「運命波」でボヤいた「命の実感」の喪失は、歌にも表れている。
近頃、やたら死を持ち出す歌や、死を前提とした歌が多い。昔(戦後)の歌謡曲にも有ったことはあったが、今ほど安易に死のモチーフを扱ったものはなかった。
戦前は、死が身近すぎて、歌詞にするには忌まわしいことだった。
創作的にも、単語で言ってしまえば、それはあまりに軽々しく芸のないことで、いかに、間接的にそれをにおわせ実感させるかが、作詞家のプライドだったように思う。
現実の死が遠ざかるにつれて、「死んだ」「死んだら」と軽々しく出てくるようになった。
ちょっと思い出すと
「黒百合の歌」1954、「アカシアの雨がやむとき」1960、「赤いハンカチ」1962・・・この後、やたら増えてくる。
歌詞に安易に「死」を用いて、悲壮感に浸れることが、逆に死の実感のうすさを表している。
昔のように大家族で暮らし、家族の死を次々と看取り、幼い兄弟姉妹も死ぬことが珍しくなかった頃には、命のはかなさと有りがたさが自然に解っていた。
小説の「人間はなぜ死ぬんでしょう」という言葉も、「命短し恋せよ乙女」という歌詞も、死にたくない気持ちの表れだった。それだけ、死は近くにあった。
アメリカ化
ベトナムや、イラクの帰還兵が社会に適応できなくなる問題がある。
昔の戦争では、あまり聞いたことが無い現象だ。
考えてみればこれも、死の現実感の問題ではないだろうか。
死がありふれていた時代の、死への覚悟と、現代のように医療・食料環境が向上した社会での死生観とは、大きな隔たりがある。
銃社会アメリカといえども、西部劇時代のように撃ちまくっているわけでもない。
死の覚悟がない若者が、いきなり戦場に出たショックによって、死のないウソ社会へは、もはや復帰できない。そういうことではなかろうか。
アメリカでさえ、社会から死の感覚が失われている。アメリカでさえとは、銃の乱射や戦争大国のアメリカという意味だが、外から見れば日本も、サリン事件や都会の鉄道衝突など、結構、殺伐としている。
死という身体感覚を失った社会に、「仮想死」を増幅するゲームというトレーニングマシンが普及し、子供が初めからその環境で育つようになった。
命が危ない一人の子供の手術に、たちまち億単位の寄付が集まる。
そのお金があれば、何万ものアフリカの子供の命が救えるはずだが、現代の命は「一杯のかけそば」話でしか理解されない。