魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

正味期限 2

2007年11月29日 | 日記・エッセイ・コラム

賞味期限はおかしい
日本人は完璧主義だ。世界に冠たる高品質は良いとろころでもあるが時には致命傷にもなる。
古文の現代語訳に、原文にはない(主語)が書き込まれていて、うるさいと思ったことはないだろうか。
日本人のための国語に、外国語のように主語も入れる。こういう細かな気配りは、学問としての正確さには必要だが、日本人を作る国語教育には害になる。想像力が衰えていくからだ。

同じように、日本の法律には細かな取り決めが多すぎる。
確かに、無いよりはあった方が良いような?シートベルトやヘルメットのような例もあるが、絶対に必要もない、個人の自由に属するようなことまで事細かに規制する。
規制やルールの中に入れられて安全にはなるが、想像力や注意力、自立心をはぎ取られ、養鶏場に入れられたブロイラーになっていく。

軍隊にはいると人格を捨てさせるために、越中褌まで支給品を付けさせる。それと同じだ。
賞味期限とかいう、さほど絶対的でもない枠を作って、それを守ったの守らないのともめると、ブロイラーが、小屋の中から「うわーっ、うちら変なもん食べさせられているー!」と、バタバタ大騒ぎ。

変な枠を作らないでくれといいたい。
消費期限とか賞味期限とかより、「製造日」と「原材料生産地」にこだわって欲しい。
食べる側も、野生を取りもどし、自分の五感を研ぎ澄まそう。

どうしても期限とかいうなら、「・・目安」で充分だ。

横浜のシュウマイに至っては、表示の順序を間違えたと謝らされていた。
おい、こら、役人


年の瀬

2007年11月28日 | 占いばなし

今年は、二黒、五黄、八白の人は「曲がり角」の年だった。これらの人達に大難がなければ喜びたい。
守屋元次官は二黒だ。
九星と犯罪」でも話したように、二黒の犯罪は「ケチから起こる」。二黒だけではなく、二黒、五黄、八白の五行、土星は派手なことが嫌いで、実質主義だが、特に二黒は細かくセコイ。
日本ミライズの宮崎元伸も八白で、二人そろって角にぶつかった。
ただ、土星だからというだけでなく、個人の性格が二人とも特にお金で物を量る人だ。別の言い方をすれば、合理的な社用族だ。
商社側が接待するのは当たり前で、ハッキリした賄賂ではないのだから、セコい二黒は、相手の社用は普通のことだと思った。
これが、どちらかが一白ならハッキリと目に見える「贈り物」になっていただろう。
もう一つ、別な観点から考えると、魚座の「宮」の件で宮崎県や宮城県のことを話したが、個人名でも宮崎が出ているということだ。
近頃、宮崎あおいとか、宮崎哲弥など目立っているが、どうなることやら。

今年、曲がった人と言えば猿橋賞の猿橋勝子が亡くなった。大正9年の八白で、大正9年の女の人は戦時の男枯れで独身の人が多く、八白らしい一途で、実績を残した人が多い。八白は山を表す。
同じ猿橋でも「さはし」と読ませたNOVA猿橋望は、商売上手の四緑だ。こちらは乙女座に来た惑星、土星が災いした。

名前と星座
それにしても、次の世界への「橋」は魚座で、このところ崩落続きだが、「猿」は何座と考えるか。
申月は8~9月で乙女座だが、「人間の一歩手前」という点に着目すれば胎児を表す魚座だろう。
NOVAの成功は、ほとんどTVのCM(魚座)によることを考えても、本人が乙女座生まれで、180゜の魚座に関して最高のエネルギーが発揮できた。やはり、「猿橋」の名前は魚座と考えられる。
ちなみに、ピンクレディーは、魚座ミーと乙女座のケイ。

この180゜の関係は、表裏が逆の関係で、外見上は全く別物に見えるが、表裏一体。一つの原理でつながっている。バランスが取りにくく、良い時と悪い時が極端になる。

相性関係で、周囲にこういうカップルがいたら、とばっちりを食らうから避けた方がいい。ただし、上下関係がある場合は極めて安定する。
世界の最近の180゜組合せ例を見ると。
クリントン元大統領・獅子座←→金正日・水瓶座
ブッシュ現大統領・カニ座←→小泉純一郎・山羊座


散弾銃

2007年11月24日 | 話の畑

TV通販から 「散弾銃、39800円」と、聞こえてきた

「え~ッ !」
ついに、通販でも銃を売るようになったのか。
玩具にしては高すぎる、モデルガンだろうか?

そう考えた、次の瞬間、
「二弾銃、29800円」
二連銃のことだなと思いながら、画面を見に行くと

「お正月は、心を込めたおせちでお迎えください」
画面「三段重39800円 二段重29800円」
確かにそうだが、日本語としては「サンダンガサネ」の重箱読みの方が美しいのではなかろうか。

近ごろ、年のせいか聞き間違えが多い。
しかし、この場合は聞き間違えではなく、勘違いだ。
勘違いは、思いこみから起こる。
発砲事件や銃器問題の話題ばかり聞かされていると、TVからはそういう話しか聞こえてこないものだと、思いこんでいるのだろう。

以前、関東出身のお母さんが話していた。
子供が、家に入って来るなり
「なあ、お母さん、死んでもエエか?」
と言うので、ギョッとして凍り付いた。

いじめられて、ついにこの子も・・・
と、思ったら、
夏休みの宿題を今日は「しんでもエエか(しなくても良いか)」ということだった。


わからん

2007年11月23日 | 占いばなし

来年は消費税騒ぎになりそうだ。
正直なところ、税金というもんが一番わからん。
共同体をまかなうには絶対必要なものだが、
脱税やら、消費税騒ぎは、集める側の知恵と努力が足りないせいだ。

「払うのが当然だ」と言わんばかりの態度に腹が立つのは、税金で食ってる連中が、王やお上にでもなったような勘違いをしているからだ。

政治家や役人は、民主主義の共同体をまかなうことで食っているのだから、納税者に気持ちよく払ってもらうことを考えたらどうなのだ。
いわば、サービス業なのだから。

払う側が計算の手間をやくのは、公正な使われ方を前提にしているからではないのか。

もう一度言う。税金はようわからん。
わからんから単純な話しだが、消費税は最高の方法だ。
そう言ったら目をむかれるかも知れないが、
要は、所得税を止めて、全部、消費税にすればいいと思う。

今、消費税がタブーになってしまったのは、政治家の責任だ。
消費税、初導入の時に、トイレットペーパーからジャガイモ人参に至るまで生活消費に課税して、大人から子供まで、頭から水をかぶせてショックを与えたからだ。悪者イメージが染みついた。

所得税のような、面倒な納税方法がなくなれば、給料は額面通りもらえるし、個人事業者は忙しい時に、徹夜してまで確定申告をする必要もない。その上、真面目に納税していても、いつ申告漏れとか言われて犯罪者扱いされるかわからない恐怖感もなくなる。
実際、脱税という犯罪もなくなる。

消費税は50%でもいい。ただし、日常食品や生活資材は0%。
たとえ、0%にしても、生産段階で掛かっているのだから、取る側に文句はないはずだ。

この結果、質素に暮らす人には、搾取される感覚はなくなるし、真面目に働いて無駄遣いをしなければ、お金が貯まることになる。

贅沢をする人は、単に高い物を持っているということではなく、高額納税者の勲章を着けて歩いていることになる。

こんな結構な税金を、腫れ物に触るようにしているのは、
所得税との二重取りを改めず、生活消費に対する気配りもないからだ。
また、消費税反対があたかも正義の味方だと思っている政党も、税制全体を本気で考えず、単に与党攻撃の材料にしているに過ぎない。

税金のことは、ようわからん。
ようわからんが、冥王星が山羊座を過ぎるこれからの時代に、大きく変わることは確かだ。


腹話術

2007年11月22日 | 占いばなし

人と話すのに、犬や猫を抱いて腹話術師のように話す人がいる。
「ほ~ら、オバちゃま素敵でチュねぇ」

これはいかにも変だが、赤ん坊を抱いて同じ事をされたら苦笑いもできない。

占い的には一つの型に分類されるタイプだが、必ずしもそのタイプでなくても、母親にはよくみられる。
安全主義で自己防衛型だ。一言で言ってしまえば「気が小さい」。
そして、もう一つ言うと、自分の気が小さいことすら認められない。それぐらい気が小さい。

気が小さいのと、気が弱いのは少し違う。
気が大きくても、気の弱い人はいる。
気の小さい人は、始めから逃げと防御姿勢だ。
これに対し、気の弱い人は、逃げる気も防御もなく、ノンキに首を出して、強風にあおられると、オットットと首を引いてしまう。優しいとも、人が好いとも言える。

気の弱い人から害を受けることはあまり無い。
しかし、気が小さい人を相手にすると、根こそぎやられてしまう場合がある。
何しろ、始めから自分が気が小さいことを、無自覚ながら認識しているから、それなりの処世術を心得ている。

まず絶対、自分の意見を直接言わず、誰かの意見として言う。
したがって、一人で歯切れ良くものを言うことはない。
ただし、始めから、代弁者として言う時は、雄弁で流暢となる。
ペットや赤ん坊を抱いて言うのはその例だが、もう少し発展すると、
うちの子は目が肥えてるから「ブランドしか着ない」って言うのよ。
さらに発展すると
「子供もおばあちゃん(姑)を嫌って、顔を見ると逃出すのよ」
「子供がパパを嫌がってね」・・・のようになる。

ペットや赤ん坊は感性で生きているから、飼い主や母親に波長を合わせている。言葉がわからなくても、意志や感情は直結している。
だから、ペットや赤ん坊の不自然反応は、飼い主や母親の「心の表れ」なのだが、この腹話術師は、人形が勝手にそうしてると思っている。

犬の予防注射にいく日は、朝から犬がションボリしてるとか、
どこかに行きたくない時、子供が病気になるとか・・・
それが、自分の心の反映とは思わず、「今日の注射を知ってるんだ!」と愛犬がよけい可愛そうになったり、本当は姑の看病に行かなければいけないけど、子供が病気だから仕方がない、と謝ってみたり。

犬ぐらいなら可愛げだが、子供となると人間だから、事実上、母親の盾となり、誰も文句が言えなくなる。
もっとも、近頃は「うちの子(犬)になんて事を言うんですか!」ということもあるから、うかつには考えない方がいい。

こんな話しをすると、「そんなことはありません。この子の人格は独立しているんです。」と叱られるかも知れない。

しかし、こういうことをよく聞く。夜、夫婦の共同作業の最中、必ず子供が起きてくる。それもまさに最高潮の時に・・・
きっと、大声を上げたからだとか、ドタバタやったからだと思われるだろうが、子供の寝室が離れている場合でも同じだ。

これは、まさに母親に異変?が起こったことを子供が共感するからではなかろうか。
「母親と子供の一体性」が如実に表れる例ではないかと思う。

子供という、以心伝心の如意棒を抱いている母親が、気の小さい人であった場合。
本来は気が小さくて、何でも我慢していた人が、突然、強力な武器を手にして歯止めがきかなくなり、家中、あるいはご近所、学校にいたるまで、混乱に陥れることがある。と言うか、少なくない。

子供も、ペットもいない時は、
「主人が」「父が」「母が」「妹が」「先生が」「社長が」 
と、誰かを引き合いに出し、自分の意見ではないことにする。


ところで、こういう人と会う時、ほぼ絶対、一人では来ない。
必ず誰かとやって来る。(中には、デートに友達と行く人もいる)
一人で来る場合は、必ず、自分ではない人の用件でやって来る。
それは良いのだが、本音は自分の用件なので、話しが混乱し、2倍ではなく3倍疲れる。
「剣道三倍段」と言うが、素手と比べて、道具があれば三倍強いわけだ。お巡りさんも必ず二人で行動する。
商談でも、相手が二人の場合はこちらも一人で会わない方が良い。

演説や講演は、相手が大勢いるようで、実は誰もいない。もっぱら独りの世界に入ればいい。質疑応答の場合、近頃はパネルやパソコン&プロジェクターを使う。
また、腕利きの営業マンが大勢のところにいく場合は逆に、「みんながいるから安心」という心のスキをつく。つまり群集心理を利用する。


天動説

2007年11月19日 | 占いばなし

地動説がとっくに成立していたのに、何世紀にも渡って覆せなかったのは、天動説の論理があまりにも緻密にできていたからだという。
アメリカには今でも、頑として天動説を説いている学校があるそうだ。

論理が正しいか正しくないかは、データがそろって緻密な説明がなされていることとは関係ないという例だろう。
古今東西、ウソほどもっともらしい説明をする。

錯乱の魚座時代。偽造、捏造、すり替え、偽証・・・
「何を信じて良いのかわからなくなる~」
は、魚座時代の時代語大賞だ。
こういう場合の心がけについては何度も触れているが、
別の言い方を思いついた。

真実に言葉は要らない。

東洋哲学の中村元さんが「近頃の哲学者は、簡単なことを何でわざわざ難しく言うんでしょうねえ」と、西洋哲学の古老と話したそうだ。

何事もそうだが、自信のない者は、言葉を並べて複雑にする。知識と単語と理屈を絡めてバリアを張り、その中に逃げ込む。
成り上がり者が金目の物をまとうように、舌に自信のない者が食の知識を並べたてるように、単純な事実を、他人がさわれなくなるまで難しく変質させてしまう。
天動説が難しくなったのも、客観的事実だけで考えるのではなく、始めに答えを設定して、それに適うように「無理からに」説明づけたからだ。真実とは関係なく。

ちなみに、星占いは同じ原理に乗っ取っているから、同じ誤りと同じ小難しさに走りやすい。というか、そのものズバリだ。
だから、星占いに関わる場合は、その論理や知識にむしろ、忠実で無いことを心がけなければならない。

物理や技術が難しくなるのはやむを得ない。しかし、歴史が小難しい理屈にあふれ始めたら要注意だ。
中国のようにあまりにも単純明快に決めつけられても困るが、韓国のように難解な歴史解釈も、掌で隠して踊る裸踊りを見ているようで、滑稽だ。
一方で、日本のように「それを事実とする証拠はない」では、「会食をした記録は出てきません」の政治家と同じで、何の説得力もない。


「し」 2

2007年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

複合の秩序
東と西、武士と商人、武家と公家、権力と権威・・・等々
結局、日本の成り立ちが、縄文と弥生の対立と融合であったことが、日本の面白さと強さを生んでいる。複合の強さだ。

どのような集団も、単一化、「純化」で滅ぶ。世界の混乱は宗教戦争など、人間の意図的な純化が衝突することで起こっている。
アメリカが、ことさらに、宗教の自由を掲げるのは、多様な信者や宗教迫害で集まった国だからだが、それを新憲法に特記されても、日本人には良く解らなかった。
日本人は既に、もともと八百万の神を崇めていたからだ。
この小さな島国に、実に多様な人種文化が寄り集まり、しかも地域性を保って来た。日本はいまだにモザイクの国だ。
しかし、残念ながら、中央集権とマスメディアでこの半世紀、ほとんど均質化している。

モザイクは強い
資本主義という一つの方式に対抗して、全体主義や共産主義が互いに純化を争っている時、日本は皇国という一つの主義を持ち出した。

事の起こりは明治維新で、帝国主義の嵐に対抗するために、伝家の宝刀、天皇を持ち出して、帝国の論理武装をした。
東の江戸(武士)が行き詰まると、西(公家)が補ったわけだ。
そしてまた、それを東で発展させ、世界純化戦争に敗れると、また、
西の商魂で戦った。

近代アジアが沈んだのは、個々の国が一元的なタテ割り秩序で、おらが村のプライドに浸りきっていたからだ。
欧米は切磋琢磨で喧嘩なれしていたし、協力の仕方も心得ていた。

東南アジアは今もそうであるように、少数民族同士が争い、国の形がなかったから簡単に支配されたし、
大国清がやられたのは張り子の虎、実体ボロボロにもかかわらず、形式と対面主義のプライドで、欧米を蔑視し(ナメ)たからだ。

日本が助かったのは、中国の属国ではなかったことと、その小ささにある。ライオンと虎が争っている間に、素早く木に登ったコアラだ。尻尾は食いちぎられたが、とりあえず助かった。そしてヒョウに変身する。

インドにしてもそうだが、昔から群雄割拠の国は、少数民族の延長で、互いが牽制し合って、精神的な統一の柱がない。
欧米はキリスト教、ローマ教皇といった権威が統率していたが、自然主義のアジアには天地の他に、ものを言う権威がなかった。

島国日本には幸か不幸か天の下に天皇というものがあった。キリスト教に対抗するものとして天皇という骨董品を持ち出した人の慧眼に感心する。

元来、日本は開国以前から、欧州を凝縮したような、モザイク的な統一と秩序を生み出していた。
侵略者が入ってくると、大陸のような広い土地では先住民は逃げるか抹殺されるので、価値観が入れ替わるだけだ。
ところが、日本も欧州も逃げ場のない行き止まりだから、混乱の末、共生するしかなかった。欧州で精神的統一の要(権威)となったのはキリスト教であり、日本では天皇ということになる。

日本がたちまち西欧化したのは、産業技術が熟成していたという説が有力だが、何よりもこの皇国という対抗軸が有ったからではないかと思う。つまり、西欧の一神教に対する原理を持っていた。
しかし、結局、それが諸刃の刃になった。

小さな地球は島国ニッポン
いまだに世界は宗教戦争をしている。民主主義か古典王権か軍国主義か・・・結局、根底は原理の衝突だ。
日本は、既に、原理衝突に敗れ、結果的にその無意味を体験したのだから、原理秩序の夢を捨てて、日本ならではの新秩序を提案できるはずだ。世界もそう期待していたのだが、日本もいまだに、近代原理主義の夢から覚めぬようだ。

日本の持つ最大の可能性は、
この小さな島国で、二千年をかけて秩序を打ち立てたことだ。
天皇という権威、将軍という権力、諸国独立のモザイク。
これを世界秩序のモデルとして、強く掲げるべきではないか。
もちろん、天皇制を広めることでも、教皇をすえることでもない。

つまり、権威と権力の二段構えと、各国の独立性を中心にすえること。
そうしたシステムの提案、ヴィジョンのことだ。
権威は、現在の国連に当たるようなものだが、今のままでは欠陥だらけだ。
権力は、世界警察のことで、アメリカ幕府のことではない。また、世界警察とは地球軍のことだから、軍となれば指揮系統が問題になるので、士官学校から統一する必要があるだろう。

現在のグローバル化と称する無秩序な物流は、その原理の破綻を迎えようとしている。地球を物流、金融のルツボにすることで、地球を破壊していることは今や明らかだ。
経済、物流に改めて何らかの間仕切りを作る必要がある。国レベルの地産地消だ。

・・・
そうは言っても、誰も猫の首に鈴を付けることはできない。
結局、大崩壊するまで待つしかないのだろう。カウントダウンは始まっている。

「し」


競馬と星

2007年11月17日 | 競馬の星

星占いで競馬を予想するには、惑星の配置の特殊な状態と一致する馬名を探す。特に、全く人気のない馬がそれに該当する場合は大穴を開けることがある。
大穴は惑星の特殊状態と関連するが、それはレース全体の異変でもある。
と言うことは、その馬自身の異変でもあるので、大穴を開ける場合もあれば、異変を起こすこともある。
これまで、これに該当する馬が、途中で故障したり、落馬したり、放馬、除外したりしたことが何度もある。
こういうことを見ても、やはり惑星の影響を再確認させられる。

今日は月が水瓶の日で、天王星の4を注目するのだが、個人的な金運と相性が悪く、いつも「当たって外れる万馬券」の日と言っている。
占いは的中してるのに、金につながらないのだ。

今日、月が水瓶座の17日は、枠連4がらみが5回出た。
早い話、4から買っておけば、儲かるわけだ。
ところが、11レースは3-5で、4が無く、
最終レースは天頂の水瓶座に月=2と海王星がいる。
海王星の馬は④トウカイブラボーと⑤オーシャンクルーズ。
水瓶座の馬は空を飛び回るものだから、
②オートドラゴンと⑥マヤノゴクウ  (さらに、ブラボーは水瓶)
そこで、単勝64倍の④トウカイブラボーを軸に②⑤⑥念のため⑪=2
を三連単で買った。

レースが始まると、実況の声「あっ、大きく出遅れた馬がいます!」
「4番のトウカイブラボーです」

結局、トウカイブラボーは、ゲートから一歩も出なかった。
競馬会の説明によると、これを「ゲート膠着」と言って、中止と見なし、払い戻しはないのだと言う。
そりゃ~あ、無いだろ~ 。・°°・(>_<)・°°・。

結果は2-11-6
4から買っているので的中は無し。4が払い戻しなら全額返金されるはずだが、それも無し。
競馬も長いが、これほど納得のいかないことは無い。

しかし、それにしても、お星様には感心させられる。


「し」

2007年11月17日 | 京都&ケンミン文化

関西弁
桂小枝がギャグにしていた「・・・やし~」は、関西人から見た京都弁のおかしさだ。
近年、関西弁が人気だそうだが、関西弁と言っても、相当広がりがあって、関西人は違いを聞き分ける。

一方で、関西人は「じゃん」を東京弁だと思っているが、元は横須賀弁と言われた、東京西南から神奈川方面の浜言葉だ。

それでも、東京語の場合はほとんどが、田舎者で構成されていることと、マスコミの発信地であることから、昔ながらの関東周辺の言葉を巻き込んで、かなり均質になっている。
「アメリカは人種のルツボ。カナダは人種のモザイク」といわれるが、
関東は文化のルツボ、関西はモザイクだ。
全国的に東京化されていく中で、関西には地域性が残っている。


言葉よりもっと面白いのは、顔だ。
歴史的な経緯を知ると、なるほど! と思うのだが、
南大阪-奈良-滋賀 とつながるラインには、言葉、気質、顔立ちに一貫性があって、飛鳥、天平の仏像を思わせる顔がゴロゴロしている。

最近、県民性ブームだが、文化は出身地に直結しても、日本の1/4が住む東京圏。東京生まれの「でしょう*」は消えている。
ところが、顔立ちには親の出身が残っていることがある。
ことがあるというのは、両親がかけ離れた出身であったり、戦後だけでも、東京に何代も暮らす人が増えているからだ。

東京出身と知るまで、てっきり某県だと思っていたタレントが、何かの話しで「おばあちゃんの田舎の某県に行ったら」と話していて、「やっぱり!」と、うれしくなったこともある。

顔写真データを片っ端から放り込んで、平均値の顔を浮かび上がらせる研究があったが、日本の顔立ち分布と、考古学的資料とを重ねれば、DNAよりも簡単に、古代の民族移動の痕跡が見えるはずだ。
あの研究がどこまで発展したか見てみたい。
*でしょう:「出身」上方落語などに残る。出性?出庄?出生?)

日本はモザイク
古い関東人が、関西人を好まないのは、
「相対的」に、中韓の大陸型を好まない日本人に心情が似ている。
東京の下町に関西の飲食店が進出して、宣伝の無料券を配ったら、年寄りの江戸っ子が、「冗談じゃねえ」と怒っていた。
関西人は、江戸っ子が関西人を嫌う理由が解らないだろう。

江戸っ子のぜいろく(上方)嫌いは
「現金で、うるさい」その上、愛想良く近づいて根こそぎ持って行く。
実際、今でも「東京は植民地ですわ」と言う関西人もいるし
日本の2000年を振り返ると、西から東への「進出」の歴史だ。

しかし、また、世界を振り返ると、植民地だったはずの新世界が、
後に発展して、立場関係が逆転するのも歴史の常だ。
関西人がやっきになって東京をライバル視しても、元気な東京は関西を忘れている。

ところが、東京が何かの拍子に低迷すると、関西がブームになる。
今回は、バブル不況だが、歴史的に様々な理由で繰り返してきた。
ここが日本の腰の強さ、奥深さなのだろう。

「し」2


瑞雲 2

2007年11月16日 | 占いばなし

老舗や期限ラベルを信じられなくなって、
「日本人のモラルが無くなってきているのかなあ」
と、言っている人がいたが、これは逆だ。
むしろ、昔の感覚で、普通のことをしているのに対し、内部告発もあって、消費者、あるいは一般従業員の、意識が厳しくなっていることを表している。

商売というものが、中東→中国→朝鮮→日本へと伝搬してきた中で、中国の「羊頭狗肉」と言う言葉も、常識として伝わってきた。
商売を「飽きない」「信用」という概念に変えたのは、日本に入って、それも江戸時代になってからだろう。

日本の東文化は縄文で、交易は随分あったようだが、騎馬民族のように、どこかで奪ったり、だまし取ったものを、別の地で高く売りつけるような文化はなかったと思われる。
交易盛んな西の文化は、和冦なども含めて商売文化であり、売買は客の責任で、出所の判らない商品に「掛け値」してあるから、買う時は値切らなければならない。
関西人は今でも値切るのをショッピングの楽しみとし、関東人は恥ずかしいこととする。
東の武士文化から見れば、「ウソ」を基本とする商売は、ケシカラン、卑しいことで、士農工商の最下位にされた。
鎖国になって、逃げも隠れもできない状況下で、初めて、商いに信用というものが加わったのだろう。

中国のデタラメ製品や、メチャクチャ商売は、むしろ古典的常識で、
中東などに行けば、値切れば1/20になることさえある。

大陸的商売が通用しなくなってきているのは、行動半径を超える情報量とスピードによって、昔式のウソが通用しなくなっているのだ。

しかし、
世界の大半は騎馬民族や海賊の末裔だ。
今日の国際情勢は、狐と狸の化かし合いがいまだにまかり通っている。
法治主義を掲げるアメリカが、中東や中国・北朝鮮に手玉に取られているのは、騎馬民族の無原則な商魂に歯が立たないからだが、いざとなれば海賊魂やゴールドラッシュが目を覚ますだろう。

こんな、山賊、海賊、騎馬軍団と比べれば、日本など赤ん坊だ。
徳川様のおかげで、日本人は何でも信じる。日本ほどブランド品が売れる国はないし、喜んでノウハウを提供する。ソ連参戦は夢にも考えなかった。
この日本人は、東原理の日本人だが、外交には西原理が有効に違いない。明治から敗戦まで、ほとんどが薩長原理で動いていた。有効だが歯止めが利かない。

ところで、厳しくなった、日本人の尊法意識だが、アメリカの建前だけ取り入れていいのだろうか。


射手座の効用

2007年11月15日 | 星の流れに

東京モーターショーが目標入場者数を下回ったそうだ。
当然だ。むしろよく集まったものだと感心する。
環境とか言いながらも、相変わらず「車」を売ることしか考えていないから、何を勘違いしているのかとあきれていた。
食糧難の時代に、厨房セットの展示会をしているようなものだ。

かねがね、腹立たしいのは、ハイブリッドカーで、
根本的変換をせず、絞りカスを、もう一絞りしたSONYの「フラットテレビ」と同じ過ちだ。あれで薄型TVの普及は10年遅れた。
SONYは結局、液晶テレビに全く出遅れ、それでもまだ懲りずに、プロジェクションTVを売ろうとし、それで失敗すると、今度はサムソンを利用しようとして、逆に利用されたようだ。
ハイブリッドカー全盛の今こそ、むしろ、次世代エネルギー車の出番じゃないですか。

入場者が目標を下回ったことで、業界は見直しを図るそうだが、これこそ木星・射手座の効用だ。自動車産業の改革につながることは確かだろう。

しかし、
環境をいうなら、燃料電池などへの変換は当然としても、
「交通システム全体」の新コンセプトを提示してほしい。
このままでは、自動車産業は近い将来、過去の産業になるだろう。

自動車業界はこれだけ大きな産業なのだから、自然エネルギーなど、率先して産業そのものの方向転換をする責務があるはずだ。
飛行船、ハイブリッド帆船、超小型車、車の鉄道輸送システム・・・など
ソフトも含めた、交通システム全体へのヴィジョンを示してもらいたいものだ。
飛行機を作ってるようじゃ無理か。

この半世紀で衰退した産業や技術を考えてみると、
蒸気機関車、石炭、林業、農業、郵便、呉服、出版、新聞、フイルム、レコード、質屋、デパート、問屋、市場、造船・・・きりがない。もちろん、まだ元気そうなものもある。
しかし、何れも、昔は花形だった。
時代が変われば、ウソのように衰退する。
自動車産業だけが例外ではなかろう。


瑞雲

2007年11月15日 | 占いばなし

船場吉兆の釈明会見を、チラッと見て笑った。
嘘をつくならもっと自然に喋ったらどうだと思った。
何とも仰々しい言い方と単語。バレバレではないか。

さんまが、「浮気で後ろめたい時には瞬きをしない!」と言っていたが、とにかく、人間、嘘をつく時には不自然になる。
加えて、根拠が無いと、大声やオーバーアクション、事柄の羅列、終いには逆ギレと、何とか「相手に発言させずに押し切ろう」とする。
そう言えば、近頃の歴史学者に流行っているしゃべり方は、妙に歯切れがいい。歴史はみな仮説だから、自分でも不確かなことを人前で話す時は、思わず「勢い」で話そうとするのだろうか。
史学者と一緒にしては申し訳ないが、「勢い」なら北朝鮮の放送にかなうものはない。

このところのニュースは、ずいぶん面白いものを見せて貰う。
人が、嘘をつく時どんな顔するのか
ばれたら、どんな顔をするのか
各人各様のウソ顔が見えて面白い。

とは言っても、どの人も責める気にはなれない。
ルールというものは、取り決めに自分が直接参加した意識がなければ、何とか引っ掛からないように、何とかバレないように、どうにかすり抜けようとしか考えない。

本当は、民主主義では自分も参加してるはずなのだが、「お上のお沙汰」だと思うから、賞味期限や消費期限の基準に抗議したり、改善を訴えたりしようとは思わない。

ルールを何とかすり抜けようと長年続けてきた努力の最大のものが、
憲法の拡大解釈というわけだろう。

ところで、
捏造、偽装の魚座時代。魚座に関係する文字として「宮」は挙げたが、どうも・・・「福・幸・吉・兆・望」なども「夢」に類する言葉として、魚座と言えそうだ。どれも実体がない。


CMパック

2007年11月10日 | 占いばなし

パッケージ
どういうワケか、食品の新製品パッケージを見て、味の予想が外れたことがない。まあ、長い人生、一、二度はやられた。
デザインの善し悪しではない。美しいデザインでも、マズいものもある。味は好みだから、正確には、味の善し悪しではなく、味のイメージだ。『きっとマズいだろう』と思いながら、試しに買った物もある。マズかった。

はっきりした方程式があるわけではないが、
商品内容のイメージ、そのネーミング、パッケージの形や色合い・・・そういう要素の総合的バランスだ。
例えば、たこ焼きを桐箱に入れて銘を打ち、錦紗で包んで10万円と言われても、絶対に買わない。不自然だからだ。

CM
製品パッケージと同じように、CMにも実体が現れる。
事業実体とCMのありようには、バランスがあるはずだ。
CMは変容宮」でも言ったように、動物や子供を使ったCMは、まず要注意。

CMはあらゆる手段を駆使して口説いているわけだから、人間の冷静さを奪うために、感情に訴える。
音楽、見た目で思考を奪い、プライドをくすぐり、不安を駆り立て、不安を解消する。
中でも人を最も無防備にするのが、可愛らしさと笑いだ。
動物と子供は可愛らしさで、広告主の魂胆を隠す。動物はさらに現実感から遠ざける。NOVAウサギはリズムで巻き込み、チワワは笑いで引き込んだ。

どんなに優秀なCM制作者がいても、スポンサーのカラーは反映される。NOVAウサギの場合、合理的で前へ前へのスポンサーのタチが出ていたし、その過剰な放送量で本体の崩壊も見て取れた。
チワワの笑いは強引に「可愛いだろう、おかしいだろう、笑え!」というスポンサーのわざとらしさが見えた。

いま、お父さん犬が笑わせて、実績を伸ばしている会社も、いかにも、あの会社らしい、無原則と若々しさが出ている。ウサギやチワワと比べると自然でハイレベルだ。経営者の資質が高いことを匂わせる。
しかし、「極まれば転ずる」。前科もある。そろそろ要警戒だ。


山羊座が近づく

2007年11月09日 | 星の流れに

TVに平尾昌晃が出てきたので、思わず観てしまった。
現存の有名人で、好きな人の一人だ。
この時も話していたが、この人の人生と、それによって学んだ人間性がいい。
苦労すれば誰でも人格が向上するわけではない。
人格向上、三条件として、長旅長病長囚があるが、たとえ、それを経験しても、ただ人格がひねくれてしまう人もいる。
平尾昌晃は歌手としての挫折、闘病をみごとな糧にした。

人生で学ぶ人は、どんな些細な経験からでも学ぶし、学ばない人はどんな体験をしても、どんなに説かれても学ばない。
体験自慢をする人は、「私はバカでのろまな亀です」と言っているようなものだ。たいていの場合、
「それで、これか」と、突っ込まれる

20年程前に、往年のロカビリー三人男、平尾昌晃と山下敬二郎、ミッキー・カーチスが対談をしていた。
いつまでもスターのつもりでいる山下敬二郎に、平尾昌晃が
「敬ちゃんも、もう少し、気持ちを変えていろいろやるといいのに」
と、控えめに言っていた。
頭の良さ、人格、優しさをかいま見てファン?になった。

明るい根暗
平尾昌晃は12月24日生まれで、この前後の生まれの人は、尊敬に値するような人が多いが、笑顔の裏に哀感というか、根の暗さがある。

象徴的な歌「ミヨちゃん」も、陰でこっそり狙っている歌で、これは山羊座に共通する。
29日生まれの浜田省吾、「もう一つの土曜日」なども横恋慕だし、松任谷由実は水瓶に近いが、「待ちぶせ」とか、ほとんどと言っていいくらい横恋慕や三角関係の歌だ。

この横恋慕というものは、単に、他人のものが欲しくなる無い物ねだりと、一度狙ったらあきらめないという執念型とがある。山羊座の場合は執念型だ。

山羊座の執念は、嫉妬と表裏関係にある。
サソリ座の嫉妬は、性(物)的満足が目減りすることを怒るが、山羊座の場合は、権利や立場が奪われることを心配する。
だから、恋愛そのものも、素朴に「あんたを好いちょーよ」ではなく、獲得競争だ。しかも利権?が絡んでいる。26日生まれの毛沢東が先生の娘と結婚したような例もそうだ。羨望の的を射たいと思うのは個人ではなく、社会的価値に恋をしているということだ。

長くなるから解説は省略するが、前記の山羊座の歌詞を良く吟味すれば解る。その人をどの様に好きかという思いの丈ではなく、「こうだから好きで、それが叶えられない」と、シチュエーションを歌っている。しかも、「そのうち必ず」と執念深い。

自作自演の山羊座にはシンガーソングライターが多いから、歌詞で本音がまる見えなのは面白い。

さて、
今年は射手座の木星がキッチリ仕事をした。スケート、野球、相撲・・・スポーツ組織の体質改善を迫られ、宇宙開発競争も華やかだ。
様々な「風」が吹きまくっている。報道や自動車業界、飛行機産業、学校や外国語学校にもメスが入った。
射手座の木星の影響では、双子座のアメリカは交渉相手に振り回され、双子座の小沢もあの通りだ。ほとんどの現象が予想を裏切らなかった。

そして、いよいよ、木星が冥王星とともに山羊座入りする。
山羊座の来年、何が起こるかは天王星・山羊座を参考にすれば予想が付くだろう。


あほくさ

2007年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は二時間しか寝てない。だから日頃よりさらにボケている。
きっと、アホなことを書いてると思う。
そう言えば、あたかも日頃は賢いことを書いているようだが、日頃こそアホなことを書いている。とすると、今日はすごい賢いことを書いているのかも知れない。

党首会談騒ぎ。またまた、魚座の藪の中現象だ。
芥川龍之介も魚座だから、「藪の中」は彼の代表作なのかも知れない。
とにかく、世の中すっかり虚と実の混乱だ。
密室会談とか、どちらが先に言い出したのかとか、
また、そういう興味をかき立てる行動とか・・・

世の中の人が、わざわざ、混乱、錯乱のポイントにばかり注目する。
本質から外れた末節にとらわれた感性が時代を覆い、ますます世の中が混乱する。

占い的に見れば、小沢は嘘を言っているわけでもない。小沢自身の失策でハメられたと言うところだ。福田も魂胆があったわけでもない。
だが、そんなことはどうでもいい。
密室だろうが、野合だろうが、四畳半だろうが、駆け落ちだろうが
どうでもいい。

手法や筋道論を言っている場合ではない。
「黒い猫でも白い猫でも」とにかくネズミを捕らないと、えらいことになる。もうネズミ年が迫っているのだ。
ネズミ談義をしているうちはまだいい。
そのうち、ネズミも居なくなった日本丸で、人間の悲鳴が聞こえるかも知れない。