魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

異界交流

2015年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の新聞が、日本などの先進国が、中国に技術提供したことで、新幹線や原発、旅客機などが、中国の逆襲に遭っていると、得意げに報じていた。
先進国は、技術提供時に、中国国内限定使用の条件をつけたが、技術流出は不可避であることを受け入れよ、とまで言っている。

この、「すでに既成事実である」の語り口は、中華流、易姓革命の論理で、「天の意志は、すでに我にあり、勝者に禅譲せよ、さもなくば放伐するぞ」と、勝者を誇示するハッタリだ。
しかも、勝ち負けに道義など無く、敵の力を利用するのは知者であり、騙されるのは愚者である。

赤壁の戦いで、諸葛孔明の、「草船で矢を借りる」計を、鬼神のごとく崇める中国人にとっては、敵の武器を計略によって手に入れるのは知者であり、紙切れ一枚で信じるのは、まさに愚者だ。

世間知らずの日本人は、善意は必ず解ってもらえる、情けは人のためならず、お天道様は見ていなさるから、陰徳を積む・・・と、限りなく人を信じ、泥棒に追銭を美徳と考え、無い袖を振る。
このどこが悪いか、日本人には理解できないだろう。もし、日本人に落ち度があるとすれば、独りよがりの「独善」だ。

神との出会い
近頃の日本人は、情けは人のためならずの意味を、相手にお節介をしてはその人のためにならない、甘やかしては成長を妨げる、自己責任を解らせてやるべきだ、の意味と捉えるらしい。
これは、欧米の契約世界にさらされた日本人が、情が通じないことを知り、個と契約に目覚め、欧米の個人主義を、それなりに理解した結果だ。

しかし実は、この欧米の契約世界は、アンゴルモワの大王=東洋の野蛮には勝てなかった。
自覚も契約も、暴力の前には吹っ飛んでしまう。
力の前では「黙って言うことを聞く」が、東洋の論理だ。東洋には契約する神がいない。

東洋では、言葉は武器の一つに過ぎない。中韓の大声が、何の裏付けもなく発せられるのは、言葉は神の前で語られるもの、とは思っていないからだ。
言葉は、単に相手の反応を見るための武器に過ぎない。

振り向けば古代帝国
ようやく契約概念に慣れた日本人だが、今度は、それを過剰に信じ、依存している。
中韓に、契約と法治と仏の情で接しても、予想通りにはならないことを、ここで再び学習しなければならなくなった。もう既に、相当痛い目に遭ってはいるが。

どんな約束も、力関係が変われば無意味であり、どんな強気なことを言っていても、状況が悪くなれば無かったことにして、逃げてしまう。
条約など、その場の状況を確認する言葉に過ぎず、言葉より、力に基づく現実が天の摂理なのだ。
これは、数学を知らない猫さえ、見れば最短距離が分かる・・・そういう原始理論だ。
当然、物理的に大きいものは小さいものより上と考えるから、大国志向になる。

この現実感には、約束事や人格の尊重など全く関係ない。
トラに襲われている強盗に、これで防ぎなさいと銃を渡せば、トラの次にはこちらが狙われる。それが現実だ。
どんな約束も意味は無い。誰が銃を持つべきかではなく、現に誰が持っているかだ。

戦略的互恵関係のWINWINとは、まさに力のバランスのことで、契約や約束など関係無い、力関係が崩れるまでの時間稼ぎだ。
力関係が崩れれば、強い者勝ちなのだ。日本人は、大陸の中間児ソ連の教訓を忘れたのだろうか。今度は、大陸本家の兄貴と何をしようというのだろう。

日中友好は大切だが、中国の次元の違う現実主義を、片時も忘れてはならない。
そして、もっと重要なことは、彼らは悪意ではないと言うことだ。
悪意や善意などと、情で考えているようでは、いつか滝まで流される。


小笠原沖

2015年05月31日 | 日記・エッセイ・コラム

巨大地震だったのに、大きな被害がなくて良かった。
口之永良部島噴火の一週間前ぐらいから、首に近い後頭部が痛く、『遠いところで地震かな』と思っていたら、噴火が起こった。
しかし、頭痛は依然続いているので、『これは、終わってない、まだある』と思っていたら、M8.5の巨大地震が起こった。
地震が起こる2時間前には、どうにも起きていられなくなって、1時間ほど寝た。
起きると、妙に元気になったので、作業をしていたら、地震が起こった。
大きさに驚いたが、気づくと、すっかり頭痛が消えていた。

このところ、ワケの解らない似たような殺人事件が続いていた。ツイッターでも、「3ッぐらいの事件が混乱している」という人がいたぐらいだ。
体調異変に、反応は人様々だ。みな無自覚なだけで、大なり小なり、影響を受けているのではなかろうか。


カプセル

2015年05月30日 | 京都&ケンミン文化

ケンミンショーの、京阪神の相関関係は面白かった。
大阪は神戸好きだが京都を嫌い。神戸と京都は互いに好きだが大阪を敬遠。
京阪神で、大阪を好きな県は無いが、奈良は大阪好き。ところが大阪は奈良をバカにしている。
大阪の人に言わせると、「京都も奈良をバカにしているはずや」
その理由が、「何にも無いやん」

大阪人が口々に、「何にも無い」と言う度に、奈良ファンとしては、突っ込み放しだった。
「ロマンや想像力は無いのか!」

以前、「まほろば」で書いたように、確かに、奈良は何も無い田舎だ。しかし、この何も無い田園風景がいいのだ。
一見、日本のどこにでもある、何の変哲も無い田園が、奈良と思うだけで、萬葉人が花を摘み、歌い、祈り、煙たなびき、日が沈む・・・あー、胸が一杯になる。

この、想像のリアリティーは、大和盆地でなければ、決して味わえない。
大和三山、二上山、大和川、佐保川・・・萬葉や記紀の舞台は、ここにしかない。

奈良をバカにしていた大阪人は、奈良のブランドランクが、大阪より上の事実を突きつけられて驚いていた。それどころか、奈良の人自身が驚いていた。

京都には、もはや、土のにおいが感じられない。しかし、究極の古都、奈良には、土のにおいがする。西洋化する前の日本の歴史が、田畑の下にそのまま息づいている。
しばらく、行かないでいると、無性に奈良に行きたくなり、電車に乗る。
どこで何を見ようというのではない。奈良の柔らかな光と風、大作りな時間と空間の中で、何時しか萬葉人になっている。

奈良こそが、ブランドを超越したタイムカプセル、日本の偉大な故郷だ
そして、それをそのまま残してくれた奈良の人々に、感謝

やまとはくにのまほろば たたなづくあおがき やまこもれる やまとしうるわし


 


不老長寿

2015年05月28日 | 占いばなし

昔は、犬の寿命は、7~10年ぐらいだった。ところが、家の中で、人間と一緒に生活するようになった最近では、その倍の15年ぐらいが普通になった。
人間も、信長の頃には確かに50年ぐらいが寿命だったが、
今日の、日本人の平均寿命は、大体80歳ぐらいになっている。

人間の全うできる寿命は、125年と読んだことがある。近年の確認できる最長寿者も、125歳を超えた例は知らない。
では、この125という数字はどこから出てきたのだろう。その根拠は解らないが、四柱推命の大運はそのヒントになりそうだ。

四柱推命では、生まれ月から始まり、一ヶ月を10年と考え、季節を巡っていく。順周りと逆回りはあるが、12ヶ月で一周すれば最大120年になり、それ以上は次の年次が始まる。
この理屈では、最大が120年で、実際はそれより少なくなるが、最大値120年に誤差のプラスアルファとして、一月分の半分、5年を加えれば、125年になる。
一方、西洋占星術では、生後の一日を一年と見立てるが、この理屈では、365年になる。

120年は、還暦60年の倍であり、往復と考えれば、これも一致する。
犬の寿命も倍に伸びたが、近頃、百歳を超えた人がごろごろしていて、これまで長寿のお祝いに、百歳の記念品を届けていた市町村も廃止しているそうだ。

この先、バイオ技術が発展すれば、人間の寿命は無意味になる。
占いも、全く新しい概念で考えなければならなくなる。西洋占星術では、取りあえず三倍までは使えるが、中国の占いでは、生死に関係なく5000年後の運を見る占いもあるから、何も目新しいものではないのかもしれない。


レッドだ

2015年05月27日 | 星の流れに

スイスでFIFA役員が逮捕された。FIFA側は、FIFAとしては不名誉だが、組織浄化としては良いことだと言っている。
まさに、射手座・土星の逆行と、獅子座・木星のハーモニーだ。

今回の事件の直接問題は、放映権に絡むもので、放送もまた射手座。面白いのは逮捕請求をしたのは、180゜双子座のアメリカからだった。
一方で、FIFA自身も、開催地決定に関わる不正を告訴している。
やはり、土星は試練であり、ひと山越えることで次の地平が開ける。

今回の射手座の土星が幸いなのは、木星が獅子座にいることだが、8月に乙女座に移ればボーナスは無くなる。
射手座から問題が噴出する。放送、通信、ネットに絡む問題が多発しそうだ。運輸、スポーツもある。


二人天秤

2015年05月26日 | 占いばなし

駅で電車を待っていると、親子連れが通りがかり、小6ぐらいの男の子が、
「吉良上野介って、群馬県の人でしょ・・・」
と言ったのが聞こえて
『えっ!?』と、驚いた。
吉良家は三河の吉良だと思っていたが、何の確証もなかったし、
賢そうな子が自信満々で話していたので、おそらく確かな話だ。
慌てて、ウイッキを見てみた。

確かに領地は三河だったが、江戸っ子の旗本で、生地としては、一説に群馬説があった。
男の子の情報源は知らないが、間違いではなかった。

それより面白かったのは、生年月日が西暦の10月5日で、天秤座。
天秤座は、刃物で刺されるとか暗殺されるとかの古説がある。天秤座のジョン・レノンも暗殺された。近年の占星術では、キリストも天秤座だったという説もある。
吉良上野介の場合、暗殺になるのか分からないが、遺恨で殺されたのは間違いない。

暗殺された人には、いろんな星座の人がいるが、天秤座にそのような説があるのは、暗殺の事実より、生き方の傾向かもしれない。

天秤座は、牡羊座[JUSTICE]の対角線上にある[JUDGEMENT]で、正しくあろうとする星座だ。そのため、周りの空気や状況よりも、理念だけを見つめてものを言う。
その結果、空気に逆らうことになり、時代の主流から、憎まれたり、恨まれたりする。

津田事件の津田左右吉も天秤座で、どの主流にも従わない姿勢が、波風を立て、わざわざ孤立した観がある、いわば、アンチテーゼの人だ。
波風を立てるもの言いは、射手座、牡羊座、山羊座も、ひけをとらない。
射手座は、「王様は裸だ」的な、感じたままを口にするし、牡羊座は沢口エリカ「べつに」のように自分を譲らない。山羊座は「不倫は文化」と、現実を直言するから、逆ギレされる。

吉良上野介と浅野内匠頭、これもまた、面白いことに二人とも天秤座だ。饗応役も、いかにも天秤座らしい仕事といえる。

事件の真相は不明だが、元禄14年3月14日と言えば、月はおそらく天秤座で、二人とも言わずもがな、ヤラズもがなのことをする。この日でなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。
月の位置も、決して馬鹿にならない例だろう。


超速5分

2015年05月24日 | 生活の知恵

マクドナルドのハンバーガーは手軽だから思わず食べてしまうだけで、美味いわけではない。
ハンバーガーより、手間がかからなくて、結構、美味いのは、ステーキサンドだ。
自分で食べる時には、これを愛用している。バンズを使わず、食パンに挟む方が、がっちり挟めて食べやすい。

6~8枚切りの食パンを軽くトーストして、トマトやレタスに、ステーキを挟むだけだ。
ステーキは塩コショウだけで、牛でも豚でも美味いが、豚の方が早く焼けるし、豚ロースだと油がしみて、さらに美味い。第一、安い。

好みもあるが、あまり、ソースのようなものは塗らない。ハンバーグより好きなのは、肉をかむ瞬間のうまみがあるからだ。
あり合わせで、タマネギの天ぷらを一緒に挟むと、なお美味い。

味付けはもっぱら、塩で、天ぷらにも合う。
ステーキでなくても、天ぷらサンドやカツも美味いし、薩摩揚げなども合う。
ポイントは、サンドイッチ用の生食パンを使わず、トーストを使うことだ。耳も美味い。

材料さえあれば、5分で出来る。両手で持って食べれば、汁は垂れるが、ハンバーガーのようにこぼれない。


世界の技

2015年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

WAZA(世界動物園水族館協会)が、「追い込み漁」でイルカを入手するなら、JAZA(日本動物園水族館協会)を除名すると、突然、言ってきて、他の動物園活動に支障を来すので、JAZAは慌てて受け入れた。
これを受け、WAZAは「評価する」と言いながら、さらに追加の意図を臭わせた。

欧米の価値観による、クジラ信仰の布教策にハマッたようだ。
彼らの信仰のゴリ押しには腹に据えかねるものがあるが、日本の対応策は、一貫して、賢くない。

狂信者と争えば、殺し合いになる。今のイスラム原理主義との戦争だけではない。歴史的に全ての戦争は宗教戦争だと言っても過言ではない。
なんでこんな殺し合いを始めたんだろうと、よくよく反省してみれば、結局は、自分が正しいとする、互いの思い込みが原因だ。自分の信仰を認めない者を抹殺しなければ、自分が正しくないことになり、生き残れない。そう思い込むことから始まる。

イルカやクジラで戦争は始めないだろうが、悪感情は生まれる。
狂信者にはどう説明しても、聞く耳を持たない。狂信者は酔っ払いと同じだから、「目に付いた」とたん襲ってくる。酔っ払いは、意外な力を発揮するから、制圧するには何倍もの力を必要とする。理を説いても押さえつけようとしても、被害を受けることになる。
日本は酔っ払いを相手に、正面から理を説こうとしたり、多数派工作で制圧しようとして、ますます相手を向き直らせてしまった。

日本としては、自らの伝統であり「理に外れたこと」はしていない。自分たちは正しい道を歩いていたのに、いきなり酔っ払いに襲いかかられたような迷惑を被った。
この道を行くためには、話を聞こうとしない酔っ払いを制圧するしかない。
そう思い込み、正面切って戦い始める。

しかし、正面切って対応したことは、ことごとく、禍根を残すことになってしまった。
正面切って対応するとは、無視することも、相手に迎合することも含まれる。
戦後補償問題や、為替問題、そして今回のクジラ、イルカに至るまで、遡れば国連脱退や日米戦争など、すべて、誤魔化さず、正面切って対応した結果だ。

自分のやり方を、取りあえず引っ込めることをせず、反論か迎合しかしない。
中国が老獪だという見方は多いが、どう見ても知恵があるとは思えない。しかし、形勢不利と見たら、口で煙幕を張りながら、いつの間にか撤退している。逆に、荒唐無稽な大風呂敷でも、脈があると見れば、トコトン突っ込んでくる。

日本は、中国の真逆だ。何の足しにもならない自分の「思い」で突っ張り、チャンスの時には武士の情けと、悦に入って、突っ込まない。島国の一人っ子、世間知らずのお人好しお坊ちゃまだ。

クジラやイルカにここまで拘る理由が、日本の自尊心以外に、何があるのだろう。
何度も言ってきたように、欧米の横暴と捕鯨の必要性は理解しているつもりだ。しかし、厳しい駆け引きの世界外交の中で、差し引き、何のプラスがあるのだろう。
結局、今回のWAZAのように、主導権を握られる格好のネタを提供している。

この日本の弱点を、一番解っていないのが日本自身だ。世界の国は日本の習性をよく解っていて、えげつない国ほど、露骨に日本を刺激してくる。抜け目ない国は、愛想よく利用する。
WAZAの背後には、動物愛護団体のえげつない意図が動いているとしか思えない。
このまま行けば、またしても禍根を残すことになるだろう。
ことは、クジラだけの問題ではないのだ。

士農工商の日本人には、「損して得取れ」と言う、商の原理が解らないらしい。
中国が、腹芸の出来ない日本のことを「ちっせぇ」と、馬鹿にするのは、商魂の国から見れば、当然なのかもしれない。


星の雲行

2015年05月20日 | 星の流れに

21日は「小満」で、太陽は双子座に入る。12日から既に火星が双子に入っているから、火星と土星が180゜だ。
双子座のアメリカは、中国の南シナ海問題に、ほぼ初めてと言っていいぐらい、怒りをあらわにした。
ケリー国務長官が中韓露を歴訪し、中国の動きを、直接的に牽制している。

木星が獅子座にいる内は、射手座の土星もさほど応えないが、木星が乙女座に入る8月以降は、中国が調子づくので、アメリカの葛藤は膨らむだろう。
その前に、6月には逆行中の土星が再びサソリ座に帰ってくる。朝鮮半島はどうか気になるところだ。
木星乙女座で調子づく中国も、2016年後半、木星が日本の天秤座に入ると、立場がが逆転し葛藤に陥る。

アジアに関係する諸国の立場が、こうも入れ替わり立ち替わりする様は、さながらスポーツの攻防戦だ。
乱闘騒ぎにならないことを祈るが、どちらかが一方的に不利な状態になると、バカが爆竹を投げ入れたりするから、何が起こるかわからない。

選手も一般観客も、ギリギリの興奮はしていても、ルール破りの乱闘などする気は無いが、どこかの片隅で小さな殴り合いが始まると、もう手が付けられなくなる。
スポーツ会場と違うのは、どこにも止めに入る警察がいないことだ。


もくもく

2015年05月19日 | 日記・エッセイ・コラム

千葉の学校給食のご飯にタバコが入っていたそうだ。
実際にタバコを食べたらどうなるか聞かれた専門家は、「死ぬ場合もある」と言っていた。

ちょうど「明るい空」で話したばかりだが、ウジ虫がどこでも「わいて」いた頃には、タバコが殺虫剤代わりに使われていた。
タバコの吸い殻を集めて、一晩水に浸け、くみ取り式便壺の上から撒いておくと、ウジ虫の殺虫になる・・・と、学校で教えられたことがある。

この頃は、化学殺虫剤も普及していたから、こんな知識は先生の雑学だったのだろうが、当時の肥料は、まだ人糞を使っていたので、肥料として畑に撒く場合、化学薬品より、植物のタバコの方がエコだったはずだ。
なお、誤解の無いよう付け加えると、人糞はいきなり使用せず、野面の肥壺に溜めて発酵させ、これを撒いていた。(この肥壺に子供がよく落ちたし、キツネに騙された酔っ払いが入るお風呂もこれだった。笑福亭鶴瓶も落ちたと話していた)

タバコの殺虫力の話としては、忍術三すくみのネタ(ガマの児雷也(自来也)は蛇の大蛇丸に弱いが大蛇丸はナメクジの綱手に弱い)で、児雷也が大蛇丸に対して、タバコのヤニを出してくる昔のマンガがあった。
蛇よけに、ウジ虫退治と同じように、タバコの吸い殻浸けを使うのは常識だったらしい。これは殺傷力と言うより、猫よけの木酸のように、蛇が嫌う臭いなのだろう。
どの程度効くのかわからないし、近頃、郊外にでも行かなければ、そうそう蛇を見かけない。

何にせよ、タバコはそれ位、害があるものだが、昔の人はそれを知りながら吸っていたわけだ。不思議に思えるかもしれないが、現代人でもピアスの穴を開けたり、やたら薬を飲みたがったりするのは、2、3世紀後の人には理解できないかもしれない。

ところで、近頃、タバコを吸う人がめっきり減ったし、禁煙団体からの圧力もあって、歴史ドラマでも、タバコを吸うシーンが滅多に無い。
でも偶に、史実に忠実な映画で、喫煙シーンが出てくると、全く吸えてない役者がいて滑稽なことがある。昔の映画は実に美味そうにタバコを吸っていた。
そもそも昔の人は、タバコを呑むと言っていたから、酒と同じ感覚だったようだが、近頃の若者は、酒さえも避けるようになってきた。時代には地域文化と同じようなギャップがある。

こんな時代になっても、タバコを止められない人や、わざわざ吸い始める人もいる。
文化の継承は素晴らしいことだが、ポイ捨てのような悪しき文化は残さないで欲しい。
給食の中にミミズやゴキブリが入るのは、不可抗力のこともあるし毒ではない。しかし、タバコが入るのは、怠慢でなければ意図的だ。


明るい空(2)

2015年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

ところで、snowの雪は「明るい」イメージに属すると言ったが、フランス語ではneigeで、「N」のネガティブイメージに属する。
中国語では「雪xue 」だから、「S」系。日本語の「yuki」は「Y」や「I」でどちらでもない。

このような違いを見れば、一概に言えないことになるが、名詞は地域や民族による、物への印象で名付けられる。
仮に「S」音が明るさを示す音であると前提するなら、逆に、個々の民族による事物への印象が垣間見られることになる。ラテン語圏では雪はネガティブなものだったと。

ただ、言語はDNA同様に、歴史的経緯が絡み合っているので、ゲルマン系の英語と、中国語が類似しているのは、逆説的に民族言語のルーツの手がかりになるかもしれない。

「S」が明るさを示すかどうかは印象でしかないが、これは学術的に世界の言語を比較するしかなく、この種の研究が過去に有ったかは知らないが、民族性を考慮した上で、人間に与える音の影響など、解明されたら面白いだろう。

占いは科学ではないから、直感と直観を重視する。科学的学術研究や論争を何世代にもわたって繰り返し、結局は葬り去られるような世界とは別の次元のものだ。
生活の中で有用であれば、例え科学的に否定されることであっても、活用できる方法を考える。
「S」を明るい音と見るのは、科学から見れば何の根拠もない直感と直観だが、それがもたらす効果がありそうなら、無視することはできない。


音の持つ力
シャープがいよいよ切羽詰まってきた。昔シャープを愛した者としては複雑だ。
「sharp」の「S」には、ヒラメキの明るさがある。
「S」で始まる日本の家電メーカーのイメージは、先鋭的で爽やかだ。しかし、残念ながら、「S」には泥臭ささがない。先鋭で勝負しているうちは輝くが、価格や商法の戦いになるとモロい。
泥臭さは「S」の持つ、センシティブな繊細さや爽やかさとは、無縁の世界だ。

SANYOは三洋証券とともに消え、SONYには昔の輝きがない。これらの企業の衰退は「S」だから悪いのではなく、己を知らなかったことにある。「S」は常に先鋭であり続けることが命であるにもかかわらず、保守的大企業に収まってしまった。
島津や、昭和○○等の運営実体は知らないが、己を知る企業は生き残る。

ところで、SANYOやSONYの親戚のような名前のSAMSUNGだが、これも何らかの鋭さで伸びたのだろう。今後の動きはやはり、どこまで己を知っているかにかかっている。


明るい空

2015年05月16日 | 日記・エッセイ・コラム

いつの間にか、五月の空の下を、半袖で歩いている。
近頃は、せっかち台風も到来するとはいえ、一年で一番良い季節だ。ブタ箱に入るなら5月にしろ、と言われるほど、寒くも暑くもない、爽やかな季節。

「ごがつ」を「さつき」と読むのは本来、旧暦だから、実際には梅雨の季節なのだが、今の人には、青空を泳ぐ鯉のぼりや連休の行楽地しか、イメージできないだろう。

「さ」は、稲作にかかわる語感で、早いという意味があるそうだ。
「さくら」は、春の気が最も早く宿るところ。「早乙女」が「早苗」を植える季節は「五月」で、降る雨が「五月雨」の梅雨。だから、じめじめした季節に大繁殖する蠅のことを「五月蠅い」と書くのだろう。

現代では、ほとんど見かけなくなったが、ほんの半世紀前までは、どこでも蠅が「わいて」いた。
「ウジ虫と何とかは高いところに上りたがる」と言えば、誰でもイメージできたが、便器をウジ虫が上ってくる光景など、四十代以下は見たことも無いかもしれない。

中東やアフリカに行けば、今でも食べ物に蠅が群がり、一緒に口に入ってくるし、気を抜いて話していると、口の中に飛び込んでくる。

昭和30年代頃までは、料理の上にかぶせるパラソルのような蠅よけの網が、必需品として売られていた。いかにきれい好きな日本人でも、五月蠅い蠅は、撲滅できなかったから、「護摩の灰」を「胡麻の蠅」と聞き違えたほど、昔の人は、どこにでも入り込んでくる蠅と暮らしていた。

だから、かえって蠅に特別な嫌悪感は無く、気にもとめていなかっただろうから、五月をジメジメするうっとうしい季節とは特に思わず、桜に続く、早苗や早乙女の季節として、楽しんでいたのかもしれない。

実体音の表現
暮らす環境によって、多少の差はあるが、発音に対するイメージは、世界的に、かなり共通している。単純には、「N」は何となく暗くネガティブで、「S」は何となく明るい。
しかし、これはアルファベットやカタカナで表せる音のことではない。どう表記するかではなく、実際にどんな音をどう聞いているかだ。

動物の鳴き声は、言語文化によってさまざまに表現される。極端に違うので互いに驚くが、標準顔のように、コンピューターで世界中の言葉を合成して平均化すれば、誰が聞いても、「鶏の鳴き声だ!」と感じるのではなかろうか。
この話は、学問的に子細に検証すれば、本を何冊書いても足りないだろうが、案外、素朴な印象と、そう違いは無いと思う。

「にっぽん」の「に」一つとっても、「や」「は」「じ」など、世界中の人が様々な聞き方をする。日本人でさえ、「にっぽん」か「にほん」か分からない。
細かく分解していけば全く別物に聞こえる言葉も、もとは一つの姿をしており、しかもそれは定まった形ではなく、「イメージ的存在」だ。ニワトリも機械的に同じ音で鳴くわけではない。

「N」や「S」で例えたのは、こうした、「イメージ的音」のことだ。
このたび生まれた英国王女「シャーロット=Charlotte」は「C」表記だが、日本語では「S」になる。ところがこの表記を別の読み方をすれば、「チャ」や「キャ」になり、日本語では「T」や「K」になる。
だから、表記から離れて、音としての「シャーロット」の持つイメージを、仮に「S」と表現していると思って貰いたい。つまり、表記に例えられる音の実体を、イメージして欲しい。

そうした、「実体的音」に関しては、人類全体に共通した感覚があるようなのだ。
ここで例を列挙すると、煩雑になるので、色々な言葉を思い浮かべて貰いたい。
「さ」の「S」が明るいイメージの例を少しだけあげると・・・
southやsun等があり、逆にshadowやsnow、seaなど、一見暗いイメージのように思える言葉も光の存在が関連しており、雪など、どう考えても暗いが、防寒の備えさえあれば、たいていの人は、犬のように、雪に心が浮かれる。

You see ?

 


七クセ者

2015年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

「なくてななくせ」と言う言葉があるが、これは「無くて七癖」なのか、「無くて七曲」なのか、一体どちらだろう。

「七癖」なら、誰でも無自覚な「癖」があるものだ、という意味になるし、
「七曲」なら、誰でも隠れた能力や拘りがあるものだと言うことになる。

「クセになる」と言えば、「♪もう、およしなさい悪い癖・・・」のように、善し悪しのある「習慣」のことだが、たいていは悪いイメージだ。日本の「悪い癖を直してやる」と言った韓国の政治家がいて、火を噴くように他者をこき下ろす、奇特な言語文化に感動した。

一方、「七曲」と書けば、「曲者ッ!出会え出会え」のように、素直ではない、ねじ曲がった存在のことだが、たとえ悪者であっても、バカにできない隠れた能力を含んでいる。
「役者よのう」と同じように、「曲者よのう」と使えるし、「あのクセ球は打てない」と言う場合は、「癖」より、能力を持った「曲」の方がふさわしい。

おだてられたら、「その言葉が曲者だ」などと、言葉の裏に隠れた意図を指摘するが、必ずしも嫌がっているのではなく、言葉に秘める能力を敬遠している。

「なくてななくせ」だけでは、解らないが、後に「あって四十八くせ」と続けば、そんなに能力がある人はいないから、やっぱり、悪い「癖」の方だろうと思える。
しかし、単に数多を意味する「四十八」にあわせただけだから、「四十八手」のように「技」をイメージし、能力を感じさせる。すると、この場合も、「曲」が捨てがたい。

結局の所、「くせ」とは、素直ではない普通ではないことだから、直して、普通にもどした方が良いものと思われがちだが、時には、それは能力にもなり得るものだ。
そう考えると、
「ななくせ」とは個性であり、その人独特の、欠点とも能力とも考えられるものだ。
つまりは、人は誰も「他人に負けない何らかの能力を秘めている」と言う意味ともとれる。

誰でも、「無くて七くせ」、何らかの能力を持っている。例えそれが悪い癖でも、考えようによれば能力にもなる。
人の「癖」は直すものではなく伸ばすものだ。伸ばして活用すれば「曲(能力)」になる。

そういうことではあるまいか

 


精密国土

2015年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

運送業界では、運転手の過重労働規制が厳しくなり、事業が成り立たないと焦っている。
これも、射手座(運輸)の土星現象の一つだ。

規制をクリアするためには、運転手を増やしたり、時間短縮のため高速を多用しなければならず、経費がかさみ、経営が困難になっているとのことだ。
確かに運送業にとっては、苦難の時代が来たことになるのだが、元々が、業界のあり方を放置したまま、業者はひたすら競争し、利用者はそれに甘えてきた。

それを当たり前と考えれば苦難だが、大局的に観れば、来るべき限界が来たのであり、この「試練」によって、また違う世界を迎えることになる。
土星は山だが、その山を越えれば、別の世界が待っている。

これまで、労働限度の13時間を超えて働いている運転手が多く、そもそも、こうした無理による過当競争は、長距離トラック輸送に頼るモデルを、アメリカのような大陸から持ち込んだことにある。もとより、アメリカをマネた自動車工業、土建産業による戦後経済も背景だ。

日本のような狭い国土には、明治以来の鉄道輸送が向いており、せっかく充実していた鉄道貨物を捨て、トラックに頼ったことで、廃線を増やし、事故を増やし、排ガスを増やした。
最近になってようやく、鉄道の利便性が見直され、鉄道貨物が増加してきている。
トラック輸送業界にとっては「苦難」だが、運輸全体で観れば、より良い発達のきっかけになる。

海外観光客も含め、国内観光の足としても鉄道の可能性は大きく、貨物輸送と合わせて、日本全体での鉄道大復活が必ずあるだろう。

外国人に聞いた、日本の鉄道の短所の一つに、「荷物スペース」の不在がある。
全く同感だ。
大きな手荷物を一括収納するスペースもなければ、専用車両も無い。
車両設計段階から発想が無いようだ。

また、欧州などのように、人と自転車を一体と見なして欲しい。
駅まで自転車で行って、自転車ごと乗車し、降りた駅でそのまま自転車で出ていけるようになれば、駅駐輪場は要らない。自転車利用が増えて、健康にも環境にも良い。
通勤ラッシュ時は不可能だが、こうした発想に基づいた社会づくりをすれば、通勤ラッシュそのものも無くなるだろう。

この仕組みの説明は長くなるが、ネット時代と鉄道を軸にした物流で可能になる。
狭い国土で、精密機械のような日本人と日本社会には、鉄道こそがふさわしい。

動脈硬化

 


恐ろしや

2015年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

大分、高崎山のサルの赤ちゃんに、「シャーロット」と名付けたら、猛抗議で動物園が謝罪した。
何と馬鹿げたことだろう。
この辺りが、日本の皇室意識の危うさだ。皇室が望む「開かれた皇室」と、真反対の意識を、日本人自身が持っている。皇室が気の毒でならない。

自分が愛する者に、王室や皇室にあやかって命名するのは、人間には許されてもサルには許されないという矛盾。
ミッチー・ブームの時に流行った名前は何だったか憶えているだろうか。愛するならば、子供でもペットでも同じで、その最愛の者に、敬愛する「人」の名前をつけたくなる気持ちは、むしろ、最大の敬意だ。

これを、「不敬」と思うのは、王や天皇を、神性とするからだ。昭和天皇は人間宣言をしたはずだ。
神性は冒してはならない、祟りを畏れなければならない。触らぬ神に祟りなしとして、祭り上げ、利用したのが戦前の軍国主義だった。

そうした、危険なマグマが日本人の中に根深く流れている。ことに九州にはそうした信仰心が強く、古代から日本の宗教の玄関であり、オウムなど新興宗教の多くも九州に始まっている。
見方によれば、薩長による明治維新が勤皇となったのも、武士の関東文化に対する、古代より続く尊皇文化、日御子信仰による宗教戦争レコンキスタと言っても過言ではないだろう。

西欧の王は、実力者、ヒーローであり、仲間のリーダーだが、日御子は神性であり、信仰の対象だから仲間ではない。
「シャーロット」の不敬騒ぎは、この不可侵の存在が利用されかねない下地が、まだ日本にはあると言うことを表している。

欧米で、国旗を自分が着る洋服に仕立てたりするのは、それほど愛している表現だ。
日本でも最近はそうなってきたし、皇室に対する関係性のあり方も、かなり西欧と近くなってきた。しかし、今回の例に見られるように、近年、不可思議な復古現象が広がっている。(日本人の名前観の問題もあるが)

大戦争による大きな代償を払って、日本人は解き放たれ、半世紀の自由を謳歌していたのに、本当に、回り回って、元来た道に還っているのではないか。

「畏くも!・・・」と言っただけで、直立不動を強いられるような時代が、来ていないとは言えないのではなかろうか。
恐ろしいことだ

(※これを書きかけのままにしていたら、動物園側が英王室に問い合わせて、そのままシャーロットに決まったそうだ。良かった)