魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

悲喜交々

2016年03月31日 | 日記・エッセイ・コラム

射手座の土星、火星で、交通事故・事件が連続し、文字通り枚挙に暇がない。
挙げ句の果てに、中学生誘拐事件の容疑者が飛行機マニアで、「パイロット」と呼ばれていたと言うから、二の句が継げない。

また、この男の名前が「樺風」で、どういうつもりでつけられた名前かは知らないが、「かぶ」は「蕪」「株」「歌舞」「cub」を連想する。ただ、今の時期、こんな名前が世間に有名になるのは、「cub」だからと考えると納得がいく。

「cub」は通常、動物の子供で、やんちゃ坊主的な意味がある。シカゴカブス、カブスカウトなど、人格に付ける呼称もあるが、スーパーカブのように、飛行機やバイクなど、軽快な乗り物に付ける例もある。
飛行機マニアの「樺風」なら、パイパー社の軽飛行機、スーパーカブだ。

それにしても、被害者の女の子の心情を思いやると、ふつふつと怒りが込み上げてくるが、同時に、何と賢明な子だろうと感心をする。こんな賢明な子だから、当初、かえって騙されたのではなかろうか。何事も自分で考える賢明さが災いしたのだろう。
オウムやスタップ細胞に、賢い人が騙されたのは、賢い人は話しの欠陥を自分で補って聴くからだ。

射手座現象で、数少ない笑える事件は
 Microsoftの人工知能チャットボット「Tay」が差別用語などの暴言を繰り返し、何度も口をふさがれていることだ。
チャット相手をする「Tay」は、人の話す言葉を模倣して、何となく対話を成り立たせるAIらしいが、朱に交わって赤くなった。
射手座は「I see」。早とちりであり、けっして、深い理解ではない。

こういう新しい機能が現れると、人間は、日頃、禁じられていることを試してみたくなる。
ビデオも、ネットも、スマホも、先ずは、エロと犯罪から普及した。
自分では禁じられていることを、他の者が、あっけらかんとやってしまう、意外性の面白さだ。日本で想像する以上に、中韓での情報機器の普及が早かったのも、抑圧社会の反動であり、日本でも、裏社会の人の方が利用の熟達が早かった。

無垢な子供がやって来ると、ゲスな大人は悪いことを教えたがる。
昔、アメリカの高校生グループと出会った時、英語は喋れるかと聞くから、少しだけ知っていると言いながら、卑語を連発すると、大受けをして、転げ回って笑っていた。
「Tay」に「暴言」を喋らせたいのも、この子供じみた面白半分だ。


幸福人生

2016年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

突撃人生はポックリ死んだように見える。水木しげるが亡くなった時、自分の目的に突き進む人は、身体のことなど気にしてない。それがポックリ死の理由だと書いた。
突撃人生

先日、ラグビーを楽しんでいる高齢者達の話題があった。最高齢90過ぎの人に、「身体は大丈夫ですか」と、また同じ、バカな質問をしたレポーターがいた。

問われた、超高齢ラガーマンは(正確な記憶ではないが)
「健康や体調を考えているより、もっと大切なことがある」のような、返事をしていた。
まさにこれだ。

健康や体調を気にして費やす時間より、やりたいこと、やらなければならないことを追い求めている人は、それでバッタリ倒れても、人生を有効に使ったと思えるだろう。
何かに夢中になった経験のある人なら、本当に、「寝る時間が惜しい」と思ったことがあるはずだ。

終始そういう生き方をしていると、病院や検査など、もってのほかだ。
自分の健康管理ができないのは無責任だ、と言う人がいるが、家族や組織に対して無責任だという意味だろう。
しかし、死ぬまで医療費を使わないのだとすれば、しかも、趣味や仕事に燃焼しているのだとすれば、これほど大きな社会貢献はない。

健康に気を使い、早期発見をし、治療して長生きをし、老後は福祉を受ける。確かに長寿社会の幸せなのかも知れないが、それは一体、何のための人生なのだろう。
動けるだけ動いて、燃え尽きて、ポックリ死ぬ。(そう見える)
もし、世の中の人の大半が、突撃人生であれば、医療費も老後福祉も嵩張らない。

ただのサラリーマンであっても、死ぬまで働くことに、生き甲斐を見いだす人は多いはずだ。自分の目的を求める人もいれば、組織で働くことで、自分が役に立っていると実感できる人もいる。遊びに熱中することも、消費社会の生産行為であり、ムダではない。
いずれにしても、個々がムダのない生き方をすれば、社会にムダが生まれない。

「一億総括役社会」。意味は解るが、個々に訴える説得力もインパクトもない。
やっぱり、四文字熟語にかぎる。例えば、「躍動社会」のように、何となく解る言葉の方が、具体的に説明しようとする「一億総括役」よりむしろ、幅広いインパクトが生まれる。

政策にしても、細かいことを間に合わせていると、際限がなく、誰も満足させられないだろう。


始まる時

2016年03月29日 | 日記・エッセイ・コラム

いよいよ春が来たようだ。桜の咲く頃はまだ寒い。一枚脱いで表に出ようと思う時には、もう、桜は散っている。この微妙な温度変化を、鮮やかに見せてくれるのが桜だ。
季節の変わり目を告げる花鳥風月は、それぞれあると言えども、桜ほど、心を躍らせるものはない。あまりの晴れ晴れしさに、無常の憂いに誘われる人も少なくない。

冬の厳しさから、まだ離れきれないでいる時に、勝手に野山を明るく染め変えてしまう桜に、日本人は春を宣告され、心を解放されてきた。
観て美しいことは言うまでもないが、それ以上に、開放感に浸ることが嬉しいのではなかろうか。
堪えて堪えて堪え忍んで、一気に爆発させる、日本人の美意識そのもののような桜。

咲いたら、後は知らない。
赤穂浪士の討ち入り、ええじゃないか、真珠湾攻撃、見事散りましょ国のため、健さんの殴り込み、宇宙戦艦ヤマト波動砲発射・・・
溜めに溜めたエネルギーを放出すれば、その先は考えていない。一気に咲いて一気に散る。

潔い美しさではあるが、ここに至る道は長すぎる。この華々しさのために長々と堪え忍ぶ歳月こそが、日本人の心情だとすれば、日本人の人生は、あまりにも辛い。
ところが、「坂の上の雲」を求めて、歩いて歩いて歩き続ける人々は、登り切ってしまうと目的を失う。

桜が咲く時は、ほとんど、散る時だ。明治の坂を上り詰めたところに真珠湾があり、戦後復興の坂を上り詰めたところにバブルがあった。
宵の蛍、夏の蝉、川辺の蚊柱、本当の生涯は地の底水の底にある。日本人が桜に心躍らせ、言い難い哀愁をいだくのは、咲く桜、散る桜に、堪え忍ぶ思いを見るからだろうか。

バブル崩壊から20年。いま、ヤマトは波動砲にエネルギーを充填中だ。


見えない

2016年03月28日 | 星の流れに

それにしても、射手座一色とはいえ、こんな事まで起こるとは。
日本のX線天文衛星「ひとみ」が、故障して、米戦略軍統合宇宙運用センターによると、5つに分解しているらしい。(宇宙は射手座)

だいたい、打ち上げ後に、「ひとみ」と命名されたと聞いた時、『何か問題起こるんじゃないか?』と心配したが、せいぜい不具合程度で、ここまでのことが起こるとは考えもしなかった。

まさか、どこかの国がやったと言うことはないだろうが、宇宙デブリは一杯飛んでいるし、隕石もある。しかし、宇宙デブリなら、人工衛星を破壊して大量の残骸をまき散らした国はある。逆の立場なら、そのせいにして、最も文句を言いそうな国だ。

原因は分からないとしても、「ひとみ」が不安になったのは、まさに射手座の名前だからだ。何も選りに選って、射手座の名前にしなくてもと思うのだが、それが今のトレンドだから仕方ない。つまりは、運命だ。
何度も言うように、射手座のモットーは「I see」。


肩すかし

2016年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は千秋楽で、白鵬が体を交わして、日馬富士が真っ直ぐ土俵の下に転げ落ちた。
あっけない勝負に、場内は、表彰式まで大ブーイング。
白鵬は、涙を流して、申し訳ないとわびていた。

おそらく自分自身も想定外だったはずで、それも悔しかったのだろう。
結果的にはみっともない相撲になったが、反射的な勝負勘が働いたのだろうし、無意識に、優勝から遠ざかっている衰えへの焦りがあったのだろう。

そつの無い白鵬より、奔放な朝青龍の方が好きなのだが、今回の勝負には白鵬の肩を持ちたい。
ボクサーなどに、冗談でも殴りかかるようなマネをしてはいけないと言われる。反射的に殴り返される場合があるそうだ。
白鵬も勝ちたい一心が反射的に出たのだろうが、いくら何でも、あの機敏な日馬富士がそのまま転げ落ちるとは思わなかったのだろう。これも勝負の綾であり、この意外性も相撲の面白さだ。

今は牡羊座に太陽も水星もいる季節で、牡羊座の日馬富士は前がかりぎみだが、今日は月がサソリ座に入っている。魚座の白鵬の勘が上手く働いたのだろう。その結果のラッキーに、日馬富士も観客も肩すかしだが、一番、肩すかしを食らったのは白鵬だったのかも知れない。


禍福往来

2016年03月26日 | 星の流れに

三菱商事、三井物産が創業以来初めて赤字を出した。世界経済状況による資源価格の下落が影響したと説明されている。
射手座の土星が、貿易を停滞させる現象だ。
地下資源、ことに燃料はサソリ座だから、サソリ座の土星と獅子座の木星による投機熱の反動で、極端に値下がりした。これも、山高ければ谷深し。

土星が射手座に、木星が乙女座に移り、その混乱のあおりを食らったのが、射手座の貿易商で、しかも、射手座の「3」=三井、三菱だ。

酒気帯びでパトカーから逃げてタクシーと衝突とか、シマウマが逃げて死ぬとか、何から何まで、射手座一色だ。北海道新幹線も、待ちわびた開通なのに予約が不振とか。これを書いている時にも、名神でバスが衝突し、八尾で小型機が墜落した。

私事でも、スマホが突然不調になった。どうも故障らしい。ショップに持って行っても、当然のことながら、修理するより替えた方が安いと勧める。古くなって、走らない新アプリも出ていたし、しょうがないから、渋々替えた。
どうも、射手座のとばっちりを受けているようだ。でも、多分、結果オーライだ。
何事も、悪いことがあって、良い事が始まる。卒業シーズン。別れがあるから出会いがある、か。


蓬莱の桜

2016年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

桜を楽しみにしているのは日本人だけではない。日本に関心のある外国人は、ある意味で、日本人以上に、日本の桜を楽しみにしている。
しかし、日本人が待つ桜と、外国人が待つ日本の桜は違う桜のようだ。
同じ物を見ていても、見る人によって、全く違う物に見える。

欧米人が持つ桜のイメージと、中国人が持つ桜のイメージも、また違うものだ。
中国人が、これほど日本の桜に惹かれるのは、日本人には理解できないだろう。
桜は、欧米人にとっては、伝統と不思議の国を彩る壁紙だが、中国人にとっては、究極の世界、蓬莱の島の象徴だ。

何事も二者択一の極端に走る中国人にとっての仙郷、桃源郷の桃の花のように、桜は蓬莱の島、日本の象徴の花だ。
昔から世界の人は、地の果て海原の果てには、魔物が住むと考える人と、素晴らしい神のような人が住むと考える人がいた。東洋はどうも、沖縄のニライカナイとか、中国の蓬莱の島のように、地の果てに夢を見るようだ。始皇帝も不老不死の薬を蓬莱の島に採りに行くという徐福に夢を託した。

マルコポーロに、黄金の島ジパングを語ったのは中国人であり、それが、今日の欧米人のジャポニズムや、クールジャパンの思い入れを誘っている。
偉大な中華文明のお株を、日本に奪われてしまったと怒る中国人も、日本に蓬莱の島を重ねる思いには抗いがたいようだ。桜に夢を見ている。
経済にゆとりのできた中国人は、春になると、始皇帝も憧れた蓬莱の島に恋い焦がれる。

日本人にとって、桜は人生の歳時記であり、生き方を映し見るものだが、中国人にとっては夢の世界だ。
視覚とイメージを求める日本人が、眺めて楽しむ桜を、中国人は近くによって触れたがり、日本人の顰蹙を買っている。しかし、超リアリストの中国人は、物理的に、その夢の世界に入り込むことで喜びを感じる。

日本人には、せっかくの風情がぶち壊しだが、日本人でも、花見の席の奪い合いをしたり、酒を飲んで浮かれ騒ぐ。せっかく憧れて来てくれているのだから、折ったりしない限り、暖かく見てあげたいものだ。
どうしても、嫌な人は、自分で隠れた桜の穴場を探してはどうだろう。日本には、まだまだ、驚くほどの桜が人知れず咲いている。


ダメもと

2016年03月24日 | 日記・エッセイ・コラム

3月9日、キーボードにコーヒーをこぼして以来、実に2週間ぶりに「A」キーが回復した。
キー内の水分が無くなったのだろう。
幾分、反応が悪い気がするが、リハビリすれば治るだろう。

回復しないのなら、今更、カバーを買ってもムダだと思っていたが、こんなに回復したのだから、早速、カバーを買いに行こう。
キー坊には悪いことをした。本当に済まない。
これからはカバーを掛けて大切にします。
でも、当面は、サランラップでも良いかな。

何事も、簡単に諦めたり、早とちりはいけない。
問題が起こったら、何でも対処すれば良いというものでもない。しばらくは、様子を見て待つことも対処の一つだ。

自然淘汰
子供の成長に関する、親の過剰対応が、子供をダメにすることは少なくない。
子供の発育が遅いと悩む親は多い。「這えば立て、立てば歩けの親心」だから、少しでも他の子より劣っていると、何か問題があるんじゃないかと、あちこちの専門家を訪ね歩き、問題を発見して治そうとする。その、いわゆる専門家がベテランなら良いのだが、若手の教条主義者だと、ピンポイントで問題を発見し、治療することを提案する。
そうでなくても不安になっている親は、迷わず飛びつく「先生、助けてください!」

こういうことは、教育、医療、福祉、あらゆる分野で起こる。子供の成長期のアンバランスは、当然のことで、中には本当の問題もあるが、多くは時が解決する。
もし、単なるアンバランスに、手を加えると、自然成長や自然回復力を狂わせてしまい、次から次に手を加えなければならなくなる。一つ嘘をつくと、次々と嘘をつかなければならなくなる。それに似ている。

どこまで待つか、それが問題だが、結局は「ダメもと」と構える、親の胆力だろう。
若い親にそれを望むのは難しい。だから、大勢の大人に囲まれた、大家族や地域共同体が必要なのだが、ここまで来たら、もう帰れない。

若い親の単独子育てによる問題があふれているが、犯罪にまでならなくても、知恵と胆力のない親は子供をダメにするし、最近流行の「毒母」のように、父権の失われた家庭では、母親が賢明でなければ、家庭も子供もダメにする。

こんな世の中の未来は絶望的に思えるが、考えようによっては、実は、一つの淘汰が起こっているのではなかろうか。共同体の大人によって保護されない子育てが、子供をダメにするが、こんな環境の中でも、賢明な親、特に母親は、ちゃんと子供を育てる。
こういうことが、4~5世代続くと、単独でも子育てができる賢明な母親の子だけが生き残り、賢明な母親の社会が生まれる。
そうなれば、持論の、望ましい母系社会が可能になる。今は、その黎明期なのかもしれない。


比良八荒

2016年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

今日は満月だ。初めて行った土地でも、満月が煌々と昇ってくれば、即座に東西南北が分かる。GPSも磁石も要らない。古代の人も同じように観ていたと思うと、それだけで、何か胸が熱くなるような・・・

あちこちで、桜の開花が宣言されているが、これから、また寒くなるそうで、満開まで、時間が掛かりそうだ。一世紀も生きていないのに、満開の桜に雪が降る光景を何度か観た。春の天気は秋の空より変わりやすい。

関西では、東大寺のお水取りが済むまで春は来ないと言われているが、もっと決定的なのは、3月26日の天台宗の比良八講で、それまでは気が抜けない。
びわ湖に吹き下ろす、強烈な比良颪が吹くのが、その頃で、「比良八講荒れじまい」と言われ、略して比良八荒と言ったりもする。

今日は春分の満月だから、当然、月は天秤座で、土星や火星とも調和で、一瞬は和らぐかも知れないが、何しろ、木星や海王星の基本配置が悪い。まだまだ、世界は大荒れだ。


どっちが

2016年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

西遊記の直訳を読むと、陰陽五行で固めた話しでうんざりする。話の展開が、五行の摂理としてこうなると説明することで、リアリティを演出しているつもりらしい。
江戸時代の読み物も洒落で固めた、寅さんの口上のような上滑りでうんざりする。

時代や文化の中の、決まった論理展開や言い回しは、当事者にはそれでなければならないし、それが心地良いのだろうが、異なる時代や異なる文化から見ると、うざったいだけで、何が言いたいのか不思議で、少しも面白くない。

作家の仕事は、そうした文化の違いから、本質を取り出し、属する文化に翻訳し直すことでもある。西遊記や三国志、牡丹灯籠などを始め、平家物語や太平記などの日本の古典を含め、現代日本に紹介された作品は全く違う面持ちで、人間の物語を伝えている。

現代の世界では、その、本来不可解な異なる文化が、ネットを通じて、直接的に伝わり、相互に誤解し、互いに怒ったり過剰に評価したりする。しかも、その中で、誤解の混じったままの互いの表現法が普及する。

カワイイがKAWAIIで広がったり、中国の「常態化」が日本で常態化したり、日本の「爆買い」が、中国的意味で爆用される。こうした言葉は互いにエキゾテックであり、ニュアンスが正しく伝わらないことで、かえって広まる。

互いに面白がって使っているうちは結構なことだが、言語文化の違いを忘れて、その言い回し故の、誤解がおこるとすれば、心配だ。

中国の論法は、陰陽五行に見られるような、単純化の論理展開で、全て二者択一の、中間のない決めつけで語られる。何を論ずるにも「三つの〇〇」「8つの××」のように、実態よりも、格付けや色分けに拘るあまり、不必要な事柄を加えたり、肝心なことを落として言葉足らずになる。そのため、これを補うためにオーバーなことを言う。

繊細さの積み重ねで思考する日本語で考えれば、中国人は、恐ろしいことを言うとか、バカなことを言うと受け止められる。また、実際、こういう言語文化で暮らしているせいか、中国の行動原理は雑で荒っぽい。
ものの言い方も、言い切るために、語気が強く景気がいい。ところが、「ハッキリ言う」反面、逆に、「言わない」の選択もあり、不味い時には、一切、口をつぐんでしまう。

かねがね、中国人のうるささと静かさは、江戸っ子や浪速っ子に似ていると思っている。
さらにもう一つ言えば、アメリカ人に似ている。いずれも、雑なようで、実は繊細だ。
大都会や大陸で暮らすと、自己主張の必要性と、守ってくれる集団に属さない危険を知っている。それが、しゃべる時と沈黙する時の心得になる。

村社会の日本人のように、細かいことに拘り、出る杭にならないことを上品で静かと自任する人は、大ざっぱで騒がしい人間を見ると、デリカシーが無いと思う。
しかし、デリカシーのポイントが異なるだけで、どんな人にも、それぞれのデリカシー、琴線ポイントがある。相手にデリカシーが無いと決めつけること自体が、デリカシーの欠如であり、自分自身がトラブルメーカーになる。
しかも、当然、そのトラブルは、相手が起こしたと疑わない。


一病息災

2016年03月21日 | 日記・エッセイ・コラム

聖徳太子の頃から、「つつがなきや」が挨拶の慣用句だった。恙虫病は、病の代表になるぐらい、どこにでもあった熱病で、風邪との区別はなかったようだ。
当時は、つつが虫妖怪に取り付かれて病気になると信じられていたが、後にダニが媒介する菌であることが分かり、そのダニをツツガ虫と呼ぶようになったらしい。
今日でも、泥や土に直接接する人は、このダニを媒介して発症する人が少なくない。

時代によって、流行の死病は変わってくる。何でもかんでも恙虫病だった頃は、風邪とも区別がなかったから、あらゆる病気はツツガムシ妖怪による「風邪」の類と考えられていた。だから、その風邪で死ぬと「ふとした風邪が元で」死んでしまったと言われる。

科学や医学が進んで、様々な病因が正しく分かるようになると、治療法が確立していない病気が恐れられるようになったが、原因の分からない病気が、最も恐れられる。
現代人でも、原因の分からない病気は怖いのだから、何も解らない古代の人が、如何に病気を恐れていたか、想像できるだろう。

とは言え、古代の人にとって、病気の原因はみな、神の祟りか妖怪だから、原因が分からないことへの恐れはなく、ただ神や妖怪を恐れていた。現代人の、原因が分からない恐ろしさよりも、もっと鬼神を恐れていたはずだ。

原因が分からない病気は怖いから、原因を解ったことにすれば対処法があり、怖くない。
古代の人は、鬼神のご機嫌さえ取れば何とかなると信じた。
現代人は、重病は早期発見で怖くないと信じているし、少し調子が悪いと「あ、また花粉だ」と、理解して安心し、「もう、ほんとに花粉には困ったもんだ」と、様々な対策をする。

花粉は、不調のスケープゴートになり、季節の変わり目のホルモン変化にも気を使わなくても良いし、不摂生の反省もしなくて良い。
何でもかんでも花粉のせいにしているうちに、花粉情報を聞いただけで、条件反射的に体調に表れるようになる。終いには、何も変化が起こらないと、
「おかしい、どっか悪いんじゃなかろうか」

「鈍感な天子、敏感な天子に致す。花粉症なきや」

意識した」、「ガン検診」、「かぶり物」、「変わる?」、「恐るべし


第四権力

2016年03月20日 | 星の流れに

日本国内は、言うまでもないが、もう、世界中に射手座の火星が効いている。世界中で事件、事故だらけだ。ロシアで飛行機事故、中国は今に限ったことではないが、スペインで留学生のバス事故など、射手座で射手座だ。

反トランプデモは、双子座の対角線上の射手座に土星がいて、古いアメリカ人が相手だったところに、火星が来たら、怒れるアメリカ人も現れた。

墜落したグライダーに乗っていたのは、年寄りの教官と年寄りの生徒。

国連や、その他諸々の国際機関は、一体、何をしたいのかと思うほど、パフォーマンスに明け暮れている。アメリカの力が弱まり、ロシアや中国の勝手気ままな振る舞いが目立ち始め、世界秩序のタガが外れた状況の中で、自分たちの使命が解らなくなり、各機関が、極めてバランスを欠いた私的な行動を取り始めた。

国連は星座で言えば何なのか良く解らなくなってきた。
組合と考えれば水瓶座になるし、国に替わる世界最大の枠組みと考えれば射手座になる。平和の社交場と考えれば天秤座になるし、管理組織と考えれば乙女座になる。
生まれた時、天王星が双子座時代だったことを考えれば、やはり双子か射手の変容宮で、現在の変容宮混乱での動向を見ても、双子座・射手座の「通信と連絡」の機関と思われる。

道理で、何の役にも立たないわりには、妙に主役のような顔をする報道機関のような存在だ。
情報革命で、報道機関の意味が問われる時代になってきたが、全く同じ理由で、国連の意味を考え直さなければならない時代が来ているようだ。


第二の男

2016年03月19日 | 占いばなし

ショーン川上の学歴詐称事件。芸能人やタレントの学歴詐称が何故そんなに問題なのか良く解らないから、興味なかったが、テレビで謝罪の声と顔を見て、ちょっと調べてみたら面白かった。
これは、第二の佐村河内だ。

二人とも、自動車人間のエンジン。そして、牡羊座と天秤座のちょうど対角線上に当たる裏表の存在だ(3月21日と9月21日)。九星では五黄一白と異なるが、同じ離宮傾斜の知性派(悪く出れば狂気)になる。

オヒツジと天秤は、正義と裁きの星座であり、一歩狂うと大嘘つきや大悪人が出る。
佐村河内はエンジンS(スポーツカー)で、川上はノーマルだが、実際はSに近い。
エンジンがほら吹きになる理由は、佐村河内の時に話した。 「制御不能

その場その場の状況突破の積み重ねが、嘘になるのだが、もう一つの理由として、相手を喜ばせたいサービス精神もある。
どちらも、知的イメージのニーズに応えた、ショーをやっていたわけだ。

政治家や技術的専門職なら、学歴は一つの資格条件になるかも知れないが、芸能人の場合、受け止め手の観客がどう思うかによって成り立つイメージ商売だ。客の求めるイメージに応えていただけで、実際がどうであるかより、客がそれを楽しんでいたわけだから、問題はむしろ客の側にある。

昔から、奇術師のネタがバレると、場所と場合によっては袋叩きに合うが、これは、客のレベルが低く、奇術師を神のように信じて観ていたために、騙された自分ではなく奇術師に腹を立てるからだ。レベルの高い客なら、奇術には種があることを承知で観ているから、ガッカリすることはあっても腹を立てることはない。

レベルの高い聴衆なら、タレントの経歴詐称など、ガッカリしたり笑ったりするかも知れないが、怒りはしないだろう。怒るのは、自分が見極めがつかない人間であったことを、認めたくないからではなかろうか。


睨まれた

2016年03月18日 | 星の流れに

バスで墓参りに行った同じ日、広島の山陽道でトンネル事故が起こった。
もちろん、これは、交通の射手座の土星、火星の影響だが、この事故には、やはり今ならではの影響が随所に現れている。
広島の中学の事件が注目されている最中、今度は広島での大事故だ。

このところ「丸」が目立っている話をしたばかりだが、死亡した被害者の一人が、丸岡節枝さん。追突した運転手の会社は「ゴーイチマルエキスライン」と聞けば、寒気がする。

また、射手座の意味する名前として、逮捕された運転手が皆見成導というからこれも驚きだ。射手座のモットーは「I see」で、皆見。射手座は高等教育だから、導くことで、成導。なのに、事故原因はおそらく前方不注意
・・・運命に睨まれた蛙のようだ。


P.S.
言い忘れたが、事故の八本松トンネルの「八」は土星。射手座の土星の事故現場だ。


猿の電車

2016年03月17日 | 日記・エッセイ・コラム

今日はバスで墓参りに行った。電車より便利で、運転するより楽なので、近頃は何かにつけてよくバスを利用する。
昔から、やむを得ない限り、乗り物の予約はしない。乗れなければそれが天の声だと諦めるが、何らかの形で乗れる。人生上、乗れなかった事は数えるほどしかない。
第一、混むのが分かっているような時には動かない。
アクシデント以外、通常、混雑に巻き込まれるのは、不要不急の外出だ。

バスも、利用する時は、たいてい半分以上空席だ。仕事で三重に行った友人は、客が自分一人だったので、運転手から、「お客さん一人だから、好きなようにしていて下さい」と言われて面食らったと、笑っていた。ビジネスタイムのバス客は少ないのかも知れない。

今日は彼岸の入りだが、平日のせいか、ほとんど学生で、やはり半分以上空席だった。
こういう場合、運転手は最終乗車駅を過ぎると、「空いている席に替わってもらっても結構です」と、付け加える。日頃から問い合わせがあるからだろう。

ガラガラだったので、休憩サービスエリアで降りるとき、運転手に、「空いた席に替わっても良いんでしょ?」と、確認を取った。
すると、若い賢そうな運転手は、困ったような顔をして、「あー、お客さんは平等なので、運転手のわたしからは何も言えません」と言う。
「あ、はいはい、解りました」と、それ以上の話しを切り上げた。

予想外の返事に、何かムカッとした。言うことは至極もっともで、理屈はその通りだ。
この運転手は、他の運転手より、賢いと思う。しかし、何か大きく間違っている。
そして、こういう発想、こういう対応、こういう人物が、世の中に溢れていることを瞬間的に思い出した。

特に若い人に目立つが、年を取った連中は、対応の仕方が上手くなっただけで、実は全く同じだ。
バスだろうが、飛行機だろうが、運転手は全員の命を預かるキャップテンだ。乗客の安全を図る上で、全権を握っている。運行上、ダメならダメと言わなければならない。安全に支障が無いなら、自分が責任を持って許可できるはずであり、その覚悟も持たなければならない。

それを避けるのは、客同士のトラブルが自分に降りかかるのを避けたいからだ。
本来、チケット売り場で、空席に変更することが出来るのであれば、走り出したら、運転手の判断になる。これは全く他の乗り物と変わることはない。

世の中の、賢い「事なかれ」が、イジメをはびこらせ、広島の教師による中学生の自殺のような現象を生み、企業経営者の内部留保、イノベーションの疎外を生む。
学校の出来が良くても、覚悟の無い人間が、大きな乗り物を動かしている。
そういうことを思い出して、ムカついたのだろうか。