魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

蛇の道は

2017年01月28日 | 日記・エッセイ・コラム

トランプとドゥテルテの類似は、ヒトラーとムッソリーニのようなものだろうか。同じ時代には、同じようなアイコンが出現するものだ。

この「オッサン」達は、小難しいことを嫌う。
以前、鶴瓶のCMで、「旨いもんは、旨イッ!」と言うフレーズがあった。バブルの頃、グルメ、グルメと、美食の講釈が溢れていた時代に、「うるさいッ!」と、ブチギレたコピーに、皆、何となく納得して笑った。

トランプなどの、ポピュリズムが歓迎されるようになる背景は、不景気だけが原因では無い。世の中に、立前の講釈が溢れ過ぎ、立派な理想に息が詰まり始めるからだ。
世の中が安定し、きれい事がまかり通ると、差別だ、ハラスメントだと、うかつな言動が許されなくなる。しかし、現実は何も変わらない。むしろ、ネガティブ部分が封印され、「あってはならないこと」と黙殺されて、一向に解決しなくなる。
そこに、「旨いもんは、旨イッ!」、「王様は裸だ!」と叫ぶ人が現れると、それまで息が詰まっていた人は、「そうだ!」と、思わず叫んでしまう。
イギリスのブレグジットに賛成した人も、本当に決まったら、焦りだした。

年がら年中、感情を爆発させているような人達もいるが、理性的に立前を尊重している人ほど、定期的にブチギレる。日本の「ええじゃないか」は、60年に一度と言われているが、人類全体でも、感情を爆発させる時が、定期的に来るようだ。

単細胞な言動で憂さを晴らすトランプ、ドゥテルテよりも前に、粗雑な行動をまき散らしていたのは中国だ。
皆が、おしとやかに理性的にと、自制しているのを良い事に、行列に割り込み、怒鳴り散らし、スゴんで見せる、やりたい放題の中国に、もう、世界中が、「大人しくしている場合ではない」と感じ始めていた。

欧州では混乱を尻目に、一人勝ちしている中国が救いの神かと期待したが、どうもそうでもないらしいと思い始めている。直接被害を受け始めたアメリカや日本は、「これはヤバイ」と焦り始めた。
そんな空気が。直接間接にトランプ現象を生み出した。

実際、トランプやドゥテルテの様な、非常識でしか、中国には立ち向かえない。
長年、中国の理性の目覚めを期待してきた、日本を含む欧米は、もう万策尽きている。
「大国」中国の、下品な駆け引き腕力外交に、世界の人々は直接間接に、「目には目を」と感じ始めている。かといって、いきなり軍事衝突するような時代ではない。

上品にルールを守っていては、全部、中国に出し抜かれてしまうが、経済戦争を仕掛ければ、共倒れになる。先進国は、そう思って我慢してきたが、待てど暮らせど、中国が理性的な商取引に移る気配が無い。それどころか、領土侵略まで始めた。
世界は、中国が経済覇権を握るなら、それを否定はしない。中国が経済の心臓になるならむしろ大歓迎だ。しかし、中国は大きくなるにつれて、巨大な癌に成長し始めた。
これ以上看過していると、地球が冒されそうな勢いだ。もちろん中国には自覚が無い。

患部から遠い欧州には、ほとんど見えないが、中東の移民問題の元凶はアメリカの横暴だけではない。そこに便乗して漁夫の利を狙う中国の存在が影響している。中国はアメリカに張り付いた裏面であり、沈黙の臓器だ。

どこまで、世界の人々がそれを意識しているかは解らないが、今起こっていることは、製造、マネーの異常流通を引き起こす元凶、中国現象に対する、「ええじゃないか」と言えるのではなかろうか。

ここで一つ、面白いことがある。世界の申酉空亡のリーダーのことは「想定外の」で書いたが。
中でも主役の、バガボンパパそっくりの習近平が「これでイイのだ!」と、荒い鼻息を噴出すると、狂犬やテラーを家来に従えたトランプ桃太郎が、南シナ海の鬼ヶ島の前に立ちはだかった。
この二人どちらも、一日違いの双子座だ。戦いながら交互に誕生祝いを述べ合うことになるのだろうか。蛇の道は蛇、良い勝負になりそうだ。


想定外の

2017年01月26日 | 占いばなし

安倍晋三、YOSHIKI、新海誠、習近平、朴クネ、メルケル、ヒラリー・・・みな、申酉空亡だ。申年、酉年と、予想外のことが起こっている。良いこともあれば悪いこともある。
この面々を見てよく解ることは、空亡は吉凶ではなく、物事が「逆転」する、「予想外」のことが起こる時ということだ。
それ以前の状態が崩れる時、季節で言えば、一面、雪野原になる冬であり、全く違う世界が現れる。雪が降れば、今まで出来ていたことが出来なくなり、スキーやカマクラなど、出来なかったことが出来るようになる。凍った湖は歩いて渡れるようになる。

空亡に入れば、思いがけない世界が広がる。冬に田畑を耕そうと雪をかき分けても、疲れるだけで何も実らない。ひとまず雪を楽しめば良い。しかし、それが長続きするとは思わない方が良い。
空亡と言っても、「何も変わっていない」と思う人の方が多い。それは、雪が降るまで、冬を理解できない人だ。敏感な人は、空気で冬を悟る。

空亡を知らなくても雪は降り始める。思いがけない雪に驚いたとしても、最悪は慌てることだ。先ず、自分が新しい世界にいることを理解し、新しい環境にどう対応するかを考えることが先決であり、ガンバって突破しようとするのが一番いけない。車がスリップを始めた瞬間、ブレーキもアクセルもハンドルもいけない、車の動きを察知するのが先だ。何よりも、慌てる前に、凍結を予測してスピードを落としておくべきだ。

空亡は季節と同じで、予定通りに来るのだから、備えることができる。自分では何も感じていなくても、環境は変わっている。あるいは自分の体調が変わっている。時期が来れば、何も起こっていなくても、「何が起こるか解らない」と、心の準備をしておくことだ。また、闇雲に恐れることもない。雪野原になってしまったら、あえて掘り起こそうとしない。準備してきたことでも、強引にやり遂げようとはしない。
むしろ、雪のある間だけできることをやってみると良い。これまでとは違う身体の動かし方、過ごし方を試してみると良い。そうすると、自分の固定概念が無くなり、新しい思考法も可能になる。

そして何より大切なことは、その新しい体験と思考法で、空亡の開けた春に、新しい種をまく計画を立てることだ。
これが、「空亡は勉強の期間」であることの意味だ。空亡は睡眠中の夢の時間でもある。多くの偉大なヒラメキは、夢の中でヒントを得ている。

対処の心得
最初に挙げた人達も、予想外の状況に出遭っている。思いがけない悪いことに出遭っている人は、悪いことに出遭ったのではなく、自分の方針の穴が露呈しただけに過ぎない。ある意味では、常にその危険と隣り合わせにあったが、疲れてしまって、対応できなくなっているのだ。
しかし、悪いことに出会った人よりも危険なのは、良いことに出遭っている人の方だ。
ドキュメントで脚光を浴びたYOSHIKIや、「君の名は。」が想定外の大ヒットをしている新海誠などは、自分の理解と異なる部分が脚光を浴びているのだが、それを自分の実力と理解したり、その結果に寄ってくる人達に巻き込まれて、自分を失うと、空亡が明けた時、元も子も失う。

空亡は、単純には2年間だが、前後と余韻の1年を考えると、最大5年の「有効期間?」がある。
12年のサイクルの中で、正味10年、余韻2年に生きるか、最大5年に賭けて、後の7年を寝て過ごすか、それは生き方の問題だ。麻薬や夢の世界の方が楽しいこともある。
トータルに、積み重ねていくことができる10年に賭けるのなら、空亡の2年は、あくまで、一休み、頭の切り替え勉強の時間として、どんなに上手く行かないことがあっても、3年は焦らず、我慢した方が得策だ。

なお、空亡の冬の間には、古いものが絶え、新しいものが芽生える。失うものが有る方が普通の時だから、何があっても引きずらないことだ。
また、空亡の余韻が完全に抜けて、新しい年(時代)を感じられるのは、夏に至る7年目ぐらいになる。今、夏を迎えているのは寅卯空亡の人達であり、戌亥空亡の人には冬が迫っている。


とうとう

2017年01月21日 | 日記・エッセイ・コラム

とうとうとらんぷ
喧噪の中、トランプ大統領が誕生した。案の定というか、就任演説は感動的名演説とはほど遠い、怒れる金持ち親父の、「うっぷん晴らし」のような宣言だった。

格差社会が広がる中、その仕組みの中で超現実的な大金持ちになった人々の多くが、むしろ、貧困を何とかしなければいけないと言い出している。おそらく、それは本心だろう。
殊に、キリスト教社会で育った人間には、神の前の平等とチャリティー精神が根底にあり、自分だけに異常に金が集まり、貧困に苦しむ人が生まれることに、罪悪感がわく。かといって、自分の財産を全部投げ出すような人は滅多にいないが、神の意思を忠実に果たすべき政治家が、貧困を救えないことに怒りを感じ始める。
自分はそれが仕事だから金儲けに専念したいが、自分が金を出さなくても貧困層を救って欲しい。つまり、「そこの所を、上手くやってくれない」連中が、のさばっていることに怒っているのだ。
トランプは、政治においては、ど素人の庶民であり、ひたすら金儲けだけをしてきた、唯の親父だ。だから逆に、結果を出せない政治家やジャーナリストなどの空騒ぎに、怒っているのだ。

やはり、射手座の土星
一方で、トランプ大統領を受け入れられない人達が、八つ当たりしている。
反トランプ勢力は、トランプのような世界はあり得ないと信じてきた。アメリカの「理想」の真反対の言動をまき散らすトランプなど、単なるお笑いぐさだと思っていたから、選挙中は、何時もの調子で面白おかしくセンセーショナルに話題にした。その結果、トランプはほとんど金を使わず知名度を上げ、当選した。

トランプを「なめて」いた人達こそが、射手座なのだ。
射手座の典型的な人物は「マイ・フェア・レディ」のヒギンズ教授に例えられる。自分の知識と教養を絶対的に信じ、その知識の規格外のものを認めない。知識で計れない人間の情や現実を見ようとしない。
トランプの支持者が貧困層のイライザだとすれば、トランプをまったく認めない人々はヒギンズだ。自分たちが学んだ「理想」こそが唯一の真実であると信じる学者やジャーナリスト、そして、その言葉を信じる善良な人達だ。しかし、理想は現実ではない。トランプはそこに気づいて、勝負に出た。

アメリカの理想を求めて黒人を選んだアメリカ国民は、それでも良くならない状況にキレてしまった。やけくそになって今度は、お笑い芸人を選んだのだ。お笑い芸人というものは、本音を言うからウケる。例えそれが破壊的なことであってもだ。
トランプの出現を、心情的に受け入れることのできないヒギンズ達は、トランプという現実を、なんとか否定しようとしている。そこには、「アメリカの政治制度」や「オバマ政治の負」の部分に対する批判や、自らへの反省はない。これでは宗教戦争だ。

精神の高みを表す射手座は、知性に憧れ、庶民的な無知や下劣を嫌う精神貴族だ。ヒギンズはまさに貴族なのだが、そうでなくても、自らを知的貴族と信じ、一般大衆を上から目線で見る学者やジャーナリストの視点こそが射手座のスタンスだ。知性に裏付けられた自分の考えは間違ってないと信じてものを言う。
今、射手座の土星は、まさにその欠点を暴き出しているのだ。
大統領選の間、自らの見識を疑わない射手座の精神貴族達は、トランプのいい加減で、下品なもの言いをバカにし、こんな者が大統領になるわけがないと信じ祈っていたが、ことごとく裏切られ、それでも現実を見ることができず、今や、トランプに対し最後の聖戦を挑んでいる。

しかし、現実は今日も明日も動いていく。学者やジャーナリスト、それに賛同する人々は、どんなに忌まわしくても、現実を見なければならない時が来ている。何よりも、先ず反省から始めなければならない。
トランプ現象によって拒否されたものは、立前主義の「きれい事」政治であり、理想を旨とするオバマ時代に、もっと忌まわしい、中国というモンスターが成長した。腕力だけが頼りのハングリー国家の現実を考慮しない、欧米の理想が世界の傷を大きくしたのだ。

毒は毒を以て制す。ブレグジットもトランプも、行き詰まった立前政治を打開する、劇薬なのかも知れない。


2017

2017年01月10日 | 星の流れに

年も明けて、今年はどうなるか、不安と期待で騒がしい。
安倍総理も酉年占いをしてくれた。
酉年は、大まかに木星が天秤座の年と言える。日本にとっては過去の成果が出る年であり、同時に、新しいことを始める年になる。
何時も言うように、惑星が来た時、思い立って新しいことを始めると、代償が大きくなる。逆に、過去の成果を大切にし、それを固めるには良い年だ。

これまでの成果は、既に昨2016年後半から出ているはずだから、それが何かと考えると、経済復興だろうか。これには、観光や地方創世、外交関係も含まれるだろう。
とすれば、ここで調子に乗って深追いはしない方が良い。現在の傾向の質を高める事に注力する時だ。

解りやすい例として、観光は4000万人を目指すより、内容を充実させることを目指せば、結果的に数値も上がる。アジアからの数に頼るより、欧米先進国からの来訪を増やし、宿泊や交通のインフラを整え、観光資源の質を上げるべきだ。観光地の対応が雑になっている傾向がある。数より質。スイスのようにハイレベル観光を目指し、観光のブランド化に繋げる時だ。そのために、むしろ一端、数を減らすことを考えても良いくらいだ。

木星が来た時は、チャンスを確実に具体化する時だ。新しいことを始めると、新しい苦労が生じ、時には破滅に繋がる。個人的には、結婚したり子供が生まれたりするが、それをどう育てるかが大切だ。

2018の前年
木星・天秤座は、風の星座全体にチャンスとなる。日米露には大きなチャンスになるから、米露の動きに便乗する手もあるが、実は、木星の来ている日本が仕掛け人になっている。日本は中国の暴走に対抗するため、中国包囲網形成の努力を重ねてきたが、最も影響力のあるのは当然、ロシアであり、トランプ政権誕生により、米露の接近が可能になった。中国は自ら大国と名乗り、自ら米中冷戦を求めている。

中国が行き詰まるとすれば、2018年が重要な年と思われるが、2017年はその前年になる。2017年にどんなことが起こるかと言うより、2018年の前の年にどんなことが起こるかと考える方が歴史的には意味がありそうだ。つまり、後年、2018年事態は2017年にこういうことがあったからだと説明されるようなこと。そう考えれば、今年、何が起きるか簡単に推測できる。歴史先取りの占いの視点が、今の一歩を見やすくする。

天秤座の木星で現在、実は、中国はかなり苦しい、ジッとしていられない状況にいる。それが昨今の動きだ。ところが、秋には木星がサソリ座に移り、急に視界が開ける。暮れに土星が180゜の山羊座に入るが、サソリ座の木星で救われる。しかも、天王星も牡牛座圏で中国にとって好都合だ。
これが、現在の中国に都合が良くなることかと言えば、おそらく逆だろう。中国にとって良くなることは、中国共産党にとって良くなることとは限らないからだ。
また、一方、山羊座の土星は日本には領土の葛藤を表す(既に現在、冥王星運行中)。中国にとって木星が吉角の時、日本にとっての領土問題が起こるとは悩ましい。


事実真実

2017年01月08日 | 占いばなし

おめでとう」の語源は「めづらしい」と同類だと、勝手に推測したが、本当は、最初に使われた文献を挙げて、証明すべきだろう。現代人は科学的に考えるから、あらゆる事において、事実を持って、ものを言わなければ相手にされない。
ただし、この科学的思考は、異なる事実が現れると、また、一から考え直さなければならない。

物質的知見の蓄積には、この思考法は有効であり、近代文明は、これによって進歩した。そして現代人は、事実だけを真実と考えるようになった。
だが、その結果、かえって事の本質、大切なことは何かが解らなくなっている。ものの道理が見えなくなったようだ。

ここで言う、ものの道理とは、常識や正義のような社会通念のことではない。天然自然の摂理のことだ。
よく、道理を口にする人は、この社会通念を道理と間違えて語る。親子や家族の愛を当然の道理などというのは、慣習や社会通念であって、道理からはむしろ外れている。
自然は、人間の秩序など気にしない。災害は人間にとっては災害だが自然の摂理であり、それが自然の秩序だ。そうした大きな道理に添ってこそ人は生きられる。

人間が温暖化を招き、滅びるとすれば、それも自然の摂理であり、道理を見失った人間の当然の結末だ。が、一方で、人間が自然と鬩ぎ合うのも自然の摂理の一つであり、それも人間の宿命だ。自然の一部としての人間は、岩と水のように、自然と鬩ぎ合うために生まれた砥石のようなものかも知れない。道理とは、そうした残酷とも言える自然の都合、摂理だ。だから、人間は道理という波に上手く乗らなければならない。

一歩ずつ歩む科学思考は、その局面、局面では間違いがないが、必ずしも道理に沿っているわけではない。人間の視野の枠の中でしか理解できない。
大海に向かう水は、西に向かい東に向かい、時には真逆に進みながら海を目指す。だから、真理と思われるものも、その時の真理であって、理路整然と説明さているからと言って、大海に向かう道理とは限らない。
生きていく上で大切なことは、科学思考より、この道理をかぎ分ける力を持つことだ。物を造る能力より大切なことは、何のためにそれを造るかを知ることだ。

情報が少なかった昔の人は。現代人のように、溢れる情報に翻弄されたり、ポケモンを追いかけることも無かった。動物を追ったり、石を磨いたり、ひたすら自然と対峙していた。そして、何も知らなくても、自然の道理を体得していった。
学校も寺子屋もない時代には、伝説や神話が、現代の科学のように社会通念として君臨していた。しかし、その前提となる知識は、誰でもが自分の体験に照らして簡単に納得できるものだったから、人は自分の考えを持って生きることができた。

もう一つの窓
占い的思考法が現代に役に立つとすれば、科学的ではない視点に立つことだ。決して、占いを信じることではない。現代の常識から、一歩離れた視点からものを見る。物事を、あえて論理や証明から離れて把握しようとする、自分で考えようとするところに意味がある。

占いを盲信する人は、自分の目を磨こうとする人ではない。同様に、占いを頭から否定する人も、科学の信者に過ぎない。占いは参考にして考えるヒントにするものだ。
どういう方法であれ、目先の言葉や論理に惑わされない、道理を体得した自分の目を持ち、それによって生きていくことが重要なのだ。
占いという切り口は、その一つの入口として見れば有効となる。様々な方法で、個々人が、自分の見解を持つことで、社会は発展する。さもなければ、情報が溢れ複雑化した現代では、自然の道理を見失った人々は、思考を停止し、皆、笛吹き男について行くことになる。
今や、世界中に笛吹き男が現れて、笛を吹き始めている。


メデタイ

2017年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

ボーッとしているうちに、もう、七草だ。と言っても、元来は旧暦の正月だから、今、七草を探すのは、本当は、なかなか難しいはずだったのだが。

あけましておめでとう?
クリスマスは、日本語で「おめでとう」とは言わないで、メリー・クリスマスと言う。
誕生日には「おめでとう」と言うから、お正月のように特定の日を祝う言葉として昔から使っていたのだろう。クリスマスが、それだけ新しい習慣だと分かる。

おめでとうは、「お目出度う」とか、「お芽出とう」と書くが、「愛でる」べき事の意味だから、目が出るのは博打っぽいが、木の芽が出るは、愛でるべき事かも知れない。
おそらく「めづらしい」も、「愛づ」べき事から来ていて、珍しいことは喜ぶべき事なのだろう。
英語のcongratulationは、共に喜ぶ事という意味だろうから、happyやmerryより積極的に喜んでいるように聞こえるが、congratulationの場合、状況的に、心底喜んでいない場合もありそうな気がする。他人の良い事はこちらの悪いことだったりするから、かなり社交辞令的に「喜びに参加」している観がある。

happyやmerryが、理屈抜きに「わーい」と言っているような言葉なのに対し、日本語の「おめでとう」は、やっぱり、少々堅苦しい。
では、お正月や誕生日を、手放しに喜ぶような日本語はあるだろうか。
「やったー!」や「しめた」、「よっしゃー」は、結果を喜び、しかも、やや予想外の時に使う。予定されたことを喜ぶ言葉ではない。
「うれしい」「たのしい」は使わないこともないが、うれしいお正月、楽しい誕生日と言ったら、子供じみて聞こえる。「うれしいな」は、自分の感情で、相手と共に喜ぶ言葉ではない。
やっぱり、「おめでとう」しかないようだ。

「おめでとう」のかわりに、「めでたいな」とか、「良かった!」と言えば、ストレートに祝っている感情が出るから、ハッピーエンドは「めでたし、めでたし」と言う。
しかし、「めでたいな、めでたいなお正月」と言っていると、他人から「めでたいやつだ」と思われそうだ。どうも日本語には、表だって喜べる言葉が見当たらない。