複合の秩序
東と西、武士と商人、武家と公家、権力と権威・・・等々
結局、日本の成り立ちが、縄文と弥生の対立と融合であったことが、日本の面白さと強さを生んでいる。複合の強さだ。
どのような集団も、単一化、「純化」で滅ぶ。世界の混乱は宗教戦争など、人間の意図的な純化が衝突することで起こっている。
アメリカが、ことさらに、宗教の自由を掲げるのは、多様な信者や宗教迫害で集まった国だからだが、それを新憲法に特記されても、日本人には良く解らなかった。
日本人は既に、もともと八百万の神を崇めていたからだ。
この小さな島国に、実に多様な人種文化が寄り集まり、しかも地域性を保って来た。日本はいまだにモザイクの国だ。
しかし、残念ながら、中央集権とマスメディアでこの半世紀、ほとんど均質化している。
モザイクは強い
資本主義という一つの方式に対抗して、全体主義や共産主義が互いに純化を争っている時、日本は皇国という一つの主義を持ち出した。
事の起こりは明治維新で、帝国主義の嵐に対抗するために、伝家の宝刀、天皇を持ち出して、帝国の論理武装をした。
東の江戸(武士)が行き詰まると、西(公家)が補ったわけだ。
そしてまた、それを東で発展させ、世界純化戦争に敗れると、また、
西の商魂で戦った。
近代アジアが沈んだのは、個々の国が一元的なタテ割り秩序で、おらが村のプライドに浸りきっていたからだ。
欧米は切磋琢磨で喧嘩なれしていたし、協力の仕方も心得ていた。
東南アジアは今もそうであるように、少数民族同士が争い、国の形がなかったから簡単に支配されたし、
大国清がやられたのは張り子の虎、実体ボロボロにもかかわらず、形式と対面主義のプライドで、欧米を蔑視し(ナメ)たからだ。
日本が助かったのは、中国の属国ではなかったことと、その小ささにある。ライオンと虎が争っている間に、素早く木に登ったコアラだ。尻尾は食いちぎられたが、とりあえず助かった。そしてヒョウに変身する。
インドにしてもそうだが、昔から群雄割拠の国は、少数民族の延長で、互いが牽制し合って、精神的な統一の柱がない。
欧米はキリスト教、ローマ教皇といった権威が統率していたが、自然主義のアジアには天地の他に、ものを言う権威がなかった。
島国日本には幸か不幸か天の下に天皇というものがあった。キリスト教に対抗するものとして天皇という骨董品を持ち出した人の慧眼に感心する。
元来、日本は開国以前から、欧州を凝縮したような、モザイク的な統一と秩序を生み出していた。
侵略者が入ってくると、大陸のような広い土地では先住民は逃げるか抹殺されるので、価値観が入れ替わるだけだ。
ところが、日本も欧州も逃げ場のない行き止まりだから、混乱の末、共生するしかなかった。欧州で精神的統一の要(権威)となったのはキリスト教であり、日本では天皇ということになる。
日本がたちまち西欧化したのは、産業技術が熟成していたという説が有力だが、何よりもこの皇国という対抗軸が有ったからではないかと思う。つまり、西欧の一神教に対する原理を持っていた。
しかし、結局、それが諸刃の刃になった。
小さな地球は島国ニッポン
いまだに世界は宗教戦争をしている。民主主義か古典王権か軍国主義か・・・結局、根底は原理の衝突だ。
日本は、既に、原理衝突に敗れ、結果的にその無意味を体験したのだから、原理秩序の夢を捨てて、日本ならではの新秩序を提案できるはずだ。世界もそう期待していたのだが、日本もいまだに、近代原理主義の夢から覚めぬようだ。
日本の持つ最大の可能性は、
この小さな島国で、二千年をかけて秩序を打ち立てたことだ。
天皇という権威、将軍という権力、諸国独立のモザイク。
これを世界秩序のモデルとして、強く掲げるべきではないか。
もちろん、天皇制を広めることでも、教皇をすえることでもない。
つまり、権威と権力の二段構えと、各国の独立性を中心にすえること。
そうしたシステムの提案、ヴィジョンのことだ。
権威は、現在の国連に当たるようなものだが、今のままでは欠陥だらけだ。
権力は、世界警察のことで、アメリカ幕府のことではない。また、世界警察とは地球軍のことだから、軍となれば指揮系統が問題になるので、士官学校から統一する必要があるだろう。
現在のグローバル化と称する無秩序な物流は、その原理の破綻を迎えようとしている。地球を物流、金融のルツボにすることで、地球を破壊していることは今や明らかだ。
経済、物流に改めて何らかの間仕切りを作る必要がある。国レベルの地産地消だ。
・・・
そうは言っても、誰も猫の首に鈴を付けることはできない。
結局、大崩壊するまで待つしかないのだろう。カウントダウンは始まっている。
「し」←