魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

是か非か

2007年07月31日 | 日記・エッセイ・コラム

是非に及ばずで話題にした織田信成君。やっちまった
犯罪は犯罪だから、「是非に及ばず」

ただ、スポーツ選手の事件を見ていると、何かかわいそうで、腹立たしい。
学者とかタレントなどもそうだが、スペシャリストというものは社会訓練の機会が少ない。しかも、ほとんどの場合はコーチや先生、事務所の管理下にある。今回の場合も、もし、成人3ヶ月の彼だけ処分を受けて、一緒に呑んだ先生達が何の処分も受けないのなら、大学そのものが糾弾されてもしかたがない。

連帯責任という概念は無くなったのだろうか。日常生活まで管理しながら、事件を起こすとそれは本人の自己責任になる。
ところが、高校野球では、ミョウなところで連帯責任が出てくる。
一人の生徒が事件を起こすと、出場まで取りやめてしまう。ひどいのは、指導教員の起こした事件で出場辞退まである。
わけのわからない自己責任や連帯責任は、本来の意味が忘れられて、都合良く解釈されているからだ。
しかも、それは学校の対面のためだけに。

スポーツ
奨学生問題も裏金問題も、選手を商品と見ているから起こる。
プロスポーツの歴史は剣闘士の昔から、本来は非人間的なもので、英雄視される反面、観衆と商人の道具の側面を持つ。
大金を稼ぎVIP待遇であるのは花魁(オイラン)も同じだ。大変な努力をしていることも共通している。しかし、一歩引いてみれば、商人に仕組まれた演出によって付加価値を高められ、虚構の憧れに仕上げられていることも同じだ。

虚構の憧れというなら、社会競争はすべてそうだ。
金儲けが商人の目的なら、国家も集団の利益のために虚構の憧れを生み出す。いや、虚構が集団の目的を生み出すのかも知れない。

いずれにせよ、
社会生活でガンバッていると、必ず大きな壁にぶつかる。
受験、就職、結婚、子供の悩みなど、誰にでもやってくる障害物競走の壁だが、壁で立ち止まることで、初めて夢(虚構の憧れ)から覚める。

挫折が無くても、ふと目覚める人もいる。
映画「長距離ランナーの孤独」も、個に目覚める話だが、「スパルタカス」で、強い剣闘士が地位を得て得意になっている場面は、何とも哀しい。
どんなに立派になっても、奴隷であることに変わりない。

壁を越えられず、自暴自棄になったり、逆に、「再チャレンジ」を続ける人もいるが、その人達もやがて時の壁にぶつかることになる。

人間である以上、社会競争ゲームから逃れることはできないが、個に目覚めている人では、打たれ強さやしなやかさが違ってくる。
一度折れた骨は強くなる。挫折バンザイ。人間万事塞翁が馬。


下ネタかよ 3

2007年07月27日 | 占いばなし

占星術では笑いとセックスはサソリ座だ。
愛と微笑みは天秤座で、その次のサソリ座で、笑ってセックスというわけだ。
笑いがリラクゼーションになるように、人間には、セックスもリラクゼーションになる。お笑い芸人がよくモテることと、笑いとセックスが同類のものであることとは深い関係があるのだろう。

自律神経のアンバランスか、若い娘や、壊れたおばさんは良く笑う。
「箸が転んでも」笑う年頃は、感受性ゆたかで、
何事にも驚き、知識の吸収と破壊を繰り返す。
驚き笑いながら成長しているわけだ。
壊れたおばさんは・・・???

笑いは、固定概念の「ズレ」で起きる。
転るはずのない「箸が転がる」のは、小さな概念破壊だが、
想像もつかないような、大きな概念破壊は恐怖でもある。

ダジャレのような、言葉遊びに限定された「ズレ」は、少しも面白くないが、
大ドンデン返しの落ちがつく大爆笑は、恐怖にも近い驚きだ。
ホラー映画で性欲が高まるという説と、同じことが起こっている。
それに、人間は一つの緊張にとらわれていると他が無防備にもなる。

甘い言葉で口説くのは、相手の内部に恋の結晶作用を起こさせる、詐欺と同じ手口だが、笑いは強制的に判断力を奪ってしまう口説きの外科手術だ。
しかし、笑わせている方は、口説いていると自覚してない場合も多いから、何か自分がよほど魅力があるんだろうと錯覚してしまう。
確かに、とぎれなく笑わせ続ければ常に良い感じでいられるが、実生活では笑ってばかりもいられない。
しかも、お笑い芸人の場合、固定概念が強いから、たまたま同じ価値観でない限り、笑いが止まればたちまち衝突する。

(笑いは概念の破壊だから固定概念の強い人ほど笑いを作れる)

サソリ座は死と再生
すべて「受けつぐ」ことに関連する
何もないところからの創造ではなく、在るものを壊して生まれる。
天秤の絵画は美と調和の追究だが、その次のサソリ座の絵はパロディーとしての漫画、戯画で、やはり概念破壊による創造だ。
笑いが破壊であるように、生殖も命の受け継ぎとして、先代の死による次世代の誕生であって、やはり破壊による創造といえる。

また、サソリ座の情念は嫉妬と、近親相克を生む。
これも破壊願望だ。
破壊は既存のモノがなければできないことで、
嫉妬は愛の一つだが、調和の愛ではなく、破壊の愛だ。
性的願望や性行為は、見方によれば破壊的行為であり、嫉妬心とは性的感情であって、口汚くののしる愛情表現も同類だ。
近親相克は、嫁姑や父子対立など、先代を意識しながら独り立ちしようとする時に起こる。先人に替わってその役を果たすには、先人を殺さなければならない。エディプスコンプレックスなどもこれだ。

サソリ座の人はまじめな人が多いが、嫉妬心も強く、なぜか必ず身近なところに敵がいる。
また、何度も言うように、サソリ座の地域は朝鮮半島を表す。
朝鮮半島の文化や歴史を見ると、むべなるかな・・・か


下ネタかよ 2

2007年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

さんまが気に入ってギャグにしていた
「下ネタかよ!」は、
どんな経緯で生まれたのか聞いてみたいところだが、おそらく
腹を立ててギャグにしているのだろう。

つまり、ただの下ネタと、高度な笑いがたまたま下ネタに絡んでいることとを区別できない素人が「下ネタかよ!」と、分かったような顔をすることへの怒り・・・ではなかろうか

お笑い芸人としては、そんな低次元に解説をしたところで、面白くもないから、表現方法と場違いの違和感でおかしみを出し、素人の不当を笑い飛ばしているのだろう。
どんな話題にも、「下ネタかよ!」と言ってみせることによって。

何の道であれ、プロとして苦労していることに、ちょっとかじった素人が、分かったような批評をすることには腹が立つものだが、
逆に、人の意見に反論するのに
プロでもない人が「評論家のようなことを言うな」と言うのも何だか滑稽だ。あんたいつからプロなのと聞きたくなる。

当事者にアレコレ言うなという意味だろうが、必ずしも、実際やっている本人が分かっているとはかぎらない。
岡目八目と言うように
関係のない第三者の方がよく分かっていることもあるし、酔っぱらいは「酔ってない」と言い、殺したこともない人間が殺人小説を書く。
体験だけを裏付けにする論法は結局、独善的なケンカ論法だ。
主観に基づく内側の論理はナショナリズムにつながり、戦争につながる。

体験とは逆のように見える、ネット社会も、言語文化内の独善世界に埋没しやすい。集団的サイバー体験による確信は暴走を生む。
「書を捨て街に出よう」と同じで、サイバーを捨て街に出ようだ。
実体験は、裏付けにはならないが、情報理解を深くする。

自分の信じていることほどいい加減なことはない。第三者の意見を取り入れながら判断をする心がけは大切だ。
年寄で、「何か変かな、どうだろう」と問いながら話す人がいる。自分を疑う客観性で立派だと思うが、
「オレの言うこと間違っているか」は強制的同意を求めるもので、全く逆の独善だから、言葉のというものは面白い。


下ネタかよ

2007年07月23日 | 占いばなし

性に関わる話をすると、のっけから拒否反応を示す人がいる。牡羊座に多いところをみると、牡羊座が人体頭部をあらわすからだろう。「表づら」担当だ。

むかし、イスラム寺院の屋根の形状と、王や法王の持つ杖の先端がギボシ状になっているのは、男根崇拝に起源を持つ「力」の象徴ではないかと思う・・・と言いかけたら、
「君は何でそんな下品でひねくれた発想しかできないのか」と、諭された。話す相手を間違えたと思い、それ以上話さなかったが、この人も「正義のリーダー」の牡羊座だった。※
不倫ブームの頃。加山雄三が不倫絡みの歌を歌ったが、恥ずかしいほど不似合いで当然ヒットしなかった。やっぱり、牡羊座は「海よ荒野よ」と歌う方が似合う。ちなみに、黒澤明、さだまさし、吉田拓郎らも牡羊座。

ところで、
お笑い芸人が下ネタを嫌うのは、誰が話しても笑いがとれる素人芸だからだ。つまり、下ネタは誰でも笑うわけだ。
じゃあなぜ、下ネタに笑うのか。
これは、真剣に考えれば、かなり奥が深い。
笑いとは何か、性とは何か、モラルとは何か等々、それだけで一生を費やしてもわからない大問題が、ぜんぶ絡んでいるからだ。

笑いは自律神経のバランスをとるため
驚いた緊張を解く副交感神経が作動するのだそうだ。
それでいくと、下ネタは
モラルの破壊に、驚いて笑うわけだ。
「言ったり見せたりしてはいけないモノ」を突きつけられると、
「な、なにをする!」と驚き、もう、笑うしかない。

タブーを取り払うだけの下ネタには、前フリのうまさは必要ない。
誰でも持っている常識を壊すだけであり、しかも、落ちを創る必要もない。
芸人としては全く「芸のない」笑いなのだ。


これを上げようとしていたら、ちょうどエジプトで杖を持ったミイラが発見され、吉村教授が「杖は権力の象徴です」と話していた。
聖書の中には至る所に杖が出てくるし、様々な不思議も行う。スフィンクスの謎かけでも人間は杖を持つ存在だ。原始の長老崇拝と男根崇拝の統一イメージが杖で、後世、デザイン化されたのは自然だと思うのだが。


黄金虫

2007年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昔、といっても昭和末だが、京都の鞍馬山で修行したという少年に花街の海千山千の女将が数千万円だまし取られるという事件があった。
今回、大阪の、やはり海千山千の面々が60代のジジイに大金をだまし取られるという事件に笑いながら、ふと京都の件を思い出した。
大阪の場合は、欲の絡んだ狐と狸のばかしあい風コメディーだが、京都の場合も、信仰心の土地柄を思わせるニセ教祖コメディーだ。

詐欺というものはシャレた犯罪で、たいていの場合、命まで取ろうというのではない。だいたい、だまされる側にも事情があって、本人が血まなこの大騒ぎをしている割には、あまり同情されない。

だまされる側の事情というのは、必ずしも物欲だけではない。相手に良く思われようとか、自分が美談の主人公のように酔うとか・・・形のない欲もある。
確かに、借金までしてお金を貸して自殺と、結果的に命にまで関わるような場合もあるが、昔なら雲隠れ、現代なら自己破産と、裸になれば本来、命は助かるはずだ。

冷静に考えれば、どこかおかしな要素があるにもかかわらず、自分の信じたい方を優先させてしまう。
「オレオレ」と言われれば、注目してほしい人に頼りにされたと、自分を信じ込む。人間の寂しさ。
だから、だまされた人を非難する気はさらさらないが、見ている側にとっては、何とも滑稽にして、やるせない話だ。

しかし、だまされたと騒ぎ出すから事件になるが、死ぬまでだまされれば詐欺にはならない。

世の中に、本人だけが有り難がってお金を貢ぐ不可解な現象はいくらでもある。新興宗教など第三者にはまったく理解できないが、本人は至高の価値と信じ込み、すべてを捨てて貢ぎあげる。
新興宗教だけではない、日常生活でも、お寺に納めるお布施や、明細の解らない寄付金。ペットの王子様からブランド品・・・。
これらはすべて、金を出す人間の「思いこみ」以上の価値はない。

お金を稼ぐ方法は知っていても、なぜ「使い方を知らない人」がいるのか。と言うより、古今東西、人間というものは初めから、お金に振り回されるようにできている。

物々交換なら、身の丈を超える貢ぎ物はできないが、お金という仮想概念を、人間はいまだに理解できないでいる。
お金のない時代においてすら、過剰生産物を、労働力に替えて巨大モニュメントの建造に励んだわけで、生産段階の節制より「使い切り」だけを考えるのは今と変わらない。
まして、理屈術だけでありついた役人商売ともなると、まさに金は筆先で生まれてくるものということだ。

自然の恵みで生きていた狩猟漁撈の一線を越えた時から始まったお金の文明狂想曲。もしかすると、国家という宗教に布施すれば、役人スプリンクラーでまき散らされることによって、御浄財となるのかも知れない。
中国では信仰のためにお金を燃やす。
不確かなもののためにお金を捧げるのは信仰や宗教にほかならない。


外国ドラマ

2007年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

先日ふと見た昼のTVが、韓国ドラマか日本のドラマか、一瞬、判らなかった。
妙にのっぺりした厚化粧に、戦前の財閥風のセット。大げさな演技。
日本ドラマと判って苦笑いした。
韓流が当たって、逆輸入の古典ドラマ製法をマネたのだろう。
観る気がしなかったが「華麗なる一族」も、昔の映画「戦争と人間」のような画だった。中身はどうだったんだろう。
財閥の功罪とかの話ではなく、ただ、お城の物語。よほど封建社会に憧れているらしい。

中国や韓国のドラマ。そう言っては失礼だが、単純明快で幼稚だ。
にもかかわらず、それが日本で受けるのは、近年のドラマが、小手先の奇をてらうばかりで、飽きられていたからだと思う。
しっかりしたテーマと今日性を持ったドラマなら、「白い巨塔」のようにちゃんと受ける。根本的なことを考えないから、韓流の雰囲気だけまねる情けなさ。TV局は視聴率と視聴者の区別がつかない「シどい巨塔」だ。

ところで、どんなくだらない海外ドラマにも見る価値がある。
海外ドラマは、もともと国内用だから、その国の価値観や感情が丸出しだ。ドラマに感情移入する人には、全然入り込めないコテコテの国民性が出ているものや、戦後のアメリカ・ドラマのように、憧れて、教科書のように観ていたものもある。
しかし、鑑賞スタイルを変えて、文化人類学の教材としてみれば、海外ドラマほど面白くて、人心国情が良く解る教材はない。

「スタートレック」はアメリカの軍国主義と正義の論理がそのままわかる最高傑作だ。このドラマは40年近くもの間、一貫して見識と軍事力による異文化交流の旅を続けている。アメリカのご都合主義の論理が内側から見えるのが面白い。
アメリカ人の不安やカルト性が解るのは、昔なら「世にも不思議な物語」、近年では「Xファイル」などがある。
残念ながら、中国の現代TVドラマは観たことがないが、「三国志演義」などを観ていると、戦国映画とはいえ、やはり軍事国家の国民の心得のようなものがわかる。権威主義と気概、それに伝統の形式主義と「現金」さだ。

こういうドラマを見ていると、米中軍事国家の兵は、アメリカが国の参加者としての誇り、建国魂に命をかけるのに対し、中国は愛国忠義といった古典的な感情に命をかけるような気がする。
共和制で始まった国と、長い帝国の歴史を持つお国柄ということだろうか。

中国ドラマを観るには、欧米人が日本のドラマを見るような「積極的な好奇心」を必要とする。
かなり、感情や価値観がずれているからだ。めずらしいといえばめずらしいが、香港映画なども、笑いがなければ、本当はかなり感覚がずれている。案外、中東の映画の方がスンナリ解るのはテーマの取り上げ方だろうか、それとも中東と通じる感性があるのだろうか。

日本のアニメが欧米で受けるのは、今の日本人がすでに欧米的感性を持ち合わせていて、それで日本を見せるからだろう。

一方、韓流ドラマが日本でスンナリ受け入れられるのは、様々な歴史背景があるにせよ、手法の模倣があるにせよ、結果的にかなり感性が近いと言うことだろう。だいたい何ごとも、近いものほどいがみ合う。
うちの家族はみんな違うと思っているのは、その家族だけだ。

ところで、
家族の誰か、たとえばかみさんが近所の家に行って
うちのオヤジはひどいやつでと、まくし立てたとしよう。
一杯飲んでいたその家の亭主が「そりゃひどい、今度会ったら叱ってあげよう」などと言っているのを聞きつつけて
「大きなお世話だ、こいつは嘘つきババアだ、ほっといてくれ」
とオヤジが現れたとしたら
一杯機嫌の亭主は引っ込みがつかなくなるし
結果、ご近所では、あの家はバカばかりだから、まともに相手にできないよ。と言うことになるだろう。
最後に残るものは理屈ではない。印象に始まり印象に終わる人徳だ。

安倍グループは、ちいせえ、ちいせえ
腹芸も解らない戦後教育の被害者とは、まさに自分達自身ではなかろうか


また

2007年07月16日 | 占いばなし

昨夜、突然目が見えなくなった。
昔から良くあることなので、時間が経てば治るだろうと気にせずにいた。
全体に白くハレ-ションを起こしたような感じで、景色が把握できなくなる。
脳の血流がどうかしているんだろう。身体を動かしたりして血流を良くすればたいてい治る。これまで、この状態が治った後は、強烈な頭痛になって吐き気がする。
30分ぐらいでおさまったが、水を飲んだせいか、頭痛にはならなかったがひどく疲れた。
近年分かったのだが、この状態で頭痛になった時、個人的にはエレキバンが効く。

今朝、また地震だ
地震予知のため、ナマズを飼っている人がいる。
地震の前に騒がなくても、何もないのに騒いでも
ナマズが責任を問われることはない。
でも、人間はそうはいかない
だから、体調と地震の関係など発表するようなことではないし、
何の因果関係も証明できない。
しかし、
こうも、体調とテンポが合うと、ナマズ情報として体調報告をすべきなのだろうか。

でも、一々、今日の体調は・・・
などと書いていると、よけいな心配をかけたり、
そろそろ死ぬぞ・・・と、ほくそ笑まれたりするから

やっぱり、やめとこう

それより、世の中にはナマズ人間はかなりいるはずだから
そういう人の情報を一カ所で常時集約し、数値化して
表にしてしておいてはどうだろう
ただ、
好んで病気を気にする人や、自己顕示のためだけにあれこれ言う人の排除アルゴリズムを用意する必要はあるだろう。

悪夢


早いもので

2007年07月13日 | 星の流れに

また、13日の金曜日だ。
100本目「一里塚」の4月13日の金曜日からもう3ヶ月。

久々に、大型台風が接近中。
射手座は木星を表す。暴風は海王星の魚座だが、海王星発見までは魚座も木星が支配星だった。したがって射手も魚も木星の風だ。

大津波、異常気象、巨大台風・ハリケーン・・・天王星→魚座の舞台に
去年から木星→射手座の役者が来たとたん「千の風になって」が突如、大ヒット。
千の風は「a thousand winds」の歌詞をタイトルにしたことがヒットになったのだろう。
で、木星と海王星のダブル効果だ。

は新潟地震の小谷でも触れたが、どうにも魚座だ。
「thousand」は千だが、むしろ「無数」のイメージを表す。
日本語でも、「代に八代に」は限りなくの意味だし、手観音や日行の千も無数の象徴だ。全国にも代川とか千の付く名前は多い。これは三世界など仏教の影響だろうから、サンスクリットが印欧語族であることを考えれば、結局、「thousand」と千は同根の「数え切れない無数」のニュアンスを持つ。

と言えば、自費出版大手の「新社」が訴えられているのもタイムリーだ。もっとも、訴えている側の過剰な期待も問題で、強いて被告側に非があるとすれば、甘い夢だけ強調した商業主義だろう。

不二家の次はフジテック。不二家の時にも言ったが、富士山は昔、不二山だった。
フジテック、問題会社の資質はあった。
開く、閉じるのマークが「<>」「><」で、どっちが開か、閉じるか解りにくく、とっさの時に、逆を押す人や、慌ててる人を何度も見かけた。
独りよがりなデザインで悦に入っているような会社の姿勢というものは、必ずほころびを現す。

海老蔵が大けが  (><)!
射手座なのに、相性の難しい魚座の名「海老」が災いしているのかも。
活躍めざましい反面、いろいろ騒がれて大変。
とやかく言われているが、江戸っ子の若衆的な良さがある。
三代目に出ると言う、九代目の人気を彷彿させる。
木星が来て、同じ射手座のサトエリあたりに利用されていたが
本業でも今年は特に大活躍中だった。
13日金曜日の新月に風呂で足に大けが。
好事魔多し。目立っている時はこういう事は誰にも起こる。
疲れに無自覚だったのだろう。自然のブレーキだ。
後遺症のない早い快復を切に祈る


子供は「かわいい」か

2007年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

今では、「かわいい」は一つの美的概念になった。
「可愛」は「かわゆい」の当て字だそうだが、言い得て妙だ。
愛することのできる(可)ものを「かわいい」と言うのだろう。
今の使い方は「かなし」より「いとおし」に近いようだ。
いずれにせよ
心底、怖いものを「かわいい」とは言わない。
世間のオヤジが「かわいい」と言われて怒っていたのは
地震、雷、火事、親父の地位を剥奪されたからだ。

子供を「かわいい」と思うのは、まず無害であり
力の弱い、自分が守ってやらなければならない存在だからだ。
「オヤジは怖い、子供は弱い」
そういう原始の概念が支えているものが「人倫」だ
だから、人倫には限界もある。

科学が発達し、男やオヤジの身体能力が無用となり、
保育器で育つ子供が母の保護から離れていくことによって
人間は自然の身体感覚を失い、「人倫」が崩壊する。
子供は可愛いものではなく玩具になり、鬼もオヤジもかわいいキャラに過ぎない。

しかし、原始的な「力の秩序」が失われたことを嘆いても始まらない。新秩序を模索する時だ。
力の秩序が失われていけば、知恵の秩序が可能になる。
子供が可愛いだけでなくなれば、子供の人格を尊重できる。

「赤ちゃんポスト」は過去秩序からの緊急避難だ。現実の変化を認め、むしろ積極的な新システムを考えるべきだ。
あってはならないこと」と言うだけなら無責任だ。
現に「ある」のだから、それをどうするのかが問題だ。
解決策を考えない、きれい事は、もう止めて欲しい。
もう、昔の美しい日本には帰れないのだ。
新しい「美しさ」(秩序)を語ったらどうだ。
年金もツギハギは止めて欲しい。
与野党ともに、新しい老後保障制度を語れない無策*

明治維新で大ナタを振るって以来、80年
敗戦の大崩壊まで改まることはなかった。
敗戦の大ナタ以来、62年。まだ何も改まらない。
結局、また黒船が来るのだろう
あと18年かい?

*P.S.:民主党が制度的、完全保障を言い出したようだが、一言で解るキャッチフレーズがなければ、むしろ誤解されるだろう


おかしいじゃないか

2007年07月06日 | 兄弟関係

おかしいじゃないか!
これは、麻原彰晃の口癖だが、
相手を攻撃する時。あるいは、攻撃を避けるための反撃をする時。
疑問形で返すのは基本的に、下の子の対応だ。
長子は関係というものに鈍感なので、自分の意見を「相手の間違い指摘」の形では言えない。
基本的に「自分はこう考える」と、言おうとするから、揚げ足取りに簡単に引っかかってしまう。

地域性もかなり影響しているように思える。
先生」の件でも話したが、西に行くほど中国大陸の影響が大きい。
中国語の論法を見てみると、
「・・・だと言うのか」「・・・とでも言うのか」
のような言い回しに溢れている。
「何をか言わんや」にしても、「開いた口がふさがらない」を「何を言ったらいいのだ」と疑問形にして強調する。
これは、疑問形にすることで断言せず、責任を回避し、しかも、自分を絶対正義の立場に立たせる。

「オレが間違っているとでも言うのか」
と言えば脅迫にもなる。
自分は常識正義の側にいる。それを間違いだというなら、皆(世間)に間違いだと証明しろ。さもなくば、皆と自分から成敗されるぞ。
自分の脅迫を皆のせいにするという巧妙な攻撃だ。

朝鮮半島の言い回しはほとんどこれだが、九州も相当影響されているようだ。
西日本全体にも「疑問形で攻撃」の傾向は強い。

・・・とは言うものの
近頃、「おかしいじゃないか!」と叫びたくなるようなことばかりだ。


そろそろ値引き時

2007年07月03日 | 星の流れに

射手座と魚座そろそろ値引き
射手座の久間章生防衛相。木星が来てから地雷原で一杯機嫌のダンスだ。ノンキに地雷を踏みまくっている。「アメリカは偉そうに言うな」「原爆はしょうがない」
本人は「何か踏んだかい?」といったところ。
政治家には抗議が来ても、一般人は直接言われることは少ない。射手座の人はそろそろ過去半年を点検してみる必要がある。
それにしても久間防衛相。狂言回しの千両役者だ。結果的に様々な問題提起になっている。

魚座の名前
魚関連は言うまでもないが、このところ目立っているのが「」。
魚座は12星座の最後だからレッドソックスでも話した「つま先」のような末端部。つまり「尾っぽ」や「はし」。
バイオリンの神尾真由子、同性愛表明で参院選立候補の尾辻かな子、押尾学あたりは挙げられるが、事件・事故は調べて欲しい。また、同性愛は魚座のジャンル。

はし
箸の語源と橋、嘴、梯、端は同じではないかと思う。先端部であり、他との接点、インターフェースという点で共通している。まさに魚座だ。
いま、割り箸拒否がブームだが、割り箸そのものが悪いのではなく、業者の姿勢が問題なのだ。国内の竹や間伐材はむしろ活用が望まれる。


壺算

2007年07月03日 | 占いばなし

三碧というのは、ほんとに愉快な人達だ。(九星と犯罪)

今度は緒方重威、元公安調査庁長官。おなかに「×」つけた豆狸にちがいない。
三碧は「雷」だから、行き当たりばったり。深い考えがあってのものではない。今回なども三碧の「ちゃっかり精神」が災いしたのだろう。双子座だから相棒の影響もある。相棒も73歳だから、やっぱり三碧か。
三碧が詐欺を犯しやすいのは「言葉の世界」に生きているからだ。
言葉がカッコ良かったり、論理的に聞こえるので、本人がだますつもりでなくても、相手の方から賛同してくる。そこで「くれると言うならもらっとこう」の「ちゃっかり」が働いて詐欺になる。
雷の音を聞くと、とんでもない大きな物が落ちたと思うが、滅多に出遭うことはない。
三碧の発する言葉に実体が伴うと思うのは、聞く側の思い込みだ。

ある三碧の客が20万の商品を買いたいという。
「気に入った使って良ければ後でまとめて契約したい。あと二人欲しいはずだから話しておく、3台で40万にしてくれるなら、今日とりあえず私の一台分として13万払うから端数はマケてくれ」
そう言われて営業マンが帰ってきたので、大笑いをした。
これは身近な実話だが、これぞ三碧の真骨頂。お気楽な値引き交渉だ。
(大量契約や二人の存在を信じた人は詐欺だと言うかも知れない)

三碧の住む「言葉の世界」とは、
「シッポを振って飛びついたり噛みついたりするもの」を「犬」と呼ぶのではなく、「犬」という名前が「飛びついたり噛みついたりする」世界だ。
飛び交う情報を聞くと、その実態ではなく、言葉そのものの組み合わせや活用を考える。だから、TVタレントや著述業で成功する。
誰でも知っている情報の組合せを替えて、新しい情報や知識を生み出す。もちろん本人は大まじめだ。
タレントの昭和九年会は有名だが、ほかに、村上龍、さだまさし、梅原猛、井上由美子、橋田壽賀子など・・・マスコミの風雲児ばかり。

またも出てきた羽賀研二。この人も三碧の風雲児・・・かな?