魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

言霊信仰

2024年07月23日 | 日記・エッセイ・コラム

体操の宮田笙子飲酒問題で、多くの人が首をかしげている。
確かにルール破りだから正面切って庇えないものの、『何かがおかしい』の思いが歯切れの悪い「ムニャムニャ」意見となって噴出している。
体操協会としても、「泣いて馬謖を斬る」だろう。

ルールに忠実なのは、中華に学んだ日本の良いところでもあるが、現代中国を見ていると、日本人が真剣に学んできた唐本は、あくまで立前であったことが良くわかる。
中華の立派な文字の「教え」を、日本人は自分たちの「言霊」信仰で理解した。
日本人は言葉が現実になると考えるから、文字に書かれていることは既に成っていることだと信じて、それに習わなければならないと精進した。しかし、今にして我々は、中華の「教え」は理想や目標であったことを知ることになった。
大陸の人は本に書かれた理想が、現実ではないことをよく知っているから、現実対処との二元論で生きている。まさに、陰陽思想こそが本当の中華なのだ。

ところが、蓬莱の島に住む極楽トンボの日本人は、戦国乱世でさえ、これは「あってはならないこと」と、現実を見ずに理想郷を求め続けた。日の本の住民は、陽と陰を建て前と本音の一元的表裏で考えてきた。しかし、中華の陰陽思想は陰陽二項がどちらも独立して存在し、対立して混じり合う現実対処で生きてきた。
スポーツのみならず、日本人はルールを人の定めるものだとは考えたがらない。これは先日「ほどほど」でも言ったばかりだが、決定(ルール)は精神の極地と考える精神主義の信者だからだ。人が定めたものでも、天道が人を介して与えたと考える口寄せ信仰が源流にあるからだろう。

大陸のように、現実を見つめ人間を不完全なものと考えれば、精神を神格化することはなく、人は神でもなく神が憑りうつることもないから、人に過ちはつきものと考える。
神など存在しない中華や、神の下の人間と考える欧米では、人が定めるルールはあくまで「かりそめ」だ。
ルールはその場その時の人が決めるもので、時や所が変われば、新しい状況に合わせて改めなければならない。

宮田笙子問題に、みな『何かがおかしい』と思っているのは、チクったことを内部告発として不問にし、世界レベルの大会に内部規律を適用していることだろう。(日本人は密告と内部告発が区別出来ない)
ドーピングや賄賂のような、大会そのものの不正とは関係ない、いわば身だしなみレベルの、自分が勝手に感じる恥を嫌ったことだ。
18歳選挙を行いながら、あと2ヶ月で20歳になる選手の喫煙飲酒違反は、自分が勝手に思い込んだ恥で自殺するようなものだ。

誰でも、「そんなもの恥じゃない!」と引きとどめるだろうが、本人は思い込んでいる。日本人のルール意識は、いったん決めると客観的に検討することなく、現実離れした精神論になる。ことに、行為を重視するスポーツや軍隊では理念から考え直すようなことがない。高野連が代表例だが、伊藤純也事件にしても今回の状況を見ても、スポーツ界全体に哲学がない。次々と、ルール変更されても唯々諾々と従う。

そして誰より哲学がないのは、政治家だ。選挙権を引き下げながら飲酒喫煙をそのまま残した。18才に引き下げないまでも、コーヒーレベルの注意に改めるべきだった。
酒やたばこから税収を得ているから、全面禁止にできない代わりにお為ごかしの20才条件を設け、それを延々と120年以上も続けている。それなら大麻も条件づきで解禁し、税金を稼げばいいだろう。


一寸先は

2024年07月21日 | 星の流れに

月が射手座の19日、Windowsによるシステム障害が起こった。
トランプ銃撃の「危機一発」で書いたように、双子座に膨張の木星、戦いの火星、爆発の天王星が強い影響を与えている。そこに、180゜の射手座に月が来た。射手座のバイデン大統領はコロナに感染。大統領選撤退の圧力が一気に高まった。
コンピューター、ことにソフト・システムは射手座で、バイデン同様に障害が起こった。
いよいよ双子座大変動が始まった。

ここで、双子座の影響を再確認しておくと、
双子座の三惑星で、変容宮全体が動揺する。折しも、不幸の土星が変容宮の魚座にいる。これは変容宮に悪影響が起きることを表している。
「変容宮」は、双子座、乙女座、射手座、魚座。いずれも次の世界への接点で、思考や伝達の役目を果たすから、「知」がカギになる。

個人差はあるが変容宮は頭が良い。双子座は神童、乙女座は優等生、射手座はマニアックな天才、魚座は理解不能な奇才。
このうち、乙女座と魚座は営みのコミュニケーションなので、共同体の共通認識を醸成する反面、陰口やフェイクなど、混乱のもとにもなる。このところ、AIによってフェイクが高度化している。
一方、双子座と射手座は教育で、双子座が初等、射手座は高等教育を表す。双子座はテレビ、射手座は専門誌など「知の伝達」を司る。
乙女座と魚座は、労働と慰安を表し、労働の乙女座は子供の職場「学校」で能力を発揮し、慰安の魚座は霊感のような非論理的な能力を発揮する。

国や都市の代表例は、双子座はアメリカ、射手座はスペイン語圏やウクライナ、乙女座は東京、魚座は名古屋、海洋国などにあたり、変容宮の異変の影響を受ける。
魚座は双子座のアメリカにとって第10室に当たるので、土星が来ると、父親(長)の不幸や名誉の失墜、伝統の復活を表すが、水瓶座に冥王星がいるので、長い目で見れば次世代の成長が始まっている。内憂の射手座も冥王星の恩恵を受けるから、案外、好結果に転ずる。

問題は、乙女座と魚座で、これまで支えてくれた牡牛座の天王星や山羊座の冥王星が去り、不都合な双子座に入れ替わった。乙女座にとって双子座は第10室で、職業や立場に異変が連発し、初め良くて後が悪い。東京は、都知事選は事なく終わったものの、思いがけないハプニングが起こる。
一方、魚座にとっては双子座は第4室、足下の家庭、国内だから、住まいや家庭に異変が起こり、やはり初め良くて後が悪い。海洋国は国境問題に悩まされ、名古屋はトヨタがガタついている。
なお、天秤座の日本にとっては外国や宇宙の第9室だから、思いがけない幸運が続くが、海王星が第7室に移るので、サブカルチャー中心の空騒ぎで終わるかもしれない。

P.S.
これを上げた直後に、射手座バイデンは選挙撤退、魚座の愛知県で新幹線事故。ちょうど暗剣殺-五黄殺の区間が不通で全国的な混乱(交通も双子、射手)


ここ一番

2024年07月19日 | 自動車人間学

大谷翔平は意外に、チャンスに弱いと言われている。これは残念ながら事実だろう。
大谷は自動車人間のエンジンだが、エンジンは「ここ一番」に弱い。
日頃、勉強の良く出来る人が受験に失敗し、周囲を驚かせることがあるが、たいていはエンジンだ。エンジンは安定的にエネルギーを発散し、よく務めを果たす。瞬発的な反応が良く、素早く対応し、多くをこなす。とにかくマメで、大谷翔平も野球をしながら愛想を振りまきゴミを拾う。二刀流を可能にする一因に、このマメさは欠かせない。二つの仕事の準備と処理を、いとも簡単にこなしていく。
これはエンジンのエンジンたる所以で、パワー発揮がエンジンの仕事だ。

ところが、シャーシのような自己中力?や根性はなく、ハンドルのような運任せ人任せの悟りもない。また、ボディーのような信念もない。あくまで、力任せ勢い任せが能力なので、責任が掛かる「特別な」シチュエーションに置かれると、エネルギーが過剰に掛かってエンジンがバックファイアを起こしエンストしてしまう。関西で言う「かかって」しまうのだ。
大谷はバランスのとれた性格なので、ほとんどこういうことはないのだが、シャーシのように自己中になれず、責任を感じ過ぎてしまうところがある。
勢いに乗っている時や、WBCのように自分自身のこととして戦っている時には余計なことは考えないが、プロとしての責任ある場面では、かえって余計なことを考えてしまう。

一般に、どのエンジン人間も責任ある場には進んで出たがらない。なので、トップに立ったり超有名なエンジン人間は「成り行き」でそうなっている。大谷も自己顕示欲はなく、とにかく作業をこなすことに喜びを感じている。
大谷自身、このこと(無用な責任感)に気づいているだろうが、そこが人間で、わかっていても直せない。監督の言葉やメンタルトレーニング、あるいは半ば諦めて居直れば力を発揮出来る。
以前、エンジン人間の南こうせつが、「神田川」が大ヒットしてとにかく歌いたくなくて、歌手活動そのものにまで支障を来したようなことを言っていた。本人にも理解できていない不思議な話だが、おそらく、期待を重く感じたのだろう。エンジン人間はとにかく特別なことが苦手だ。


危機一発

2024年07月16日 | 星の流れに

トランプ銃撃は、双子座の木星、天王星、さらには火星の影響だろう。木星が来ると過去の実績が表れる。双子座のトランプに「勲章」が与えられた。
時代を動かす天王星も既に双子座の影響圏で動いている。そこに、短期ではあるが顕著な影響を与える火星も双子座の影響圏に入ったその日、銃撃事件が起こり、「奇跡的に」助かった。これが本当の危機一発(髪)だ。吉角の天秤座の月の御利益だろう。

大衆の心理とは他愛のないもので、支持率が一気に上がったが、ヒトラーが何度も暗殺を免れたことも事実だ。どの様な使命を帯びているにせよ、神の申し子とはそのようなものかもしれない。
天王星が来た星座の人は、神がかり的集中力と脚光を浴びる。牡牛座のヒトラーも当時、牡牛座に天王星が来ていた。
しかし、天王星の強力なエネルギーで、逆に命を落とす場合も少なくない。綱渡りだ。
今、天王星が来た双子座の人はトランプだけではない。習近平も双子座だ。
そして、アメリカそのものが双子座でもある。


AI対話

2024年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

奈良時代に中国から渡来した「蘇」は、チーズと同類のものと言われており、もしかすると、双方の語源は同じではないのかと思っていた。
そこで、日進月歩で成長を続けるChatGPTに訊いてみた。

<質問>
日本に残る中国から来た「蘇」とチーズが同じものだとすれば、語源にも共通性があるのではないかと思いますが、ヨーロッパからアジアまでのチーズの呼び方に類似するものはありますか。

<ChatGPT>
日本に伝わる「蘇」とヨーロッパのチーズの呼び方の類似性については、いくつかの観点から考察することができます。チーズの語源と名称は文化や言語の違いによって多様ですが、いくつかの言語で共通する特徴もあります。

チーズの呼び方の例
英語: Cheese
フランス語: Fromage
ドイツ語: Käse
スペイン語: Queso
イタリア語: Formaggio
ロシア語: Сыр (Syr)
中国語: 奶酪 (Nǎilào)
語源と共通性
チーズの呼び方にはインド・ヨーロッパ語族に由来する共通の語源がいくつかあります。例えば、ドイツ語の「Käse」と英語の「cheese」は、ラテン語の「caseus」に由来しています。
日本の「蘇」とは、古代日本で製造されていた乳製品の一種で、現代のチーズと非常に似たものであると考えられています。ただし、名称や製法の違いから、直接的な関係性を見つけるのは難しいです。

まとめ
ヨーロッパとアジアにおけるチーズの名称には、いくつかの共通点がありますが、これらの名称が「蘇」と同じ語源を持つという直接的な証拠はありません。ただし、チーズの製造技術や文化交流が進む中で、いくつかの用語や技術が共有されている可能性はあります。

※↑この答えを見ると、ロシア語が非常に近いようなので、再び質問する
<質問> 
蘇はロシア語に近いのではありませんか

<ChatGPT>
「蘇(そ)」がロシア語に近いかどうかについて考察するためには、語源や歴史的な文脈を確認する必要があります。

「蘇」の背景
「蘇」は古代日本で作られていた乳製品で、牛乳や羊乳を煮詰めて作ったものです。平安時代には貴重な食べ物として朝廷に献上されることがありました。そのため、「蘇」は日本独自の歴史を持つ食品です。

ロシア語の「сыр (syr)」
ロシア語でチーズを意味する「сыр (syr)」は、明確なインド・ヨーロッパ語族に属する単語です。この単語の起源は、ラテン語の「caseus」とは異なるルートを持ち、古代スラブ語に由来するとされています。

語源の類似性
「蘇」と「сыр (syr)」の音が似ていることから、関係性を推測することができますが、歴史的・言語学的には直接の関係があるとは考えにくいです。以下の理由があります:

言語系統の違い: 「蘇」は日本語であり、日本語は孤立した言語で、インド・ヨーロッパ語族には属しません。一方、「сыр (syr)」はインド・ヨーロッパ語族のスラブ語派に属します。

歴史的な接点の欠如: 「蘇」が作られていた時代(平安時代など)に、日本とロシアの間に直接的な文化交流があったという記録はありません。チーズ製造技術やその名称が直接伝わったという証拠も見つかっていません。

結論
「蘇」とロシア語の「сыр (syr)」は、音が似ていることから表面的には類似性を感じるかもしれませんが、歴史的・言語学的には直接的な関連性はないと考えられます。したがって、両者の関係性を示す証拠は現時点では存在しないと結論づけることができます。

※↑この答えはそれぞれ、日本史、言語学の枠内の知識から答えられているようなので、さらに質問した。
<質問>
蘇は古代中国から伝わった言葉と考えられますが、発音はわかりません。中国の乳製品は北方の現代ロシアに当たる遊牧民の地域から来た可能性は否定出来ず、語源の接点には可能性があるのではありませんか。その古代漢字の発音とロシア語の発音を発音記号で表記して下さい

<ChatGPT>

「蘇(そ)」が古代中国の言葉であり、さらにその語源が遊牧民の地域から来た可能性があるという観点は興味深いです。古代中国の発音とロシア語の発音を比較するため、以下にそれぞれの発音を示します。

古代中国の「蘇」の発音
古代中国の発音は時代によって異なりますが、例えば唐代の発音を参考にします。以下に中期中国語(Middle Chinese)と古音(Old Chinese)の再構を示します。

中期中国語(唐代): /suə/
古音(上古中国語): /sˤa/ または /sˤaɡ/
(注: これらの再構は学者によって異なる場合があります)

現代中国語の「蘇」の発音
現代標準中国語(普通話)では「蘇」は以下のように発音されます。

普通話(標準中国語): /sū/ (拼音: sū, 第一声)
ロシア語の「сыр」の発音
ロシア語の「сыр(チーズ)」の発音は以下の通りです。

ロシア語: /sɨr/
【比較】
言語 単語 発音記号
古代中国語 蘇 /suə/, /sˤa/, /sˤaɡ/
現代中国語 蘇 /sū/
ロシア語 сыр /sɨr/
考察
「蘇」と「сыр」の音は一部共通点がありますが、直接的な関連性を証明するにはさらなる歴史的・言語学的証拠が必要です。しかし、古代中国の乳製品が北方の遊牧民地域から来たという仮説は、文化交流や交易の観点から十分に考えられます。そのため、言語の接点がある可能性は完全には否定できません。

・・・・・・・・・・・
優等生AIとの会話はここまでにしたが、これで、これまで漠然と考えていたことが、ある程度スッキリした。
「蘇」=ロシアのチーズであることは、必ずしも否定出来ない。だから、個人的にはそう信じていける。こんな曖昧な認識でも、十分な成果を得られたと思う。
専門の学者に出会うのは、なかなか大変なことだし、生きている人間である学者にはこだわりやプライドがあり、気を遣いながら尋ねなければならないが、AIだと気兼ねなく尋ねられ、しかも、学者は意外に他の領域については暗く、プライドにかけて自分の領域内で答えようとする。しかし、AIは気楽にクロスオーバーで答えてくれる。

ただしかし、ヨーロッパのチーズとロシアのチーズの関係については不明なので、やっぱりもう一度訊いてみた。

<質問>
チーズの歴史を教えて。ロシアのチーズとヨーロッパのチーズの関係性を中心に

<ChatGPT>
チーズの歴史は非常に古く、多くの文明において重要な食材としての地位を築いてきました。以下に、チーズの歴史と特にロシアとヨーロッパのチーズの関係性について説明します。

チーズの歴史
チーズの起源は紀元前7000年頃のメソポタミア(現在のイラク)まで遡ると言われています。古代エジプト、ギリシャ、ローマなどでもチーズは重要な食品であり、各地で独自の製法が発展しました。中世ヨーロッパでは、修道院がチーズの製造技術を向上させ、多くの伝統的なヨーロッパチーズが誕生しました。

ロシアとヨーロッパのチーズの関係性
ロシアのチーズ製造は、特に19世紀以降、ヨーロッパの影響を強く受けています。以下にその関係性を示します。

歴史的影響:
ロシアでは古くからチーズが作られていましたが、品質や種類は限られていました。19世紀に入ると、ロシア皇帝や貴族がヨーロッパ(特にフランスやスイス)からチーズ職人を招き、技術を学びました。これにより、エメンタールやロクフォールなど、ヨーロッパの名高いチーズの製法がロシアに伝わりました。

文化交流:
ロシアとヨーロッパの文化交流は、チーズ製造技術の伝播に大きく寄与しました。ロシア貴族がヨーロッパを訪れる際に現地のチーズを持ち帰り、その製法を地元に伝えることが一般的でした。
現代の状況:

現代においても、ロシアのチーズ市場はヨーロッパの影響を強く受けています。2014年の西側諸国からの制裁とロシアの輸入禁止措置により、ロシア国内でのチーズ製造が活発化しました。多くのロシアのチーズメーカーがヨーロッパの伝統的な製法を採用しつつ、ローカルな風味や技術を取り入れています。

代表的なロシアチーズ:
トヴォログ (Tvorog): ロシアのカッテージチーズの一種で、伝統的な家庭料理によく使われます。
ロシアン・エメンタール: スイスのエメンタールチーズに似た風味を持つチーズ。
ゴルゴンゾーラ・スタイルのチーズ: イタリアのブルーチーズにインスパイアされた製品も製造されています。
ロシアとヨーロッパのチーズの関係性は、単なる輸入品の受容だけでなく、技術や文化の融合によって発展してきたものです。ロシア独自のチーズ文化が形成されつつも、ヨーロッパの伝統が色濃く影響しているのが特徴です。


チーズの歴史が9000年もあるのなら、様々な言語系統や語源よりも古く、メソポタミアから周辺地域に拡散した過程で同じ言葉が変化していったことは自然に想像できる。
中国から伝わった「蘇」が中央アジアの遊牧民に由来するなら、その語源がメソポタミアから来たとしても不思議ではない。もしかすれば、逆に遊牧民の方が古いのかもしれない。言語学的には比較出来なくても、水や太陽や花のようにチーズは人類の基本語彙のような立場にあって、その変形として、一見異なるロシア語と英語の間に言語系統を超える遠い祖語があるのではなかろうか。そう思って聞くと「蘇」とチーズが単なる訛りの違いに聞こえてくるから不思議だ。
なお、今日のロシアのチーズがヨーロッパの影響を受け発達していたとしても、名前はそのまま使われているのかもしれない。


石丸選挙

2024年07月13日 | 日記・エッセイ・コラム

結果が見えている都知事選には関心が無かったので、詳しくは知らないが、「石丸選挙」になったようだ。最も衝撃を受けたのは野党だろうが、党派関係なく、既成政党批判選挙になった。
都知事選は、既存の政治システムに「就職」しているつもりの政治家と称する「政治社員」と、ベンチャー企業の対決になった。既存大企業の優秀な社員には自らの乗っている船が見えていない。当然、同乗の関係業者や乗船客にも見えていない。

そこに、石丸艇が横にやって来て、「その船、壊れてますよ、もうすぐ沈みますよ!」とスピーカーで流すと、不安ながら仕方なく乗っていた乗客が一斉に乗り移った。
石丸艇でなくても「別の船」であれば、飛び移る人がもっと出たかもしれない。
これまで、維新丸やN丸も来たが、どこに行くのか怪しまれた。今回の石丸は「とにかく危ない!」ことを強調した。
事実、船は停止状態で、皆、諦めかけていたから、「渡りに船」だった。船内放送を無視してスマホを見ていた乗客だけに、直接メッセージが届いた。

今はまだ渡船(都選)だが、集引船(衆院選)でベンチャー大船団が押しかければ、沈みかけた船に乗客はいなくなる・・・はずだが、大船に乗っている人はなかなか小舟を信用できない。
日本が沈みかけているのは、政治も企業も、与えられたテーマしかこなせない優等生の溜まり場になっているからで、明治維新や終戦直後の無法者が跋扈するカオスの、ベンチャーやスタートアップによる淘汰が無いからだ。

就職氷河期に、なぜ起業しないのか不思議で仕方なかったが、近年ようやく起業がブームになってきた。しかし、行き詰まった大企業が捨て石としてベンチャー起業を焚きつけているだけで、やむにやまれぬ死に物狂いとは言いがたく、混乱期に勃興した企業のような情念があるのか疑問だ。それでも、雑草でなくても環境が良ければ豆は育つから、蒔かないよりはましだろう。

「石丸選挙」は、環境を利用しただけの、企業後援ベンチャーのレベルだ。
政治も経済も、今はまだ元の姿を厳然と残している。本当の焼け野原にならなければ雑草は生えてこないのだろうか。
もし、焼け野原になって、すべて個人の実力次第になれば、本物のベンチャーやスタートアップが芽を出してくるだろう。

政治も同じで、年寄りに文句を言うだけのメンタルが若者世代を覆っているが、なぜアメリカのように自分たちで政治活動を始め、年寄りに討論、説得して回らないのか。混乱期に育った年寄りは若者より積極的だ。話せば通じる。

政治制度や状況に臆することなく、規制の枠を無視してでも、新しい政治を自分たちの手で創り出すスタートアップ政治以外に、若者の未来はない。
年寄りの方が数が多いとか、政治が年寄り対象だとか、結果を見てボヤいているだけで、自分たちで何とかしようとしていない。今回のようなネット選挙の可能性も、単にネット環境での「ノリの選挙」に過ぎず、やむにやまれぬ情熱とはほど遠い。
日本の将来が思いやられる最大の理由は、若者が無理をしないことだ。
そう言えば、近頃は「ダイジョウブ」や「ムリ、ムリ」が、拒否の意味で使われる。「ダメ!」や「イヤ!」を、しばらく聞いたことがない。


老成米国

2024年07月11日 | 日記・エッセイ・コラム

バイデン大統領が上手く話せなくて、身内からの撤退論が噴出。
バイデンを支持しているわけでもないし、年寄りをかばうわけでもないが、集団を率いていく上で大切なことは何か、改めて考えさせられる。
先ず、言えることは、アメリカのような政治システムでは体力のおぼつかない大統領は成り立たない。そしてそのことが、アメリカが愚行を繰り返す原因でもある。

元気いっぱいで言葉に力があり、集団を感動させるカリスマ性。そんなリーダーが率いるのはスポーツチームか戦国軍団だ。
国民を納得させ、国の安定を図り、世界と調和し、平和の維持を真っ先に考えるには哲学や大局観がなければならない。しかし、そうした知恵や大局観を体得した頃には人は動けない。
スポーツチームにはリーダーが必要だが、監督と兼ねるのは難しい。大方の監督は元選手で豊富な経験値を持っているが、自分の体は動けない。ヨボヨボで体がついて行かなくても大局を観て集団の采配をしたり、選手に声をかけることはできる。

世界の政治も、文化に応じて長老が監督として影響力を持っている。
文化の古い国ほど長老の存在が大きいが、アメリカのような変化の激しい新しい国は長老に意味がない。大統領経験者が時々、日本の皇室のような役割をするが、制度としての長老は無いし、国民もそう思うから見た目や言動が頼りないと大統領にはなれないと考える。
日本にも長老制度はないが、総理経験者や、いわゆるキングメーカーが事実上の発言権を持っていたり、天皇が古来の精神的なよりどころとしての機能を果たしている。

今昔物語や日本昔話の「姥捨て山」のように、アジアの日本では年寄りの知恵を尊重する。昔の西部劇では、先住民、いわゆるインディアンの長老会議を不可解な情景として扱っていたが、近年の映画では徐々に老師のようなものが尊重され始めた。ただ、それでもオビ・ワンもヨーダも戦って強い。
老いて力なくても、顧問的な存在が制度としてあれば、深い経験値が社会に還元されるはずだが、実際には、イランの最高指導者のように王に代わる事実上の独裁者だったり、中国のように長老がいても独裁者が封じ込めてしまう例もある。

長老を重んじ過ぎると動きがとれなくなり、独裁に転じやすい。しかし、人によっては100歳を超しても判断力が確かな人もおり、貴重な経験資産を用いなければ浅はかな空騒ぎを繰り返す集団になる。それがこれまでのアメリカだが、結局、国としての老成が求められる現実が、老人大統領を生んだのだろう。しかし、チームリーダーと監督顧問の複層のシステムがなければ、今回のバイデンのように「役立たず」でお払い箱になってしまう。アメリカにもそろそろ、機能する長老システムが必要になったのかもしれない。


ほどほど

2024年07月08日 | 日記・エッセイ・コラム

旧優生保護法が憲法違反の判決で、強制避妊手術の残忍さが注目されている。
一方で、今でも、これを理解できないで被害者を中傷する人々もいる。
物事の是非や常識とはこんなものだ。
判決にも中傷する人々にも何の感慨もない。善悪、是非は時や所、人の生い立ちで全く異なる。

旧優生保護法が成立した当時、科学の成果として遺伝信仰が世界を覆っていた。産業革命パラダイムの合理的人間管理の思想は、共産主義や全体主義を生み、世界大戦の大量死やベビーブームで人命や人権意識は薄く、合理的な遺伝理解として「物理的不適合」の判断を誰も疑わなかった。
それから1世紀近い今、遺伝学の発展が逆に生命の多様性を気づかせ、昔の価値観の稚拙を指弾するに至った。
当時においては当然だったことを、今の価値観で追求はできないはずだろうし、同時に、当時の価値観のまま被害者を中傷する人々も、自己崩壊を恐れているに過ぎない。

立法、行政は個人の判断同様に、時代の価値観、目先の事象で動く。これは仕方がないことだが、あくまで仮の対処であることを常に心すべきだろう。今する事は常に「とりあえず」と心得ていれば、間違いにすぐ気づく。ところが、多くの人、ことさら日本人は精神が先行するので、決断を「揺るぎない精神の証」と考える。
何かといえば、「あってはならないこと」と言うが、決めたこと(=心の行い)は正しく、それ以外はあり得ないと考えるから、現にそれ以外のことが起こっても、認めない。
その結果、現実にはとっくに改められるはずのものが、いつまでも神棚に放置されたままになり、誰も手を付けられない。日本国憲法も幸か不幸かその例だ。

ハンセン病隔離にしてもそうだが、旧優生保護法の愚は昔の話ではない。科学的とか、最先端のとか言われながら、行われる医療も、「とりあえず」として付き合うべきだろう。紅麹の例は使用した人の「好き好き」で済むが、ワクチン接種などを国が強制や奨励することは、過去から累々の失敗例がある。ワクチン陰謀論は逆説的な科学信仰であり、マスクをして、ワクチンをして下さいと叫ぶのと実は同じ心理、「根拠に忠実」な同じ世界の住人だ。
中国のコロナ対策を笑っていた人ほど、真面目に政府広報や専門家の話を聞いていたのではなかろうか。

今この場で、われわれが見聞し、驚き恐れ、衝動に駆られることは、時が経てば夢のように不確かであったことに気づく。日々起こる衝撃情報にいちいち反応するのは、掛かってきた電話で銀行に走り出すのと同じ事だ。
一歩引いて状況を見渡し、歴史や他国に同じではなくとも似たようなことがなかったか考え、空を見上げ自分の心に違和感はないか、深呼吸をしながら考えてみることだ。
そして改めて、何事も「ほどほどに」、「とりあえず」と言ってみる。


沢の流れ

2024年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

円安、キャッシュレス化の中、新札が発行された。福沢諭吉から渋沢栄一に替わったのは、天王星牡牛座時代の影響だろう。牡牛座は「稼ぎ」と「食」を表すから、牡牛座のイメージは基本「ふっくら」だ。
1万円札は1958年、聖徳太子で登場したが、1930年来の最後の聖徳太子になり、1984年まで54年間の激動日本の顔となった。

1984年から40年のバブルと崩壊の日本は福沢諭吉が担ったが、この時代もなかなかの激動期だった。
このたびは、福から渋に替わる沢続きだ。「渋」の方が景気が悪そうに聞こえるが、福沢が登場した景気の良い「福」の時代が逆転したのだから、景気の悪い「渋」の時代こそ、渋沢が逆転してくれそうな気がする。
♪ あ~あ、川(沢)の流れのように・・・


P.S.
これを書きながらテレビを見ていると、新札を求める行列のニュースが流れていた。毎度のことながら、何か変わったことにはすぐ飛びつく人がいるもんだと、苦笑いした。
その後、支払いのため京都駅のゆうちょATMでお金を出すと、全部新札が出てきて、ちょっと驚いた。旧札と併せて支払いを済ますと新札だけが残った。
その夜、閉店間際のスーパーのレジで新札を出すと、アルバイトの男の子が、斜めにこちらを見ながら何か言いたそうに口をもごもごさせている。
どうも、今日、初めて新札を見たようだ。おばちゃんなら何か言ったのだろうが、若い子の反応がおかしかった。誰も新札を使わなかったらしい。それが今日、最大の驚きだ。


粋な関係

2024年07月03日 | 日記・エッセイ・コラム

近藤春菜と吉高由里子は相当仲が良いらしい。この二人に限らず、東京出身者同士が仲良くしている話はよく聞く。所ジョージ、北野武、古くは大橋巨泉や石坂浩二など、番組で直接取り上げているわけではないが、言葉の端々に頻繁な交友関係が窺われる。
付き合い方を聞いていると、長屋のハッつあんクマさんのように、アッサリ仲良くけなし合っている。

芸能界で東京の人間同士が仲が良いのは、肩が凝らないからだろう。
芸能界にいるような人間は地方からの成り上がり者が多い。とぼけた顔をしていても野心の塊で、それも、地方独特の価値観で野心を沸騰させている。また、東京に対する敵対心じみた葛藤を抱えている者もいる。様々なコンプレックスはどんなに隠しても、ふとした言葉の端々ににじみ出る。

ことに、関西より西に行けば行くほど、地域秩序が濃厚で、九州などまるで氏族国家だ。内と外の隔て、上下意識、地域への忠誠心、そして地域愛と情熱など、芸能界でもすぐ九州族として徒党を組もうとする。九州出身者の音楽番組まで組まれたこともあるし、明らかに九州出身者で構成された番組まである。その中では、「偉い人」と郎党の位置関係がくっきり見える。
大阪にはここまでの集団意識や秩序はないが、反中央、反権力の感情が大阪弁鍋に煮込まれている。

同じ、地方出身者でも、関東以北にはこの種の「秩序」や「排他性」は感じられない。同年代のような仲間意識や共感はあるが、西日本のように、他者に対抗する集団意識は無い。
西日本と東日本の文化の差は歴然としているが、やはり西日本は氏族闘争の中華文化が相当に影響しているようだ。

東京は全国からの人・物・情報の集約地であり、さらに国際都市としてのダイバーシティー環境にある。地域内の一元的な価値観が無く、個々の自由な感性で生きている。ある意味では移民国家アメリカと同じで、先入観のない素朴な感動を重視する。
人間関係も名前で呼び合う欧米のように上下が無く、能力や感性は評価するが、業績や立場には無頓着だ。
地方出身の人間は、業績や立場をあがめるが、東京の人間は能力は評価するがより人間として見る。関西では「先生」と呼ぶ弁護士なども、東京では「さん」になる。

夏目漱石や芥川龍之介に比べ、太宰治が求めたものや、森鴎外や菊池寛の社会性などを見ると、東京の人間からすれば、疲れる話だ。漱石は明治社会の地方エネルギーになじめず心身を煩い、龍之介は自殺している。
現代でも、芸能界やマスコミは地方社会が席巻し、言うこと為すこと固定概念の絡みついたジャングルで、東京出身者には対処のしようがない、理解できない世界だろう。
ただ東京人は、この訳の解らない圧力に対しては、江戸時代のお上との付き合いのような「間」を知っていて、上手く交わしながら生きている。これは千年の都の京都人にも見られるワザだが、都会人同士の気負いの無い付き合いは、東京くんだりまで気負って出てきた田舎者には、終いまで解らないのかもしれない。

東京の人」20191019