魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

戦争英雄

2022年05月26日 | 日記・エッセイ・コラム

ウクライナ戦争
この戦争をどう呼べばよいのか解らないが、露西亜(ロシア)、宇克蘭(ウクライナ)の戦争で「露宇」戦争と呼ぶらしい。しかし、ロシアが劣勢なら、「宇露」戦争で、長引くようなら「ウロウロ」戦争だ。

戦争には大義が必要だ。命をかけてまで参加する国民、それを見守る他国の賛同、そうした諸々のエネルギーが集約できてこそ、完遂、勝利につながる。戦争は始めから非道であり、道理などどこにもない。
その非道を行うのだから、人々を納得させる説得力が大義となる。正義などはどこにもない。勝った側が正義となる。したがって、正義を信じて戦う国民は、単に、説得されているに過ぎない。

このウロウロ戦争は、もはや、グダグダ戦争になっている。
仕掛けた側のプーチンは、国民の支持に甘えて始めた。国の内外に何ら、大義を説得することなく、自分の思い込みだけで決行した。
一方、ゼレンスキーは国際的な状況を直視することなく、政治的な知恵を絞らず、願望だけを叫び続け、結果的にプーチンを挑発した。
しかし、戦争も喧嘩も、先に手を出した方が悪になる。浮気三昧、罵詈雑言の女房でも、手を出した亭主は罪に問われる。世間はなぜ手を出したかまで、亭主の心情など考えない。

ゼレンスキーは英雄だ。先に手を出したロシアに、敢然と立ち向かう姿を華々しく見せ、ロシアの残虐行為を晒し、正義の戦争に味方しない国も悪だと非難した。
世界中の国が慌ててウクライナを支援し、武器と金を送り込んでいる。
今や、ゼレンスキーは「だから、ウクライナをNATOに入れろと言ったじゃないか」と、声高に罵り、「ウクライナ全土を奪還する」とまで言いだした。

この状況を、何かおかしいと思わない人は、1941年12月8日に居合わせれば、「ああ、スッキリした!」と言う人だろう。
戦争という無益な殺戮を直視することなく、心情に従う行動は、政治的妥協を理解できないゼレンスキーらの「戦争英雄」と同じだ。
日本の世論でも、ゼレンスキーを讃える意見ばかり見受けるが、プーチンが暴力亭主なら、ゼレンスキーは罵詈雑言の悪妻だ。ただ、芸達者で宣伝上手の若い女房に、老いぼれ亭主は歯が立たない。

ウクライナ人はコサックの末裔であり、コサックは猛勇で知られるが、歴史的には、大国に牛耳られ、傭兵として生きてきた。国を統治する政治的経験を持たない。
今回も、戦禍の中でのウクライナ人の勇気と胆力には敬服させられるばかりだが、大局を見て国民の生存を図る、政治意識が全く見受けられない。
ドラマは派手なほど見応えがあるが、平和は眠くなるからドラマにならない。


アホ過ぎ

2022年05月24日 | 日記・エッセイ・コラム

北海道知床の沈没観光船、「再沈没」、さらに60m深く、180mの海底に・・・
「アホ過ぎる!」
完全に引き上げずに、水中のまま移動すると聞いて、
「そんなんしたら、水圧で、壊れるんチャウ!?」と、テレビに突っ込んでいたら、
それどころか、落としてしまった!!!

飽和潜水とか、金のかかる難しいことをするより、UFOキャッチャーのようなクレーンを数本下げて、掴んで揚げられないのか?と不思議に思っていたが、
「高度な」技術で引き上げた後も、浮きを付けて浮かせるようなことをせず、水中のまま、しかるべき位置に移動させると聞いて、ますます不思議だった。

福島原発の処理問題にしてもそうだが、これが日本的「名人芸」だ。
危機の時ほど、その民族の文化的民族性が露わになる。
太平洋戦争では、戦況が悪化するほど無駄な努力に励んだ。役に立たなかった防潮堤はもっと高くしようとする。
重大な現実を前にすると、日本人は現実対処より精神対処をする。
地震を予知できると信じ、災害は防げると信じる。どうすれば助かるかが、どうすれば防げるかに変質し、その「芸術的な」知恵を絞ることに拘泥する。

何をするにも、緻密さや美しさを優先し、本末転倒の膨大なムダに埋もれてしまう。
言い出したら切りがないが、情けないというか、恥ずかしいというか、
とにかく、
「アホ過ぎる!」


だから何

2022年05月20日 | 日記・エッセイ・コラム

天王星84年周期で見れば、今、だいたい1939年のあたりに巡ってきている。
つまり、既に日中戦争の最中であり、この年、第二次世界大戦が起こる。
誰が誰となど、細かな違いは様々あるが、要するに世界が戦争状況に置かれていた時代が還ってきた。
ヒトラーの恨みは、プーチンの恨みに替わり、アメリカはイギリスに武器を供与し、次には欧米が中国に武器を供与した。
中にはこれでも、「同じではない、逆じゃないか」という人はいるだろうが、そういう人が戦争に加担する。細かな事実だけに囚われて、「要するに」のアバウト感覚がない人だ。

実体を捉える
いつの時代も、木を見て森を見ない人は多いが、科学教育で個々が判断方法を知る現代の方が、森の中でパニックを起こしやすい。コロナ騒動もその一つだ。
フェイクニュースや陰謀論に踊らされるかと思えば、「何が本当か解らない!」と不信に陥り、何も考えようとしなくなる。

以前、少しでもゆれる車の中ではコーヒーが飲めないという人がいた。不思議なので見ていると、カップとコーヒーを凝視して、正確な角度で口に当てようとし、細かく波打つコーヒーが口の脇にこぼれてしまう。
考えてみると、運転をしながらでもコーヒーを飲めるのは、先ず、カップを口に当て、その感覚を頼りに、コーヒーが口に入ってくるか来ないかで、傾け加減を調整している。視覚データを頭で考えるのではなく、感覚だけで現実に合わせている。

科学と情報の現代人は、あふれる情報を科学的に捉えようとし、「ファクトやエビデンス」を頭で考えて、「実体」というコーヒーが飲めなくなっている。
ネットやメディアから伝えられる情報を、精査し吟味し行動を起こす。情報の真偽は気にするが、「わけ」や「意味」を気にする人は少ない。
情報を理解しても、その情報の出てきた背景やその現象の意味には目が行かない。情報のインパクトが大きいほど、「目を奪われ」て状況が見えなくなる。

驚きの情報を正確に理解しようと、「ファクトやエビデンス」を求めるほど、置かれた状況が見えなくなる。
詐欺に遭わないために、「うますぎる話」に気をつけるのは常識だが、「できすぎた話」を疑うのも常識だ。小説は細かい情報が調っているほど引き込まれるが、それはフィクションだと知っている。
しかし、事実を伝える「はず」の報道や専門家の言葉は、何の疑いもなく判断基準にする。学校教育で育った現代人は、そういう習性で考える。
中国やロシアで国民洗脳が成り立つのも、みな学校教育を受けているからであり、戦前の日本もまた然りだ。コーランで育ったタリバン兵士と何もかわらない。
コロナに怯え、ウクライナに同情する現代の日本人も、毎日目にする情報を疑わない。

「命に関わる!」と言われた途端、その言葉自体を疑わなくなる。「人が殺された!」と聞けば、犯人は誰だ、殺された人がかわいそうだと、実体を見なくなる。
時が過ぎて歴史になれば客観的に解ることも、目の前の「事実」情報に囚われる。
どんな刺激的な情報にも、「わけ」や「意味」を考えることは、歴史的観点に置き換えて見ることであり、客観的実体を把握する方法だ。

笛の音が聞こえる
このところ世界を覆っている大事件も、「ファクトやエビデンス」から目を離し、
「何で?」、「だから・・・何?」と、情報の出てきたワケと、目的や先行きに焦点を当てて考え直した方が、笛吹き男に連れて行かれない。
その観点で見れば、食料やエネルギーの逼迫など、今は明らかに戦時の再来だ。
戦争は常に勝者が正義になり、勝者の驕りは敗者に恨みを残す。そして、また同じ道を歩み始める。

今、われわれはどこに居て、何を見ているのか。目を閉じ耳を塞いで考える。


破綻再生

2022年05月14日 | 京都&ケンミン文化

イーロン・マスクが、「このまま人口減少すれば、日本は消えてしまう」と、心配してくれたそうで、有り難いことだが、自分のロボット事業の宣伝らしい。
ともあれ、心配ご無用!
日本の人口は明治まで一万年間、4000万人を超えたことはなく、現在の方が異常なのだ。食料事情から考えても、現在の半分になれば、自然増加に転ずるだろう。
そもそもマスクが着目した死亡率は、現在、ベビーブーマーの高齢化社会だから当然だ。今後もっと上昇する。

日本の将来の適正人口がどれくらいか分からないが、多くても、明治以前の倍8000万人ぐらいだろう。独仏英も7000万前後だから、それぐらいで十分だ。
生産工場としての労働力は既に中国に譲っており、人口に頼る世界の工場から、学芸立国による知的国家に生まれ変わるべきだ。

日本の縮図
日本の縮図と言えば京都だろう。京都は伝統の街と思われているが、大学の街であり、ハイテクの街でもある。伝統は芸能娯楽のみならず、学術技術の方がより深い。
つまり、日本全体が世界の中の京都化することで、人口と関係なく存在価値を高めることができるはずだ。
しかし問題は現在、京都は財政破綻寸前だ。これも日本の財政と同じで、既得権者が強いために何をするにも時間がかかり、抜本対策が打てないままジリ貧の極に達している。お体裁に囚われ「斜陽」の世界に埋没している。京都はこれも伝統的に、連鎖倒産が多い。

面白いことに、京都では共産党や自民党が強く、維新が毛嫌いされている。歴史の長い自共は政治手法に格式があるが、合理主義一辺倒の維新には雅さがない。維新は木曽義仲のように品性が嫌われているようだ。そして日本全体でも、やはり維新が伸び悩むのは、同じ理由だ。目的より形式に囚われる日本は、なりふり構わず出直せない。
世界一の借金大国日本は、このままでは終戦から84年目に、やはり、破綻するのだろうか。まあ、一から出直すのも良いことかもしれない。そうでなければ、どんなことをしても既得権者を自らの手で駆逐できないのだから。

日本再生の絶対的な特効薬は、「新しい資本主義」や人口回復より、規制撤廃だ。


血統主義

2022年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

香港では、弾圧の警察保安局長が行政長官になり、中共システムに組み込まれた。
フィリピンでは、独裁者マルコスの息子が、選挙討論にも参加せず大統領に当選した。
日本では、多くの世襲議員が占めている。
一体、アジアに民主主義は可能なのだろうか。民主主義の概念は理解されるのだろうか。

アジアの統治は氏族の家長制が基本で、現代国家にあっても、国民は一族の「長」の言葉を聴きたいと思っている。
いわゆる「長老」、あるいは「長老集団」を信じて付いていきたいのがモンゴロイドの体質らしく、アメリカ先住民のタバコを吹かしながらの長老会議と変わらないし、大国になれば、「長」を神格化することも変わらない。
これは恐らく、モンゴロイドの大移動の習性と関係していて、よりよい自然環境をを求めて生きてきた結果、人間にも優劣があり、優秀な血筋「貴種」があると考えるようになったのではなかろうか。

一方、動きの小さかったコーカソイド(白人系)の、特に寒い地方で暮らした多数派は、自然の恵みを享受することができず、暖かい地方に進出した後も、自然は人間に苦難を与え対峙するものと考え、その自然に立ち向かう人間同士の、対等意識が強くなったのではなかろうか。
一神教の神はその人間の代表であり、自然は神が創ったものだから、神(人)の意のままに自然を変えられると考える。
こうした自然と戦う中で生まれた、人間中心の民主主義は、器だけマネしても中身がモンゴロイドである限り、結局、統治者を血筋でしか理解できない。

家長による独裁
欧米の独裁者や王族はヒーローや実力者だが、アジアの独裁者は「天から遣わされた者」と受け止められる。したがって、「いつの間にか」支配者になっている。
日本の世襲議員も、初代が当選した経緯にはあまり関心が持たれない、と言うか、子孫も初代と同じに映る。北朝鮮の金一族のインチキぶりは神話で塗り固められてしまっているし、中国共産党の政権泥棒は笑い話でしかない。
アジアでは経緯がどうであろうが、体裁を整えた者勝ちだ。そして、長期であるほど自然環境と化すから、より尊い。そのためには、出自が不明な方が良い。

アジアとも欧州ともつかないロシアの独裁は、モンゴル侵略の後遺症だ。モンゴルの侵略でDNAも文化も塗り替えられ、欧州のアイデンティティとモンゴルの雑さが残った。中国の雑さもモンゴル支配の影響だろう。
農耕民は緻密に観察しながら栽培するが、遊牧民は家畜の生殺与奪と同様で、役に立つか立たないかで考える。
今回、ニホンオオカミは日本で生まれたという説が出てきたが、日本人も日本語も日本で生まれたと同じ論理で、オオカミもモンゴリアンも、細分化すれば確かに、そういうことになるだろう。

 


同じ結果

2022年05月10日 | 星の流れに

5月11日、木星が牡羊座入りするが、すでに4月中頃から牡羊座の影響圏に入っている。
ロシアを水瓶座、ウクライナを射手座とすれば、牡羊座の木星はどちらにも好機になるが、射手座の方が倍有利だ。さらに、ウクライナに不都合な魚座から一転、牡羊座では好転する。
一方、水瓶座のロシアに土星が居て、不都合な牡牛座には天王星が居座っているので、ウクライナが圧倒的に有利になる(なっている)。
(なお、国土や国境を表す第4室は、ウクライナは魚座、ロシアは牡牛座)

また、牡羊座の木星は、天秤座には一見、良さそうな話が出るが、後でガッカリする。
天秤座のプーチンは、『誰でも良いから助けてくれ』と思っている。誰かが好条件を持ってきたので受け入れた・・・形にしたいのだろう。と言うか、どうして良いか解らない。だから、戦勝記念日にNATOとの直接対決を明言せず、安倍元首相も入国禁止にしなかった。さまざまな可能性をできる限り残している。しかし、水瓶座のロシアそのものが羽交い締め状態だ。

天秤座の日本は、千客万来で忙しくなる。木星は栄光や拡張を意味するから新政権や成功者が日本の前に現れる。成功者のマスクが日本の人口減少を心配したのもその一つだが、新政権の韓国は早速のラブコール。新政権が多い欧米も、ウクライナの当事者ではない日本に期待し、中露も脅しをかけながら内心期待している。問題は日本がどれだけの能力と気概を持っているかだが、空騒ぎに終わりそうだ。
日本ほど期待されない分だけ、黙って得をするのは双子座のアメリカだ。改めて言うまでもないが、今一番得をしているのはアメリカだ。

中国封じ込めに欠かせないのはロシアであり、本来、西側に優秀な政治家がいれば、ロシアを抱き込むことができたのだろうが、誰一人、ロシアを懐柔できず、今日の結果を招いた。
しかも、西側の愚昧が引き起こした戦争が、中国を縛ることになれば、歴史とは実に皮肉なものだ。


ザワつく

2022年05月05日 | 占いばなし

占いは7割当たればプロとされる。
先日、「ザワつく」で、原宿の母と言われる人が過去(2019)に、高嶋ちさ子がオリンピックに関係する仕事をするかも知れないと言い、その時「運が良ければ」と言ったので、レギュラーが、「占い師が、『運が良ければ』は無いだろう」と笑っていたが、これは占い師としては当然の言葉だ。
占いとは何かを知らない人は、占学と、透視や千里眼の区別が付かない。
千里眼は個人の感覚に依存し、普遍性はないから、時にズバリ予見することはあるが、ほとんどが「千三つ」であり、千に三つでも当たれば、当たったことだけが注目され過剰に期待された上、終いには詐欺師や狂人にされる事が多く、世間の欲望の犠牲者になる。

一方、占学に基づく占いは、占い的視点で予測する。プロの7割とは、占学による占いの原理原則のことであり、後の3割は、占い師の経験と勘によるフォーカスで、当たることもあれば外れることもある。
高嶋ちさ子を見て「オリンピック」が出たのは、7割の運気に、高島の環境と資質を加味して、ポンとひらめいたのだろう。つまり、残り3割の経験と勘で、オリンピックが浮かんだので、それは他のイベントになるかも知れない。「運が良ければ」と言ったのは、ズバリ、オリンピックかどうかは分からないが、という意味だ。また、高島と同じ運気にある人でも、違う職業、環境にある人なら、オリンピックは浮かばなかったはずだ。

高嶋ちさ子は、結果的にパラリンピックの入場行進に曲が使われたので、当たったと驚いていたが、その環境にある人が、占いによる暗示で動意づけられた側面もある。
菊池寛が小説家になったのも占い師に言われたからだと言う。

この原宿の母という人は、「卜占」の人のようで、数字の鑑定もしていた。「卜占」は、易やタロットの他、数字を書かせたり、「一」の字を書かせたりして、その人の「気配」を感知する。手相や人相にも、実はかなり「卜占」の要素が加わっており、経験と勘が3割以上にものを言う。

占い的視点の価値
このブログでは、占い的視点の価値を訴えているが、占い的視点とは、絶対音感のようなものかも知れない。
その方面には全く”音痴”なので、自分なりに、「音色に惑わされない高低の把握」と再定義すれば、占い的視点の「見える現象に内在する事の本質を知る」に符合する。

表面的な印象に惑わされず、普遍的な摂理として何なのかを知り、今、何を為すべきかを考える。それが占い的視点だ。
発見によって定義が変わる科学と異なるところは、正確さより類似性に着目することであり、人や文化や歴史の類似性から普遍的な本質を知り、その道理に照らして、目前の現象の意味を知る。ファクトやエビデンスでは考えない。
この占い視点に方向性が近い科学は、AIによるビッグデータ解析だが、データの定義などまだ道遠しの観がある。しかし、いずれ占学を超えるだろう。