魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ハイレゾ

2014年11月30日 | 占いばなし

ハイレゾが話題だ。High-Resolution Audioのことらしいが、要はCDを上回るデジタルデータ音源で、SONYあたりが新商品としてアピールしているのは聞いていたが、とうとう、ニュースにもなった。

SONYには騙されないぞと思っていたが、ニュースの解説を聞いてなるほどと思った。
ハイレゾはデジタルながら大情報量で、原音に近くなり、人の耳には聞こえない音まで含まれる。すると、聞こえない音を含む音楽を聞くことで、満足度の脳波が明らかに上がる。
これはまさに、持論、「会わなければ本当のことは解らない」の傍証ではなかろうか。

鑑定と実態
占い鑑定は、データだけに基づく方が正解が出る。しかし、占い相談は会って話さなければ答えが出ない。経験的にそう思っている。
鑑定は原則的なパターンを見抜くことだから、対面して、余計な情報を入れられたりすると、先入観や暗示に惑わされ、客観性を失い判断を誤る。
しかし、相談は依頼者のあらゆる情報を考慮し、実情に即して判断するのが目的だから、情報は多い方が良い。

占い相談は、鑑定を参考にしながら、依頼者の情報と比較し、実態を知って解決策を探る。鑑定にも情報にも偏ってはいけない。
本人が良いことだと思っていることが、鑑定では危険を示していることも多い。この矛盾の実態を知るには、本人の話だけではなく、その人が発するあらゆる情報を感じ取らなければならない。
実際に会えば、表面には現れない、その人の温度や臭い、その他諸々の情報を感じ取ることが出来る。ほとんどが、意識できないような情報だが、実際には存在する。

昔、関西一と言われた、実践鑑定家が、案内欄に「デンワキライ」と書いていた。
その後、自分も鑑定するようになって、この意味がよく解り、思い出すたびに笑った。
その鑑定所に電話はあっただろうが、当時はまだ、各戸に電話が無く、呼び出しも普通だった時代だから、電話の違和感は相当だったのだろう。

電話は基本的に信号音であり、人間の言葉ではない。極論すれば、モールス信号で恋愛は出来ない。今のネットはこれより遙かに高等だが、メールやチャットのトラブルは、常識になっている。
若い頃は電話もさほど苦にならなかったが、時間かまわず電話をしてきて、いきなり相談を始める人には、さすがに参った。電話はガチャポンやおみくじのような存在だったらしい。

デジタル人生
固定電話時代でもそうだから、携帯やネットの現代では、ほとんどすべての人が、信号だけでコミュニケーションが取れているつもりになっている。
人同士のコミュニケーションは、会って話しても、わかり合えることは難しいのに、信号で出会い信号で別れて、それを人生だと思っている。

ハイレゾといえども単に、デジタル情報が多いだけに過ぎない。信号はあくまで信号だ。「生」には信号では表せない膨大な情報が含まれている。
人を知り、人生を知るのは、情報を知ることではない。
「生」の実態を知り、そのすべてを「感じる」ことから始まる。


射手座へ

2014年11月29日 | 星の流れに

いよいよ土星はサソリ座の27度まで来た。もう射手座への影響があきらかだ。
台湾の馬英九総統が不人気で国民党大敗。長野の地震は白馬村の被害ばかりが際立っている。
フィギアの羽生結弦は12月7日生まれで、あまりにもかわいそうだ。
何故こうも日本のフィギアは不運なのだろう。天秤座の浅田真央も、いよいよと言うときに、天秤座に土星が来た。

一方、連続殺人疑惑の何とか千佐子(元の姓が分からない)は、11月28日生まれだそうだ。
ちなみに、これはあまり関係ないが、丙午の日生まれだ。

このほか、直接的にわかりやすい例でなくても、射手座に関することがらすべてに、暗雲が立ちこめている。


歴史物語

2014年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

ダウントン・アビー2が始まる。欧米で超大人気だそうだ。
第一次大戦前後の英国貴族の物語だが、歴史的事実の狭間に組み込まれた物語が、リアリティをより彷彿させる。物語はこうでなくてはならない。

話を際立たせるために、歴史的事実を活用するのが物語だが、歴史を証明するために物語を活用するのは「神話」だ。無い話を有ったことにするための嘘。デッチ上げだ。
断片的な記憶を都合良くまとめ上げ、事実をねじ曲げる話をいくら巧妙に語っても、それは歴史ドラマや、歴史物語ではない。

しかし、物語を聞いて、初めて過去を知る人は、それが歴史的事実だと思う。
人々が無知で、事実の記録がなく、科学的検証の出来なかった時代は、それは立派な歴史だった。それを、神話の時代と呼ぶ。

ダウントン・アビーを面白いと思う人は、第一次大戦の歴史を既に知っている。
英国貴族のありようが事実かどうかは判らないが、歴史的事実が正確なら、物語の内容も事実めいてくる。嘘でも客観的に安心して聞いていられる。

一方、高度な物語の道具、映像技術だけを手に入れ、嘘を証明するために、教材として使っている国々がある。つまり、こうした国々では、現代でも「神話」が歴史なのだ。
神話は歴史よりも面白い。なぜなら、無知な人を納得させるために、感情の味付けをするからだ。歴史検証にはとても耐えられない話を、人々は信じ熱狂する。

歴史劇なら、多少、面白くなくても、見る人の歴史認識が、「事実なのだから仕方がない」と我慢させる。しかし、神話では一時も退屈させるわけにはいかない。感情的に引きつけ語りきり、嘘を存在した事実として完成させてしまう。
歴史物語の鑑賞は知的対話だが、神話は鑑賞ではなく祈りであり、情緒的な昇華だ。

ダウントンアビーを放送するNHKは、ようやく、神話から歴史時代に移り始めたようだ。

 


体調不良

2014年11月25日 | 日記・エッセイ・コラム

このところ、地震が多いせいか、歳のせいか、頭痛と体調不良で悩まされている。
頭痛と地震があまり頻繁に起こると、頭痛が地震の影響なのか判らなくなる。
以前も書いたように、遠い地震は後頭部、近いのは前頭部、あまり近いと体調不良のケースが多い。

11月22日は比較的早く起きたのだが、何か全身が不快で、やはり肝臓がいかれているのか、そろそろ身辺整理をしなければ、などと考えていた。
すると昼過ぎ13時44分、和歌山北部で地震があった。
M3.9、震度3で、それほど大きい地震ではないが、影響なら、近いせいかなと思った。
この地震の頃から、急に体が楽になり、すっかり元気になってしまった。

これについては、地震で体調不良になる先入観があるから、地震があったことで逆暗示になり、楽になったのかもしれないと考えた。地震と楽になったのが、ほとんど同時くらいだったからだ。
通常は、頭痛が治まるのは、地震が起こる2時間から半日前で、最大1日の場合もある。だから、この地震の影響だったとすれば、早すぎるのだ。

ところがその夜、22時08分に長野でM6.7の地震が起こった。約6時間後だ。
これと体調不良の関係は、あるのか無いのか判らない。
しかし、相変わらず、頭痛や体調不良が頻発している。
地震の無い国に移り住めば、回復するのだろうか。

 


熱く語る

2014年11月22日 | 星の流れに

近頃、「語るねえ」とか、「申し訳ありません。私、熱く語ってしまいました」とか、
何か、「熱い」ことや「語る」ことが悪いことのような雰囲気ができあがっている。

誰も、違和感を感じないのだろうか
この空気こそが、日本の衰退と亡国の現象だ。
バブル崩壊後の萎縮で、「出る杭」は、その気配から刈り取られてしまった。
日本企業の衰退は、徹底的に「とがったもの」を刈り取り、無難な「美しさ」だけを守ろうとしたことにあり、今更、「とがった人」を求むと言っても、出てくるわけがない。

こうした社会では、「空気を読め」が、当然の道理のように聞こえ、何か主張すれば「暴言」のように驚かれ、責められる。
目立った言動に対して、表だった反論をせず、陰に回って、イジメや排斥で個性を抹殺し、BBSのような匿名の場では、配慮のない誹謗中傷の声だけが嵐のように大きくなる。

人の意見は元々異なっている。自分と異なる意見に対し攻撃するヒマがあるなら、自分の意見を言えば良いはずだ。互いに違う意見を掲げることで、互いが学ぶことができる。
自分の意見が無い、無能な人ほど、他人の言動を攻撃する。

今に始まったことでもないが、日本社会は、異なる意見を叩くことが、あたかも「良識」のように見える風土だ。この場合「良識」とは、社会を維持する基準知だ。
つまり、異見を出させないことが、この社会の仕組みになっている。
アメリカのように、異見を尊重し、出やすくすることを「良識」とする、多彩な移民で成り立つ国は少ないが、国でも企業でも、そういう社会は発展する。

もっとも、考えようによれば、古い因習で叩き固められた岩盤を突き破って出てくるものは、それだけの強さを持っているとも考えられる。ただし、それは極めてチャンスの少ない社会であり、やり直しがきかない、硬直した社会でもある。社会そのものが、失敗か成功しかない。だから、さらに保守的に沈んでいく。

国や企業を活性化させるには、誰でもが「熱く」語り、次々に競って新しい意見が出てくるような社会でなければならない。
そのためには、基本として、学校で自分の意見を言うことを評価しなければならない。

今回、初等教育から、アクティブラーニングを導入する方針だそうだ。
「ようやく」の感が否めないが、内容的に、果たしてどれほどの効果を上げられるかは疑わしい。何しろ、今のこの社会、そこで育った大人が教えるのだ。

これは、周期的に見ても、終戦直後のアメリカ式教育の再来ではあるが、強制的に実行された当時と違い、自ら試行錯誤の末に出てきた方針であることに、少しは期待したい。

これも、射手座の土星の動きだろうが、教育の射手座に野心と懐古の土星。
野心的教育なのか、単なる教育の懐古なのか、日本の未来を担う人たちに幸あれだ。


死生転換

2014年11月21日 | 占いばなし

健さんが死んだ。森繁久弥、森光子、高倉健と、昭和の名優の命日がそろって11月10日だそうだ。何だか意味深げだが、これこそ偶然と考えるべきだろう。
ただ、いずれも定着宮で、森繁久弥も森光子も5月初旬生まれの牡牛座だから、命日は太陽と180゜の位置になる。水瓶座の高倉健の場合も90゜で木星は180゜だ。土星も死の宮サソリ座にあるが、何らかの因果関係に結びつけるには無理がある。

それよりも、あえて興味深いことと言えば、リンパ腫だ。これも偶々だろうが、知る限りでは、いわゆる「いい人」がよく罹る印象がある。もしかしたら、良い人と思われるためのストレスと関係あるのではないだろうか。

人は何時でもどんな形でも死ぬ。死に方を評するのは、生きている人間の都合による。
死は平等だ。例え殺されても、死そのものに善し悪しがあるわけではない。死んだ人は全く同じ状態になる。地獄も極楽も、生きている人の都合で創られたものだ。
墓を暴こうが首を晒そうが、人間は死んだ人にいかなる手出しも出来ない。

死と葬式
機能停止する物理的な死はサソリ座だが、ここで言う死は、人間界からの離別、意味的な死は山羊座だ。
死の問題は、山羊座の管轄になり、山羊座に惑星が来ると、死の問題が脚光を浴びる。
現在、山羊座にいる冥王星は、元来、サソリ座の星であり物理的な死を司る。それが意味としての死と同居するこの時代は、社会全体の死生観が変わる。

どこからを人間の死とするのか。物理的な死を完全な死にするのは何か。その線引き、考え方が変わる。
例えば、植物人間や脳死の判定や、生命維持装置の停止を、どの段階でどのような手順で行うのか。そのルールや、社会的コンセンサスが極めて大きく変わるだろう。

また、死や埋葬、葬儀や除籍手続きに対する考え方が変わり、スタイルが変わる。
そして、当然のことながら、死に対する心構えも変わってくる。
山羊座とサソリ座の関係はそれを示しており、現実に、高齢化社会にあふれる大量の死がそれを促すだろう。


ザックリ

2014年11月19日 | 日記・エッセイ・コラム

何事も、末端が全体を表す。当然、全体は末端を表している。
指先を見れば、その人の体格がイメージできるし、体格を見れば足先の形もわかる。
企業の電話応対一つで、その企業の状態から、トップの思想まで見えてくる。
宇宙から原子まで、造形には不思議な一貫性がある。物事には何らかの因果関係がある。

珊瑚密漁の中国船を、中国政府も、ゆゆしき国の恥と言っているが、何のことはない、まさに中国政府の行状そのものであり、トップの思想が庶民にまで及んでいるだけだ。
相手が力を示さない限り、行けるところまで行く、やれるところまでやる。
国の恥と言っても、道徳観ではなく、それによる不利益だけを心配している。

中国はアメリカの戦闘機F22、F35と同等のJ20、J31を開発し、大量生産し海外にも売り出すという。F35などは西側諸国が金を出し合ってようやく開発にこぎ着けたものだが、これとて、明らかに、サイバー攻撃の戦果だ。放っておけば、やれるところまでやる。

子は親の鏡。中国庶民の行状は、中国政府のトップの思想そのものだ。
だが、密漁船を中国政府の回し者と思うのはうがち過ぎで、うがち過ぎるのもまた、そう受け止める側の思想を表している。
中国方式は、日本方式のように緻密な読みと計算で成り立ってはいない。
相手が自分と同じ思考方法で生きていると思うから、互いに、腹を立てる。
異文化の行為に腹を立てるのは、自分なら、悪意以外ではやるはずが無い行動だからだ。

尖閣の国有化に中国が憤慨したのも、自身の中国流強奪行為だと受け止めたからであり、漁船の体当たりや珊瑚の密漁船に、日本が興奮するのも、日本なら陰謀以外に考えられない行動だからだ。
兵法の中国に策略がないわけではないが、日本人が考えるような、緻密な計算ではない。
いや、むしろ、もっと強力な先見や慧眼を伴うものと言えるのかもしれない。
細かいつじつま合わせより、スキだらけの構え(雑さ)の強さだ。
相手の実際の対応次第で行動を起こし、ザックリと、取るものを取る。

このところの、中国を周る外交交渉は、日中も米中も、すっかりしてやられた。
オバマは、排出ガス規制で、中国の事実上のゼロ回答に対し、鳩山政権のような、お人好し宣言をした。
日本も、中国の高飛車な態度にもかかわらず、経済の解禁を約束した。未だに、中国がなければ日本の経済が困窮すると言う人は少なくないが、中国とWINWINで得るものは、虎に与える翼だけであり、その成果が東シナ海、南シナ海に見事に現れている。
民主化しない「不法組織」と、取引をして儲けるのは闇商人だ。闇商人は、不要になれば必ず取引相手に消され、儲けた金を奪われる。

中国に本当に最適な政治システムは、アメリカ以上に民主主義だと思うのだが。


倉田典膳

2014年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

GDPが、マイナス成長で、株もパニック暴落。
挙げ句の果てに、消費税問題は選挙で国民に丸投げするそうだ。
どだい、景気の腰も据わらないうちに、消費税を上げたことが大間違いだ。
消費税延期の信を問うと言いながら、一年半後には確実に上げると言う。
これでは、消費税が嫌な人も、奨励する人も、どちらも安倍内閣を支持せざるを得ない。
これが本当に、信を問うための選挙だろうか。

東京生まれで中国地方の二世政治家。やたら髪型を気にする「黒髪」の総理大臣は、なるほど若いのか、早漏の消費税で景気の腰を折ったのは、これで二度目だ。
ここでは、星の因果関係など持ち出すまでもない。体裁屋には遠謀深慮など期待できないということだろう。

それでも、少しだけ星を見ると、5%の時は木星が山羊座、8%の今回は木星カニ座。つまり、山羊座の「税」、カニ座の「消費」で、180゜の表裏関係にある。
それにしても、黒田官兵衛がかわいそうだ。やるだけのことはやった。
経済政策の主力の援軍が来ないまま、日銀砦で犬死にするかもしれない。

消費増税が景気の火消しポンプなら、このさい、トコトン居直って、逆に、一定期間でも、消費税「0」にしてみてはどうだろう。この反動上げは大きい。
それとも野党が、消費税凍結を争点にしても良いかもしれない。共産党が言っても裏付けは無いが、資本主義を是とする野党なら、強力なインパクトになりそうだ。
現在の消費税論争は、借金穴埋めのつじつま合わせで、国を富ませる視点がどこにも無い。単純な話、家が儲かってさえいれば、子供から小遣いを取り上げる必要は無いはずだ。

高度成長期のように、輸出だけで儲かると思った認識の甘さが、最大の問題だ。
大企業は既に日本から出払っている。産業転換による、雇用シフトの転換こそが、新生日本のダイナミズムなのに、石田三成のソロバン政治が、国を死に追いやろうとしている。
日本も、二世紀にわたる体制の大転換を迫られているのだが、「美しい」昨日の日本を取り戻そうとする人の目には、「日本の夜明」が見えていない。 なあ、杉作。


キビシー

2014年11月14日 | 日記・エッセイ・コラム

円安で、何もかもが値上がりしている。
ドル/円が80円から115円になれば、単純には1000円のものは1437円になる。その上、消費税が5%から8%になったから、1050円のものは1552円になる。

にもかかわらず、各社の企業努力で、それほど値上がりしていない。毎日のように、値上がりのニュースを聞くが、せいぜい10%前後で、中には消費税分をポイント値引きしたりする店もある。

値上げは嬉しくはないが、今までそれだけ円高の恩恵にあずかっていたワケで、ある意味で、正常になってきたとも考えられる。
あれこれ言っても、先進国の日本に暮らしていることだけで、相当に恵まれているのだ。

金持ちは死なない
エボラ出血熱の死亡率も、やはり、劣悪な環境のアフリカでの死亡率であり、先進国では俄然、回復率が高くなる。
貧困時代の日本でも、結核を始め、あらゆる伝染病で簡単に死んでいた。出生率も高かったが、子供を亡くしたことのない親は珍しかった。
以前は、「一応、長男ですが、自分の前に死んだ長男がいました」といった話もよく聞いた。
野生動物のように、多産で、生き残りにかけるのが普通だった。

金持ちの国は、食生活、教養、衛生環境、医療が発達し、死亡率が下がり、出産率も減る。
命の価値が高くなり、ペットの命まで高くなり、その一方で、食用家畜の命の価値は下落した。
一方が高まれば一方が下落する。エボラ出血熱の死亡率や、BSE、鳥インフルに過剰におびえるのは、金持ちほど金が無くなることを恐れる心理と同じであり、どこかで、「奪われた者からの逆襲」への恐れもある。既得権を失うことへの恐れなのだ。

産業革命パラダイムの歪みが極まるたびに、大恐慌や大戦争が繰り返されてきたが、核の抑止力で大戦争はできなくなった。しかし、形ある物は必ず滅びる。人類はそれが解っているからこそ、小さな物音に飛び上がる。そして、そのパニック自体が大恐慌を生む。
無くて元々、死んで元々と思っていれば、これほどのパニックにはならない。

突然の正常化
円安が物の価値を再認識させ、何を貰っても何を食べても、一つ一つ有り難さをかみしめていた時代を、少しは思い出させている。
病院に行けば必ず助けて貰えるような錯覚からも、目覚めるべきだろうし、人間の命よりもペットの命を大切に思うような、ゆとりの傲慢からも目覚めるべきだろう。
不足を知ることで、初めて足るを知ることができる。

物の値段が上がることにも、有り難さはあるものの、トンネルを抜けると物価高だったでは、衝撃が大きすぎる。

奈良に行くと帰りに、わらび餅を買って食べるのを楽しみにしている。先々週も買って帰って食べたが、一週おいて、また行って驚いた。
これまで、9切れ565円だった箱が、半分の大きさになって、5切れ648円になっていた。
しかも、これまで380gと表示してあったものが、5切れとしか書いてない。
確かにこれまで、かなりお得感があったので、『商売になっているのかな』と、心配していたものの、ここでいきなり、200%、あるいはそれ以上の値上げとは、キビシーッ!

それにしても、商売が下手すぎる。いったい何があったんだろう。


単純志向

2014年11月11日 | 日記・エッセイ・コラム

デパ地下の中華料理店のおばさん。台湾系か大陸系か分からないが、メチャクチャ愛想がいい。たまに通りかかると、満面の笑みで「お久しぶり」と声をかけてくる。2、3回買ったことはあるが、覚えているはずがない。
初めて見た人に「お久しぶり」と言ったら、「おまえ誰や?」と突っ込まれるから、日頃、通るのを、見覚えているのかもしれない。

とにかく愛想が良いのだが、お客さんに抱きつかんばかりの愛想で話している最中、他の従業員が問題を起こしたとたん、振り返って鬼のような形相で罵り、一転、客に向き直ると全く前のままの満面の笑みで愛想を続ける。まるで、お経を唱えている坊主が、バチッと蚊を叩きつぶして、そのまま読経を続けるようだ。

また、別の知人の中国人は、20年ぐらい日本に住んでいるので日本語が流ちょうだ。世間話を身振り手振りで話し出すと、自分が頭に来て怒鳴った時のことをそのまま再現する。
ひとしきり興奮が冷めると、こちらが引いているのに気づき、『なんちゃって』と、照れ笑いになる。

コンピューター「0」「1」の起源となった陰陽説の中国人は、とにかく、ON、OFFだ。
言葉からしてそうだが、すべてが、「YES」or「NO」で、中国人に、Yes,Butはあり得ない。どんな複雑な問題も結論は一つだ。複雑な問題は別々の問題として「四つの・・」「八つの・・」と仕分ける。
色使いも、とにかく原色志向で、派手な色にトガったデザインを好む。
日本人好みの、無彩色や中間色、なめらかなデザインは、理解不能だ。努力より結果であり、複層より一元化だ。

わかりやすい
今回の日中首脳会談。安倍晋三、習近平の苦虫顔に、世界中が大笑いをした。
安倍首相が笑いかけようとすると、習主席は見ないふりをする。
「好んで会ったわけじゃない」と、国民にハッキリ見せなければならない。内心がどうであれ、外交慣行がどうであれ、「目に見える態度」をとらなければ、中国庶民は納得しない。
この態度に、安倍首相も笑うに笑えず、ぶっちょうヅラになった。

実際、目にもの見せるのは、政治交渉でも、そのままで、小泉政権の時も、面会予定の呉副首相がドタキャンで帰ってしまったし、何より、尖閣での威嚇も、彼らには「コレしか無い」必然的な選択肢だろう。南シナ海も天安門も、すべて「YES」or「NO」だ。

しかし、この単純行動を見て、単純バカと理解するのは浅はかだ。
一つ一つ、つぶしながら敵陣に迫って、チャンスとみれば、一気に仕掛ける。
複雑思考の日本人は、相手の行動に「魂胆」を考えるが、コンピューターの中身は「0」「1」しかない。何を考えているのかより、どういう結果が出るかを考えて付き合う方が話が早い。彼ら自身がそう考えている。


移動の時

2014年11月10日 | 日記・エッセイ・コラム

災害避難で、車は重大な障害物に変貌する。火事でも救急でも同じだ。
日本は、この狭い国土を車で埋め尽くした。
ものごとは「極まれば転ずる」。車社会も例外ではない。トラック輸送に頼り、宅配業を始めとする物流を極限まで普及させた日本で、近頃また、長い貨物列車を見かけるようになってきた。

高校の頃は、校舎から鉄道が見えた。昼前になるといつも長い貨物列車が通り過ぎるので、それを時報代わりに、生徒はみな早弁を始めた。中には40両以上も続く列車が、通り過ぎるまでに終えるヤツさえいた。
半世紀も昔の風景が、近頃また戻ってきたのは懐かしいが、感傷よりも現実的に、美しい風景だと思えるようになった。

貨物列車や船便の復活は、環境に良いことだが、商売人はそんなことを気にかけるほど甘くない。高齢化でドライバーが減少し始め、やむにやまれぬ事情からだそうだ。ただ、理由はどうであれ、良いことには変わりない。
将来的には、長距離トラック輸送は無くなり、鉄道や船便を幹線とするローカル輸送になるだろう。さらにその先は、ロボットシステムになるはずだ。

それに従い、人の移動も自動化によるコンテナ化と、エリア内移動の両極に分かれ、健康と実用のために自転車がさらに普及するだろう。
現在、考えられているようなドライブの楽しみは、昔の乗馬と同じで、ドライブそのものをスポーツとして楽しむことは残るとしても、体感目的ならサイバーで充分だろう。

将来は自転車が普及すると言っても、今のような形とは限らない。
自転車の歴史を見ても、スキーの歴史と同じで、目的も形もずいぶん変化してきた。
遊びと実用に特化されるものもあるだろうが、その両方の機能は基本だ。

そうした要素を兼ね合わせて考えると、キックスケーターは自転車としてバカにならない。現在は、完全に子供の遊具として考えられているが、考えを改めるべきだと思う。
近年、折りたたみ自転車が普及して、超コンパクト軽量のブランド品もかなり売れている。しかし、輪行バッグやコインロッカーに収まるほど小型化したといっても、まだ、アタッシュケースやバックパックに収まるほどのものは無い。
電車に持ち込むにはいかにも大きく、目立ち、日常の足としてはハードルが高い。

そこで、駅からの足としてキックスケーターを考えてみた。アルミ製で軽く、折り畳めばバッグにも入る。ただ、大人がこれで走ればかなり目立ちそうだ。子供のオモチャをかっぱらってきたと思われるかもしれない。
そう躊躇して何年か経ったある日、サラリーマン風の人がキックスケーターを蹴りながらやってきた。『うわー、同じ事を考える人がいたんだ』
急いで、ネットを調べると、あるわあるわ、もはや、主流ではないかと思えるほど、様々な種類が並んでいた。サドル付きや、デーパック付き・・・およそ想像の範囲のものはすべてあった。

基本の形が単純なだけに、キックスケーターのバリエーションは、無限に考えられる。
最も将来性のある「自転車」であり、「キャリーバッグ」ではないだろうか。
キックスケーターを持っていれば、災害避難の時でも、長距離を簡単に移動できる。
問題は、折りたたみ自転車やキャリーバッグのように、街の風景として自然になっていないことだが、何事にも先駆けはある。50歳若返って、良いと思うことを単純に始めよう。
さあ、駅からの道が楽になるぞ。


避難の時

2014年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

災害時の避難は必ず車になる。コンビニさえ車で行くような人は、いざとなると車に乗ることしか考えない。津波災害シュミレーションでは、渋滞で街が全面停止してしまう。
東日本大震災はそれを実証した。

東日本大震災以後、被災地も、これから確実に被災することが予想される西日本地域も、何とかスムーズに避難できる方法を模索している。
そうした報道を目にするたびに、ああすれば良いのに、こうは出来ないものかと、気をもみ考えてしまう。

しかも、これからの津波災害は、温暖化による水面上昇で、過去の最大被災エリアだけを参考にしても意味が無い。過去には到達したことのない水位まで被災することを考えなければならない。このことを、研究者や地域の人々は、どこまで考えているのだろうか。
御嶽山以後、突然、謙虚で慎重になった学会や、関係団体だが、福島原発同様に、起こってから考えたのでは、何の意味も無い。また、羮に懲りて膾を吹くのも困る。

避難建物や、避難路確保も進んでいるが、高度設定の見直しに加え、移動方法も、シンプルで効率の良い合理的なアイデアを活用すべきだ。
高台に上がるために階段を整備することは基本としても、年寄りばかりの地域で、ようやくたどり着いた年寄りが、自力で上がれるわけがない。
最低でも、手すりを付ける必要があるし、人力でも良いから「籠ケーブル」のような物を用意しておくべきだろう。

最高なのは(非電気式)簡易エレベーターだが、そこまで出来なくても、高台の上端に、引き上げエンジンを設置しておくことは出来るだろう。そして、それをムダにしないためにも、日頃のメンテナンスもかねて、集会所や収納所など、高台の日常利用をすれば一挙両得だ。


光陰如矢

2014年11月06日 | 星の流れに

引越後は勝手が解らず、どうも、居心地が悪い。
もたもたしているうちに、一週間たってしまった。

黒田総裁は、いかにもの手を打ってきた。黒田官兵衛がどうがんばっても、太閤殿下が何もしなければ、犬死にしかねない。
大将がただのムードメーカーでは、現実は変わらない。産業構造の大改革は、三本のヘナチョコ矢ではどうにもならないことが見えてきた。日本は、とっくの昔に、パッチだけでは追いつかなくなっているというのに、この上、増税や為替だけで乗り切れるわけがない。
消費税そのものは賛成だが、目的と手法タイミングが大間違いだ。
日本の信用のための増税と言うが、何を信用するかは、相手によっても異なる。保守的財政を見る欧州と、行動的改革を見るアメリカでは真反対だ。

火星が山羊座に入ると、赤サンゴを狙って中国船が押し寄せた。
火星が自分の星座の対角線上に来ると、怒った人や狼藉者が現れる。これは、実は自分が他人を怒らせている結果なのだが、当人には相手が勝手に怒っているように見える。
カニ座の中国にとっては、『何か日本が怒っている』程度しか感じていないかもしれないが、日本から見れば、中国の謀略としか見えない。
当然、火星は赤だから、赤サンゴで相手を怒らせている。

素直に考えれば、これ見よがしに中国国旗を掲げ、「CHINA」とわざわざ書いた漁船は、中国の意図としか考えられないが、国を過信する中国庶民の、日本を見くびった「安全策」だろう。どこの国でも、国力が上がると庶民も横暴になる。
国家権力を恐れる分だけ、他国に対して虎の国威を借りようとする。
中国政府にしても、こうした庶民の行動を状況に応じて利用するので、「日本と共同で対処」などと言い出したことも、日本は単純に歓迎も反発もできない。

オバマ民主党は予想通り、と言うより、予定通り敗北した。
アメリカ人でもないのに、オバマの外交政策に、あきれ果てていた。二期目の当選はやはり、あり得ない間違いだった。
アメリカ国民には、内政問題が大きかったのだろうが、国際的には、外交でロシアをわざわざ孤立させたことは大失策であり、挙げ句の果てに、暴走中国に媚を売っている。
人にはやはり、「器」というものがあるのだろうか。
双子座アメリカには既に、対角線上に寂しい土星が来たようだ。