魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

自転車で始める運送屋

2008年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム

十年以上、不思議でならないことがある。
なぜ、派遣社員は集まって、派遣会社を作らないのだろうか。
(何の会社でも良い)

派遣の待遇や、企業側の論理が話題になるたびに、
どうにも解らない、
自分の認識不足だろうか、頭が悪いのだろうかと悩んできた。

明らかに不利なピンハネをされながら、なぜ、自己防衛をしないのだろう。

しまいには、蟹工船の話や組合まで出てきた。

企業は自然物のように、昔からそそり立っていた山ではない。人の意志が作ったものだ。
意志が集まれば会社はできる。派遣社員には様々な能力があるのだから、集まって話し合えば、たちまち、会社運営は始められるはずだ。

派遣会社や雇用先に、組合を作って対抗するぐらいなら、
自分たちで派遣会社を作って、その派遣社員になったらどうだろう。
自分たちの会社なら、経理内容も解るし、固定給も確保できる。
ただし、それには経営者としての我慢や苦労を味わうことになる。

仕事がなければ売り上げが出ない。売り上げがなければ全員、飯が食えない。そうなると、何とか仕事をつくらなければならないから、新しい仕事を考えたり、営業に必死になる。

お金を稼いで飯を食うとは、元来そういうことだ。
誰かに言われたことを決まった時間やれば、お金がもらえる。
お金を出さないから首になるから組合を作るという、一世紀前の発想は、自ら進んで歯車になる奴隷の発想だ。

派遣社員という形態を受け入れること自体、仕事を歯車になることと錯覚した上で、派遣は「自由な生き方」だと納得する、敗者の夢だ。
それを否定するものではないが、組合を作るぐらいなら、会社を作る方が、自立への道だろう。

シジミ売りから始めよう
バブル時代のお遊び会社ではなく、こんな時こそ、自分たちで集まって会社を作る時だと思う。

戦後の混乱期は、就職先など無かった。闇市が最大の働き先で、若者は様々な知恵を絞って金を稼いだ。
その頃の人が話してくれた。理系の学生だったので、魚のカスを絞って石鹸を作って売りに行って大もうけをしたが、ある時、石鹸からウジがわいてしまった。

会社がどんどんつぶれるような時には、文句を言っているより、自分たちで仕事を創り出すほうが手堅い。もしかしたら大発展だってあるかもしれない。自転車で始めた今日の大運送屋もある。
農業、介護、地域輸送・・・社会変革の時にはいくらでも新商売がある。

こういうことを言うだけで、機関銃のように批判されそうだ。
世の中の発想自体が、化石のようにがんじがらめに固まっている。