魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

何じゃあ

2018年07月27日 | 日記・エッセイ・コラム

台風が東からやって来る!?
これまで、迷走台風と言われる台風が、引き返したことはあったが、その場合でも、基本は西から東に向かっていた。
今回の12号は、順路として何の迷いもなく、東の海から、西に向かって進むそうだ。

専門家は、「異例な台風」と強調しているが、大局的に考えれば、これは、これからの常識の始まりだ。日本が台風発生現場になれば、西も東もない。
地球全体の異常気象がいよいよ姿を現した。ついに東京湾沖にゴジラが顔を見せたような、驚く「べき」事態になったのだ。
ゴジラが上陸するのかしないのか。そんなことを争っている場合ではない。
どうするのか、覚悟の元に、日本と日本人の存亡をかけて、着々と手を打たなければならない時だ。

やまぬ雨」、「避難の時


模倣大国

2018年07月25日 | 日記・エッセイ・コラム

NHKは視聴率を気にしているのか、民放のいいとこ取りに熱心で、今年の大河「西郷どん」も、やたら宣伝が多い。明治維新も遠くなり、歴史ドラマも「面白ければいいんかい」の、何でもありだ。維新も、いよいよ「時代劇」になってきたようだ。
西郷隆盛と言えば犬を連れた上野の銅像を思い浮かべる。銅像は「将軍様像」や「慰安婦像」など、理解できないことばかりだが、西郷人気を考えると、具象化もバカにできない。

現在の中国は、まるで明治維新を踏襲しているかのようだ。維新後の日本は、列強に追いつくために、列強の力を利用し、列強の模倣を推し進めたが、建国時の軍主導体制は、昭和20年の敗戦まで続くことになった。この間、77年。
中国は建国から69年だが、先進国を利用し始めた改革開放からだと40年、これが明治後なら、ちょうど満鉄を始めた頃になる。中国は今、高速鉄道に熱を上げ、軍部があからさまな拡張政策を始めたことまで、酷似している。
そして、帝国日本の前に列強が立ちはだかったように、中国共産党の前に先進国が立ちはだかろうとしている。

複合模倣
毛沢東は建国の軍事力の象徴、西郷隆盛のような存在だろうか。
戦時の英雄は、平時になるとトンチンカンなことを始めるものだが、そうした場違いな存在を排除することが、国の発展段階には欠かせない、一つの戦後処理となる。
明治維新の場合、天皇という、政権の「上の存在」があったために、発展段階で軍事と民政が並行的に進行し、障害になる革命勢力が排除されたが、中国共産党は、毛革命軍が直接全権を掌握したために、経済発展の障害になり、復興が20年遅れた。キューバなど、カストロが死ぬまで60年近く続き、未だ払拭できないでいる。

明治維新革命軍の障害を取り除いたとは言え、帝国主義のただ中で成立した大日本帝国は、発展の過程で軍事力を欠かすことはできなかった。
しかし、戦後の日本が、米軍の影に隠れて、経済発展をしたように、第二次大戦後の国家発展の柱は経済であり、今も厳然と存在しているとはいえ、軍事は歴史の積弊で表に出すものではない。
中国は、日本の模倣で発展してきたが、その隠れた真実としての「米軍の保護」を、自前でまかなおうとしている。明治維新の軍事崛起と、戦後の平和を看板にした経済復興を、同時に実現しようとしているのだ。この矛盾が、中国の大きな誤算であり、弱点となるだろう。

月の満ち欠け
カニ座の中国は、月が象徴する。月は反射で光る模倣の天才だ。そして、人気も表すから、「メンツ」すなわち評判を気にする。母性の囲い込み習性もあり、幼児期と先祖を表すから、血統主義で差別意識が強い。また、満ち欠けの激しさ、移ろいやすさの象徴でもある。
共産主義をまねしたかと思えば、資本主義や明治維新をまねし、少し成功すれば、大国風を吹かせる。
母親のように、国民の耳を塞ぎ、他国には、うちの子(国民)もそう言ってますと自己主張をする。自分の欠点を責められると、改める前に、「皆さんもそう思いませんか」と同調を誘い、衆を頼んでライバルを追い出そうとする。お堅い甲羅の内側はグチャグチャ・・・
中国を理解しようと思えば、まず、カニ座の研究が欠かせない。


避難の時

2018年07月24日 | 日記・エッセイ・コラム

夏休み。デッキチェアーに身を任せ、山の彼方に入道雲を見ていた。
セミ穫りの網を握って、緑の桜並木を無心に歩いた。
・・・暑い夏の記憶は、せいぜい35度ぐらいだった。遠い昔のことだった。

ニッポンはもうダメだ。温暖化は、もう脅しではない。今ここにある地獄だ。
いや、40度ぐらいで人間が滅びるわけではない。過去のニッポンではもうダメなのだ。
もはや、完全に環境が変わった。

経験したことのない自然災害が多元的、連続的に頻発している。
ニッポンのすべてを、一から考え直してみなければならない時が来た。人も組織も経済も政治も、未開の荒野に立ったつもりで、足下の風景を眺めてみなければならない。
家も街も、これまで築いたものは、これからの環境には何の役にも立たない、ガラクタになる。一から築いていかなければならない、まさに荒野なのだ。
「室外機で個々に冷房する」ような概念は、通用しなくなる。

4月の新年度は、温暖な四季があればこそできたことだ。
これからは夏を休みにして、秋からの新年度を考える。始業時間を早くして、昼寝タイムを公式化する。生活圏は地下利用を最大化し、海底利用も進める・・・再生利用エネルギーは言うまでもないが、生活、生産のあり方を全く変えなければ、この地で生きぬくことは不可能になる。
奇をてらうことを言いたいのではない。誰もが「まだだろう」と思っているうちに、逃げ場を失うのは、局地災害だけではない。何事であれ、変化への心構えが必要なのだ。

かと言って、慌てふためいてもいけない。最悪の事態を想定して、粛々と動く。警報に騒がない。何も起こらなくても怒らない。
来年は涼しいかも知れない。しかし、この暑さを忘れるな。
とにかく、「これまでのニッポン」から避難しなければ、ニッポン人はもう、助からない。


東京博打

2018年07月22日 | 日記・エッセイ・コラム

カジノ法が成立した。観光振興が目的だそうだが、日本人客対策の方が話題になっている。
一方、2年後の東京オリンピックの時間割が発表されたが、この猛暑続きに、東京は大丈夫かと、世界中が心配している。決定の時から、何でこんな季節にやるのかと不思議だったが、毎年、猛暑の記録更新に、これでも日程を変えられないのかと、人ごとながら、怒りさえ感じる。1964年の東京オリンピックは10月だった。

スポーツ大会には不適切な季節とわかっていながら、なぜ、この時期にやるのか、誰でも疑問に思う。
ネットによると、アメリカ・スポーツのオフシーズンやヨーロッパのバカンスなど、要は運営上のソロバン勘定からとの説明が多かった。まあ、それしか理由が見つからない。
大体、こんなにオリンピックを有り難がるのは、日本ぐらいなものだそうだから、こんな無茶な日程でも、黙って受け入れたのだろう。少しでも異議を唱えて他国に持って行かれてはと、恐れたのだろうが、これが、本当にスポーツのためなのだろうか。

カジノで博打をやることが問題視されているが、2020年の夏が涼しいか、猛暑か、この方が大博打だ。


自然調整

2018年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ウナギの減少で、ウナギが高騰し、買う人が減って、養殖業者が悲鳴を上げ、ウナギの廃棄処分が増えているそうだ。バカげた話だ。
この分では、ウナギも数の子の二の舞になりそうだ。

近頃の若者は、数の子を食べないようだ。以前は、回転ずしでも数の子を客寄せの看板にしていたが、見ていると、食べているのは中高年で、若者は全く手を付けない。近頃は、数の子そのものをメニューから外してしまった店もある。
数十年前から数の子の高騰で、庶民が食べられなくなり、数の子の味を知らずに大人になった世代が、多数派になった。

数の子は、甘くもなければ脂のうまみも感じられない。苦みと粒々の口当たりが珍味で、慣れて病みつきになるものだ。子供の時からの体験がなければ、是非食べたいとは思わないだろう。
ファーストフードやジャンクフードに慣れ、直接的な快感を感じる味しか好まない現代の若者には、「稽古が必要な味」は敬遠される。数の子より脂のイクラ、苦いビールより甘いカクテルが好まれるのも、ストレートに快感を味わえるからだ。

ウナギの高騰には、減少による高騰を見越した問屋の先取り、つまり、暴利をむさぼろうとする魂胆がある。ここでも「問屋時代」の終わりが見えてきた。
値上げして売れ残ったウナギを廃棄するぐらいなら、出荷できずに大型化したウナギを海に帰したらどうか。養殖ウナギといえども稚魚は天然だから、放流すれば、マリアナ海溝に帰って、また大量繁殖してくれるのではなかろうか。

どうあれ、元来ウナギ好きでもないから、どうでも良いのだが、
このままでは、取り過ぎ生物は減少し、だれも食べなくなり、食料対象として消滅する。これも一つの自然の調整なのかもしれない。

ウナギは好んで食べないが、蒲鉾屋の「代用ウナギ」には感心する。「うな次郎」が出たら、「ほぼウナギ」が出た。カニカマに始まり、ホタテやエビと、次々に出てきて、どれも、なかなかのものだ。カニカマなど、世界中で大人気だそうだ。これは、水産日本の新しい産業になる。捕鯨などやめて、どんな魚でも美味しく食べる技を追求してはどうか。

(ウナギと丑日の話:ウナギ病うなッ!、猫ウナギ


有り難や

2018年07月20日 | 日記・エッセイ・コラム

日本主導のTPPに英国が参加希望。EUとのEPAは、向こうから首脳がやって来て署名。
経済連携の流れが一気に加速している。中国も突然、笑顔で接近。

トランプの魂胆がどうであろうと、日本にとっては、風向きが良くなっている。
ビックリ水を注入したアメリカも、誰かは別にして、いずれバランスをとるだろうから、これもそれほど心配はいらない。
メディアがどう騒ごうと、何より正直なのは、リアリストの相場の世界だ。当面、日米欧の株が上がり、中韓など、中国と利益を共有する国の株が下がっている。

トランプの仕掛けた貿易戦争で、世界中が綺麗事を言っていられなくなった。世界のメディアは、この異常事態をトランプのせいだというが、水面下で進行していた事態を、表に引っ張り出しただけだ。ある意味、早期発見を導いた。(確かにトランプのせいだ)
何事も無くこのまま進んでいれば、世界は完全に、中国共産党に飲み込まれていただろう。あるいは、手遅れになって起こる、もっと深刻な経済戦争か、世界恐慌だ。
今は少なくとも、急速な調整が始まっている。
トランプ様々だ。

それより、北がトランプをなめて、アメリカを暴発させることの方が心配だ。
今、反トランプの矛先が北に向かいかけている。


わからん

2018年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

受動喫煙対策法と言うものが成立したらしい。それでも、この基準は「外国と比べると」相当甘いと言われている。
タバコは40年前から吸わないから、あまり関心の無い話題だが、どうにも「わからん」話だ。
何処で吸うこともまかり成らんと唱える人は、それより、タバコの販売そのものの禁止を唱えてはどうなのか。言っていることは入り口の違いであって、結局は、「タバコを吸うな」と同じことだ。と、言えば、「そこまでのことを言っているのではない」と言うのかも知れないが、そんなのは単なる体裁だ。

何が最も「わからん」ことかと言えば、「外国と比べると」と言う論理だ。何でもかんでも「外国と比べると」と言う人は、まず、元号の廃止を叫ぶべきだ。それなら、多少、賛成しないでもない。元号そのものには反対しないが、公の日付を元号と定めているために、非常に不便なことばかりで、印刷屋以外では、経済ロスも小さくないはずだ。

肝心なことには目もくれず、「外国と比べると」と、自分の外国教をごり押しする。外国と比べるなとは言わないが、こういう人たちは、一体どれほど外国に主張したことがあるのだろう・・・
わからん


絶体絶命

2018年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

また、緊急通報のあり方が問題になった。
多くの人が「避難指示」に緊急性を感じなかったと言う。
もう、何度も言うことだが、以前は「避難命令」だったものが、「避難指示」に変わったことで、リアリティーがなくなった。「命令」が、高圧的で民主主義に反すると感じる風潮から、「放送禁止用語」のような言葉狩りにあったのだろう。

これも一つの、理想主義の行き過ぎ現象だ。思想の根本が理解できない人は、表面的な言葉や態度に反応する。言葉狩りや不測の行為を責め立てる。悪いことに、こういう浅薄な人の方が大勢であるために、本来の理想と真逆の結果を招く。ネットという大衆コンセンサスがそれに味方する。
それを恐れる「識者」が「衆愚」に迎合する。その結果の一つが、「避難指示」という曖昧模糊とした標語だ。

東日本大震災の時、緊急性を伝えたい町長の決断で「避難命令」を連呼した大洗町は、皆助かった。その言葉だけが原因かどうかはわからないが、少なくとも高齢層には、緊迫が伝わったはずだ。
「命令」は、戦時中の軍による支配を思い起こさせるのだろうが、災害時の「命令」とは、「天をして担当者を語らしむる」ものだ。高圧も支配もない。天からの命令だ。

それでも「命令」はダメだと言うなら、ストレートに、「死んでも誰も保証しません」と言ったら良いかも知れないが、やっぱり、四文字熟語でなければ、まとまりが悪いので、
「緊急避難」、「絶体絶命」のように切迫感を伝えるか、「最後通告」、「絶対避難」のように、これ以上のレベルは無いことを直観的に理解できる言葉にすべきだろう。
言葉一つが、多くの生死を分かつことを肝に命じて、再考してほしい。


戊戌の年

2018年07月12日 | 日記・エッセイ・コラム

今年はイヌ年。正しくは戊戌年だ。五種類ある戌年の中では、干「戊」も、支「戌」も土性で、エネルギーが重なり、極端から極端に動く。
西洋占星術では、戌はサソリ座に当たる。サソリ座の木星と牡牛座の天王星が対角にあって、何れの占いで見ても、今年の激動を告げている。

個人の運は、干支術では、日干支が基になる。生まれた日の干支はその人の魂だ。
生まれた日の干支が、巡ってきた年の干支と同じ場合、生年月日にもよるが、吉凶が強く出る。これは、星座や九星も同じで、同じものが重なれば強くなる。
生まれた太陽の星座に惑星が来た時。生まれた年の九星が九星版の中央に来る中宮の年。何れもその人の特性が強く出て、その終盤には反動が出る。

今回の日本サッカーの監督、西野朗も日干支が「戊戌」で、おまけに、九星も今年の九紫と同じだ。突然の監督指名と能力発揮は、ピークと衰退を表しており、監督を継続しないとすれば、これも、極めて賢明な判断となる。
今回の結果を花道として、一度、引いた方が、次がある。
と言うのも、戊戌、九紫と同時に、牡羊座でもあるからだ。牡羊座は、過去7年、吉凶両極端で、良かった人は反動を受ける時期に入っている。ちなみに、川島永嗣、岡崎慎司、酒井宏樹、内田篤人、さらに、ザッケローニも、牡羊座だ。

西野監督は、自動車人間のハンドルで、逆境に強い。ボロボロの日本を引き受けたことも幸いした。
ハンドルは、データ処理能力と「相手の視点」で考える裏読み能力があるが、そのことがアダになって、相手が不利になると、追い込めなくなる。いわゆる武士の情けが出てくるのだ。
一番、良いのは、負けて追い詰められている時の、ギリギリの逆転勝ちだが、今回、日本は、有利な展開で始まると、得点の度に点を入れられ、セネガル戦のように負けそうになった時の方が強みを見せた。ポーランド戦のボール回しも、「セネガルとのギリギリの勝ち」に賭けたからだ。

ベルギー戦では、早くから完勝ムードで、ハンドルの「絞り出す」闘魂が削がれてしまい、相手の対策に、寛容な「待ち」をして、機を失った。この心理的な「虚」は、本人も含め誰も理解できないかも知れないが、占い的にはごく自然なことと言える。


中学卒業

2018年07月05日 | 日記・エッセイ・コラム

日本のW杯ロシア大会が終わった。
スポーツ観戦の習慣は無かったが、両親が相次いで他界し、少しボーッとしていた頃、「日本が初のワールドカップ進出!」とテレビが騒いでいた。それにつられて、何となく、試合を観た。それが「ドーハの悲劇」だった。
この時から、日本サッカーの魔法に掛かってしまった。

その後四半世紀、世代交代を重ねながら成長する日本サッカーを、親バカのように応援してきた。様々な局面での成長を観るたびに、毎回、「さあ、今度こそ」と、這えば立て、立てば歩けと、思わず応援してしまう。
何でこんなに気になるのか。単に勝ち負けなら、ある程度予測できる。しかし、勝てないとわかっても、そんなことを信じるより、生きものが、生きようとする姿を見たいのだ。歴史を知っていても、歴史ドラマを観る、それと同じだ。そこで何があったのか、もしかしたら、違う展開もあったのかも知れない。歴史の…たら…れば、以上に、現在進行のドラマには、常に無限の可能性がある。結果に意味はない。

占いは7割当たればプロという。つまり、3割は外れるということだ。だから、結果が見えたとしても、現実の人生は無限だ。占いで人生が決まっているなら、努力する意味が無い・・・のではなく、情熱の前では、結果の方が意味が無いのだ。
最低の成功と最高の失敗は、ほぼ同じようなものだ。
50点で落第と51点で合格は、全く違うように見えるが、実力には大差なく、そのことが解れば、次の人生が待っている。牛後となるよりも鶏頭となるほうが恵まれることが多い。合格と落第があったとしても、それがすべてではない。占いが示す結果と、意味する未来は同じではない。
だから、占いを信じても頼らない。人生もサッカーの試合も一瞬一瞬に意味があるのだ。

卒業
「ドーハの悲劇」が、小学校の卒業だったとすれば、今回の悔しい8強の壁は、中学校の卒業だ。ドーハも最後の一分でW杯初出場を逃した。あの日から日本は大きく成長し、トーナメント進出のために「パス回し」までできるようになった。しかし、ベルギー戦で、優勝を狙うチームの、格の違いを見せつけられ、高校レベルへの進学を決意させた。
ベルギーに敗れた理由を、体格差の壁と見る向きもあるが、それなら女子が優勝したのは何だったのか。サッカーは文化対決だ。弁慶を倒す小さな牛若丸の日本は、独自の力を秘めている。これから日本は、世代交代を経て、また一段階、成長しなければならない。
日本サッカー協会は2050年の優勝を目標にしていると、川淵氏が言っていた。その日を見ることはできないだろうが、そう信じて死にたいものだ。