魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

そうせい

2015年11月28日 | 星の流れに

射手座に土星が入って以来、群馬の話題が多い。大河ドラマでも、舞台は群馬になっているし、何かやたら交通事故が多い。先日はまたも群馬で、「エミュー」騒動。捕獲されて事なきを得たが、この鳥はダチョウと同じで、飛べない。走るだけの鳥だ。大腿部は射手座だが、実際、走っている姿はケンタウロスを彷彿させる。
海王星か」、「馬が喋る


大河ドラマと言えば、今年の大河は殊に面白くない。長州ヨイショのつもりだったのかも知れないが、結局、長州がカルト集団のように見えて来る。薩長による靖国神社の意味が解ってきたような気がする。
それはまあ良いとして、面白いのは、流行語狙いか、北大路欣也に、何度も「そうせい」と言わせていたが、今年、薬品会社の「そーせい」の株が上がった。不覚にも、そんな会社があるのを知らなかったのだが、知っていたら、買っておいたのに。


波路遙か

2015年11月27日 | 日記・エッセイ・コラム

歴史番組「英雄たちの選択」で、阿倍仲麻呂を語っていた。日本の古代史の謎の偉人として、ロマンをかき立てられる人物だから、興味深く観た。
出演者は仲麻呂を絶賛。観ながら、仲麻呂は本当に素晴らしい人だ、現代の日本にこんな人が出てくるだろうか、と思ったが、観終わった感想は、「でもねえ」だった。

仲麻呂の国際感覚とは、あくまで当時の中華世界のことであり、今、その古代中華世界を再現しようとする中韓の価値観は、千年後の現代では、いかにも不都合な骨董品だ。
バカボンパパそっくりの習近平だが、「それでいいのだ」とは言い難い。
(それにしても、習近平を見る度に、腹巻き姿が目に浮かぶ)

皇帝が支配する中央集権の世界なら、特定の狭い社会に入り込む能力が、直ちに、国際的架け橋になるが、民主主義時代の国際貢献は、それだけの能力では架け橋になれないし、今は、どこにも行かなくても、世界に発信して影響力をもつこともできる。情報化ボーダレス時代は、世界中が宮廷社交界化している。

国家という枠組みで世界が動いていた時代が、終わろうとしている時、その原点に回帰しようとする、中国共産党やISのようなゾンビが現れるのも、大転換時代の必然かも知れない。
秩序が崩れて混乱が起きると、それまで姿を隠していた、魑魅魍魎が跋扈する。
各国で、独立論が盛んなのも、国家という枠組み終演の表れだ。近代国家の幻想が消えようとしている。

異邦の社会
とはいえ、今現在、その枠組みが解けたわけではない。未だ、国家は厳然と存在するし、50年や百年で地球連邦が生まれるわけでもない。実際、政治経済も学問芸術も、小さな集団社会が世界を動かしている。阿倍仲麻呂のように、コアな中央に入り込むことが、「出世」や「貢献」につながることは、今も同じだ。

いわゆる、出会いが人生を変え、世の中を動かす。現場に飛び込むことで出会い、歴史に参加するチャンスが生まれる。
異邦の地では、それだけで希少価値としての参加資格が得られる。
クビライとマルコ・ポーロ、信長とフロイス、家康と三浦按針など歴史に残る人々を始め、近代以後は、海外に出て行った武術家や芸術家の活躍はよく知られる所でもあるし、ジョン・レノンとオノ・ヨーコなどの例もあれば、逆に、日本に来て活躍する外人タレントもいる。

何れも本国にいれば、ただの人だったかも知れないが、異邦の地がチャンスを与えた。
しかし、もちろん、誰でも仲麻呂になれるわけではない。それなりの才能が有ったからこそチャンスが活かされたわけだが、異邦人の付加価値が大きな武器であったことは否めない。

また、異邦の地で成功しても、故国に帰って歓迎されるとは限らない。多くの場合は、むしろ排斥される。
福岡や大阪出身のタレントが、地元に帰って地元のためを思って何かを言ったりすると、その違和感に、すぐ、「おまえ、東京に魂売ったな」と言われるそうだが、日本全体にその傾向がある。

昔は、特にその傾向が強く、小澤征爾とN響の確執は、世界を知る日本人が増えた時代だったから、雨降って地固まったが、何事も権威だった藤田嗣治の時代は、社会が変わることでたちまち排斥され、日本を捨てるしかなかった。
阿倍仲麻呂が日本に帰ってきていたら、権力闘争に巻き込まれ、最終的には、やはり排斥されていたのではなかろうか。島国は、グローバルな愛国者には住みにくい所だ。

今でも、日本は権威社会だが、グローバル化で、かなり、ゆるくなってきている。
日本で、うだつが上がらないと、嘆いている若者は、自信があるなら、とりあえず、異邦の地に出てみてはどうだろう。

そういえば、今日は藤田嗣治の誕生日だ。


経済連合

2015年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

今、世界は、舵も船長もないまま、漂っている。海王星魚座の海難時代だ。
前回、海王星が同じ魚座にいた頃、1848~1863年ぐらい、あるいはその前後、日本では幕末、アメリカでは南北戦争。中国はアヘン戦争。欧州各国では革命。共産党宣言や進化論が現れた。
産業革命パラダイムによって、それまでの体制が消滅し、価値観が変わり、新しい体制が生まれた、産みの苦しみ時代と言えそうだ。

清朝滅亡と琉球処分によって生まれた沖縄県にも、今また新たな波が押し寄せている。
魚座は海洋国だから、沖縄や東南アジアには国の興亡に関わるほどの影響がある。
2015年。アセアン経済共同体(AEC)が動き始めた。最近は、沖縄独立の話しが、だんだんリアリティを帯び始めている。

海王星回帰は、夢から覚め、また新しい夢の世界に入る時だ。
もし、沖縄が独立するなら、むしろ、アメリカとの関係を強化し、台湾とともに、アセアン経済共同体に加わる方法もありそうだが、その前に、日本自体が、そうした道を探るべきだろう。

また、価値観、秩序の大転換と言えば、現在の国連は、第二次大戦の戦勝国体制であることの弊害が、年々大きくなっている。そろそろ、戦時連合から、経済連合を基本とする国連を創立することも考えるべきではないだろうか。

EUやTPPの連携によって、軍事も含む、新しい国際秩序の枠組みを構築する時だ。
いきなり国連をなくすことはできないから、拒否権のような不合理な、戦時バランスを基本とする国連は、死に体化していけばいい。

中国が大きな顔をしているのは、台湾に入れ替わって戦勝国の立場を得たからであり、もう一度外すことはできないが、無意味化した国連なら何を言っても無害だ。
中国の最も望んでいるのは経済力だから、戦勝国面するために、もう片意地張らなくて良いんですよと、解らせてあげるのが、みんなのためだろう。

大転換6」、「浪速維新」、「風の流れ」、「天下布武


ドサクサ

2015年11月24日 | 星の流れに

トルコがロシア機を撃墜!
ロシアは、パリのテロ事件で、アサド政権支援の思惑を正当化し、しかも、欧米とよりを戻せるチャンスと、気合いを入れかけたら、思わぬ横ヤリで、 アチャッ!
火星が天秤座に入ったことで、天秤座のプーチンは、相当、カッカしている。
今回の事件も、調子に乗った勇み足が原因だ。
撃墜されたのは「スホイ24」で天秤座の「6」、これも火星・天秤座。

どんな被害者も、責任がゼロと言うことはない。ましてや、今回のロシアは、半分以上、加害者だ。その辺りのことは、大韓航空の旅客機を撃墜したロシア人なら良く解っているはずだ。
プーチンは、我慢しながら、各国の様子を窺っているのだろう。

中東は、宗教、帝国主義残滓など、そうでなくても複雑な地域に、世界のパワーバランスのせめぎ合いで、文字通り、カオス状態であり、ここに近寄るのは、まさに火中の栗を拾おうとすることだ。
それでも、首を突っ込むのは、米露のような、理想主義の風の星座ならではだろう。

「ロシアが理想主義?」と、思われるかも知れないが、トルストイやドストエフスキーの国でもある。
アメリカは独自の正義感からベトナムに介入し、ソ連がアフガニスタンに侵攻したのも、それなりの正義感からだ。(正義には必ず反対の立場がある)
同様に風の星座の日本も、いまだに正義を信じている。
今もまた、アメリカが懲りたイラク、シリアにロシアは介入したし、日本の正義の首相も勇ましい。

一方、全く違う感性で動くのが、水の星座、中韓や東南アジアだ。
カニ座の中国は、正義の騎士ではなく、家主のつもりの小言幸兵衛だ。自分は勝手なことをしながら、人には道を説く。水の星座は感情論の世界だ。平和とは、「力の上下を、情でつないだ秩序」だと考えている。
中国はアジアの大家だと信じているから、自分が家を直そうと庭木を植えようと、勝手だと思っている。実際、アジアにはそれに従う国が少なくない。

江戸時代の大家と店子の関係が残っていた昔は、下宿すると、大家が「親からお預かりしている責任がある」と、下宿学生に指図をした。今は、こんな賃貸は成り立たない。
現代世界の価値観をバカにしている小言幸兵衛の中国は、欧米の混乱には参加せず、むしろ便乗して、「テロに反対」と言いながら、自国民弾圧の口実にしている。

時代の流れが、サッパリ解っていない、大家の中国は、その内、下宿人がいなくなると思うのだが、下宿屋が全く無くなると、逆に希少価値が出て「情があって、何でも相談できる大家さんがいて良い」という人も現れるから、世界のドサクサに紛れて、無責任な中国が、案外、漁夫の利を得るのかも知れない。


防犯効果

2015年11月23日 | 日記・エッセイ・コラム

この秋、青いはずのブルーベリーが赤いサンザシになって驚いたが、その後、歩きながら注意して見ていると、何のことはない、季節がら、キンモクセイや南天のように、どこの庭先でも見かける赤い実だ。サンザシには黄色いタイプもある。
道理で、記憶にあったわけだ。

どこにでもあると言えば、極めつけは、通りがかった二条城のお堀の周囲が、ぐるり全て、サンザシの垣根で張り巡らされていた。
二条城には、日頃あまり行かないのに、たまたま自転車で通りがかったら、赤い実で一杯だった、この季節でなければ気づかなかっただろうし、車では先ず気づかない。

やはり、トゲが防犯に効果的なのだろう。さりげない顔をして垣根に使われていた。
トゲ効果を意図してか、同志社前の大聖寺の烏丸側には、スダチが植えられていて、実を付けているのを見かけたことがある。


世間の風

2015年11月21日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪鶴見区で二人組の小学生が、「トイレを貸して」と、高齢者宅に上がり込み、窃盗していく事件が相次いで、警察が注意を喚起している。
このニュースで、思い出したことがある。

幼稚園の頃、通園は1kmほどを歩いて通った。園児には大変な距離で、途中でトイレに行きたくなると、どこの家でもかまわず入って「おシッコさせて下さい」と言えば、大歓迎で、トイレに案内された。
小学校は、始業のベルを聞いてから飛び出しても間に合うぐらい近く、学校で「大」がしたくなったら、家まで帰っていたから、よその家のトイレを借りる必要が無かった。

何年生の頃か、よく憶えていないが、多分、3年生ぐらいだったと思う。
遊びに行っての帰り、急に下痢気味になり、慌てて通りがかりの家に飛び込んだ。
「すみません、トイレ貸して下さい!」(当時は便所と言っていたと思う)
すると、出てきた40代のおばさんは、怒ったように、
「そんなものは、知らない人に貸せません」
もう一度、頼むと、
「どこの子だ!何をしに来た!警察を呼ぶ!」
と、えらい剣幕になったので、慌てて帰った。
一番近い友達の家まで我慢してたどり着き、何とかセーフだった。

礼儀作法など、一切、教えない親だったので、この時、初めて、トイレは簡単に借りられるものではないと言うことを、世間の風にあたり、実践で知った。
そして何より、自分が、もう子供ではないんだと告げられたようで、ショックだった。

今回の大阪の事件は、小学生と言っても高学年で、もしかしたら中学生かも知れないのだが、年寄りは子供が好きだから、思わず、入れてしまうのだろう。
気さくな土地柄もあるのかも知れない。子供の頃、厳しく叱られた町は、古い城下町だった。


指導者達

2015年11月20日 | 自動車人間学

トルコでのG20の合間に、シリア問題だろう、オバマ大統領とプーチン大統領が、通訳だけを介して、文字通り、差しの膝詰め談判をしていた。
映像が何とも真剣で、事態の深刻さと指導者のあり方の意味を感じさせた。
二人とも三碧であることで実現したと思われる会談だ。

三碧には、派手さはあっても重々しさはない。格式張らない会談が簡単に成立したのだろう。外交は何時もこうであって欲しいものだ。子供の頭をなでて親近感を振りまくより、よほど好感が持てる。

格式張らないという点では、一白は、可愛げで、且つ、教条主義的だが、やはり重々しさはない。現在、日独仏のトップが一白だ。
一方、英国キャメロンは七赤、中国の習近平は二黒だ。七赤は表と裏がある調子の良い水商売。二黒は見かけより多才で実力があり、タフだが品はない。ちなみに、韓国の朴大統領は四緑。四緑は人に付いていく。

ケネデイも双子座の二黒だったので、習近平とは酷似しているように見える。
しかし、ケネデイと習近平の違いは、自動車人間のエンジンとハンドルの違いだ。ケネデイのハンドルは情報と読みを重視するが、習近平のエンジンはあまり考えずとにかく行動する。
習近平なら、キューバ危機で核戦争が起こっていたかも知れない。

面白いことに、中国の近年の指導者はエンジンばかりだ。ところが、毛沢東だけはハンドルで、麻原彰晃の弟子が軒並みエンジンだったことを考えると、中国共産党の体質がいかなるものかが理解できる。


海王星か

2015年11月18日 | 星の流れに

大阪や北海道で、何者かが道路にコンクリートの障害物を置いて、オートバイが衝突し、死者まで出ている。殺人罪の可能性があるが、やった人間は軽いイタズラ程度の認識しかないだろう。
一方、18日には群馬の上信越道で、落下障害物で止まった車列に67歳の運転する大型トラックが追突。
先日は、レンタカーに大学生が定員の二倍乗って事故。

何れも射手座の土星だ。土星は障害物だから試練や苦労を意味する。壁や山、疑心暗鬼も土星。この一連の障害物事故で、路上の障害物が注目されている。星による世相だ。

定員オーバーの過積載も土星だが、もう一つの土星問題は、高齢ドライバーだ。上信越道で追突したトラックの、67歳のベテランドライバーは、現役としてどうなのか微妙な所だ。オートブレーキが付いていれば起こらなかった事故であることを考えれば、高齢化社会の今、自動運転の実現が急がれる。

17日はSAMとトータス松本も、ほぼ同時に、事故を起こしている。
これまで、何度も触れているので、詳細は繰り返さないが、フランス、テロ、観光、飛行機、難民・・・全て変容宮だ。
18日から、魚座の海王星が順行することが、明らかに影響している


中間児症(2)

2015年11月16日 | 兄弟関係

中間児症」(1)

中間児が、周囲を気にして、言いたいことも言わずにいる時、長子や末子は、周囲を全く気にせず、言いたい放題やりたい放題で過ごす。

長子は弟妹に邪魔されると押さえ込もうとし、それが無理なら別の道を探り始める。何をやっても、弟妹が同じ道を這い上がってくるから、面倒くさくなると道を譲って別の道、新天地を探す。二番煎じに負ける先発企業だ。
末子は好き放題やっていても、本当にだめなことは、親兄姉に止められるか、助けられるから、自制を知らない。

前と後ろから突かれる中間児は、うかつに動き出してはいけないことを学ぶ。だから長子と末子のような、脳天気な言動に腹が立つ。
自制を知らない末子が、自制せざるを得なくなったのが中間児であり、先ず自制することで物心ついた長子が、自制から逃れようとするのとは逆に、自分が堪えている自制を他人にも求める。

何事も、確実を見極めてから動き出す中間児は、逆に、失敗に慣れていない。もし自分のミスによって攻撃を受けるようなことになれば、反射的に反撃を始める。
それまで、ゆったり構えているように見えていた人が、突然、早口になり、形相まで変わる。そして、絶対に謝らない。

反撃が難しい場合は、第三者を抱き込み、味方を増やそうとするか、脳天気で無防備な長子や末子のせいにする。この場合、扱いやすいのは末子だが、どちらも敵になった場合は、バランスを考えて、分の良い方にすりよる。
さらに不都合になると、死んだ人の言葉や権威者など、誰も確認にいけない人の言葉で、相手の間違いを立証しようとする。この際、自分の正しさの証明より、相手の間違いを立証することが先行する。そして、さらに追い詰められると、徹底的に沈黙するか病気になる。

もっとも、中間児は用心深いから、滅多にこういうことにはならない。また、この用心深さに、長子末子は全く気がつかない。用心深さの一つの方法として身につけている、「良い感じ」に、簡単にたらし込まれてしまう。
末子には無理だが、長子はその気になれば見抜くこともできる。一つの特徴は、内緒話的な会話が多い。また、複数の人がいる場所では、無意識のうちに、ちらりと目で様子を窺う。発言の前後、一瞬間がある。また、何かを問いかけても、全く反応しない人もいる。何れも、様子を窺っているからだ。

中間児のこの習性をすぐ察知するのは中間児だ。だから、中間児同士はものすごい馬が合うか、疲れる相手になる。
友達でも同僚でも夫婦でも、中間児は末っ子をバカにしながら可愛く思い、長子を煙たがりながら一目置く。

長子同士は徹底的な喧嘩をしないが、中間児末っ子など弟妹は、トムとジェリーのように常に仲良く喧嘩する。

なお、実際には、あらゆる類型タイプのような人は存在しない。あくまでも典型的イメージで、実在の人物を理解する上で、このイメージを基準として、個々を類型のバリエーションとして見れば理解しやすくなる。


殺伐年末

2015年11月14日 | 星の流れに

13日、火星が天秤座に入った。和歌山など各地で地震が続いていたが、14日朝5時51分、鹿児島西方沖でM7の地震が起きた。ほぼ、同じ頃、パリでは連続爆破テロが起こった。
テロ集団の行動も、地震の予兆も、新月の頃から動きは始まっていたと考えられる。
この間、米英による「ジハーディ・ジョン」の空襲殺害もあった。

欧米は、この手のニックネームが大好きで、本名とは関係ないイメージで呼ぶ。
「切り裂きジャック」「ビリー・ザ・キッド」「ピーピング・トム」・・・
「ピーピング・トム」も日本なら亀太郎の名前にちなんで、出歯の亀太郎がデバガメになるが、単なるトーマスのイメージで名付けられたようだ。

聖書ヨハネの英語名「ジョン」には、第一使徒の忠実なイメージがあるのだろう。代表的な犬の名前が「ジョン」、映画「ジョニーは戦場に行った」、ミサイルの「オネスト・ジョン」・・・など、忠実や純真、バカ正直のイメージがあるから、「ジハーディ・ジョン」と聞いただけで、「聖戦バカ」的なイメージが伝わる。

ロシア機の墜落に続き、今回のパリでのテロ。プーチン、オランド両大統領とも国際会議出席を取りやめている。
航空機、サッカー場、何れも射手座だ。サッカー場にはオランド大統領も居合わせたと言うから、もしこれが中国なら、メンツに関わる事態だ。

いよいよ、海王星・魚座の深みに入ってきた。宗教国家IS建国の夢は、まだ始まったばかりだ。
ソ連や中共が興った時、世界は、破壊行為を目の当たりにして、まさか、本当に大国家を成すとは思わなかった。ギロチンに熱狂するフランス革命だって、当時の周辺国には異常事態だった。ISが目指す領土と、今、中共が主張する領土域は、全く同じ発想に立っている。
ISを単なるテロだと考えて対処すると、かえって彼らの建国の夢を手助けすることになるかも知れない。

海王星が魚座にいる時代は、宗教の時代だ。宗教とは集団の思い込みが一致することで、海王星の幻想の働きだ。コンサートの大観衆なども海王星の働きだが、国家や民族の成立に大きく関わる集団的思い込み、同一意識が、国家のような塊を成す。
前回、海王星が魚座にいた時、明治維新は起こった。

火星は年明けまで天秤座にいる。この年末は殺伐としそうだ。


中間児症(1)

2015年11月13日 | 兄弟関係

中間児は上にも下にも気兼ねする反面、上下の影に隠れ、姿を消して難を逃れ、隙を見て良いとこ取りできる立場にある。
長子と末子が、大当たりか大外れをする陰で、中間児は堅実に地歩を固める。

長子と末子が、現実を無視した博打を打つのに対し、中間児は粘り強く堅実な道を歩き、一度、チャンスにかじりついたら離さない。
この結果、中間児の多くが、最大の受益者になる。ただし、世の中が不安定で、環境が激変する時、頼った人がいなくなる時は、むしろ不利になる。

こうして、我慢強く堅実な中間児だが、このために、ストレスが溜まりやすく、体調不振に悩まされることが多くなり、病気に敏感になる。健康管理に関心が高く、病に患う(気で患う)ことも多い。実際、医療関係の仕事に就く人も多く、人を見ては病気の心配をする人もいる。

兄弟関係の中で、我慢を重ねて過ごすストレスと、一歩離れたスタンスから、他人に対して批判的で、無意識のうちに意地が悪くなる。これは、周囲に良い人だと思われたい習性と矛盾し、自分では良い人だと思っているが、相手がスキを見せると、思わず叩きたくなる。また、叩いてしまったことに、(良い人でありたいから)すぐ反省するが、決して謝れない。

この矛盾した中間児同士が結婚すると、互いに、思い遣りあうことが、二重のストレスになり、いずれかが病気になるか、早死にをすることもある。

「中間児症」(2)


親の心得

2015年11月12日 | 日記・エッセイ・コラム

中国の軍艦が、尖閣の付近をウロウロしているとの報道があった。
いかにも中国らしい。アメリカの軍艦が、中国の主張する領海に入って、「中国領土と認めない」と、主張したのを見て、「なるほど!」と、やり口をパクろうとしているのだろう。

体当たり漁船にしてもそうだが、これが有効と知れば、どんどん同じ処を突いてくる。日本人が考えるように、あれこれ考えて作戦を立てるのではなく、実際に起こった現象の中で、有効なものを活用するのが大陸流、パクリの神髄、現実主義だ。

だから、決して、反応して見せてはいけない。
これは北朝鮮、韓国も全く同じで、とりあえず大声を上げて、相手の顔色を見て、効果があれば、ここを先途と騒ぎたて、効果が無ければ、何も無かったことにする。
中国と韓国の違う所は、中国は空気が悪いとサッと引いてしまうが、韓国は騒いでいるうちに自分でブレーキが効かなくなってしまう所だ。

賢い子は、おねだりする時、親の顔色を見ながら、空気を読んで、駆け引きをするが、あまり賢くない子は、「買ってくれー」の一点張りで、店でひっくり返って泣き叫ぶ。しかも、泣き叫んだ後に、買ってくれることになっても、「そんな物要らない!」と、投げ捨てたりする。物が欲しいのではなく、買って貰いたい感情が動機だから、思いが通らなかったことに、感情的になっているからだ。

親としては、子供のおねだりにどう対処するのか、始めから一貫した姿勢を示さなければ、子供は敏感に顔色を読んでいる。
ちょっと「買ってあげたいな」などと思ったら、子供は「脈がある」と察知し、賢い子もバカな子も、やり口は違っても、決して諦めなくなる。

賢い子は買って貰ったらそれなりの礼をするが、バカな子に買ってあげても、親は人前で恥をかき、金を使った上に、恨まれる。
結局は、躾け以前に、親自身の自制心と覚悟、毅然と一貫した態度の方が重要だ。
日頃甘やかしておきながら、都合次第で、突然、厳しくしても、良い親子関係は作れない。

親子関係ではないが、要求する者と対応する者という意味で、中韓とここまでこじれているのは、日本の外交対応に一貫性がないからだ。
全ての失敗原因は、いい顔をしたい日本が、大陸流のアドバルーンに、一々、取り合ってきたことにある。親なら日頃の甘やかしだ。犬でも子供でも、甘いだけの親はバカにされ、犬は飼い主を家来だと思うようになる。

そうしておいて、突然、厳しいことを言えば、恨まれたり噛みつかれたりする。
親や飼い主、あるいは買い手になった場合、相手の言動にこちらの反応を示したら、その時点で、相手の奴隷になる。
飼い犬に手を噛まれるのは、犬が悪いのではない。飼い主の責任だ。牧畜文化の欧米は、それと同じように見て、うんざりしている。

ところで、預かった犬に噛まれたのは、どう考えるべきだろう?


押し付け

2015年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

京都の小学生が大麻を吸ったと話して、17歳の兄が逮捕された。こんなことを言うと叱られるかも知れないが、可哀相なような、可笑しいような・・・

元々は、小学生がタバコを持っていたことから、始まったことで、小学生がタバコ吸うと言えば、フランス映画「ボタン戦争」では、悪童がタバコを吸っているシーンがあったが、あれを思い出すと笑ってしまう。
立前主義の日本では、シーンの撮影そのものが許可されないのではなかろうか。

子供がタバコを吸ってはいけない理由は、成長の害になるからと言われているが、以前は、コーヒーもそうだったはずなのに、近頃は、健康に有益とまで言われている。
タバコの害は、大人にもあるというのが現代の定説だ。しかし、未だに国は許可をして、税源にしている。

日本では、昔は酒やタバコに寛容で、逆に、麻薬には感心さえなかった。米軍が日本に来て、どこにでも大麻が生えているのに驚き、慌てて規制させた。泥棒の目には無人販売が理解できないように、自分に悪意のある人には、無垢の行為も悪事に見える。
日本で大麻が「とんでもないこと」になったのは、米軍が来てからのことだ。

そのアメリカでは、タバコや酒にはうるさい反面、禁酒法の反省からか、大麻を合法化する動きもある。酒を絶対に許さないイスラムでは、アヘンや大麻には無頓着だ。
化学薬物の覚醒剤こそ徹底的に止めさせるべきだと思うが、ヒロポンなど戦前の日本軍を中心に積極的に薦めていた歴史もある。

酒、タバコ、大麻、アヘン・・・どれも、何が嬉しいのかと思うのだが、これが好きで堪らない人は少なくない。
酒が良くて、大麻がダメな理由は理解できない。大麻がダメなら酒もダメだと思うし、酒が良いなら大麻も好きにさせれば良いと思う。
酒を否定すれば、擁護派の人は飲み方の問題と言うだろう。ならば大麻も同じ事だ。
世の中では、アルコール依存症が大変だと言いながら、酒の売り上げが落ちて大変だと言っている。良い悪いの基準は、実にいい加減で、勝手なものだ。

子供がタバコや大麻を吸うのは、大人のまねをしているのであり、こんなことで、子供を逮捕や補導して、犯罪や不良の、矯正対象にしてしまっては、決して良い結果をもたらさない。大人社会こそが、自らを省みるべきだろう。

日本人の大麻忌避意識は、戦後、米軍に植え付けられたもので、憲法を押しつけられたという人は、まず、大麻の是非から考えてみてはどうだろう。

入口出口」、「煙に巻かれる


WADA

2015年11月10日 | 星の流れに

今日のニュースも、頭から射手座の話題ばかりだ。
世界反ドーピング機関(WADA)が、ロシア陸上の組織的ドーピングを指摘。オリンピック出場停止の危機。野球賭博で「3」選手が資格停止。名誉教授が暴力団から借金で日大が解職処分。これとは別に、大学教授のセクハラもあった。関空の民間委託交渉にオリックスとフランスの企業連合。
どれも射手座の話題だ。

ロシアの組織ぐるみのドーピングは、ソ連時代の勝利主義の名残といわれている。
共産主義の国威発揚が目的であるとすれば、生き残った共産主義大国の中国はどうなのだろう。

記憶だけだから、確かではないが、中国も水泳で組織的に関わっていたのが発覚して、何人かメダル取り消しになったと思う。
この件の面白さは、中国では漢方薬を使っていて、問題ないと思っていたら、その漢方薬の成分に、禁止薬物が入っていて、発覚した。

その後、今回も含めて、中国は表向きにはドーピング問題が起こっていないと思う。
しかし、前回の漢方薬には、たまたま禁止成分が入っていただけで、もしかすると、さらに巧妙な漢方を駆使しているのかも知れない。
なにしろ、純国内技術で、ノーベル賞を取った、中醫の伝統がある国だ。西洋医学なんぞには、測ることのできない技を、駆使しているのかも知れない。

ただ、例えそうだとしても、問題は成績だ。体力だけでは超えられないスポーツ技術も大きいのだろう。
4000年の裏技に、例えパクリでも、スポーツ技術が加わったら恐ろしいことになるかも知れない。これからはスポーツ界も、サイバー空間にも気を抜けない。

 


ミニ事故

2015年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

大学生がレンタカーのワゴン車に、定員の二倍の12人乗って横転し、ケガをした。
ハンドル操作を誤ったと言っているが、荷物を二倍乗せれば、通常の運転はできない。
まして、シートベルトをしない人間は、カーブの遠心力で動き、重心が不安定だ。
本当のところ、運転できないわけではないが、この基本的な認識がなければ、必ず事故を起こす。

もし、どうしても運転しなければならない時は(災害時など、馬鹿正直に法律に従ってはいられない)、それなりの運転のコツがある。しかし、この非常運転は、一度でも体験していなければ、よほど勘の良い人でなければ不可能だ。
また、体験していなければ、こういう運転がいかに危険か理解できないから、安易にやってしまう。

自動車学校では、とにかく型通りの運転だけを教え、非常な運手をしてはいけないことだけを教えるが、実際には、してはいけない運転が、いかに危険かを体験させることのほうが、重要なのではなかろうか。
自動車学校という、特殊な環境ならではの体験をすることによって、危険な運転の意味を知り、実際に運転する時、無謀運転を思いとどまらせることができる。また、いざという時の非常事態にも対処できる。

自動車学校で体験させないから、今回のような無謀運転や、飲酒運転を安易に行う人が増える。また、雪道や浸水道路の運転も、実践で覚えることになる。

日本の学校の考え方はすべてそうだが、実践のためではなく、試験のためだけにある。
自動車学校も、細かいルールや所作を教えることより、運転の心得を実感できるように、実践的に教えることのほうが重要だし、また、その前に、免許試験のあり方も微細なテクニックより、シュミレーターなどによる、不測の事態への対応力テストを重視したほうが良いのではなかろうか。

射手座、土星時代ならではの問題として、考えさせられた。
(自動車、学生、12人=3、すべて射手座。重量オーバーは土星)