京都の人は意地が悪いと言われているが、これは、大阪を中心とする京都周辺の近畿の人が吹聴していることだ。
京都人もこれを気にして、「京都人は・・・」と聞いただけで、「(ハイ、ハイ)そうですねえ、京都のぶぶ漬け言いまして・・・」と、言われる前に自分から話して、その話題をスルーしようとする。
京都人ではないが、京都に半世紀暮らして、わかることがある。京都人は言われるような意地悪ではない。その上、やはり、千年の都の都会人だ。
大阪は人口や経済から言えば大都会だが、歴史的にも文化的にも、京都との関係は都心と周辺都市の関係になる。
現在の東京都心と周辺都市のようなもので、生活サイクルも価値観も違う。ことに、昔は交通圏も狭く、東京圏のように通勤するような空間ではなかったから、より文化の差が際立っていた。
大阪から見ると、京は現在の東京ぐらいの感覚で、良く解るような気のするライバルで、実はさっぱり理解できない人々だったのだろう。
京都人からすれば、昔から大阪人の吹聴する、京都腹黒説は、韓国の日本腹黒説と同じで、もう勝手に言ってくれの、日本人の諦めに近い。
近頃は、中国人観光客が激増し、日本人から見ると、戸惑うばかりだが、中国では、日本のことをべた褒めする話が多い。これは、東京発信のTV、雑誌で、やたら京都を持ち上げるのと同じだ。観光客というものは、せっかく行くのだから、観光地に特別な夢や伝説を求めている。しかし観光地は、そこに住む人にとっては日常だ。
ところが、そんな夢の地でも、実際に関わりが深くなると、夢の反動として、自分の勝手な思いが裏切られたと、かえって怒りを生む。
日本との関わりが深い韓国が日本に対して、異常なまでに敵意を持つのは、日本が良いこと「だけ」をしてくれなかったからであり、今でも日本から利益を上げながら、日本から搾り取られていると思い込んでいる。
近場で関わりが深いと、良いことも悪いこともあるのは当然で、自分の思いと違えば、相手に与えたストレスや損害を顧みず、相手の欠点だけを非難する。
これが、大阪人の京都腹黒説の本質だろう。韓国人が日本を非難している内容と、大阪人が京都人を非難している内容は、とてもよく似ている。
京のお茶漬け
京都人の腹黒を象徴する話として、帰ろうとすると、
「まあそんなことを言わんと、ぶぶ漬けでもどうどす」と言われて、せっかく勧めてくれるのだから、急いでいたけど食べて帰ったら、後で、礼儀を知らん人やと陰口をたたかれた・・・が有名で、落語まである。
これは、礼儀作法のルールを心得た都会と、そうでない人とのギャップで、単純に、絶対、食べてはいけないというわけではない。
基本のルールは、相手に迷惑をかけない、気遣いをするということだ。
人に迷惑をかけないのが、日本の都会ルールだが、中国では互いに迷惑を掛け合うのが親しさの尺度だ。日本でも一昔前の田舎では大体これだった。
おそらく昔の大阪人も、親しくしてくれたと、お茶漬けを喜んで食べたのだろう。
中国人が日本人に嫌われる、無神経や図々しさは、外から来た人が誰でも、知らずに「やってしまう」ことだ。これは文化の違いで仕方ないことなのだが、日本人が自分の文化を基準にして、「中国人は」と、陰口をたたく。
大阪人と京都人の溝は、昔、この様にして始まったのだろう。
江戸っ子の原点は、家康による大阪人の移住によると言われている。言葉は違うが、非常によく似た素直さがある。また、大阪は中国ともよく似ていると中国人は言う。大阪弁は遠くで聞いていると中国語に似た抑揚がある。ちなみに、東北から関東の抑揚は朝鮮語やモンゴル語に近い。
京都は関西弁ではあるが、京都の公家文化はモンゴル系の家父長文化であり、部族的な閉鎖性がある。内輪は大切にするが、族外を受け入れない。しかし、大阪は海を通じてどこからでも人が集まり、組織秩序にはあまり関心が無い。
こうしたことも、大阪と京都の軋轢を生んだのだろう。これも、大陸と日本の軋轢、葛藤と同じ構図だ。
大陸から日本に来て溶け込もうとするなら、郷に従う、つまり、土地の人、土地の価値観、やり方を尊重することから始まる。華僑を文化とする中国人は、その原理をよく心得ているが、韓国人はほぼ自分の目線でしか状況を見ない。過剰な期待や利害対象の駆け引きが先行する。
したがって、中国人は時間をかけるほど大きなトラブルは起こらないが、韓国人とは時間をかけるほど軋轢を生む。
京都と他地域の関係はこれに似ている。大阪人は自分たちの価値観を曲げることを考えていないから、京都に溶け込めない。東京人は他人に迷惑をかけない都会ルールがあるし、京都を異文化として尊重するから入り込めるが、最後まで住人として同じ目線には立てない。
これに比べ、地方出身者はかなり京都に溶け込める。東京が地方出身者で成り立っているように、京都も、歴史的に地方出身者を受け入れて息づいてきた。
地方から首都に出る者は、そこに溶け込むつもりで生活を始める。首都文化に対抗するものを持ち出さない。しかし、自分の出身地が一つの秩序原則を持っている土地から来た者は、その土地のルールを認めない。日本に対する中韓であり、京都に対する東京大阪だ。中国と東京には中心意識のゆとりがあるが、大阪と韓国には中心ではないコンプレックスがある。京都を嫌う大阪は、明治以降は東京を目の敵にし始めた。
ところで、京都で「お茶漬けでもどうです」と言われて、震え上がる必要はない。
大切なことは、お茶漬けより、その場の状況をよく判断することだろう。
時間は?場所は?それまでの経緯は?相手はこれから何をするのか?・・・そういうことをよくよく考えてみれば解る。京都人はたがいの尊重、気遣いを愉しんでいる。