魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

観音信仰

2019年06月29日 | 探訪・紀行

壷阪寺に行った。西国三十三か所、六番札所の南法華寺だ。
以前、飛鳥で時間が余ったので行こうとしたら、考えが甘いことを思い知らされた。
近鉄の壺阪山駅に行ってみると、「壷阪寺前」行きバスの最終が15:50で、すでに終わっていた。せっかく来たので、営業5時までだから、歩けば行けるかもと、ダッシュで歩き始めたが、2キロほど歩いて、思いとどまった。この先、坂なのに、到底無理だ。
・・・で、虚しく敗退した。

今回は、比較的早めに西大寺から橿原神宮前行きに乗った。雨の予報にもかかわらず、朝から快晴だ。奈良で鹿の顔を見て、「にゅう麺」を食べ、飛鳥方面に向かった。
調べると、乗り継いで壺阪山寺駅まで行かなくても、橿原神宮駅東口から、一時間おきに「壺阪寺口」を通る51番のバスが出ているではないか。しかも遅くまで走っている。「今日はこれで行こう」と決めた。
幸い、東口では15分ほどでバスが来た。バスは、壺阪山駅前を通り過ぎると、ちょうど壺阪山駅から出てきた「壷阪寺前」行きのバスが前を走っている。電車を乗り継いで来た場合と、時間は同じということか。

二台のバスは、以前、歩いて断念した道をアッという間に通り過ぎ、「壷阪寺」の大きな看板が見えてきた。 前のバスはその看板を左手に曲がって行った。『ああ、あの方向に行くんだな』とは解ったが、「がんばるぞ!」と、速度を上げて見えなくなった。こちらのバスが少し早ければ乗り継げたのかもしれない。
少し先の「壺阪寺口」で降りると、今消えたバスを追って歩き始めたが、たちまち坂道になった。
スマホでは、ここから壷阪寺まで2.4km、高低差167mの登り、50分かかるそうだ。
『聞いてないよー!』

コンクリートの自動車道を登って行くと、60代の男女3人が  ウォーキング・ステッキを突き、歓談しながら降りてくる。完全装備だ。接近すると、三人とも沈黙したので、「こんにちわー」と声をかけると、「こんにちわー」と三重奏ですれ違った。
しばらく行くと「壺阪寺ハイキングコース」と書かれた細い脇道があったが、そんなつもりではない。自動車道の日陰を選びながら、そのまま登って行った。
どれぐらい歩いたのか、ようやくさっきのバスが停まっている駐車場が見えてきた。
その駐車場を抜けると、まだ坂が続いている。停まっていたバスが、後ろから追い抜いて行った。ようやく、壷阪寺が見えたところで、バスが停まって時間待ちをしている。

寺の受付で聞くと、次のバスは最終の16:05だと言うので、思わず「うわー、相当待つなあ」ともらすと、「大丈夫、近道を教えてあげます」と、用意してある周辺マップに道筋を描き込んでくれた。
1時間ほどで拝観を済ませると、まっすぐ、バス停横の「近道」を下り始めたのだが、『ほんとにここか!?』と思うぐらい細く、草が生い茂っている。草をかき分けて進むと、行者道のような木の階段があるから、間違いではないようだ。
どんどん下っていくと、まさに山道で、川か道か区別がつかないほど流れの跡があり、水で足元が悪い。
まあ、散策と考えれば、楽しい道なのだが、こちとら急いでいる。空模様が怪しくなり、どうやら天気予報が当たりそうだ。
結局、出たところは、案の定、登りに見かけた、「壺阪寺ハイキングコース」だった。降りてきた三人組も、おそらくここを通ったのだろう。ハイヒールではないものの、溝の無いスニーカーでは苦行だった。

だが、話はこれからだ。
「壷阪寺口」のバス停に行くと、反対方向の橿原神宮方面のバス停は相当離れたところにあった。次のバスまで30分ぐらいあるが、1時間置きならましな方だ。
誰かが置いた古椅子に座って待っていると、陽射しが無くなり、あたりが暗くなってきた。明らかに夕立の気配だが、あと10分。もつだろうか。
そのうち、山間が霞み始め、その上の黒雲がこちらに迫ってくるのがわかる。
バスの定時まで、あと3分。体に少し霧のようなものがかかり始め、完全に真っ暗になった。雷鳴が響く。あと1分。
第一、バスは定時に来るのだろうか。周りに雨宿りするようなものは何もない。傘もカッパも持っていない。
道の反対側に背を向けた建物、「ベアーズベアーズ」とラブホらしきものがある。いざとなればあそこの駐車場にでも飛び込むしかない。
時間は来たが、バスは来ない。 風が吹き、霧雨が雨粒に変わり始めた。その時、峠の上に四角い車の灯りが見えた。 まだ、トラックかバスかわからないが、ゆっくりと下って来る。
小型バスであることは分かったが、何のバスかは分からない。雨は、大粒に変わり、バラバラと音がする。
まばらな雨粒の中を、バスが道のわきに寄り始めた。「キター!」
早くドアを開けてくれーッ! 早く!早く!
半開きのドアを押し開けるように乗り込むのと、ほとんど同時に、ダーッと雨の音がして、何も聞こえなくなった。窓の景色も見えない。
まるで、サイゴン陥落の難民が、最後の飛行機に飛び乗れたような、喜びと安堵感で、しばらくボー然としていた。

間一髪で助かったのは観音様にお参りしたおかげに違いない。観音経は観音様をひたすら信じれば救われると教えているが、まさに、壺坂霊験記だ。
雲雷鼓掣電
降雹濡大雨
念彼観音力
応時得消散


介護兄弟

2019年06月15日 | 兄弟関係

身内の看護や介護を受けるとき、元気になりたいなら、下の子に介護してもらわない方が良いかも知れない。
中間児も末っ子も、世話をしたがるが、多くの場合、やり過ぎによって、治るものまで治らなくなる。
下の子は、何かにつけて、親兄姉から世話をされたことが多いので、自分が世話をする立場になることに憧れている。
誰かが弱い立場になると、待ってましたとばかりに世話を焼き始める。そして、一生懸命世話を焼くのは良いのだが、その結果を考えない。
これは、人の世話だけではなく、自分の病気に対しても同じで、やれることは全てやろうとする。

変な例えかも知れないが、長子はアナログで、弟妹はデジタルだ。
長子の生い立ちには何事も、「前例」が無い。何をするのも初めてで、「こんなものかな?これで良いかな?」と手探りで、常に撤退できる「ほどほど」の勢いで進む。だから、徹底性に欠け、あまり、劇的な結果を出せない。その代わり、どの方法が良いか常に現実を見ているので、大きく、外すことはない。

一方、弟妹は、方法を探ることよりも、既存の方法の中から最も良さそうなものをチョイスする。だから、「こういう時にはこうする」と、「信頼できる」方面から聞くと、吟味することなく徹底的に実行し、中間的な曖昧さがないので、当たれば成果も大きい。
日本が長年かけて導き出したノウハウを使って、中韓が大成功するようなものだ。有機ELも曲面ディスプレイも日本が実用化したものだが、それで儲けたのは中韓だ。(日本は長子一人っ子)

介護や治療に際しても、長子は「そもそも論」で考え、対象となる人間の存在から考えるが、弟妹は、方法に囚われ、対象となる本人にとって、結果として、良いか悪いかには意識が及ばない。その上、目標値を100%で考えるので、70%のベターを上出来とは思わない。
自分自身の病気や老化でも同じで、自分で「ま、こんなものかな」とは思えず、医師などの権威ある人や、信頼する人の助言がなければ、終わりにすることができない。

親の介護についても、長子が、ほどほどの関与で、肝心なことのみ手を出そうと考えていると、弟妹が、「兄(姉)さんは無責任で何にもしない!と、自分が買って出て、自分のやり方ですべて仕切ろうとし、しまいには長子を拒否して、追い出してしまう場合まである。
親も、至れり尽くせりは嬉しいから、その子に頼るし、仮に拒否しようにも、勢いに押されて、言いなりになる。

しかも、弟妹は、親の老化した言動を直ちに、「ボケた!」と決めつける。これも実態を見ずに既存の定義に当てはめる弟妹型の認識方法で、何事にも病名を当てはめてしまおうとする。
逆に、長子の場合は既存の病名(定義)を信じず、「そうでもないだろう」と思いたがる。自分で判断したがるのは、何事も自分の経験則で成長したことによる。ただし、親が口うるさかったり過保護だった場合、自己判断しない人になるケースもある。

長子の「自己回復力」を前提とする世話に対し、他動的に手を加える世話をする弟妹の介護や看病は、それを受ける本人の気力や回復力を奪ってしまい、場合によっては、治るものまで治らなくなってしまう。
医療関係者や長患いの経験のある人は、そうでもないが、一般には、子供であれ夫婦であれ、弟妹が看病すると、一生懸命看病した甲斐もなく・・・ということが巷に溢れ、懸命に看病した人が責められるはずもないから、悲劇として語られることになる。
また、病人本人が弟妹の場合も、最大限の治療を望み、周囲は逆らえないから同じことが起こる。


暗黒時代

2019年06月13日 | 星の流れに

天王星は今、牡牛座の5゜を進んでいる。これは1935年、昭和10年に相当する。
歴史の再来は、全く同じではなく、同じ意味の再来となる。

昭和10年当時と言えば、天皇機関説が批判され、「萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」が強く主張された時だが、日本では今、令和改元もあって、天皇の存在が大きくなっている。
1935年は、欧州では、ナチスが再軍備宣言をしアウトバーンが開通し、ユダヤ人の公民権が停止された年でもある。
中国大陸では満州建国3年目で、国際世論に反発した日本が国際連盟を脱退し、2年後には日中戦争が起こり、国共合作が成る。この時、アメリカは中国政府への武器輸出を始める(解禁)。

1935年と言えば、欧州は第一次大戦からわずか17年後で、それはちょうど、今世紀の、911&イラク戦争後から今までと同じ歳月だ。
EUも、この17年で、膨張の境界線ウクライナでロシアとぶつかり、イラク戦争後の大量難民で動揺している。

天王星の回帰から見れば、世界は1935年当時と同じように、戦争が始まる時だが、星による戦争の暗示は、必ずしも軍事衝突とは限らない。→「大転換3
50年戦争となった冷戦も、米ソが直接衝突することはなかった。しかし、アメリカの仕掛けた経済戦争を、軍事国家の中国は、軍事戦争と捉える可能性がある。

天王星が、同じ位置にいた80余年前、中国と同じように軍事侵略を試みていたのは日本であり、「アジアの新興国」と西欧の対決の構図としては、まさに再来だ。
中国の今やっていることは、軍事力による覇権の拡張であり、経済拡張は軍国・中国共産党の手段でしかないことは、今や疑う余地がない。1世紀前の日本の失敗に学ぶどころか、日本を恐れて日夜、罵るほど、軍国日本の過去の栄光に憧れている。

当時の日本の規模とは比べものにならないほどの、アンゴルモアの大魔王が目覚めたことに、欧州は全くと言って良いほど気づいていない。
今、多少苦しくなっても、魔王のエネルギー源、経済の息の根を断っておかなければ、世界は大災難に襲われる。オバカ大統領時代の時間ロスで、大魔王がさらに成長した。 それが、トランプの思いであり、アメリカの一致した思いになっている。
日本人が慕ってやまない中華文明は、今や、盗賊集団に乗っ取られた「大江山」だ。いつの世でも、盗賊の巣窟というものは盗んだ財宝で賑わっている。
ナチスドイツが成功していた時代、今の常識とは違い、ナチスドイツを賞賛し憧れる多くの人々がいた。
目先の繁栄に引かれる「悪徳商人」は何処でもいる。
金(経済)だけを見て、中国と仲良くしなければと言っている越後屋財界人は、魔王の支配する世界で、己だけが権力と利権を握れば良いと考えているのだろうか。
中国共産党のしていることは、ハイテクによるゲシュタポ支配そのままで、ナチスの暗黒時代を彷彿とさせるものだ。


運転年齢 2

2019年06月10日 | 日記・エッセイ・コラム

杉良太郎(74)が免許を返納した。有名人の責任として、啓発しなければと思ったのだろう。立派な考えだ。
ただ、杉良太郎は運転しなくても、運転してくれる人もいるだろうし、どんなにタクシーを利用しても予算の心配も無いだろう。
ところが、運転免許を簡単には返納できない人もいる。公共交通機関が発達していない地方では、タクシーを使うにも覚悟がいる。

都会では電車やバスがあるし、駐車場の料金を考えればタクシー代など安いものだが、地方の生活水準では異常に高い。その上、過疎化で、乗せてくれる若者も少ない。バスや電車など異世界だ。
何時でもどこでも動ける車だけが頼りで、駐車場料金など考える必要も無い。これでは、自家用車と運転免許は簡単に手放せない。

また、都会に暮らしていても、車と運転免許を手放せない人がいる。公共交通機関を使わないまま老いた、ほどほどに裕福な自由業や偉い人は、今更、人混みの中に入っていけない。老いればなおさら、新しい環境は避けたい。
逆に、年金では暮らせない運転手が働こうと思えば、運転しかない。
このところの高齢ドライバー事故は、医師、弁護士、高級官僚、そしてタクシーだ。これまでも、送迎バスなど、再就職ドライバーの事故も少なくない。

杉さんが桜吹雪の片肌脱いでも、自主返納は進まない。そもそも、自主返納しようと思う人は、その時点で意識の高いカクシャクとした人ばかりで、ほとんど、安全な人だ。肝心な「運転してはいけない人」ほど、返す気がない。
だから、やっぱり、法律で一応の上限を定めるべきだ。そうすれば、誰も悩まなくて済む。どうしても運転したい人は、高齢者用の免許試験を受ければ良い。

自動車産業の責任
何故、こんな単純なことが定められないのかと言えば、自動車産業の問題だろう。
運転人口が減れば、車が売れなくなると考えるからだろうが、それは自動車産業の怠慢だ。
自動車産業は、外圧から、今頃になって自動運転に注力しているが、それ以前から、ブレーキやアクセルの仕組みを全く変えないで、マット事故や踏み間違い事故が頻発しても、政治力で解決してきた。運転上限が無いのも、同じ理屈だろう。
しかし、自動車産業もとうとう、アグラをかいていられなくなった。エネルギー問題に加えて、運転人口が減少し、シェアカーやウーバーのように、車社会そのものが激変しているからだ。

機関車が生まれた時も、馬車にこだわった人の方が多かったが、今や馬車で通勤する人などいない。
自動車に座を奪われた鉄道だが、近年、息を吹き返してきた。
自動車産業が生き残ろうと思えば、物流の観点からも、鉄道、自動運転と連携した「交通システム」産業でなければ、馬車と同じ運命をたどるだろう。

将来は、車の運転などする人はいなくなり、車を呼べば(念ずるだけかも知れない)移動ボックスがやって来て運んでくれる。長距離であれば、ボックスごと鉄道に乗り移動する。貨物も同じ仕組みで、長距離トラックなどは無くなり、コンテナ輸送のために、高速道路も鉄道になるかも知れない。そして逆に、健康レジャーとして、巡礼道や旧街道が復活する。
この目では見られないが、そう遠い未来でもなさそうだ。


運転年齢

2019年06月06日 | 日記・エッセイ・コラム

事故事相」で、火星カニ座による子供と老人問題を心配したが、その後、衝撃的な児童殺傷事件や老人運転事故などが、相次いだ。
火星はカニ座だが、双子座の季節(太陽水星金星)でもあるので、交通がらみで起こっている。(なお、外務省は双子座の裏の射手座)

また、ヤギ座の土星・冥王星をカニ座の火星が刺激しているので、引きこもり問題まで出てきた。ヤギ座は牢獄を表す。ちなみに、拉致、監禁など、心理的に捉えて閉じ込めておくのは魚座に属する。カニ座は母の「囲い込み」で、女性星座は全体的に束縛的であり、男性星座は開放的だ。
ヤギ座とカニ座の作用として引きこもり問題が出たところを見ると、引きこもりとは自ら牢獄に入ることなのだろうか。辛い話だ。

やっぱり、60歳
事故を起こした老人も、「免許、返納すべきだろうか」と悩んでいた。
それでも、結局、返納せず事故を起こした。法的上限が無い限り、権利があるからだ。
みんなが幸せになるために、今こそ、 免許の上限を「60歳」にすべきだ。
その後も運転しなければならない人には、それなりの措置を設けて、
「運転年齢は18歳から60歳」を社会通念にする必要がある。
ルールとして定まっていれば、悩む必要が無い。
「ホントに運転しなければならないか」を考える装置として、60歳の区切りは意味がある。
60歳以上は運転するな、と言うのではない。60歳以上は「普通は運転しないもの」として、どうしても運転したければ、もう一度、厳しい試験を受ける。実際ここで半分ぐらいは脱落するだろう。
高齢者ほど持つ、不思議な自信がここで打ち消される。

免許上限60歳」、発言力のある方、よろしくお願いいたします。

制度が変わらず、それでも移動手段として乗るなら、バイクに乗れば良い。事故を起こしても他人に迷惑をかけるリスクが少ない。乗れなくなったこともハッキリ自覚できる。
どうしても、4輪車に乗るなら、軽だろう。
軽自動車でも、先日の滋賀県のような事故も起こるが、福岡のように、他の車を次々と突き飛ばす様なことまではできない。
事故が起こったとき、危険だから身を守るために大きな車でなければと考えるような人は、そもそも、加害者予備軍だ。