魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

再び荒野(1)

2012年08月31日 | 星の流れに

リンドバーグ大西洋横断は1927年。
それから42年後の1969年、アポロ月面着陸。
それから42年後の2011年、火星探査船打ち上げ翌年到着。
84年周期の一例だ。いずれもアメリカ。
これを、同一現象と理解できなければ、占いは理解できない。

時代は今、再び天王星・牡羊座の、原始創世の時代。
牡羊座時代佳境に、映画「プロメテウス」まで現れた。

天王星が牡羊座に入ると、うお座のエネルギーが途切れ、問題続発になるところだが、今回は違う。うお座に守護星の海王星が入っている。むしろ、うお座の勢いは増大する。ここが前回の84年前とは大きく異なるところだ。

もちろん、牡羊座の勢いが何ら劣るものではない。
EUが世界経済トレンドをリード(?)し、気候変動が農業や世界経済に影響を及ぼし始め、火星が注目され、iPS細胞技術で毛も生え始めた。何もかもが牡羊座現象だ。

牡羊座は、事の始まり、粗雑で無秩序、荒く激しい。荒野に昇る朝日だ。清々しいが何の彩りもない。ぶっきらぼうで無秩序。
工事現場や、火や刃物、格闘、そして軍隊だ。

近頃、流行のタレントは、やはり、牡羊座が多いが、ハチャメチャのローラに、「べつに」の沢尻エリカなど、いかにも牡羊座で、ガガなども洗練されているとは言いがたい。軍人の言葉や物腰も牡羊座。

今の時代に受けるのは、この牡羊座的「独りよがりでぶっきらぼう」が世相の心情にマッチするからだ。
もう、今や気取ったことを言っても始まらない・・・

そして、昭和初期、日中の国民感情はどんどん険悪になっていった。
天秤座の日本、カニ座の中国にとって、牡羊座の天王星が居心地が良いわけがない。
当時の軍国日本が「満州は日本の生命線」と言ったように、今、軍事大国中国はやたら「核心的利益」を乱発する。

当時と比べ、カニ座中国には、うお座の海王星が味方している。海洋において中国有利とも見られるが、中国が気持ちを落ち着かせるとも考えられる。後者であって欲しいが・・・

この後、天王星が牡牛座に移ると、それまで平和に見えていた世の中は急変した。
日中戦争から太平洋戦争まで、招集を受けた若者は、まさか自分が戦争に行くことになるとは、本音の所、思っていなかったと証言している。


朝日は東

2012年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム

南海トラフ巨大地震の被害想定、最悪死者32万の警告が出た。

韓国のネット新聞で、歴史を反省しない日本には「もう一度」天罰が下ると書いてあった。
「東日本大震災に継ぎ、富士山を中心に近いうちにもう一度必ず天罰は下る」

日本で懸念され、警戒情報が流れている、富士山爆発や、この南海トラフ地震を「期待」しての言葉だろうが、
要は、東日本大震災を天罰だと決めつけ、次の日本への天誅を期待していることが、明白に解る記事であり、この記事への韓国内のコメントも大賛成ばかりだ。

石原都知事が言った「天罰」とは、日本人自身の生き方の問題であり、韓国の思惑を代行して、天誅が下ったのではない。
富士山が爆発しようと、再び超巨大地震が起ころうと、日本で起きる災害は、古来、災害国に住む、日本人が懸念し考える問題であって、どこかの怨念で災害になるのではない。

思想信条、立場の違いと、天災による不幸を区別できない人々は、論評に値しない、気の毒な人々であり、
聖書の「父よ、彼らをお赦し下さい。何をしているのか分からないのです」の、まさにその、彼らだ。

「人を呪わば穴二つ」という、戦後、もう100年近くになろうとしても、際限なく日本を一方的に悪者と決めつけることだけで、一方的に要求と横暴を突きつけてくる態度には、さすがに、戦争を後悔してきた日本人も「限界を超え」、堪忍袋の緒が切れた。

ええじゃないか」にも見られるように、日本人が耐えられるのは最大60年だ。戦後、既に67年。7年も過ぎている。
日本人がひたすら堪え忍んできた60年が過ぎても、日本人が大人しいからと高をくくり、自分たちの反省をしない人々こそ、もう一つの穴に、自らを葬ることになるだろう。

どこの国とも、まして隣の国とは、特に仲良くしたいと思ってきた日本人も、戦後生まれが多数派になり、増幅され度の過ぎた「反日」には、さすがに、もう耐えられない。そう思ってきている。

「反日」を燃料にして成長してきた国々も、そろそろ、EVに燃料を変えなければ、大転換時代に乗り遅れると思うのだが・・・

それでも、「反日」を続けるのなら、日本ひょうたん島は東に向かって進むしかない。
地球は狭くなった。太平洋も南半球も隣村だ。


主戦論者

2012年08月28日 | 新鎖国論

コーヒー好きなのだが、実は飲むたびに、後ろめたい気持ちになる。
毎日飲むコーヒーは、一粒も一滴も、国産ではない。
コーヒーを味わって飲む時ほど、そのことを思い出す。
地産地消と言いながら、現代の経済システムにどっぷり浸かっている。

もとより、今の時代、完全な地産地消など、できるはずもないし、まして島国日本では、空気のように輸入の恩恵にあずかっている。
どうしても、輸入品完全ボイコットで生きようと思うなら、横井庄一さんのように、山奥で布から織って、ガマやヘビを食べ、糞尿のリサイクルをして暮らさなければならない。

それでも、日本が完全鎖国をして、経済発展を遮断し、地産地消の独立採算をするなら、やってやれないことは無いだろう。しかし、世界の経済発展を知りながら、こぢんまりと暮らしていくことなど、とてもガマンできないだろう。
例えそれが、いつか崩壊すると分かっていたとしてもだ。

だから、地産地消とは、あくまで、輸入に頼らない基本的な衣食住財のことであって、全面シャットアウトの意味では無い。

そういう観点から見ると、いざという時は、コーヒーなど、真っ先に断てる心の準備をしておかなければならない・・・のだが、想像すると、なかなか難しい。

戦時中は、コーヒーの輸入が不可能になり、大豆を煎るなど様々な代用コーヒが生まれた。
コーヒーぐらいならまだ良かった。現代戦争に欠かせない「石油」の無い国が戦争を始めたのだ。

ボイコット
相互依存の現実を理解しない人は、簡単にボイコットを叫ぶが、この延長が、「石油の無い国の戦争」のような思考停止だ。
さすがに、現代の日本ではこういう偏狭思考は少ないが、「大国」中国は、単純にこう考える若者が少なくない。

確かに、何でも資源のある「大国」中国なら、独立採算できると思ってしまうのだろうが、そんな「大国」でも、尖閣の地下資源は欲しい。
大量生産大量消費の、産業革命パラダイムの中で生きる限り、全てを一国でまかなえることなどあり得ない。(脱産革で鎖国なら別だが)

「大国」中国の陥りやすい錯覚は、このような、全て自分の国が勝っているという思い込みであり、戦前の日本人もそう考えていた。
中国でも教養のある人は、現代の現実を知っていそうなものだが、国が、レアアースを制限したりするところを見ると、実際の政治は、相当、稚拙なレベルで動いている。

中国政治の粗雑な動きは、結局、軍人が力を持つ軍事政権だからだろう。海外との摩擦が起きるたびに、脅迫的な言論をあげ、逆に、他国の動向を全て脅迫と見なす。その国の若者は、他国への不満に短絡的にボイコットを叫ぶ。自国の意志を、圧力で一方的に通すことができると考える短絡は、主戦論と何も変わらない。

日本での中国製品拒否は、中国に圧力を加えようとするものではない。毒餃子や農薬野菜など、製品そのものに対する不信であり、主戦論的ボイコットとはまるで違うものだが、主戦論の中国からすれば、中国製品ボイコットと受け止める。


変容騒ぎ

2012年08月26日 | 星の流れに

26日、ネット上に「アームストロング」の記事が出た。
『あれッ、えーっと???』と、一瞬、混乱した。全く別のアームストロングが、二つ出ていたのだ。

一方は、「人類月面初着陸」のニール・アームストロング宇宙飛行士の訃報で、もう一方は、「ツール・ド・フランス7連覇」のランス・アームストロング選手のドーピングによるタイトル剥奪、自転車競技からの永久追放だった。

月は24日から射手座にいる。いかにも射手座の話題だ。
太陽は23日から乙女座で、月とは角度が悪い。どちらも良いニュースではない。
宇宙も、自転車も射手座。どちらも双子座のアメリカ人であり、「アーム」の腕も双子座。「ストロング」は火星=牡羊座、またはサソリ座。24日から火星はサソリ座に入った。

世界のテレビで放映された、アームストロング宇宙飛行士の
「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」は、外出や小旅行を表す双子座そのもの。
もともと、双子座は人生の段階で言えば、歩き始め、好奇心で考え始める時期を表す。なお、直観的な情報のテレビも双子座。

自転車のアームストロング選手のドーピング事件は、本人が乙女座で、ドーピングは魚座。乙女座と魚座は医療と薬物の関係。また、スポーツ全般も射手座で魚座の薬物とは相性が悪い。

いずれにせよ、これは全て、「変容宮」()の絡んだ話題であり、木星が双子座の年の、乙女座の太陽、射手座の月の話題だ。

双子座の木星と言えば、野田総理は24日夕刻、領土問題関連の記者会見を開いた。野田総理は牡牛座の終わりだ、ほとんど双子座と考えてもいいのだが、何よりも、臨時の記者会見を開いた時は、ちょうど月が生時の太陽の真上に来ていた。積年の思いをぶちまけたようだ。(異形の力

韓国の李明博大統領は射手座で、木星→双子座に振り回されて、ワケの解らない言動に走り出した。

変容宮の潜在的でもっと大きな問題として、魚座の海王星がいる。
島嶼・海洋問題が世界を覆っているのだ。
そこに、木星→双子座だから、射手座の大統領が島に行くのも必然と言えば必然で、クロヤギさんシロヤギさんの、親書のやりとり騒動。
これも変容宮だ。(手紙は乙女座、通信は射手座)

こうして目先の問題は、すべて「変容宮」に覆い尽くされているが、来年2013年木星がカニ座に移動すると、たちまち、活動宮問題が浮上し、また、日本や中国、欧州が衝突する。この時、日本や欧州には救いの星が無いが、カニ座中国には、サソリ座の土星と魚座の海王星が密かに味方する。

ただ、日本も選択を誤らなければ、実は、大きなチャンスが来るのだが、今の日本の政治が正しい選択をするかどうか、はなはだ疑問だ。
正しい選択とは、予想外の日本評価の誘いにうかつに乗らない。損得をよく考えること・・・なのだが。

ところで、アームストロング宇宙飛行士は8月5日生まれ。ジャズの、ルイ・アームストロングも、定かでは無いが8月4日だそうだ。ついでながら、オバマ大統領も8月4日。


夜明け前(2)

2012年08月25日 | 日記・エッセイ・コラム

もし、「地球国家」が成立すれば、警察は要るが、軍隊は要らないことになる。
SFのように、宇宙人が攻めてくる可能性は否定しないが、それには備えようが無い。相手の正体が分からない上、存在さえ定かではないものに、備えるのは、杞憂に等しい。

地球国家の警察は、警察とは言っても、やはり巨大な軍隊だ。
世界国家ができれば、世界を均等・平等化するために、いわゆる「大国」を分割する、「廃藩置県」も必要だ。
今の国家である「地方」が反逆すれば、地球警察(軍)が鎮圧しなければならない。いわば、維新後の西南戦争も始まる。

既にある国家の再編という点では、世界国家の始まりは、日本の維新が参考になるかも知れない。
既存の体制を大きく変えず、トップの組み替えだけをした点は、他の国とはかなり様相が違う。それだけ、江戸の幕藩体制が完成していたのかも知れない。

しかし、幕府に替わって薩長が収まったという点は、後の弊害にもつながった。
現在の日本が、明治日本の呪縛から、いまだに解かれていないのは、薩長の価値観であり、皇国という一神教的意識は、西国の、特に九州の熱心な信仰心に背景がある。今でも、西国からは、次々と雲が湧くように新興宗教が起こってくる。

もし、世界政府が、明治維新のような一部国家の権力奪取によって置き換わるだけなら、今日まで尾を引く、日本のような、「権力と価値観の偏り」の弊害が、世界を覆うことになってしまう。
こういうことを言えば、日本は民主国家で、偏ってはいないと反論されるかも知れないが、その時点で、すでに客観性は怪しい。

世界国家の成立をいきなり求めると、そのような一部国家の権力が席巻する。世界国家への試行錯誤である、国際連盟も国際連合も、そのことを暗示している。安保理の常任理事国など、明らかに限界を示している。

活力とバランスのある世界国家を創るには、やはり時間は必要だ。
時間をかけながらも、現在の国家枠の形を残しながら、世界を統合して行くには、おそらく、アメリカと日本の成立過程が、最も参考になるのでは無かろうか。

かねてより、古代日本と、アメリカ合衆国は、成立過程が似ているのではないかと、考えている。(古代アメリカ
アメリカについては色々と言われているが、古い秩序から見れば当然危なっかしい若造なわけで、問題だらけであることは否めない。

しかし、それだけに、人類の因習から進歩するこれからの世界国家は、とりあえずは、地球合衆国を目指すのが、良さそうな気がする。

アメリカがリードするという意味では全くない。アメリカが生まれた過程を参考にして歩み、日本の至った姿を念頭に、そのネガティブ部分を避けながら、和の世界に向かって、一から進むということだ。
冷戦構造や、貿易協定なども、そこへ向かう自然のプロセスとも言える。
まだまだ、今からの250年が、始まったばかりだ。


夜明け前(1)

2012年08月23日 | 日記・エッセイ・コラム

海王星・魚座の時代。領土問題でますますヤヤコシイことになっている。この問題は、それぞれの国民が考えるような単純な問題ではない。
戦後と冷戦のドサクサが絡んだ、国家の成り立ちの問題で、明治維新の、官軍の錦旗はどちらのものかのような、結局は、「勝てば官軍」、要領の良さと力任せの現実でしか解決しない。

日中韓露の中で、どうも、一番うまく立ち回っているのは、やはり中国のようだ。しかし、策士策に溺れるとも、上手の手から水が漏れるとも言う。中国自身が抱える国の成り立ちの矛盾も、大きな不発爆弾だ。

戦後67年。四捨五入すれば、70年、いや100年と言ってもいい。
冷戦に始まった戦後体制だが、冷戦はとっくに終わり、ソビエト連邦以外の各国も、もう一度、自国の定義をし直さなければならない。
にもかかわらず、冷戦体制のまま、国家を固めようとする矛盾だ。

その意味では、良し悪しは別にして、ロシアが一番早く新生の道を歩んでいる。日本を真似て成功した中韓が、日本と同様に、矛盾を抱えたまま自国を固めようとすれば、自動的に相互の矛盾が衝突する。

日本を巡る領土問題は、それぞれの国の成り立ちに関わる問題だ。
その領土が自国のものでないとすると、それぞれ、国の成立が無かったことになる。国の表面が立派になるほど、それを覆すような基礎構造には、今さら手を付けられない。

ロシアは、ソビエトとロシアの連続性の問題を内包しているが、ソビエトの行為が正統な戦争行為かを主張するだけで、もともと自分の土地だとは言っていない。
これに対し、中韓は、とにかく昔から自分の土地だと言う。

中国も、韓国もいまだに、自ら「分断国家」だと名乗っている。
(中国が台湾を、韓国が北朝鮮を自分の領土という限り)
そのような「国」にとっての領土とは、「自分が主張」すれば領土だ。

強引とは言え、ロシアは法的根拠の次元で語っているが、中韓には「理」が無い。「かけひき」だけで手に入れようとしている。

法治主義日本の法的よりどころであるサンフランシスコ条約は、冷戦の過程であって、世界が一致賛同したものでは無かった。それだけに、もし、尖閣や竹島が日本のものではないと言うのなら、戦後日本は無かったことになってしまう。根幹に関わる。

どの国にとっても、今までの国柄を改めない限り、引くに引けない問題だ。つまり、出口は永遠に無い。

こんな次元に引きずられる、無意味な対立や停滞を避けるために、提唱された「未来志向」は良い言葉だ。
良い言葉が力を持たないのは、目標となるビジョンが無いからだ。

国家前提の近代から抜けだし、国家を村に引き下げ、グローバル時代を具現化する「地球国家」の具体的な構想が見えなければ、誰も、目先の欲や信念から離れられない。
幕末、「日本」を、すぐに理解できる人は、現代人が想像するほどいなかっただろう。井の中のカエルに、大平原は見えない。


ネチコチ

2012年08月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昭和40年代、あきれた自動車事故があった。
高速道路で、車輪がトラックの窓を直撃して大事故が起こったが、そのタイヤがどこから飛んできたか分からない。捜査した結果、高速対向車線の車のタイヤが外れて飛んできたものだったが、当の車は気づかず、三輪のまま家に帰っていた。

深夜の大通りに、人間の腕が落ちていた。
すわ、バラバラ殺人事件と、急遽、深夜の都心に大捜査網が引かれた。検問で止められた車の運転手に免許提示を求めると、免許を出せない。見ると、右腕がない
酔っ払い運転で、窓から手をぶら下げて運転しているうち、すれ違った車と接触し、腕を切断したが、シャツが巻き付いて止血した。
酔っ払いは、そのまま気づかず運転していた。

自動車社会発展期の日本では、今の中国を笑えないようなことが起こっていた。(記憶なので詳細は定かではない)

今では、酔っ払い運転も減り、車はエアコン付きで、タイヤが簡単に飛ぶようなことも無い。(ダブルタイヤの人身事故はあったが)
表面は立派になった日本だが、こんな時代を経て今日がある。
はっきり言えることは、当時の方が人も経済も勢いがあった。

今、日本メーカーは、パソコンや携帯の、薄さ何ミリ、何グラムばかりを商品価値として強調するが、デザインや機能のサプライズがどこにも無い。
横並び均質教育。いじめ。システマティカルな社会。正確で清潔な暮らし。それを誇る日本人。

今や日本人のすべてが、薄さ何ミリ、何グラムの中に閉じ込められてしまった。度肝を抜くようなムチャが、どこにも無い。

言葉遣いからして窮屈だ

「・・・させていただいて」

自分の意志は無いんかい
こういう言葉づかい止めようよ
個性抹殺言語だ
近頃、消えた言葉
「泣くな」「根性」「度胸」・・・

日本人は、もっと傍若無人にならなくては
行儀の悪い個性がぶつかり合って、
切磋琢磨で、とんがったものが生まれてくる

こんなことを言うだけで、攻撃が始まる
「ハイハイ、あんたはえらい」と、ネチコチ言葉が降ってくる。

こういうネチコチ人間がグウの音も出なくなるほど、世の中が荒廃しなければ、日本は立ち上がれないのかもしれない。


以和為貴

2012年08月19日 | 新鎖国論

天王星→水瓶座の時は 北海道とロシアに苦難があった。
天王星→魚座の時には 宗教テロ戦争でイスラム圏が苦難。
天王星→牡羊座に来て ヨーロッパに苦難が起こっている。

苦難は改革への通り道だ
北海道もロシアも、その後、むしろ発展に向かっている。イスラム圏はまだ苦境を脱したばかりだが、イスラム革命など大きな変化が始まり、ミャンマーを始め東南アジアも、変化が始まっている。
一方、EUはまさに苦難の最中、まだ、10年は苦しむだろう。

牡羊座のヨーロッパの場合、ただ天王星が来ただけではなく、土星が牡羊座と180゜の天秤座にいたから、他動的要因であるマネー=土星から、実態以上に「風評被害」で苦しめられている。

天秤座の日本は、この逆の立場で、土星の直撃に苦しめられてきたが、土星が去ればとりあえず陽が差してくる。天王星は天秤座を直撃ではないから、他国の事情に苦しめられ、評判は上がったり下がったり、勝手に言ってくれと言いたくなる。(天王星は注目=人気を表す)

双子座のアメリカは、天王星の60゜と土星の120゜で、リーマンからの脱出チャンスとなっている。そこへ木星も来たから、世界の混乱を尻目に、反転攻勢に打って出る。

日本は、84年前のように、手近な東アジアをゴールドラッシュの猟場だと思っているが、84年前とその後を振り返って、反省してみる必要があるだろう。これからの100年に向けて、どう進むのか、ここが正念場だ。

日本から生まれる世界企業の意味
日本は大借金を抱えながらも、世界最大の債権国になっている。
本国日本は、こぢんまりと小さく、牧歌的で文化的な島国に変身し、
大企業はすべて、研究開発を本国に残し、世界で仕事をすればいい。
コアな基礎研究や開発は日本で、商品開発とビジネスは海外で、現地の産業としてやればいい。

日本にその才能があるなら、金融国になれば良いのだが、これは無理な気がする。
むしろ日本は、文化やサービス産業を通して、人道や平和主義を広めていくことを、ビジネスモデルにしてはどうだろう。

こんなことを言えば、中韓からは「そんなバカな、日本のような非道国家に、そんなことができるわけがない」と罵られそうだが、日本に住み、実際の日本を知った中国の人は、日本こそが古代中国哲学を実践していると、口を揃える。
実際、今の中国は、相手を非難するために人道を口にする。「人道に反する」と。

日本の平和主義や和の精神は、聖徳太子の時代に生まれたものではない。当時は、来たばかりの渡来文化で、殺伐としていた。だから「以和為貴」と、わざわざ言わなければならなかった。(和をもって貴しとなす)
「思いやりと優しさ、隠蔽と事なかれ」の、表裏一体の文化が生まれたのは、平安や江戸で繰り返した、鎖国と停滞だ。
明治以後の日本は、また、殺伐としたが、それでも他の国と比べれば、根底には、やはり、和の精神が残っている。

企業の社会的責任と言うと、経済効果が思い浮かべられるが、世界への「生き方やモラルの提案」と言うことも、結果的に、あっても良さそうな気がする。


芦浜原発

2012年08月17日 | 日記・エッセイ・コラム

深夜、たまたま、NHK名古屋の「原発ができなかった町で」を、途中から観た。
原発に関するドキュメントは、大抵、腹が立ってくるので観ないのだが、建設されなかった経緯なので、安心して終いまで観てしまった。 感動して泣いた、そして笑った。

三重県、熊野灘の「芦浜原発」計画断念までの50年
半世紀前、1963年に始まった中部電力の原発建設計画に、地域コミュニティーが分断、破壊されていく悲劇と、不撓不屈の反対運動。損得抜きの運動協力。三重県民80万人の署名。知事の見識と英断。町の発展を願う推進派町長の、フクシマ後の覚醒と努力。
素晴らしいドキュメントは、何よりも事実が偉大だからだ。

今回のフクシマ事故の直前、原発推進の勢いは、巨大地震津波の可能性など全く無視し、この芦浜原発計画も、再び動き始めていた。
その最中に起こった、フクシマだ。石原都知事の言う「天罰」でなくて何だろう。津波が天罰なのではない。原発という驕りへの天罰だ。

貧しくとも豊穣の海がそこにはあった。
原発は、札束で豊かさをひけらかし、目先の欲に狂った住民と、納得できない住民との間に確執を生み出した。

人間は動物だ。目の前に金を見せられたら「ゴールドラッシュ」に走りだす。「ちょっと待てよ、なんか変だぞ」と言う人間は、何時も、殴られ突き倒される。「じゃまだ、どけっー!」

反対運動をしていた人が、誰も口をきいてくれなくなった時を思い出して、涙ぐんだ。
子供の時に津波に遭った推進派の町長は、本当に大丈夫かと、60余回も各地の原発の視察にまわり、安全を確信したが、フクシマで覚醒した。
結局、推進ありきで視れば、念入りに視るほど、反って、安全を確信するだけなのだろう。思い込みとはそういうものだ。

日本は経済発展のために、安全より効率だけに目を向け、便利で快適な生活を手に入れたが、何かとてつもなく大きなものを失った。

大成功の皮が一枚剥がれると、中からエイリアン原発のおぞましい姿が現れた。しかし、今さら騒いでももう遅い。日本は原発が癒着して、今や切り離し手術はできないのだ。生まれ変わるには時間が掛かる。

芦浜原発計画を「食い止める」だけで、37年の血と涙の歳月があった。
イケイケどんどんで、「神話」と称して原発を推進し、悪魔に魂を売り渡して繁栄してきた日本人が、本当に、生まれ変わりたいのなら、それより長い歳月を覚悟しなければならない。

目の前の恐怖に、飛び上がって叫び、走り回ることは、安直な札束に飛びつくことと同じことだ。
真実を見極め、生きるとはどういうことかを考え、何に向かってどう生きていくべきか、芦浜の人のように、何があろうと一歩一歩進んでいくしかない。

原発推進派だった町長が、「貧乏でも智恵と工夫でやっていく。大丈夫、元気だ」と言って去った姿に、思わず声を上げて笑った。

そうだ、知恵と工夫だ。それでこそ、本来の日本人だ。


攻撃商法

2012年08月15日 | 日記・エッセイ・コラム

シャープはどうなっているんだと日本中が心配している。
しかし、今日の日が来ることは、ある程度予測していた。
占いでの予測も無いでは無いが(亀山)、それより、ちょっとしたことの積み重ねでそう思っていた。

コンピュータとの出会いは、シャープのMZ-80Kだった。パソコンの体裁を備えた初めての組み立てマイコンキットで、画期的だった。
その後、NECが、Cバスで一貫したパソコンを売る中、シャープは電子手帳路線に舵を切った。

超小型のプログラムPCは便利だったので、その路線を付いていった。
すると、電子手帳は新発売になるたびに規格を変えてくる。
ユーザーを全く無視して、目先の珍しさだけで、その場限りの顧客を発掘する・・・そういうことかと、あきれてしまった。

顧客との信頼関係より、製品開発に熱中する。やはり、アイデアで大きくなった会社なのだなと愛想を尽かした。

その後、時代は変わり、シャープもNECも、あるいは、マイクロソフトさえも、時代の彼方に押しやられている。
しかし、会社の持つカラーというものは、案外、変わらないものだ。

太陽光発電や、液晶テレビは、先行商品化で本家を強調していたが、それまでと同じ、飛びつく早さだけで、『どうせまた、目先を変えて独りよがりな売り方をしているだけだろう』としか、思えなかった。

独りよがり商法の自覚がなく、最初に売れているからと強気に出た失敗は、必然と言えば必然だった。しかも商法としては大量投資でシェア狙いをする韓国の後追いだ。
シャープの独自カラーは、何はともあれ「目先の変化」だったのだから、シェアよりアイデアを連発して、コアなファンをつないでいくべきだった。そう言っては何だが、質や商売上手で勝負する会社とは思えない。

電卓時代にシャープをマネしたカシオや、テレビの韓国メーカー。
いずれも、シャープより、上手く商売をしているのは、ある意味、己を知っているからだ。自分達ができないことを自覚してこそ、突破口は見えてくる。

シャープだけではない。職人気質の日本メーカーには、大なり小なり、この、己を知らない傾向がある。「ものづくり」という言葉に酔い、客が本当に喜ぶことをする気がない。 
「てやんでえ、べらぼうめえ、素人が職人に口を出すんじゃねえ」

鎌倉の先生にお願いする芸術品なら、それも良いかも知れないが、
どんなに精巧でも、大量生産品は、大量のユーザーあっての価値だ。
シャープに次いで愛好したエプソンも、今、同じような停滞に入ろうとしている。カシオも危ない。

日本の会社に共通して言えることは、技術による成功体験に捕まり、冒険を嫌い、失敗だけを恐れている。画期的製品が全く出てこない。
余力でしばらくは持つかも知れないが、時間の問題だ。どんな大組織も守りに入れば、じり貧となり、コツンとつまずいただけで崩壊する。

日本サッカーの進歩は、最初の一点を守るサッカーから、攻めに転じたことだ。
「攻撃は最大の防御」
監督に外国の風、選手の海外経験。日本企業の再生は、どうも、サッカー方式が良さそうだ。


笑いごと

2012年08月14日 | 兄弟関係

今朝は、眼底が痛くて目を覚まし、起きたら異常に肩が凝るので睡眠不足だな、と思いながらサロンパスを貼った。
正午のニュースを見ていると緊急地震情報。北海道でM7.2、震度は3。
肩こりは治まったが、眠い。
朝早く起きたおかげで、いろいろなニュースを読んでしまった。

このところ、中韓のことばかり書くことになったので、しばらく離れようと思っていたら、また、どうしても書かざるを得ないようなネタが出てきた。やっぱり、土星がサソリ座に向かっている。

韓国選手の政治アピールで、メダル剥奪の危機が起こったら、韓国サッカー協会から日本サッカー協会に謝罪が来た???
日本サッカー協会がそう発表すると、当然、韓国内で「何で謝るんだ」「謝ってない、故意ではないと説明しただけだ」とモメ始めた。

謝罪か説明か、それはどうでも良いことだ。
韓国のこれこそが、兄弟関係に見る、「無軌道な末っ子」だ。
声はいつも大きいが、原理原則や本質論がどこにも無い。
空気を読むだけで生きている末っ子は、何か起こると、八方、騒ぎまわり走りまわって、突破口を開く。

確かにパフォーマンスの対象は日本だったかも知れないが、問題の核心は、「オリンピック精神」を毀損したかどうかで、日本とは全く関係ない。
原理原則を見極めて動くのではなく、手当たり次第当たって、相手の反応の出方で行動を決める。これが韓流ならぬ、末っ子流だ。

日頃から完全に故意の竹島問題を、「故意ではなかった」と、今さら何のために「日本に」説明しなければならないのか。
日頃から確信しているから、今回の事件が自然発生したわけで、
「解ってない」にもほどがある。

要は、何で非難されているのか解らないから、とにかく何か言っておこう。と、手当たり次第の対策にすぎない。
「お互いに気をつけよう」と、オチの一句まで付いていた。

原理原則で考える、長子や一人っ子には、この不見識が到底理解できないのだが、あまりの超不見識に、思わず笑ってしまう。これが、常にモメながらも縁が切れない、結局は許してしまう関係になる。
つまり、この可愛げが、バカに見える末っ子の「したたか」であり、この臨機応変こそが、「いいとこ取り」が得意な、末っ子の才能なのだ。

原理原則にこだわる長子は、無鉄砲な失敗をしない代わりに、一端、起こした行動は、簡単に態度を変えることができない。
中国が、まずいことが起こると、問題は「無い無い無い」と叫ぶことや、明治体制をいまだに引きずっている日本など、外から見れば、これも困り者の一人には違いない。


古代差別

2012年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム

今回のオリンピックで、日韓のサッカーが揃ってベストフォーに入ったことで、中国ではアジアのサッカーの地位を高めたようなことを書いていた。まるで、わが舎弟よ息子よ良くやった、と言わんばかりの論調だ。(中国が勝ってもアジアを代表してとは言わないのだが)

中国や韓国では、何かにつけて自国以外で良いことがあると、「アジアの」と、都合良く自分の仲間にし、自国の時は「我が国が」と言う。
韓国など、イチローが有名になると「アジアの鉄人」と言いながら、何かにつけてイチローにケチを付け、「生意気だ」とまで言って、いつの間にか自分が躾する「子」にして、虐待している。

これを、単純素朴な可愛げと言えばそれまでだが、中韓と日本の間の、かなり大きな意識格差が表れている。また、アジアの多くの国は中韓側の意識だろう。そして、もっと言えば、日本の中にも少なからずこのレベルの意識に止まっている人がいる。

意識も大転換の時だ
アジアは、大航海以来500年、欧米の白人に陵辱されてきた。だから、白人コンプレックスが染みこんでいる。これは、もともとタテ型社会のアジア人の意識構造に、すんなり収まったこともある。

しかし、白人はアジア人が受け止めたように、力で圧倒してアジア全体を押さえつけたのではない。単に文明力が上だっただけで、アフリカとは違い、南米にせよアジアにせよ、既存のピラミッドの尖端を叩いただけで、驚いたことに、社会全体が向こうから転がり込んできた。つまり、古いアジアの社会構造ゆえに、アジア自らが屈したのだ。

白人は、黄色人種が自らの価値観を投影して見るように、黄色人種を差別しているわけではない。モンゴルに支配されたPTSDを持ちながら、「単に、現在勝っている」としか見ていない。もちろん何人であろうと、ナチやKKKのように偏狭な狂信者はいる。(根底は恐怖心)
タテ型の本質的な差別意識は、むしろ、黄色人種側のものだ。

アメリカという実験社会は、そうした、白人優位の力関係の根拠を転換させている。過去、3~40年の間に、アメリカ人の意識は大きく変わりつつある。人種の優劣といった意識が、時代遅れになりつつある時に、アメリカ敵視と白人敵視を混同させてものを考える人々が、いまだに日本にもいるし、中韓は根本的にそう考えている。
もちろん逆に、迎合や憧れも、表裏一体の差別意識に他ならない。

中韓の海外留学熱は、「上から下に」流そうとする卑しい「学習」意欲であり、敵地に侵入し、上下の関係を逆転させようとする意欲でもある。
その表れが、アメリカでの融和ではなく、自国主張だ。

日本の若者が、海外留学したがらないことは、考えようによれば、卑しさが無いからでもあるが、アメリカ、ひいては世界との、融和の機会を失い、同時に、卑しい野心に駆逐される危険がある。

アメリカが日本の若者に、留学を求めているのは、アメリカにはびこるガン細胞の危険を感じているからだ。
過去に於いて、日本の移民と留学生が果たした健全性を、ガン細胞の繁殖を前にして、再認識しているのだろう。
日本の若者よ、大志を抱け、世界のウルトラマンになれ。


蝎の一撃

2012年08月11日 | 兄弟関係

サソリ座は、朝鮮半島の他に、先日は「付和雷同」で銀行の件もあげたが、警察もサソリ座。今年に入って警察の不祥事が増えているそうだ。

8月10日。韓国大統領が竹島上陸。
土星は天秤座の24゜30′火星も天秤座の22゜。
15日には火星が土星を追い抜いていく。つまり重なる。
火星も土星もサソリ座に影響を及ぼし始めた。そして天秤座の日本は、まだ影響下にある。10月には完全にサソリ座に入る。

2010年9月7日。天秤座に入ったばかり4゜の土星に、火星が今と同じ天秤座の25゜を移動中。尖閣の中国漁船衝突事件が起こった。
天秤座に火星が居れば、日本は怒りっぽくなる。
今と当時との違いは、土星が、天秤座か、サソリ座(影響圏)かの違いだ。当時、事件を大きくしたのは、日本の政治家の判断ミスだった。
今、韓国の政治家がどういう判断をしているのか、言うまでも無いだろう。

天秤座とサソリ座
大統領竹島上陸の半日後。日本はサッカーでも韓国に銅メダルを献上した。これは日本がメキシコに敗れた段階で、ほぼ見えていたことだが、見事に現実になった。

日本は何故、何から何まで朝鮮半島にやられてしまうのか。
(向こうの言い分は、この逆なのだが)
これは星占いで考えても、兄弟関係文化論で考えても、ごく当然のことなのだが、もちろん一般常識では見えない観点だ。

国際関係「兄弟論」では、中国大陸が兄、朝鮮半島が弟、日本列島が親戚の一人っ子。そう捉えれば、これまでの兄弟関係論で、解ってもらえると思う。一人っ子は、兄弟で揉まれた末っ子のしたたかさを、全く知らない。下の子は生まれた時から、自省するより泣くことで活路を開く、したがって、被害者意識が強い。

日本は世間知らずのお人好し。スキだらけのいじめられっ子だ。
因縁を付けられると、相手に反撃する前に自分が反省してしまう。
そして、追い詰められると、破れかぶれの反撃に出て、自滅する。あるいは反撃すらしない。

星占いではまた、全く別の観点がある。天秤座とサソリ座の関係だ。
サソリ座と言えば「風と共に去りぬ」が、すべてを物語っている。
サソリ座の作者、ミッチェルの視点からは、主人公のスカーレットとレットはサソリ座で、恋慕する対象のアシュレーが天秤座。

生と死とセックスのサソリ座から見れば、天秤座は立て前。綺麗事の絵に描いた餅。理想であっても目的ではない。
結婚式は華麗だが、結婚の目的はセックス、出産、養育資金が本音だ。
美しい天秤座の日本は理想であって、サソリ座にとってはそこから得られる財貨こそが目的だ。

また、生と死のサソリ座は相続、「継承者」を意味し、必ず先人を必要とする。同時に、必ず先人との葛藤があり、「身内の敵」が存在する。
自分の親や師匠に忠実な反面、それこそが敵だと思い込みやすく、先人からの恩恵の部分より、克服すべき問題部分だけに着目する。
「嫁姑の葛藤」は、嫁が恩恵に気づかないことに始まるが、一方で、姑は先人としての既得権と格差にこだわる。
したがって、サソリ座は序列にこだわり、極めて差別的で権威的だ。

既存のものを自分のものにするサソリ座の特質は、マンガなどパロディーや、二番煎じが上手く、サソリの毒のように、敵の弱点を突くのが上手い。
小さなサソリは単独では何もできないが、相手が大きければ大きいほど、大きな仕事ができる、どんな勇者もどこに居たのか分からないような、小さなサソリの一撃で倒れるのだ。

今回の韓国サッカー銅メダルは、相手が日本でなければ取れていなかったろうし、日本も、相手が韓国でなければメダルが取れていただろう。これは象徴的な例で、テレビや造船だけではなく、日本列島と朝鮮半島はこうした関係を、歴史的に続けてきている。

勇者ほど、小さな虫と侮ってはいけない。サソリの対処法は、注意深く寄せ付けないようにするか、見た途端、叩きつぶすことだ。
ゆめゆめ、カワイイなどと勘違いをしてはいけない。

補足:
この後、女子バレーは日本が銅メダルを取った。
しかし、日本の方が優位とみられ、Jリーガーが何人もいて、兵役免除が有り、白兵戦さながらの男子サッカーと、ネットに遮られている女子バレーとは、全く意味が違う。
優位者を倒すことに燃えるのがサソリ座だ。


立秋の頃

2012年08月09日 | 日記・エッセイ・コラム

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる

7日は立秋。男子サッカーはついに失点、敗北。メキシコの上手さ強さが目だったが、日本は初失点に動揺したのが敗因だろう。
片道切符しか買わない、日本らしい負け方だった。
それにしても、本当に良くやったと思う。選手の皆さんご苦労様。

猛暑も少し落ち着いているが、これからまた残暑が始まる。
立秋は文字通り秋の始まりだが、実感としては真夏だ。昔は立秋で秋が来ていたのだろうかと思いたくなるが、歌にもあるように、昔から真夏だった。

それでも、秋と名が付くのは、夏至から一月半経って、太陽が既に秋分との中間点まで下がって来たからだ。影が伸びて、太陽エネルギーは弱まっているが、余熱は簡単には収まらない。

「秋って、うそだろこの暑さ」と、文句の一つも言いたくなるが、花鳥と歩調を合わせ、陽ざしの陰りの中で、身体は確実に秋の準備を始めている。それが、よけい暑さを感じさせるのかも知れない。

そろそろ、スイカも終わりだ。店頭には秋田産や山形産が並び始めた。近頃スイカはあまり人気が無いようだ。豊富な果物の味を覚えた日本人には、風物詩としてのスイカは消えてしまった。

井戸で生活していた頃は、大家族だったから、スイカを井戸で冷やし、全員集まって、包丁を入れた。今では、冷蔵庫にスイカを丸ごと入れることもなければ、一個のスイカを食べ切る大家族も無くなった。

10年ほど前の立秋の頃、スーパーで、カット売りの黄スイカを買ってきて食べた。
皿を洗った後、一週間ほど留守にして帰ってみると、なんと、流しの排水口のゴム蓋の間から、もやしの双葉が数本顔を出している。
捨てるのもかわいそうな気がして、庭の砂地に植えておいた。

そのまま、何の手も掛けずに放って置いたのだが、そのうちの一本が、すくすく育って、気づくと砂の上に、ソフトボールぐらいのスイカが転がっている。もう、秋分も過ぎて秋風が吹いている。これ以上育たないだろうと思ったが、やはり、そのままにしておいた。

そのうち、木枯らし一号が吹いた頃にみると、もう少し大きくなって、ハンドボールぐらいになっている。
『これ、中はどうなっているんだろう???』
2、3日して、とうとうみぞれが降った。

『何であれ、とにかく切ってみよう』
おそるおそる包丁を入れると、濃厚な黄色が顔を出す。
さらに、おそるおそるスプーンですくって食べてみると、
「甘い!」
こんなに簡単にできるんなら、来年はスイカ作りだ。

翌年、大型のプランターでスイカの栽培を始めた。ところが、テニスボールぐらいまで育つと、鳥につつかれたり、虫にやられたりで、中には、ガチャンコのように、きれいに丸い形を残して食べきっているものまで有った。
その後、何度試みても大きくなるまで育たない。
色々手を掛ければ、できるのかも知れないが、そこまでしなければならないのなら、初めから手がけない。

あの、黄スイカは何で育ったんだろう。
スイカは今ごろから始めるものなんだろうか ???


付和雷同 補足

2012年08月08日 | 占いばなし

「付和雷同」を上げた後で、熟語の用法が気になり始め、追記(P.S.)を入れてみたが取りやめて、これは改めて考えてみることにした。

「惑星が来たことで刺激を受け、その刺激だけで無計画に盲動する」のは良くない。
この主旨は伝わるとしても、「付和雷同」と言えば、辞書では、ほとんどが「無定見に他人の意見に同調する」となっており、この「他人の意見」の部分で、「???」と思われるかも知れない。

そう思い、言葉を選ぶ時から迷ったが、自分の考えも無く無定見に行動する・・・ことはピッタリで、やはりこれしか思い浮かばない。
「軽挙妄動」では行動の様を表現しているだけで、「雷」の刺激要因が欠けている。

もともと、「付和雷同」は、他人の意見の例えとして「雷」を引き合いに出したのだろうが、大きな刺激に翻弄される様子が、惑星の刺激で行動を起こす例えに合っている。多少、違和感はあるが、やっぱりこれを使うことにした。

刺激を受けたら
雷と言えば、易では「震為雷」で、もっぱら、実体の無い刺激についての対処法を語っている。
天下をとどろかす事態に見えるが、実体は無い。しかし、それについての認識と心構えが無ければ、本当に、とんでもないことになる。

「震為雷」の二爻には、
雷(天災)が本当に来た時は危ないから、日頃から警戒し、身一つで丘に逃げよ、財貨など時が経てば戻ってくる・・・とある。
天災は、それそのものより対応の仕方で、致命傷とも、後の語りぐさともなる。今回の大災害なども、悲劇の中心は人災だ。

個人の人生に於いても、雷は常にやって来るのだから、それを恐れることより、それに動揺しない心構えが大切だ。(開運のコツ)
雷とは何かを知り、今のこれは雷かを判断し、慌てない。

「雷」とは振るわすもの、震動の「辰」であり、唇であり、つまりは人の言動。そしてその最大の姿が、電波震動のマスコミやネットだ。
雷に驚くとは、こういうものに影響されることを言う。

惑星の影響下に入ると、個人はもちろん、世の中のそれに関わる事柄全体が震動を始める。ジッとしていられなくなる。
こういう時にこそ、
「これは、物理的必然か、気の迷いやセンセーションか」冷静になって見極めなければならない。

天災人災の、最も恐れるべきは、恐慌だ。
つまり、「恐れることを恐れなければならない」
ブームや流行、世論や報道、ネットの世界。そういうものは、無視するわけには行かないが(雷は時に落ちる)、基本は虚であると心得て、自分の定見を磨くことが大切だ。

辰年竜巻