向島の逃走囚(暗夜行路か放浪記か)

2018-04-13 00:00:52 | 市民A
今治の造船所で懲役作業中の囚人が脱走し、盗んだ車でしまなみ海道を今治から尾道に向かい、尾道寸前の向島でICから下道に降り、島の北部で行方をくらました。さらに自転車や靴下を盗んだり、スーパーの倉庫に侵入した痕跡が見つかっている。

向島(むかいしま)は、尾道とは200~300メートルと近く、海峡は尾道水道と呼ばれている。潮流は速いがもちろん遅い時もある。私も海運会社にいたときには、向島のフェリー乗り場から100メートルのところの造船所に定期ドックの時など数回行ったことがある。尾道の千光寺山から尾道大橋を見下ろして撮影したことがあった。この山中に志賀直哉は別荘を持ち、「暗夜行路」を執筆していた。林芙美子は貧乏だったので、山の下の借家で「放浪記」を書きはじめた。

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ここのフェリーだが、あまりの近い距離なので特殊構造になっていて、前後対称形でスクリューも前後についていて、向きを反転させることなく電車のようにそのまままっすぐいったりきたりする。あまりに珍しいので撮影していたのだが、本事件によりフェリーと尾道水道に陽の目を当てることができた。

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仕事で向島に行くときは、船の点検の時なので、基本的に船員は数日間暇になり、このフェリーで尾道まで数分でわたり、飲み屋かパチンコに直行するが、時折フェリー最終便に乗り遅れると、しかたなくタクシーに乗って高速道路に乗り、しまなみ海道を一区間走り、向島の山の上でICを下り山道を下って10000円札でタクシー料金を支払うことになる。船員だから泳ぎは達者とはいえ、200m泳ぐものは聞いたことがない。船員の給料は相対的には高いということもあるだろう。高齢者ばかりだし。

逃走囚のことだが、造船所で働かされていたのだから、潮目の見方などは知っているのだろうからすでに泳いで逃げたか、1200軒ある空家のどこかに潜んで、流木などでカムフラージュして脱出を図る時期を狙っているかなのだろう。暗夜行路の上、放浪記コースだ。


ところで、別に彼に同情する気はさらさらないのだが、彼は「逃走したのではなく、あまりの作業の苦しさに、造船所を抜け出して松山刑務所に徒歩で戻ろうと歩いているうちに盗めそうなクルマを見つけ、気が変わった」とも言われる。

北海道には囚人道路と言われる道があって、明治以降、刑罰制度の近代化の名目で、鞭で叩いたり腕に刺青を入れたりではなく北海道に送って死ぬまで働かせたという証拠物件になっているのだが、造船所の船底での溶接などは、文字通りの懲役刑で、普通の日本人だけでは人員不足になっていて東南アジアからの研修生が中心の職場である。もちろん、船底の溶接や塗装の現場のことは口外無用ということになっていて、船の発注者が検査に来るときには、目に触れないように現場にはいない。

なんとなく、日本語の通じる安い労働力として特定の会社に利用されていたのではないかという同情も感じるわけである。もちろん逃げ切れるとも思えず、別の刑務所に送られるのだろうが、脱走犯というのは囚人の中では一目おかれるらしい。反対にボコボコにされるのが、元警官だそうだ。念のため。


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