魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

昭和平成 1

2019年01月31日 | 日記・エッセイ・コラム

西暦和暦
今年で平成が終わるが、元号で時代を観ると錯覚し、歴史を見誤る。
「ええじゃないか」と、何でも「水に流す」日本人が元号を好むのか、元号によって、日本人の歴史観が形づくられたのか、よく解らないが、
「平成」に変わるとき、「”昭和の人”になっちゃった」と嘆く人が多く、日本人の歴史観が垣間見えた。

「昭和初期」、「平成最後」などと考えない欧米人は「世紀」で考える。過去を語るとき、自分のことでも正確に「19××年に」と語る。時期を漠然と語るときは、「19××年までには」とか、「20世紀初頭」と、とにかく、唯一の指標を基準に考えるから、錯覚が起こらず、歴史観はブレない。
西洋占星術の土星は、「時」と「歴史」を表し、「現実」を意味する。西洋では動かせないものが歴史であり、神の領域だ。

一方、東洋の歴史は人間のものだ。易姓革命や改元で時代は変わる。勝てば官軍として、勝者によって書かれた正史が歴史となる。この東洋の土壌に培われた日本も、普遍の歴史や一貫した時の感覚が無く、治世がうまくいかないと言っては元号を改めた。
西暦を取り入れた現在でも、「神話」に基づく皇紀を信じる人たちが、公式手続きにまで元号を強いており、歴史の事実を語る古墳の発掘さえできないでいる。
中韓のねつ造の歴史を揶揄するネットも、何故か、日本の歴史のこの現状を顧みることはない。
西暦も元号も、所詮、人間界のゲームルールではあるが、それでも、西暦のゴールポストは動かない。

明治から150余年
明治、大正、昭和、平成は、一つ一つを別の時代と考えると何も見えなくなる。明治から敗戦までの時間と、敗戦から今までを比較すると、奇しくも、ほぼ同じ年数になる。
その区切りとなる敗戦も、ある日突然人の心まで変わったわけではない。明治になっても「士族」の存在は大きかったし、「長男の跡継ぎ」や「女は嫁ぐ」ものと言った武家社会の価値観は、家督相続の無くなった新憲法後の、昭和40年頃まで存在していた。

日本の元号と西暦併用のメリットがあるとすれば、世紀の区切りに縛られないで、時代を観られることかも知れない。ちなみに、明治は20世紀を迎え、平成は21世紀を迎えた。純粋な20世紀は、大正・昭和だけとなる。


家が違う

2019年01月30日 | 兄弟関係

韓国の「自衛隊機の威嚇飛行」抗議は、負けた喧嘩を勝ったことにする、
「今日は、これぐらいにしといたるわ」の、お笑いギャグだ。
韓国はやっぱり、末っ子だ。
末っ子の行動はデタラメだが、大変なガンバリ屋で、可愛げがあって憎めなく、結局、みんなが許してしまう。だから何時まで経っても、自省や自立の意味が解らない。一方で、自分では人の何倍も我満していると思い、周りの面倒を見ていると思っている。それは、自分より前に、年長の親兄姉が我慢し、目をかけていることを知らないからだ。

今に始まったことではないが、今回のレーダー照射事件の推移にしても、行き当たりばったりのドタバタ喜劇で、独立国として「大丈夫か?」と、心配してしまうぐらい支離滅裂だが、それを自覚するどころか、あり合わせのネタで、なんとか体裁を繕おうとガンバる。
さらに、押すだけ押しても、通らなければ、無かったことにする。これも、末っ子の習性であり処世術でもある。親兄姉の強権に逆らえない末っ子は、泣き叫ぶか、いざいざダメなら、他の可能なことに鞍替えをして、活路を開いてきたからだ。

出来ることだけをするしか活路のない末っ子は、自分の意思や客観性に基づく価値判断で方向性を求めても意味が無い。その代わり、状況を見る感覚は鋭くなり、変化に敏感で、人の顔色を読んだり、動静や流行には敏感になる。しかし、価値基準が無いため優先度の判断がつかず、どんな変化にも大きく反応するが、自分の基準がないので、行動は周囲の反応で判断する。
あるべき姿や道理が何かと考えるより、誰かに聞いたことや教えられたことを声高に主張し、そうで無い者を叱責する。しかし、状況や風向きが変われば、全く反対のことでも強く主張し始める。
道理や方法論にこだわる長子は、常にそれを模索しているので、断定的になれず、優柔不断や迷った末の変更を、弟妹に誹謗、攻撃される。

一人っ子はこの攻撃に弱く、「正論」だと言われると先ず吟味しようと考え込み、泣き叫ばれると先ず同情する。しかし、それで弟妹からやられ続けた長子は、弟妹の主張を無視するようになる。議論を避け、力で制圧するか、他の世界に逃げる。
大陸の長子である中国は、周辺国に対し、独善的主張と命令をし、それが通らないと力の行使に出る。情緒を共有する兄弟ではない場合は、とりあえず友達として、間合いを計って付き合おうとする。
中国にとっては、朝鮮半島は簡単に言うことを聞く可愛い末っ子であり、朝鮮半島もまた、畏れと不満混じりながら頼りにしている。

大家族の長子、小さな家の一人っ子
隣家の従兄弟である一人っ子の日本に対しては、中国は何となく付き合ってきた。直接には支配できないが、まんざら他人でもない。何か自分の家にはない原理で生活しているのだろうと、蔑視と好奇心と憧れが入り交じった、判然としない感覚で見てきた。
一方、日本は、従兄弟の長男である中国を尊敬し、憧れて育ってきた。実際、年上の従兄弟には色々教わることも多かった。
ところが、そのお兄ちゃんが、よそ者に簡単にやられてしまった。隣家の騒ぎに驚いた日本は、これはとにかく、よそ者と喧嘩してはマズイと知り、玄関に現れた時には、作法の違いで、多少の行き違いはあったものの、客としてうまく招き入れた。

大陸一家の長子中国が判断を誤っても、末っ子の朝鮮にはそのことの意味が解らなかったのに対し、家の違う一人っ子の長子日本は、これはマズイと「判断」できた。
今もって長男思考から抜けられていない中国は、日本のことをよく理解できず、「日本は強い者に尻尾を振って従う国だ」と思っているが、そうではない。一休さんのように考えながら、時には喧嘩しながら、あちこちの将軍様と付き合ってきた。
中国は従兄弟と兄弟の違いが理解できず、自分の弟妹の概念でしか理解しようとしない。年下とは言え、日本も長子の一人であることに気づかない限り、日中関係は収まらない。この点、日本は中国のことをよく解っている。

日本人は日本のことを「大国」だとは思っていない。だから、大国としてグズられることに面食らってしまう。
良くも悪くも、日本を大国扱いする人に日本は、大国ではないことを解って貰うのか、大国になるのか。いずれにせよ覚悟が必要で、やっかいなことだ。


ご近所様

2019年01月19日 | 日記・エッセイ・コラム

ヤギ座に土星と冥王星がいる、日本にとっての第4室で、近所づきあいや境界線がますます混乱してきた。
第4室の基本は「家庭」や家の周りだから、国際関係として近隣諸国も含まれる。
日韓のもめ事は、互いの国民は否定するだろうが、古代からの経緯を考えても、近所づきあいというより夫婦喧嘩のようなものだ。ちなみに、日本語と朝鮮語は中国語より近いと言われているが、決して兄弟ではない。


夫婦喧嘩
よくある夫婦喧嘩だが、一人っ子と中間児の喧嘩の話がある。
中間児はけなすことが「ふれあい」のコミュニケーションだと思っているのに対し、一人っ子は理詰めで考えるから、理屈の通らないことに反論する。
中間児は謝ることを知らないで育っているから、反論されると、何が何でも自分の誤りを認めない。次から次に反論に反論を重ねる。先ず繰り出すのが、確かめようのない証拠や権威に基づく相手の否定だ。「テレビで言ってた」「本に書いてあった」、偉い先生が言っていた、昔からそう言われている、死んだお母さんが言っていた、・・・等々、その場では確かめようがないことを論拠に、相手を黙らせようとする。
さらに追い詰められると、相手が攻めてくる言葉をそのまま相手にぶつける。
「嘘をつくな!」と言われると、「そっちこそ嘘をついてばかりだ!」
「さっきの言葉はおかしい!」と失言を責められると、「そんなことは言っていない」と、証人がいない限り頭から否定する。
トコトン追い詰められると、わざと、相手が我慢できないことを口に出し批難する。そこで切れると、待ってましたとばかり、「だれかー、この人キチガイですー」と、印象戦略で、被害者として第三者に訴え、相手の人格まで否定し、自分だけ生き残ろうとする。

人付き合いや責任逃れの技を知らない一人っ子は、どんなに正しいことを主張しようとしても、論理ではなく「人あしらい」だけで対抗してくる中間児には、決して勝てない。
これが、末っ子なら、幾分対応できる。辛抱強く説得したり、おだてながら説得すると、なんとか着地点を見つけられるが、中間児は、とにかく受け入れたり妥協したりすることができない。大人しくなるのは、その場の力関係が分からない時だけだ。
この夫婦の場合は、結局、一人っ子が中間児に一切関わらないことで、とりあえずの平穏が訪れたが、一人っ子は我慢とあきらめ、中間児は不満と恨みの中で暮らしている。

今の日韓衝突そっくりだ。日本と韓国の場合、日本は明らかな一人っ子だが、韓国が中間児か末っ子かは見極めにくい。ただ、信じられないほどの、後先を考えない言動や、誉めたり煽てたりで、簡単に有頂天になるところを見ると、やはり、末っ子としか見られない。中間児とおぼしきロシアは、しぶとく用心深い上に、決しておだてに乗らない。

ご近所付き合いから自治会、市議会へ
件の夫婦の着地点を見ても、日本が、韓国と付き合おうと思うなら、理詰め一辺倒ではなく、煽てすかしが必要になるし、それが嫌なら、一切、手の内を見せず、何も言わずに背中を向け続けることだ。どんなにかわいげなことを言われても、振り向かない。
また、中間児ロシアとの付き合いは、おだてや利害より、文化的尊敬を勝ち取ることであり、こちらが、周囲から一目置かれている存在と思って貰うことだ。そして、こちらが相手を好きであること、困っている時に助けてあげることが、最大の信頼になる。

今、ロシアに対する日本の手助けは、おそらく、シベリア鉄道の新幹線化で、中国の一帯一路の鉄道整備に対抗すれば、日本とロシア、欧州、はては北米まで、WinWinになる。
日露関係は、北方領土問題より、経済協力が先であり、欧米を引き込むことで中国包囲と先進国発展の大動脈が生まれる。中国の一帯一路の鉄道より、シベリア鉄道の方が極寒対策だけで済むし、生もの輸送などにも効率が良い。
それでもどうしても北方四島がネックというのなら、ロシアの現状基地付きで返還してもらえば名聞だけは立つだろう。日本化は日本の情熱しだいだ。沖縄のように日本の住民がいないだけ問題が少ない。
大陸鉄道」、「あざとさ

 


新年早々

2019年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

一応、まだ松の内なので、正月の過去記事を貼って、手抜きながら、年始に代えます。
年の初め」、「近頃の正月」、「正月」、「初夢の夢」、「2016」、「春節祭り」、「メデタイ


正月早々
アンケートによると、「必ずしも結婚する必要は無い」と考える人が70%になったそうだ。当然だろうと思う。
にもかかわらず、「少子化対策」だ、「結婚奨励」だと叫び、その上、「夫婦別姓」を拒否する保守議員のなんと多いことか
このまま現実を無視した、イデオロギー政治をしていると、国民に捨てられる
少子化で江戸時代に帰るのか、移民よりも出産増を求めるのか・・・矛盾だらけだ。

ブボーッ!っと生きてんじゃねえよ!   炎◇炎

地球全体を考えても、人口増が良いこととは思わないが、それでも人口増を求めるのなら、社会の形と概念を変えない限り、誰も不幸を約束された子どもを産みたくない。

技術進歩の未来が足下まで来ている今、未だに人口増を前提とする工業生産を考えていること自体、「おまえは既に死んでいる!」
生産人口よりも、創造者人口が求められる時に、「若者が老人を支える」ような思考自体が社会の死を招く。

正月早々、大阪で51歳を介護に来た70歳の女性が、その被介護者に殴り殺された。
福祉の正しいあり方とは何か、労働とは何か、何が間違っているのか。
こんなおかしな事件は、社会そのものの構造転換をしない限りなくならない。

空き家問題にしても、売却に税金がかかれば売りにくい。一方、年寄りが金を使わないのは、最悪、最後の保証がないからだ。
基本は自宅で福祉を受けるのが幸せかも知れないが、最悪の場合、身一つで頼れる施設が充実していれば、安心して無一文になれるし、病院を回されなくてもいい。
51歳でどんな介護が必要だったのか知らないが、切実に必要なら、こうした人を収容する施設も必要だ。
地域によっては空き家だらけの所もあり、これを吸収整理すれば、介護も、合理的に行え、さらに保育施設や世代間交流施設によって、個を新しい家族につなぐ社会が可能になる。

今年は選挙の年だと、相変わらずの数合わせの話題ばかりだが、グダグダの野党は与党の足払いばかりしていても、ますますフェイドアウトしていくだけだ。
居直って、全く違うビジョンを大々的に打ち上げてみたらどうか。
消費税十年0%据え置き、逆に消費税50%で所得税の廃止。婚姻制度の抜本見直し。進学試験の廃止。首都機能の全国分散。道州制。・・・未来的な旗印ならいくらでもある。
難しい、難しいと言っているうちに、日本はどんどん衰退している。
日本には、50年後、100年後の未来を見据えたビジョンがどこにもない。