官に自分の正当性をまくし立てている。
ついに、50代の警官も頭に来て
「しゃあけど、アンタ、ここにぶつかってはるんでっせ!」
と、後部にぶつけて、しかもタイヤの跡がゴリゴリに付いているところを指さして見せた。(つまり、曲がりながらぶつかっている)
「急に前に出てくるしや!」と、また言う。
後で分かったが、71歳だった。

もうおわかりと思うが、この人、右折するこちらの車が全く目に入っていなかったのだ。だから、気分良く猛スピードで大曲に突っ込み、前方を走っていた、こちらの車にぶつかって気が付いたのだ。
「急に前に現れた!」
こちらは信号から発信したばかりでスピードはないし、点灯もしていた。この人は遙か彼方から青のうちに曲がろうと、信号を見ながらスピードを上げてきたのだろう。曲がりきれないから大曲でこちらの車線に突っ込んだ。

どこまでも言い張っているし、裁判するのも疲れる話で、
「専門家にお任せしましょう」
と、とにかく双方の保険を使うことを承知してもらい、別れ際に
「お互い、ケガが無くて良かったですね」
と言うと、警官が
「いやーあ、ほんとう、ほんとう」と、大声で言う。
本人は黙って車に乗って帰った。

実は、この間のやりとりはそーとー面白いのだが、極めて長くなる。ご想像あれ。漫才を。

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エピソードその2.
先日、
車線のない裏道を走っていると、道路工事中だった。誰もいない。
本来はすれ違える道幅だが、片側一車線しかない。
工事区間は30~40m位だったろうか。
その先は緩いカーブになっている。
車は来ていなかったので、工事区間に徐行しながら入って行った。後ろの車も続いて入ってくる。
7割ぐらい進んだところで、カーブしている前方から車が現れ、
なんと! 入ってきたのだ!
その車は車体2/3位入って止まり、こちらはその車の鼻面らで止まった。
ビンの口に栓をしたような状態である。
常識で考えれば、まず進入してくるはずのないケースだ。
だから、当然、バックするものと思って待っていた。
ところが、60代ぐらいの、そのサングラスにヒゲのオッサンは、
悠然と構えて待っている。至近距離なので風体も見えるが、どこかの医者か学者風で、特に怖い人でもなさそうだ。
ジェスチャーで、後ろに並ぶ車を見せ、下がってくれと合図するのだが全く微動だにしない。
どれぐらい経っただろうか、最後尾の車が下がり始め、こちら側の4~5台が全部下がって通りを開けると、悠然と会釈一つせずに行ってしまった。

これは、完全に○○老人としか考えようがない。
そう思って、あきれていたある日、
ある女性が
「うちの主人は、道や、駐車場で向かい合ったら絶対に引かない」
と、自慢げに話していた。

世の中には、そういうことで得意になっている人がいるんだ!
と、感動に近い驚きを体験した。
そのご主人たる人、ごく普通のサラリーマンで50歳だ。
女性の、あまりの確信に、そうは言えなかったが、
○○老人どころではない。始めから、○○人間やあ~


わらう

2007年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

「円天」
名前は楽天もどき。イメージは地域マネー。仕組みはマルチ。
典型的な詐欺発想。オッサンの名前も「波」
またも魚座時代の事件。詐欺だ。

あの顔、あのしゃべり、あの論理展開・・・普通ならひっかからないと思うのだが、1000億も集めたというのだから、まさに理屈ではない。

詐欺の被害者のレベルを疑うより、人間はやっぱり、欲で動くと言うことだ。
「地域マネー」の高邁な理想を掲げても、1000億は集まらない。
正しく美しい理想を持って、スキのない論理で説明しても、人々はすぐには乗ってこない。疑いや敬遠で、参加しない人々を説得するのにどれだけの時間と労力を必要とするか、気が遠くなるような事業だ。
それが、欲だましに掛かると、あんなオッサン一人の、ぐちゃぐちゃ論理にコロリと金を出す。
麻原の教義?にコロリとだまされる。あ~人間とは