西暦和暦
今年で平成が終わるが、元号で時代を観ると錯覚し、歴史を見誤る。
「ええじゃないか」と、何でも「水に流す」日本人が元号を好むのか、元号によって、日本人の歴史観が形づくられたのか、よく解らないが、
「平成」に変わるとき、「”昭和の人”になっちゃった」と嘆く人が多く、日本人の歴史観が垣間見えた。
「昭和初期」、「平成最後」などと考えない欧米人は「世紀」で考える。過去を語るとき、自分のことでも正確に「19××年に」と語る。時期を漠然と語るときは、「19××年までには」とか、「20世紀初頭」と、とにかく、唯一の指標を基準に考えるから、錯覚が起こらず、歴史観はブレない。
西洋占星術の土星は、「時」と「歴史」を表し、「現実」を意味する。西洋では動かせないものが歴史であり、神の領域だ。
一方、東洋の歴史は人間のものだ。易姓革命や改元で時代は変わる。勝てば官軍として、勝者によって書かれた正史が歴史となる。この東洋の土壌に培われた日本も、普遍の歴史や一貫した時の感覚が無く、治世がうまくいかないと言っては元号を改めた。
西暦を取り入れた現在でも、「神話」に基づく皇紀を信じる人たちが、公式手続きにまで元号を強いており、歴史の事実を語る古墳の発掘さえできないでいる。
中韓のねつ造の歴史を揶揄するネットも、何故か、日本の歴史のこの現状を顧みることはない。
西暦も元号も、所詮、人間界のゲームルールではあるが、それでも、西暦のゴールポストは動かない。
明治から150余年
明治、大正、昭和、平成は、一つ一つを別の時代と考えると何も見えなくなる。明治から敗戦までの時間と、敗戦から今までを比較すると、奇しくも、ほぼ同じ年数になる。
その区切りとなる敗戦も、ある日突然人の心まで変わったわけではない。明治になっても「士族」の存在は大きかったし、「長男の跡継ぎ」や「女は嫁ぐ」ものと言った武家社会の価値観は、家督相続の無くなった新憲法後の、昭和40年頃まで存在していた。
日本の元号と西暦併用のメリットがあるとすれば、世紀の区切りに縛られないで、時代を観られることかも知れない。ちなみに、明治は20世紀を迎え、平成は21世紀を迎えた。純粋な20世紀は、大正・昭和だけとなる。