魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

札幌開催

2019年10月31日 | 日記・エッセイ・コラム
マラソンを札幌に移転と、IOCが突然言ってきて、東京都が怒っている。
どちらかと言えば五輪そのものに反対なので、何とも言い様がない。
一番の問題は、この季節に東京でオリンピックをしようとしたことで、これは誰の責任なのか。
それでも、猛暑で開催できるように、日本中で努力してきた。それが、突然、東京では無理だから札幌へと言い出す。それならば、始めからそう言えば良かったではないか。「腐敗組織
挙げ句の果てに、その費用は開催者頼みだ。札幌に移すぐらいなら、開催を10月にしてはどうか。

東京五輪が決まったとき、今回の東京オリンピックは、1964の再来ではなく、どちらかと言えば天王星周期の1940年の再来に当たると書いたのだが、やはり、スムーズには行かない。
始めからジャマをしている国はあるし、妨害してやろうと虎視眈々の国もある。密かに失敗を祈っている国もある。世界中のテロリストも格好の舞台と目を付けている。
当時とは状況が異なるが、世界がバラバラな時代は共通している。

これで良いのか
今回、マラソンの札幌移転や、開催時期変更ぐらいなら、上出来だろう。
それよりも懸念されるのは、オリンピック不況だが、さらに恐れるのは、次世代産業への出遅れだ。
世界は今、産業革命パラダイムから次の時代に移行しようとしている。オリンピックはデパートや博物館と同じ、物と人を集めて、富と情報を循環させる工業生産時代のツールだ。しかし、もはや、工業生産は時代の主役ではない。あらゆる分野が、ネットワークの時代になる。
スポーツそのものはますます発展するだろうが、そのイベントがビジネスになる時代は終わる。IOCやFIFAの独占は限界だ。遠からず、ネットに取って代わられる。

ウーバーやクラウドファンディングのようなシステムが、社会インフラとして普及すれば、現在既に、問屋ビジネスが崩壊しているように、世界の認識として、「元締め」は要らなくなる。今現在でも、この方式でスポーツ大会は開けるが、世界の常識にはなりきっていない。しかし、もはや時間の問題だ。
これからの産業パラダイムは、こうした空間をいかに取り扱うかに掛かってくるだろう。もちろん、工業生産は無くならないものの、3Dプリンターに見られるように、その場で魔法のように生産される物が多くなる。
そんな時代に移行していく中で、オリンピックにかかずらわっているような世界観でいると、国全体として出遅れる。
オリンピック、オリンピック・・・日本人の好きな呪文だろうか。


占い目線

2019年10月28日 | 日記・エッセイ・コラム
占い判断は、先ず、問題を占い的に把握する。
占い的な把握には、正確な数値やファクトを無視してかかる。
目に見えること、聞こえることを、そのまま事実として判断しない。占い的な意味に置き換えて考えてみることから占いは始まる。
しかし、ここで言いたいのは占いのノウハウではない。「占い的」思考法、つまり、占いを応用した、ものの見方、考え方を紹介したい。

この「占い的」考え方は、現代だからこそ、意味がある。
現代は、ますます緻密になり、物も、社会も、人生も、数値とファクトで動いている。現代人は、溢れる情報を処理しなければ生きられない・・・そう思い込んでいる。
そして、ネットやマスコミの情報に敏感になり、一喜一憂する。一方では、その反動で、情報を全く信じられなくなり、何を聞いても、自分とは関係ないとか、全部ウソ情報だろうと思ったりする。
ところが、そうして、情報を信じられなくなるのも、また、情報からだったりするのだから、結局は、終始、情報に踊らされていることになる。
こういう、拠りどころを失った現代人こそ、占い的認識法は意味がある。

占い的認識法とは、ある基準をもって物を見ることで、占いは占い法則に照らしてみるのだが、占い的という場合は、占い法則ではなく、仏教で言う「法」のようなもので判断する。
それは、単純には説明はできないが、一つの厳然とした尺度、基準となるもので、修行によって得られるものとされている。
しかし、そこまで大壮なことでなくても、この認識は心がけ次第で誰でも得られる。

占い的認識法
話や情報には基本的に目的があり、内容と方向性がある。中には発信だけが目的の情報もあるが、それも含めた諸々の情報は、誰が何の目的で発信しているのか意識する。
そして、その話全体はバランスを欠いていないか考える。これが占い的認識法だ。
結局、占い的認識とは、全体を把握するバランス感覚と言える。しかし、このバランス感覚こそが難しい。

もっともな話、理路整然としている話ほど、疑ってみるべきだろう。本来、生の情報には、整合性がない。意図のない情報は土砂のように玉石混交で、互いに関係性がないのが自然だ。きれいに並べられた石や、砂金の粒には意図がある。
したがって、話(情報)は、真面目に意味を聞き取ろうとすれば、意図(目的)を見失う。もちろん、一応は話の意味は把握するが、それは一局面に過ぎない。
話の価値は、ストーリーではなく、含まれている事柄だ。含まれる事柄で、構成可能なストーリーを様々に考えてみる。そこに含まれている事柄を省いたり、失われているデータを推測したりする。
話を聞きながら、自分なりに、発掘土器のかけらで元の姿を復元するように考える。

こうして人の話(情報)を聞くと、たとえ、相手が詐欺師であっても、フェイクニュースでも、成りすましでも、その中から真相が見えてくる。
そんな悪意の情報でなくても、人の話はほぼ全て、感情によって歪められている。だから、どんな善意でも、基本的に真相は歪められている。しかし、「火の無いところに煙は立たぬ」だ。
情報が無くては、真相は分からないが、どんなに歪んだ情報でも、真相を見る手がかりは、その情報自体にある。
だから、どんな人の話も、フェイクニュースでも、とりあえずじっくり聞いてみる。
一番いけないのは、「どうせ」や「きっと」の予断を持って聞くことであり、即座に反応することだ。

こんな心得で人の話を聞くのは、相当疲れることだが、発掘土器復元や、様々な謎の解明のような楽しさもある。何よりも、マスコミや政治家、宣伝媒体などにだまされない防衛手段になる。
そして、自分自身のウソに囚われて迷っている人を、解放することもできる。ただし、頼まれもしないのに、本当のことを助言したりすると、一生恨まれる。
なお、こういう思考法をすることで、全く興味を持てなくなるのは、推理小説だろう。推理作家はこの思考法の逆を意識して書いているので、そんな結論の決まっている物に、踊らされる気にならないからだ。

おやおや

2019年10月24日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の発展は、アジア人として共に喜びたいところだが、そのやり口は、全く受け入れられない。何から何まで、全くの「ヤクザ流」だ。
親切を装い、高利貸しで他国の自由を奪う。安売り攻勢に慣れたところで販売を拒否する。友好を装い観光客を送り込み、それを突然遮断して脅しをかける。相手が拒否すると力を誇示して脅し、実際に、暴力を振るう。
ヤクザの賭博は、始め儲けさせて、深入りしたところで、根こそぎ剥ぎ取る。うまく取れなければ夜道で襲う。全く同じだ。

中国に儲けさせて貰った政治家も商売人も、日中友好を盛んに唱える。
日中友好は市民レベルでは成り立つし、大いにやるべきだと思う。しかし、どんなに魅力的な娘がいても親分の娘と結婚すれば、親分の枠の外に出ることはできなくなる。
今やるべきことは、親分の娘を目覚めさせること以外にない。そして、これは極めて難しい。 始め迎合したように見せ、親しくしながら親分に気づかれないように、娘に解らせていく。
ところが、親分はそれを承知で、娘を監視しながら親しくさせている。既にミイラになった政治家や商売人も親分に加勢する。

これを書いている最中、ふと見ると、日本は「仇の一家に生まれた、美しい娘のよう」だから、日本に移り住みたいという中国の記事が紹介されていた。
仇の日本の親はとっくに死んで、もう、ひ孫の世代だが、そう言っている中国の、ヤクザの親はバリバリの現役だ。


木星移動

2019年10月22日 | 星の流れに

射手座の木星も12月3日にはヤギ座に移る。影響圏も考えれば、11月にはヤギ座の木星の影響が現れてくる。
現在、ヤギ座には土星、冥王星が居るから、中国は自らの野心のために、様々な難しい相手と渡り合い、苦しんでいる。そこに、今度は木星が加わる。
現在まで、木星を相手にしていたのはアメリカだから、中国がどうなるかは、そこから推察できる。
この一年、双子座のアメリカもトランプも、各方面に色々と仕掛けたが、大騒ぎの割には得るところが少なく、くたびれ損の結果になった。

中国も、おそらく、これまでの苦しさを打開するために、攻勢に出るだろう。始めは功を奏しているように見えるが、結果は、くたびれ損になる。

一方、射手座の木星は航空業界の問題を暴き出し、交通問題も大きな話題になった。
飛行機の墜落や航空会社の経営危機、あおり運転や高齢運転、脱線事故、自転車事故など、射手座の事件が相次いだが、木星がヤギ座に移ると、相場や葬儀、通貨や刑務所、政治や経営など、ヤギ座の問題が話題になる、ネズミも話題になるかも知れない。
射手座は亥と同じで、ヤギ座は子と同じ。今年はトンコレラが流行ったが、来年はネズミの災いが話題になるだろう。ペストだけは御免蒙るが。

即位で恩赦55万人が話題になっているが、これなども、ヤギ座の徴候と言える。
ヤギ座は、土星の束縛を意味するので、刑務所や鍵、刑罰に関わる。木星は解放を意味する。
徴候といえば、先日の台風で、ネズミが大量に出てきたそうだが、これも徴候だろう。
ヤギ座を相手とするカニ座の中国はこれまで、冥王星の魔王トランプや、束縛の土星の貿易関税に苦しんできたが、法の木星が近づくとWTOの判定を根拠に、アメリカに報復関税を課す。南シナ海で国際法違反と言われ、「紙くずだ!」と、法を無視して要塞作りをしている中国が、法に訴える。なんたるデタラメ、なんたる面白さ。

木星が射手座の時、火星が180゜の双子座に来て、日本のF35が墜落するという、射手座の大事件が起こった。この先、木星がヤギ座中に大きな事件が起きるのは、180゜になる時が無いので、2月後半~3月の、火星ヤギ座の影響が大きいだろう。もっとも、6月以降火星がヤギ座カニ座に90゜の牡羊座に長居するので、これの方が重いかも知れない。日本にとってはこちらの方が危険だ。
そもそも中国との関係が難しいのは、たがいに活動宮で、苦しい時が同時に来る関係だからだ。


京都の人

2019年10月21日 | 京都&ケンミン文化

京都の人は意地が悪いと言われているが、これは、大阪を中心とする京都周辺の近畿の人が吹聴していることだ。
京都人もこれを気にして、「京都人は・・・」と聞いただけで、「(ハイ、ハイ)そうですねえ、京都のぶぶ漬け言いまして・・・」と、言われる前に自分から話して、その話題をスルーしようとする。

京都人ではないが、京都に半世紀暮らして、わかることがある。京都人は言われるような意地悪ではない。その上、やはり、千年の都の都会人だ。
大阪は人口や経済から言えば大都会だが、歴史的にも文化的にも、京都との関係は都心と周辺都市の関係になる。
現在の東京都心と周辺都市のようなもので、生活サイクルも価値観も違う。ことに、昔は交通圏も狭く、東京圏のように通勤するような空間ではなかったから、より文化の差が際立っていた。

大阪から見ると、京は現在の東京ぐらいの感覚で、良く解るような気のするライバルで、実はさっぱり理解できない人々だったのだろう。
京都人からすれば、昔から大阪人の吹聴する、京都腹黒説は、韓国の日本腹黒説と同じで、もう勝手に言ってくれの、日本人の諦めに近い。

近頃は、中国人観光客が激増し、日本人から見ると、戸惑うばかりだが、中国では、日本のことをべた褒めする話が多い。これは、東京発信のTV、雑誌で、やたら京都を持ち上げるのと同じだ。観光客というものは、せっかく行くのだから、観光地に特別な夢や伝説を求めている。しかし観光地は、そこに住む人にとっては日常だ。
ところが、そんな夢の地でも、実際に関わりが深くなると、夢の反動として、自分の勝手な思いが裏切られたと、かえって怒りを生む。

日本との関わりが深い韓国が日本に対して、異常なまでに敵意を持つのは、日本が良いこと「だけ」をしてくれなかったからであり、今でも日本から利益を上げながら、日本から搾り取られていると思い込んでいる。
近場で関わりが深いと、良いことも悪いこともあるのは当然で、自分の思いと違えば、相手に与えたストレスや損害を顧みず、相手の欠点だけを非難する。
これが、大阪人の京都腹黒説の本質だろう。韓国人が日本を非難している内容と、大阪人が京都人を非難している内容は、とてもよく似ている。

京のお茶漬け
京都人の腹黒を象徴する話として、帰ろうとすると、
「まあそんなことを言わんと、ぶぶ漬けでもどうどす」と言われて、せっかく勧めてくれるのだから、急いでいたけど食べて帰ったら、後で、礼儀を知らん人やと陰口をたたかれた・・・が有名で、落語まである。
これは、礼儀作法のルールを心得た都会と、そうでない人とのギャップで、単純に、絶対、食べてはいけないというわけではない。
基本のルールは、相手に迷惑をかけない、気遣いをするということだ。
人に迷惑をかけないのが、日本の都会ルールだが、中国では互いに迷惑を掛け合うのが親しさの尺度だ。日本でも一昔前の田舎では大体これだった。
おそらく昔の大阪人も、親しくしてくれたと、お茶漬けを喜んで食べたのだろう。

中国人が日本人に嫌われる、無神経や図々しさは、外から来た人が誰でも、知らずに「やってしまう」ことだ。これは文化の違いで仕方ないことなのだが、日本人が自分の文化を基準にして、「中国人は」と、陰口をたたく。
大阪人と京都人の溝は、昔、この様にして始まったのだろう。
江戸っ子の原点は、家康による大阪人の移住によると言われている。言葉は違うが、非常によく似た素直さがある。また、大阪は中国ともよく似ていると中国人は言う。大阪弁は遠くで聞いていると中国語に似た抑揚がある。ちなみに、東北から関東の抑揚は朝鮮語やモンゴル語に近い。

京都は関西弁ではあるが、京都の公家文化はモンゴル系の家父長文化であり、部族的な閉鎖性がある。内輪は大切にするが、族外を受け入れない。しかし、大阪は海を通じてどこからでも人が集まり、組織秩序にはあまり関心が無い。
こうしたことも、大阪と京都の軋轢を生んだのだろう。これも、大陸と日本の軋轢、葛藤と同じ構図だ。

大陸から日本に来て溶け込もうとするなら、郷に従う、つまり、土地の人、土地の価値観、やり方を尊重することから始まる。華僑を文化とする中国人は、その原理をよく心得ているが、韓国人はほぼ自分の目線でしか状況を見ない。過剰な期待や利害対象の駆け引きが先行する。
したがって、中国人は時間をかけるほど大きなトラブルは起こらないが、韓国人とは時間をかけるほど軋轢を生む。

京都と他地域の関係はこれに似ている。大阪人は自分たちの価値観を曲げることを考えていないから、京都に溶け込めない。東京人は他人に迷惑をかけない都会ルールがあるし、京都を異文化として尊重するから入り込めるが、最後まで住人として同じ目線には立てない。
これに比べ、地方出身者はかなり京都に溶け込める。東京が地方出身者で成り立っているように、京都も、歴史的に地方出身者を受け入れて息づいてきた。
地方から首都に出る者は、そこに溶け込むつもりで生活を始める。首都文化に対抗するものを持ち出さない。しかし、自分の出身地が一つの秩序原則を持っている土地から来た者は、その土地のルールを認めない。日本に対する中韓であり、京都に対する東京大阪だ。中国と東京には中心意識のゆとりがあるが、大阪と韓国には中心ではないコンプレックスがある。京都を嫌う大阪は、明治以降は東京を目の敵にし始めた。

ところで、京都で「お茶漬けでもどうです」と言われて、震え上がる必要はない。
大切なことは、お茶漬けより、その場の状況をよく判断することだろう。
時間は?場所は?それまでの経緯は?相手はこれから何をするのか?・・・そういうことをよくよく考えてみれば解る。京都人はたがいの尊重、気遣いを愉しんでいる。


東京の人

2019年10月19日 | 日記・エッセイ・コラム

きゃりーぱみゅぱみゅを調べていたら、東京出身だった。都下だから江戸っ子とは言えないが、やっぱり、東京の雰囲気がある。
何時も思うのだが、東京出身のタレントは皆、さっぱりして、イヤミが無い。
地方から「成り上がってくる」には、それなりの根性が要るのか、地方出身者に、のほほんとした人などいない。どんなに感じの良い人でも、必ず、どこかで意地や妄想癖、抜け目無さが垣間見えるし、大博打を打つこともある。

ところが東京出身のタレントは、地方(田舎者)の価値観で、中傷されることはあるが、実際には誰一人、(勝ち気ではあるが)そんな地方的な複雑さや卑しさがない。ハナから知らないのだろう。
中でも無類のお人好しだと思うのは、江利チエミ、青江美奈、田代美代子、伍代夏子などの女性歌手で、話や笑いに、全く駆け引きを感じられない。
また、男性の歌手では、伝説の藤山一郎を始め・・・と書きかけたが、一世風靡するほどの歌手が見当たらない。デーモン閣下やアルフィーなどいくらでもいるのだが、何かインパクトが薄い。女性歌手にしても一世風靡するほどでもない。たとえ、一世風靡しても、なぜか存在感が薄い。
仮に「ゴッツイ」のが出てきても、実は、親が地方出身だったり、途中で他府県で育ったりしている。

これは、東京というハレの場が地元であるため、地方から上京してくる時の、覚悟のようなものが要らないことが大きいのだと思う。同じ事は、二世タレントにも言える。
しかし、何と言っても、「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し大口は叩けどはらわたは無し」が、今もあって、交通網の発展でそれが、東京全域に広がっているようだ。
同じ東京圏でも神奈川や埼玉、千葉は、近いだけに、なおさら「東京ではない」意識が、コンプレックスになり、やはり、少しひねたところ(自意識)がある。しかし、まあ、関西や九州ほどではない。

「東京には負けん」という関西意識は、当の東京もんには、何を言っているのか意味が解らない。大阪都構想の発想も、対等意識と負けてる意識の弟妹型発想で、都構想の理屈は解っても、何か筋違いのような恥ずかしさがある。もっと別な発想もありそうに思える。
九州まで行くと、都(みやこ)は対等ではなく完全な目標で、地元に根付く上で必要な「中央」の存在になる。大和朝廷時代からの世界観だろう。
東京には九州出身者も多く、この異文化が、実は東京の活力と維持を支えているのだと思う。そのことは同時に、東京の保守性と権威主義の根となり、「地方意識」が支える国家として、世界における日本のリーダーシップの欠如ともなっている。最大の欠点は、役人や大企業を始めとする、内輪での足の引っ張り合いで、イジメや村八分は地方の暗黙の掟だからだ。

談志だったと思うが、嫌いなものは「東京にいる田舎者」と言っていた。これは、おそらく、江戸っ子気質を理解しない、地方意識の人間のことを指しているのだろうと思う。
権力争いやタテ型思考、他人への否定的干渉、束縛と従属・・・など、地方のルールのまま思考する人間を、無粋な輩だと思ったのだろう。
どうも近頃、こういう窮屈な文化が広がっているようで、うんざりする。


大当たり

2019年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

こんなことを書くと、ふざけるなと言われそうだが、大真面目な話だ。
ロボットに熱心な日本は、ペット犬アイボよりも、パンダやコアラの精巧なAIロボットや、何と呼ぶべきか分からないが、いわゆるダッジワイフやダッジボーイ?のような癒やし?AIロボットを製造輸出すべきだ。

パンダの見た目、仕草の愛くるしさは、世界中の人気ぶりで証明されており、中国は侵略して盗んだパンダを、国宝級の外交ツールに利用しているぐらいだ。パンダ同様、抱っこちゃん人形のようなコアラの愛くるしさは誰でも知っている。
どんなに可愛くても、パンダやコアラは家では飼えない。パンダは中国に様々な借りを作り、多額のレンタル料を払い、もしも死んだりしたら、様々な責めを負う。それにエサも糞尿の始末も大変だ。第一、デカすぎる。コアラもエサや糞尿も大変だが、何よりストレスに弱くてすぐ死んでしまう。

アイボを毛皮で覆わないのは、見た目の好みでの拒否感を避けるためだろうが、パンダやコアラは、見た目の好みが決まっているわけだから、そのままで良い。あるいは、もっと人工的な、ぬいぐるみ風の方が、本物そっくりより人気するかも知れない。
こんなものが実際に本物と同じ態度を示し、その上対話の相手をするとすれば、いや、しゃべらない方が良い人もいるかも知れないが、とにかく世界制覇するぐらいの人気商品になる。
日本の企業は何故、本気でこういうものを作らないのだろう。

古今東西
「世に盗人の種は尽きまじ」と同様、「世に売春の種は尽きまじ」。
人類史上、古今東西、姿や名前は違っても、売春が無かったことはない。最も伝統的、普遍的商売が売春だ。
元々、動物は選良手段の意味が大きいのだろうが、性に代償を求める。そして、人間はそれをビジネス化した。ここが高等知能の一端で、それをまた、高等知能は、弊害を抑制するために禁止したり、逆に立派なビジネスとして成功者を尊敬したりした。

売春する人がいない場合は、それに変わる道具を用いるのも、古今東西、変わらぬことで、それを人形にまで発達させたものを、「くだらないもの」と見下すために、おそらくは英国人がダッジワイフと呼んだのだろう。英国人は自分たちの価値観と違うものに何でも「ダッジ(オランダ)」と差別した。(ダッジカウント=割り勘)

最新機器が市場に普及するとき、最も大きな動機付けになるのは、エロであるのは紛れもない事実で、例えば、ビデオという響きは最初の頃、何となく大声では言えない雰囲気さえあった。他の機器にも全てその影が付きまとっている。
何か新しいものを見ると、人間は先ず、性的快楽に使えないかと考えるらしい。それぐらい好きなのだ。
したがって、表向きはまだ出回っていないが、水面下では、必ずロボットもAIも、利用が熱心に進められているはずだ。

この分野は、さすがに大手企業は大っぴらに研究できないだろうし、第一、売り出すこともはばかられるだろうが、ベンチャー企業なら可能だ。大手企業の息の掛かったベンチャーでも、もし、これに成功すれば、GAFAに負けない利益を上げることになるだろう。それどころか、世界を支配することになる。
まじめに、まじめに、やって欲しい。 かしこみ、かしこみ、まおす


発想転換

2019年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

前にも書いたが、映画「ナポリと女と泥棒達」は、ハイテクを駆使するアメリカ人より、ただのワルガキの方が効果的なことができる話だった。
文明人は、何か問題があると、使えるすべての知識、最先端の技術を用いて解決しようとするが、これは大きな盲点であり、「灯台もと暗し」と嘆くことになる。
物事は、先ずシンプルなところから考えてみるべきだ。

先日、サウジの要塞とも言える石油施設が、ドローンであっけなく破壊された。ミサイルもあったようだが、ドローンだけでも十分効果があった。
このブログで、かねがね言ってきたことだが、原爆やミサイルで無くても、日本は原発を攻撃されたら、全土が壊滅状態になる。しかも、その攻撃は、ラジコンやドローンだけで簡単にできる。
また、アメリカ式のハイテク発想は、「鉄砲の弾を鉄砲の弾で撃ち落とす」ような発想にこだわり、莫大な金をかけた「兵器」を作って、日本に売りつけている。
はっきり言って北朝鮮が本気で攻撃してきたら、これらの武器は「屁のツッパリにもならない」ことは、誰の目にも明らかだ。

兵器だけの問題ではない。あらゆることに、シンプルな発想が欠け、問題解決策がさらなる問題を導き出している。
軽減税率などという、意図的ごまかしなのか、本気のこだわりバカなのか、訳の分からないことを繰り出して、問題解決だと考えている。

全てがそうだ、大きな問題は、原点に戻って考えれば、意外な解決法がある。
相次ぐ災害も、エネルギー問題も、高齢化や少子化問題も、抜本的発想の見直し無しに、旧概念のまま解決しようとするから、ますます抜き差しならなくなる。
博打や戦いには、流れや勢いというものがあって、負けが込んだら「休んで」考え直すのが王道だ。誰に何と言われようと、どんなに悔しかろうと、一端、逃げ出すことが「勇気」なのだ。

消費税はややこしいことをせず、消費税停止のモラトリアムをやったらどうか。
高齢化は、実は昔の翁媼の熊手・ホウキ姿に答えがある。年寄りはそれなりに働いていた。
少子化は、「嫁いで子を産む」父系社会の一夫一婦制が間違っているので、日本古来の母系社会に戻れば一発解決だ。
防災は、江戸以前の知恵で良いのでは。家に金をかけない。財産を持たない。とにかく逃げる。
国防兵器は、電波制御とレーザーの、「盾」に集中するのが一番金が掛からないと思うのだが。
とにかく、国防上も原発のような危険物は、先ず無くそうよ。これ自体、とんでもない金銭リスクだし、東電、関電を見るだけでも、弊害の巣窟だ。


上昇条件

2019年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

日本が反発上昇する為に、先ず整理しなければならないのは、平成の30年間に慣れてしまった、「縮み思考」だろう。
美しい日本や高い民度、クールジャパンの自己陶酔の夢の陰で、イジメやハラスメントの集団的束縛が広がり、留学や海外赴任を嫌う内向き社会ができあがり、大企業や役人の事なかれ主義が蔓延し、経済を萎縮させている。
これは全て、バブル崩壊後の冬の時代に身についた、冬眠生活であり、春が来たらすっかり脱ぎ捨て、新しい衣で、夏に飛び出さなければならない。

先ずは、国民や企業に欲を出させる抜本的な規制改革が必要だ。
東電、関電の醜態は、エネルギー政策の大転換が必要だと告げている。また、大企業の内部留保、相次ぐデータ偽装、イノベーションの不毛は、保身だけに生きる冒険心の喪失、縮み思考であり、この冬眠状態から目を覚まさなければならない。
刺激策も、金融緩和ではもう限界だ。企業の大幅減税と同時に、内部留保に直接、課税できないものだろうか。
国民に、貯蓄から投資にと呼びかけても、投資先の企業が溜め込んでいたのでは、始まらない。

政治家は、軽減税率やクーポンのような、せこいバラマキではなく、ビジョンを示し、エネルギー政策の大転換や、学制、婚姻制度などの柔軟化など、社会概念の根底を変える時だと解っているのだろうか。
橋や水道の公共インフラは、修復ではなく新設と考えなければ、エネルギー同様、時代に合わなくなっている。
そうでなくとも、何も無い新興国ほど新技術を導入しやすく、日本のような老成した国は立ち後れる。技術を持ちながら、負の遺産である利権構造に縛られ、日本の社会変革は相当遅れている。
「維新、維新」と口では言うが、明治の初めのように、社会構造とインフラの、一からの建設は誰も手を付けられない。

不可能に思えることも、思い切って始めれば、企業も国民も遅れてはならじと動き出す。
これだけ災害が続いても、本気で世の中を変えようと思う政治家が現れるには、これ以上、東日本より大きな災害や、大恐慌でも始まらなければならないと言うのだろうか。
何かと言えば、「この令和の新しい時代に、」と言うが、「令和」と名前だけ変えても、新しい時代が来るわけではない。


反転上昇

2019年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログを始めた頃から、思いつくままに・・・
「狭くなる地球の中で、島国という閉鎖環境で築いた日本の文明文化は、これからの世界の手本になる」と、何度も書いてきたのだが、やはり、そういう状況があるようだ。
10月2日、ニューズウィーク日本語版で、ピーター・タスカと言う人が、
「世界的低迷を”日本化”と言われるほど、不景気の最先端を走ってきた日本は、最も可能性がある」と書いていた。
経済記事の一端だから、経済的分析で、
「日本こそが不景気を生き抜いてきた強者であり、高齢化・少子化などの環境の悪さが、かえって反発の力になる。日本人は楽観すれば良い」と、何事も悲観的な日本人を元気づけていた。

占いの周期から見ても、これから日本は上昇局面に入るし、閉塞的な環境で上手に生きるノウハウがある。日本人は、小さな世界で、面白おかしく生きてきた。
小さくなる今後の地球は、温暖化防止が間に合うのか、宇宙大航海時代に活路を開くのか、おそらく、非常に大きな変化が起きる、この10年に掛かっている。
今は、天王星周期で言えば、世界秩序が大きく変わった、第二次大戦前夜に相当する。

今回、日本に代わって主役になるアジアの新興国は言うまでもなく中国だが、日本はいかにして巻き込まれないかが重要だ。しかし、どんなに注意しても地球規模の大乱に全く無関係ではいられない。
この核の時代に、まさか大国同士の戦争はないだろうが、北朝鮮を代理戦争に使うことはあり得る。できれば日本は関わりたくないが、政府は進んで、何が何でも関わろうとしている。
国民の感情を捨てて国益の観点で見れば、日本がもし、そんなことはないと思うが、拉致問題だけで北に関わるのだとすれば、これは果たしてどうなのか。誰もその点を言い出せないことが、既に日本は負けているのではないか。
不幸や悲劇は色々ある。御巣鷹山の一機で500人亡くなり、東日本大震災では2万人の死亡・行方不明者を出し、いまだに避難者が5000人いるが、相変わらず原発の利権がはびこり、汚染水処理の見通しも立っていない。我慢強い東北の、沈黙の被害者は現在どれだけいるのか、それすらもわからない。
日本にとって最も重要なことは何なのか、すべての国民が目を覚ます時が来ている。


時が無い

2019年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

明らかな温暖化で、日本の亜熱帯化が進み、まるで日本列島が南に動いているようだ。
台風15号の千葉の大停電を見て、これはもう、少なくとも太平洋岸は、沖縄様式の生活が基準になるのではないかと思った。
しかし、これまで、いつも台風に晒されている沖縄は、どんな生活様式で対応しているんだろうと不思議に思いながらも、真剣に調べることはなかった。

今回、超弩級の19号が、再び関東に接近するのを前に、NHKで沖縄の家庭の対策を紹介していた。氷を冷凍庫に入れて置いて、停電になったら冷蔵庫に移して戸を開けないなど、ほんの少しだったが、なるほどの知恵がある。
これから太平洋岸は、家屋、インフラ、生活の仕方に至るまで、沖縄方式を見習わなければならない。
家は鉄骨やコンクリートに補助金を出し、入母屋の瓦屋根に代わる新形式が必要だ。都市計画も南国を前提にやり直しだ。
集合住宅を工夫するなど至る所に避難所を設け、一級河川はもっと掘り下げる必要があるのではないか。
もしかしたら、別ルートでも水無川を作っておき、スポーツ競技場や家庭菜園、あるいはコミューター飛行場として使用する、そして、非常時には流れを分ける。それと共に、生活文化全体を改めていく。

とにかく、これまでの常識が通用しなくなっているのは、気候だけではない。
技術革新により、価値観など、世界情勢が大きく変わる中、過去を前提に「改革」を目指していたのでは、時と財を失う。結局は全く新しい姿をイメージして、現存のものと置き換える「革新」のつもりにならなければ、全てが首都高速のように、抜き差しならない事になってしまう。
そして、大衆は「革新」を嫌う。みんなを喜ばす政治家では、日本を救えない。時間は残っていない。


反日精日

2019年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

中国では、自分は精神的日本人だとして、日本軍姿をネットに上げたりする「精日」と呼ばれる若者がいて、当局が躍起になって取り締まっている。
この現象を理解できない当局や、愛国中国人は、日本アニメのせいだとか、日本が先を行き、中国が負けているから、日本に憧れるのだと考えている。

何時も言うことだが、人間は自分の思考でしか物事を理解できない。
上下、勝ち負けしか尺度のない中共軍事帝国では、トップが「上へ、上へ」と上り詰めてきただけに、「多様性」の概念が皆無であり、様々な生き方の共存を理解できない。
自国内の地域性はおろか、世界の国々が様々な有り様を保ちながら、対等に存在するということを許容できない。共存の仕方を知らない。
国内の全面中華化を強制し、チベット、ウイグル、内モンゴル、果ては二制度を公約した香港どころか、台湾、日本まで、中華共産党の細胞にしようとする。
(近年、医学的にも、人体は脳からの指令だけで動くものではないと解ってきたのだが)

物事は「極まれば転ずる」と考えるのは、そもそも古代中国の哲学だ。天然自然の摂理はバランスで保たれており、自然物である人間も例外ではない。人のつくる社会、人文もバランスに流れる。上下や勝ち負けという、一辺倒な価値やイデオロギーは必ず破綻し、真反対や別次元のものが現れ、偏った世界を調和しようとする。
お堅い家庭に、ロック少年が出てきたり、自分の性を否定する子供が出てきたりするのは、家庭があまりにも固まっているからだろう。
中国の反日は国策として、あらゆる分野で強いられ固まっている。多くの中国観光客が来日している現在でも、中国社会では、大っぴらに日本に行くとは言い出しにくいぐらい反日が覆っている。

これだけ、朝から晩まで、どこに行っても反日を聞かされていれば、若者の反発精神が刺激され、何の根拠がなくても、あえて反対の立場を取る。
中国共産党という硬直化したバカ親は、それをまた容認せず、押さえ込もうとする。
ここでまた、中国の古い教えが機能する。極まれば転ずる!
自分たちの基準に合わないものを押さえ込むことで、中国は自ら傷つくだろう。
硬直化した毛沢東世界から、改革開放路線を取ることで、反転上昇した中国経済は、習近平という毛沢東のゾンビによって、再び挫折するだろう。しかも、山高ければ谷深しの格言さえも見えてくる。
問題は、大きな山車が倒れたら、ケガ人が出るということだ。


宣伝戦争

2019年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

原発処理水に苦しむ日本を、またも韓国が大々的に叩き、吹聴し、世界に同調を誘って、それなりに成功している。

一向に見通しが立たないのは、様々な因果関係があるのだろうが、FUKUSIMA事故に連動する恐怖印象に、世界的理解が進んでいないことがあって、これもまた、日本の宣伝下手に起因している。
宣伝下手の元を正せば、何事も事なかれの隠蔽体質があり、良いことも悪いことも、とにかく語らないことが災いしている。韓国のようにとりあえず騒ぎたてるのも問題だが、最低限、何も知らない相手には、いち早く説明することは大切だ。

慰安婦問題も、日本海呼称も、竹島も、旭日旗も、世界にわかりやすく、様々な手段で説明したのだろうか、印象作りをしたのだろうか。
始めから宣伝戦争のつもりで仕掛けてきている韓国の、形振り構わぬ大騒ぎをバカにしている内に、韓国説がすっかり世界に定着してしまい、処理水問題でもまた、「迷惑行為の日本」が作られつつある。
事ここに及んでは、処理水はその必要がなくても、大向こうの目をにらんで、地中深く埋めて見せるしかないのではなかろうか。世界がそのパフォーマンスを納得するならだが。

今はどこからでも温泉が湧くほど、掘削技術が進歩している。一体どれほどの深さまで掘ることができるのか知らないが、1万メートル以上の記録があるそうだから、2000や3000mなら掘れるだろう。
素人としては、地下空洞のある地域を掘削して流し込むことは、技術的には可能なのではないのかと思うのだが、それにも何らかの社会的障害があるのだろうか。
原発という大借金の愚かしさを棚に上げても、とにかく目の前の「高金利」を何とかしなければ、何も始まらない。


即物帝国

2019年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

占いは古代の思考法だ。データを無視して答えを出そうとする。
中韓の、勘や決めつけによる状況判断は、占いと同じ古代世界だ。しかし、中韓の経済発展を見れば、古代方式が常に間違いでもないようだ。
古代中華思考は物事の中身まで踏み込まない。目の前にあるものをそのまま利用する。同じ古代思考でも、中身まで踏み込んであれこれ思索する大乗仏教は、発祥地から見てもやはりアーリア系なのだろう。
モンゴル系は、内面世界には無関心であり、中華文明には思索的な宗教は根付かなかった。
ちなみに比較傾向として、モンゴル系はB型が多く、アーリア系にはA型が多い。インドも日本もAB型が多い。

中韓の決めつけ思考は、事実や道理より、現金な結果主義だ。
要するに・・・食えれば良く、儲かればよく、勝てれば良い。プロセスやモラルを語るのも、方便・兵法に過ぎない。戦争や金儲けにモラルなどない。
中国の場合、歴史的に周辺諸国に対し優位だったから、まだ、自省的なゆとりもあるが、朝鮮のように汲々とした歴史を経てきた文化は、より徹底している。何が何でも生き残りこそが善であり、モラルや形振りなど、考えるゆとりがない。
金儲けのためには、どんな手を使っても恥じることはない。人には「恥を知れ」と言うが、それは相手がそこに引っかかるから、その言葉を利用しているだけで、自分にはそんな概念はない。どんな高尚な言葉も、単に利用する知識であり、自分がそれを噛みしめ実践するためのものではない。だから、言葉や知識は、博識で雄弁だ。

中韓の、あっという間の経済発展は、何から何まで、目の前にあるものを躊躇なく利用したからであり、そこに、一切のモラルなどなく、先進国をうまく引き込んで、簡単に手に入れたものだ。
パクリだと言われようが、全く動じることはない。逆にその才能を誇っている。
先進国に落ち度があったとすれば、「助けてあげよう」などと上から目線で、ゆとりをかましていたことだろう。

うわべだけの発展
貧困にあえいでいた中韓が、豊かになるのは良いことだ。しかし、豊かになって中国が始めたことは、支配の野心、争いの拡大、軍事力の拡大だ。しかも、対抗してやむなく始めた日本の防衛拡大に、「日本が侵略の野心をあらわにした」と罵る。 これも、「あるものは全て利用する」古代兵法の伝統で、自分を棚上げするのも兵法だが、物理的支配関係や共存はできても、内面世界を互いに理解し合う、融和には関心がないようだ。
西欧と日本が通じたのは、何よりも精神的相互理解があったことが大きい。

中国のやっていることは、日本の明治維新、欧米の植民地主義の周回遅れの追随だ。周辺国を侵略し、アフリカを植民地化しようとしている。一帯一路も列島線戦略も、明らかな侵略主義だ。
これに対抗するのに、日本が軍事力を強化しても、あまり意味がない。無駄な出費そのものが、大国の思うつぼかも知れない。
最も有効な手段は、世界との調和を中国共産党首脳部に解らせることだが、難しいだろう。もっと有効なのは、「あらゆる」情報手段を用いた世界的宣伝戦、世論作りだ。この面での共同作戦は、合同軍事訓練より重要かも知れない。

メンツを気にする中国は、世界のすべてが批判すれば方向転換するし、金儲けに支障が出れば動けない。それは、現在の香港への姿勢が物語っている。
だが、それよりも先に、中国共産党に手痛い一撃を食らわせているのは、植民地化を目論んだアフリカからの、「アフリカ・トンコレラ」かも知れない。


女難の相(3)

2019年10月09日 | 占いばなし

結婚生活における不和の多くは、少なくとも一方が、ストーカー的な思い込みを妥協しないことに始まる。
結婚生活は、始めたときから、恋愛時の夢を捨てて、二人で一から現実的な共存ルールを築いていかなければならないものだが、ここに気づく人は、よほど賢明な男女だろう。何しろ今の今まで、互いに夢を見て結婚したのだから、「さて今日からお互い別の人になって」とはいかない。
したがって、皆、時間をかけた後、挫折と諦めからようやく現実を理解するのだが、それさえも、賢明な人だけだ。
女性の方が性に関わるストレスが多いためか、恋愛願望が強く、理想を変えないので、失望が大きくなる。簡単に現実に帰る男性は、生活のあり方を、伝統的男性社会に頼ろうとする。

結局、女性の夢と、男性の伝統への甘えが衝突することになるが、男性の中には女性の夢を受け流し、適当に調子を合わせることで、ひたすら女性に夢を見続けさせる「テキトー男」もいて、近頃はこれが増えているようだ。
自由恋愛の無かった昔は、例外はあったが、女性は個人的な理想を持てず、男社会の枠にはまる「花嫁」を理想としていた。当然、男性も伝統に従い、家のことは妻の権限として任せておく方がうまくいった。だから、むしろ家に関わらない「テキトー男」こそが賢明な夫と言えた。

今日、女性の夢に逆らわず、従う男性は多いが、男社会の伝説の消えた時代では、男性はほぼ一方的な従属を強いられる。ギリギリの食事代で会社に通い、休日には家族に奉仕し、飼い犬には順位最下位に見下される。
「テキトー男」になろうにも、育児、家事も強いられるから、テキトーでは済まなくなる。
共稼ぎなら当然の家事分担だが、専業主婦までが分担を主張する。
しかも、ここが一番の問題なのだが、男性の家事、育児を主張しながら、多くの場合、女性のやり方を前提とし、それと少しでも違うと邪魔者になる。
結局は女性を大将とする子分になるか、男性が全面請け負うしかなくなる。

テキトーでは済まない状況に、男性の方が本気で役割分担を主張する時、今度は、スムーズな話し合いはほとんど成り立たない。
これが、女性におけるストーカー的独善で、すべての人ではないが、自分自身がストーカ的こだわりに囚われていることを認識する人はいないし、また、認識するなら、そうはならない。