魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

2011年(1)

2010年12月29日 | 兄弟関係

逆転逆転大逆転。テンヤワンヤの2010年が終わる。
大変な年だったが、実際は、案外、空騒ぎだった。
しかし、大量死や大破壊はなかったが、歴史的には大きなターニングポイントになる年だろう。21世紀が本当に始まった。

「極まれば転ずる」「万事塞翁が馬」
いつも言うことながら、最も輝いて見える時は、既にその実態は失われている。
日本のバブルは、日本の一人勝ちの、終わりの始まりだったし、アメリカの冷戦勝利は、アメリカ衰退の始まりだった。

当然ながら、今、一人勝ちに見える中国も、終わりの始まりが始まっている。
今年、かなりハッキリしたことは、中国はやっぱり「張り子の虎」だということだ。しかも、寅年にバレた。

金勘定には長けていても、軍事政権には限界がある。
金(食)のためのエネルギーはすごいが、その裏付けとなる外交が極めて稚拙だ。何かと言えば万里の長城を築こうとする。
先ず、宣言をして突っ張ろうとするやり方は、まさに長子の融通の無さだが、弟妹文化(民主主義)の現代社会では浮き上がってしまう。

「中国独自のやり方」を主張する為替も情報も人権も、六カ国協議に固執する形式主義も、いつまでも通用するわけがない。
だからと言って、中国が大人しく衰退していくわけではない。
日本の株が4万近くまで上がったように、アメリカがテロとの戦いを始めたように、何らかの「度の過ぎた」ことになるだろう。

170年前。思い上がった清朝は、結局、狡猾な欧米に「してやられた」。
衰えたりといえども、弟妹学級でもまれた欧米はしたたかだ。これ以上、中国が無理を通そうとすれば、返り討ちに遭うだろう。

牡羊座→牡牛座
2011年、1月23日に木星。3月12日に天王星。4月2日に火星。この春、惑星が牡羊座に集中して、天秤の土星と180゜になる。
最も危なっかしいのは天秤座の日本だが、ダメージはむしろ中国だ。2010年に垣間見えた兆候が、現実となって現れる。

中国にとって、牡羊座は第10室。社会的に評価される位置に木星と天王星が来れば、実力以上に買いかぶられるとともに、自分自身、大きく出て引っ込みが付かなくなる。(既にそうなっている)
さらに、本業ではないことに手を出して収拾が付かない。
中国の本業は飯と金だ。囲い込み性のカニ座には遠征は専門外。

ちなみに、日本にとっての第10室に天王星が来ていたのは、戦時中から戦後、つまり敗戦時で、それまで第9室で絶好調?に見えていたものが、天王星が10室に来た途端、戦況が悪化した。日本の場合は木星はいなかったから、全く良いところがなかったのだが。

中国の場合。2011年の6月から木星が11室の牡牛座に移るので、かろうじて破綻は逃れるが、天王星は相変わらず牡羊座にいて自己制御が出来ない。
その上、悪いことに、朝鮮半島が2011年後半から、現在の日本のような状態になり、悲観的で陰険になる。極楽トンボの日本でさえ、この通りだから、中国にまでとばっちりが行く事態になるだろう。

中国がさらに無理をすれば、ロシアも、北朝鮮も中国を裏切るだろう。
現在、日本では中国不信が80%、誰でも中国のことを信用できないと思っているが、ロシアや朝鮮半島は、その中国の上手を行く。中国は単に正直なだけだ。

北朝鮮がなぜアメリカと直接交渉したがるのか。なぜ、韓国は中国を非難しないのか。ロシアはなぜ中朝の肩を持つのか。
これらのことは、「絶対に」表面だけで考えるべきではない。

長子型の中国も日本も、弟妹型世界の不測の行動を理解できない。
長子は原理原則で考え、弟妹は状況主義で動く。
北をかばい、ロシアをアテにして、中国が一歩踏み出せば、後ろを見たら誰もいなかった・・・そういうことになる。
朝鮮戦争も、結局、これだった。

今世界が不安定なのは、どの国も政権が脆弱だからだと言われているが、違う。それは現象に過ぎない。
産業革命パラダイムの屋台骨である、近代国家が消えようとしているのだ。政権が国家を任される時代が終わろうとしている。

家を建て直すには、建てるより、古家の処分の方が大変だ。
完全にシロアリに食われていることが分かっていても、処分方法が分からない。その上、どんな家を建てたら良いか、だれにも分からない。
世界はただ、家の自然倒壊を待っている。

牡羊座はリーダーであり、牡羊座時代に入れば、大衆を導く「信念と哲学」が要求される。混沌とした世間では「人生」や「哲学」が話題になる。
今の、エンジン政権は、対応・対処ばかりで、信念と哲学がないことが嫌われている。
しかし実際、信念と哲学だけで政治をやられたら、この方がもっと怖いかも知れない。

牡羊座時代、2011年の漢字一文字は「哲」?、それとも「新、生」かな???


鬼ヶ島

2010年12月25日 | 日記・エッセイ・コラム

動物写真家の岩合光昭氏が、動物との折り合いを付ける心得は、
「動物の気持ちになって、どうしたいのか理解すれば、受け入れてくれる。ここは絶対ダメという時には踏み入らない」と言っていた。
まさに異文化交流のコツだ。

常に、相手のことを知ろうとする。自分の勝手な思い込みや決めつけではなく、虚心坦懐、相手の気持ちになって、よく観察をする。
何時、噛みついてくるか分からない相手なら、どういう時に噛みつきそうなのか、よくよく見ている。

動物の気持ちになって寄り添えば、シロクマやライオンでさえ、むやみに襲ってはこない。
にもかかわらず、人間はむやみに争いを始める。
これは、見た目が似ているだけに、相手に対する思い込みを確信してしまうからだ。同じ人間だから、自分と同じように考えるはずだと。
あんな態度は、(自分なら)バカにした時しかしない・・・とか。

身近な家族同士でさえ争うのだから、会ったこともない他国の人間同士、それも、国家や民族などと言う、イメージだけの「実在しない概念」となれば、なおさら、思い込みが無制限にエスカレートする。

自分のことすらよく解ってない集団概念なのに、互いを勝手に決めつけてしまう。そこに何か、少しでもそれに絡む事態が発生すると、一気に感情が燃え上がる。これは、恋や憎しみと同じ、独り相撲であり、その独り相撲が、土俵も審判もなく、いきなりぶつかる。

恋や憎しみは、相手の言動を勝手に解釈して、自分の中だけにわき起こるものだ。
例え、相手がこちらを憎んだからと言って、こちらも憎む必要はない。にもかかわらず、相手の憎しみの言動を見れば、「何でやねん!」と腹が立つ。自分を害する態度に、防御本能が働くからだ。

相手が動物なら、怒っている時は「ここは絶対ダメ」と察知して、踏み入らなければ、襲われることはないだろう。
ところが、人間と動物が違うところは、人間は不必要な殺戮をし、不必要に相手を従わせようとする。

必要が無くても毎日、実力誇示をして回る猿と同じ種族だ。さらにたちが悪いのは、猿とは比べものにならない、力を手に入れたことだ。
自分では当然の実力誇示が、相手の防衛本能を刺激し、それを見て一段と興奮する。

人間はゲームとして魚釣りをするように、戦争や殺戮をする。相手に踏み入らなくても、勝手な思い込みで襲ってくる。
動物より、遙かにたちが悪い。

尖閣事件の後。日中共に相手国感情が悪化したが、中国は100%に近いほどの反日感情になっている。これに対し、日本は餃子事件ほどまで行っていない。もう、中国に「慣れた」のかも知れない。

しかし、もっと大きな要因は、日本の方が、中国より、多少、相手のことを多角的に知っている。と言うことではなかろうか。
中国人の置かれた状況より、互いを見る目に余裕があると言うことだろう。

それにしても、中国人は日本人を鬼(日本鬼子)と思っているのだから、そう思う心の中には、鬼が住んでいるのだろう。
何時、鬼退治を始められるか鬼ヶ島の鬼としては、近頃、安心して眠れない。


時の大義

2010年12月18日 | 日記・エッセイ・コラム

世論が80%を超えるような時は、たとえ自分も同じ考えだったとしても、自分をも含め、それを疑ってみることにしている。

歴史上、と言っても、アンケート調査などが始まったのは最近だから、世論80%以上とは、何となく、すべての人がそう叫んでいるような状態と考えたらいいだろう。
実際、現在の世論調査で、80%を超えた時は周囲の人、誰もがそれに賛成状態で、仮に、反対意見だったとしても、言い出しにくいような状況だ。

そんな中で決定、実行されたようなことが、正しかった試しがない。
戦争が起こる時は、双方の国で、開戦論が80%を超えるだろうから、結果的に勝った国は正しかったことになるのかも知れないが、戦争そのものが正しいわけがない。

戦争は常に正義の戦争であり、それ自体がすでに間違っている。
戦争は大義の下に行われなければならないと言うが、当事国の一方的な大義であり、相手にも大義があるから、戦争になる。

戦争のような極論でなくても、大勢が同じように考えるのは、考えではなく同感、つまり、感情論だ。
人間は一人一人体験が違うから、同じ考えにはならない。たった二人でさえ、恋の熱気が冷めれば、違いに驚くことになる。

二人でも同じにならない考えが、誰でもがそう思う・・・など
集団的熱気による錯覚以外には起こらないことだ。

もちろん、アンケート調査の80%は、限られた選択肢だから、強引に同一意見になっていると言われるかも知れないが、少しでも自分の意見と違うなら、「わからない」を選べばよいわけで、賛否を選択するのは、やはり、理路より感情で選択していることになる。

判断があいまいな時、近現代の世論を引っ張るのは、意図的に、あることないことを叫びたてるマスコミだ。その上で、アンケート調査結果など、さらに、まことしやかな誘導をする。
ネット時代になったとはいえ、これはこれで、無秩序なカオス世界であり、多くは烏合の衆となる。

ことの判断をするのは自分であり、自分の判断をなるべく誤らないようにしようと思えば、周囲の熱気から距離を置くことだ。
偏った世論と自分が同じなら、まず自分を疑ってみる。視点を変えてみると、世論や世相の実態が見えてくる。

羊の毛を刈ると、中から痩せこけた山羊が現れる。世論とはそんなものだ。

「小沢は喚問に応じろ」が、80%に達したそうだ。こうなると、いかに挙動不審でも、小沢の言い分にも、耳を傾ける必要があるのかも知れない。

「菅政権はダメだ」も80%らしい。じゃあ、次のカエルの王様は何なんだろう。


食あたり

2010年12月16日 | 占いばなし

「海老蔵は裸で土下座の写真を撮られているらしいな」
と、バカにしたような、興味津々のような話をしている人がいた。
『くだらない!』と思った。

おそらく、TVのワイドショーや週刊誌の記事が溢れているのだろう。
真偽のほどは知らないが、「世間」が寄ってたかって、ゲスな好奇心を膨らませている。
もとより、たかが、「かぶき」役者であり、そうした俗情を飯の種にするのが商売だ。そういう意味では、むしろ正統派ともいえそうだ。

人間国宝とか格式とか、歌舞伎本来の存在理由とは関係ないところに祭り上げ、立場や自覚を迫り、やっかんだり、非難したりする。
歌舞伎役者は道徳の先生でもないし、「ゲイジュツカ」の先生でもない。客を楽しませてナンボだ。

もし、裸で土下座がホントなら、素晴らしい。役者魂ここに極まれりだ。人生を演じて尽きることがない。裸で土下座という「世間常識の最低」の価値など、超越している。
その意味で、「ゲイジュツカ」ではなく、芸術の世界の人だ。

芸術とは、社会の停滞や膠着を刺激し、活性化させるものであり、常識という老廃物を破壊するものだ。
裸や土下座を恥ずかしいと思うのは、固定概念そのものであり、そんな感覚では、役者にも物書きにもなれない。
もっとも、そういう人にすれば「なれなくて結構」と言うところだろうが、ドラマや小説が好きなのはそういう人々なわけで、
これはやはり、心の老廃物をリフレッシュしたい、無自覚な願望があるのだろう。

海老蔵は射手座だが、射手座は、詩人だと言われている。
詩人は現実より遠くの世界に生きて、いまの世界に啓示する。
だから、言葉使いはストレートで、時には非常識であり、時には人を怒らせ、時には心を打つ。

俗世から逃避したいのか、酒好きの射手座は、酒で失敗する。
尾崎豊は泥酔で死亡。大地喜和子は酒の上溺死。酒ではないが薬物では勝新太郎。このほか有名無名にかかわらず、酒の上の失敗、武勇伝はいくらでもある。

海老蔵はこれまでも、似たようなものだろうが、今回の事態に至ったのは「下げマン」のせいだろう。もう一つ言えば、魚座時代の末期症状、エビ天中毒ということもある。
それでも、長子は末っ子に弱い。相性の損得にかかわらず何となく続いてしまう。

ちなみに、本当の意味で相性が良いとは、結婚的な発展性があることで、本人が心地よく思うかとは別問題だ。恋愛で、相性が良いとは逆のことが多い。


愚老張る(2)

2010年12月13日 | 日記・エッセイ・コラム

東西南北対立
米中は激突せざるをえないと言っても、戦争のことではない。
経済と政治の支配権争いは、まさに始まっている。
中国は、アメリカ支配の前世紀を夢見て、支配権をそのままパクれると思っているが、世界は「またもとの水にあらず」だ。

時代は大きく転換していく。ドルによる一極支配のような前世紀体制が続くのなら、このまま元が入れ替わることもできるかも知れない。
だが、アメリカの衰退は、単に、国家や主軸通貨の交替の問題ではない。通貨や為替の存在そのものが無くなろうとしている。

産業革命パラダイムを支えた、近代国家体制そのものの大転換が始まっているのだ。通貨統合や、FTA・TPPなどの関税撤廃は、その小さなステップに過ぎない。
国家が無くなれば、国家が保証する通貨が無くなる、通貨が無くなれば為替も無用になる。もちろん国家と通貨の消滅は、鶏と卵だ。

利益集団である国家の枠組み対立では収まらない、地球規模の課題が次々と発生している。
環境、資源、為替、マネー、情報、テロ、核・・・など、
様々な利害が複雑に絡み合い、東西冷戦のような軍事的な国家対立だけの単純構造では割り切れない時代が来ている。

例えば、中朝露と日米韓で軍事対立する米中も、環境では利害を共にし、経済では深く依存し合うように、「牡羊座2010~2018年」でイメージした、東西南北対立の世界が現実になってきた。

この複雑な対立構造が加速して、パンクする時、初めて新秩序が見えてくる。かと言って、利害が絡み合った世界では、帝国主義時代のような大戦争などしてはならないし、できるはずもない。

それだけ、人類の認識は拡大し地球は小さくなっているわけだが、政治経済に化石的な体制がある限り、その構造がパンクするまでには相当な時間、混乱と痛みがともなう。

合衆国
中でも、最も大きな化石は中国共産党だが、これを外から崩そうとしても、誰も得をしない。風船が勝手にパンクするのを待てば、必ず自滅する。

中国は大きすぎる。だから、歴史的にダイナミックな支配が総身に回りかねる。形を保つ対面だけが国と考えられてきた。
それからすれば、情報と流通に恵まれた現代の中国共産党は良く機能していると言えるだろう。
しかし、それはあくまで古代帝国と比較しての出来映えであり、現代世界では限界が見えている。

中国に最もふさわしい体制は、むしろアメリカのような、民主主義だろう。アメリカにはバカも利口もいるし、バカな政策も多かったが、その都度、修正されてきた。

今、中国の国民を見ていると、決して利口には見えないが、それは一党支配の反知性愛国政策だからだ。情報が行き渡れば、中国人はアメリカ人より、むしろ、よほど良い結果を出すのではなかろうか。

しかし、何よりも重要なことは、大きな歴史の流れは、そうした、国家単位の生き方を全て超越した、地球合衆国に向かっているということだ。


愚老張る(1)

2010年12月11日 | 日記・エッセイ・コラム

日本も優等生ではないが、中国には困ったものだ。
北朝鮮の大親分が表に出てくれば、アホな三下よりもっと怖い。

ミツバチの群れは一人っ子
中国はアヘン戦争の敗北で、ゲリラ戦を思いついた。(魏源)
これは、劣っている者が、相手の武器を手に入れて戦う戦法だから、先ず、パクることから始まる。
中国の口癖は「学習しよう」だ。相手が勝っていることを直視する。

清朝でパクリ論が出るや、日本は素早く理解して、当の中国よりも早く、西洋を真似て発展した。敗れた清朝より、時間的ゆとりがあったので、自分達のやり方で「取り入れる」ことができた。

マイペースでやれたせいか、日本には中国ほどの後進国意識はなく、何事にもプライドを捨てることができない。謙虚さが無いから、一度うまくいかなくなると、なかなか抜け出せない。何とか、自分だけで解決しようとするからだ。

悩み、試行錯誤し、日本式の自分流を見つけるまで時間が掛かる。
他の人が大成功していても、決して弟子にはなりたくない。
仮に、そっくりマネをしようとしても、むしろ、身体が固まって動けなくなる。素直な踏襲ができない。それが、一人っ子だ。

一方、そっくりマネする末っ子韓国や、良いとこ取りする長子中国など、兄弟関係で揉まれてきた国から見れば、欲のない一人っ子ほど、利用しやすい相手はない。
日本が、ミツバチなら、韓国はスズメバチ、中国は熊だ。

山から出てきた熊
欧米列強に支配された地域が、自分達の言語まで捨てたのに対し、日本は捨てなかった。それだけではなく、訓読や仮名のように、古代から確立している「導入方式」で、すべて、日本化してしまう。
日本語は、いまだに、どこから来たかわからない言語と言われるのも、この島で合成された言語だからだろう。

言葉には、思想との相関関係がある。一体と言ってもいい。
日本語が、頑固でしぶとく巻き込むのに対し、中国語も頑固だが、おおざっぱだ。おおざっぱだから、異文化を許容しやすい。これは、現代米語と似ている。

古代日本が、今のアメリカだったのに対し、古代中国は世界だった。
そして、宇宙時代の今日に至るまで、「中国の世界」は続いている。
その中国熊が、このところ人里を闊歩し始めた。

愚老張る化
グローバル化は、宇宙に対する地球世界だが、中国にとっての世界は、地球に対するアジア世界であり、アジアを一つの秩序にまとめる古代の夢からいまだに離れられない。

グローバル化とは、現代の宇宙観にもとづく世界観だが、中国のグローバル化とは、古代中華思想の主観的な世界を地球規模に拡大しようとするものだ。

つまり、地球の客観的姿がどうであれ、自分達の村の掟をどんどん拡張して、最終的に古代帝国を地球に広げようという、どうにも無理な、幻想にとりつかれている。

しかし、日本はこのシーラカンス老人の夢を笑えない。
ロムルスの伝説を信じて帝国を拡張したローマを、夢見て失敗した先輩だからだ。しかも、その後遺症がいまだに残っている。

アメリカの唱えるグローバル化は、アメリカのご都合主義のお題目に過ぎないとしても、真のグローバル化は、イヤでも進んでいく。
冷戦はないとしても、アメリカのご都合主義と、中国のアナクロニズムは激突するしかない。

しかし、米中が激突し、共倒れしてこそ、次の世界が見えてくる。
日本はこの際、どちらかに与して踏みつぶされるより、せっせと自分の穴を掘るのが賢明なのだが・・・
真の独立をするためには、規模より質の充実だ。
来年はサンフランシスコ条約から60年の還暦となる。


チェック

2010年12月09日 | 日記・エッセイ・コラム

30代の頃、食中毒を赤痢と間違われて、隔離病棟に入れられたが、間違いと解って、「釈放」された。入院中、看護婦さんの気遣いは本当にありがたかった。
ようやく、隔離病棟から出るにあたり、退院風呂に入って身を清め、病棟の外に出た。

風呂と言えば、銭湯が好きで、事情が許せば、よく銭湯やスーパー銭湯に行く。一人で沸かすよりは安上がりだし、大浴場は気分がいい。

このたび、
国土交通省の認可が下りて、いよいよ日本も、空港でボディースキャナーが導入されるそうだ。
一台2000万以上するそうだが、ボディーチェックか、丸見えスキャナーかを選択できるようにするとのことだ。

どちらを選ぶにせよ、あまり気分の良いものではなさそうだ。
二者択一の選択肢より、もう一つ選択肢を加えてはどうだろう。
空港に浴場を設置して、風呂に入って出てくるとチェックが終わっている。そんなシステムなら気分がいいと思うのだが。

国際空港などで、日本の温泉文化をアピールすれば一石三鳥だ。
大きな鉄道駅には、お風呂があったが、今はどうなっているんだろう。

まる見え2どさくさ将棋指し


政治家 2

2010年12月06日 | 自動車人間学

政治家1」で、現政権を「自動車人間」で見てみた。
では、「ガソリン、ハンドル、ボディー」はどうだろう。

ガソリン
小泉純一郎、橋下徹、辻元清美、稲田朋美、森ゆうこ、浜田幸一
レーガン、スカルノ、ヒトラー、金日成、盧武鉉、金大中、李明博

ハンドル
細川護煕、平沼赳夫、枝野幸男、蓮舫、河村たかし、高市早苗、田中真紀子、白州次郎、ケネディ、ブッシュJr.、金正日

ボディー
吉田茂、大平正芳、宮沢喜一、土井たか子、鳩山由起夫、石原伸晃
片山虎之助、亀井郁夫、ゴルバチョフ、B.クリントン

こうしてみると、極めてハッキリ傾向が現れる。

ガソリンは、熱狂的な支持者を生む。臨機応変で、庶民が感じているタイムリーな話題を、インパクトのある言葉で叫び、感情を刺激し、状況の波に乗る。しかし実際は、脈絡がない。

ハンドルは、反骨精神の筋道論者だ。権威や既成概念に抵抗し、攻撃に過剰反応し、反撃には熱心。分析分類が好きなので、枝野、蓮舫の仕分け人はピッタリ。反骨精神の鬼は金正日だ。

ボディーは、どう思われるかを常に考えている。お体裁屋で、好人物オーラを出し、あまり嫌われることがない。最終責任者が別に存在する方が成功する。吉田茂にはGHQ、ゴルバチョフの共産党、土井たか子は良い子になれる野党の立場。クリントンの場合、アメリカ国民が最終責任者ということか。失敗例は野党でものを言った鳩山由起夫。

どのタイプであれ、タイプによる善悪はない。しかし、ボディーはルーピーになっても悪人にはならないし、ガソリンは敵味方(好き嫌い)がハッキリする。ハンドルはあえて悪役を選ぶし、悪役であることを恐れない。

悪の枢軸
金正日に世界が振り回されているのは、ハンドルとして、悪役を恐れないだけではなく、ハンドルの特徴である、先ず「最悪の事態」から考えるところから出発するからだ。

ハンドルは土壇場と乱世に強い。ものごとを悲観的に考えるから、平和な時には、むしろ何もできないが、予測不能の乱世には、あらゆる事態に対処が可能になる。常に、最悪の事態が見えたら、安心してようやく動き始める体質だ。

したがって、金正日は、わざわざ、最悪の事態を自ら作り出すことによって行動を起こしているわけで、平和思考、幸福思考の人には「予測がつかない」ことになる。仮に対応策を打ち出しても、既にそれは始めから計算済みだ。ただし、想定外の事態にはアワてる。

蛇の道は蛇、ハンドルの人が一番読めるだろう。
ブッシュJrは恐らく、一番読んでいたはずだが、911の反撃に熱中して、事態をさらに悪化させ、対応できなくなってしまった。これも想定外にアワてた例だが、
911さえなければ、今頃北は・・・


将棋指し

2010年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム

ウィキリークスによる、米国外交文書の機密漏洩は、大事件だ。
現状世界には「とんでもないこと」かも知れないが、来るべき世界への、エポックとなるだろう。

バラされた情報は、確かに、これまでの秩序を破るものではあるが、中身を知ると、ドラマ「ホワイトハウス」と、さして変わらぬレベルで、「まあ、そんなもんだろう」ぐらいにしか思わない。

ビデオ流出の件で「どさくさ」でも言ったばかりだが、これからは秘密が可能な時代ではない。ガラス張り前提のルールが必要になったということだ。

グローバル化を唱えているアメリカなら、もうジタバタしてもしかたがない。世界はどんどん小さくなり、地球の日本列島化が進む。
小さい地球で暮らすには、島国日本の培った「監視社会」の秩序、「ノン・プライバシーの幸せ」は参考になる。

日本の「村社会」は、プライバシー概念からは、想像もできない閉塞だが、日本人は千年以上、そこで暮らしてきた。
開国当時、来訪した外国人は、見たこともない幸せな顔を見たそうだ。
おそらく、現在のブータンの人々の顔だろう。

プライバシーは、遊牧社会のように、個々が独立する時間を持てる社会の概念で、農耕民族のように、常に同じ環境で行動を共にする環境では不可能だ。
工業化が進めば、農業と同じように同じ空間で働くことにはなるが、賃金労働によって、個々が分断される。

遊牧と農耕が出会ったのが、サラリーマン社会で、自由な労働でもなく、一体感のある共同社会でもない。
その非人間性の砂漠の中に、忽然と現れたのがネット社会で、ネットの中に、何か、失われた人間性が存在するかのような感覚を、みな味わっている。

そして、始めはただのサイバー空間だったものが、徐々にリアル世界と一体化を始め、ついには、リアル社会がサイバー原理に支配され始めた。

これは良いことでも悪いことでもない。
ただ、時代が変わり始めたと言うことだ。

日本の村社会は将棋の世界だと言った人がいた。それに対して、世界は麻雀原理で動いていると。

しかし、この先は、世界も将棋の世界になっていく。手の内を全て、互いが知っていることを前提に、付き合わなければならない。
互いに知っていると、相手の思いを互いに配慮する苦労はあるが、裏の裏を読む、心労は無くなるというものだ。