魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

日の丸軍団

2008年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

オリンピック休暇」で言ったように、今回、日本は当てはずれだっただろう。気負ったものがほぼ全滅し、あまり期待していなかったものが結果を出した。

北島の涙には、思わずもらい泣きした。
前回、何も考えずに金を取ったから「気持ちイー」の素直な言葉が出たが、後になって現実の重みがのしかかり、潰れそうになりながら、責任に目覚めて、もう一度がんばった・・・万感の思いが出ていた。

東男には組織的な責任感はない。男としての個人的な自覚で行動する。勢い任せに戦地で禍根を残した最強と言われる九州の兵隊と比べれば、関東の兵隊は、硫黄島のように、黙々と責任を果たして死んでいった。
ふと、そういう歴史が北島の涙にダブった。

サッカーと野球がひどい結果になったのは、日本の組織の体質がよく出ていると思う。
同じ組織スポーツでも、女子サッカーのようにマイナー視され、アルバイトしながら挑戦しているようなスポーツには、日本の体質が影響しない。

経済とマスコミ総掛かりで運営されているようなプロスポーツは、
いわば、戦前の日本軍のようなものだ。
国民総掛かりで、一つの形、一つの方向に導いていく。
日本の組織体質、経済システム、戦力思想・・・それが形に表れたものが「わが日の丸軍団」だ。

戦前、少年のあこがれが、戦艦大和やゼロ戦だったように、マスコミは無責任に、無敵のわがヒーローたちを神格化する。
派手にあおるばかりで、「わが軍団」の置かれた客観戦力や問題点には一切ふれない。

のせられた国民も、戦争に負ければ、自分たちも片棒を担いで盛り上がっていたことを忘れ、戦犯が悪いと非難する。

今回の野球は、明らかに星野の失策だ。選手たち兵隊が、無惨に倒れていくのは見るに忍びなかった。
北京の星野はどう見ても、203高地の乃木将軍だ。
しかし、星野を選び、期待したのは日本の球界であり、ほぼ、日本の総意だった。少なくともマスコミの総意だった。

占い的には、星野は母と妻との縁がきわめて強く、その縁が切れる時が運の切れる時になる。つまり、言い方は悪いが、過去の人だ。
そういう、占いによる判断とは関係なく、冷静な判断があれば、星野自身のためにも、監督を頼むべきではなかっただろう。

しかし、乃木将軍を神としてまつる日本的風土は、人間に神格を期待する。監督という地味な仕事に、西郷隆盛や乃木将軍を据えたがる。