docomoショップで、契約プランの話をしていると、「スマ放題」と言っても、話が通じず、こちらが言いたいことを説明しようと、「あの、通信パケットの上限が・・・」と話していると、
「ああ、パケ放題ですか!」と言い直しながら、納得して貰った。
「すみません、年寄りは単語が出なくて」と、謝って話を続けた。
自分でも何で、「スマ放題」と言ったのか、その時は解らず、スマートホンだからスマ放題と言い間違えたのだろうと思っていた。帰り道で、ふと思い出したのは、ソフトバンクのCMで、やたら「スマ放題」を連呼していたことだった。
またしても、「やれやれ」と嘆息した。
年を取ると、単語がテキパキと浮かばなくなる。だから漫才でも、
「うーん、あの、赤い色して、ほら、走り回る」
「消防車か」
「いや、そやのうて」
「郵便局か」
「いや、ちがうがな、暮れの忙しい時に」
「やっぱり、郵便局やろ」
「違うがな、サンタクロースも知らんのか!」
・・・
と言ったような、年寄り漫才があるぐらいだ。
若い時は、感性が敏感だから、記憶力も良いし、滑舌も良い。他人が言い間違えたりすると、大いに可笑しがって笑い転げる。
テキパキと言葉を並べ、まくし立てる。何かとても賢く見えるし、実際、学校の試験もそうした能力で優劣をはかる。
しかし、単語という事柄を駆使して、饒舌に話す人が、事の本質、その意味を理解しているとは限らない。だから、論語読みの論語知らずという言葉がある。
docomoショップの店員は、会話の中で、時々ソフトバンクの話もしていたので、「スマ放題」を知らなかったわけではないだろう。また、それと同一視されるのを嫌がって、あえて知らない顔をしたとも思えない。会話のやりとりの前後で、「パケ放題」と言いたがっていることを察知し、「スマ放題」と言い間違えていることを悟るほど、頭が回らなかったのだろう。
もう少し世慣れてくると、「消防車か?郵便車か?」と、自分で探ろうとするが、自分の知識の確認で精一杯だったのだろう。
まあ、あまり賢そうなタイプでもなかったが、賢い人ならそうではないかと言えば、むしろ、賢い人の方が、事柄の的確性にこだわる。この場合の賢いとは、もちろん、優秀な学校を出て、エリーとして世の中を動かしているような人だ。
事柄、事実の妥当性、的確姓にこだわるから、適当な妥協が出来ない。自分の行為の失敗を恐れ、他人の失敗や矛盾を許せない。大局が見えず、妥協が出来ない。
日本の企業が縮こまり、政治家が妙に潔白で、妥協が出来ない。政治や商売ほど、理屈の通らないものはない。そこに理屈を通そうとする。
その場で言い勝ったり勝ち通したりせず、相手の腹や感情を読んで、結果において勝てる算段をするのが、真の駆け引きだ。
慰安婦問題を記載したアメリカの教科書に、削除要請をするような、目先の筋道に走る衝動を止められない政治家には、嘆息の他はない。これがどんなに愚かしい駆け引きか解らない「賢さ」だ。安倍総理が国会で「そんな証拠はない」と、明言したことと同じ結果を招く。相手には、理屈ではない、メンツや感情があることが解っていない。
どうも最近、こういう政治家が増えたのは、法律論に終始する弁護士が増えたせいかもしれない。陪審員制度に鍛えられたアメリカの弁護士とは質が違うようだ。