魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

川勝人足

2024年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

箱根八里は馬でも越すが越すに越されぬ大井川
江戸時代の「大井の渡し」は「川越人足」とも呼ばれる独占ビジネスで、川越人足が法外な料金を要求したりするので、幕府が制度を改めたと言われる。
政府が見て見ぬふりをしている川勝知事の法外な要求のため、リニアモーターカーは遂に予定を断念した。
やはり、「越すに越されぬ大井川」か、川に勝つ人には負けるのか
→「24問題 3」20230502


紅こうじ

2024年03月29日 | 星の流れに

小林製薬の紅麹入りの健康食品に異物混入の疑いで、健康被害者が出た。食品着色料として紅麹そのものも販売していたため、関係の有無にかかわらず大混乱になっている。
これは「土星→魚座」の典型的な事件だ。
薬品は魚座に属する。麹や菌のように掴み所の無いものも魚座で、「紅」色がどの程度の色なのか分からないが、「紫」系統なら魚座の色だ。(赤は牡羊座で、暗赤色はサソリ座、褐色系なら山羊座)
また、過剰反応や風評被害も魚座現象だ。

当面、明らかなことは、サプリメントの継続摂取と腎臓病で、機能性消費食品にはダメージになるだろう。
しかし、これは「禍もって福と成す」、魚座時代の大きな警鐘になる。十年に渡る魚座の海王星で、ジェンダーやコロナなど、世の中がすっかり魚座化しており、サプリメントブームもその一つだ。
サプリメントは、情況によっては有用だろうが、過ぎたるは及ばざるがごとし。お茶や歯磨きのように手軽に常用するものではないと思う。「思う」というのは自分はそう考えるから、一切、近寄らない。薬も、よほどのことでない限り使わない。
治療薬ならやむを得ないが、栄養補給や健康は本来、食事から摂るもので、それができない人は別として、健康を自動販売機で買うようにポンポン身体に放り込むのは、依存症であり、それ自体が心の病だ。

近年話題の「依存症」も、魚座の自己喪失で、魚座の象徴、紐で結ばれた二匹の魚は、主客の混乱を意味している。
親が子供に振り回され、人がペットに振り回され、持てる者が持たざる者に振り回され、主人が使用人に振り回される現象は、全て魚座の現象で、被害者が加害者であったり、弱者のために強者が倒れるなど、それを導く「弱者」や「ハラスメント」の言葉が金科玉条のように流行するのも、魚座時代ならではの現象だ。

サプリメントはあくまで「補助」であり、「主」ではない。それを主食のように毎日続けて摂取することに慣れ、そうしなければ健康を維持できないとさえ思い込むような心理に陥いる。そして、そのことに気づかないどころか、それを止めようとする人をバカにして反論する。これは信者の布教活動であり、詐欺被害者の逆ギレにも見られる。

魚座はキリスト教の象徴とされているが、宗教全般をも意味する。その魚座で最強となる海王星が魚座に滞在し続けたことで、世の中も世界もすっかり、現実を見ない「信者」の世界になってしまった。魚座の象徴句は「I believe」と言われている。
そろそろ、この時代も終わるので、皆が夢から目覚める朝が来る・・・とよいのだが。


大原翔平

2024年03月24日 | 自動車人間学

大谷の通訳、水原一平が窃盗で球団から解雇された。女房ができたら、女房役がいなくなった。
大谷翔平と水原一平は、ピンクレディーの魚座ミーと乙女座ケイの関係で、真反対の星座同士、カニ座と山羊座で因縁の関係だ。真反対は通常、相性が悪いが、立場関係が決まると掛算で能力を発揮する。選手と通訳では競合しないから、必要以上に役に立った。大谷翔平は大原翔平のように活躍した。時々聞こえた通訳は絶妙な意訳が多く、通訳と言うより二人羽織のマネージャーのような役割を果たしていたのではないだろうか。

だが、この二人は相性が良いだけに、微妙なズレが大きな問題を含んでいた。
大谷翔平は午未空亡のクール現実派、自動車人間ではエンジンで、バランスがとれた高級車のような性格だ。一方、水原一平は辰巳空亡のホット理想派、自動車人間では同じくエンジンだが、尖ったスポーツカーのようなクセ強で、どちらかと言えばシャーシのように、イレ込むところがある。加えて今年、辰年は空亡だから裏目。
金銭感覚も、大谷が極めて計算高く堅実に稼ごうとし、馬鹿な消費や博打をしないのに対し、水原はムード派でお金そのものに溺れる。大金を見ると舞い上がり、強くなったような気がする。
そして、二人の致命傷は、言葉の意味の違いに互いに気づかないことだ。干支空亡のホットとクールは思考基準が違うため、全く同じ単語を互いに違うイメージで話し、大事件が起きるまでは誤解に気づかない。
※干支と空亡→「干支の話(1)」「干支の話(2)」20150720

今回、大谷が水原の不始末を承知で金を立て替えたなら、大谷も当事者になるから、水原が責任とるしかない。実際、大谷は巻き込まれただけだろう。これが相性良過ぎの不幸だ。合理主義の大谷さえ情に流された。
しかし、水原がもう少しアメリカ的知恵者なら、こんなことにはならない。取りあえず金を払わず、欺されたと提訴し、裁判に負けた時点で、大谷から借金して支払えば、誰も傷つかなかっただろう。ただ、二人ともエンジンだから、誰かに相談する前に、取りあえず「行動」した。プーチンのウクライナ突入と同じだ。
エンジンは、走る前に大きく深呼吸だ !!!


猿蟹合戦

2024年03月19日 | 日記・エッセイ・コラム

物心ついた時から「植民地」という言葉を聞いているので、改めて植民地とは何かと考えることはなかった。
単純に、他の地域を力で支配し収奪するもののようなイメージがあり、植民地化された人々は一方的に苦しむように思っていた。もちろんこれは非常に単純な図式で、収奪搾取される側が苦しむどころか、快感と喜びを感じている場合もあることが、段々分かってきた。

しかし、当人が苦しみを感じていなければ、搾取ではないのかと言えば、そうでもない。取引は双方が納得するから成り立つ。取引は痛み分けなので、本当は双方とも不満だ。できるなら何も渡さずに相手の持っている物が欲しいはずだが、人間は共存のための交換を知っている。
だから、ある程度の損は当前と知っているので、その度合いが公平だと思えば納得する。したがって、考え方一つで、損な取引とも良い取引とも感じる。初めは喜んだ取引でも、慣れや飽きで、段々不公平だと思い出すのが人情だ。だから、新発売の商品は高く売り、徐々に値下げする。契約を盾に、最初のままの値段を続けると必ずトラブルになる。

サルカニ合戦
サルカニ合戦の、おにぎりと柿の種の交換は、その時点では公平だ。夢と現実を交換したので、双方に価値があった。問題は、成った柿をサルが一方的に奪ったことにあるが、このようなあからさまな強奪は侵略戦争であり、実際の殖民地では起きない。
サルはカニを納得させ8割の柿と交換するために、今度は桃の種を持ってくる。恩着せがましいサルに、カニは感謝しながら果物を提供し続ける。このような取引は自然界にも多く見られるが、次元を替えて観ると必ず何らかのバランスがとれている。

やがて、カニの庭は豊かな果樹園になり、サルがいつまでも新しい種を持ってくることができなくなると、種の要らなくなったカニはサルが不要になり、8割も取られていたのは欺されていたのだと怒り出す。つまり、今と比べ、発売時の高い値段はケシカランと思う。
サルがどういう魂胆であっても、カニが欺されていたとしても、カニが豊かになったことは事実なのだが、「欺された」と思い込んだカニは悔しい。自分がバカだったとは思いたくないから、サルを悪者にしたい。今度はサルを欺して仇を取れば、自分がバカではないことが証明される。

カニの仇討ち
中国は欧米や日本の手口や優越感を逆手にとって、どうぞ、うちの空き地に種を蒔いて下さいとニコニコもみ手で招待し、果樹が育つと突然、これはうちの土地のものだ。泥棒は出て行けと柵を張った。まさに、カニの仇討ちだ。
中国がこの知恵を学んだのは、韓国からだろう。中国は元々、柿の種の「取引」を拒否したから、国土を蹂躙され荒廃し、カニのように柿の木を育てることができなかった。その間に周辺アジアは欧米殖民地として文明化し、ことに、日米と直接関わった韓国は柿の種で豊かになった。

これを見て、取りあえず「拒否」を止め、「魂胆」で対抗して大成功した。中国と韓国の違うところは、「された」と「した」の違いだ。韓国は無自覚不本意に文明化「された」が、中国は自分の意志で土俵を造り相撲興行を「した」。
だから、不本意な韓国はどんな結果であっても他者を恨むが、意志的な中国は恨まない。むしろ「してやったり」と、得意になって他者をナメてかかる。そして、周辺の「される」国々に対し、自分が「して」やるサルになろうと動き出した。問題は、下請けの果樹園で大きくなった中国には、目新しい「種」がないことだ。
一方、恨みながらも葛のように日米に深く関わっている韓国は、種がなくても自由に往来できる。

中国の逆襲に、アメリカは直ちに物流の出入りに壁を作り、国内に浸透する情報の血流「TikTok」の活動を駆除するために企業売却を迫っている。これはいかにもサル帝国のボスザルらしい君臨法なのだが、見習いザルの日本は、ありがたくボスザルのIT企業を受け入れただけではなく、実害の出ている「LINE」でさえ何の手立ても施さず公共の柱にしている。
現代の殖民地は物の売買ではなく情報の売買であることを知らないまま、復讐心を秘めた若ザルの、オモチャのカニになっている。消耗品の情報では果樹園は生まれない。


サケサケ

2024年03月16日 | 日記・エッセイ・コラム

まだ春分ではないのだが、16日は京都の「日の出、日の入り」が午前午後とも、揃って6:06時になった。太陽の大きさと角度のせいで、少し早めに春気分にしてくれるらしい。
三寒四温の頃は、何を着て良いのやらとみな口々に言い交わす。
関西に春を告げる東大寺の「お水取り」ではあるが、26日の「比良八講荒れじまい」までは気を抜けない。

一年は一日に例えられる。現代人は24時間に慣れてしまったが、本来は一日12分割で、2時間を一時としていた。
実際、何をするにも2時間は丁度いい時間だ。観光名所や美術館など、2時間を目安にすると、充実感があり、しかも疲れない。講座や講義も90分と前後15分の切り替え時間で調う。同様に映画や、サッカーなどの競技も大体2時間を目安にしている。
マラソンの記録も約2時間だが、一般人はその倍ぐらいだから、補水などは必須条件だ。
24時間社会ではあるが、人の体内時計はやはり2時間単位で動いている。一日は12分割がやっぱり丁度いい。

暦は、一年12ヶ月を12支で表し、それに干を加えた60月干支が5年で一循環する。この5年を12回繰り返すと還暦60年になる。
この年月の関係と同様に、一日を12時12支で分割すると、60干支時が5日で循環し、その12倍が60日となり約2ヶ月になる。一年はこれが6回あるから四季の狭間に半分=1ヶ月ずつ加え、季節の緩衝期として土用を入れた。

このように、一年を一日とみなすと今頃はちょうど、目は覚めたけれど、布団から出るか出ないかウダウダと迷っているような時間に当たる。こうしていれば気持ちいいけど、外は明るいし、早く支度しなければどんどん遅れてしまう。
エイッと飛び出したら、寒いッ!
でも、出たら出たで気持ちがいい。解っているけど、めんどくさい、ああ、何だかなあ・・・サケ、サケ、桜


鼻の漫豪

2024年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

鳥山明がなくなった。氏のデビュー頃から、日本のマンガ文化の絶頂期が始まったと言えるだろう。マンガで育った世代ながら、この頃からマンガもアニメもあまり熱心に読まなくなった。

よく解らないが、70年代以前が万葉集時代だとすれば、80年代以後は古今集の時代のような気がする。マンガ万葉集時代は成長期で、あらゆる方法が試され、決して、美しくはなかったが、何でもありの高揚感があった。次々と現れる手法そのものに驚き、興奮し魅了された。
ところが、少女マンガの隆盛とともに、画風も手法も完成し様式化し、語法よりもストーリーや語り口が注目されるようになってきた。平安の国風文化のように、世界に比類無き日本文化が完成し、鳥山明もまさにその象徴のような存在だった。

今では素晴らしいと思うが、初めてアラレちゃんを見た時は、強烈な拒否感があった。つまりはそれが個性なのだが、それ以前のマンガが何とか生命描写を試みているのに対し、完全に居直った無機質のピクトグラムのような人物画だった。
しかし、それが訴求力であることもまた理解できた。要するに、ある種の革命に対する衝撃だった。鳥山明は牡羊座で人生の目的は天秤座の”美”だが、結局は牡羊座の”戦い”『ドラゴンボール』で名を残すことになった。

世代交代がおこると、アニメ界でも初めは生命感で描いていた宮崎駿のような人も、様式化していった。そして、少女マンガの美しい様式美が、真逆ではあるが、引目鉤鼻のように何十年か続いてきた。この流れで言えば、進撃の巨人やキングダムは、いよいよ鎌倉美術のような変質が始まっているのかも知れない。

作家の体力
マンガ万葉集時代の聖である手塚治虫も、古今集時代の六歌仙の鳥山明も、鼻に特徴がある。丸くズッシリと存在感があり、アニメの新海誠もこれに類する。作家では松本清張も同類だ。鼻の大きさは自我の強さに比例するが、尖った鼻はアイデアをすぐ口に出すので小賢しさが目立つ。丸い鼻は口ではなく手で語る。作家向きだ。
鼻の大きさは体力も表すので、本来なら長生きだが、人気漫画家、漫豪は追われて絵を描く分だけ、文豪より体力消耗が激しいのだろう。
手塚治虫60歳、鳥山明68歳。松本清張は82歳だったが何もしなければもっと長生きしただろうが、あの鼻ではジッとしてはいられなかったのだろう。


残り時間

2024年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アメリカ大統領選は、再び老人対決だ。何故だろう?
オバマ大統領を除けば、アメリカ大統領は1946年以前の生まれであり、生い立ちから戦前の価値観、大戦の記憶をそのまま継承している世代だ。
唯一例外のオバマ大統領は、キャッチフレーズや人気とは裏腹に、中途半端な負の遺産ばかりを残した。

第二次世界大戦から80年近くなり、この中で人生を終えた人も多いが、政治や外交は古典的な論理のままなのではなかろうか。
戦後新世代のオバマ大統領の業績は言葉だけだった。平和や夢を語れるのは、安定平和があってこそで、砲弾の下で平和や夢に耳を貸す人はいない。結局、理想が平和を生んだことなどない。
第一次大戦後の戦間期にも、国際連盟など、様々な国際平和を願う動きが花開いたが、第二次大戦が始まると、音もなく霧散した。

戦後も、アメリカは常に戦争を続けてきた。戦争の現実を仕切れるのは、戦争の怖さを知る世代と言うことだろう。戦争を知らない世代こそが大戦争を生む。ヒトラーを支持したのは若者だった。
大戦後のアメリカの戦争は、大戦を知る世代が仕切ったガス抜き戦争だったのではないか。ベトナム戦争にしても拡大するつもりが無かったから、敗北で終わった。
産業革命パラダイムには恐慌と戦争が欠かせない。もしかすると、ガス抜き戦争で経済バランスを保ってきたのが1946年以前の世代なのではないか。

もしこのまま、産業革命パラダイムが続き、戦争の現実を知らない世代が世界を動かせば自動的に終焉戦争が起こる。既に、アメリカ以外の主要国は大戦を知らない世代が動かしている。戦争の記憶を留める世代は近日中にいなくなる。
世界大戦を知らない世代が生きていくためには、産業革命パラダイムそのものを終わらせなければならない。オバマ以後の志向する環境や平和は、第一次大戦の戦間期に花開いた運動と同じで、大戦争が無い平和の上で見る夢だ。
そうした夢は、結局の所、産業革命の宿命を断ち切らない限り実現しない。しかし、数世紀にわたり続けてきた成長思考から脱却できるほど、人類は賢くなっていない。

老人がいなくなる前に、産業革命パラダイムの成長思考を打ち破る、世界的なルネッサンスを起こさなければ人類は破滅する。アメリカの老人対決は、その最後の時間稼ぎだ。残された時間はわずかしかない。一瞬で情報が世界に届く時代であることに、わずかな望みを託したい。


本来の姿 3

2024年03月09日 | 日記・エッセイ・コラム

日本、またも最下位圏。「女性の働きやすさ」について、英国経済誌「エコノミスト」が採点してくれた。
企業管理職の女性の割合、衆議院の女性議員の割合等が低いことが大きな理由となっている。
これらの割合が100%女性でも良い、あるいはその方が良いとも思っているが、何故、日本は少ないのかについての分析もなく、自分たちに都合の良い数値だけを取り上げてランキング付けするのには吐き気がする。
家計の決定権を誰が持っているのかの世界ランキングなど見たこともない。

自分たちの価値観で数値を挙げて説教する、欧米式の優越主義。まさに異端を排斥する一神教の独善であり、こんな薄っぺらな認識で国際的な組織は動いている。そして、それに追随するからバカにされる。最も単純であからさまなのが、スポーツのルールだが、様々な国際動向も実は大差ない。
中東の混乱は一体、誰の責任なのか。ウクライナ戦争はプーチンだけが悪いのか。

中国共産党が、欧米の文化を軽薄と蔑むのは、欧米人自身の堅苦しさからの解放が、放埒に見えるからだ。元来、寒い国の欧米人は東洋人より偏狭で堅苦しい。
しかし、そう観る中国は、古代日本に来て男女が共に酒席で楽しんでいるのを野蛮と蔑んだ。そして、今日に到るまで男尊女卑の価値観は変わっていない。
とことん男社会の中国や、女が男の肋骨から作られて始まった一神教の欧米の「女性解放」と、海洋国日本の平等は意味もプロセスも同じではない。欧米が苦しんで求めるジェンダー平等は、日本人にとってはただの回帰であり、原点が違う。

中華風に洗脳され、日本人がすっかり忘れている蓬莱の島の楽園を思い起こすだけで道は開ける。千五百年続けた立前の男尊女卑の裏で、卑弥呼の時代の女性崇拝は生き続けている。海洋民族日本の片鱗を残しているのは、ノロやユタなどが残り「おばあ」が信頼される沖縄であり、離婚率がダントツの一位であることは、欧米式の婚姻に支配されていない海洋民族本来の母系が生きている証でもある。

ケンミンショーで沖縄の文化に驚いたり呆れたりする日本人は、本当の自分に気づいていない。家計を妻に任せ、人生の岐路に妻や母に相談したり、妻を怖がる男性こそが、心の古層に、武士道などではない本当の「日本男児」を秘めている。
近年流行の「君を守る」とは、牧畜民的な欧米感覚の言葉であり、飼い主が家畜を守るように、神が人間を管理する感覚に通じる。欧米では男が女子供を守るものだが、海洋民族の女は自立しているので、結婚して男に守ってもらうものではない。男は勝手に寄ってきたり離れていったりする蝶のようなものだ。環太平洋アジアでは、混乱期になると、女が商売を始める。近頃は結局、「君を守る」は女性の常套句になってきた。

→「本来の姿 1


現代史劇

2024年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム

これまで朝ドラをまともに観たことがない。マメに毎日観るような正しい生活をしていないこともあるが、面白そうだと思って観始めても、結局は丸く収まる流れになったり、反モラル的な視点は敵役でしかなく扁平だ・・・と、感じて止めてしまう。
今回の『ブギウギ』は途中から観始めたが、飽きない。世相と歌が濃厚に絡み、流行歌本来の姿を直接感じられるからかも知れない。

「歌は世につれ世は歌につれ」の「世は歌につれ」の部分に、多くのステージ場面で引き込まれる。
俳優が演じる歌手が、「本気」で上手い。しかも、彼らは役者であることに徹している。
歌手の演じる芝居や、役者が出すレコードなどいくらでもあったが、その何れでもなくドラマをやっている。単なる劇中歌ではなく歌手に成り切っている。
これはかつて無い種類の成功例ではないだろうか。
「歌は語れ、台詞は歌え」と言われるが、このドラマはミュージカルではなく「ドラマは歌え」の新境地だろう。

おそらく、映画『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』(2007仏)等をたたき台にしたのだろうが、よくぞ、朝ドラに落とし込んだものだと感心する。『エール』でこの方法に目覚めたのかも知れない。
これは総集編とは別に、ステージ中心の2時間ドラマを別に再構成して欲しい。
いや、それより、日本歌謡曲史を大河ドラマにして、戦前戦後の歌手、作曲家、レコード会社、興行会社の興亡を映し出せば、戦国や幕末物に匹敵するものになる。
現代劇の『いだてん』は不評だったが、スポーツは世界が狭く、まして戦前では感心の持ちようがない。それに比べ、歌謡曲は誰でもどこかで知っており、世界が広く、その逸話なら誰でも間単に入り込める。しかも、関係者の栄枯盛衰で現代史を語れる。

『ブギウギ』の成功は、土星が魚座に来たことにある。魚座の「流行歌」が土星の「過去」に彩られる現象で、魚座・土星は既に1年経過し、2025年春までなので大河には間に合わないが、天王星が双子座に入れば、テレビの革新が起き、紅白や大河などの存在やあり方が変わる。時代劇ドラマから、ドキュメント主体のドラマに変わる目もありそうだ。と言うか、戦中戦後も既に、維新に並ぶ歴史になったと言うことだろう。


おにぎり

2024年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム

小学校のとき、教室の後ろには歴史年表が貼ってあった。その平安時代の中頃に「おにぎりの発明」と大きく書いてあり、不思議な気がした。大雑把な年表の中にわざわざ書き入れるほどのことなのだろうか。
ずっと不思議だったが、中学の古典で伊勢物語に「乾飯の上に涙落として、ほとびにけり」の一文があり、おにぎりが現れるまでの携帯食事情を知った。おにぎりが日本人の暮らしを大きく変えたであろう事が理解でき、確かに特筆すべき事件だとわかった。
同時に、おにぎりが出てくる物語は平安後期以後だとも知ることになった。

近年、日本人の食事情が変わり、米や日本酒の売り上げが激減している。一方ではおにぎりがブームで、外国でも日本酒に加え、おにぎりまでがブームなのだそうだ。おにぎりも様々なバリエエーションが生まれ、今や、スシのカリフォルニアロールなみに多彩化している。
しかし元々は、中に空気を入れるフンワリ型のコンビニおにぎりが牽引したものだった。その場でにぎるおにぎり専門店も、固くにぎらないことをウリにしている。
確かにそれはそれで、米のうま味を味わうことができ美味しいのだが、「おむすびころりん」のおむすびではない。

元来、おにぎりの目的は携帯食であり、崩れないことが身上だから、文字通り固めににぎる「お結び」だ。伝統的なお母さんのおにぎりは固いから、柔らかいコンビニおにぎりに慣れた子供は嫌がり、今や、柔らかいおにぎりが主流になった。
しかし、空腹の時、かじりついて食べる大きめの塩おにぎりの美味さを知らないとすれば可愛そうだ。
携帯食のおにぎりは冷えたままで食べる。機械成型のコンビニおにぎりは表面まで隙間を残し、中まで水分が飛ぶせいか、幾分パラパラ感があり、そこはかとなく味気ない。やはり電子レンジ時代の食べ物だろう。

これに比べ、塩で表面を固めたおにぎりにはパラパラ感がないから、かじりついた瞬間、口の中に米の味が広がる。ただし、これも程度問題で、表面の塩コーティングの中には米粒感が残っていなければならない。しっかり、ガッチリにぎれば良いというものではない。
アツアツのご飯を、なるべく手早に形を整えることで、熱くて握りきれないから、中はほどほどに米粒状になる。この力の落差を付けるためにも大きめの方が良いが、爆弾と称するボールおにぎりは大き過ぎて、具が無ければ米だけ食べることになる。
アツアツで食べられる文明環境ではフンワリおにぎりが美味しいが、サバイバル環境には堅塩お結びを持って行きたい。

おにぎりが美味しいのは「うるち米」だからで、世界の大半は「インディカ米」だから、栄養価は高いがフンワリもちもち食感がなく、うま味を噛みしめられない。
インディカ米をおにぎりにしても、コンビニおにぎりよりパラパラで、味気なく、かじり付いて涙が出ることはない。
日本のおにぎりで、うるち米の美味さがバレたら、世界の米事情が変わるかも知れない。魚を食べなくなった日本人を尻目に、爆食する中国のためサンマやマグロが食べられなくなったことを思えば、イヤな予感がするが、魚の養殖は難しいとしても、米はもともと栽培するものだから、トレンドが変わるだけで絶対量が無くなるわけではない。
心配しなければならないのは、温暖化による、日照りや、味の劣化だろう。


本領発揮

2024年03月01日 | 占いばなし

大谷翔平が結婚。いかにも大谷翔平らしい。これも人生設計に書いてあったのだろうか。
カニ座の男は家庭を晒すことを拒否する。したがって、トレンディで自己顕示欲の強い人とは結婚しない。しても、家庭に入ることを要求する。成功例は関口宏で、逆がサンマだろう。関口が血液型A型で、サンマがB型だったことも影響している。
大谷はB型だが、結婚については親から強く言われていたと言うし、それ以上に、自分の仕事についての目的意識が強かった。B型で下の子の野球選手では、長嶋茂雄、イチローが典型例で、星座は異なるが野球小僧、野球オタクだ。

カニ座は天球図の天底に位置し、足下=家庭や先祖を原点に、自分の社会的地位(山羊座=父=長=北斗)を目指す。
占星術で見ると、人は自分の原点には無自覚で、180゜の対峙する星座を目指すが、結局は、元の星座らしい人生を送る。したがって、カニ座の大谷はナショナリストであり、親の意向を守り家を守る、型どおりの堅夫で亭主関白だが、それだけに、妻の不妊など「家」に関わる想定外のことが起きると維持できなくなる。

それにしても、戦士、職人として、虚構の世界を徹底的に拒否する生き方は見事としか言いようがない。誰でもがマネできるわけではないが、芸能界以外で、自分の目的に専念したい人は見習うべきであり、また、良い前例にもなるだろう。
これも、外と内を使い分ける二刀流だ。